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第四話「戸口」

「戸口」(5)

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 夕方になると、ナコトはいったんスグハに別れを告げた。

 もちろん、またあした、かならず会いにくると約束して。

 公園通りの並木道を歩くナコトは、無言だった。

 ぶあつい雲に覆われた空は、刻々と灰色を濃くしている。

 ナコトの肩にかかった通学カバンが、ふいに蠢いたのはそのときだった。ひとりでにカバンのチャックがずれると、毛のツンツンした丸いものが顔をのぞかせる。

 このてのひらサイズのイノシシのなまえは、ナイアルラソテフ。舌を噛みそうになるので、テフと略す。上糸病院で、拳銃に化けて花束に隠れていた存在だ。

 カバンから半分だけ体を出したまま、テフは人の言葉でつぶやいた。

「廃ホテル……あるのは井須磨海岸だったか。とうぜん乗り込むよな、ナコト?」

 ナコトは反応しなかった。歩くじぶんの爪先だけを、ただひたすら眺めている。

「ナコト、ナコト。おい」

「!」

 制服の袖をひっぱる小さな前足に、ナコトは気づいた。すこし目を丸くして答える。

「すまない。気を抜いていた」

「こわくなったか?」

 テフのひとことに、ナコトは足を止めた。

「どういう意味だ?」

「いまのおまえの気持ち、かわりに言ってやる……何年かぶりに弟と再会した。たぶんこの世でたったひとりの肉親だ。万が一、ナコト姉さんが死んじまったりでもしたら、こんどは弟のほうが天涯孤独になる。だから、戦うのが怖い。こんなとこだな?」

「わたしが、敗れる? わたしが、怖れる?」

 我知らず、ナコトは手で片腕をおさえていた。

 じつはすこし前、ある理由から片腕は千切れ飛んだのだが、いまはこのとおり完全につながり、傷はふさがって跡形もない。ちゃんと治っている。なのに。

 なのに、痛む。ないはずの傷が。

 ひどく肌寒げな面持ちで、ナコトはささやいた。

「わたしはまだ仕留めていない。〝奴〟を。両親や、凛々橋りりはしの仇を討たなければ……」

「もう、いいんだよ。昔っからそうだ、おまえは。無理ばっかりしやがって。心はイヤだって泣いてるのに、強引にでも自分の矢印の向きを変えようとする」

 つぶらな瞳のまま、テフは言い放った。

「引退しろ」

「!」

「大事ななにかを守るためには、戦わないって選択肢もある。そろそろ潮時だ。おまえさえよけりゃ、異世界とかかわった邪魔な記憶も、きれいさっぱり消してやる。ただ、ぜんぶ忘れたおまえを、もしややこしい連中が襲ってきたら、そんときゃ身を守るため、ちょいと体を貸りるが怒るなよ?」

「…………」

 風に吹き流される髪をおさえるだけで、ナコトはうつむいている。

 溜息をつくと、テフは苦笑いした。

「じゃ、人生やりなおしの手続きは、またあとでだ。とりあえず俺は、例の廃ホテルとやらを調べてくる。ここまであからさまに怪しいと、まず罠とかの類じゃなさそうだが……」

 ナコトのカバンから、テフはぴょんと飛びだした。一回転して見事に着地。こどもの指ほどもない短い尻尾をみせて、小走りに公園通りをあとにする。

「テフ」

 ナコトの声はとても小さかったが、テフは立ち止まった。

「なんだ?」

「わたしも行く」

「ふざけんな。足手まといだ」

 そう告げられた瞬間のナコトの顔に、テフは妙な既視感をおぼえた。

 それも束の間のこと、ナコトは平常どおりの無表情に戻っている。

「わたしという本体と離れて、子機のおまえ一人でなにができる? 敵が現れたら、銃のひきがねを引くのはだれだ?」

「えらそうに。そりゃまあ、この風体は、しゃべるのに便利なだけの子機だが……おかしなことに首を突っ込むのは、これで最後にしろよ?」

 さっきのナコトの表情を、そう。まだ出会って間もないころ、テフはあの遺跡で見たことがあった。

 迷子のこどもの顔……
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