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第一話「脈動」

「脈動」(6)

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 現実世界……

 美樽びたる山にある組織ファイアの基地。

 同僚の褪奈英人あせなひでととともに打ち合わせ室で待機するのは、美脚を組んだエリーだ。破廉恥な寝間着姿からようやく着替え、こんどは扇情的な体にフィットするスーツスカートをやや着崩しがちにまとっている。

 個室の机に寝かされた携帯電話は、ありふれた市販品にしか見えない。スピーカー状態にされた携帯電話は、左右のエリーとヒデトではない第三の声を発した。

〈エリーくんいちおしの千代桜牙ちよおおがは勝ったのかね、無道鵬むどうほうとの取り組みに?〉

 けだるげに頬杖をつき、エリーは隻眼の青白い顔を振った。

「負けよった。また黒星じゃ。こんどは波離間はりま投げでやられたわい」

〈それは残念だ。来場所に期待だな〉

 やろうと思えば音声だけでなくお互いの景色も動画で拾えるが、それは組織の情報セキュリティの観点からいまのところ禁じられている。顔の見えない携帯電話の向こうへ、やや剣呑な雰囲気で割り込んだのはヒデトだった。

「さっさと本題に入れよ、メネス・アタール?」

〈まあそう焦るな。仕事も四股もねばりが肝心だ。ぼくが上司のころに教えたろ?〉

 電話の相手は、なんと、この世界にはいない。

 会議は現実とは違う異世界、幻夢境げんむきょうの首都〝セレファイス〟とかわされている。

 声の主はメネス・アタール。異世界の〝召喚士〟だ。過去の悲しい行き違いにより、彼は地球でもっとも危険なテロリストの一人として認定されている。

 この通話も、呪力によって双方の世界をつなぐ〝召喚術〟を応用した仕組みだ。

 ちょっと前まではヒデトたちと熾烈な敵対関係にあったメネスだが、いまの立ち位置はそうとも言いきれない。ある大きな戦争が幻夢境げんむきょうで勃発して以降、メネスは異世界の協力者として組織に陰から情報提供を続けている。

 どこか感慨深げに、電話はつぶやいた。

〈逆吸血鬼のエリーくんに、逆召喚士の褪奈あせなくん。くしくも〝逆〟どうしがそろったな〉

 メネスの言葉どおり、ヒデトにも奇跡めいた特殊能力はある。

 それは簡単に説明すると〝物体を〟〝もとあった場所へ〟〝瞬時に戻す〟といった異世界の天敵ともとれる離れ技だ。だが政府の極秘の捜査官たるもの、ヒデトも自身の呪力をむやみやたらと披露したりはしない。

 おごそかに、メネスは謝罪した。

〈今回はたいへんな手間をかけたな、エリー。こちら側のデクスター伯爵が、まさか現実世界に侵入して好き放題していたとは。時間はもらうが、いずれ必ず引き取りにいく〉

「うむ」

 ストローを刺した紙パックから、紅色のなにかを吸いながらエリーはうなずいた。

「なかなかに美味かったぞよ、やつらの血潮。こんな不味い合成血液ではなく、ひさかたぶりの生きた吸血鬼のそれじゃったからな」

〈吸血鬼は人間の血に飢え、逆吸血鬼ザトレータは吸血鬼を捕食せずにはいられない。なんど聞いても、すさまじい弱肉強食の摂理だ〉

 そこだけやけに赤い唇をぬぐいつつ、エリーは妖艶にほほ笑んだ。

「生かしたまま捕獲するために、三匹とも最低限の血だけは残してやった。研究所の暗部にて、いまも彼奴きゃつらは想像を絶する尋問にさいなまれておる。そちらさえよければ、また定期的に送り込んでもらってよいぞ、新鮮な吸血鬼を」

〈そうしたいのも山々なんだが、方法がわからない〉

 メネスの声は途方に暮れていた。

〈現在の幻夢境げんむきょうが知る召喚士には、見当たらないんだ。異世界の吸血鬼を、現実に送り込める呪力使いなどは。正体不明の謎めいた召喚士は、人目を忍んだ水面下で活動しているらしい〉

 憎らしげに舌打ちしたのはヒデトだった。

「なんだよ、おい。てめえんとこの吸血鬼がこっちに迷惑かけてんだぜ。死ぬ気で探し出せよ、トラブルの源を」

〈もちろん全身全霊で探ってはいる。いまもぼくの生徒の死霊術師ネクロマンサー竜動士ドラグナーが、疑わしいと思われる吸血鬼の城を監視中だ〉

 貧乏ゆすりを止め、ヒデトは鼻であざ笑った。

「生徒? 生徒だって? そんなガキどもをお使いによこすほど、おまえの真剣さは低いんだな?」

〈セレファイスも深刻な人手不足でね。心配しなくとも彼らは、胸を張って戦いへ送り出せるレベルに成績優秀だ。しかしわからない。なぜいまになって、元来おとなしいはずの吸血鬼が活発に動き始めた?〉

「おとなしい、じゃと?」

 カラになって潰した紙パックを、ばかばかしげにゴミ箱へ落としたのはエリーだった。

「吸血鬼が、おとなしい? なにもわかっておらんな。吸血鬼とはそもそも、自由自在に使い魔や霧幻に姿を変え、夜ごとに美しい人間の寝室に忍び込んではその首筋に牙をたてる存在。吸血鬼とは、高貴なる猛獣じゃ。それがいまごろになってエサの種々を襲い始めたところで、なんの不自然もないわい」

 エリーの高説に痛み入りはしたものの、メネスはまだ悩んでいる。

〈なにかきっかけがあるはずだ。そう、吸血鬼たちが、我々の知らないなにかしらの〝真実〟を突き止めたとか〉

 魔性の笑顔で、エリーは乱ぐい歯をむいた。

「いっこうにかまわんぞ、わらわは。やつらが攻め寄せてくるなら、むしろ食い扶持ぶちがよりどりみどりで助かるわい。吸血鬼に襲われたものは無論、吸血鬼になる。そのままねずみ算式に、世界中が吸血鬼で覆い尽くされればよいのじゃ。そしてわらわは、その頂点にふたたび夜の女王として君臨する」

〈そうもいかない。我々の目下の敵は、人間でも吸血鬼でもない〝ジュズ〟を未来から現代に送り込んで世界を崩壊させるつもりだ。吸血鬼だけで勝ち目はあるかな?〉

 端正な爪の長い指先で、エリーは携帯電話のふちを叩いた。

「あまり舐めてかからぬことじゃ、崇高なる吸血鬼を」

〈ジュズには昼も夜も大気圏外も無関係だ。吸うべき血も涙も通っていない。かわりにその全身からは、多数の未知の兵器群が飛び出す。あらゆる面で吸血鬼が超人的であることは、ぼくもじゅうぶんに認めている。だが日中でも出歩ける逆吸血鬼ザトレータならまだしも、夜しか生存できない普通の吸血鬼に、二十四時間いつ襲来するかわからないジュズの相手がつとまるか?〉

「ぬう」

 整った眉根をゆがめて、エリーはうなった。

逆吸血鬼ザトレータは伝染せんからな。わらわは運命に選別されし唯一無二の絶対存在。陽の光ごときを浴びて灰になる並の吸血鬼では、たしかに未来との戦争には不向きじゃ」

〈そこで、だ。ヒデト〉

 なれなれしく白羽の矢をたてられ、ヒデトは不満げに電話を見返した。

「ぁんだよ?」

 慎重に、メネスはたずねた。

〈〝例のもの〟の製造は順調かい?〉

「マタドールシステム・タイプオーのことだな」

 腕組みして、ヒデトはそっけなく返事した。

「もうほとんど完成だって聞いてる」

〈できあがっているのなら、研究所の魔法陣に置いてくれ。ぼくがすみやかに幻夢境げんむきょうへ召喚する。こちらの分析が正しければ、タイプオーは世界を救うための重要なカギだ〉

 いもしない因縁の宿敵を、ヒデトはやぶ睨みにした。

「どうせおまえ、またロクでもないこと考えてんだろ? タイプオーを悪用して?」

〈とんでもない。これは久灯瑠璃絵かのじょとの契約であり、大切な約束だ。若くして先立った〝彼〟の復活のため、タイプオーはかけがえのない……〉

 基地内に、緊急警報が流れるのはいきなりだった。

 鮮血のように赤い警告灯に染まりつつ、手首の腕時計に怒鳴ったのはエリーだ。

「なにごとじゃ!?」

 研究員のたどたどしい応答は、腕時計型の通信機から返ってきた。

〈ブロック407に侵入者です! 大至急、捜査官エージェントの応援を!〉

 顔を強張らせ、うめいたのはヒデトだった。

「407……話題のタイプオーの保管場所じゃねえか。敵は!?」

〈対象は……対象は、信じられない! 未確認のコード〝ヴァーミリオン〟です!〉

 弾かれたように、エリーの顔色は変わった。

「〝ヴァーミリオン〟……それは、吸血鬼の出現を意味する暗号ではないか。このアリの子の一匹も通さぬ鉄壁の要塞に、いったい全体どのような方法で新手の吸血鬼が侵入したのじゃ?」

〈わ、わかりません! あいつは、あいつは虹色の水晶みたいなコウモリとともに、なにもない場所からとつぜん……ああ、研究員が次から次へと血を吸われ、こっちに、ァぼゃイっっ!?!?!?〉

 悲鳴が耳障りな砂嵐と化したときには、エリーとヒデトは立ち上がっていた。

 軽く舌なめずりして告げたのは、エリーだ。

「おうメネス。さっそくカモが、ネギを背負って現れたわい」

〈なにか大変な騒ぎになってるようだね〉

「情報交換の続きはまた、食後じゃ」

〈承知した。食中毒しょくあたりには気をつけて〉

 さっそうと身をひるがえし、エリーは駆け出した。
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