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第三話「到着」
「到着」(4)
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夜……
薪の弾ける響きをたて、暗黒に炎が燃えている。
だんだんと焦点を取り戻してきた視界の中、シヅルは記憶をたどった。
ここは、生贄の祭壇か? 美樽山の地底深くに広がる、あのおぞましい儀式の間?
いや、ちがう。
闇に赤い火の粉をちらつかせるのは、だれかの組んだ焚き木だった。樹と樹の間に渡されたロープには、海水に濡れた美須賀大付属の制服がていねいに干されている。それも二人ぶんだ。
シヅルが飛び起きたひょうしに、かけられた毛布は勢いよく落ちた。はりのある素肌がむき出しになるのも構わず、あたりへ問う。
「ここは!?」
「来楽島よ」
地面に体育座りしたまま答えたルリエは、こちらも下着姿を毛布でくるんでいた。
即席の暖炉に、乾かされる衣服、かすかに潮風と波音が届く原生林。ここまでの出来事を、ようやくシヅルも思い出したらしい。木枝の先端で焚き火を整えるルリエに、用心深くたずねる。
「て、敵は……?」
「そこに」
木枝を指し棒代わりに、ルリエはそばを示した。
おお。樹幹にロープでがんじがらめに縛られる男は、あのおそるべきシアエガではないか。現在は力なく項垂れ、意識も失っているようだ。焔の輝きに顔を隈取らせつつ、ルリエは説明した。
「いったんは目覚めて抵抗したけど、いまはあたしの催眠術でよく眠ってるわ。ダムナトスの居場所を吐いてから、ね」
「そんな便利な手品まで使えるんけ、あんた」
「船の上では、シャードに遮られて通用しなかった。でも、無事に回収したわ」
指輪型のシャードが収まったケースを、シヅルは不思議そうにながめた。
「それは、シアエガの? どうするつもりや?」
「メネスの依頼なの。目についた特殊なシャードを、できるかぎり集めるよう仰せつかってる。箱の呪力のスイッチを押せば、幻夢境の工房へすぐさま転送されるって寸法よ」
「工房? そのメネスってひとは、なんか作る気か?」
「そうね。おそらくは、未来と戦うためのなんらかの武器を。真の意図は、あたしも知らされていない……そろそろ乾いたかしら」
物干しロープに吊られた制服を、ルリエは手で触れて確かめた。暑いおかげで、すっかり湿気は飛んでいる。やや塩が浮いているものの、気にしている場合ではない。
ルリエが順番に手渡す制服を、シヅルはてきぱきと着用していく。自身も上着とスカートをまとい直しながら、ルリエは告げた。
「季節が夏で助かったわね。もし冬だったら、あなたたちは凍死してた」
「助かったで、ルリエ」
「ちょっと目を見せて」
シヅルの頭を両手で保持し、ルリエはその瞳を覗き込んだ。
「そろってるわね、しっかり五角。ぐっすり寝たから、呪力は回復したわ」
火明を囲んで座ると、ルリエは厳しい面持ちで続けた。
「いよいよ第二関門まで覚醒したわね。おさらいすると、第一関門は〝呪力の行使〟。第二関門は〝特技の鋭敏化〟。そして、つぎなる第三関門で待ってるのは〝魔法少女への変身〟よ」
「その関門っちゅうのは、いったい幾つまであるんや?」
「一般的には第四関門の〝魔法少女化しての固有能力の完全解放〟と言われてるわ」
「すごいな。我がことながら、武者震いするで」
「決して自惚れちゃだめよ、魔法少女の力に。いまの第二関門から先へ進もうなんて考えちゃいけない。あなたに呪力の時間切れを操りきれるとは、とても思えないわ。そのうえシヅルには、本来備わっているべき歯止めもないんだし。今度こそ、あたしに無断で能力は発動させないようにね」
耳が痛げに、シヅルは顔を曇らせた。
「そう怒らんといてって。船で襲われたときは無我夢中やったんや。まさか命の〝点〟どうしがつながって〝線〟に視えるなんて想像もせんかった。死ぬかと思うたで、正直」
「その絶望を引き金に、魔法少女は一段と異世界に染まる。だけどもし時間切れに見舞われでもしたら、あたしはシヅルを抹殺しなきゃならない。星々のものに蝕まれて狂気におかされ、無差別に暴走する変わり果てた怪物を。だれかがやらなきゃ〝蜘蛛の騎士〟の矛先は、じきに罪のない一般人を獲物にするわ。死魚鬼と同じで」
「わかった。気をつける」
まとわりつく蚊を叩きながら、シヅルは本題に入った。
「突き止めたんやな、ダムナトスの居所。さっそく乗り込もうや」
だれのものか、夜気に腹の虫が鳴いた。発信源のお腹を、シヅルは寂しげにさすっている。肩をすくめて、ルリエはつぶやいた。
「乗り込むのは少なくとも、空腹を満たしてからね。栄養不足じゃ、ろくに呪力も発揮できない」
かたわらのボストンバッグを、ルリエはごそごそとあさった。沈没も間近な船から、機転をきかせて持ち出した防災用品の一式だ。
「はい」
取り出した缶詰とミネラルウォーターを、ルリエは割り箸とともにシヅルへ渡した。保存食の内訳は、野菜の漬物とカンパンだ。
音をたてて漬物を噛み砕きつつ、シヅルは複雑な表情をした。
「薄っすいなァ、味……」
「喜んでもらえてなによりだわ。だれにも差し障りのない味でこその非常食よ。船が海の藻屑にならなきゃ、もうちょっとまともな料理も出せたんだけど」
「お、料理できるんか、ルリエ?」
「まあ最低限には」
「得意料理は?」
「肉じゃがね」
「あれ? 生まれも育ちも海とちゃうんか?」
「人魚だからって、必ずしもお刺身が得意で好きなわけじゃない。それはいわば共食いよ」
冗談めかして笑ったルリエに同調し、シヅルも唇をほころばせた。
「こんど家に招待するわ。海の幸は避けるとして、中華でも和食でも、うちのシェフの腕もそれなりのもんやで」
「シェフ?」
戸惑ったように、ルリエは眉をひそめた。
「話には聞いてたけど、シヅル。あなた、名家のお嬢さまなのよね。それがまた、なぜ進んで不良の道なんかに身をやつしたの?」
「不良とは失敬な」
過去を振り返って、シヅルは遠い眼差しになった。
「うちはただ、強くなりたいだけや。ほかの悪に負けんように。困って泣いてるだれかを救えるように」
「救う……立派ね、シヅルは」
きめ細かにクシで髪をときながら、ルリエはささやいた。
「あたしは逆に、襲った。平和な世界を」
きゅうに鉄面皮になったルリエへ、シヅルは遠慮がちに質問した。
「悪の手先として、やな。でもあんた、手が後ろに回ってるでもない。べつにこの世界で悪いことしたんとは違うやろ?」
「人間の法律の物差しで見るなら、一応はね。それでもあたしの存在は、組織の厳重な監視下におかれてる。あたしが直近で悪事を働いたのは、異世界の幻夢境でよ。あたしが未来の尖兵になることと引き換えに、ホーリーは約束した。彼の復活を」
「彼……」
ルリエの瞳に揺れる光から、シヅルは感情のかけらを読み取った。
「あんたみたいなアイドルに一途に想われるとは、相手も幸せ者やな」
「結局のところ、復活の手段を持っていたのはメネスのほうだったけどね。ホーリーは彼の魂の器……マタドールシステム・タイプOを奪い取ることを見越して、あたしに取引を持ちかけたらしいわ」
苦々しい顔つきで、ルリエは自虐した。
「思い返せば、あのときのあたしは必死すぎて視野が狭まっていた。正義の側から手痛いしっぺ返しを食らって、ようやく我に返ったわ。あのまま止められていなければ、ありとあらゆる生命を滅びの危機にさらしていたはずよ。あたしの母なる海や、大切な彼をふくめて」
「だれかって、ひたむきすぎて失敗することはある」
シヅルは擁護した。
「ホシカを追い求めるあまり、うちもたいがい視野が狭窄しとる。いまうちが人のままでおれるんは、ルリエ、あんたのおかげや。あんたがおらんかったら、うちはとっくの昔に時間切れで星々のものに食われてた。そしたら人探しもできん。感謝しとるで」
ほほ笑みに穏やかな色を宿らせて、シヅルはルリエの肩に手をそえた。
「せやから、そんな暗い顔せんと。美人が台無しや」
「だって、あたし……」
「あんたはいま、間違いなく正義の味方やで。世の中が必要とするからここにおる。過去の経験と失敗が、正しい道へあんたを導いとるんや」
「正義……深海の闇の邪神であるあたしが?」
「万物には表と裏、光と闇がある。それらが互いに互いを支え、存在っちゅうもんを作っとるんやと思う。汚れた膿を出し切ったからこその清純や」
三角座りした膝に顔をうずめ、ルリエはうめいた。
「あなたもまた、澄ました顔で悪夢と同居するつもり?」
ルリエのポケットで、携帯電話が歌ったのはそのときだった。
通知された名前を一瞥し、ルリエは目を丸くしている。電話を取ると、響いたのは若い男の声だった。
〈やあ、ルリエ〉
「メネス……」
考えれば、こんな絶海の孤島で満足に電波がつながるのもおかしい。
そう。なんと電話は、現実ではない異世界から、ルリエたちの指揮者が〝召喚術〟の応用を駆使してかけてきているのだ。
メネスと名乗った男は、電話口のルリエに申し出た。
〈電話をスピーカーモードにしてくれ。きみの相棒とも話がしたい〉
「わかったわ」
全方位に切り替えられた電話から、メネスは挨拶した。
〈はじめまして、江藤詩鶴〉
「こんばんわ」
〈ぼくはメネス・アタールだ。気軽にメネスとでも呼ぶといい。もう魔法少女には〝着替え〟たか?〉
「!」
なにげなく秘密を突かれ、シヅルはぽかんとなった。会話の先はルリエに戻る。
〈どうだ、状況は?〉
「なんとか来楽島にはたどり着いたわ。スクタイ号は撃沈されたけど」
〈攻撃を受けたのか?〉
「ダムナトスのシャードよ。その能力は桁外れ。シヅルとふたりがかりでさえ、あやうく負けるところだったわ」
〈そうか……そっちもか〉
「も?」
メネスの言葉尻をとらえたのはルリエだった。
「も、ってことは幻夢境でもなにか起こってるのかしら? やけに周囲が騒々しいわね?」
〈ホーリーの攻撃が始まった〉
メネスの声には、わずかな焦りが混じっていた。
〈組織と首都が和平協定を結びかけていたのは、極秘中の極秘のはずだった。どこから情報が漏れたんだろう。人型自律兵器のミコは〝機械の血を吸う吸血鬼〟から奇妙な攻撃を浴びて活動停止。敵を追跡したエリーも行方不明。ナコトとセラは現在、ホーリーの手駒を必死に食い止めて戦っている〉
「なんですって?」
〈きみたちもすぐに戻って防衛戦に加わってくれ〉
「いますぐは無理よ。移動手段がないわ」
〈承知している。調べによると、ダムナトスの本拠地にいくつか足があるな。ダムナトスの討伐とホシカの救出は、いったん後回しだ。船でもヘリでも奪い取って、早急に帰還することを優先したまえ〉
「後回し、って……」
口を挟もうとしたシヅルへ、メネスは言い放った。
〈魔法少女・江藤詩鶴〉
「なんや?」
〈おめでとう。たったいまからきみも〝カラミティハニーズ〟だ〉
「!」
驚きに硬直したシヅルをよそに、メネスはまくし立てた。
〈世界の守り手としての活躍に期待しているよ。とにかく第一目標は来楽島を脱出す……〉
唐突に砂嵐を走らせ、通話は不自然に途絶えた。
我知らず携帯電話を握りしめ、うなったのはルリエだ。
「どうやら只事じゃなさそうね。状況は刻一刻と悪くなってるみたいだわ。ここまで来ておいて悔しいけど、ひとまず赤務市へ引き返しましょう」
「……せやな。無事でおってや、ホシカ」
ひそかに森の夜闇で合図しあった声と声は、女子高生たちのそれではない。
「じゃ、せーのでいくわよ、千里眼?」
「りょ、了解、偏向皮。せーの……ッ」
シヅルとルリエの視界が、真っ白に漂白されたのは次の瞬間だった。
薪の弾ける響きをたて、暗黒に炎が燃えている。
だんだんと焦点を取り戻してきた視界の中、シヅルは記憶をたどった。
ここは、生贄の祭壇か? 美樽山の地底深くに広がる、あのおぞましい儀式の間?
いや、ちがう。
闇に赤い火の粉をちらつかせるのは、だれかの組んだ焚き木だった。樹と樹の間に渡されたロープには、海水に濡れた美須賀大付属の制服がていねいに干されている。それも二人ぶんだ。
シヅルが飛び起きたひょうしに、かけられた毛布は勢いよく落ちた。はりのある素肌がむき出しになるのも構わず、あたりへ問う。
「ここは!?」
「来楽島よ」
地面に体育座りしたまま答えたルリエは、こちらも下着姿を毛布でくるんでいた。
即席の暖炉に、乾かされる衣服、かすかに潮風と波音が届く原生林。ここまでの出来事を、ようやくシヅルも思い出したらしい。木枝の先端で焚き火を整えるルリエに、用心深くたずねる。
「て、敵は……?」
「そこに」
木枝を指し棒代わりに、ルリエはそばを示した。
おお。樹幹にロープでがんじがらめに縛られる男は、あのおそるべきシアエガではないか。現在は力なく項垂れ、意識も失っているようだ。焔の輝きに顔を隈取らせつつ、ルリエは説明した。
「いったんは目覚めて抵抗したけど、いまはあたしの催眠術でよく眠ってるわ。ダムナトスの居場所を吐いてから、ね」
「そんな便利な手品まで使えるんけ、あんた」
「船の上では、シャードに遮られて通用しなかった。でも、無事に回収したわ」
指輪型のシャードが収まったケースを、シヅルは不思議そうにながめた。
「それは、シアエガの? どうするつもりや?」
「メネスの依頼なの。目についた特殊なシャードを、できるかぎり集めるよう仰せつかってる。箱の呪力のスイッチを押せば、幻夢境の工房へすぐさま転送されるって寸法よ」
「工房? そのメネスってひとは、なんか作る気か?」
「そうね。おそらくは、未来と戦うためのなんらかの武器を。真の意図は、あたしも知らされていない……そろそろ乾いたかしら」
物干しロープに吊られた制服を、ルリエは手で触れて確かめた。暑いおかげで、すっかり湿気は飛んでいる。やや塩が浮いているものの、気にしている場合ではない。
ルリエが順番に手渡す制服を、シヅルはてきぱきと着用していく。自身も上着とスカートをまとい直しながら、ルリエは告げた。
「季節が夏で助かったわね。もし冬だったら、あなたたちは凍死してた」
「助かったで、ルリエ」
「ちょっと目を見せて」
シヅルの頭を両手で保持し、ルリエはその瞳を覗き込んだ。
「そろってるわね、しっかり五角。ぐっすり寝たから、呪力は回復したわ」
火明を囲んで座ると、ルリエは厳しい面持ちで続けた。
「いよいよ第二関門まで覚醒したわね。おさらいすると、第一関門は〝呪力の行使〟。第二関門は〝特技の鋭敏化〟。そして、つぎなる第三関門で待ってるのは〝魔法少女への変身〟よ」
「その関門っちゅうのは、いったい幾つまであるんや?」
「一般的には第四関門の〝魔法少女化しての固有能力の完全解放〟と言われてるわ」
「すごいな。我がことながら、武者震いするで」
「決して自惚れちゃだめよ、魔法少女の力に。いまの第二関門から先へ進もうなんて考えちゃいけない。あなたに呪力の時間切れを操りきれるとは、とても思えないわ。そのうえシヅルには、本来備わっているべき歯止めもないんだし。今度こそ、あたしに無断で能力は発動させないようにね」
耳が痛げに、シヅルは顔を曇らせた。
「そう怒らんといてって。船で襲われたときは無我夢中やったんや。まさか命の〝点〟どうしがつながって〝線〟に視えるなんて想像もせんかった。死ぬかと思うたで、正直」
「その絶望を引き金に、魔法少女は一段と異世界に染まる。だけどもし時間切れに見舞われでもしたら、あたしはシヅルを抹殺しなきゃならない。星々のものに蝕まれて狂気におかされ、無差別に暴走する変わり果てた怪物を。だれかがやらなきゃ〝蜘蛛の騎士〟の矛先は、じきに罪のない一般人を獲物にするわ。死魚鬼と同じで」
「わかった。気をつける」
まとわりつく蚊を叩きながら、シヅルは本題に入った。
「突き止めたんやな、ダムナトスの居所。さっそく乗り込もうや」
だれのものか、夜気に腹の虫が鳴いた。発信源のお腹を、シヅルは寂しげにさすっている。肩をすくめて、ルリエはつぶやいた。
「乗り込むのは少なくとも、空腹を満たしてからね。栄養不足じゃ、ろくに呪力も発揮できない」
かたわらのボストンバッグを、ルリエはごそごそとあさった。沈没も間近な船から、機転をきかせて持ち出した防災用品の一式だ。
「はい」
取り出した缶詰とミネラルウォーターを、ルリエは割り箸とともにシヅルへ渡した。保存食の内訳は、野菜の漬物とカンパンだ。
音をたてて漬物を噛み砕きつつ、シヅルは複雑な表情をした。
「薄っすいなァ、味……」
「喜んでもらえてなによりだわ。だれにも差し障りのない味でこその非常食よ。船が海の藻屑にならなきゃ、もうちょっとまともな料理も出せたんだけど」
「お、料理できるんか、ルリエ?」
「まあ最低限には」
「得意料理は?」
「肉じゃがね」
「あれ? 生まれも育ちも海とちゃうんか?」
「人魚だからって、必ずしもお刺身が得意で好きなわけじゃない。それはいわば共食いよ」
冗談めかして笑ったルリエに同調し、シヅルも唇をほころばせた。
「こんど家に招待するわ。海の幸は避けるとして、中華でも和食でも、うちのシェフの腕もそれなりのもんやで」
「シェフ?」
戸惑ったように、ルリエは眉をひそめた。
「話には聞いてたけど、シヅル。あなた、名家のお嬢さまなのよね。それがまた、なぜ進んで不良の道なんかに身をやつしたの?」
「不良とは失敬な」
過去を振り返って、シヅルは遠い眼差しになった。
「うちはただ、強くなりたいだけや。ほかの悪に負けんように。困って泣いてるだれかを救えるように」
「救う……立派ね、シヅルは」
きめ細かにクシで髪をときながら、ルリエはささやいた。
「あたしは逆に、襲った。平和な世界を」
きゅうに鉄面皮になったルリエへ、シヅルは遠慮がちに質問した。
「悪の手先として、やな。でもあんた、手が後ろに回ってるでもない。べつにこの世界で悪いことしたんとは違うやろ?」
「人間の法律の物差しで見るなら、一応はね。それでもあたしの存在は、組織の厳重な監視下におかれてる。あたしが直近で悪事を働いたのは、異世界の幻夢境でよ。あたしが未来の尖兵になることと引き換えに、ホーリーは約束した。彼の復活を」
「彼……」
ルリエの瞳に揺れる光から、シヅルは感情のかけらを読み取った。
「あんたみたいなアイドルに一途に想われるとは、相手も幸せ者やな」
「結局のところ、復活の手段を持っていたのはメネスのほうだったけどね。ホーリーは彼の魂の器……マタドールシステム・タイプOを奪い取ることを見越して、あたしに取引を持ちかけたらしいわ」
苦々しい顔つきで、ルリエは自虐した。
「思い返せば、あのときのあたしは必死すぎて視野が狭まっていた。正義の側から手痛いしっぺ返しを食らって、ようやく我に返ったわ。あのまま止められていなければ、ありとあらゆる生命を滅びの危機にさらしていたはずよ。あたしの母なる海や、大切な彼をふくめて」
「だれかって、ひたむきすぎて失敗することはある」
シヅルは擁護した。
「ホシカを追い求めるあまり、うちもたいがい視野が狭窄しとる。いまうちが人のままでおれるんは、ルリエ、あんたのおかげや。あんたがおらんかったら、うちはとっくの昔に時間切れで星々のものに食われてた。そしたら人探しもできん。感謝しとるで」
ほほ笑みに穏やかな色を宿らせて、シヅルはルリエの肩に手をそえた。
「せやから、そんな暗い顔せんと。美人が台無しや」
「だって、あたし……」
「あんたはいま、間違いなく正義の味方やで。世の中が必要とするからここにおる。過去の経験と失敗が、正しい道へあんたを導いとるんや」
「正義……深海の闇の邪神であるあたしが?」
「万物には表と裏、光と闇がある。それらが互いに互いを支え、存在っちゅうもんを作っとるんやと思う。汚れた膿を出し切ったからこその清純や」
三角座りした膝に顔をうずめ、ルリエはうめいた。
「あなたもまた、澄ました顔で悪夢と同居するつもり?」
ルリエのポケットで、携帯電話が歌ったのはそのときだった。
通知された名前を一瞥し、ルリエは目を丸くしている。電話を取ると、響いたのは若い男の声だった。
〈やあ、ルリエ〉
「メネス……」
考えれば、こんな絶海の孤島で満足に電波がつながるのもおかしい。
そう。なんと電話は、現実ではない異世界から、ルリエたちの指揮者が〝召喚術〟の応用を駆使してかけてきているのだ。
メネスと名乗った男は、電話口のルリエに申し出た。
〈電話をスピーカーモードにしてくれ。きみの相棒とも話がしたい〉
「わかったわ」
全方位に切り替えられた電話から、メネスは挨拶した。
〈はじめまして、江藤詩鶴〉
「こんばんわ」
〈ぼくはメネス・アタールだ。気軽にメネスとでも呼ぶといい。もう魔法少女には〝着替え〟たか?〉
「!」
なにげなく秘密を突かれ、シヅルはぽかんとなった。会話の先はルリエに戻る。
〈どうだ、状況は?〉
「なんとか来楽島にはたどり着いたわ。スクタイ号は撃沈されたけど」
〈攻撃を受けたのか?〉
「ダムナトスのシャードよ。その能力は桁外れ。シヅルとふたりがかりでさえ、あやうく負けるところだったわ」
〈そうか……そっちもか〉
「も?」
メネスの言葉尻をとらえたのはルリエだった。
「も、ってことは幻夢境でもなにか起こってるのかしら? やけに周囲が騒々しいわね?」
〈ホーリーの攻撃が始まった〉
メネスの声には、わずかな焦りが混じっていた。
〈組織と首都が和平協定を結びかけていたのは、極秘中の極秘のはずだった。どこから情報が漏れたんだろう。人型自律兵器のミコは〝機械の血を吸う吸血鬼〟から奇妙な攻撃を浴びて活動停止。敵を追跡したエリーも行方不明。ナコトとセラは現在、ホーリーの手駒を必死に食い止めて戦っている〉
「なんですって?」
〈きみたちもすぐに戻って防衛戦に加わってくれ〉
「いますぐは無理よ。移動手段がないわ」
〈承知している。調べによると、ダムナトスの本拠地にいくつか足があるな。ダムナトスの討伐とホシカの救出は、いったん後回しだ。船でもヘリでも奪い取って、早急に帰還することを優先したまえ〉
「後回し、って……」
口を挟もうとしたシヅルへ、メネスは言い放った。
〈魔法少女・江藤詩鶴〉
「なんや?」
〈おめでとう。たったいまからきみも〝カラミティハニーズ〟だ〉
「!」
驚きに硬直したシヅルをよそに、メネスはまくし立てた。
〈世界の守り手としての活躍に期待しているよ。とにかく第一目標は来楽島を脱出す……〉
唐突に砂嵐を走らせ、通話は不自然に途絶えた。
我知らず携帯電話を握りしめ、うなったのはルリエだ。
「どうやら只事じゃなさそうね。状況は刻一刻と悪くなってるみたいだわ。ここまで来ておいて悔しいけど、ひとまず赤務市へ引き返しましょう」
「……せやな。無事でおってや、ホシカ」
ひそかに森の夜闇で合図しあった声と声は、女子高生たちのそれではない。
「じゃ、せーのでいくわよ、千里眼?」
「りょ、了解、偏向皮。せーの……ッ」
シヅルとルリエの視界が、真っ白に漂白されたのは次の瞬間だった。
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