17 / 32
第三話「内臓」
「内臓」(7)
しおりを挟む
フィアたち遠征隊がさいしょに訪れたのは〝魔法の森〟と呼ばれる場所だった。
木々という木々は複雑に絡まり合って時間の停止した大蛇を思わせ、森の中は昼でも薄暗い。湿った腐葉土のそこかしこに蔓延る菌類は、ときおり神秘的な燐光をはなっては遠征隊の行き先を照らす。無限に響き続けるのは、多種多様な虫の囁き声だけだ。
いや、魔法の森を棲家にする生物はまた別にいる。すました耳に断続的にこだまするのは、舌を震わせるかのごとき奇妙な囁き声だ。
遠征隊の先頭、闊歩する馬の上で囁いたのはアリソンだった。
「魔王の居場所がわかるそうですね、フィア。セレファイスが魔王の毒牙にかかろうとしているこの時期に、まさしく神の導きのごとき力です」
「信仰深いのね。試しに祈りでも捧げてみる? セクシーなポーズをとって、きょうのお天気とあなたのラッキーカラーを占う機能ぐらいなら、あたしにもついてるわ」
「はぐらかしますね。お気づきだと思いますが、隊員たちはあなたの〝予言〟を疑っています。魔王に命じられ、あるいは独自の狂言で、我々を危険な場所へ誘導しているのではないか、と」
「あたしのデータベースに記録されてる〝予言者〟も、ほとんど例外なく最初は嘘つき呼ばわりよ。その予言とやらが的中するまでは」
「すこしのヒントでも結構です。教えて頂けませんか、あなたと魔王の関係を」
「ヒント、か。どれひとつとっても守秘義務に引っかかるんだけど……そうね」
馬に揺られながら、フィアはか細い片手を宙にかざした。
あるかなきかの木漏れ日の下、鮮やかな色がその手のまわりを舞う。蝶のつがいだ。魅惑的な動きをみせて指先と蝶を踊らせるフィアへ、うっとりした溜息をもらす隊員さえいる。美しい。
もうひとつ別の色があることに気づいたのは、アリソンだけだった。
いままでは制服の袖に隠れて見えなかったが、フィアの手首で反射したあれはなんだ?
銀色の、腕輪?
不思議な輝きをはなつ金属の腕輪のことに関して、たしかベイツやエイベルがなにか言っていたような……
「あたしも質問してよろしいかしら、アリソン?」
アリソンの思考をさえぎったのは、フィアの妖しい声音だった。もういちど確かめるまえに、銀の光はフィアの袖に隠れてしまっている。いぶかしげな視線をそこからフィアへ戻し、アリソンは答えた。
「なんでしょう?」
「あなたの背中の、その大きな剣……出発のときから気になってたけど、とんでもない重さね。ここまで背負ってきただけでも、ふつうならヘトヘトよ。勝手で悪いけど、あなたのここまでの動作から計算した身体能力では、物理的にどう考えてもそれを使いこなすことはできない。そうでしょ?」
不穏な空気に、アリソンは眉根を寄せた。
「だとしても、あなたに関係はないでしょう。なぜ唐突に私の武器の話など?」
「ただの鉄の塊じゃないわね、その剣。解析したところ、本体に合計二十箇所いじょうの孔が開けられてる。軽量化やデザインなんかじゃなく、意図的に作られた仕様よ。なにかの防御のための構造? 例えばあたしがとつぜん攻撃したとして、うまく対応できるかしら?」
どこか、なにか雰囲気がおかしい。
それとなく背中の柄に手をそえながら、アリソンは言い返した。
「そうやすやすと教えるわけにはいきません。じきにお見せするときは来ます」
「そ。つまりお互い、必要になるまで秘密は明かせないってこと」
アリソンが剣を抜くより、フィアの腕が跳ね上がるほうが一瞬早い。同時に展開した機関銃が、アリソンを狙う。
「やはり貴様、魔王の……!」
閃光……
振り向いたアリソンの視線の先、宙を回転するのは小さな槍状の物体だった。フィアの銃撃が、飛来したそれを紙一重で撃ち落としたのだ。狙ったアリソンの首筋から外れた奇怪な凶器は、かわりに刺さった木の根を猛烈な勢いで溶かし腐らせている。音もないその投擲を、もしフィアが事前に察知していなければ……
「猛毒の槍……ズーグ族か!」
慄然と叫んだアリソンふくめ、フィアは遠征隊へ大声でうながした。
「走って!」
いっせいに馬を鞭打って、遠征隊は全速力で森を駆け始めた。
時を同じくして木々から現れ、地を、樹上を、すばやく疾走するのは数えきれない小柄な人影だ。ズーグ族の首筋にちらりと見えた黒いものに、アリソンは表情を険しくした。
「あれは魔王の刻印……では魔王は、すでにここを通り過ぎて」
「とっくに終わってるみたいね、ズーグ族の人材募集は。半径二十メートル以内の敵性反応は、百匹を超えてる。でも計画どおりにやれば、ここの封印はまだ間に合うわ。魔王がつぎの種族と接触する前に、急いで!」
すでに操られていることもあって、遠征隊に対するズーグ族の殺意は本物だ。毒塗りの武器を手に手に、矮人たちは森を突っ走る隊を高速で追った。ズーグ族特有の舌を震わせる歯擦音が響くたび、それを合図にして鋭い矢や槍が降りそそぐ。
たくみに馬を蛇行させる隊員たちだが、攻撃の手数と道の狭さが重なって回避しきれない。ときおりフィアから走る銃弾の援護がなければ、とうに多くの殉職者がでていたはずだ。かすっただけでも即死を意味する凶器の雨をかわして、走る、走る、走る。
「……!」
手綱さばきに集中する手をゆるめ、ふたたび大剣の柄に手をかけたのはアリソンだった。
道の先の樹の下に、これもまた小さな気配が動いたのだ。先回りされた。後続を援護するフィアの意識を逸らすわけにはいかない。ここは、自分が盾となって隊を守らねば……
「待って」
フィアのその制止に、アリソンは目を剥いた。
「気づいていたんですか!? 敵は前にもいます!」
「あれは〝味方〟よ。ぎりぎり間に合ったみたいね」
「え?」
一心不乱に森を駆け抜けながら、アリソンは目を凝らした。
よく見れば、道の端に座っているのはズーグ族ではない。
一匹の猫だった。
そう、どこにでもいる普通の猫。
当然、アリソンは疑問符を浮かべた。
「なぜこんなところに……?」
それまで丹念に鼻のまわりを繕っていた前足を止め、猫は疾走する隊の先頭を見た。
交錯の一瞬、フィアと猫が小さく頷きあったように思えたのは気のせいか?
猫の背中はうしろに遠ざかり、森の暗闇からは引き続きズーグ族の群れが追ってきている。よほど運がよくない限り、かわいそうだがあの猫も無事ではすまないはずだ。
馬をフィアに寄せると、アリソンはたずねた。
「味方、とはどういうことです?」
「あたしたちがセレファイスを出発するより早く、王は一足先に専門の交渉係をある場所へ向かわせたの。頼りになる味方のもとへ、ね。その町の名前は、ウルタール」
「ウルタール……そうか、そういうことですか!」
「細かい種明かしはまたあとで。ついたわよ、森の中央部に」
停止したフィアにならい、遠征隊は次々に馬の足を止めた。
その広い空き地にかぎっては、妙に樹が生えていない。かわりに屹立するのは、苔むした巨大な環状列石だ。
たえず後方を警戒する隊員たちだが、ズーグ族の追跡は嘘のようにやんでいる。フィアがいう秘策の効果だけではない。この壮大だが不吉さばかりが漂う遺跡を、ズーグ族はひどく恐れているのだ。
環状列石の中心部を目の当たりにして、声を押し殺したのはアリソンだった。
「コスの揚戸……開いている!」
そう。この遺跡から円塔状の階段をはるか下へ降りた先、存在するのはあの恐ろしい巨人ガグの生息する地下王国だ。
だがおかしい。伝説のコスが地下の出口に設置したといわれる巨大な石の揚戸が、横へずらされているではないか。この石蓋にほどこされた強い呪力を忌避し、ガグは長らく地上へ姿を現すことはなかったのだ。ぽっかりと口を開けた深淵は、いまも恐るべき闇と風を吐いてうなりをあげている。
馬をおりて揚戸の近くにしゃがみ込むと、アリソンは地面を指でなぞった。
見よ、その手を流れ落ちる黒い砂を。おぞましい呪力をおびたこの黒砂こそが、石蓋の封印を解いたのだ。同じく下馬したフィアへ、アリソンは驚きの表情を隠せない。
「信じられませんが、まちがいありません。魔王はここからガグを連れ出し、セレファイスを襲わせたのです。ズーグ族に、そしてガグ……また当たったようですね、ふたつめの予言も」
「測定によると、あたしの女の勘は常人の八十五倍よ。さ、感心してるとこ悪いけど、ちょっとどいてて」
「は、はい」
うしろへ下がったアリソンと入れ替わりに、フィアはある行動にでた。
身の丈をはるかに超える巨岩の揚戸を、力をこめて押し始めたではないか。もちろん石蓋は想像もできない重さを誇り、びくともしない。とうとう手や肩といった全身を使って揚戸に挑みだしたフィアへ、アリソンは隊を代表してたずねた。
「あ、あの」
「しゃべりかけないで。いまいそがしいの」
「動かないでしょう、それ? どう考えても、ぜったいに?」
「ごもっともだわ。薔薇の茎のようにか弱く美しいこのあたしが、こんな大きな巣穴をひとりで封印できるとでも? できちゃうんだな、これが。移動対象の重量計算等、完了」
「は?」
目をしばたいたアリソンを尻目に、フィアがつむいだのは呪われた言葉だった。
「基準演算機構を狩人形式から超人形式へ変更……撤去開始」
フィアの全身あらゆる箇所の動力がフル稼働する響きと、その余波で放電される稲妻の輝きを隊員たちはあぜんと見守った。
おお。地響きとともに、巨大な揚戸がゆっくり動き始めたではないか。着実にフィアに押された巨岩は、気づいたときには地底の大穴をもとどおり塞いでいる。
役目を終えた岩石から身を離すと、フィアは平然と制服のほこりを払った。ぐっと立てられたフィアの親指を眺めながら、うわごとのように呟いたのはアリソンだ。
「夢でも見ているんでしょうか、私は……」
「夢に見てもいいのよ、あたしのこと。あとは任せるわね、この揚戸。打ち合わせどおり再封印の呪力ってやつをよろしく。これで当面、魔王はあのガグとかいう大物を連れ出すことはできないわ」
木々の間から飛び出した手が、フィアをわし掴みにするのは突然だった。
「な!?」
木立を左右へ打ち倒しながら現れたのは、ガグの醜い巨体だ。すでに何匹かが、大穴を抜けて地上へ出ていたらしい。
「フィア!」
アリソンの叫びもむなしく、フィアはなすすべもなく宙へ持ち上げられている。巨大な手ですっぽり体を捕らえられているため、自慢の火器を展開することもできない。ゆいいつ自由のきくこめかみの小型熱線銃も、寸前に顔ごとガグに掴まれて封じられる。
その機先の制し方は、どう考えても事前に何者かに仕込まれた動きだった。
ガグの首をしばる真っ黒な首輪が、その答えだ。
「……!」
雑巾でもしぼるように絞めつけられたフィアから、いやな金属音が漏れた。
家一軒をたやすく瓦礫の山に帰す怪力だ。特殊複合金属でできた彼女の骨格を砕くことは難しいが、その連結部は構造上どうしても脆い。このガグはどうも、そのことまで把握しているようだ。そのままフィアの五体を、木偶人形のごとく部品ごとに分断する……
鋭い音がひびいた。
無残に斬り飛ばされたのは、フィアの首ではない。切断されたガグの片腕は、おぞましい汁をちらしてまだ空中をきりきり回転している。
見よ。下から上へ巨大な剣を振り抜いた姿で、高く跳躍するのはアリソンだ。
六メートルをしのぐ巨人の背丈をさらに超える跳躍力。おまけに、現実離れした大剣を軽々と振り回すその膂力。ガグの巨腕をあっという間に刎ねてのけた力の秘密は、次の瞬間に明らかになった。
「駆け抜けろ、風よ!」
アリソンの強い呼び声に応じ、周囲の大気は意思あるもののごとく舞い踊った。
呪力に導かれた突風は、アリソンの大剣にうがたれた大小二十以上もの通風孔を複雑に行き来し、刃を加速。同じく精密にコントロールされた風は、強烈な追い風と化してアリソンの全身を圧し、驚くほどの身体能力を叩き出す。
切り上げたときとは逆に、大剣は怒涛のごとく切り下げられた。
上から下へ。空高くから巨人へ。
戛然……
打ち落とされた刃は地面を叩き、そこを起点に解放された風は大きく森を揺らした。
剣を振り下ろした姿勢のままのアリソンの頭上、ガグは動かない。
急に脱力したガグの手から、地面へ落ちたのはフィアだ。なんとか受け身をとって起き上がり、感心げに口笛を吹く。
「やるぅ♪」
風呪とそれ専用の剣を複合した神速の斬撃の使い手……アリソンはささやいた。
「〝呼吸する剣〟……それが私の二つ名です」
頭頂から股間まで切り離されたガグの体は、左右に分かれて地面へ倒れた。
木々という木々は複雑に絡まり合って時間の停止した大蛇を思わせ、森の中は昼でも薄暗い。湿った腐葉土のそこかしこに蔓延る菌類は、ときおり神秘的な燐光をはなっては遠征隊の行き先を照らす。無限に響き続けるのは、多種多様な虫の囁き声だけだ。
いや、魔法の森を棲家にする生物はまた別にいる。すました耳に断続的にこだまするのは、舌を震わせるかのごとき奇妙な囁き声だ。
遠征隊の先頭、闊歩する馬の上で囁いたのはアリソンだった。
「魔王の居場所がわかるそうですね、フィア。セレファイスが魔王の毒牙にかかろうとしているこの時期に、まさしく神の導きのごとき力です」
「信仰深いのね。試しに祈りでも捧げてみる? セクシーなポーズをとって、きょうのお天気とあなたのラッキーカラーを占う機能ぐらいなら、あたしにもついてるわ」
「はぐらかしますね。お気づきだと思いますが、隊員たちはあなたの〝予言〟を疑っています。魔王に命じられ、あるいは独自の狂言で、我々を危険な場所へ誘導しているのではないか、と」
「あたしのデータベースに記録されてる〝予言者〟も、ほとんど例外なく最初は嘘つき呼ばわりよ。その予言とやらが的中するまでは」
「すこしのヒントでも結構です。教えて頂けませんか、あなたと魔王の関係を」
「ヒント、か。どれひとつとっても守秘義務に引っかかるんだけど……そうね」
馬に揺られながら、フィアはか細い片手を宙にかざした。
あるかなきかの木漏れ日の下、鮮やかな色がその手のまわりを舞う。蝶のつがいだ。魅惑的な動きをみせて指先と蝶を踊らせるフィアへ、うっとりした溜息をもらす隊員さえいる。美しい。
もうひとつ別の色があることに気づいたのは、アリソンだけだった。
いままでは制服の袖に隠れて見えなかったが、フィアの手首で反射したあれはなんだ?
銀色の、腕輪?
不思議な輝きをはなつ金属の腕輪のことに関して、たしかベイツやエイベルがなにか言っていたような……
「あたしも質問してよろしいかしら、アリソン?」
アリソンの思考をさえぎったのは、フィアの妖しい声音だった。もういちど確かめるまえに、銀の光はフィアの袖に隠れてしまっている。いぶかしげな視線をそこからフィアへ戻し、アリソンは答えた。
「なんでしょう?」
「あなたの背中の、その大きな剣……出発のときから気になってたけど、とんでもない重さね。ここまで背負ってきただけでも、ふつうならヘトヘトよ。勝手で悪いけど、あなたのここまでの動作から計算した身体能力では、物理的にどう考えてもそれを使いこなすことはできない。そうでしょ?」
不穏な空気に、アリソンは眉根を寄せた。
「だとしても、あなたに関係はないでしょう。なぜ唐突に私の武器の話など?」
「ただの鉄の塊じゃないわね、その剣。解析したところ、本体に合計二十箇所いじょうの孔が開けられてる。軽量化やデザインなんかじゃなく、意図的に作られた仕様よ。なにかの防御のための構造? 例えばあたしがとつぜん攻撃したとして、うまく対応できるかしら?」
どこか、なにか雰囲気がおかしい。
それとなく背中の柄に手をそえながら、アリソンは言い返した。
「そうやすやすと教えるわけにはいきません。じきにお見せするときは来ます」
「そ。つまりお互い、必要になるまで秘密は明かせないってこと」
アリソンが剣を抜くより、フィアの腕が跳ね上がるほうが一瞬早い。同時に展開した機関銃が、アリソンを狙う。
「やはり貴様、魔王の……!」
閃光……
振り向いたアリソンの視線の先、宙を回転するのは小さな槍状の物体だった。フィアの銃撃が、飛来したそれを紙一重で撃ち落としたのだ。狙ったアリソンの首筋から外れた奇怪な凶器は、かわりに刺さった木の根を猛烈な勢いで溶かし腐らせている。音もないその投擲を、もしフィアが事前に察知していなければ……
「猛毒の槍……ズーグ族か!」
慄然と叫んだアリソンふくめ、フィアは遠征隊へ大声でうながした。
「走って!」
いっせいに馬を鞭打って、遠征隊は全速力で森を駆け始めた。
時を同じくして木々から現れ、地を、樹上を、すばやく疾走するのは数えきれない小柄な人影だ。ズーグ族の首筋にちらりと見えた黒いものに、アリソンは表情を険しくした。
「あれは魔王の刻印……では魔王は、すでにここを通り過ぎて」
「とっくに終わってるみたいね、ズーグ族の人材募集は。半径二十メートル以内の敵性反応は、百匹を超えてる。でも計画どおりにやれば、ここの封印はまだ間に合うわ。魔王がつぎの種族と接触する前に、急いで!」
すでに操られていることもあって、遠征隊に対するズーグ族の殺意は本物だ。毒塗りの武器を手に手に、矮人たちは森を突っ走る隊を高速で追った。ズーグ族特有の舌を震わせる歯擦音が響くたび、それを合図にして鋭い矢や槍が降りそそぐ。
たくみに馬を蛇行させる隊員たちだが、攻撃の手数と道の狭さが重なって回避しきれない。ときおりフィアから走る銃弾の援護がなければ、とうに多くの殉職者がでていたはずだ。かすっただけでも即死を意味する凶器の雨をかわして、走る、走る、走る。
「……!」
手綱さばきに集中する手をゆるめ、ふたたび大剣の柄に手をかけたのはアリソンだった。
道の先の樹の下に、これもまた小さな気配が動いたのだ。先回りされた。後続を援護するフィアの意識を逸らすわけにはいかない。ここは、自分が盾となって隊を守らねば……
「待って」
フィアのその制止に、アリソンは目を剥いた。
「気づいていたんですか!? 敵は前にもいます!」
「あれは〝味方〟よ。ぎりぎり間に合ったみたいね」
「え?」
一心不乱に森を駆け抜けながら、アリソンは目を凝らした。
よく見れば、道の端に座っているのはズーグ族ではない。
一匹の猫だった。
そう、どこにでもいる普通の猫。
当然、アリソンは疑問符を浮かべた。
「なぜこんなところに……?」
それまで丹念に鼻のまわりを繕っていた前足を止め、猫は疾走する隊の先頭を見た。
交錯の一瞬、フィアと猫が小さく頷きあったように思えたのは気のせいか?
猫の背中はうしろに遠ざかり、森の暗闇からは引き続きズーグ族の群れが追ってきている。よほど運がよくない限り、かわいそうだがあの猫も無事ではすまないはずだ。
馬をフィアに寄せると、アリソンはたずねた。
「味方、とはどういうことです?」
「あたしたちがセレファイスを出発するより早く、王は一足先に専門の交渉係をある場所へ向かわせたの。頼りになる味方のもとへ、ね。その町の名前は、ウルタール」
「ウルタール……そうか、そういうことですか!」
「細かい種明かしはまたあとで。ついたわよ、森の中央部に」
停止したフィアにならい、遠征隊は次々に馬の足を止めた。
その広い空き地にかぎっては、妙に樹が生えていない。かわりに屹立するのは、苔むした巨大な環状列石だ。
たえず後方を警戒する隊員たちだが、ズーグ族の追跡は嘘のようにやんでいる。フィアがいう秘策の効果だけではない。この壮大だが不吉さばかりが漂う遺跡を、ズーグ族はひどく恐れているのだ。
環状列石の中心部を目の当たりにして、声を押し殺したのはアリソンだった。
「コスの揚戸……開いている!」
そう。この遺跡から円塔状の階段をはるか下へ降りた先、存在するのはあの恐ろしい巨人ガグの生息する地下王国だ。
だがおかしい。伝説のコスが地下の出口に設置したといわれる巨大な石の揚戸が、横へずらされているではないか。この石蓋にほどこされた強い呪力を忌避し、ガグは長らく地上へ姿を現すことはなかったのだ。ぽっかりと口を開けた深淵は、いまも恐るべき闇と風を吐いてうなりをあげている。
馬をおりて揚戸の近くにしゃがみ込むと、アリソンは地面を指でなぞった。
見よ、その手を流れ落ちる黒い砂を。おぞましい呪力をおびたこの黒砂こそが、石蓋の封印を解いたのだ。同じく下馬したフィアへ、アリソンは驚きの表情を隠せない。
「信じられませんが、まちがいありません。魔王はここからガグを連れ出し、セレファイスを襲わせたのです。ズーグ族に、そしてガグ……また当たったようですね、ふたつめの予言も」
「測定によると、あたしの女の勘は常人の八十五倍よ。さ、感心してるとこ悪いけど、ちょっとどいてて」
「は、はい」
うしろへ下がったアリソンと入れ替わりに、フィアはある行動にでた。
身の丈をはるかに超える巨岩の揚戸を、力をこめて押し始めたではないか。もちろん石蓋は想像もできない重さを誇り、びくともしない。とうとう手や肩といった全身を使って揚戸に挑みだしたフィアへ、アリソンは隊を代表してたずねた。
「あ、あの」
「しゃべりかけないで。いまいそがしいの」
「動かないでしょう、それ? どう考えても、ぜったいに?」
「ごもっともだわ。薔薇の茎のようにか弱く美しいこのあたしが、こんな大きな巣穴をひとりで封印できるとでも? できちゃうんだな、これが。移動対象の重量計算等、完了」
「は?」
目をしばたいたアリソンを尻目に、フィアがつむいだのは呪われた言葉だった。
「基準演算機構を狩人形式から超人形式へ変更……撤去開始」
フィアの全身あらゆる箇所の動力がフル稼働する響きと、その余波で放電される稲妻の輝きを隊員たちはあぜんと見守った。
おお。地響きとともに、巨大な揚戸がゆっくり動き始めたではないか。着実にフィアに押された巨岩は、気づいたときには地底の大穴をもとどおり塞いでいる。
役目を終えた岩石から身を離すと、フィアは平然と制服のほこりを払った。ぐっと立てられたフィアの親指を眺めながら、うわごとのように呟いたのはアリソンだ。
「夢でも見ているんでしょうか、私は……」
「夢に見てもいいのよ、あたしのこと。あとは任せるわね、この揚戸。打ち合わせどおり再封印の呪力ってやつをよろしく。これで当面、魔王はあのガグとかいう大物を連れ出すことはできないわ」
木々の間から飛び出した手が、フィアをわし掴みにするのは突然だった。
「な!?」
木立を左右へ打ち倒しながら現れたのは、ガグの醜い巨体だ。すでに何匹かが、大穴を抜けて地上へ出ていたらしい。
「フィア!」
アリソンの叫びもむなしく、フィアはなすすべもなく宙へ持ち上げられている。巨大な手ですっぽり体を捕らえられているため、自慢の火器を展開することもできない。ゆいいつ自由のきくこめかみの小型熱線銃も、寸前に顔ごとガグに掴まれて封じられる。
その機先の制し方は、どう考えても事前に何者かに仕込まれた動きだった。
ガグの首をしばる真っ黒な首輪が、その答えだ。
「……!」
雑巾でもしぼるように絞めつけられたフィアから、いやな金属音が漏れた。
家一軒をたやすく瓦礫の山に帰す怪力だ。特殊複合金属でできた彼女の骨格を砕くことは難しいが、その連結部は構造上どうしても脆い。このガグはどうも、そのことまで把握しているようだ。そのままフィアの五体を、木偶人形のごとく部品ごとに分断する……
鋭い音がひびいた。
無残に斬り飛ばされたのは、フィアの首ではない。切断されたガグの片腕は、おぞましい汁をちらしてまだ空中をきりきり回転している。
見よ。下から上へ巨大な剣を振り抜いた姿で、高く跳躍するのはアリソンだ。
六メートルをしのぐ巨人の背丈をさらに超える跳躍力。おまけに、現実離れした大剣を軽々と振り回すその膂力。ガグの巨腕をあっという間に刎ねてのけた力の秘密は、次の瞬間に明らかになった。
「駆け抜けろ、風よ!」
アリソンの強い呼び声に応じ、周囲の大気は意思あるもののごとく舞い踊った。
呪力に導かれた突風は、アリソンの大剣にうがたれた大小二十以上もの通風孔を複雑に行き来し、刃を加速。同じく精密にコントロールされた風は、強烈な追い風と化してアリソンの全身を圧し、驚くほどの身体能力を叩き出す。
切り上げたときとは逆に、大剣は怒涛のごとく切り下げられた。
上から下へ。空高くから巨人へ。
戛然……
打ち落とされた刃は地面を叩き、そこを起点に解放された風は大きく森を揺らした。
剣を振り下ろした姿勢のままのアリソンの頭上、ガグは動かない。
急に脱力したガグの手から、地面へ落ちたのはフィアだ。なんとか受け身をとって起き上がり、感心げに口笛を吹く。
「やるぅ♪」
風呪とそれ専用の剣を複合した神速の斬撃の使い手……アリソンはささやいた。
「〝呼吸する剣〟……それが私の二つ名です」
頭頂から股間まで切り離されたガグの体は、左右に分かれて地面へ倒れた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
平凡なオレは、成長チート【残機無限】を授かってダンジョン最強に! でも美少女なのだがニートの幼馴染みに、将来性目当てで言い寄られて困る……
佐々木直也
ファンタジー
交通事故で死んだオレが授かった特殊能力は──『怠け者でもラクして最強になれる、わずか3つの裏ワザ』だった。
まるで、くっそ怪しい情報商材か何かの煽り文句のようだったが、これがまったくもって本当だった。
特に、自分を無制限に複製できる【残機無限】によって、転生後、オレはとてつもない成長を遂げる。
だがそれを間近で見ていた幼馴染みは、才能の違いを感じてヤル気をなくしたらしく、怠け者で引きこもりで、学校卒業後は間違いなくニートになるであろう性格になってしまった……美少女だというのに。
しかも、将来有望なオレに「わたしを養って?」とその身を差し出してくる有様……!
ということでオレは、そんなニート幼馴染みに頭を悩ませながらも、最強の冒険者として、ダンジョン攻略もしなくちゃならなくて……まるで戦闘しながら子育てをしているような気分になり、なかなかに困った生活を送っています。
モニターに応募したら、系外惑星に来てしまった。~どうせ地球には帰れないし、ロボ娘と猫耳魔法少女を連れて、惑星侵略を企む帝国軍と戦います。
津嶋朋靖(つしまともやす)
SF
近未来、物体の原子レベルまでの三次元構造を読みとるスキャナーが開発された。
とある企業で、そのスキャナーを使って人間の三次元データを集めるプロジェクトがスタートする。
主人公、北村海斗は、高額の報酬につられてデータを取るモニターに応募した。
スキャナーの中に入れられた海斗は、いつの間にか眠ってしまう。
そして、目が覚めた時、彼は見知らぬ世界にいたのだ。
いったい、寝ている間に何が起きたのか?
彼の前に現れたメイド姿のアンドロイドから、驚愕の事実を聞かされる。
ここは、二百年後の太陽系外の地球類似惑星。
そして、海斗は海斗であって海斗ではない。
二百年前にスキャナーで読み取られたデータを元に、三次元プリンターで作られたコピー人間だったのだ。
この惑星で生きていかざるを得なくなった海斗は、次第にこの惑星での争いに巻き込まれていく。
(この作品は小説家になろうとマグネットにも投稿してます)
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
【R18】異世界なら彼女の母親とラブラブでもいいよね!
SoftCareer
ファンタジー
幼なじみの彼女の母親と二人っきりで、期せずして異世界に飛ばされてしまった主人公が、
帰還の方法を模索しながら、その母親や異世界の人達との絆を深めていくというストーリーです。
性的描写のガイドラインに抵触してカクヨムから、R-18のミッドナイトノベルズに引っ越して、
お陰様で好評をいただきましたので、こちらにもお世話になれればとやって参りました。
(こちらとミッドナイトノベルズでの同時掲載です)
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
日本国転生
北乃大空
SF
女神ガイアは神族と呼ばれる宇宙管理者であり、地球を含む太陽系を管理して人類の歴史を見守ってきた。
或る日、ガイアは地球上の人類未来についてのシミュレーションを実施し、その結果は22世紀まで確実に人類が滅亡するシナリオで、何度実施しても滅亡する確率は99.999%であった。
ガイアは人類滅亡シミュレーション結果を中央管理局に提出、事態を重くみた中央管理局はガイアに人類滅亡の回避指令を出した。
その指令内容は地球人類の歴史改変で、現代地球とは別のパラレルワールド上に存在するもう一つの地球に干渉して歴史改変するものであった。
ガイアが取った歴史改変方法は、国家丸ごと転移するもので転移する国家は何と現代日本であり、その転移先は太平洋戦争開戦1年前の日本で、そこに国土ごと上書きするというものであった。
その転移先で日本が世界各国と開戦し、そこで起こる様々な出来事を超人的な能力を持つ女神と天使達の手助けで日本が覇権国家になり、人類滅亡を回避させて行くのであった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる