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第三話「雪花」

「雪花」(10)

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 牛や馬や猿……果ては執行日を延々と待つだけだった死刑囚。非道な人身売買の奴隷商から、臓器取りの部品として購入した子どもたち。

 特製の強化ガラスでできた小部屋には、ありとあらゆる生物が放り込まれた。成体したダリオンのうろつく独房に、生きたままだ。組織ファイアの研究員だったころのモニカに、ためらいや後悔はない。新たな実験結果を得ようとする意欲や情熱は、感情の歯止めを狂気的に上回る。

 意外にもダリオンは、与えられた獲物の生命をすぐには奪わない。寄ってたかって手足をもぎ、バナナのように生皮を剥いで、鋭い尻尾で串刺しにしつつも、ほとんどの場合は虫の息にとどめる。

 なぜか?

 寄生のためだ。

 ダリオンが生物に植え付けた種は、効率よく体内の養分を吸って驚くべきスピードで成長する。そして、発芽した新たなダリオンの近くには、これもまた餌となる別の生態系の存在が欠かせない。ダリオンが縄張りを広げるためには、むしろ寄生した宿主に、遠く離れた群れの場所まで逃げてもらったほうが好都合なのだ。蜜蜂に花粉を運ばせるに似た習性は、数億倍凶悪とはいえ、やはり花の眷属にふさわしい。

 夢の回想は薄れ、ふたたびアイホートの客室……

「!?」

 ふと目を覚ましたモニカの鼻先に、大きな花が咲いていた。

 思わせぶりな顫動音せんどうおんを漏らすのは、剣山の密度で棘が生え揃った口だ。ぬめって照り輝く鉤爪の腕に喉笛を掴まれ、モニカは身動きどころか悲鳴ひとつ発せない。

 なぜいきなり、ダリオンがここに?

 しかもこの怪物の体躯は、他の同族に比べて一回りも二回りも大きい。

 震えるだけで恐怖を訴えるモニカへ、見せつけるようにダリオンの尻尾はとぐろを巻いた。モニカの眼前に迫った尻尾の先端は突如、粘液をひいて四方八方に裂ける。

 裂ける? いや、開いたのだ。尻尾の先端が、異世界の花弁のごとく。

 間違いない。卵管だ。獲物の体内に子孫を埋め込む特別な器官である。ただ、これを通常の〝雑草ウォーリアー〟型のダリオンが備えることはない。ということは、こいつは……

 花王キング……

「!?」

 激しい衝撃に揺さぶられ、モニカは真の現実に目覚めた。全身が汗だくだ。

 荒い呼吸を繰り返しつつ、モニカはつぶやいた。

「夢……」

 広い客室から、もはや怪物は跡形もなく消え去っている。

 ついでにヘリオの姿もない。そういえば見たこともなかったが、あの働き者の医者も一応は休憩を取るようだ。

 アイホートの客室はまた、おかしな地鳴りを響かせた。明滅を連続するのは、そこかしこの照明だ。なぜか機体が思いきり傾いている。トラブルだろうか?

 念のため、機長に確かめよう。

 よろけながらも、モニカは席を立った。手すりを伝い、なんとか機首の操縦室へ進む。

「……?」

 息を殺して、モニカは耳を澄ました。

 いったいなんだ、この音は? 空耳か?

 扉で閉ざされた向こう側、操縦室の壁を手当たり次第に叩くのが聞こえる。さながら狭い箱の中で、猫がネズミを追って暴れる様子とそっくりだ。

 操縦室の扉を前に、モニカは床が震えるのを感じた。いや、震えているのは彼女自身の両足だ。

 ありえない。悪夢は雪のかなたに遠ざかったはずだ。

 モニカの頬が浅く切れたのは、次の瞬間だった。内部から鋭い物体を生やした扉の破片は、遅れて床を跳ねている。

 ぽかんと立ち尽くすモニカの正面、甲殻のこすれる軋みを鳴らすのは太い尻尾だ。

 扉を貫通した尻尾の先端は、鮮やかに裂ける。いや、花開いた。たったいま襲った操縦士の血しぶきを散らし、尻尾はふたたび操縦室に引っ込む。

 いまのは第二の口とも呼べる花弁……卵管ではないか。

 巨大な鉤爪は、残った扉をも八つ裂きに突き崩した。

 操縦室をにじり出た異形の人影の後方、必死に暴れる足がある。顔を押さえて苦悶するのは、たくましい尻尾に宙吊りにされた機長だ。

 なんだろう。覆い隠す形で顔全体を捕らえた尻尾をスタートし、機長の喉は、腹は、たえまなく蠢いていた。まるで、ビールでも一気飲みするかのように。

 植え付けられているのだ。

 卵を。種を。

 かんだかい吐息とともに顎を痙攣させ、そいつは客室を見渡した。

 いままで扉の向こうにいた別の獲物の気配がない。代わりに床には、天井の通気孔から落ちた外蓋だけが取り残されている。手すりや座席の背もたれをハシゴに見立て、標的は火事場の馬鹿力を発揮して逃げおおせたようだ。

 高度一万メートルの監獄を、花王キングの飢えた遠吠えが駆け抜けた。
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