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第四話「実行」

「実行」(10)

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 夕暮れどきのうえ、やけに冷え込むせいか、その公園に人影はまばらだった。

 動作不良におちいったミコに肩を貸し、人目を忍んで、ようやく公園のベンチに座ったのはヒデトだ。

 ふたりの他には、あちらにも、そちらのベンチにもカップルらしき姿がある。ここが恋人たちのたまり場であることをふだんから不快に思い、ヒデトは近寄りもしなかった。だが今回ばかりはしかたない。組織の目でも、ヒデトたちはただのカップルに見えてしばらくは安全なはずだ。

 とんでもない重量を運んだ疲れで、ヒデトはベンチに突っ伏して肩で息をした。吐息は凍って白い。かたわらに座って眠るミコを横目にして、ぼそりと悪態をつく。

「ちょっとはやせろよ、ミコ」

「からっぽなのはうらやましいですね。あなたの頭の中のように」

「起きた!?」

 飛び上がったヒデトの横で、ミコは駆動系のきしむ音を残して顔をあげた。いつもどおりぴんと背筋を伸ばそうとするが……

「あ……」

「痛で!」

 バランサーの不具合から、かたむいたミコの頭はヒデトの肩にぶつかって止まった。さっきのいざこざで負った傷は応急処置済みだが、また痛み止めの追加がいりそうだ。

 外見上、ふたりは寄り添っている。期せずして、カモフラージュの完成だ。

 ふしぎな感覚に、ヒデトは鼻をひくつかせた。謝罪したのはミコだ。

「申し訳ありません。機体の自己修復が追いついていないようです。重いでしょう?」

「い、いいや。サラッサラだな、おまえの髪。どっから引っこ抜いてきた?」

「私の毛髪ですね。いま製造工程を説明します」

「いや、いい。やめろ」

 ヒデトは首を振った。だって、機械のくせに、ミコの髪からはなんでこんないい香りがする? シャンプー? マタドール専用の香水噴霧システム?

 とまどうヒデトを、ミコは現実に引き戻した。

「どうするつもりです、これから?」

 星のない夜空からは、白いものが降り始めていた。雪だ。

 時間をかけて、ヒデトは言葉をしぼりだした。

「どうしていいかわかんねえよ、もう」

「では提案です」

 ヒデトに寄りかかった姿勢ながら、ミコは明晰にしゃべった。

「私のオンラインへの復旧を許可してください。ここまでの砂目充、もといメネス・アタールの記録を組織へ報告します。それで私たちの容疑ははれます」

「だめだ!」

 ヒデトの声は大きかった。まわりのカップルの数組は、なにごとかと頭をめぐらせている。雪と雪のすきまをぬって、ミコはたずねた。

「なぜです?」

「さっきもなっただろ。ネットにつながったとたん、待ち伏せしてる組織のプログラムはおまえの記憶をぜんぶ消す」

「初期化のことですね。ご安心を。私の機体は消えません。いつでもあなたのそばにいます。ただ、ヒデトに出会ってからの一定期間の記憶は消えますが。それだけです」

「そのは、どれくらいの量だ? いったい何十年ぶんの思い出が消える?」

 暗くうつむくヒデトの感情を、ミコ本人はだれよりも理解していた。自我の抹消を考えるだけで、AIのどこかがこの雪のように低温になる。ずっと我慢しているのだ。

「ではお手数ですが、ヒデト。あなたが組織へ報告してください。腕時計は奪われましたから、電話等を使って」

「盗聴されるよ。いまの居所がメネスにばれて、べつの殺し屋がよこされるだけだ。ろくに動けないおまえを守りきる自信は、俺にはない」

「では、いずれかの交通手段を使って組織へ出頭しましょう」

「わかってんだろ。陸も、海も、空も、成層圏外すらも組織とメネスに見張られてる。かりに組織にぶじ到着したとしよう。待ち受けてるのは、砂目充を名乗るテロリストだ。つごうの悪い証言はぜんぶもみ消される」

「はっきりしてください!」

 こんどは、口調を激しくしたのはミコのほうだった。また周囲のカップルの視線を感じたが、じきにじぶんたちの内緒話に戻ってしまう。

 髪の端に雪のかけらをひっかけたまま、ミコはたずねた。

「あなたの考えを聞かせてください、ヒデト。あなたが助かる最善の方法を」

 無言のまま片手で額をささえ、しばらくしてヒデトは告げた。

「メネスに会いにいく」

 ミコは顔を険しくした。

「いけません。見たでしょう。あのフィアは、時間を止める。組織のデータベースにない異常性と強さです。それと戦うには、まだ私の機能は不完全です」

「行くのは俺ひとりだ」

「お言葉ですが、ヒデト。フィアとメネスの力は、あなたの対応できる範疇をはるかに超えています。とうてい勝てる見込みはありません」

「いちおう相談なんだが」

「はい?」

「俺といっしょに、異世界へ逃げるつもりはないか?」

 ショックに、ミコの顔はゆがんだ。

「よくわかりました。回答……失望しました、ヒデト。召喚士の策に負けて、犯罪に手を貸すなんて。私の最小の歯車から絶対領域の奥底まで、全身全霊をもってあなたを否定します」

「犯罪に手を貸す、どころじゃねえ。とっくに犯罪者さ、俺たちは。その気になれば、組織は火山の火口だろうが土星だろうが、どこまでも追ってくる。俺たちの居場所は、この世界のもうどこにもないんだよ」

 両手でそっとささえたミコの頭を、ヒデトはベンチの背もたれへ戻した。

 立ち上がるヒデトの制服のそでを、つかんで止めたのはミコの指だ。その力は、以前とくらべれば信じられないほど弱々しい。

「待ってください、ヒデト。逃げるつもりですか、私をおいて?」

「そのまま返すが、動けるのか、おまえ?」

「いいえ。復旧まで残りあと十七分と九秒」

「ならもうしばらく、石ころのままでいろ」

 ヒデトのとった行動に、ミコは目を剥くことになった。そして静かに目をつむる。ふたりの突然の口づけは、すぐに終わった。

「じゃ、逃げる案はボツだ。俺もさいしょから、そのつもりだったけどな」

 ミコの指をはなれ、ヒデトは歩き始めた。ポケットに手を突っ込んだその背中へ、問うたのはミコだ。

「ボツって……ではヒデト、いったいどこへ?」

「刺し違えてでもあいつは……」

「ヒデト!」

 雪のむこうに、ヒデトは消えた。

 再起動までひどく時間のかかるじぶんの機体が、憎い。呪わしい。許せない。

 公園の木々の先、ミコの視界センサーがあるものに集束したのはそのときだった。

 ホームセンターの看板……
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