6 / 32
第二話「助走」
「助走」(1)
しおりを挟む
宮殿通りにある庭園の芝生へ腰をおろすと、ホシカは満足げにお腹をさすった。
「いや~、ごちそうさん。メシのうまい旅行は大好きだ」
くつろぐホシカのとなりへ、イングラムもしかたなく座り込んだ。つまようじで恥ずかしげもなく歯の手入れをするホシカへ、呆れた顔でつぶやく。
「満足いただいて光栄だよ。ところで、宮殿はもう目と鼻の先なんだが?」
「ちったあ休ませろ。無理に動いて、吐いちまったらもったいねえじゃん?」
「きみの胃袋にかぎっては、いちど飲み込んだものを戻す機能はまずないと思うね」
「喧嘩売ってんのか。おい、ちょっと立て」
「おっと、怒らせてしまったかな。上等だ」
ホシカに指で空を示され、イングラムは居丈高に立ち上がった。
突然のことに、イングラムは電流でも流れたようにのけぞっている。まるで犯罪者の身体検査のように、ホシカがその体を無作為にまさぐったのだ。
「ばか、やめ、ベタベタさわるな! なんのつもりだ!?」
「持ってんだろ、○バコ?」
ホシカの手を払いのけると、イングラムは憤然とその場に座った。
「俺は吸わない。未成年であるきみも当然吸わないし、吸っちゃいけない。わかったな?」
「けっ、お堅いこって。うちのおやじを思い出すぜ」
不満そうな顔つきで、ホシカは両肘で太ももに頬杖をついた。現実世界ではまだ見たことのない様々なものが、その視界に映っては消える。
濁流のように人々の色でうねる市場。両手や頭のうえにまで商品をかかえて行き来する行商人。絶え間なくこだまする鍛冶屋のハンマーの音。テンポのよい蹄の響きを残し、人や荷物を一生懸命に運ぶ馬車。青鼻をたらして全速力で追いかけっこする悪ガキたち。虹の橋をかける汚れのない噴水のまわりで、無警戒にエサをつつく色とりどりの小鳥。長大な十字架を思わせる剣を意味ありげに帯刀し、どこかへ向かう旅人。乱れひとつなく整列して巡回する武装した衛兵隊。
そして、薔薇色の水晶でできた荘厳な〝七十の歓喜の宮殿〟……
ホシカはぼんやりと吐息を漏らした。
「ケータイもパソコンも、パトカーも信号機もねえ。ザ・ファンタジーって感じ?」
「ここが故郷である俺からすれば、きみのいる地球のほうがよほど危険で不自然さ」
「だれも言ってないよ、ここがイヤだなんて」
イングラムの顔から表情は消えた。
よこのホシカが、またなんの断りもなく彼の肩に頭をもたせかけてきたのだ。たっぷり食事をとったおかげで、睡魔が襲ってきたらしい。
眉間にしわを寄せて、イングラムは狼狽した。
「どこまでお子様なんだ、もう……」
真面目ぶりながらも、イングラムはこんどはホシカを払い落とすことをしない。
じぶんの顎の真下にあるホシカの髪から、なにか嗅いだことのないいい匂いがする。香水? 洗髪料の残り? 誘惑の呪力? 胸にわきたつ不思議な気持ちが理解できず、イングラムはただ生唾を飲むしかできなかった。
このまま、彼女の肩に手でも回してしまおうか……どうしたものか二の足を踏むイングラムの耳に、ホシカの眠たげな声は忍び込んだ。
「機械がゴチャゴチャしてるのは嫌いなんだ、あたし。幻夢境、だっけ。思いのほか、あたしの性にはあってるかもしんない」
「未練はないのかい、自分自身の故郷に? 地球に大切なものを残してきたとか?」
「ない。なんもない。ぜ~んぶ殺され、消されてどっかに飛んでいっちまった。残ってるのは、あたしというさなぎの抜け殻だけ。そこから飛び立ったあいつなら、きっともうひとりでなんでもできる。あたしはもう、すっからかんさ」
となりどうしで仲良く同じ方角を眺めながら、イングラムは頭を下げた。
「その、すまない。俺はきみに、してはいけない質問をしてしまったようだ。その、きみさえよければ、ずっとこの世界に……」
「あやまることなんてないさ。どの道、あたしはいずれ赤務市へ帰らなきゃいけない。あっちにも襲ってくるんだろ、例のジュズってやつは?」
なぜか視線に寂しげなものを混じらせて、イングラムはうなずいた。こじゃれた懐中時計を確認しながら、硬い声で告げる。
「このあと宮殿で、メネス先生がルリエ戦にそなえての対策会議をおこなう。出席してくれるね?」
恋人どうしのような姿勢からもとへ戻ると、ホシカは大あくびした。涙のういた目尻をこすりながら、うなる。
「ヤだよ。異世界に来てまで先生の授業か?」
「大事な話なんだ。頼むよ。チームのみんなとも顔合わせがまだだし」
「わぁったよ、めんどくせえ。何時からだ?」
「およそ一時間後だ」
「一時間な。わかった、よっと」
もちまえの運動神経を生かし、ホシカは背筋の反動だけで立ち上がった。青春の色と香りを残して散った芝生のはざまから、イングラムへたずねる。
「それまでは自由行動でいい? いろいろ都を見て回りたいし?」
「それはまた日を改めて、俺と同伴で願いしていいかな。俺がいまセレファイスから受けている仕事はみっつ。きみの案内と護衛、そしていちおう監視だ。都は広い。好き勝手に動き回って、迷子にでもなられたら困る」
「あ、そういえば、お礼がまだだったな。メシをおごってもらったお礼が」
気づいたときには、イングラムの唇はホシカのそれに盗人のように奪われていた。
「これ以上がいるってんなら、いつでも言いな?」
じぶんの唇に触れて時間の止まったイングラムの横から、かん高い飛行音とともになにかが飛び立った。
ふと見回したときには、ホシカの姿はどこにもない。
真紅から蒼白へいそがしく顔色を塗り変え、イングラムは空に吠えた。
「なんてこった、く、食い逃げ……!?」
「いや~、ごちそうさん。メシのうまい旅行は大好きだ」
くつろぐホシカのとなりへ、イングラムもしかたなく座り込んだ。つまようじで恥ずかしげもなく歯の手入れをするホシカへ、呆れた顔でつぶやく。
「満足いただいて光栄だよ。ところで、宮殿はもう目と鼻の先なんだが?」
「ちったあ休ませろ。無理に動いて、吐いちまったらもったいねえじゃん?」
「きみの胃袋にかぎっては、いちど飲み込んだものを戻す機能はまずないと思うね」
「喧嘩売ってんのか。おい、ちょっと立て」
「おっと、怒らせてしまったかな。上等だ」
ホシカに指で空を示され、イングラムは居丈高に立ち上がった。
突然のことに、イングラムは電流でも流れたようにのけぞっている。まるで犯罪者の身体検査のように、ホシカがその体を無作為にまさぐったのだ。
「ばか、やめ、ベタベタさわるな! なんのつもりだ!?」
「持ってんだろ、○バコ?」
ホシカの手を払いのけると、イングラムは憤然とその場に座った。
「俺は吸わない。未成年であるきみも当然吸わないし、吸っちゃいけない。わかったな?」
「けっ、お堅いこって。うちのおやじを思い出すぜ」
不満そうな顔つきで、ホシカは両肘で太ももに頬杖をついた。現実世界ではまだ見たことのない様々なものが、その視界に映っては消える。
濁流のように人々の色でうねる市場。両手や頭のうえにまで商品をかかえて行き来する行商人。絶え間なくこだまする鍛冶屋のハンマーの音。テンポのよい蹄の響きを残し、人や荷物を一生懸命に運ぶ馬車。青鼻をたらして全速力で追いかけっこする悪ガキたち。虹の橋をかける汚れのない噴水のまわりで、無警戒にエサをつつく色とりどりの小鳥。長大な十字架を思わせる剣を意味ありげに帯刀し、どこかへ向かう旅人。乱れひとつなく整列して巡回する武装した衛兵隊。
そして、薔薇色の水晶でできた荘厳な〝七十の歓喜の宮殿〟……
ホシカはぼんやりと吐息を漏らした。
「ケータイもパソコンも、パトカーも信号機もねえ。ザ・ファンタジーって感じ?」
「ここが故郷である俺からすれば、きみのいる地球のほうがよほど危険で不自然さ」
「だれも言ってないよ、ここがイヤだなんて」
イングラムの顔から表情は消えた。
よこのホシカが、またなんの断りもなく彼の肩に頭をもたせかけてきたのだ。たっぷり食事をとったおかげで、睡魔が襲ってきたらしい。
眉間にしわを寄せて、イングラムは狼狽した。
「どこまでお子様なんだ、もう……」
真面目ぶりながらも、イングラムはこんどはホシカを払い落とすことをしない。
じぶんの顎の真下にあるホシカの髪から、なにか嗅いだことのないいい匂いがする。香水? 洗髪料の残り? 誘惑の呪力? 胸にわきたつ不思議な気持ちが理解できず、イングラムはただ生唾を飲むしかできなかった。
このまま、彼女の肩に手でも回してしまおうか……どうしたものか二の足を踏むイングラムの耳に、ホシカの眠たげな声は忍び込んだ。
「機械がゴチャゴチャしてるのは嫌いなんだ、あたし。幻夢境、だっけ。思いのほか、あたしの性にはあってるかもしんない」
「未練はないのかい、自分自身の故郷に? 地球に大切なものを残してきたとか?」
「ない。なんもない。ぜ~んぶ殺され、消されてどっかに飛んでいっちまった。残ってるのは、あたしというさなぎの抜け殻だけ。そこから飛び立ったあいつなら、きっともうひとりでなんでもできる。あたしはもう、すっからかんさ」
となりどうしで仲良く同じ方角を眺めながら、イングラムは頭を下げた。
「その、すまない。俺はきみに、してはいけない質問をしてしまったようだ。その、きみさえよければ、ずっとこの世界に……」
「あやまることなんてないさ。どの道、あたしはいずれ赤務市へ帰らなきゃいけない。あっちにも襲ってくるんだろ、例のジュズってやつは?」
なぜか視線に寂しげなものを混じらせて、イングラムはうなずいた。こじゃれた懐中時計を確認しながら、硬い声で告げる。
「このあと宮殿で、メネス先生がルリエ戦にそなえての対策会議をおこなう。出席してくれるね?」
恋人どうしのような姿勢からもとへ戻ると、ホシカは大あくびした。涙のういた目尻をこすりながら、うなる。
「ヤだよ。異世界に来てまで先生の授業か?」
「大事な話なんだ。頼むよ。チームのみんなとも顔合わせがまだだし」
「わぁったよ、めんどくせえ。何時からだ?」
「およそ一時間後だ」
「一時間な。わかった、よっと」
もちまえの運動神経を生かし、ホシカは背筋の反動だけで立ち上がった。青春の色と香りを残して散った芝生のはざまから、イングラムへたずねる。
「それまでは自由行動でいい? いろいろ都を見て回りたいし?」
「それはまた日を改めて、俺と同伴で願いしていいかな。俺がいまセレファイスから受けている仕事はみっつ。きみの案内と護衛、そしていちおう監視だ。都は広い。好き勝手に動き回って、迷子にでもなられたら困る」
「あ、そういえば、お礼がまだだったな。メシをおごってもらったお礼が」
気づいたときには、イングラムの唇はホシカのそれに盗人のように奪われていた。
「これ以上がいるってんなら、いつでも言いな?」
じぶんの唇に触れて時間の止まったイングラムの横から、かん高い飛行音とともになにかが飛び立った。
ふと見回したときには、ホシカの姿はどこにもない。
真紅から蒼白へいそがしく顔色を塗り変え、イングラムは空に吠えた。
「なんてこった、く、食い逃げ……!?」
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
セラルフィの七日間戦争
炭酸吸い
ファンタジー
世界と世界を繋ぐ次元。その空間を渡ることができる数少ない高位生命体、《マヨイビト》は、『世界を滅ぼすほどの力を持つ臓器』を内に秘めていた。各世界にとって彼らは侵入されるべき存在では無い。そんな危険生物を排除する組織《DOS》の一人が、《マヨイビト》である少女、セラルフィの命を狙う。ある日、組織の男シルヴァリーに心臓を抜き取られた彼女は、残り『七日間しか生きられない体』になってしまった。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
RiCE CAkE ODySSEy
心絵マシテ
ファンタジー
月舘萌知には、決して誰にも知られてならない秘密がある。
それは、魔術師の家系生まれであることと魔力を有する身でありながらも魔術師としての才覚がまったくないという、ちょっぴり残念な秘密。
特別な事情もあいまって学生生活という日常すらどこか危うく、周囲との交友関係を上手くきずけない。
そんな日々を悶々と過ごす彼女だが、ある事がきっかけで窮地に立たされてしまう。
間一髪のところで救ってくれたのは、現役の学生アイドルであり憧れのクラスメイト、小鳩篠。
そのことで夢見心地になる萌知に篠は自身の正体を打ち明かす。
【魔道具の天秤を使い、この世界の裏に存在する隠世に行って欲しい】
そう、仄めかす篠に萌知は首を横に振るう。
しかし、一度動きだした運命の輪は止まらず、篠を守ろうとした彼女は凶弾に倒れてしまう。
起動した天秤の力により隠世に飛ばされ、記憶の大半を失ってしまった萌知。
右も左も分からない絶望的な状況化であるも突如、魔法の開花に至る。
魔術師としてではなく魔導士としての覚醒。
記憶と帰路を探す為、少女の旅程冒険譚が今、開幕する。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
悠久の機甲歩兵
竹氏
ファンタジー
文明が崩壊してから800年。文化や技術がリセットされた世界に、その理由を知っている人間は居なくなっていた。 彼はその世界で目覚めた。綻びだらけの太古の文明の記憶と機甲歩兵マキナを操る技術を持って。 文明が崩壊し変わり果てた世界で彼は生きる。今は放浪者として。
※現在毎日更新中
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる