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第二話「血液」

「血液」(4)

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 セレファイスの町は、炎と黒煙に覆われていた。

 夜空には恐ろしい翼の人影が飛び交い、あちこちで響くのは剣戟と魔物の吠え声だ。

「危ない!」

 フィアに突き飛ばされるのが一瞬でも遅れていれば、メネスの体はばらばらに四散していただろう。石造りの壁を貫き、家具という家具を背中で粉砕して、フィアはふたたびメネスの家の中に押し戻された。

 すぐ外で待ち構えていた巨大な生物が、大樽ほどもあるサイズの拳を振るったのだ。巨大な拳の先でがれきに埋もれ、フィアの姿はもはや見えない。

 四つん這いになって身を起こすと、メネスは戦慄を声にした。

「ガ、ガグだ……!」

 この凄まじい化け物が、なぜこんなところに?

 フィアを襲ったのは、全長六メートルをゆうに超える巨人だった。

 黄色い牙をずらりと生え揃えるのは、上から下に裂ける構造の悪夢めいた口だ。顔の側面からそれぞれ左右に大きく飛び出した眼球は、個々にせわしなく動いて明確に狂気を主張している。

 このガグという魔物をいっそう禍々しく見せるのは、両の肘部分で枝分かれした複数の腕に他ならない。つごう四本の腕には、八十センチ近くある剣のような鉤爪がさらに三本ずつ備わっている。複腕どうし上下で固く握りあって放たれる拳は、生半可な壁ごときでは勢いを止めることすらままならない。

 地下世界のはるか奥底を棲家にしているというのが、この魔物に関する常識だ。地下と地上の境目も、特殊な呪力の印が刻まれた〝コスの揚戸〟によって封じられている。なのになぜ……

 その答えを、メネスはじきに見いだした。

 ガグの太い首にもまた、ひときわ大きい魔王の刻印が巻き付いている。こいつも魔王に呼び出され、使役されているのだ。

 追ってきた数名の衛兵がガグへ攻撃を仕掛けたが、結論はこうだった。

「や、槍が通らん!?」

「刃が……欠ける!」

「強力な呪士を呼べ!」

 雄叫びとともに振り戻した拳を、ガグは埋もれるフィアへふたたび見舞った。轟音と破壊は連続する。何度も、何度も、何度も。がれきと肉片がごちゃまぜになったフィアの末路を想像し、メネスは胃液が逆流するのを感じた。

 絶望に追い打ちをかけるかのごとく、あたりの屋根から地面へ降下するのは雑多な魔物どもだ。あちこちの通りから新たなガグが迫っているのは、建物を超える巨躯の移動と激しい地鳴りでわかる。一匹でも手に負えないというのに、この数を相手にいったいどうしろと?

 がれきからガグの頭へ、一直線に光が突き抜けたのは刹那のことだった。顔のど真ん中にあいた風穴から煙をひいて、ガグの巨体は力なく倒れ伏している。

 倒壊したメネスの家の残骸は、いきおいよく吹き飛んだ。

 片膝立ちの姿勢で現れたのは、がれきと埃にまみれたフィアではないか。制服はずたぼろだが、本人はとりあえず無事らしい。

 見よ。フィアの背中のアームから伸びて、斜め上を狙う長い砲身を。その砲口は牙のように紫煙をたなびかせ、いまだ発射後の帯電を続けている。セレファイスには存在すら知られていないその最新鋭兵器……電磁加速砲が、あの強大なガグを一撃で仕留めたのだ。

 電磁加速砲に、ふたたび光は集束した。

 一瞬の電力充填とともに、撃つ、撃つ、撃つ。光の軌跡をひく弾丸は、ガグどもを立て続けに貫き、倒した。

 呆然とその光景をながめる衛兵のうち、ふと口にしたのは誰だったろう。

「天使……?」

「妖精……」

「魔女?」

 フィアは止まらない。両腕から展開した機関銃を、左右へ向けて掃射。火の玉と化して照準を微調整するフィアの腕先で、魔物どもは次々と吹き飛んでゆく。旋回したフィアの肩から白煙をひいた超小型ミサイルは、空中から襲いかかる夜鬼の群れを正確に撃ち落とした。

「おお! あれを!」

 衛兵のひとりは驚愕した。

 はでに火を吹く少女から、魔物の波が徐々に門のほうへ退いてゆくのだ。

 上着のすそから落ちた予備の弾倉ふたつを、フィアは前進しながら靴の爪先で蹴りあげた。きりきりと回転した弾倉たちは、空中で両腕の機関銃に受け止められる。左右の肘を強くひいて再装填。ふたつの銃口は、撤退にうつる魔物どもをすかさず狙った。

 銃声……

 最初にその異常に気づいたのは、メネスだった。

「なんだ、あれ……?」

 おびただしい数のとがった金属片が、宙に浮いている。銃弾だ。その周囲、地面から生あるもののごとく立ちのぼる黒い砂は……

 その人影は、いつからそこにいたのだろう。地から空から逃げる魔物どもを後方において、仮面の男は長い外套を静かに風に揺らしている。

 押し殺した声で、メネスはうめいた。

「魔王……!?」

 ゆるやかに掲げられた魔王の片手の先で、黒い砂の波が渦巻いた。呪われた黒砂は、異世界の兵器をも制止しうるというのか。

 その姿を視界にとらえ、フィアは立ち止まった。魔王との距離は約二十メートル。透き通った瞳孔を小刻みに拡縮しながら、フィアは顔を強張らせた。

「魔王、ですって? そんなとこでなにしてんの、あんた?」

「…………」

 魔王は反応しない。その間にも、彼の周囲に舞う黒砂は、すこしずつだがその濃度を増している。このままではなにか大変なことに……メネスがうながすまでもなく、フィアは一歩踏み出した。

「よくわかったわ。じゃあ勝手で悪いけど、標的の危険度判定を〝強〟に更新よ。基準演算機構オペレーションクラスタ狩人形式ハンタースタンスから弓人形式アーチャースタンス変更シフト……狙撃開始スナイプスタート

 前にせり出した電磁加速砲は、フィアの手もとでさらに形を変えた。

 四分割された砲身は、金属板のふたつをまっすぐ前へ延長。残るふたつの金属板は大きく上下に開いて頑丈な弦を張り、まさしく弓の姿をとった。弓本体の上部と下部からそれぞれ伸びた金属の供給腕が、両手の機関銃近くの接続口へ自動的につながる。

 体の軸を横に向けると、フィアは弓弦を強くうしろへ引き絞った。するどい音が二回続き、フィアの足もとの石畳に亀裂が走る。その足裏から射出された固定針アンカーが、このあと襲う反動にそなえてフィアを地面に縫い止めたのだ。

 一見退化にも思える銃から弓への変形には、発射機構を何段階にもわけて複雑にすることで周囲の安全を確保する側面がある。平常時マタドールシステムにかかっている安全装置を外し、膨大な量のエネルギーを発射口に一極集中させる行為は危険極まりない。想定どおり後ろのメネスはその迫力に圧倒され、ふらふらと安全な場所まで後退している。

 フィアの全身にほとばしった稲妻は、電磁加速の砲身に光の矢となって集束した。

「おとぎ話の魔王なら避けられるかしら、マッハ十の射撃を? ……発射ファイア!」

 フィアの囁きとともに、セレファイスの人々は閃光に目をくらませた。

 轟音とともに放たれた光の矢は、たちまち立ち上がった黒砂の壁に阻まれている。

 予想外の感情を発したのは魔王だ。ひとつめの黒砂の障壁が破られたときには、前面にさらにふたつの障壁を追加して展開。いや、まだ足りない。続けて生み出した新たな三層の壁をも、矢は薄氷のごとく貫いて突破する。フィアの異次元の矢は魔王の眼前、とうとう残りひとつの壁まで到達した。そのまま黒砂の壁ごと、魔王を串刺しにする……

 城壁の銅像をかすめて、光の矢は夜空へ抜けた。

 電光を残す超科学の弓のむこう、目を瞠ったのはフィアだ。

「そんな、むりやり弾丸の射線をねじ曲げたですって? 残り電力四十二%……同様の再射撃は不可、充電が必要」

 魔王は依然、最初にいた場所に無言でたたずんでいる。だが、その周囲に舞う未知の黒砂には、心なしか先程までの勢いはないようだ。

 沈黙の対峙……

 夢か幻か、その謎めいた言葉は魔王の仮面の向こうからもたらされた。

「はたしてこの世界で、おまえは自分の命を見つけられるかな?」

 その足もとから急上昇して身を隠したのは、真っ黒な竜巻だ。

 竜巻が黒い砂と化して流れたあと、魔王の姿はどこにもなかった。
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