上 下
11 / 44
第一話「魚影」

「魚影」(11)

しおりを挟む
 授業の終わった美須賀大付属には、今日も平凡な放課後がおとずれていた。

 ひとけのない図書室にかすかに響くのは、音楽部のつたない演奏だ。席についたエドの瞳はまた、携帯電話のテレビに落ちている。

 夕方のニュースの内容は、頻発していた失踪事件の被害者が、ついに発見されたというものだった。全員が無事に保護され、傷らしい傷もないとのことだ。

 警察の見解によると、被害者たちはなにやら、あやしい宗教団体のたぐいに監禁されていた線で決着がつきかけているらしい。

 被害者たちの〝消えていた間〟の記憶はそろって曖昧で、事件そのものも、じきに風化して忘れ去られると思われた。

「ありがとう、久灯さん」

 そうつぶやいて、エドはテレビを消した。対面の席で、悲しげにうつむいた少女がいる。

 久灯瑠璃絵だ。

「あたしを許してはいけない。許されるはずがない。凛々橋くんまでだまして、人間いがいのものに変えようとしたのよ? そんなあたしを……」

「ルルイエだっけ、久灯さんの地元。このあたりじゃないみたいだけど、どこの県? きみがそこまで言うんだから、さぞ景色のいいところなんだね。こんど連れてってよ」

「凛々橋くん」

「なんだい?」

「いままであたし、この世を支配することで頭がいっぱいだった。見ているうちに、おだやかな闇を生む森は消え、呪力をはこぶ自然の風はよどんで、ふるさとの海はどんどん汚されていくんですもの。悲しかった。憎かった。許せなかった。この星を管理する責任がめぐってきたのに、それを無視する人間たちが。でも……」

 はにかみながら、ルリエは続けた。

「凛々橋くん。あなたのような心優しい魂が、ときどき人間に宿ることを忘れてたわ。だからあたし、もうすこし人間の世界を見極め、見守ろうと思います。歴史という名の並び列の中で、決められた支配者の順番が来るまで」

「もう、ひとりで悩まなくていいんだよ。ぼくがついてる」

 エドとルリエはじっと見つめ合った。

 タイミングのいいことに、図書室には現在この男女しかいない。

 湖でしたように、ルリエはまた、エドの唇に自分のそれを寄せた……

「!」

 ルリエははっと目を開けた。その額にあてられたエドの指が、ルリエの動きを止めてしまっているではないか。

 目を白黒させるルリエに、エドはにっこり微笑んだ。

「前は不意討ちだったね」

「あの……」

「じつはぼく、つきあってる彼女がいるんだ。だから、ダ・メ」

 真っ白になって、ルリエはそのまま石になってしまった。

「じゃ、また明日!」

 さわやかに手を上げると、エドは図書室をあとにした。

 案の定、廊下の壁にもたれかかっていたのはメガネの彼女だ。彼女といっても、こちらはそういう関係ではない。

 染夜名琴。

 目をつむったまま、ナコトはぶぜんと腕組みしている。腕組み? その片腕にはギブスが巻かれ、頭の包帯と、頬の絆創膏もいたいたしい。

 名目上は、交通事故に遭ったということになっているそうだ。

 ためらいがちに、エドはたずねた。

「きみはその、治るのが遅いのかい? 染夜さん?」

「〝遅い〟? 〝普通〟と言ってもらいたい。わたしの場合、少々特殊でな。〝星々のものヨーマント〟と呼ばれる異世界の存在が、なかば無理矢理、不完全な形でこの体に取り憑いているのだ。正式な憑依の儀式を踏んだ人間は〝魔法少女〟とかいうふざけた概念と化し、おそるべき呪力と再生力をあわせもつらしい。それでも、わたしのこのダメージとて、おまえのようなモヤシなら千回は死んでいる。血と悲鳴、命乞いと内臓をいっぺんに吐きながら」

「こわいこと言わないでよ……」

 ふたりは並んで廊下を歩きはじめた。

 トーンを落として囁いたのはナコトだ。

「言ったはずだ。クトゥルフにはもう、二度と近づくなと」

「わかってるよ。だから今、お断りしてきた。きっちりきっぱり」

「それで引き下がるクトゥルフかな……いずれにせよ、いざ事が起これば、やつを仕留める準備は十分にできている」

 ぶつぶつ呟くナコトの声を、エドはできるだけ聞かないようにした。つかれた顔で質問する。

「言ってはなんだけど、大勢いるの? その、きみたちのような存在」

「ああ。おとなしく人間の世界に身をひそめている存在が、約九割」

「九割? じゃあ残りの一割は?」

「人間の体や、魂をほしがってる連中だ。やつらに不足しているのは、いつも〝悪夢〟。人間の視覚では見えない者も多い。おまえもせいぜい、気をつけることだな」

 さすがのエドにも、とうとう我慢の限界がきたらしい。ふと思い出したように手を打つと、可能なかぎり明るい話題へ方向をそらす。

「そういえば湖で、きみといっしょに小さな生き物がいたね。帰るとき、そのカバンの中に入ってったみたいだけど……ほら、あの子ブタだよ」

「ああ、こいつな。紹介しよう。ナイアルラソテフ、略してテフだ」

 通学カバンのジッパーを、ナコトはおもむろにずらした。

 ひょこりと顔をのぞかせたのは、イノシシのこどもだ。あいかわらず、ころころして愛らしい。寝起きらしく、つぶらな目は座っている。

 テフはしばらく小さな鼻を嗅ぎ鳴らしていたが、突如、かっと目を剥いた。

「ブタって言ったか!? クソガキ!?」

「しゃ、喋ッ……!?」

 テフの突進をもろに顔へ食らい、エドは気をうしなった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

スウィートカース(Ⅳ):戦地直送・黒野美湖の異界斬断

湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
ファンタジー
変身願望をもつ若者たちを入口にして、現実世界は邪悪な異世界に侵食されつつあった。 闇の政府組織「ファイア」の特殊能力者であるヒデトとその相棒、刀で戦う女子高生型アンドロイドのミコは、異世界のテロリスト「召喚士」を追うさなか、多くの超常的な事件に遭遇する。 たびかさなる異世界との接触により、機械にしかすぎないミコが「人間の感情」に汚染され始めていることを、ヒデトはまだ知らなかった。 異世界の魔法VS刀剣と銃弾の絶対防衛線! 人間と人形の、はかない想いが寄せては返すアクセラレーション・サスペンス。 「わんわん泣こうかどうか迷ってます。私には涙腺も内蔵されてますから」

【完結】捨てられ正妃は思い出す。

なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」    そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。  人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。  正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。  人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。  再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。  デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。  確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。 ––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––  他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。  前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。  彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。  

スケートリンクでバイトしてたら大惨事を目撃した件

フルーツパフェ
大衆娯楽
比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。 寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。 プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い? そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない! スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました

ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら…… という、とんでもないお話を書きました。 ぜひ読んでください。

処理中です...