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其の六
しおりを挟む「戦場では、親子兄弟が敵味方に分かれ、争うことは珍しくはございませぬが、殺されたお子はようやく歩き始めたばかりというではありませんか。八重姫さまと佐殿は、ほんにおかわいそう。わたくしでお役に立てることなら、何なりといたしましょう」
恋人たちの身の上にことさら同情し、祐親に憤っていたのはほかでもない、政子である。
韮山の北条館に身を寄せた頼朝主従の世話も、自ら名乗りを上げて引き受けた。
一方の時政も、抜け目ない田舎紳士の顔とは別に、お人好しで、どこか憎めないところがあった。
ちょうど殺された子と、後妻の牧の方が生んだ子が同じ年頃だったこともあり、
「舅殿も、どこか遠くの寺にでも預ければよいものを、池に沈めるとはむごいことをなさるのう」
と、柄にもなく涙を浮かべていた。
それが、時政の判断を鈍らせたのであろう。
年頃の八重姫と密通騒動を起こしたばかりの男の世話を、嫁入り前の政子に託すことに、不安を感じなかったわけではないが、親も舌を巻くほどの、しっかり者の娘である。
よもや間違いはあるまい、と安心していたのが、見事に裏切られた形となった。
で、怒り心頭の北条時政である。
刀の柄に手をかけているとはいえ、祐親のように、侍女を斬ったりする残虐な怒り方ではない。
怒りで肩を震わせている小男が、短い足精一杯の大またで、同じところをぐるぐる回り(時折直垂の裾を踏んではつんのめりながら)、その顔色は赤くなったり青くなったりしているのである。
傍からみれば、かなり滑稽な様子であった。
「宗時のやつめ、遠駆けなど、しゃらくさいっ。ええい、わしが追って首に縄つけて引っくくってくれるわっ。馬を引けい」
厩へ向かおうとする時政を、小弥太とあぜち、下男数人が必死で取り押さえる一幕も見られ、北条家の中は、さながら喜劇の様相を呈していた。
日ごろ、分別くさい顔をして、できの悪い親父などは歯牙にもかけぬ様の宗時が、なぜこのような愚かな企みに加担したのか。
時政にしてみれば、張本人の頼朝や政子に対しての怒りよりも、むしろ自慢の息子に裏切られた悔しさ、腹立たしさが先にたっていたという部分もある。
「兄妹揃って、あの生白い青膨れの中年に誑しこまれおったとは、情けないっ。定子も定子じゃっ」
親の時政はまるで気づかなくとも、年の近い妹には恋の悩みを打ち明けることもあっただろう。
政子のように、言いたいことを言うたちではなく、人並みな娘と思っていたが、姉の秘密を知りながら、何食わぬ顔でとぼけ続けるとは、とんだ食わせ者である。
もう、誰ひとり信じられぬ。
荒れ狂う時政であったが、不思議と娘を連れ戻す、とはひとことも言わなかった。
馬で駆ければ一息の蛭が小島であるのに、宗時の後を追いに厩へは行きかけたが、蛭が小島の「ひ」の字も時政の
口から出ないのは、奇妙と言えば奇妙であった。
大番役で留守がちだったとはいえ、時政は娘の性格をよく知っていた。
力ずくで連れ戻そうとすれば、力ずくの抵抗にあうだろう。
口が達者で勝気なだけでなく、駆け落ちをも辞さない向こうみずな政子の激しさは、自害もしかねぬという不安もかきたてた。
(万が一、そのようなことになったら、死んだ妻に合わせる顔がないわい)
「いずれにせよ、折れなければならないのは、父上の方であろうよ」
宗時の言葉は正しかった。
その宗時が帰ってきたのはあたりが暗くなってからである。
さすがの時政も怒り疲れたのか、悪態のねたも尽きたと言おうか、声もだんだん小さくなり、しまいには
「頭が痛(いと)うなってきた。少し休む」
孤立無援の我が家で、いまや唯一の頼みの若妻、牧の方を伴って部屋にさがった、ちょうどその頃あいである。
「兄上はずるい。一番大変なときに、ご自分だけ遠駆けなど」
食わせ者、親不孝者、とさんざんなじられ、兄と姉の代わりに父の怒号と叱責をまともにくらう羽目になった定子が、うらめしそうに兄を睨んだ。
「わしが目の前におっては、父上も怒りの納めどころがないであろう。少し頭を冷やす間(ま)を作ったのだ」
宗時もまた、父を知りぬいていた。
「父上は、どこにおられる」
「つい、今しがたまで刀の柄に手をかけてあちこち歩き回っておいでだったわ。兄上さまを連れて来いって、すごい剣幕で」
「今は少し落ち着かれて、後妻(うわなり)どのと、お部屋におられますげな。若殿さまがお戻りになられたら、すぐにお顔を出すように、との仰せつけでござりまする」
(家の者と、牧どののそりが合わないのにも、困りものじゃ。頭が痛い)
あぜちを始め、北条館の家人たちは、政子と同じ年頃の牧の方を、決して「お方さま」とは呼ばない。
彼らにとっての女主人は、嫡男宗時の母でもある時政の先妻、その娘の政子なのである。
当然のように「後妻どの」という、よそよそしく敬意に欠ける呼び名で呼ばれ続けている、牧の方は面白くなく思っているだろう。
亡くなった自分たちの母を変わらず慕い続ける家人たちの気持ちはありがたいが、家刀自の役割を果たしていた政子がこのようなかたちで家を出たことにより、牧の方は名実ともに北条家の女主となった。
(案外、今ごろ怒ったり嘆いたりしている父上の横で、邪魔者がいなくなってせいせいしたわと、舌でも出しているのではないか)
これから起こるであろう数々の揉め事や諍いを考えて、宗時は頭を抱えたくなる思いであった。
(それにしてもなぜ、自分が政子の向こうみずに、ここまで手を貸すことになったのだろう)
確かに、政子から頼朝との仲を打ち明けられたとき、妹がそこまで思いつめているなら、と好きな男と一緒にさせてやりたいと思ったのは事実である。
しかし、それ以上に頼朝という男に言い知れぬ魅力を感じている自分に、宗時は驚いていた。
頼朝が韮山の北条館に身を寄せていたわずか一月あまりの間、宗時はしばしばこの貴人の居室に足を運んだ。
初めは客人をもてなさすという、ごく当たり前の気遣いであった。
それが、自ら進むように自然と頼朝のもとに足が向くようになったのは、源氏という武家の名門に生まれ、都に育ち、宮仕えを通じて雅やかな世界を知る者だけが持つ、しぐさや振る舞い、または博識から紡ぎ出される巧みな話術に惹かれただけではなかった。
「のう、宗時どの。天下の相国入道、平清盛という人間、我が父の敵とはいえなかなかの人間だとわしは思うのだが、それにしては随分と間抜けだとは思わぬか」
他愛ない世間話の合間に、ぎくりとするようなことを言う。
真意を測りかねた宗時がしどもどしていると、とぼけたような顔をして続けるのである。
「わしが清盛の立場であったら、敵の嫡男であるわしをこうして生かしてはおくまいよ。しかも、目の届かぬ伊豆などで。自分は都で帝や公卿どもの争いごとに首を突っ込むことに忙しいとは、敵に背中を見せていつでも襲うてくれと言わんばかりであろうが」
平家に盾ついてまで、頼朝を立てようとするものなど誰もいない現実では、いささか滑稽な言い草であるが、宗時は、この男をもっと饒舌にしてみたいという気持ちに駆られた。
「では、佐殿が相国入道のお立場であられたら、どのようになさいまするか」
「ならぬ」
「は」
一瞬耳を疑って聞き返すと、頼朝はますます一層とぼけたような顔をして、しかし信じられないようなことを言ったのけた。
「都で大臣にはならぬ」
「では、どうなさるのですか」
「東国に都を造るのだ。我ら武士の都をな。武士の頭領が治め、大臣や納言のごとき者がいて、争いごとや土地の分け方なども、我らの作った我らの決まりごとで収めるようにいたすのじゃ。よい思いつきとは思わぬか…場所は…うん、相模の鎌倉がいいな」
それは宗時にとっては、ただ途方もないだけの、絵空事にしか思えなかった。
言っている本人の頼朝でさえどこまで本気なのかもわからない。
ただ「武士の棟梁が治める武士の都」という言葉だけが、奇妙に心地よく、いつまでも宗時の耳の奥から消えなかった。
その日以来、宗時の中では
(ひょっとすると、ひょっとするかも知れん)
という気持ちがどこかにある。
時政のような親の世代には、「腑抜けの御曹子」にしか見えない頼朝だが、もしかして、夢が夢で終わらぬ可能性があるかもしれないのだ。
むろん、そのようなことを考える自分をばかばかしいと思う冷静さも、宗時は持ち合わせている。
「さて。少しばかり父上に怒鳴られてくるか。これも親孝行のうちよ」
「兄上さまったら」
「お気をつけ下さいましよ。若君さま。ようやくお怒りが鎮まったところだげなに」
日が沈み、昼間の騒ぎや喧騒が嘘のように静まり返った北条館を、濃紺の闇が包もうとする時刻になっていた。
どこから迷い込んだものか早鳴きの虫の声が頼りなげに響く簀子縁を、宗時悠然と肩をそびやかしながら父の局へ歩いていく様子を、あぜちと定子が不安げに見守っていたその時。
(あっ)
二人ともほぼ同時にその大きな後姿が闇にのまれて消えていくかのような、幻を見たのである。
それは逢魔が時の見せた、一瞬(ひととき)のあやかしであった。
(おかしな見え方をするものだ。兄上がすぐそこで消えてしまうなど…)
(まあ。自分では思わなくともよほど疲れているげな。あのような幻を見るとは)
あぜちも定子も、二人が同じものを見たとは夢にも思わず、それぞれが心の中で呟いていた。
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