25 / 54
第二話「検索」
「検索」(13)
しおりを挟む
上糸総合病院の廊下で、ひそひそ井戸端会議を開くのは看護師たちだった。
「ミコちゃんだっけ。さいきんほんと献身的よね、褪奈さんのお世話」
「見て、あのひたむきさ。ほんと涙腺が刺激されるわ。あたしたちの仕事をほとんど肩代わりしてくれてる」
「どこであんなていねいな介護を勉強したのかしら」
「なんであそこまで頑張れるのかな。っていうかいつ睡眠とってるの?」
「あのあきらめない姿勢、あたしらも見習わなくちゃ……むなしくならないのかしら?」
「そうよね。もしかしてミコちゃんの彼氏、なのかしら? 褪奈さんが全身麻痺から立ち直る可能性は、限りなくゼロに近いのに」
「あ、まずい、苛野先生だ。さ、仕事仕事」
きょうもすべての取り替えが終わり、ミコは換気のために窓をあけた。
そよ風が、制服といっしょに髪をなびかせる。ミコのガラス玉の瞳は、紫がかる夕暮れの景色を遠く映していた。
かすかな反応を訴えたのは、ミコの呪力センサーだ。そばのベッドに寝るヒデトからの伝言だった。
〈いっしょにお風呂に入ろうぜ〉
ミコは眉をひそめた。
「さっき入ったじゃないですか」
〈ちがう。ひとつの浴槽に、ふたりだ。ただ脱がされて洗われるだけの恥じらいの日々はもうごめんだぜ〉
かたわらのイスに座ると、ミコはかすかにため息をついた。宇宙空間でも活動ができるマタドールにとっては、擬似的な動作にしかすぎない。肩にもたれかけた長刀は、鞘に納まったこの状態であれば、一般人の目からはただの鉄の棒だ。
ミコはほほえんだ。
「考えておきます。ヒデトが私の服を脱がせられる状態まで回復してから、の話ですが」
〈ひょう、たまんねえ。って、おまえいま、ジョークを言ったのか? あの冷静沈着なタイプS様が「はい」「いいえ」いがいの答えを?〉
「あなたの知る黒野美湖は、ちゃんと機械のままなんですね。それに比べて、こちら側の私とくれば。さいきん、AIにときどき浮かぶこの不思議で曖昧なプログラム。正直なところ戸惑っていますし、恥ずかしくも思っています」
〈悩んでるな。そっか。こっちの俺は、ちゃんとおまえの性格を選んだんだな〉
「いえ、そういうわけでは……」
〈脱がすうんぬんの話、忘れるなよ?〉
「もう、あいかわらずですね。回復したころには、忘れてるかもしれませんよ?」
〈回復、か。気の長い話だな〉
「気長にリハビリしましょう。十数年前、さいしょに出会ったときもそうだったじゃないですか」
〈そうだな。夜中、何回トイレまでついてきてもらったっけ?〉
「タブーじゃありませんでしたか、その話?」
ふたりは笑いあった。傍目には、ミコが人事不省のヒデトに一方的に語りかけているようにしか見えない。静寂に、生命維持装置の音だけが繰り返し響いている。
〈ところで、ミコ。さいきんずっとここにいるな。いいいのか、組織の仕事は?〉
「ここにいるのが仕事です。ヒデトの護衛と監視、そしてサポート」
〈しんどくならないか?〉
「なりません。私は機械ですから」
〈……そろそろ聞かせてくれよ、こっちの世界の俺の話を〉
「こっち? あちらもこちらもありません。ヒデトは、ここにいるただひとり」
〈そうやってごまかすとこが、また人間臭い。ちらっと聞いたぜ。俺が召喚士の〝セレファイス〟にあっちの世界から転送されたとたん、こっちの俺はふっと消えたんだってな?〉
「消え……」
そう。
あの学校帰りの曲がり角で、ミコは応急処置のセットを買ってすぐに戻るはずだった。
〝ここで待ってるぜ〟
〝忘れてなんかいませんよ。私たちは……〟
〈ミコ〉
「はい」
ヒデトの呼び声に、ミコは思い出の水底から浮上した。
ヒデトの提案は、こんな内容だ。
〈スイッチを切ってくれ。そこの生命維持装置のスイッチを〉
ミコは目をむいた。
「なにを言い出すんですか、とつぜん。怒りますよ?」
〈こっちの世界の組織に情報提供だ。召喚士の捜査に関しちゃ、俺の世界のほうがちょっとだけ進んでたらしい。じっさい奴は、じぶんの故郷の異世界と、あちこちの似たような平行世界を世変装置で飛び回ってた。細かい調査の結果、俺のほうの世界でもなんどか同じような法則は確認されてる〉
「法則、とは?」
〈かんたんなことさ。ひとつの世界に、おなじ人間はひとりしか存在できない〉
「……つまり?」
〈俺が消えれば、俺が帰ってくる。本来おまえといたはずの俺が、ここに〉
長刀を寂しげに抱いたまま、ミコはうなだれた。
「つらくなりましたか、生きるのが? やはり不十分だったんですね、私の力では」
〈いや、十分さ。バチがあたるほど幸せだ。なにより、生きてるおまえを見られてほんとによかった〉
「ではなぜ……!」
〈俺も、もといた世界におまえを残したままだ。俺も帰らないと、おまえのところへ〉
「そんなにたくさんいませんよ、私は。私は、いまここにいる私ひとりだけです」
〈はやく戻してやってくれ、本物の俺を〉
「できません」
〈世界のスイッチはいったん切れるだけだ。またすぐにもとに戻る。さあ、ミコ……〉
それまで発したことのない怒声とともに、ミコの手は長刀の柄へ走った。
機体の旋回とともに抜刀、それを超高速で投擲……
投じられた白刃に正確に射抜かれ、窓の外、飛来した砲弾は夜空で爆発した。
「ミコちゃんだっけ。さいきんほんと献身的よね、褪奈さんのお世話」
「見て、あのひたむきさ。ほんと涙腺が刺激されるわ。あたしたちの仕事をほとんど肩代わりしてくれてる」
「どこであんなていねいな介護を勉強したのかしら」
「なんであそこまで頑張れるのかな。っていうかいつ睡眠とってるの?」
「あのあきらめない姿勢、あたしらも見習わなくちゃ……むなしくならないのかしら?」
「そうよね。もしかしてミコちゃんの彼氏、なのかしら? 褪奈さんが全身麻痺から立ち直る可能性は、限りなくゼロに近いのに」
「あ、まずい、苛野先生だ。さ、仕事仕事」
きょうもすべての取り替えが終わり、ミコは換気のために窓をあけた。
そよ風が、制服といっしょに髪をなびかせる。ミコのガラス玉の瞳は、紫がかる夕暮れの景色を遠く映していた。
かすかな反応を訴えたのは、ミコの呪力センサーだ。そばのベッドに寝るヒデトからの伝言だった。
〈いっしょにお風呂に入ろうぜ〉
ミコは眉をひそめた。
「さっき入ったじゃないですか」
〈ちがう。ひとつの浴槽に、ふたりだ。ただ脱がされて洗われるだけの恥じらいの日々はもうごめんだぜ〉
かたわらのイスに座ると、ミコはかすかにため息をついた。宇宙空間でも活動ができるマタドールにとっては、擬似的な動作にしかすぎない。肩にもたれかけた長刀は、鞘に納まったこの状態であれば、一般人の目からはただの鉄の棒だ。
ミコはほほえんだ。
「考えておきます。ヒデトが私の服を脱がせられる状態まで回復してから、の話ですが」
〈ひょう、たまんねえ。って、おまえいま、ジョークを言ったのか? あの冷静沈着なタイプS様が「はい」「いいえ」いがいの答えを?〉
「あなたの知る黒野美湖は、ちゃんと機械のままなんですね。それに比べて、こちら側の私とくれば。さいきん、AIにときどき浮かぶこの不思議で曖昧なプログラム。正直なところ戸惑っていますし、恥ずかしくも思っています」
〈悩んでるな。そっか。こっちの俺は、ちゃんとおまえの性格を選んだんだな〉
「いえ、そういうわけでは……」
〈脱がすうんぬんの話、忘れるなよ?〉
「もう、あいかわらずですね。回復したころには、忘れてるかもしれませんよ?」
〈回復、か。気の長い話だな〉
「気長にリハビリしましょう。十数年前、さいしょに出会ったときもそうだったじゃないですか」
〈そうだな。夜中、何回トイレまでついてきてもらったっけ?〉
「タブーじゃありませんでしたか、その話?」
ふたりは笑いあった。傍目には、ミコが人事不省のヒデトに一方的に語りかけているようにしか見えない。静寂に、生命維持装置の音だけが繰り返し響いている。
〈ところで、ミコ。さいきんずっとここにいるな。いいいのか、組織の仕事は?〉
「ここにいるのが仕事です。ヒデトの護衛と監視、そしてサポート」
〈しんどくならないか?〉
「なりません。私は機械ですから」
〈……そろそろ聞かせてくれよ、こっちの世界の俺の話を〉
「こっち? あちらもこちらもありません。ヒデトは、ここにいるただひとり」
〈そうやってごまかすとこが、また人間臭い。ちらっと聞いたぜ。俺が召喚士の〝セレファイス〟にあっちの世界から転送されたとたん、こっちの俺はふっと消えたんだってな?〉
「消え……」
そう。
あの学校帰りの曲がり角で、ミコは応急処置のセットを買ってすぐに戻るはずだった。
〝ここで待ってるぜ〟
〝忘れてなんかいませんよ。私たちは……〟
〈ミコ〉
「はい」
ヒデトの呼び声に、ミコは思い出の水底から浮上した。
ヒデトの提案は、こんな内容だ。
〈スイッチを切ってくれ。そこの生命維持装置のスイッチを〉
ミコは目をむいた。
「なにを言い出すんですか、とつぜん。怒りますよ?」
〈こっちの世界の組織に情報提供だ。召喚士の捜査に関しちゃ、俺の世界のほうがちょっとだけ進んでたらしい。じっさい奴は、じぶんの故郷の異世界と、あちこちの似たような平行世界を世変装置で飛び回ってた。細かい調査の結果、俺のほうの世界でもなんどか同じような法則は確認されてる〉
「法則、とは?」
〈かんたんなことさ。ひとつの世界に、おなじ人間はひとりしか存在できない〉
「……つまり?」
〈俺が消えれば、俺が帰ってくる。本来おまえといたはずの俺が、ここに〉
長刀を寂しげに抱いたまま、ミコはうなだれた。
「つらくなりましたか、生きるのが? やはり不十分だったんですね、私の力では」
〈いや、十分さ。バチがあたるほど幸せだ。なにより、生きてるおまえを見られてほんとによかった〉
「ではなぜ……!」
〈俺も、もといた世界におまえを残したままだ。俺も帰らないと、おまえのところへ〉
「そんなにたくさんいませんよ、私は。私は、いまここにいる私ひとりだけです」
〈はやく戻してやってくれ、本物の俺を〉
「できません」
〈世界のスイッチはいったん切れるだけだ。またすぐにもとに戻る。さあ、ミコ……〉
それまで発したことのない怒声とともに、ミコの手は長刀の柄へ走った。
機体の旋回とともに抜刀、それを超高速で投擲……
投じられた白刃に正確に射抜かれ、窓の外、飛来した砲弾は夜空で爆発した。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
異世界転生目立ちたく無いから冒険者を目指します
桂崇
ファンタジー
小さな町で酒場の手伝いをする母親と2人で住む少年イールスに転生覚醒する、チートする方法も無く、母親の死により、実の父親の家に引き取られる。イールスは、冒険者になろうと目指すが、周囲はその才能を惜しんでいる
チート生産魔法使いによる復讐譚 ~国に散々尽くしてきたのに処分されました。今後は敵対国で存分に腕を振るいます~
クロン
ファンタジー
俺は異世界の一般兵であるリーズという少年に転生した。
だが元々の身体の持ち主の心が生きていたので、俺はずっと彼の視点から世界を見続けることしかできなかった。
リーズは俺の転生特典である生産魔術【クラフター】のチートを持っていて、かつ聖人のような人間だった。
だが……その性格を逆手にとられて、同僚や上司に散々利用された。
あげく罠にはめられて精神が壊れて死んでしまった。
そして身体の所有権が俺に移る。
リーズをはめた者たちは盗んだ手柄で昇進し、そいつらのせいで帝国は暴虐非道で最低な存在となった。
よくも俺と一心同体だったリーズをやってくれたな。
お前たちがリーズを絞って得た繁栄は全部ぶっ壊してやるよ。
お前らが歯牙にもかけないような小国の配下になって、クラフターの力を存分に使わせてもらう!
味方の物資を万全にして、更にドーピングや全兵士にプレートアーマーの配布など……。
絶望的な国力差をチート生産魔術で全てを覆すのだ!
そして俺を利用した奴らに復讐を遂げる!
全校転移!異能で異世界を巡る!?
小説愛好家
ファンタジー
全校集会中に地震に襲われ、魔法陣が出現し、眩い光が体育館全体を呑み込み俺は気絶した。
目覚めるとそこは大聖堂みたいな場所。
周りを見渡すとほとんどの人がまだ気絶をしていてる。
取り敢えず異世界転移だと仮定してステータスを開こうと試みる。
「ステータスオープン」と唱えるとステータスが表示された。「『異能』?なにこれ?まぁいいか」
取り敢えず異世界に転移したってことで間違いなさそうだな、テンプレ通り行くなら魔王討伐やらなんやらでめんどくさそうだし早々にここを出たいけどまぁ成り行きでなんとかなるだろ。
そんな感じで異世界転移を果たした主人公が圧倒的力『異能』を使いながら世界を旅する物語。
異世界エステ〜チートスキル『エステ』で美少女たちをマッサージしていたら、いつの間にか裏社会をも支配する異世界の帝王になっていた件〜
福寿草真
ファンタジー
【Sランク冒険者を、お姫様を、オイルマッサージでトロトロにして成り上がり!?】
何の取り柄もないごく普通のアラサー、安間想介はある日唐突に異世界転移をしてしまう。
魔物や魔法が存在するありふれたファンタジー世界で想介が神様からもらったチートスキルは最強の戦闘系スキル……ではなく、『エステ』スキルという前代未聞の力で!?
これはごく普通の男がエステ店を開き、オイルマッサージで沢山の異世界女性をトロトロにしながら、瞬く間に成り上がっていく物語。
スキル『エステ』は成長すると、マッサージを行うだけで体力回復、病気の治療、バフが発生するなど様々な効果が出てくるチートスキルです。
劣悪だと言われたハズレ加護の『空間魔法』を、便利だと思っているのは僕だけなのだろうか?
はらくろ
ファンタジー
海と交易で栄えた国を支える貴族家のひとつに、
強くて聡明な父と、優しくて活動的な母の間に生まれ育った少年がいた。
母親似に育った賢く可愛らしい少年は優秀で、将来が楽しみだと言われていたが、
その少年に、突然の困難が立ちはだかる。
理由は、貴族の跡取りとしては公言できないほどの、劣悪な加護を洗礼で授かってしまったから。
一生外へ出られないかもしれない幽閉のような生活を続けるよりも、少年は屋敷を出て行く選択をする。
それでも持ち前の強く非常識なほどの魔力の多さと、負けず嫌いな性格でその困難を乗り越えていく。
そんな少年の物語。
異世界に召喚されたけど、聖女じゃないから用はない? それじゃあ、好き勝手させてもらいます!
明衣令央
ファンタジー
糸井織絵は、ある日、オブルリヒト王国が行った聖女召喚の儀に巻き込まれ、異世界ルリアルークへと飛ばされてしまう。
一緒に召喚された、若く美しい女が聖女――織絵は召喚の儀に巻き込まれた年増の豚女として不遇な扱いを受けたが、元スマホケースのハリネズミのぬいぐるみであるサーチートと共に、オブルリヒト王女ユリアナに保護され、聖女の力を開花させる。
だが、オブルリヒト王国の王子ジュニアスは、追い出した織絵にも聖女の可能性があるとして、織絵を連れ戻しに来た。
そして、異世界転移状態から正式に異世界転生した織絵は、若く美しい姿へと生まれ変わる。
この物語は、聖女召喚の儀に巻き込まれ、異世界転移後、新たに転生した一人の元おばさんの聖女が、相棒の元スマホケースのハリネズミと楽しく無双していく、恋と冒険の物語。
2022.9.7 話が少し進みましたので、内容紹介を変更しました。その都度変更していきます。
アンドロイドちゃんねる
kurobusi
SF
文明が滅ぶよりはるか前。
ある一人の人物によって生み出された 金属とプラスチックそして人の願望から構築された存在。
アンドロイドさんの使命はただ一つ。
【マスターに寄り添い最大の利益をもたらすこと】
そんなアンドロイドさん達が互いの通信機能を用いてマスター由来の惚気話を取り留めなく話したり
未だにマスターが見つからない機体同士で愚痴を言い合ったり
機体の不調を相談し合ったりする そんなお話です
姉(勇者)の威光を借りてニート生活を送るつもりだったのに、姉より強いのがバレて英雄になったんだが!?~穀潰しのための奮闘が賞賛される流れに~
果 一
ファンタジー
リクスには、最強の姉がいる。
王国最強と唄われる勇者で、英雄学校の生徒会長。
類い希なる才能と美貌を持つ姉の威光を笠に着て、リクスはとある野望を遂行していた。
『ビバ☆姉さんのスネをかじって生きよう計画!』
何を隠そうリクスは、引きこもりのタダ飯喰らいを人生の目標とする、極めて怠惰な少年だったのだ。
そんな弟に嫌気がさした姉エルザは、ある日リクスに告げる。
「私の通う英雄学校の編入試験、リクスちゃんの名前で登録しておいたからぁ」
その時を境に、リクスの人生は大きく変化する。
英雄学校で様々な事件に巻き込まれ、誰もが舌を巻くほどの強さが露わになって――?
これは、怠惰でろくでなしで、でもちょっぴり心優しい少年が、姉を越える英雄へと駆け上がっていく物語。
※本作はカクヨムでも公開しています。カクヨムでのタイトルは『姉(勇者)の威光を借りてニート生活を送るつもりだったのに、姉より強いのがバレて英雄になったんだが!?~穀潰し生活のための奮闘が、なぜか賞賛される流れになった件~』となります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる