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第三話「融合」
「融合」(2)
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ショッピングモールの屋上からは、地上の混乱がよく見えた。
たえまなく鳴り響くパトカーや救急車のサイレン、血のように赤い回転灯の光。
あるかないかの対処法を求めて錯綜する無線の声、夜空を飛びかうヘリの群れ。
広い屋上にひとけはない。乱暴に蹴り開けられた鉄扉だけが、昇降口で揺れている。屋上の端をめざして決然と歩くのは、ひとりの制服姿の人影だ。
たどりついた屋上のふちに、ホシカはどんと片足をおいた。しめった風に揺れる髪とスカート。ひと雨くるかもしれない。鋭く凝らされたホシカの片目には、瞬時に呪力の五芒星が現れている。
五十メートル先、いやさらに五十メートル先。夜の闇や邪魔な光をものともせず、ホシカの瞳は百メートル先をたやすく見通した。常人離れした魔法少女の視覚が無意識に作動していたが、いまのホシカにそれを疑問に思う暇はない。
三十階建ての高層ビルの屋上、かすかに光ったのはこの世ならざる漆黒の鎧だ。
焦燥感に、ホシカは拳を握る力を強めた。
「いやがったぜ。ひとり、ふたり、三人。ツイてない人質の女もまだ無事だ。おい、一体全体、あの化け物どもの狙いはなんなんだよ、ラフ?」
「これは推測にすぎませんし、信じたくもないことですが……」
ホシカのポケットから飛び立ち、その肩にとまったのはラフトンティスだ。
「おそらく雨堂谷寧の指示でしょう。組織が一般社会でなんらかの実験や作戦をおこなう際には、事前に付近のラフトンティスにも通達が流れるはずです。それがなんの音沙汰もない。いやそもそも、組織の通信網はいまだ復旧していません。そして現時点の赤務市において〝食屍鬼〟をあのように操る権限をもっているのは、雨堂谷寧ただひとりです」
「ぜんぶ、あいつの仕業ってわけだな。あたしの地元で、関係のない一般人や警官を平気で殺しやがって……絶対に許さねえ。ぶっ潰す」
くいしばったホシカの奥歯は、怒りにきしんだ。
人の死という現象が、実感としてじわじわ心の奥をしめつける。三階のカフェにいたから手は届かなかった? いや、ちがう。自分に力が足りないから、大勢の人間が目の前で死んだのだ。もっと早くに危険を察知して行動を起こしていれば、あのニット帽の少女もこんなことには……
しかし、啖呵を切って飛び出してきたはいいものの、いまの自分になにができる?
組織に〝失敗作〟とやらの烙印を押された、こんな正体不明の自分に……なにが?
「戦闘領域内はひととおり検索しましたが、だめです。雨堂谷寧の反応はなし。この状況をもっとも責任をもって収拾せねばならない魔法少女が、どこにもいません。まさか、組織の麻痺をいいことに〝角度の猟犬〟は首輪を外れて暴走しかかっている……?」
ラフの声も、いまのホシカにはどこか遠くの出来事に聞こえた。
高まる鼓動。早まる血流。震える指先。かわく唇。にじむ冷や汗。総毛立つ背すじ。
枯れて消え入りそうな声で、ホシカはうめいた。
「まだだ、まだ間に合う……まだ、助けられる。なあ、ラフ」
「剣式拘束装甲を形作るのは、強く高密度な呪力によって〝むこうがわの世界〟から引きずり出された素材。生半可な現代の兵器では傷ひとつつきません。それそのものが魔法少女の服の贋作であり、それを身にまとうのもまた〝大量の呪力に狂った〟凶暴きわまりない野獣です。あの食屍鬼ふたりを倒すには、人間ではそうとう手こずりますよ。いったいあと何十、いや何百の犠牲がでるか見当もつきません」
こんどこそ、ホシカははっきり言葉にした。
「〝魔法少女〟だっけ? 空、飛べるんだよね、あたし?」
……ホシカはいったい、だれと話しているのだろう? ひとりごと?
そんな疑問符を浮かべるのは、屋上の昇降口、鉄扉をささえに荒い息をつくシヅルだ。ホシカを追って階段をひといきに上ったが、体力の違いを思い知らされた。
「翼を求めるかどうかはあなた次第です、ホシカ。人に戻りたい、人のままでいたいという願いがいかに叶わぬ代物か、ようやく気づいたようですね?」
「そりゃあ、さっきから吐き気と震えは治まんないよ。だからって見捨てるわけにはいかないだろ、あのコを? 力があるんなら助けなきゃ、あの化け物どもから」
つぶやくホシカは、はるか後方で息を乱すシヅルの気配に気づくよしもない。ホシカがたたずむ場所はふだん立入禁止の場所であり、強風でも吹いたら大変だ。そんなことはおかまいなしに、ホシカは続けた。
「だれかを救うため、他のなにかを壊す、奪う、捨てる。そんなのは世の中どこでも毎日起こってることだ。そのたびに人が人でなくなってるって言うんなら、もうこの世は怪物だらけ。ならたったいま、怪物がひとり増えたところでどうってことはない……」
向かいの高層ビルから、ホシカは目を離さなかった。
高層ビルの屋上をサーチライトで照らすのは、十数機で飛ぶ警察のヘリだ。あそこはもしかして、例の殺人鬼ふたりが人質をとって立てこもっているという現場? しかしシヅルの目では、そこで現在起こっている細かいことまではとても見えない。
ひとさし指を顔の前に立て、ホシカがなにか念押しするのをシヅルは見た。
「ただし魔法少女はこの一回きりだ、一回きり。頼むぜ、ラフトンティス」
「一回? なにを求めているんです、この私に? ホシカ、あなたはもう一回どころか死ぬまで魔法少女なんですよ。相変わらず、なにか勘違いをしてらっしゃるようで」
「ほんっと気に障る喋り方するね、あんた」
シヅルの困惑は強まるばかりだった。
だれかいま、ホシカに答えを返さなかったか? こんな状況なのに、とても落ち着いた声だ。反対にホシカは、いらだったように握りこぶしを震わせている。
「わあったよ、わかった。おっしゃる通り、生っちょろい考えは金輪際捨てる。だから教えてくれ、ラフ。呪力とやらの使い方を」
「お断りします」
「あのな」
「助言など必要ありません。ホシカがいま抱いている〝焦り〟〝怒り〟〝悪意〟……それこそが魔法少女の呪力の源だからです。計測する限り、ホシカが呪力を行使する準備はもう万端。剣式拘束装甲の食屍鬼二体と戦うのに事足りる段階まで、私からのリミッターも解除してあります」
「……そいつは要するに、あれか」
危ない、というシヅルの叫びは風に消えた。
落ちるぎりぎりまで身をのりだし、ホシカが地上の道路をのぞいたではないか。だが青い顔をして、すぐに身を引っ込めたため未遂に終わる。
ごくりと喉を動かして、ホシカはつぶやいた。
「こ、このままジャンプしても大丈夫ってことか?」
「例外なくその試練を乗り越えるからこそ、鳥たちは巣立つのです。もっとも、飛べなかった鳥が人々の目に触れる機会はありませんが」
「おい」
「信じなさい」
よし、とシヅルは意を決した。
下の喫茶店で、ホシカが急におかしくなったのは知っている。道路で起こったあんな凄惨な場面を、いきなり見せつけられたのだから仕方がない。人一倍正義感の強いホシカであれば、衝動的に事件の中心に飛び込んでいってしまうことも十分ありえる。
だがここは、なんの関係もないショッピングモールの屋上ではないか。
さらに心配なのが、ホシカが去り際にみせたあの表情だ。あれはずっとまえに体育館裏で、苛野藍薇ひきいる不良グループからいじめられっ子を救うため、たったひとりで喧嘩を挑んだときのあの顔とよく似ている。
つまりいまのホシカは、なにをしでかすかわからない。
ホシカが意味もなく身投げしたりする情緒不安定な人間でないことは、シヅルが一番よくわかっている。それでもこう、なにか不安だ。漠然とだが、なにか想像もつかない悪いことが起こりそうな気がしてならない。なら、取り返しのつかないことになるまえに、自分が止めなきゃ……
固い決意とともに、シヅルはホシカの背中めざして歩き始めた。だが、立入禁止の金網に手をかけたシヅルが、小さな悲鳴とともに横に飛び退いたのはなぜだろう。
その間にも、そこにいないはずの悪魔の声は、ホシカを終局へと誘っていた。
「祈りなさい。訴えなさい。恨みなさい……その目に映るすべてを。世界を。呪えば呪うほど魔法少女の力は強まり、高まります。順序、過程を飛び越え、結果のみを叶える願いの歌、それが〝呪力〟」
「……よし」
胸の前で拳を鳴らしたホシカが、危険な高所から引き返すのを見てシヅルは安堵した。
考え直してくれたらしい。ひとまずはよかった。いや、よくないのは自分のほうだ。
金網に触れたシヅルの掌には、ひどい火傷が生じている。熱い、痛い。いったい、なにに触ればこうなるのだろうか?
答えは横の金網にあった。そうだ。人の進入を防ぐ目的でつけられた金網を、こうも簡単にホシカやシヅルが行き来できるはずがない。
金属製の網には、人間サイズの大きな穴があいていた。
穴のところどころは、まだ真っ赤に灼熱して蒸気と煙をあげている。
まるでたったいま、超高温の溶断機にでも焼き切られたかのごとく……
だがシヅルはもちろんのこと、ホシカもそんな物騒な道具を持っている気配はない。
やけどに動揺するシヅルの姿は、ちょうど金網と植栽のかげに隠れていた。ホシカは気づかず、そのまま金網を通りすぎて屋上の出口へ向かってしまう。
突如として、言い争いは始まった。片方はホシカ、いま一方はあの冷静な声だ。
「それでいい。逃げましょう。ろくな覚悟もないまま運命に抗おうなど片腹痛い。生存本能に忠実で、とてもよろしいかと」
「脱げってのか!? ここで!?」
「なにを仰ってるのか、わかりかねます」
「変身だよ! まほーしょーじょとやらへのヘンシン! おめーみたいなケダモノにはわからねーだろーがよ、人ってのはな、着替えをするとき、だれも見てないとこに隠れるもんなんだ! あのヘリの数を見ろ! テレビに生中継でもされたらお嫁に行けなくなっちまうぞ!? 責任とれんのか!? アぁッ!?」
屋上の鉄扉が、叩きつけるように閉まる音をシヅルは聞いた。
そこから一秒、二秒……
「え? 置いてけぼり? 私?」
そんなシヅルのつぶやきは、真横を駆け抜けた一陣の風にのまれた。
蹴り開けた扉をうしろに残して、人影は屋上のふちへ全力疾走している。
とっさに手をのばすシヅルだが、もう遅い。
屋上から夜空へ、ホシカは飛んでいた。
「え? あれ?」
百二十メートルの高さを落ちる、落ちる、まっさかさまに落ちてゆく。下から上へ容赦なく身をたたく風にかき消されて、落ちるホシカの後悔の声はだれにも聞こえない。
「だまされた……」
「ほ、ホシカ? ……いやああああああああああッッッ!?!?!?」
まばゆい光が、一直線に夜空へ舞いあがったのは次の瞬間だった。
「……!?」
全身から呪力の炎をひいて、夜空に鮮やかな宙返りを決めたその人影は……
カテゴリーFY71〝翼ある貴婦人〟……伊捨星歌だった。
たえまなく鳴り響くパトカーや救急車のサイレン、血のように赤い回転灯の光。
あるかないかの対処法を求めて錯綜する無線の声、夜空を飛びかうヘリの群れ。
広い屋上にひとけはない。乱暴に蹴り開けられた鉄扉だけが、昇降口で揺れている。屋上の端をめざして決然と歩くのは、ひとりの制服姿の人影だ。
たどりついた屋上のふちに、ホシカはどんと片足をおいた。しめった風に揺れる髪とスカート。ひと雨くるかもしれない。鋭く凝らされたホシカの片目には、瞬時に呪力の五芒星が現れている。
五十メートル先、いやさらに五十メートル先。夜の闇や邪魔な光をものともせず、ホシカの瞳は百メートル先をたやすく見通した。常人離れした魔法少女の視覚が無意識に作動していたが、いまのホシカにそれを疑問に思う暇はない。
三十階建ての高層ビルの屋上、かすかに光ったのはこの世ならざる漆黒の鎧だ。
焦燥感に、ホシカは拳を握る力を強めた。
「いやがったぜ。ひとり、ふたり、三人。ツイてない人質の女もまだ無事だ。おい、一体全体、あの化け物どもの狙いはなんなんだよ、ラフ?」
「これは推測にすぎませんし、信じたくもないことですが……」
ホシカのポケットから飛び立ち、その肩にとまったのはラフトンティスだ。
「おそらく雨堂谷寧の指示でしょう。組織が一般社会でなんらかの実験や作戦をおこなう際には、事前に付近のラフトンティスにも通達が流れるはずです。それがなんの音沙汰もない。いやそもそも、組織の通信網はいまだ復旧していません。そして現時点の赤務市において〝食屍鬼〟をあのように操る権限をもっているのは、雨堂谷寧ただひとりです」
「ぜんぶ、あいつの仕業ってわけだな。あたしの地元で、関係のない一般人や警官を平気で殺しやがって……絶対に許さねえ。ぶっ潰す」
くいしばったホシカの奥歯は、怒りにきしんだ。
人の死という現象が、実感としてじわじわ心の奥をしめつける。三階のカフェにいたから手は届かなかった? いや、ちがう。自分に力が足りないから、大勢の人間が目の前で死んだのだ。もっと早くに危険を察知して行動を起こしていれば、あのニット帽の少女もこんなことには……
しかし、啖呵を切って飛び出してきたはいいものの、いまの自分になにができる?
組織に〝失敗作〟とやらの烙印を押された、こんな正体不明の自分に……なにが?
「戦闘領域内はひととおり検索しましたが、だめです。雨堂谷寧の反応はなし。この状況をもっとも責任をもって収拾せねばならない魔法少女が、どこにもいません。まさか、組織の麻痺をいいことに〝角度の猟犬〟は首輪を外れて暴走しかかっている……?」
ラフの声も、いまのホシカにはどこか遠くの出来事に聞こえた。
高まる鼓動。早まる血流。震える指先。かわく唇。にじむ冷や汗。総毛立つ背すじ。
枯れて消え入りそうな声で、ホシカはうめいた。
「まだだ、まだ間に合う……まだ、助けられる。なあ、ラフ」
「剣式拘束装甲を形作るのは、強く高密度な呪力によって〝むこうがわの世界〟から引きずり出された素材。生半可な現代の兵器では傷ひとつつきません。それそのものが魔法少女の服の贋作であり、それを身にまとうのもまた〝大量の呪力に狂った〟凶暴きわまりない野獣です。あの食屍鬼ふたりを倒すには、人間ではそうとう手こずりますよ。いったいあと何十、いや何百の犠牲がでるか見当もつきません」
こんどこそ、ホシカははっきり言葉にした。
「〝魔法少女〟だっけ? 空、飛べるんだよね、あたし?」
……ホシカはいったい、だれと話しているのだろう? ひとりごと?
そんな疑問符を浮かべるのは、屋上の昇降口、鉄扉をささえに荒い息をつくシヅルだ。ホシカを追って階段をひといきに上ったが、体力の違いを思い知らされた。
「翼を求めるかどうかはあなた次第です、ホシカ。人に戻りたい、人のままでいたいという願いがいかに叶わぬ代物か、ようやく気づいたようですね?」
「そりゃあ、さっきから吐き気と震えは治まんないよ。だからって見捨てるわけにはいかないだろ、あのコを? 力があるんなら助けなきゃ、あの化け物どもから」
つぶやくホシカは、はるか後方で息を乱すシヅルの気配に気づくよしもない。ホシカがたたずむ場所はふだん立入禁止の場所であり、強風でも吹いたら大変だ。そんなことはおかまいなしに、ホシカは続けた。
「だれかを救うため、他のなにかを壊す、奪う、捨てる。そんなのは世の中どこでも毎日起こってることだ。そのたびに人が人でなくなってるって言うんなら、もうこの世は怪物だらけ。ならたったいま、怪物がひとり増えたところでどうってことはない……」
向かいの高層ビルから、ホシカは目を離さなかった。
高層ビルの屋上をサーチライトで照らすのは、十数機で飛ぶ警察のヘリだ。あそこはもしかして、例の殺人鬼ふたりが人質をとって立てこもっているという現場? しかしシヅルの目では、そこで現在起こっている細かいことまではとても見えない。
ひとさし指を顔の前に立て、ホシカがなにか念押しするのをシヅルは見た。
「ただし魔法少女はこの一回きりだ、一回きり。頼むぜ、ラフトンティス」
「一回? なにを求めているんです、この私に? ホシカ、あなたはもう一回どころか死ぬまで魔法少女なんですよ。相変わらず、なにか勘違いをしてらっしゃるようで」
「ほんっと気に障る喋り方するね、あんた」
シヅルの困惑は強まるばかりだった。
だれかいま、ホシカに答えを返さなかったか? こんな状況なのに、とても落ち着いた声だ。反対にホシカは、いらだったように握りこぶしを震わせている。
「わあったよ、わかった。おっしゃる通り、生っちょろい考えは金輪際捨てる。だから教えてくれ、ラフ。呪力とやらの使い方を」
「お断りします」
「あのな」
「助言など必要ありません。ホシカがいま抱いている〝焦り〟〝怒り〟〝悪意〟……それこそが魔法少女の呪力の源だからです。計測する限り、ホシカが呪力を行使する準備はもう万端。剣式拘束装甲の食屍鬼二体と戦うのに事足りる段階まで、私からのリミッターも解除してあります」
「……そいつは要するに、あれか」
危ない、というシヅルの叫びは風に消えた。
落ちるぎりぎりまで身をのりだし、ホシカが地上の道路をのぞいたではないか。だが青い顔をして、すぐに身を引っ込めたため未遂に終わる。
ごくりと喉を動かして、ホシカはつぶやいた。
「こ、このままジャンプしても大丈夫ってことか?」
「例外なくその試練を乗り越えるからこそ、鳥たちは巣立つのです。もっとも、飛べなかった鳥が人々の目に触れる機会はありませんが」
「おい」
「信じなさい」
よし、とシヅルは意を決した。
下の喫茶店で、ホシカが急におかしくなったのは知っている。道路で起こったあんな凄惨な場面を、いきなり見せつけられたのだから仕方がない。人一倍正義感の強いホシカであれば、衝動的に事件の中心に飛び込んでいってしまうことも十分ありえる。
だがここは、なんの関係もないショッピングモールの屋上ではないか。
さらに心配なのが、ホシカが去り際にみせたあの表情だ。あれはずっとまえに体育館裏で、苛野藍薇ひきいる不良グループからいじめられっ子を救うため、たったひとりで喧嘩を挑んだときのあの顔とよく似ている。
つまりいまのホシカは、なにをしでかすかわからない。
ホシカが意味もなく身投げしたりする情緒不安定な人間でないことは、シヅルが一番よくわかっている。それでもこう、なにか不安だ。漠然とだが、なにか想像もつかない悪いことが起こりそうな気がしてならない。なら、取り返しのつかないことになるまえに、自分が止めなきゃ……
固い決意とともに、シヅルはホシカの背中めざして歩き始めた。だが、立入禁止の金網に手をかけたシヅルが、小さな悲鳴とともに横に飛び退いたのはなぜだろう。
その間にも、そこにいないはずの悪魔の声は、ホシカを終局へと誘っていた。
「祈りなさい。訴えなさい。恨みなさい……その目に映るすべてを。世界を。呪えば呪うほど魔法少女の力は強まり、高まります。順序、過程を飛び越え、結果のみを叶える願いの歌、それが〝呪力〟」
「……よし」
胸の前で拳を鳴らしたホシカが、危険な高所から引き返すのを見てシヅルは安堵した。
考え直してくれたらしい。ひとまずはよかった。いや、よくないのは自分のほうだ。
金網に触れたシヅルの掌には、ひどい火傷が生じている。熱い、痛い。いったい、なにに触ればこうなるのだろうか?
答えは横の金網にあった。そうだ。人の進入を防ぐ目的でつけられた金網を、こうも簡単にホシカやシヅルが行き来できるはずがない。
金属製の網には、人間サイズの大きな穴があいていた。
穴のところどころは、まだ真っ赤に灼熱して蒸気と煙をあげている。
まるでたったいま、超高温の溶断機にでも焼き切られたかのごとく……
だがシヅルはもちろんのこと、ホシカもそんな物騒な道具を持っている気配はない。
やけどに動揺するシヅルの姿は、ちょうど金網と植栽のかげに隠れていた。ホシカは気づかず、そのまま金網を通りすぎて屋上の出口へ向かってしまう。
突如として、言い争いは始まった。片方はホシカ、いま一方はあの冷静な声だ。
「それでいい。逃げましょう。ろくな覚悟もないまま運命に抗おうなど片腹痛い。生存本能に忠実で、とてもよろしいかと」
「脱げってのか!? ここで!?」
「なにを仰ってるのか、わかりかねます」
「変身だよ! まほーしょーじょとやらへのヘンシン! おめーみたいなケダモノにはわからねーだろーがよ、人ってのはな、着替えをするとき、だれも見てないとこに隠れるもんなんだ! あのヘリの数を見ろ! テレビに生中継でもされたらお嫁に行けなくなっちまうぞ!? 責任とれんのか!? アぁッ!?」
屋上の鉄扉が、叩きつけるように閉まる音をシヅルは聞いた。
そこから一秒、二秒……
「え? 置いてけぼり? 私?」
そんなシヅルのつぶやきは、真横を駆け抜けた一陣の風にのまれた。
蹴り開けた扉をうしろに残して、人影は屋上のふちへ全力疾走している。
とっさに手をのばすシヅルだが、もう遅い。
屋上から夜空へ、ホシカは飛んでいた。
「え? あれ?」
百二十メートルの高さを落ちる、落ちる、まっさかさまに落ちてゆく。下から上へ容赦なく身をたたく風にかき消されて、落ちるホシカの後悔の声はだれにも聞こえない。
「だまされた……」
「ほ、ホシカ? ……いやああああああああああッッッ!?!?!?」
まばゆい光が、一直線に夜空へ舞いあがったのは次の瞬間だった。
「……!?」
全身から呪力の炎をひいて、夜空に鮮やかな宙返りを決めたその人影は……
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