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第三話「内臓」
「内臓」(5)
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魔物の巣をめぐる常識離れした遠征は、長い会議の締めくくりにこう名付けられた。
討伐作戦〝イオラオス〟……
耳に覚えのないその作戦名は、意見を求められたフィアが知恵をしぼって提案した。彼女自身の〝でーたべーす〟とやらに記録された異世界の神話から取ったという。
それは、無限に再生する恐ろしい多頭竜の首を、松明の炎で焼き焦がすことで封じた英雄の名前だそうだ。無数の魔物が這い出る醜悪な扉を、炎の妖精が溶接する今回の作戦にうってつけではないか。
七十の歓喜の宮殿では現在、作戦前夜の饗宴が盛り上がりつつある。
王宮の大広間に流れるなごやかな演奏、紳士淑女のざわめき。
お色直しのドレスを着ることを、フィアは断固として拒絶した。饗宴への参加そのものにあまり乗り気ではなかったが、戦意高揚をうたうクラネス王の嘆願もあって仕方なくここにいる。気づけばまた、大きく胸元のあいたドレスまで着用済み。一国を動かす王の口八丁にいちいち反論することを、彼女もついに面倒臭いと判断したらしい。
自然と寄ってくる男性陣に囲まれ、フィアはうんざりした面持ちだ。フィアのまばゆい艶姿にはそれだけ、彼女風に言うと人間工学的な魅力に満ちあふれていた。
セレファイスの多くの要人が勧めるグラスを、飲む、飲む。やけになって飲み干す。数えきれぬその一杯ごとに拍手を送る男たちは、やがて簡単な算数もできなくなるほど酔っ払って先に倒れていった。
「な、なぜだ、なぜ酔わない……うっぷ」
「顔色ひとつ変わらん……世界有数の強いワイン〝紅玉〟だぞ、おえ」
「おあいにくさま。あたしの体にはね、アルコールを血中にまわす機能なんてついてないの。交渉戦略上、あたし酔人形式も基準演算機構にはあるけど、あなたたちには見せてあげない。大事な戦いの前日だっていうのに、なに飲ませるつもりよ、まったく。この世界の男どもは、どうしてこうのほほんとして……」
愚痴りながらも、フィアはときどき心配げに会場を見回した。いったいなにを、だれを探しているのだろう。
それとは対照的に、たくさんの美女に囲まれて武勇伝を披露するのはエイベルだ。包帯まみれのまま来賓席を陣取り、振る舞われる酒を浴びるように飲んでいる。
じつは美女たちが病院から派遣された水属性の看護呪士で、若き英雄の負傷を絶えず治癒していることをエイベル本人は知るよしもない。ドレスで変装した看護呪士の放つ水呪の輝きは、傷ついた皮膚や血行等に作用して飛躍的に治癒を早める。
上機嫌のエイベルはまったく気づかないが、彼女たちが二杯め以降に注いだ飲料はすべて酒精抜きだ。心理的な思い込みか本当は酒に弱いのか、しっかり酔っている。招待者である王たっての願いもあって、エイベルが無断で病院を抜けだしたことは今は不問に処すが、看護呪士たちの笑顔は怖い。体のあちこちを定期的に触るエイベルへの説教は、病室に戻ってから苛烈を極めることになるだろう。
それぞれがうまく饗宴を過ごす中、メネスだけはすこし様子が違った。
広間から離れた外のテラスで、メネスはひとり夜のセレネル海を眺めている。幾千もの都の灯りが反射する水面は、星空のきらめきと比べても遜色ない。
フィアにもエイベルにも誘われたが、お祭り騒ぎに加わるのは断った。もともと人の多い場所は苦手なのだ。
はやく帰りたい気持ちも山々だったが、まがいなりにも召喚士という立場上、そう簡単にはいかない。いや、メネスの足を止める理由はそれ以外にも……ときどき振り返った窓越しの広間には、やはり知らない人間ばかりが見えた。いったいなにを、だれを探しているのだろう。
饗宴の光がテラスの闇に生むメネスの影に、別の影が近づいたのはそのときだった。
淡い期待とともにそちらを向いたメネスだが、それはすぐに失望と、大きな驚きに塗り替わっている。
飲み物のグラスを差し出すのは、クラネス王本人ではないか。やや戸惑ったあとにグラスを受け取り、メネスは床に視線をそらした。
「……すいません」
「なにを謝る必要がある。胸を張りたまえ、大召喚士」
「そんな、ぼくは大したことはしてません」
「会議中にはとても言えなかった本音だが……」
メネスと肩を並べて手すりに身をあずけ、クラネス王はつぶやいた。
「きみがいなければ、セレファイスは滅んでいた」
「……!」
「きみの召喚の呪力があってこそ、フィアは現れ、セレファイスは救われた。おかげで民は無事に、この夜とあすの朝を迎えることができる。だからきみも、もっと堂々と饗宴の中心に加わるべきだ」
「無礼は承知で申し上げますが、ここまで戦ったのはフィアですし、これから絶望的な戦いにひとり赴くのも彼女自身です」
王に意見する……その行為の重大さに震えながら、メネスは続けた。
「作戦〝イオラオス〟の内容はおおむね把握しました。まるでなにかの生け贄ですね、フィアは」
「魔王の立て続けの襲撃で、我が国はひどく疲弊している。残された戦力は有事の際に都を守る防衛者であり、もうただのひとりも欠くことはできん。魔王の秘密を知るフィアの力が、セレファイスにはどうしても必要なのだ。彼女の言うとおり、並の人間では魔物どもの生息地の脅威と、魔王の呪力にはとうてい歯がたたない」
「それは痛いほど承知してます。だからって……」
握りしめたグラスを震わせ、メネスはうつむいた。
「だからって、どういうことですか。フィアひとりに旅をさせるとは」
「ひとりではない。護衛はつける」
「ただの伝令でしょう。連絡と監視の係をかねた伝令。フィアが負けたり、そう、裏切ったりしたときとかに、伝令はその事実をいちはやくセレファイスへ届けるだけ。会議の参加者の何人かが、声をひそめてそう言ってるのを聞きました。ひどすぎませんか?」
「残酷だが、軍の仕組みとはそういうものだ。私はフィアを信じている。きみも伝令たちのことを信じてやってはくれないかね? その個人名はまだ厳秘扱いだが、知ればきっときみも納得する凄腕揃いだ」
「こんな無茶苦茶な作戦を承認するセレファイスそのものを、ぼくはすこし疑い始めてます。第一、作戦に割くそのわずかな戦力に対して、フィアはなんて言ってるんです?」
あいかわらず、広間内の饗宴はにぎやかに潤っている。
それに反する暗がりにいる二人のうち、答えたのはクラネス王だった。
「フィアは承諾した。単独での魔物討伐は、もともと彼女の提案だ」
「ほらね、召喚士の意見なんて結局、これっぽっちも取り入れてもらえません。ぼくをのけものにして、なにもかも勝手に進められていく」
「運命の歯車とは、放っておけばおくほど心外な方向へ回っていくものだ。歯車のすきまへ、きみはちゃんとぶつけたのかね? じぶんの今できることを?」
やや厳しい口調で諭され、メネスは黙りこくってしまった。
無気力に丸まったメネスの背中へ、問いかけたのはクラネス王だ。
「フィアのことが好きなんだろう、きみ?」
「……さあ、どうなんでしょうね」
海からの潮風になびいた前髪で、瞳を隠したままメネスはささやいた。
「さいしょに出会ったときは、夢のようだと思いました。そしていまは、夢はしょせん夢のままだと思い始めています。ぼくを放って、彼女はどんどん遠くへ行ってしまう」
「フィアはちゃんとそこにいる」
窓のむこうの会場を指さし、クラネス王は続けた。
「その顔、さてはまだなにも切り出せずにいるな。信じられん。人払いして、静かに話せる場所ぐらいいくらでも用意しよう。異性に思いを伝える手順なら、私みずからが嫌というほど体現したつもりだが? 会議前の、あの廊下で」
「ぼくはあれほど大それたことはできませんし、贈る指輪もありません」
実のところメネスにはもう、どうすればいいかわからなかった。
やがて彼女は旅立ってしまう。だがメネスに告白する勇気などない。もし仮に本心を伝えたら、二度と会えなくなったときの反動はどれほどのものになるだろう。救いがたいことにメネスは、なるべく彼女を忘れる方向に努力を傾けていた。
彼女は夢だ。自分などの手は、とうてい届かない儚い幻。いままで出会っては去っていった人間と同じように、じきに自分のことなど気にもかけなくなる……メネスの現実逃避は、そのような暗く情けないものだった。
その心情をあるていど察したのか、クラネス王は憤った表情をしている。
「夢と現実の区別もつかない者に、彼女をとやかく言う資格はない。召喚したご主人様がこの体たらくとは、なんとも救われない彼女。無事に本作戦を終えて帰還したあかつきには、やはりフィアは私がもらい受ける。異論はないな。阻止するなら今のうちだぞ?」
「……王のご随意に。失礼します」
グラスの中身を芝生に捨てると、メネスはその場から立ち去った。
討伐作戦〝イオラオス〟……
耳に覚えのないその作戦名は、意見を求められたフィアが知恵をしぼって提案した。彼女自身の〝でーたべーす〟とやらに記録された異世界の神話から取ったという。
それは、無限に再生する恐ろしい多頭竜の首を、松明の炎で焼き焦がすことで封じた英雄の名前だそうだ。無数の魔物が這い出る醜悪な扉を、炎の妖精が溶接する今回の作戦にうってつけではないか。
七十の歓喜の宮殿では現在、作戦前夜の饗宴が盛り上がりつつある。
王宮の大広間に流れるなごやかな演奏、紳士淑女のざわめき。
お色直しのドレスを着ることを、フィアは断固として拒絶した。饗宴への参加そのものにあまり乗り気ではなかったが、戦意高揚をうたうクラネス王の嘆願もあって仕方なくここにいる。気づけばまた、大きく胸元のあいたドレスまで着用済み。一国を動かす王の口八丁にいちいち反論することを、彼女もついに面倒臭いと判断したらしい。
自然と寄ってくる男性陣に囲まれ、フィアはうんざりした面持ちだ。フィアのまばゆい艶姿にはそれだけ、彼女風に言うと人間工学的な魅力に満ちあふれていた。
セレファイスの多くの要人が勧めるグラスを、飲む、飲む。やけになって飲み干す。数えきれぬその一杯ごとに拍手を送る男たちは、やがて簡単な算数もできなくなるほど酔っ払って先に倒れていった。
「な、なぜだ、なぜ酔わない……うっぷ」
「顔色ひとつ変わらん……世界有数の強いワイン〝紅玉〟だぞ、おえ」
「おあいにくさま。あたしの体にはね、アルコールを血中にまわす機能なんてついてないの。交渉戦略上、あたし酔人形式も基準演算機構にはあるけど、あなたたちには見せてあげない。大事な戦いの前日だっていうのに、なに飲ませるつもりよ、まったく。この世界の男どもは、どうしてこうのほほんとして……」
愚痴りながらも、フィアはときどき心配げに会場を見回した。いったいなにを、だれを探しているのだろう。
それとは対照的に、たくさんの美女に囲まれて武勇伝を披露するのはエイベルだ。包帯まみれのまま来賓席を陣取り、振る舞われる酒を浴びるように飲んでいる。
じつは美女たちが病院から派遣された水属性の看護呪士で、若き英雄の負傷を絶えず治癒していることをエイベル本人は知るよしもない。ドレスで変装した看護呪士の放つ水呪の輝きは、傷ついた皮膚や血行等に作用して飛躍的に治癒を早める。
上機嫌のエイベルはまったく気づかないが、彼女たちが二杯め以降に注いだ飲料はすべて酒精抜きだ。心理的な思い込みか本当は酒に弱いのか、しっかり酔っている。招待者である王たっての願いもあって、エイベルが無断で病院を抜けだしたことは今は不問に処すが、看護呪士たちの笑顔は怖い。体のあちこちを定期的に触るエイベルへの説教は、病室に戻ってから苛烈を極めることになるだろう。
それぞれがうまく饗宴を過ごす中、メネスだけはすこし様子が違った。
広間から離れた外のテラスで、メネスはひとり夜のセレネル海を眺めている。幾千もの都の灯りが反射する水面は、星空のきらめきと比べても遜色ない。
フィアにもエイベルにも誘われたが、お祭り騒ぎに加わるのは断った。もともと人の多い場所は苦手なのだ。
はやく帰りたい気持ちも山々だったが、まがいなりにも召喚士という立場上、そう簡単にはいかない。いや、メネスの足を止める理由はそれ以外にも……ときどき振り返った窓越しの広間には、やはり知らない人間ばかりが見えた。いったいなにを、だれを探しているのだろう。
饗宴の光がテラスの闇に生むメネスの影に、別の影が近づいたのはそのときだった。
淡い期待とともにそちらを向いたメネスだが、それはすぐに失望と、大きな驚きに塗り替わっている。
飲み物のグラスを差し出すのは、クラネス王本人ではないか。やや戸惑ったあとにグラスを受け取り、メネスは床に視線をそらした。
「……すいません」
「なにを謝る必要がある。胸を張りたまえ、大召喚士」
「そんな、ぼくは大したことはしてません」
「会議中にはとても言えなかった本音だが……」
メネスと肩を並べて手すりに身をあずけ、クラネス王はつぶやいた。
「きみがいなければ、セレファイスは滅んでいた」
「……!」
「きみの召喚の呪力があってこそ、フィアは現れ、セレファイスは救われた。おかげで民は無事に、この夜とあすの朝を迎えることができる。だからきみも、もっと堂々と饗宴の中心に加わるべきだ」
「無礼は承知で申し上げますが、ここまで戦ったのはフィアですし、これから絶望的な戦いにひとり赴くのも彼女自身です」
王に意見する……その行為の重大さに震えながら、メネスは続けた。
「作戦〝イオラオス〟の内容はおおむね把握しました。まるでなにかの生け贄ですね、フィアは」
「魔王の立て続けの襲撃で、我が国はひどく疲弊している。残された戦力は有事の際に都を守る防衛者であり、もうただのひとりも欠くことはできん。魔王の秘密を知るフィアの力が、セレファイスにはどうしても必要なのだ。彼女の言うとおり、並の人間では魔物どもの生息地の脅威と、魔王の呪力にはとうてい歯がたたない」
「それは痛いほど承知してます。だからって……」
握りしめたグラスを震わせ、メネスはうつむいた。
「だからって、どういうことですか。フィアひとりに旅をさせるとは」
「ひとりではない。護衛はつける」
「ただの伝令でしょう。連絡と監視の係をかねた伝令。フィアが負けたり、そう、裏切ったりしたときとかに、伝令はその事実をいちはやくセレファイスへ届けるだけ。会議の参加者の何人かが、声をひそめてそう言ってるのを聞きました。ひどすぎませんか?」
「残酷だが、軍の仕組みとはそういうものだ。私はフィアを信じている。きみも伝令たちのことを信じてやってはくれないかね? その個人名はまだ厳秘扱いだが、知ればきっときみも納得する凄腕揃いだ」
「こんな無茶苦茶な作戦を承認するセレファイスそのものを、ぼくはすこし疑い始めてます。第一、作戦に割くそのわずかな戦力に対して、フィアはなんて言ってるんです?」
あいかわらず、広間内の饗宴はにぎやかに潤っている。
それに反する暗がりにいる二人のうち、答えたのはクラネス王だった。
「フィアは承諾した。単独での魔物討伐は、もともと彼女の提案だ」
「ほらね、召喚士の意見なんて結局、これっぽっちも取り入れてもらえません。ぼくをのけものにして、なにもかも勝手に進められていく」
「運命の歯車とは、放っておけばおくほど心外な方向へ回っていくものだ。歯車のすきまへ、きみはちゃんとぶつけたのかね? じぶんの今できることを?」
やや厳しい口調で諭され、メネスは黙りこくってしまった。
無気力に丸まったメネスの背中へ、問いかけたのはクラネス王だ。
「フィアのことが好きなんだろう、きみ?」
「……さあ、どうなんでしょうね」
海からの潮風になびいた前髪で、瞳を隠したままメネスはささやいた。
「さいしょに出会ったときは、夢のようだと思いました。そしていまは、夢はしょせん夢のままだと思い始めています。ぼくを放って、彼女はどんどん遠くへ行ってしまう」
「フィアはちゃんとそこにいる」
窓のむこうの会場を指さし、クラネス王は続けた。
「その顔、さてはまだなにも切り出せずにいるな。信じられん。人払いして、静かに話せる場所ぐらいいくらでも用意しよう。異性に思いを伝える手順なら、私みずからが嫌というほど体現したつもりだが? 会議前の、あの廊下で」
「ぼくはあれほど大それたことはできませんし、贈る指輪もありません」
実のところメネスにはもう、どうすればいいかわからなかった。
やがて彼女は旅立ってしまう。だがメネスに告白する勇気などない。もし仮に本心を伝えたら、二度と会えなくなったときの反動はどれほどのものになるだろう。救いがたいことにメネスは、なるべく彼女を忘れる方向に努力を傾けていた。
彼女は夢だ。自分などの手は、とうてい届かない儚い幻。いままで出会っては去っていった人間と同じように、じきに自分のことなど気にもかけなくなる……メネスの現実逃避は、そのような暗く情けないものだった。
その心情をあるていど察したのか、クラネス王は憤った表情をしている。
「夢と現実の区別もつかない者に、彼女をとやかく言う資格はない。召喚したご主人様がこの体たらくとは、なんとも救われない彼女。無事に本作戦を終えて帰還したあかつきには、やはりフィアは私がもらい受ける。異論はないな。阻止するなら今のうちだぞ?」
「……王のご随意に。失礼します」
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