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第四話「凝固」
「凝固」(6)
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幻夢境は、あたたかな夜明けの陽射しに照らされていた。
カレイドの城が建つムナール山を、とぼとぼと下りてくる人影がある。
よっつ。
昏睡するアエネをおぶったエリーと、出血多量のハオンに肩を貸したエドだ。
となりのハオンへ、エリーは感心した笑顔を投げかけた。
「よくこらえたの、小僧。カレイドの誘惑に最後まで負けなかった」
「あいつと俺をつなぐ見えない呪いの糸の間に、悪いけど何人分もの死霊に防壁になってもらってなんとか……でも、正直に告白すると」
ハオンは肌寒げな表情をした。
「吸いたくて吸いたくてたまらなかったよ、だれかの血を。陽の光や十字架を見るのもキツかった。あとちょっとでもエリーが遅れてれば、俺が吸血鬼になってたのは疑いようもない」
「強い意思力じゃ。誇れ。うぬはもう一人前の死霊術師よ。わらわはもとより、こっちの竜動士の小娘も血の渇きは我慢できんかった」
祈るようにハオンは弁護した。
「ごめんな、けっきょく最後の最後までアエナが操られっぱなしで。どうか彼女を蔑まないでやってくれ。ことの発端は、俺の力のなさが原因だ」
「過去の因縁を、いまさら蒸し返すつもりはない。ただ、この小娘……」
エリーは生真面目な目つきになった。
「吸血鬼化は、人間をはるかに超えた呪力の限界値を引き出す。いずれは小娘も、あの高度な竜動呪の才能に目覚めるというわけじゃ。そのときわらわが、あるいは小娘が敵陣に寝返っておらねばよいがな」
「怖いこと言わないでよ……」
すでに疲弊に満ちた顔色をなお悪くし、ハオンは話題の矛先を変えた。
一見ひ弱そうに見えるくせに、彼を運ぶエドの力は強い。ハオンはエドへ、興味深げにたずねている。
「え? じゃああんたが、あのとき宮殿の地下牢で俺が降霊させた〝エド〟なの?」
涼しい面持ちでエドはうなずいた。
「うん。たしかに生き返った」
「タイプOの武器の形から、人間の姿に戻るまであっという間だったね?」
「ああ。ここまでとても目まぐるしかったよ。微力ながらも今回の戦いのお役に立てたみたいだし、偉大なるハオン師匠には感謝の言葉もない。本当にありがとう」
鼻の下をかき、ハオンは照れくさそうに笑った。
「ほめても悪霊しかでないぜ、へへ。こりゃますます、メネス先生には成績表の数字を上げてもらわないとな。俺も先生も約束を守った。ルリエも喜ぶよ」
「ルリエ?」
目を丸くして、エドは問い返した。
「ルリエさん? まさか久灯さんのこと? あの久灯瑠璃絵さんかい?」
「そうだよ。知り合いなの?」
「まあね。彼女はいまどこに?」
しばし考え込み、ハオンは首を振った。
「わからない……」
「じつは組織の記録上でもまだ、彼女は逃亡者扱いのままなんだ。最後に消息が確認されたのはイレク・ヴァド決戦の直後だと、黒野さんから聞いてる。また知らないところで悪さをしてなきゃいいけど」
「だいじょうぶ。ルリエなら、メネス先生の指揮下で正義のために活動中さ」
驚くべき固有名詞を、ハオンは口にした。
「〝カラミティハニーズ〟の一員として、彼女は水面下で未来の悪と戦ってる。いまはたしか……魔法少女、だっけ? の、シヅルというひとのサポートに回ってるって話だ」
「シヅルじゃと?」
思わず口を挟んだのはエリーだった。
「江藤詩鶴……彼女もあれのメンバーなのか?」
下山する一行をふもとで迎えたのは、ものものしい集団だった。
首都セレファイスの討伐隊ではないか。狂暴な怪物との戦いにそなえ、大人数の全員が重武装に身を鎧っている。
よりすぐりの精鋭たちの先頭に見知った顔を認め、ハオンはその名を呼んだ。
「エイベル隊長!」
「よう、ハオン……」
かわいい後輩の呪士を前にしても、エイベルは剣呑な雰囲気を崩さない。エリーたち四名に順番に睨みをきかせながら、用心深く問う。
「吸血城に入った全員が、無事にお天道様の下を帰ってくる……ってことは、カレイドの野郎は滅びたんだな?」
「心配には及ばん。この中にはもう、吸血鬼の感染者はおらぬ」
エリーが示してみせた関係者たちの首筋には、すでに噛み跡ひとつない。ようやく利き手を長剣の柄から外したエイベルへ、エリーは告げた。
「城の吸血鬼は、すべて眠りについた。気をつけて調査に入るがよい」
「そうさせてもらう」
背後の部下たちに合図して警戒を解きつつ、エイベルはつぶやいた。
「よくやった、ハオン、アエネ。そして地球の捜査官たち。感謝するぜ、邪悪な吸血騎士団を倒してくれたこと」
エイベルを筆頭に、討伐隊はすみやかに吸血城の探索へ向かった。
負傷者のアエネとハオンは、都のマクニール総合病院へ急行する馬車へすみやかに乗せられている。名残惜しげにエリーを見つめ、ハオンは心細い声をこぼした。
「また会えるよね、エリー?」
「いいや、期待はするな。どちらかの世界でわれらが顔を合わせるということは、すなわち戦のときじゃ。争いはなきに越したことはない」
「そっか……そうだよね。エリーの本来の住まいはこっちじゃないんだ」
かたわらで、黄金の海が風にさざめいた。異世界の稲穂の畑だ。青空に舞った数えきれない綿毛の輝きを、エリーは眼帯越しにそっけなく眺めている。
かすかにエリーの唇はほころんだ。
「そう悲しい顔をするでない。またうまい吸血鬼の話があったら、いつでも知らせよ。なにを置いてもすぐに駆けつける。ゆえにそれまでは、しばしお別れじゃ」
ハオンの面持ちに、まさしく光は差した。
「わかった! こんどこそエリーのお荷物にならないよう、俺は頑張って修行する! だからエリーも元気でね!」
「ああ。幻夢境の未来は頼んだぞ、若き天才よ」
じきに馬車は発進し、いつまでも手を振るハオンの姿も遠ざかっていく。
残った討伐隊から一人、エリーとエドへ歩み寄る人影があった。
セレファイスの紋章が染め抜かれた外套をなびかせる佇まいは、文字どおり魔法使いであり、どこか洗練された職業人の薫りをもまとっている。慇懃に胸に片手をそえ、青年は挨拶した。
「やあ。はじめまして、ではないね。エリザベート・クタート?」
「だれじゃ、うぬは?」
疑り深い顔つきをするエリーへ、青年は名乗った。
「ぼくだよ。メネス・アタールだ」
「ほう」
エリーは片眉をあげた。
「指名手配の顔写真で見て以来じゃ。異世界電話の口調からすると、いかにも怪しい妖術師を想像しておったが?」
「こっちもさ。きみのことは失礼ながら、声が高いだけのお婆さんだと思っていた。まさか現物が、こんなにも見目麗しい美少女だったなんて」
「ふん、おおむね当たりじゃ」
「そちらは、凛々橋恵渡さんだね。ついに念願のタイプOは完成したか。つねづねルリエから話はうかがってるよ」
複雑な顔で、エドは返事した。
「久灯さんのことだ。またさんざ、ぼくのことを陰でけなしてるんでしょ?」
「そんなことはない。彼女はずっと、きみに一途なままだ」
「はン?」
聞き逃さなかったのはエリーだった。
「なんじゃエド。うぬ、すでに先約がおったのかえ?」
「いや、それはその……」
困ったように頭をかき、エドは嘆いた。
「〝星々のもの〟に〝逆吸血鬼〟ね。ものすごい方面に人気らしいな、ぼくは」
乱ぐい歯を光らせ、エリーは不穏な笑いをこしらえた。
「久灯瑠璃絵か。忘れぬぞ、その恋敵の名前」
「ところで、余計なことかもしれないが……」
挙手したメネスは、エリーの服装を指差してたずねた。
「ボロボロだけどその格好、美須賀大付属の制服だろ?」
「おう、くわしいな。さては制服フェチかや、うぬも?」
「その女子高生の制服ほど、いろいろと勇気づけられるものはない。きみもあの学校の生徒なんだね?」
「さよう。五百幾星霜も生きておれば、生徒であったり、ときには臨時の外国語教師であったりもする」
おそらくはごく近い未来の戦火を遠目に幻視し、メネスは独りごちた。
「フィア、ホシカ、ナコト、ミコ、ルリエ、セラ、シヅル、そして……これで八人だ」
メネスは、おもむろに右手をさしだした。
「ようこそエリー、〝カラミティハニーズ〟へ。歓迎するよ」
黙然……
「組織の許しはまだないが、吸血鬼の血が吸えるなら火の中水の中じゃ」
こころよく手を握りあった二人を、朝日が影法師に変えた。
カレイドの城が建つムナール山を、とぼとぼと下りてくる人影がある。
よっつ。
昏睡するアエネをおぶったエリーと、出血多量のハオンに肩を貸したエドだ。
となりのハオンへ、エリーは感心した笑顔を投げかけた。
「よくこらえたの、小僧。カレイドの誘惑に最後まで負けなかった」
「あいつと俺をつなぐ見えない呪いの糸の間に、悪いけど何人分もの死霊に防壁になってもらってなんとか……でも、正直に告白すると」
ハオンは肌寒げな表情をした。
「吸いたくて吸いたくてたまらなかったよ、だれかの血を。陽の光や十字架を見るのもキツかった。あとちょっとでもエリーが遅れてれば、俺が吸血鬼になってたのは疑いようもない」
「強い意思力じゃ。誇れ。うぬはもう一人前の死霊術師よ。わらわはもとより、こっちの竜動士の小娘も血の渇きは我慢できんかった」
祈るようにハオンは弁護した。
「ごめんな、けっきょく最後の最後までアエナが操られっぱなしで。どうか彼女を蔑まないでやってくれ。ことの発端は、俺の力のなさが原因だ」
「過去の因縁を、いまさら蒸し返すつもりはない。ただ、この小娘……」
エリーは生真面目な目つきになった。
「吸血鬼化は、人間をはるかに超えた呪力の限界値を引き出す。いずれは小娘も、あの高度な竜動呪の才能に目覚めるというわけじゃ。そのときわらわが、あるいは小娘が敵陣に寝返っておらねばよいがな」
「怖いこと言わないでよ……」
すでに疲弊に満ちた顔色をなお悪くし、ハオンは話題の矛先を変えた。
一見ひ弱そうに見えるくせに、彼を運ぶエドの力は強い。ハオンはエドへ、興味深げにたずねている。
「え? じゃああんたが、あのとき宮殿の地下牢で俺が降霊させた〝エド〟なの?」
涼しい面持ちでエドはうなずいた。
「うん。たしかに生き返った」
「タイプOの武器の形から、人間の姿に戻るまであっという間だったね?」
「ああ。ここまでとても目まぐるしかったよ。微力ながらも今回の戦いのお役に立てたみたいだし、偉大なるハオン師匠には感謝の言葉もない。本当にありがとう」
鼻の下をかき、ハオンは照れくさそうに笑った。
「ほめても悪霊しかでないぜ、へへ。こりゃますます、メネス先生には成績表の数字を上げてもらわないとな。俺も先生も約束を守った。ルリエも喜ぶよ」
「ルリエ?」
目を丸くして、エドは問い返した。
「ルリエさん? まさか久灯さんのこと? あの久灯瑠璃絵さんかい?」
「そうだよ。知り合いなの?」
「まあね。彼女はいまどこに?」
しばし考え込み、ハオンは首を振った。
「わからない……」
「じつは組織の記録上でもまだ、彼女は逃亡者扱いのままなんだ。最後に消息が確認されたのはイレク・ヴァド決戦の直後だと、黒野さんから聞いてる。また知らないところで悪さをしてなきゃいいけど」
「だいじょうぶ。ルリエなら、メネス先生の指揮下で正義のために活動中さ」
驚くべき固有名詞を、ハオンは口にした。
「〝カラミティハニーズ〟の一員として、彼女は水面下で未来の悪と戦ってる。いまはたしか……魔法少女、だっけ? の、シヅルというひとのサポートに回ってるって話だ」
「シヅルじゃと?」
思わず口を挟んだのはエリーだった。
「江藤詩鶴……彼女もあれのメンバーなのか?」
下山する一行をふもとで迎えたのは、ものものしい集団だった。
首都セレファイスの討伐隊ではないか。狂暴な怪物との戦いにそなえ、大人数の全員が重武装に身を鎧っている。
よりすぐりの精鋭たちの先頭に見知った顔を認め、ハオンはその名を呼んだ。
「エイベル隊長!」
「よう、ハオン……」
かわいい後輩の呪士を前にしても、エイベルは剣呑な雰囲気を崩さない。エリーたち四名に順番に睨みをきかせながら、用心深く問う。
「吸血城に入った全員が、無事にお天道様の下を帰ってくる……ってことは、カレイドの野郎は滅びたんだな?」
「心配には及ばん。この中にはもう、吸血鬼の感染者はおらぬ」
エリーが示してみせた関係者たちの首筋には、すでに噛み跡ひとつない。ようやく利き手を長剣の柄から外したエイベルへ、エリーは告げた。
「城の吸血鬼は、すべて眠りについた。気をつけて調査に入るがよい」
「そうさせてもらう」
背後の部下たちに合図して警戒を解きつつ、エイベルはつぶやいた。
「よくやった、ハオン、アエネ。そして地球の捜査官たち。感謝するぜ、邪悪な吸血騎士団を倒してくれたこと」
エイベルを筆頭に、討伐隊はすみやかに吸血城の探索へ向かった。
負傷者のアエネとハオンは、都のマクニール総合病院へ急行する馬車へすみやかに乗せられている。名残惜しげにエリーを見つめ、ハオンは心細い声をこぼした。
「また会えるよね、エリー?」
「いいや、期待はするな。どちらかの世界でわれらが顔を合わせるということは、すなわち戦のときじゃ。争いはなきに越したことはない」
「そっか……そうだよね。エリーの本来の住まいはこっちじゃないんだ」
かたわらで、黄金の海が風にさざめいた。異世界の稲穂の畑だ。青空に舞った数えきれない綿毛の輝きを、エリーは眼帯越しにそっけなく眺めている。
かすかにエリーの唇はほころんだ。
「そう悲しい顔をするでない。またうまい吸血鬼の話があったら、いつでも知らせよ。なにを置いてもすぐに駆けつける。ゆえにそれまでは、しばしお別れじゃ」
ハオンの面持ちに、まさしく光は差した。
「わかった! こんどこそエリーのお荷物にならないよう、俺は頑張って修行する! だからエリーも元気でね!」
「ああ。幻夢境の未来は頼んだぞ、若き天才よ」
じきに馬車は発進し、いつまでも手を振るハオンの姿も遠ざかっていく。
残った討伐隊から一人、エリーとエドへ歩み寄る人影があった。
セレファイスの紋章が染め抜かれた外套をなびかせる佇まいは、文字どおり魔法使いであり、どこか洗練された職業人の薫りをもまとっている。慇懃に胸に片手をそえ、青年は挨拶した。
「やあ。はじめまして、ではないね。エリザベート・クタート?」
「だれじゃ、うぬは?」
疑り深い顔つきをするエリーへ、青年は名乗った。
「ぼくだよ。メネス・アタールだ」
「ほう」
エリーは片眉をあげた。
「指名手配の顔写真で見て以来じゃ。異世界電話の口調からすると、いかにも怪しい妖術師を想像しておったが?」
「こっちもさ。きみのことは失礼ながら、声が高いだけのお婆さんだと思っていた。まさか現物が、こんなにも見目麗しい美少女だったなんて」
「ふん、おおむね当たりじゃ」
「そちらは、凛々橋恵渡さんだね。ついに念願のタイプOは完成したか。つねづねルリエから話はうかがってるよ」
複雑な顔で、エドは返事した。
「久灯さんのことだ。またさんざ、ぼくのことを陰でけなしてるんでしょ?」
「そんなことはない。彼女はずっと、きみに一途なままだ」
「はン?」
聞き逃さなかったのはエリーだった。
「なんじゃエド。うぬ、すでに先約がおったのかえ?」
「いや、それはその……」
困ったように頭をかき、エドは嘆いた。
「〝星々のもの〟に〝逆吸血鬼〟ね。ものすごい方面に人気らしいな、ぼくは」
乱ぐい歯を光らせ、エリーは不穏な笑いをこしらえた。
「久灯瑠璃絵か。忘れぬぞ、その恋敵の名前」
「ところで、余計なことかもしれないが……」
挙手したメネスは、エリーの服装を指差してたずねた。
「ボロボロだけどその格好、美須賀大付属の制服だろ?」
「おう、くわしいな。さては制服フェチかや、うぬも?」
「その女子高生の制服ほど、いろいろと勇気づけられるものはない。きみもあの学校の生徒なんだね?」
「さよう。五百幾星霜も生きておれば、生徒であったり、ときには臨時の外国語教師であったりもする」
おそらくはごく近い未来の戦火を遠目に幻視し、メネスは独りごちた。
「フィア、ホシカ、ナコト、ミコ、ルリエ、セラ、シヅル、そして……これで八人だ」
メネスは、おもむろに右手をさしだした。
「ようこそエリー、〝カラミティハニーズ〟へ。歓迎するよ」
黙然……
「組織の許しはまだないが、吸血鬼の血が吸えるなら火の中水の中じゃ」
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