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第6話
しおりを挟む王国の南に位置する公爵領は、春の訪れが早い。
早春のその日──。
セレストブルーに晴れ渡る空が広がる。
僅かに開いた窓から柔らかな暖かさを届ける風が、ジュリアの純白のヴェールをいたずらになびかせた。
「本当に綺麗よ、ジュリア。」
「ありがとう、お母様。」
教会の控室で一ヶ月振りに家族と対面したジュリアは、両親が用意してくれたクラシックなロングスリーブのウェディングドレス姿だった。
スカート部分はハリのあるシルクで装飾はなく、胸元や袖が品のいい刺繍レースで飾られている、とても清楚なドレス。
線の細い彼女にとても良く似合っている。
「少しふっくらして顔色も見違えるほどいいわ……。公爵家で、大切にしていただいているのね……。」
「お母様……。」
「安心したわ。この一年半、貴女が何に悩んでいるのかわからずにいて……。今になって思えば、もっと甘えさせてあげられたんじゃないかって……後悔ばかりで……。」
「そんなっ、お母様のせいじゃないわ……!」
「ほら、二人とも。式はこれからだ。涙は早いだろう?」
娘をハグしながら目を潤ませる妻に、ロナルドが穏やかに声をかけた。
「そ、そうね。私ったら……。」
「ねえさま、きれー。」
「ふふ、ありがとう、ユーリ。ひと月会わなかっただけなのに、また大きくなったわね?」
「ほんと?」
「ええ。」
彼女の腕に甘えて嬉しそうにしがみついてきたのは、四歳になったばかりの弟ユーリ。
ユーリが生まれたのは彼女が十五歳の時。
それまではジュリアが婿を取ってコーリング伯爵家を継ぐ予定だったため、娘でありながら領地経営にも携われていたのだ。
「ねえさま、けっこんしきがおわったら、かえってくる?」
「っ!?……ユーリ、ごめんね。姉様はお嫁に行くから、お家には一緒に帰れないの。」
「もうあえなくなるの?」
「そんなことないわ。姉様はお嫁に行っても、ずーっとユーリの姉様よ。毎日は会えなくなるけど、ちゃんとまた会えるわ。」
「ほんと?」
ユーリは不安げに、ジュリアだけでなく父と母も順番に見つめた。
「姉様が嘘ついたことある?」
フルフルと首を横に振る彼に、三人が笑いかける。
「さぁ、ユーリ。お母様と一緒に、先にお席に行きましょう。」
「うん。ねえさま、またね。」
「ええ。」
母と共に控室を後にする弟を見送ると、隅に控えていたメアリとマーサが手早く化粧を直してくれた。
「そろそろ時間だな。閣下がお待ちだ。」
「はい、お父様……。」
礼拝堂の厳かな扉の前に父と並んで立つ。
ロナルドはそれほど背は高くなく、ヒールを履いて隣に立つと、ジュリアは父と同じくらいだった。
「……大きく……なったんだな……。」
本当にポツリと呟かれた父の言葉に、彼女はハッとして横を向く。
そしてロナルドは扉を見つめたまま、まるで独り言のように言葉を紡いだ。
「私の娘は立派な公爵夫人になる。お前なら何の心配もない。あとは………幸せになれ。」
「………っ…………。」
──お父様、ごめんなさい……。私はお飾りで望まれたの……。でも、ちゃんと、公爵夫人として頑張るから……。
静かに扉が開かれる。
祭壇の前に立つウィリアム。彼は礼装用の軍服を身に纏っていた。
父に導かれ彼の元へと歩を進めたジュリアに差し伸べられる大きな手。
「本当に……綺麗だ、ジュリア。」
「ウィリアム様……。」
淡く頬を染めた彼女がウィリアムの腕に手を添えて彼と共に司祭の前に立つと、神聖な儀式は滞りなく進んでいった。
誓いの名の下に重なった唇。ウィリアムは優しくふわりと、その誓いをジュリアに重ねた。
緊張のせいか僅かに震えていた小さな唇の感触は、彼を幸せで満たし尽くす。
──絶対に幸せにする。……もう、何なんだ、この可愛さっ!
彼女が潤んだ瞳で自分を見つめてくれている。ウィリアムは思いきりジュリアを掻き抱きたい衝動を必死にこらえ、彼女を丁寧にエスコートして礼拝堂を後にしたのだった。
結婚式のあと行われた二人の披露宴は、珍しいガーデンパーティーだった。
清かな陽射しと柔らかな風が花嫁の美しさを引き立て、花婿はそんな花嫁をとろけるほどに愛しく見つめている。
幸せが満ち満ちた空間に、招待客たちは自然と頬を緩めていた。
まさか花嫁が、自分はお飾りの妻だと考えているなどとは、誰一人気づくはずもない。
ジュリア自身も、隣で寄り添ってくれるウィリアムから、堪らない甘さを感じ取ってはいた。
だが今の彼女は、それをどう解釈していいのかわからず、戸惑うことしか出来ずにいたのだった。
やがて空がオレンジに色を変え始めると、メアリがそっと主役の二人に声をかける。
「旦那様。奥様はそろそろお支度がございますので……。」
「あ…ああ、そうだな。」
「奥様、屋敷に戻られる前に、コーリング家の皆様にご挨拶なさいますか?」
「ええ、そうするわ。」
ジュリアが両親の元へ行くと、ユーリは疲れて眠ってしまっていた。
彼女はそんな可愛い弟の額にキスすると、両親とハグを交わし、あの準備のためにそっと自室へと戻っていったのだった。
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