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第四話「雪半」

「雪半」(3)

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〈前々から私は、仲間たちのやり方に疑問を感じていました。吐き気さえ覚えていた。来る日も来る日も、仲間は人道に反した実験ばかりを繰り返す。かくいう私も、傍観を決め込むことしかできません。行われているのが、どれほど残酷なことか知っていながら〉

〈ちょっとタンマ〉

〈はい?〉

〈とりあえず、あんたが勘違いしてることはわかった。ふたつだ〉

 疾走するモノレールの影は、代わる代わる地面に明暗を生んだ。

 軽快な走行音に一瞬遅れて、下界を突風が吹き荒れる。不景気にうんざりして俯く歩行者たちに、頭上に密集した線路を数える余裕はない。

 駅近くの地下歩道は暗かった。頼りなく点滅するのは、等間隔に並ぶ電灯だけだ。普段から人通りが少ないそこの壁面には、スプレーによる落書きがひどい。

 ひん曲がって捨てられた自転車の車輪も、からからと虚しい響きを鳴らしている。おまけに、八つ裂きにされたカバンから風に持ち去られるのは、会社の書類や学校の教科書だ。

 なぜだろう。ひんやりしたアスファルトに舞い落ちるそれらの書類は、どうしてかすべてが白紙だ。それらの舞台道具が、巧妙な擬態カモフラージュにさらなる説得力を与える。

「…………」

 大の字になって地下歩道に倒れるのは、ひとりの男だった。

 酔っぱらいか? 脳卒中か?

 いや違う。そこかしこを切り裂かれた男の体を中心に、地面へ広がるこの不快な汁はなんだ。間違っても人間の鮮血ではない。タールのごとく滑り光るそれは、さながら黒い池を思わせる。

 男の名はダニエル。ダニエル・ピアース。

 敵に襲われ、そして戦ったのだ。

 その結末として、あたりの壁には新たな抽象画が塗りたくられていた。人型のなにかが引きずり落ちた血痕がひとつ、ふたつ、みっつ……もっとある。こちらの液体もまたどす黒い。激しく破壊された〝ジュズ・アヴェリティア〟の球体装甲のかたわら、道路に転がるのは累々たる屍の山だ。

 首を焼き切られたサラリーマン、上半身と下半身を分断された老人。買い物帰りの主婦ときて、ラフな格好の学生。まるで法則性はない。近代まれに見る猟奇殺人は、何気なくダニエルとすれ違った瞬間に起こったのだ。

 何気なく?

 素知らぬ顔で交差点の人混みに溶け込んだ彼ら市民……この被害者たちの皮を被っていたものの正体を知れば、世界は戦慄するだろう。容器としての調整を施し、ごっそり中身を掻き出した彼らの体には、あってはならないものが潜んでいた。

 異星人アーモンドアイが。

 そんな彼らにも、内輪揉めの概念はあったらしい。今回は、仲間どうしで互いを傷つけあったようだ。

 なぜ?

 生き残ったのは異星人のひとり、ダニエルだけだった。

「ダニエル、ダニエル、起きて」

「…………」

 自分をわずかに揺らす感触に、ダニエルはひどい寂しさを覚えていた。

 地下歩道で待ち伏せしていた〝家族〟を退けるのは、ダニエルの特殊能力をもってしても限界に近かったらしい。実際、擬装である人体は動かなくなるほど損傷し、襲撃のもたらしたダメージは内部の核まで及んでいる。〝ジュズ・インヴィディア〟に分類されるダニエルの真の姿は、人類からすれば恐るべきものだ。

 深い闇の底で、声はダニエルを呼び続けた。

「ねえ、歌ってよダニエル。あれだよ、カエルさんのお歌だよ」

「…………」

 もうじき自分の命は尽き果てる。

 血塗れで倒れたまま、ダニエルはそう確信した。意識も刻々と虚無へ落ちていく。死に際にだけ見えるというこの奇妙な光は、どうやら全宇宙共通だったようだ。

 光?

 それは暖かい輝きだった。柔らかくて優しい、それでいて懐かしい気配だ。

「!」

 見開かれたダニエルの瞳に、ちかちかする電灯が反射した。

 なぜか瞳孔が存在しないその眼球は、やはり石油を封じ込めたように一面真っ黒だ。地球外の闇、アーモンドアイの名残に他ならない。まばたきすること数回、人間らしい黒目と白目がダニエルのまぶたの下に現れる。

 なんと、ダニエルは胴体を起こした。致命傷が嘘のようだ。

 すぐそばには案の定、小さな人影がじっと体育座りしている。

 目の錯覚か?

 彼女が正面にかざした手のひらは、あわく光を放って見えた。

「これでまた歌えるね、お歌?」

 鈴の鳴るような声でささやき、少女は微笑んだ。

 地獄に迷い込んだ天使か、はたまた街角に放置された高価な西洋人形か。

 おそらく十歳の誕生日もまだだろう。三角座りした細い膝に隠れてなお、少女の目鼻立ちは美しい。不純物なしの澄んだその眼差しは、とっさに睨みつけてしまったことを、ダニエル自身も軽く後悔したほどだ。こんな美術品は、この異次元の屠殺場になどいてはならない。一秒で中華街の暗がりに連れ去られる。

 驚くべきは、ダニエルの〝着る〟人類の肉体だった。

 いまや彼は息を吹き返し、痛みも完全に消えているではないか。体中を見回しても、かすり傷ひとつ認められない。ついでに衣服の破れをも修繕されているとは、まるで死ぬ前まで時間を遡った感覚だ。

 守るべき彼女に、また救われてしまった。

 険しい表情でたずねたのはダニエルだ。

「力を……〝超時間の影シャドウ・オブ・タイム〟を使ったのか、ホーリー?」

「怒ってる? ダニエル?」

「あれだけ使うなと注意しておいたのに、まったく……」

 しばらく悩んでから、ダニエルはホーリーの頭をなでた。

 ダニエル・ピアース。もと所属していた異星人の一団によって、この惑星風に与えられた名前である。

 いまはすでに、裏切り者の逃亡犯の名前だった。

 人類の当局にまで根を張るアーモンドアイの追跡者が、シェルター都市のいたるところに掲げた指名手配写真の名前。貴重極まりない〝実験体〟をさらって逃げた無謀なジュズの名前……

 それも悪くない。ダニエルがそう考え始めたのは、よくその偽名で呼ばれるようになったつい最近からだ。そう思わせるのは、ダニエルに残された最後の希望、彼女の存在だった。

 実験ナンバーD10……ホーリー。

 頭をなでる手にくすぐったげな顔をしつつ、ホーリーはつぶやいた。

「怒っていいんだよ。そのために〝戻した〟んだから」

「そのぶんきみは、もう後戻りできなくなる……半分だけ残った人間に。安易に力を使うのはよせ。自分の〝時間〟は、自分のために使うものだ」

 だから自分は、彼女を守らなければならない。

 死んでは生き返り、生き返ってはまた死闘に挑む。

 それでいい。
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