上 下
14 / 23
第三話「到着」

「到着」(4)

しおりを挟む
 夜……

 薪の弾ける響きをたて、暗黒に炎が燃えている。

 だんだんと焦点を取り戻してきた視界の中、シヅルは記憶をたどった。

 ここは、生贄の祭壇か? 美樽びたる山の地底深くに広がる、あのおぞましい儀式の間?

 いや、ちがう。

 闇に赤い火の粉をちらつかせるのは、だれかの組んだ焚き木だった。樹と樹の間に渡されたロープには、海水に濡れた美須賀みすか大付属の制服がていねいに干されている。それも二人ぶんだ。

 シヅルが飛び起きたひょうしに、かけられた毛布は勢いよく落ちた。はりのある素肌がむき出しになるのも構わず、あたりへ問う。

「ここは!?」

来楽らいら島よ」

 地面に体育座りしたまま答えたルリエは、こちらも下着姿を毛布でくるんでいた。

 即席の暖炉に、乾かされる衣服、かすかに潮風と波音が届く原生林。ここまでの出来事を、ようやくシヅルも思い出したらしい。木枝の先端で焚き火を整えるルリエに、用心深くたずねる。

「て、敵は……?」

「そこに」

 木枝を指し棒代わりに、ルリエはそばを示した。

 おお。樹幹にロープでがんじがらめに縛られる男は、あのおそるべきシアエガではないか。現在は力なく項垂れ、意識も失っているようだ。焔の輝きに顔を隈取らせつつ、ルリエは説明した。

「いったんは目覚めて抵抗したけど、いまはあたしの催眠術でよく眠ってるわ。ダムナトスの居場所を吐いてから、ね」

「そんな便利な手品まで使えるんけ、あんた」

「船の上では、シャードに遮られて通用しなかった。でも、無事に回収したわ」

 指輪型のシャードが収まったケースを、シヅルは不思議そうにながめた。

「それは、シアエガの? どうするつもりや?」

「メネスの依頼なの。目についた特殊なシャードを、できるかぎり集めるよう仰せつかってる。箱の呪力のスイッチを押せば、幻夢境げんむきょうの工房へすぐさま転送されるって寸法よ」

「工房? そのメネスってひとは、なんか作る気か?」

「そうね。おそらくは、未来と戦うためのなんらかの武器を。真の意図は、あたしも知らされていない……そろそろ乾いたかしら」

 物干しロープに吊られた制服を、ルリエは手で触れて確かめた。暑いおかげで、すっかり湿気は飛んでいる。やや塩が浮いているものの、気にしている場合ではない。

 ルリエが順番に手渡す制服を、シヅルはてきぱきと着用していく。自身も上着とスカートをまとい直しながら、ルリエは告げた。

「季節が夏で助かったわね。もし冬だったら、あなたたちは凍死してた」

「助かったで、ルリエ」

「ちょっと目を見せて」

 シヅルの頭を両手で保持し、ルリエはその瞳を覗き込んだ。

「そろってるわね、しっかり五角。ぐっすり寝たから、呪力は回復したわ」

 火明を囲んで座ると、ルリエは厳しい面持ちで続けた。

「いよいよ第二関門ステージ2まで覚醒したわね。おさらいすると、第一関門ステージ1は〝呪力の行使〟。第二関門ステージ2は〝特技の鋭敏化〟。そして、つぎなる第三関門ステージ3で待ってるのは〝魔法少女への変身〟よ」

「その関門ステージっちゅうのは、いったい幾つまであるんや?」

「一般的には第四関門ステージ4の〝魔法少女化しての固有能力の完全解放〟と言われてるわ」

「すごいな。我がことながら、武者震いするで」

「決して自惚れちゃだめよ、魔法少女の力に。いまの第二関門ステージ2から先へ進もうなんて考えちゃいけない。あなたに呪力の時間切れトラペゾヘドロンを操りきれるとは、とても思えないわ。そのうえシヅルには、本来備わっているべき歯止めリミッターもないんだし。今度こそ、あたしに無断で能力は発動させないようにね」

 耳が痛げに、シヅルは顔を曇らせた。

「そう怒らんといてって。船で襲われたときは無我夢中やったんや。まさか命の〝点〟どうしがつながって〝線〟に視えるなんて想像もせんかった。死ぬかと思うたで、正直」

「その絶望を引き金に、魔法少女は一段と異世界に染まる。だけどもし時間切れトラペゾヘドロンに見舞われでもしたら、あたしはシヅルを抹殺しなきゃならない。星々のものに蝕まれて狂気におかされ、無差別に暴走する変わり果てた怪物を。だれかがやらなきゃ〝蜘蛛の騎士メーディン〟の矛先は、じきに罪のない一般人を獲物にするわ。死魚鬼マーグルと同じで」

「わかった。気をつける」

 まとわりつく蚊を叩きながら、シヅルは本題に入った。

「突き止めたんやな、ダムナトスの居所。さっそく乗り込もうや」

 だれのものか、夜気に腹の虫が鳴いた。発信源のお腹を、シヅルは寂しげにさすっている。肩をすくめて、ルリエはつぶやいた。

「乗り込むのは少なくとも、空腹を満たしてからね。栄養不足じゃ、ろくに呪力も発揮できない」

 かたわらのボストンバッグを、ルリエはごそごそとあさった。沈没も間近な船から、機転をきかせて持ち出した防災用品の一式だ。

「はい」

 取り出した缶詰とミネラルウォーターを、ルリエは割り箸とともにシヅルへ渡した。保存食の内訳は、野菜の漬物とカンパンだ。

 音をたてて漬物を噛み砕きつつ、シヅルは複雑な表情をした。

「薄っすいなァ、味……」

「喜んでもらえてなによりだわ。だれにも差し障りのない味でこその非常食よ。船が海の藻屑にならなきゃ、もうちょっとまともな料理も出せたんだけど」

「お、料理できるんか、ルリエ?」

「まあ最低限には」

「得意料理は?」

「肉じゃがね」

「あれ? 生まれも育ちも海とちゃうんか?」

「人魚だからって、必ずしもお刺身が得意で好きなわけじゃない。それはいわば共食いよ」

 冗談めかして笑ったルリエに同調し、シヅルも唇をほころばせた。

「こんどうちに招待するわ。海の幸は避けるとして、中華でも和食でも、うちのシェフの腕もそれなりのもんやで」

「シェフ?」

 戸惑ったように、ルリエは眉をひそめた。

「話には聞いてたけど、シヅル。あなた、名家のお嬢さまなのよね。それがまた、なぜ進んで不良の道なんかに身をやつしたの?」

「不良とは失敬な」

 過去を振り返って、シヅルは遠い眼差しになった。

「うちはただ、強くなりたいだけや。ほかの悪に負けんように。困って泣いてるだれかを救えるように」

「救う……立派ね、シヅルは」

 きめ細かにクシで髪をときながら、ルリエはささやいた。

「あたしは逆に、襲った。平和な世界を」

 きゅうに鉄面皮になったルリエへ、シヅルは遠慮がちに質問した。

「悪の手先として、やな。でもあんた、手が後ろに回ってるでもない。べつにこの世界で悪いことしたんとはちゃうやろ?」

「人間の法律の物差しで見るなら、一応はね。それでもあたしの存在は、組織ファイアの厳重な監視下におかれてる。あたしが直近で悪事を働いたのは、異世界の幻夢境げんむきょうでよ。あたしが未来の尖兵になることと引き換えに、ホーリーは約束した。彼の復活を」

「彼……」

 ルリエの瞳に揺れる光から、シヅルは感情のかけらを読み取った。

「あんたみたいなアイドルに一途に想われるとは、相手も幸せ者やな」

「結局のところ、復活の手段を持っていたのはメネスのほうだったけどね。ホーリーは彼の魂の器……マタドールシステム・タイプオーを奪い取ることを見越して、あたしに取引を持ちかけたらしいわ」

 苦々しい顔つきで、ルリエは自虐した。

「思い返せば、あのときのあたしは必死すぎて視野が狭まっていた。正義の側から手痛いしっぺ返しを食らって、ようやく我に返ったわ。あのまま止められていなければ、ありとあらゆる生命を滅びの危機にさらしていたはずよ。あたしの母なる海や、大切な彼をふくめて」

「だれかって、ひたむきすぎて失敗することはある」

 シヅルは擁護した。

「ホシカを追い求めるあまり、うちもたいがい視野が狭窄しとる。いまうちが人のままでおれるんは、ルリエ、あんたのおかげや。あんたがおらんかったら、うちはとっくの昔に時間切れトラペゾヘドロンで星々のものに食われてた。そしたら人探しもできん。感謝しとるで」

 ほほ笑みに穏やかな色を宿らせて、シヅルはルリエの肩に手をそえた。

「せやから、そんな暗い顔せんと。美人が台無しや」

「だって、あたし……」

「あんたはいま、間違いなく正義の味方やで。世の中が必要とするからここにおる。過去の経験と失敗が、正しい道へあんたを導いとるんや」

「正義……深海の闇の邪神であるあたしが?」

「万物には表と裏、光と闇がある。それらが互いに互いを支え、存在っちゅうもんを作っとるんやと思う。汚れた膿を出し切ったからこその清純や」

 三角座りした膝に顔をうずめ、ルリエはうめいた。

「あなたもまた、澄ました顔で悪夢と同居するつもり?」

 ルリエのポケットで、携帯電話が歌ったのはそのときだった。

 通知された名前を一瞥し、ルリエは目を丸くしている。電話を取ると、響いたのは若い男の声だった。

〈やあ、ルリエ〉

「メネス……」

 考えれば、こんな絶海の孤島で満足に電波がつながるのもおかしい。

 そう。なんと電話は、現実ではない異世界から、ルリエたちの指揮者スポンサーが〝召喚術〟の応用を駆使してかけてきているのだ。

 メネスと名乗った男は、電話口のルリエに申し出た。

〈電話をスピーカーモードにしてくれ。きみの相棒とも話がしたい〉

「わかったわ」

 全方位に切り替えられた電話から、メネスは挨拶した。

〈はじめまして、江藤詩鶴えとうしづる

「こんばんわ」

〈ぼくはメネス・アタールだ。気軽にメネスとでも呼ぶといい。もう魔法少女には〝着替え〟たか?〉

「!」

 なにげなく秘密を突かれ、シヅルはぽかんとなった。会話の先はルリエに戻る。

〈どうだ、状況は?〉

「なんとか来楽らいら島にはたどり着いたわ。スクタイ号は撃沈されたけど」

〈攻撃を受けたのか?〉

「ダムナトスのシャードよ。その能力は桁外れ。シヅルとふたりがかりでさえ、あやうく負けるところだったわ」

〈そうか……そっちもか〉

「も?」

 メネスの言葉尻をとらえたのはルリエだった。

「も、ってことは幻夢境げんむきょうでもなにか起こってるのかしら? やけに周囲が騒々しいわね?」

〈ホーリーの攻撃が始まった〉

 メネスの声には、わずかな焦りが混じっていた。

組織ファイア首都セレファイスが和平協定を結びかけていたのは、極秘中の極秘のはずだった。どこから情報が漏れたんだろう。人型自律兵器マタドールシステムのミコは〝機械の血を吸う吸血鬼〟から奇妙な攻撃を浴びて活動停止。敵を追跡したエリーも行方不明。ナコトとセラは現在、ホーリーの手駒を必死に食い止めて戦っている〉

「なんですって?」

〈きみたちもすぐに戻って防衛戦に加わってくれ〉

「いますぐは無理よ。移動手段がないわ」

〈承知している。調べによると、ダムナトスの本拠地にいくつか足があるな。ダムナトスの討伐とホシカの救出は、いったん後回しだ。船でもヘリでも奪い取って、早急に帰還することを優先したまえ〉

「後回し、って……」

 口を挟もうとしたシヅルへ、メネスは言い放った。

〈魔法少女・江藤詩鶴えとうしづる

「なんや?」

〈おめでとう。たったいまからきみも〝カラミティハニーズ〟だ〉

「!」

 驚きに硬直したシヅルをよそに、メネスはまくし立てた。

〈世界の守り手としての活躍に期待しているよ。とにかく第一目標は来楽らいら島を脱出す……〉

 唐突に砂嵐を走らせ、通話は不自然に途絶えた。

 我知らず携帯電話を握りしめ、うなったのはルリエだ。

「どうやら只事じゃなさそうね。状況は刻一刻と悪くなってるみたいだわ。ここまで来ておいて悔しいけど、ひとまず赤務あかむ市へ引き返しましょう」

「……せやな。無事でおってや、ホシカ」

 ひそかに森の夜闇で合図しあった声と声は、女子高生たちのそれではない。

「じゃ、せーのでいくわよ、千里眼オビトン?」

「りょ、了解、偏向皮ウルツフ。せーの……ッ」

 シヅルとルリエの視界が、真っ白に漂白されたのは次の瞬間だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

美咲の初体験

廣瀬純一
ファンタジー
男女の体が入れ替わってしまった美咲と拓也のお話です。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

となりのソータロー

daisysacky
ライト文芸
ある日、転校生が宗太郎のクラスにやって来る。 彼は、子供の頃に遊びに行っていた、お化け屋敷で見かけた… という噂を聞く。 そこは、ある事件のあった廃屋だった~

魔王の息子、潜入した勇者養成学校で王女様に一目惚れをする〜彼女のために勇者を目指します〜

洸夜
ファンタジー
魔王バエルに対抗する勇者や魔術師を養成するため、中立都市に設立されたグランレイヴ魔術学院。 バエルの息子であるゼノス・ヴァルフレアは、人間たちの力を見極めるという任務を受け、種族を偽り学院に潜入する。 しかし、潜入初日に出会ったルナミス王国の第一王女、イリス・レーベンハイトに一目惚れをしてしまう。 対するイリスもゼノスに一目惚れをするのだが、お互いに想いを伝えることができないでいた。 ゼノスは任務よりもイリスのことが気になってしまう。 ある日、課外授業でイリスと二人きりでダンジョンに潜ることになり、その時の出来事がキッカケでお互いの想いを伝え合った二人は結ばれたのだった。 しかし、身分が邪魔をして、今のままでは堂々と付き合うことができない。 誰の目も気にせず付き合うにはゼノスが『偉業』、つまり魔族を倒し、勇者に選ばれる必要があるとイリスは言う。 俺、魔王の息子なんですけど…… 「私のために、勇者になってくれますか?」 イリスの願い、ひいては自分のために勇者になることを決意したゼノスだが、本来現れるはずのない高レベルの魔族に襲われたり、帝国の皇帝に気に入られたり、その娘である第一皇女からは執拗なアピールを受け、息子の第一皇子からは友になれと迫られる。 ゼノスはさまざまな障害を乗り越え、二人の仲を進展させることができるのか⁉︎ これは愛する彼女のために、立ちはだかる敵を無双する男の物語。

3年F組クラス転移 帝国VS28人のユニークスキル~召喚された高校生は人類の危機に団結チートで国を相手に無双する~

代々木夜々一
ファンタジー
高校生3年F組28人が全員、召喚魔法に捕まった! 放り出されたのは闘技場。武器は一人に一つだけ与えられた特殊スキルがあるのみ!何万人もの観衆が見つめる中、召喚した魔法使いにざまぁし、王都から大脱出! 3年F組は一年から同じメンバーで結束力は固い。中心は陰で「キングとプリンス」と呼ばれる二人の男子と、家業のスーパーを経営する計算高きJK姫野美姫。 逃げた深い森の中で見つけたエルフの廃墟。そこには太古の樹「菩提樹の精霊」が今にも枯れ果てそうになっていた。追いかけてくる魔法使いを退け、のんびりスローライフをするつもりが古代ローマを滅ぼした疫病「天然痘」が異世界でも流行りだした! 原住民「森の民」とともに立ち上がる28人。圧政の帝国を打ち破ることができるのか? ちょっぴり淡い恋愛と友情で切り開く、異世界冒険サバイバル群像劇、ここに開幕! ※カクヨムにも掲載あり

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...