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第四話「棺桶」

「棺桶」(7)

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 にわかに雲行きの怪しくなった空は、リゾート地の燦光をかげらせつつある。

 潮騒にまぎれて聞こえないほどの忍び声で、ルリエは仲間ふたりへ警告した。

「逃げて。いますぐに。あいつが本気を隠してるうちに」

「あれが噂のホーリーやな」

 雷光をほのめかせる曇天の下、つぶやいたのはシヅルだった。

「ルリエひとりで止められる相手なんけ?」

「さてね。ろくに時間稼ぎもできるかどうか」

 土気色の表情のルリエに、ホシカは提案した。

「あたしらも戦うぜ、いっしょに」

「どっちも呪力の残量がほぼゼロなのに? 遠慮するわ。足手まといよ。おしゃべりしてるこの時間も無駄ね。呪力と気配を押し殺して、さっさとこの場から離れなさい」

 ふたりの背中を叩いて後方に押すと、ルリエはひとりホーリーへ歩いていってしまった。

 お互い目配せして、うなずき合ったのはシヅルとホシカだ。

「とりあえずルリエの言う通りにするけ?」

「そうだな、しゃあねえ。物陰から成り行きを見守るとしよう」

 白砂に点々と足跡を残して、ルリエはホーリーの眼前に立ち止まった。

「お久しぶりね、ホーリー」

「…………」

 自然に立ち尽くしたまま、ホーリーはじっとルリエを見据えている。

「あの強い呪力に呼ばれてきたんですってね。でもちょっと遅かったわ」

 手もとの〝断罪の書リブレ・ダムナトス〟の表面をこんこん叩き、ルリエは説明した。

「その反応はこいつ、ダムナトスよ。この場に、あなたに敵意を抱く者はいない」

「…………」

「このまま全員、平和に解散ということでいいかしら?」

 砂辺は爆発した。

 素早く顔を掴んだルリエを、ホーリーが力任せに地面へ叩きつけたのだ。激しい衝撃は肺の空気をすべて絞り出し、ルリエはえび反りになって苦悶した。きりきり宙に躍った呪いの辞典は、ホーリーの手がすかさず受け止めている。

 おそろしい暴力を振るいつつも、ホーリーは無邪気な笑顔でささやいた。

「ぜ~んぜん質問に答えてくれないんだね。わたしは聞いたんだ。。じゃあ決めた。きみから順番にだよ、ルリエ」

「……!」

 頭上にもたげた〝断罪の書リブレ・ダムナトス〟を、ホーリーは勢いよく振り下ろした。ルリエの胸に突き刺さった辞書は、とたんに不可解な閃光を放っている。

 ああ。本の呪力に影響され、ルリエは無数の紙片と化したではないか。ホーリーが開いた魔導書に、たちまち犠牲者の姿は吸い込まれて消えた。新たにルリエが加わった文章の題名を、興味深げに読み上げたのはホーリーだ。

「ページ〝ルルイエ異本〟……なるほど。相手を本に封印する条件は、獲物を瀕死に追い込むことか。これはいい呪力がとれた。うまく使いこなせそうだよ、ダムナトス」

「ルリエ!」

 怒鳴って砂地を蹴立てたのはホシカだった。一角だけ残った魔法少女の五芒星をすんでまで消費し、常人離れしたスピードでホーリーに殴りかかる。

 ぱたんと奇書を閉じ、ホーリーは呪文をつむいだ。

「〝超時間の影シャドウ・オブ・タイム〟……三倍」

 宣言どおり、ホーリーの腕は三倍速で走った。標的の拳より早く、ぶ厚い辞典はホシカの頬桁を横殴りに張り飛ばしている。きりもみ回転して砂浜を跳ねたホシカの肩に、ホーリーはまた〝断罪の書リブレ・ダムナトス〟の角を振り落とした。

「ちくしょう!」

「ホシカ!」

 ホシカの悪態に、悲鳴で続いたのはシヅルだった。

 なすすべもない。紙片に変じて爆散するや、ホシカさえもが本の世界に閉じ込められてしまっている。自動的に書き下ろされた紙面を、ホーリーは無表情に読んだ。

「このページは〝イステの書〟か」

「もとに戻さんかい、ふたりを!」

 怒気を放って、シヅルは助走した。俊敏な飛び蹴りが、ホーリーを襲う。

「〝超時間の影シャドウ・オブ・タイム〟……二倍よ」

 斬撃音とともに、シヅルとホーリーは背中合わせに静止した。

 辞書を振り抜いたホーリーの背後、糸が切れたように膝をついたのはシヅルだ。魔導書の四隅に薙ぎ払われた制服の腹部は無残に裂け、負傷の呪力をこぼしている。

 息も絶え絶えに、シヅルはホーリーに吐き捨てた。

「いまに、見とれよ、ホーリー。おんどれは、絶対に許さ……」

 みなまで言わせず、シヅルは紙吹雪になって波打ち際を舞っている。

 呪力使いたちは手負いだったとはいえ、ホーリーはそれを一人きりでまたたく間に殲滅してのけた。強さが、格が、次元が違いすぎる。

 シヅルが追加された呪本の一部を、ホーリーは口ずさんだ。

「ページ〝エルトダウン断章〟……これで三人ぶん溜まった。第一の浄化の準備は整ったわ」

 敵手どもを吸収し終えた〝断罪の書リブレ・ダムナトス〟を、ホーリーは天高くかかげた。辞典を中心にして彼女から膨れ上がったのは、未知なる呪力の輝きだ。それを横目にするのも、もはや海ぞいを歩くヤドカリのつがいしかいない。

 来楽らいら島から曇り空へ、まばゆい光の奔流は突き抜けた。
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