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5巻
5-2
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ナナカの言葉を遮るように、フランメ様の必死な叫び声が聞こえてきました。
「……門の近くに参りましょう。フランメ様が心配です」
私の言葉にナナカとレックスが頷きます。
人垣の方に歩み寄り「失礼しますわ」と声をかけ、門が見える場所まで移動します。
するとそこにはフランメ様の後ろ姿と、開いた門の外いっぱいに押し寄せたヴァンキッシュの民の方々の姿がありました。
彼ら、彼女らは各々が皆、鉄棍や斧などで武装しており、その表情は怒りに満ちています。
その様を見て、レックスが焦った表情で叫びます。
「武器なんて持って、みんなどうしちゃったのさ⁉ ボク達が何したって言うんだよ!」
この状況、もしやヴァルガヌス様が国民をそそのかして我々に仕向けてきた……?
だとすればこれはとても厄介なことに――
「――水くせえこと言ってんじゃねえよ! フランメ様よお!」
民衆の中でも一際筋骨隆々だった一人のおじ様が叫びます。
その言葉を皮切りに、周囲の国民の方々も一斉に声をあげました。
「話は聞いたぜ! バーン陛下が亡くなられてからヴァルガヌスのクソ野郎がやりたい放題やってるってな!」
「皇帝になったフランメ様を監禁した上に、アルフレイム様に兵隊をけしかけて亡き者にしようとしたらしいじゃないの!」
「俺達ぁ、アルフレイム様もフランメ様もこーんなにちっこいガキの頃から知ってんだ! そんな息子同然の皇子達を卑劣な手で害そうだなんて、あのクソ野郎許せねえ!」
「これから殴り込みに行くんだろ? あたし達もついて行くよ!」
「帝都の民の中でも特に武芸に秀でた連中を千人程かき集めたんだ! 決して足は引っ張らねえから連れて行ってくれよ!」
民衆が私達と敵対したかと思いましたが、どうやら思い違いだったようです。それどころかこの方々はヴァルガヌス様の悪事をなぜか知っていて、義憤に駆られているご様子でした。
それを見たフランメ様は、険しい表情で首を横に振ります。
「いけません! これは皇宮の内部で起こっている身内同士の権力闘争です! 民を巻き込むなんて以ての外だ!」
確かにフランメ様が言っていることはご立派な考えかと思います。
いくら志願してきたとはいえ非戦闘員である国民を外敵との戦争ならともかく、身内同士の争いの戦力として扱うなんて、本来はあってはならないことですから。
「そもそもにしてなぜこの話を国民の皆さんが知っているのですか? 一体誰がそんなことを――」
「――私だ!」
どこからか聞いたことがある暑苦しい声が響いてきました。
背後を振り返るとそこには声の主、アルフレイム様が腕を組んで仁王立ちしています。
今日中には意識が戻るとは思っておりましたが、もう元気に歩き回っているなんて相変わらず無駄に高い生命力をお持ちで。
「今朝目覚めてこれまでの状況を聞いた後、紅天竜騎兵団の部下に頼んで今この国で何が起こっているのかを国民に流布させてもらった!」
そう言って、アルフレイム様はズンズンと門の方に歩いて行きました。
そして民衆の前に立つと、両腕を大きく広げて叫びます。
「同胞達よ! よくぞ集ってくれた! 共にこの国を腐らせる邪知暴虐の痴れ者、ヴァルガヌスをひっ捕らえようぞ!」
「うおお! アルフレイム様万歳!」
「業火の貴公子万歳!」
凄まじい歓声が上がります。
アルフレイム様……国民の方々にこんなに人気があったのですね。
ヴァンキッシュに来た時、衛兵の方々には散々な言われようだったので、皇帝になるなんて正気ですか? と思ったものですが。大した求心力ですわ。
「なんてことを……兄上!」
フランメ様が怒りの形相でアルフレイム様に詰め寄ります。
「兄上は民を利用し、身内同士の争いの道具にするおつもりですか! それは私達、国の上に立つ者が一番やってはならない行いのはずです!」
フランメ様の言い分もごもっともです。
私もパリスタン王国で同じようなことが起これば、同じ感想を抱いたでしょう。
ですが――
「――手ぬるい!」
アルフレイム様が目を見開いて一喝します。
「相手は武力が物を言うヴァンキッシュで頭脳だけで軍師将軍にまで上り詰めた男だ! 追い詰められているとはいえ、未だどんな策を練っているか分からぬ! そんな状況で綺麗事を言っていられる場合か!」
握りしめた拳をフランメ様に向けながら、アルフレイム様が叫びます。
「想像してみよ! もし我々が敗れ、ヴァルガヌスが頂点に立った時この国はどうなる! 民はどうなる!」
「それは……」
フランメ様がうろたえた顔で言い淀みます。
アルフレイム様はフランメ様の肩に手を置くと、真剣な表情で言いました。
「フランメ、我が弟よ。なぜ民がここに集い、武器を手にして怒りの表情を浮かべているのか分かるか? それは彼らが気骨も信念も持たぬ卑劣漢のヴァルガヌスに国を支配されている現状に憤っているからだ。これは我らだけの戦いではない。邪悪な支配者を打倒する民衆の戦いでもあるのだ!」
「……!」
その言葉にハッとフランメ様が目を大きく見開きます。
そう、これがパリスタン王国とヴァンキッシュ帝国の違いです。
貴族が国を統治するパリスタン王国では何よりも気位や様式を尊びます。
それ故に国民を身内同士の争いの矢面に立たせるなど以ての外と思うでしょう。国民も貴族同士の争いには我関せずというのが普通です。
ですがヴァンキッシュ帝国においてその思想はまったくあてはまりません。
なぜなら――
「そしてもう一つ、お前が勘違いしていることがある」
アルフレイム様が民衆に振り向き、大きな声で皆を鼓舞するように拳を振り上げます。
「ヴァンキッシュの民を見くびるな! 国民がすべて武を修めるこの国に戦えぬ者などいない! 女も男も子供も竜も! 我が国の民は等しく戦士である! そうだろう、皆の者!」
「おおっ!」
先ほどにも勝る大歓声が民衆から上がりました。その声に呼応して、門の内側にいたヴァンキッシュの方々も拳を振り、歓声を上げます。
「全員でヴァルガヌスのクソ野郎をぶっ飛ばすぞ!」
「アルフレイム様万歳! ヴァルガヌスはクソ食らえ!」
湧き上がる人々の中心で腕を組み仁王立ちするアルフレイム様の後ろ姿は実に堂々としていて、どこかバーン陛下を彷彿とさせるものでした。
「かつてヴァンキッシュ帝国の祖だった方々は、自らの心身を鍛えるためにあえて苛烈な環境であるこの場所に国を築いたと聞きましたが」
強い皇帝の下、誰もが戦士であり、国を脅かす邪悪な存在が現れれば自ら打倒せんと武器を手に取り戦う。何百年も経った今となっても、かつての鋼鉄のような強い意志と闘争心は、こうしてこの国に住む人々の魂に刻まれて、連綿と受け継がれているのでしょう。
それ故にヴァンキッシュ帝国の国民にはフランメ様のような、秩序を重んじて関わらせないようにするやり方よりも、アルフレイム様のような感情に訴えかけて闘争心を煽るやり方の方が正解なのでしょうね。
「はは……やはり兄上こそが皇帝にふさわしい。たとえ間に合わせだったとしても、私に王になれる器はなかったみたいだ」
歓声の中、消え入りそうな声でフランメ様がそうつぶやきました。その目はアルフレイム様の方を向いていて、まるで太陽を見上げているかのように、まぶしそうに細められています。
フランメ様……きっとこの国でなければ、名君になられる器を持ったお方だったのでしょう。
心中お察しいたしますわ。
「――どうやらうまくいったようだな」
声に振り向くと、いつの間にか私の背後に立っていたジュリアス様がしたり顔で頷いておりました。
「ごきげんよう、お寝坊ジュリアス様。遅れてきたくせに、何を訳知り顔をなさっているのですか?」
「随分な物言いだな。こちらは貴女がまだ幸せそうな寝息を立てている朝早くから、帝都に向かう紅天竜騎兵団の騎士達に指示を出していたというのに」
……民衆を扇動して味方につけるこの策。
アルフレイム様にしては随分と知恵の回ることをされるとは思っていましたが。
「……もしや帝都に情報を流布したというのはジュリアス様のお考えですか?」
「そういうことだ。元々はフランメ殿を奪還する際に用いようと思っていた策の一つだったが、殊の外うまくいったな。これ程の予備戦力が戦列に加わるとは嬉しい誤算だ」
髪をかき上げながらサラッと口走るジュリアス様。
もう、本当に何なのですかこのお方は。憎たらしいことこの上ない腹黒さと優秀さに呆れて、先日から抱いていた怒りが消え失せてしまいました。
「予備戦力ということは、主に戦うのは私達ということで良いのですね?」
「当然だ。やる気に満ち溢れているところ申し訳ないが、彼ら民衆の出番は基本的にない。まあ、これだけの国民がヴァルガヌスの悪事を知って反抗しているという威圧が主な仕事となるであろうよ」
現状向こう側についている兵の方々も、民衆が反抗しているということを知れば戦意を削がれることは間違いありません。皇宮に残っている少ない戦力を繋ぎとめるのに必死なヴァルガヌス様からしてみれば、相当に嫌らしく効果的な策といえるでしょう。
「それを聞いて安心致しました。それで、皇宮への突入はいつ頃の予定ですか?」
「聞くまでもない! 今、この時である!」
私達の会話に割り込むように、にゅっとアルフレイム様が顔を出します。
そして私の手を取ると、目を見開いて宣言しました。
「この高まりに高まった戦意の熱をわざわざ冷ます必要などあるだろうか? いや、ありはしない! 行くぞ皆の衆! 勝利の女神を抱きに行く! 我と狂犬姫の後に続け――」
「脳筋のくせに何勝手に指示を出そうとしてるんですか」
「おっふぅ⁉」
いつの間にか側に立っていたジン様が、槍の石突でアルフレイム様のお腹を突きます。吹っ飛んでうずくまり、悶絶するアルフレイム様。
そんな彼に、紅の四騎士の方々が駆け寄ってきます。
「あー。アル様が復活してるー。わーい」
「うおおお! 隊長の復帰で紅天竜騎兵団完全復活だあああ!」
「然り。それでこそ我らの隊長だ」
アルフレイム様は突かれた横腹を押さえながら痛そうに立ち上がると「おお!」と声を上げて笑顔で言いました。
「お前達、心配をかけたな! だがもう大丈夫だ! この通り、私は我が愛しのスカーレットの献身的な治療によりピンピンしておるぞ!」
「青い顔して何言ってんですか。それに心配などしていませんよ。あの程度で死ぬようであれば、紅天竜騎兵団の隊長は務まりませんので」
憎まれ口を言いながらもジン様のお顔には微笑が浮かんでおります。
アルフレイム様がお倒れになった時も皆様本気でショックを受けていらっしゃいましたし、雑な扱いに見えてもやはり主君としてしっかり慕っていらっしゃるのですね。
「――悪くないかもしれんな」
隣に立っていたジュリアス様が不意にポツリと、そんなことをつぶやきました。
悪くない? 一体何に対して言ってらっしゃるのでしょうか。
そんな私の疑問の表情が伝わったのでしょう。
ジュリアス様はこちらを見ながら言いました。
「このまま皇宮に攻め込むという案だ。これ程までに民衆の戦意が高揚しているならば、その余勢を駆って出るのも悪くあるまい」
その言葉に近くに立っていたレオお兄様とナナカが嫌そうな顔で「えっ」と濁った声を漏らします。私としてはすぐに鬱憤を晴らせそうで願ったり叶ったりですが――
「そんな行き当たりばったりな作戦で大丈夫なのですか?」
「ここまで来れば他にできることなどたかが知れている。相手に策を弄す時間を与えないという点においても今攻め込むことは理に適っているしな。それに――」
フッと微笑みながら、ジュリアス様は目を細めて私を見つめながら言いました。
「他の男に目移りされても困るからな。そろそろ我が姫のご機嫌を取って置かねばなるまい」
昨日私が言った言葉、そんなに気にしていたのですね。
だからと言って、こんな大勢の方がいる前でそのように意味深に取られることを言うなんて。
この腹黒王子、相変わらずデリカシーが欠けておりますわ。
「言わぬが花という言葉をご存じですか?」
「口に出さねば気づかぬ花が相手では仕方なかろう」
ああ言えばこう言う。このお方、本当に私に好かれる気がおありなのでしょうか?
「パリスタンの諸君!」
ジト目でジュリアス様を睨んで圧を掛けていると、アルフレイム様が四騎士の方々を引き連れてこちらに歩いてきます。
「これより皇宮に討ち入る! これが恐らく、我が国の内部で起こる最後の戦いとなろう。心の準備は良いか?」
腕を組み仁王立ちでそう問いてくるアルフレイム様に、ジュリアス様は涼し気なお顔で頷かれました。
「問題ない。丁度こちらも話がまとまったところだ」
それに対し、ナナカとレオお兄様が困惑した表情でつぶやきます。
「話がまとまった……?」
「何一つ我々は了解を取られていないのですが……?」
二人共、お可哀想に。本来ならジュリアス様に文句の一つや二つも拳と共にぶつけるところですが、時は一刻を争うとのことですからね。
不本意ではありますが、私も涙を呑んで。渋々。
皇宮への殴り込みに参加させていただきたいと思います。
「では同胞達よ! いざ、皇宮へ出撃――」
「――待ちやがれ」
アルフレイム様が号令を掛けようとしたその時でした。
宮の入口の方から、殿方の声が響いてきます。振り返るとそこには、イフリーテ様とヘカーテ様が立っておりました。
「……時間は取らせねえ。行く前に少しだけ俺の話を聞いていけ」
業火宮の宮内に戻った私達は、入口すぐの広間で足を止めました。
「話があるとのことだったが、アルフレイム殿と殴り合いをするならこの騒動が終わった後にしてもらえるか? あまり時間をかけてはこちらも面倒なことになるのでな」
先頭を歩いていたジュリアス様が振り返り、イフリーテ様に告げます。イフリーテ様はいつもの苛立った様子はどこへ行ったのか、落ち着いた表情で口を開きました。
「さっきも言ったが時間は取らせねえ。それに今はやる気はねえよ。ここは黒竜姫の膝元だからな」
イフリーテ様の隣でへカーテ様がそっぽを向きながらフンと鼻を鳴らします。
お二人がどういった関係なのかは分かりませんが、どうやらイフリーテ様はへカーテ様に頭が上がらないご様子でした。
元々イフリーテ様は飛竜に対して恩義を感じているようでしたし、その中でも長い時を生きるへカーテ様には特別な敬意を抱いていてもおかしくはありませんか。
なんにしろ、この場でまた内輪揉めを起こされて余計な時間を取られる心配はなさそうです。
「それで、お話とはなんでしょうか」
私の問いにイフリーテ様は少し逡巡した後、ゆっくり口を開きました。
「……バーン陛下に手をかけたのは俺だ」
その言葉に場が静まり返ります。
どう反応すればいいか分からない。そんな空気の中、アルフレイム様が怒気を漲らせた顔でイフリーテ様に歩み寄ります。
「貴様。今何と言った? 父上に手をかけた、だと?」
アルフレイム様の背後の空気が、怒りの感情に呼応するかの如く熱気を放ってゆらゆらと陽炎のように揺らめきます。
今にも詰所の時のように二人の激しい戦いが始まりそうな緊迫とした雰囲気に、周囲の皆様が巻き込まれてはたまらないと後ずさります。
そんな中、ヘカーテ様がアルフレイム様の前に歩み出て口を開きました。
「落ち着け。話には続きがある」
アルフレイム様とヘカーテ様の視線が交錯します。
五秒程そうしていたでしょうか。アルフレイム様が目を閉じると、纏っていた背後の熱気が収まります。本人も一時の感情でカッとしたことを自覚したのでしょう。
未だに強張った表情をしながらも、感情を抑えた低い声で言いました。
「……話を続けよ」
アルフレイム様の反応にイフリーテ様は特に感情を激することもなく一瞥だけすると、私達に視線を向けて淡々と話し始めました。
「陛下は次期皇帝にアルフレイムを選んだことをルクから聞いた。アルフレイムとの闘いを禁じられ、強さの証明すらもできずに、皇帝にもなれなくなった俺は自分の生きる意味を奪われた気がして……陛下を憎んだ」
アルフレイム様への執着は自分の強さを証明したいがためだったのですね。
確かに単純な戦力で言えば、バーン陛下を抜けばアルフレイム様はこの国で最強といえるでしょう。変身した状態のイフリーテ様も相当な強さを持っていましたが、それでも本気になったアルフレイム様には一歩及ばないと感じましたし。
「二日前の夜。ヴァルガヌスと共謀して皇帝の寝室に侵入した俺は、病で床に伏している陛下の無防備な胸に、剣を突き刺そうとした。だが、できなかった」
イフリーテ様が拳を握りしめてうつむきます。
「生き方を教えてもらった。その強さに憧れた。そもそも俺が皇帝を目指したのも最強の象徴だった陛下を乗り超えて、俺の存在証明をこの世界に刻みたかったからだ。その道を閉ざされたからといって、どうして恩人を殺すことができる?」
震える声で独白する彼の姿からは、確かな葛藤が見て取れました。
「だが剣を収めようとしたその時だった、俺の目の前に〝紫色の羽根〟が舞う幻覚が見えた」
――紫色の羽根の幻覚。
その言葉に思わずジュリアス様と顔を見合わせます。
「……ジュリアス様。テレネッツァ様は今どうしていらっしゃるのですか?」
「パリスタンの僻地にあたる開拓地で労働刑に処されている。それに今、あれは加護の力を失っているようでな。今回の件に関与しているとはさすがに考え難い」
色こそ違いますが羽根が舞う幻覚という光景は、女神パルミアの使徒であったテレネッツァさんが使っていた魅了の加護と同じものです。
一瞬あの方が逃げ出してまた暗躍しているのかと思いましたが、どうもそうではないようですわね。
テレネッツァさんが加護の力を失ったという言葉は引っかかりましたが、今はそれよりもイフリーテ様のお話を聞くのが優先です。
「その光景に目を奪われている内に、背後からヴァルガヌスの声が聞こえてきた。皇帝を殺せと。俺はその声に従うように、短剣を陛下の胸に……」
苦悶の表情を隠すように両手で顔を覆いながら、イフリーテ様がその場に膝をつきました。
「思えば今までも何度もそんなことがあった……俺の意思とは無関係に体が動いて……いや、俺自身の意思が元からそうだったかのように思い込まされていた。そうでなけりゃ誰がヴァルガヌスみたいなクソ野郎と手を組むかよ……クソが!」
イフリーテ様が両手でドン! と床を叩きます。その姿を見てヘカーテ様が哀れな者を見るかのような目でイフリーテ様を見下ろしながら口を開きました。
「こやつが言っていることは本当じゃ。寝ている間に調べた結果、身体に何者かの強力な魔力の残滓があった。洗脳か催眠か、なにかしらの魔術的干渉を日常的に受けていたのであろう」
もしイフリーテ様の話が本当で、ヴァルガヌス様かその手の者によって魅了の加護のような力で操られていたとすれば。
テレネッツァさんの時のように、他にも誰か身近な方が誰か操られているかもしれません。
これは面倒なことになりましたわね。
「力を解放して竜人化した時、頭ん中に靄みてえに纏わりついてた魔力が一気に晴れた気がした。その時に、ようやく分かったんだ。何よりもまず真っ先にブチ殺さないといけねえヤツがいるってな」
イフリーテ様は立ち上がると広間の入口の方に歩いて行きます。
アルフレイム様は横を通り過ぎようとしていくイフリーテ様に目を細めて言いました。
「……父上の件は不問に処す。だが操られたのも貴様の弱さだ。それを忘れるでないぞ」
「テメエに言われなくても分かってんだよそんなことは」
肉と骨が軋む音を立てながら、イフリーテ様の姿が竜人のように変化していきます。
「――俺を一番許せねえのは俺自身だ。ヴァルガヌスは俺が殺す」
そう言って、イフリーテ様は宮から出て行かれました。
陛下が実は暗殺されていて、イフリーテ様が操られていたという衝撃の事実に皆様が騒然とする中。私はふと一つの疑問を口にします。
「イフリーテ様……どうして話してくれたのでしょう。私達に真相を伝えるメリットなど何もないでしょうに」
「多分、詰所で倒れた後にボク達が助けたから、その借りを返したつもりなんじゃないかなー」
イフリーテ様が去っていった方を見つめながらレックスが答えます。
「アイツ、ああ見えて義理堅いんだよ。飛竜に拾って育ててもらったことにずっと恩義を感じてるくらいだし。態度が悪すぎて気づかれないけどさ」
確かに操られていたことを差し引けば、飛竜への接し方を見ていても、口は少々悪いですが見た目程悪い方ではないのかもしれません。
アルフレイム様が憎まれているのは……まあ、あのお方のことですから、無意識にイフリーテ様のプライドを煽るようなことでもしたのでしょう。空気の読めない男ですしね。
「それでどうするのですかジュリアス様。この後は」
顎の先を指先でつまんで何事かを思案していたジュリアス様は、私の問いにこちらを振り向いて言いました。
「……門の近くに参りましょう。フランメ様が心配です」
私の言葉にナナカとレックスが頷きます。
人垣の方に歩み寄り「失礼しますわ」と声をかけ、門が見える場所まで移動します。
するとそこにはフランメ様の後ろ姿と、開いた門の外いっぱいに押し寄せたヴァンキッシュの民の方々の姿がありました。
彼ら、彼女らは各々が皆、鉄棍や斧などで武装しており、その表情は怒りに満ちています。
その様を見て、レックスが焦った表情で叫びます。
「武器なんて持って、みんなどうしちゃったのさ⁉ ボク達が何したって言うんだよ!」
この状況、もしやヴァルガヌス様が国民をそそのかして我々に仕向けてきた……?
だとすればこれはとても厄介なことに――
「――水くせえこと言ってんじゃねえよ! フランメ様よお!」
民衆の中でも一際筋骨隆々だった一人のおじ様が叫びます。
その言葉を皮切りに、周囲の国民の方々も一斉に声をあげました。
「話は聞いたぜ! バーン陛下が亡くなられてからヴァルガヌスのクソ野郎がやりたい放題やってるってな!」
「皇帝になったフランメ様を監禁した上に、アルフレイム様に兵隊をけしかけて亡き者にしようとしたらしいじゃないの!」
「俺達ぁ、アルフレイム様もフランメ様もこーんなにちっこいガキの頃から知ってんだ! そんな息子同然の皇子達を卑劣な手で害そうだなんて、あのクソ野郎許せねえ!」
「これから殴り込みに行くんだろ? あたし達もついて行くよ!」
「帝都の民の中でも特に武芸に秀でた連中を千人程かき集めたんだ! 決して足は引っ張らねえから連れて行ってくれよ!」
民衆が私達と敵対したかと思いましたが、どうやら思い違いだったようです。それどころかこの方々はヴァルガヌス様の悪事をなぜか知っていて、義憤に駆られているご様子でした。
それを見たフランメ様は、険しい表情で首を横に振ります。
「いけません! これは皇宮の内部で起こっている身内同士の権力闘争です! 民を巻き込むなんて以ての外だ!」
確かにフランメ様が言っていることはご立派な考えかと思います。
いくら志願してきたとはいえ非戦闘員である国民を外敵との戦争ならともかく、身内同士の争いの戦力として扱うなんて、本来はあってはならないことですから。
「そもそもにしてなぜこの話を国民の皆さんが知っているのですか? 一体誰がそんなことを――」
「――私だ!」
どこからか聞いたことがある暑苦しい声が響いてきました。
背後を振り返るとそこには声の主、アルフレイム様が腕を組んで仁王立ちしています。
今日中には意識が戻るとは思っておりましたが、もう元気に歩き回っているなんて相変わらず無駄に高い生命力をお持ちで。
「今朝目覚めてこれまでの状況を聞いた後、紅天竜騎兵団の部下に頼んで今この国で何が起こっているのかを国民に流布させてもらった!」
そう言って、アルフレイム様はズンズンと門の方に歩いて行きました。
そして民衆の前に立つと、両腕を大きく広げて叫びます。
「同胞達よ! よくぞ集ってくれた! 共にこの国を腐らせる邪知暴虐の痴れ者、ヴァルガヌスをひっ捕らえようぞ!」
「うおお! アルフレイム様万歳!」
「業火の貴公子万歳!」
凄まじい歓声が上がります。
アルフレイム様……国民の方々にこんなに人気があったのですね。
ヴァンキッシュに来た時、衛兵の方々には散々な言われようだったので、皇帝になるなんて正気ですか? と思ったものですが。大した求心力ですわ。
「なんてことを……兄上!」
フランメ様が怒りの形相でアルフレイム様に詰め寄ります。
「兄上は民を利用し、身内同士の争いの道具にするおつもりですか! それは私達、国の上に立つ者が一番やってはならない行いのはずです!」
フランメ様の言い分もごもっともです。
私もパリスタン王国で同じようなことが起これば、同じ感想を抱いたでしょう。
ですが――
「――手ぬるい!」
アルフレイム様が目を見開いて一喝します。
「相手は武力が物を言うヴァンキッシュで頭脳だけで軍師将軍にまで上り詰めた男だ! 追い詰められているとはいえ、未だどんな策を練っているか分からぬ! そんな状況で綺麗事を言っていられる場合か!」
握りしめた拳をフランメ様に向けながら、アルフレイム様が叫びます。
「想像してみよ! もし我々が敗れ、ヴァルガヌスが頂点に立った時この国はどうなる! 民はどうなる!」
「それは……」
フランメ様がうろたえた顔で言い淀みます。
アルフレイム様はフランメ様の肩に手を置くと、真剣な表情で言いました。
「フランメ、我が弟よ。なぜ民がここに集い、武器を手にして怒りの表情を浮かべているのか分かるか? それは彼らが気骨も信念も持たぬ卑劣漢のヴァルガヌスに国を支配されている現状に憤っているからだ。これは我らだけの戦いではない。邪悪な支配者を打倒する民衆の戦いでもあるのだ!」
「……!」
その言葉にハッとフランメ様が目を大きく見開きます。
そう、これがパリスタン王国とヴァンキッシュ帝国の違いです。
貴族が国を統治するパリスタン王国では何よりも気位や様式を尊びます。
それ故に国民を身内同士の争いの矢面に立たせるなど以ての外と思うでしょう。国民も貴族同士の争いには我関せずというのが普通です。
ですがヴァンキッシュ帝国においてその思想はまったくあてはまりません。
なぜなら――
「そしてもう一つ、お前が勘違いしていることがある」
アルフレイム様が民衆に振り向き、大きな声で皆を鼓舞するように拳を振り上げます。
「ヴァンキッシュの民を見くびるな! 国民がすべて武を修めるこの国に戦えぬ者などいない! 女も男も子供も竜も! 我が国の民は等しく戦士である! そうだろう、皆の者!」
「おおっ!」
先ほどにも勝る大歓声が民衆から上がりました。その声に呼応して、門の内側にいたヴァンキッシュの方々も拳を振り、歓声を上げます。
「全員でヴァルガヌスのクソ野郎をぶっ飛ばすぞ!」
「アルフレイム様万歳! ヴァルガヌスはクソ食らえ!」
湧き上がる人々の中心で腕を組み仁王立ちするアルフレイム様の後ろ姿は実に堂々としていて、どこかバーン陛下を彷彿とさせるものでした。
「かつてヴァンキッシュ帝国の祖だった方々は、自らの心身を鍛えるためにあえて苛烈な環境であるこの場所に国を築いたと聞きましたが」
強い皇帝の下、誰もが戦士であり、国を脅かす邪悪な存在が現れれば自ら打倒せんと武器を手に取り戦う。何百年も経った今となっても、かつての鋼鉄のような強い意志と闘争心は、こうしてこの国に住む人々の魂に刻まれて、連綿と受け継がれているのでしょう。
それ故にヴァンキッシュ帝国の国民にはフランメ様のような、秩序を重んじて関わらせないようにするやり方よりも、アルフレイム様のような感情に訴えかけて闘争心を煽るやり方の方が正解なのでしょうね。
「はは……やはり兄上こそが皇帝にふさわしい。たとえ間に合わせだったとしても、私に王になれる器はなかったみたいだ」
歓声の中、消え入りそうな声でフランメ様がそうつぶやきました。その目はアルフレイム様の方を向いていて、まるで太陽を見上げているかのように、まぶしそうに細められています。
フランメ様……きっとこの国でなければ、名君になられる器を持ったお方だったのでしょう。
心中お察しいたしますわ。
「――どうやらうまくいったようだな」
声に振り向くと、いつの間にか私の背後に立っていたジュリアス様がしたり顔で頷いておりました。
「ごきげんよう、お寝坊ジュリアス様。遅れてきたくせに、何を訳知り顔をなさっているのですか?」
「随分な物言いだな。こちらは貴女がまだ幸せそうな寝息を立てている朝早くから、帝都に向かう紅天竜騎兵団の騎士達に指示を出していたというのに」
……民衆を扇動して味方につけるこの策。
アルフレイム様にしては随分と知恵の回ることをされるとは思っていましたが。
「……もしや帝都に情報を流布したというのはジュリアス様のお考えですか?」
「そういうことだ。元々はフランメ殿を奪還する際に用いようと思っていた策の一つだったが、殊の外うまくいったな。これ程の予備戦力が戦列に加わるとは嬉しい誤算だ」
髪をかき上げながらサラッと口走るジュリアス様。
もう、本当に何なのですかこのお方は。憎たらしいことこの上ない腹黒さと優秀さに呆れて、先日から抱いていた怒りが消え失せてしまいました。
「予備戦力ということは、主に戦うのは私達ということで良いのですね?」
「当然だ。やる気に満ち溢れているところ申し訳ないが、彼ら民衆の出番は基本的にない。まあ、これだけの国民がヴァルガヌスの悪事を知って反抗しているという威圧が主な仕事となるであろうよ」
現状向こう側についている兵の方々も、民衆が反抗しているということを知れば戦意を削がれることは間違いありません。皇宮に残っている少ない戦力を繋ぎとめるのに必死なヴァルガヌス様からしてみれば、相当に嫌らしく効果的な策といえるでしょう。
「それを聞いて安心致しました。それで、皇宮への突入はいつ頃の予定ですか?」
「聞くまでもない! 今、この時である!」
私達の会話に割り込むように、にゅっとアルフレイム様が顔を出します。
そして私の手を取ると、目を見開いて宣言しました。
「この高まりに高まった戦意の熱をわざわざ冷ます必要などあるだろうか? いや、ありはしない! 行くぞ皆の衆! 勝利の女神を抱きに行く! 我と狂犬姫の後に続け――」
「脳筋のくせに何勝手に指示を出そうとしてるんですか」
「おっふぅ⁉」
いつの間にか側に立っていたジン様が、槍の石突でアルフレイム様のお腹を突きます。吹っ飛んでうずくまり、悶絶するアルフレイム様。
そんな彼に、紅の四騎士の方々が駆け寄ってきます。
「あー。アル様が復活してるー。わーい」
「うおおお! 隊長の復帰で紅天竜騎兵団完全復活だあああ!」
「然り。それでこそ我らの隊長だ」
アルフレイム様は突かれた横腹を押さえながら痛そうに立ち上がると「おお!」と声を上げて笑顔で言いました。
「お前達、心配をかけたな! だがもう大丈夫だ! この通り、私は我が愛しのスカーレットの献身的な治療によりピンピンしておるぞ!」
「青い顔して何言ってんですか。それに心配などしていませんよ。あの程度で死ぬようであれば、紅天竜騎兵団の隊長は務まりませんので」
憎まれ口を言いながらもジン様のお顔には微笑が浮かんでおります。
アルフレイム様がお倒れになった時も皆様本気でショックを受けていらっしゃいましたし、雑な扱いに見えてもやはり主君としてしっかり慕っていらっしゃるのですね。
「――悪くないかもしれんな」
隣に立っていたジュリアス様が不意にポツリと、そんなことをつぶやきました。
悪くない? 一体何に対して言ってらっしゃるのでしょうか。
そんな私の疑問の表情が伝わったのでしょう。
ジュリアス様はこちらを見ながら言いました。
「このまま皇宮に攻め込むという案だ。これ程までに民衆の戦意が高揚しているならば、その余勢を駆って出るのも悪くあるまい」
その言葉に近くに立っていたレオお兄様とナナカが嫌そうな顔で「えっ」と濁った声を漏らします。私としてはすぐに鬱憤を晴らせそうで願ったり叶ったりですが――
「そんな行き当たりばったりな作戦で大丈夫なのですか?」
「ここまで来れば他にできることなどたかが知れている。相手に策を弄す時間を与えないという点においても今攻め込むことは理に適っているしな。それに――」
フッと微笑みながら、ジュリアス様は目を細めて私を見つめながら言いました。
「他の男に目移りされても困るからな。そろそろ我が姫のご機嫌を取って置かねばなるまい」
昨日私が言った言葉、そんなに気にしていたのですね。
だからと言って、こんな大勢の方がいる前でそのように意味深に取られることを言うなんて。
この腹黒王子、相変わらずデリカシーが欠けておりますわ。
「言わぬが花という言葉をご存じですか?」
「口に出さねば気づかぬ花が相手では仕方なかろう」
ああ言えばこう言う。このお方、本当に私に好かれる気がおありなのでしょうか?
「パリスタンの諸君!」
ジト目でジュリアス様を睨んで圧を掛けていると、アルフレイム様が四騎士の方々を引き連れてこちらに歩いてきます。
「これより皇宮に討ち入る! これが恐らく、我が国の内部で起こる最後の戦いとなろう。心の準備は良いか?」
腕を組み仁王立ちでそう問いてくるアルフレイム様に、ジュリアス様は涼し気なお顔で頷かれました。
「問題ない。丁度こちらも話がまとまったところだ」
それに対し、ナナカとレオお兄様が困惑した表情でつぶやきます。
「話がまとまった……?」
「何一つ我々は了解を取られていないのですが……?」
二人共、お可哀想に。本来ならジュリアス様に文句の一つや二つも拳と共にぶつけるところですが、時は一刻を争うとのことですからね。
不本意ではありますが、私も涙を呑んで。渋々。
皇宮への殴り込みに参加させていただきたいと思います。
「では同胞達よ! いざ、皇宮へ出撃――」
「――待ちやがれ」
アルフレイム様が号令を掛けようとしたその時でした。
宮の入口の方から、殿方の声が響いてきます。振り返るとそこには、イフリーテ様とヘカーテ様が立っておりました。
「……時間は取らせねえ。行く前に少しだけ俺の話を聞いていけ」
業火宮の宮内に戻った私達は、入口すぐの広間で足を止めました。
「話があるとのことだったが、アルフレイム殿と殴り合いをするならこの騒動が終わった後にしてもらえるか? あまり時間をかけてはこちらも面倒なことになるのでな」
先頭を歩いていたジュリアス様が振り返り、イフリーテ様に告げます。イフリーテ様はいつもの苛立った様子はどこへ行ったのか、落ち着いた表情で口を開きました。
「さっきも言ったが時間は取らせねえ。それに今はやる気はねえよ。ここは黒竜姫の膝元だからな」
イフリーテ様の隣でへカーテ様がそっぽを向きながらフンと鼻を鳴らします。
お二人がどういった関係なのかは分かりませんが、どうやらイフリーテ様はへカーテ様に頭が上がらないご様子でした。
元々イフリーテ様は飛竜に対して恩義を感じているようでしたし、その中でも長い時を生きるへカーテ様には特別な敬意を抱いていてもおかしくはありませんか。
なんにしろ、この場でまた内輪揉めを起こされて余計な時間を取られる心配はなさそうです。
「それで、お話とはなんでしょうか」
私の問いにイフリーテ様は少し逡巡した後、ゆっくり口を開きました。
「……バーン陛下に手をかけたのは俺だ」
その言葉に場が静まり返ります。
どう反応すればいいか分からない。そんな空気の中、アルフレイム様が怒気を漲らせた顔でイフリーテ様に歩み寄ります。
「貴様。今何と言った? 父上に手をかけた、だと?」
アルフレイム様の背後の空気が、怒りの感情に呼応するかの如く熱気を放ってゆらゆらと陽炎のように揺らめきます。
今にも詰所の時のように二人の激しい戦いが始まりそうな緊迫とした雰囲気に、周囲の皆様が巻き込まれてはたまらないと後ずさります。
そんな中、ヘカーテ様がアルフレイム様の前に歩み出て口を開きました。
「落ち着け。話には続きがある」
アルフレイム様とヘカーテ様の視線が交錯します。
五秒程そうしていたでしょうか。アルフレイム様が目を閉じると、纏っていた背後の熱気が収まります。本人も一時の感情でカッとしたことを自覚したのでしょう。
未だに強張った表情をしながらも、感情を抑えた低い声で言いました。
「……話を続けよ」
アルフレイム様の反応にイフリーテ様は特に感情を激することもなく一瞥だけすると、私達に視線を向けて淡々と話し始めました。
「陛下は次期皇帝にアルフレイムを選んだことをルクから聞いた。アルフレイムとの闘いを禁じられ、強さの証明すらもできずに、皇帝にもなれなくなった俺は自分の生きる意味を奪われた気がして……陛下を憎んだ」
アルフレイム様への執着は自分の強さを証明したいがためだったのですね。
確かに単純な戦力で言えば、バーン陛下を抜けばアルフレイム様はこの国で最強といえるでしょう。変身した状態のイフリーテ様も相当な強さを持っていましたが、それでも本気になったアルフレイム様には一歩及ばないと感じましたし。
「二日前の夜。ヴァルガヌスと共謀して皇帝の寝室に侵入した俺は、病で床に伏している陛下の無防備な胸に、剣を突き刺そうとした。だが、できなかった」
イフリーテ様が拳を握りしめてうつむきます。
「生き方を教えてもらった。その強さに憧れた。そもそも俺が皇帝を目指したのも最強の象徴だった陛下を乗り超えて、俺の存在証明をこの世界に刻みたかったからだ。その道を閉ざされたからといって、どうして恩人を殺すことができる?」
震える声で独白する彼の姿からは、確かな葛藤が見て取れました。
「だが剣を収めようとしたその時だった、俺の目の前に〝紫色の羽根〟が舞う幻覚が見えた」
――紫色の羽根の幻覚。
その言葉に思わずジュリアス様と顔を見合わせます。
「……ジュリアス様。テレネッツァ様は今どうしていらっしゃるのですか?」
「パリスタンの僻地にあたる開拓地で労働刑に処されている。それに今、あれは加護の力を失っているようでな。今回の件に関与しているとはさすがに考え難い」
色こそ違いますが羽根が舞う幻覚という光景は、女神パルミアの使徒であったテレネッツァさんが使っていた魅了の加護と同じものです。
一瞬あの方が逃げ出してまた暗躍しているのかと思いましたが、どうもそうではないようですわね。
テレネッツァさんが加護の力を失ったという言葉は引っかかりましたが、今はそれよりもイフリーテ様のお話を聞くのが優先です。
「その光景に目を奪われている内に、背後からヴァルガヌスの声が聞こえてきた。皇帝を殺せと。俺はその声に従うように、短剣を陛下の胸に……」
苦悶の表情を隠すように両手で顔を覆いながら、イフリーテ様がその場に膝をつきました。
「思えば今までも何度もそんなことがあった……俺の意思とは無関係に体が動いて……いや、俺自身の意思が元からそうだったかのように思い込まされていた。そうでなけりゃ誰がヴァルガヌスみたいなクソ野郎と手を組むかよ……クソが!」
イフリーテ様が両手でドン! と床を叩きます。その姿を見てヘカーテ様が哀れな者を見るかのような目でイフリーテ様を見下ろしながら口を開きました。
「こやつが言っていることは本当じゃ。寝ている間に調べた結果、身体に何者かの強力な魔力の残滓があった。洗脳か催眠か、なにかしらの魔術的干渉を日常的に受けていたのであろう」
もしイフリーテ様の話が本当で、ヴァルガヌス様かその手の者によって魅了の加護のような力で操られていたとすれば。
テレネッツァさんの時のように、他にも誰か身近な方が誰か操られているかもしれません。
これは面倒なことになりましたわね。
「力を解放して竜人化した時、頭ん中に靄みてえに纏わりついてた魔力が一気に晴れた気がした。その時に、ようやく分かったんだ。何よりもまず真っ先にブチ殺さないといけねえヤツがいるってな」
イフリーテ様は立ち上がると広間の入口の方に歩いて行きます。
アルフレイム様は横を通り過ぎようとしていくイフリーテ様に目を細めて言いました。
「……父上の件は不問に処す。だが操られたのも貴様の弱さだ。それを忘れるでないぞ」
「テメエに言われなくても分かってんだよそんなことは」
肉と骨が軋む音を立てながら、イフリーテ様の姿が竜人のように変化していきます。
「――俺を一番許せねえのは俺自身だ。ヴァルガヌスは俺が殺す」
そう言って、イフリーテ様は宮から出て行かれました。
陛下が実は暗殺されていて、イフリーテ様が操られていたという衝撃の事実に皆様が騒然とする中。私はふと一つの疑問を口にします。
「イフリーテ様……どうして話してくれたのでしょう。私達に真相を伝えるメリットなど何もないでしょうに」
「多分、詰所で倒れた後にボク達が助けたから、その借りを返したつもりなんじゃないかなー」
イフリーテ様が去っていった方を見つめながらレックスが答えます。
「アイツ、ああ見えて義理堅いんだよ。飛竜に拾って育ててもらったことにずっと恩義を感じてるくらいだし。態度が悪すぎて気づかれないけどさ」
確かに操られていたことを差し引けば、飛竜への接し方を見ていても、口は少々悪いですが見た目程悪い方ではないのかもしれません。
アルフレイム様が憎まれているのは……まあ、あのお方のことですから、無意識にイフリーテ様のプライドを煽るようなことでもしたのでしょう。空気の読めない男ですしね。
「それでどうするのですかジュリアス様。この後は」
顎の先を指先でつまんで何事かを思案していたジュリアス様は、私の問いにこちらを振り向いて言いました。
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