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4巻
4-3
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「僕はスカーレットの執事だからついていく義務があるんだ! あと、ジンからここに入っても良いって許可ももらってる! っていうか、いつまでくっついてんだ! 離れろ!」
「あは、嫉妬してるんだ? 人間になったボクに自分の居場所取られちゃうーって。ごめんね、かわいくてさ?」
「こ、この……っ! スカーレット! こいつめちゃくちゃ性格悪いぞ!」
「はいはい。二人とも、喧嘩はめっですわ。仲良くしてください。ね?」
「「嫌だ!」」
ぷいっとお互いから顔を背けるレックスとナナカ。
微笑ましいですわね。喧嘩する程仲が良いとはこのことですか。
「レックス。先程病気、と言っておりましたが、どなたかに貴方の低地病の話を聞いたのですか?」
「うん。ついさっきヘカーテ様とすれ違った時に聞いたよ。最近調子悪いなーとは思ってたんだけど、まさかパリスタンの気候が合わなかったからだったなんてね。お家の庭で倒れた時は怖かったよ。ボクどうなっちゃうんだろうって。でもさ――」
レックスは眉根を下げ、少し寂しそうに微笑みました。
「そのおかげで人化できて、マスターとこうやって人間としてお話できるようになれたんだ。だから病気になったのも悪いことだけじゃなかったのかもって思ってるよ……もう、ヴァンディミオンのお家に帰れなくなったとしてもさ」
「あら、家出でもするつもりですか? お家に好物のりんごをたくさん用意してありますのに」
「……え?」
困惑するレックスに微笑みながら、頭を撫でてあげます。
「帰る時は一緒です。我が家にやってきたその時から、もう貴方は私の大切な家族ですもの。必ず貴方の病気を治す方法を見つけますわ。だからそんなに寂しそうな顔をしないでくださいな」
「……っ! うん……っ!」
顔を上げたレックスがにへっと嬉しそうに微笑みました。私に迷惑をかけないようにここに残るつもりだったのですね。
こんなにも気づかいができる良い子を、空気の読めない脳筋皇子や戦闘狂の侍女が集団で襲い掛かってくる野蛮な国に残していくなんて、絶対にあってはならないことですわ。
「ナナカも、一緒に見つけてくれますね?」
「……こいつがいなくなったら張り合いがなくなるしな。スカーレットが見つけるっていうなら僕も――」
「ナナカー!」
「うわっ!? 抱き着くな! 暑苦しい!」
「いつも意地悪なことしてごめんね、ナナカ! 大好きだよー!」
さて、二人が仲直りしたところで。とりあえず部屋に入って落ち着きながら、今後のことを考えましょうか。
「あ、ちょっと待って!」
「おい! だから一々誰かに抱き着こうとするな、こら!」
レックスが私に抱き着こうとしてナナカに止められながら、懐から三枚の封筒を取り出しました。
「これは……?」
「ここに来るまでにもらったんだ。スカーレットに渡せってさ。あ、ちなみに三枚とも違う主の従者からだったよ」
レックスから受け取った封筒を確認します。三枚の内、二枚にはヴァンキッシュの皇族を表す封蝋がしてありました。
その内の一枚は……はい。これは見なくても中身が分かりますわね。
「ナナカ、処分しておいてください」
「なんで僕が……ん? 『愛しの我が花嫁へ』って、ああこれはアルフレイムの……」
私から手紙を受け取ったナナカが一応封を開いて中身を確認しています。
うんざりしている表情から察するに、いつもと変わらない駄文でしょう。
読んでも時間の無駄ですし、捨ておいても問題ありませんね。
というか自分の宮殿にいる私に、なぜわざわざ手紙を送っているのですかあの方は。本当におバカさんですわ。
「次の手紙は……フランメ様からですか」
その手紙には今日の夕暮れ時、パリスタンから来た客人の方々を歓迎する晩餐会を開くので招待したいとの旨が書かれておりました。
パリスタンから来た、ということはジュリアス様達もご一緒されるのでしょう。
フランメ様のお人柄であれば、そういった歓迎の催しをされるのも不自然なことではありませんわね。後程、うかがわせていただきましょう。
「さて、最後の一枚ですが――」
皇族の封蝋こそないものの、その封筒は両面に竜の刺繍が入ったみるからに高価で上質な物でした。この国で出会った方の中で、このような物を送ってきそうな皇族ではないお方といえばおそらく――
「――はぁ~……」
中身を読んだ私はうつむき、深く息を吐きながら最後の手紙を握りつぶします。
そんな私を見たレックスが見てはいけないものを見てしまったとばかりに「うわあ」と声を上げました。
「ねえナナカ、マスターめちゃくちゃ怒ってるよ。あの手紙何が書いてあったんだろ」
「……いや、あれは怒ってるんじゃない」
「えっ?」
『撲殺姫、私の下へ来れば貴女の望むものを与えましょう。アルフレイム様でもフランメ様でもなく、私だけが貴女の欲求を満たすことができる。そう確信しております』
……そうきましたか。面白いですわね。
先程出会ったばかりの貴方がこの私に、一体どんなものを与えてくれるというのでしょうか。
あのお方に興味はありませんでしたが、一度お会いしてみたくなりました。
「行きますよ、二人共。手紙の主――ヴァルガヌス様の元へ」
第二章 貴方達の態度が気に入りません。
「ここがヴァルガヌス様のいらっしゃる宮殿、紫焔宮ですか」
宮殿を取り囲む高さ四メートルにも及ぶ石の壁。壁の中央にある入口の門は、見るからに頑丈そうな分厚い鋼鉄製。
門の左右には槍を持つ巨漢の衛兵が立ち、周囲に睨みを利かせています。
「物々しいっていうか……アルフレイムがいたところとは正反対だな」
隣に立つナナカが緊張した面持ちでそう言いました。確かに業火宮のものとは違い、こちらは中々に突破しがいがありそうな門ですわね。
「本来なら皇族の方が住まう住居にこそこれくらいの厳重さが必要なのですけどね」
「ヘカーテの結界があるとはいえ、もう少しなんとかした方がいいよなあれは……」
ナナカがため息交じりにそう言うと、追随するようにレックスが口を開きました。
「大丈夫でしょ。あの馬鹿皇子なら。襲われても死ぬようなたまじゃないし」
そっぽを向くその顔は、見るからに不機嫌そうです。余程アルフレイム様のことが嫌いなのでしょう。ナナカも同じ意見だったのか、苦笑しながら言いました。
「よっぽど嫌いなんだな、アルフレイムのこと」
「だいっきらい! 顔も見たくないよ! ふん!」
他国に置いて行かれた上に、勝手に自分を譲渡されたともなれば、怒りたくもなりますわよね。
アルフレイム様の自業自得ですわ――と、そんな話をしていますと。
衛兵の方々が門の向こう側である宮の中に向かって声をかけました。
「客人だ。門を開け」
重々しい音を立てながら鉄の門が内側に向かって開きます。
私達が歩み寄ると、衛兵の方々は道を開けるように左右に退きました。
会釈をしながら門を通り過ぎると、背後で再び大きな音を立てながら門が閉まります。
「何事もなく通れてしまいましたね」
「なんで少し残念そうなんだよ……」
そんな残念だなんて。安心して少しだけ緊張が緩んだだけですわ。
「それはそうと――」
紫色の屋根をした豪奢な宮殿の手前。石畳が敷かれた庭に視線を移します。
「まあ不思議。門の先はファルコニアに通じていたのかしら」
そこには鳥や獅子、または鹿の頭に人間の身体を持つ十人程の亜人族の方々が、至るところに立っておりました。
大柄で屈強な肉体に軽装の皮鎧を纏った彼らは、腰や背に剣や槍を差して武装しています。
そして彼らの傍には鷲の頭に獣の身体をした全長四メートルにも及ぶ鳥獣――グリフォンの姿もありました。
「うえー、獣くさーい。そういうのはナナカ一人で十分だよ」
「僕は臭くない! って、そんなことはどうでもいい! あの鎧に刻まれた紋章を見ろ」
ナナカが緊張した面持ちで亜人の方々に視線を向けます。
「翼を持つ三頭の獣の紋章。間違いない……あいつら〝蒼天翼獣騎兵団〟だ」
――蒼天翼獣騎兵団。
ヴァンキッシュの紅天竜騎兵団と並び、大陸屈指の空戦部隊と名高い、亜人の方々で構成されたファルコニアの騎士団の名でしたか。
普通の騎士団とは違い、格式の高さよりも、戦いに飢えた野性味溢れる空気を感じましたが、それならば納得ですわね。
「ファルコニアの騎士団の方々がなぜヴァルガヌス様の宮殿にいらっしゃるのでしょう。確かヴァンキッシュはファルコニアとも敵対関係にあったと記憶していますが」
「僕達がアルフレイムに協力しているみたいに、あいつらもヴァルガヌスを皇帝にするために同盟を組んでいるとか……? どうなんだレックス」
「ボクが知ってるわけないじゃん。最近までずっとパリスタンにいたんだから。少なくともボクがいた頃のヴァンキッシュにはあんなやつらいなかったよ」
そんな風に三人で話していますと、騎士団の紋章をつけた鹿と熊と獅子の顔をした三人組の亜人族の方々が、私達に向かって近づいてきました。その中の一人、獅子の方はナナカを見ると、明らかに見下したような表情で大きな口を開きます。
「おいお前。なんで獣人が人間の貴族なんかと一緒にいるんだ?」
「……ここにいるお前達だって人のことは言えないだろ」
ナナカの返答に残りの二人の亜人の方が、口元をゆがめて嘲りの表情を浮かべました。
「俺達は客人として招かれた。あくまで対等な関係だ。だがお前はどうだ。その服装、まるで人間の召使いではないか」
「一族の大半が人間に捕まって奴隷になるようなマヌケな獣人族には、お似合いかもしれないがな」
周囲の亜人の方々の中から「違いねえや!」と声が響いてきたかと思うと、一斉に笑いが起こります。
ナナカは何も言い返せないようで、うつむいて悔しそうに拳を震わせておりました。そんなナナカを見たレックスは、不機嫌そうに顔をゆがめながら手の指をわきわきと開閉させます。
「何こいつら。感じ悪。やっちゃう?」
私はと言いますと、おもむろに懐から手袋を取り出し拳に装着。
「殺ってしまいましょう。幸い分厚い門と壁に遮られて外には分かりませんし」
「お、おい! やめろ! 僕は別に気にしてないから――」
慌てた様子でナナカが私達を止めようと声をあげます。
優しいですね、ナナカは。そんな子を寄ってたかって笑い者にしたお猿さん達には、しっかりとこの拳でお灸をすえてあげましょう。
「――それくらいにしておきなさい」
その時、低く威圧感のある男性の声が宮殿の方から響いてきました。
視線を向けると、そこには簡素な黒いローブを羽織った、背の高い黒髪の殿方が立っています。
長い耳に整った顔立ち、それに褐色の肌――ダークエルフの方でしょうか。
文献で見たことはありましたが、実際にダークエルフの方とお会いするのは初めてです。
「……ファルコニアの外交官ケセウス・イーストウッドだ。あいつまでいるなんて、ますますきな臭いな」
興味津々の私の傍らで、ナナカが眉根をひそめてそう言いました。
ファルコニアの外交官の方がここにいる、ということは――
「ナナカが先程言っていた、ヴァルガヌス様とファルコニアが協力関係にあるという可能性が、さらに高まりましたね」
ケセウス様がこちらに歩み寄ってくると、私達に絡んでいた三人の亜人の方々が黙り込んで道を開けます。
彼は私達の前で立ち止まると、無表情のまま会釈をしました。
「部下が失礼しました。ヴァルガヌス殿がお待ちです。こちらへ」
それだけ言うとケセウス様は私達から背を向けて、宮殿の方へと歩きだします。
「……腹の底が読めないヤツらだ。油断せずに行こう」
「ちぇっ。人間の姿で暴れてみたかったんだけどお預けかー」
ナナカとレックスがケセウス様の後を追って歩いていきます。さて、私も参るとしましょうか。
「――と、その前に」
私達に絡んできた三人組に視線を向けます。ケセウス様がいなくなったからでしょう。
離れた場所に立っている彼らの顔には、再び私達を馬鹿にするような嘲りが浮かんでおりました。
「あれ程分かりやすく挑発してやったのに向かってこないとはな。とんだ腰抜け共だ」
「所詮は脆弱な女子供よ。平静に振る舞ってはいたが、内心では我らに震えあがっていたのではないか?」
声を潜めることもせずにこれみよがしな罵倒の数々。
あれも私に聞こえるようにわざと言っているのでしょう。
「……本来なら物理的に表情を変えて差し上げるところですが」
会談前から問題を起こすわけにはいきませんからね。レオお兄様の胃にも良くないですし。なので――
「これで勘弁して差し上げましょう」
握り込んだ拳を彼らに向かって軽くシュッシュッと振ってから、宮殿の方へと歩き出します。
何をされたのか分かっていない彼らは不思議そうに私を見ていました。
「次にお会いする時は、私の手が滑らないように祈っておいてくださいな」
少し歩くと背後から驚きの声が響いてきます。
「な、なんだ!? 俺の首飾りが突然粉々に!?」
「まさか、あの人間の女か……?」
「先程手を振った時か……? 一体どうやって……」
「まさか拳圧で破壊したとでもいうのか!?」
「……あの女、タダ者ではないぞ」
彼らの会話を無視して宮殿の入口までたどり着くと、前を歩いていたレックスが騒ぎだした三人組の方を見て不思議そうに首を傾げました。
「アイツらなんか慌ててるみたいだけど、何かあったのかな?」
ナナカがジトっとした半目で私を見ます。
「……またやったな?」
「何のことでしょう。私はただ、目の前で飛び回るうるさい羽虫を静かにさせただけですわ」
宮殿内に入った私達は、一言も口を開かないケセウス様先導の下、長い廊下をひたすらに歩いて行きます。
廊下には常に兵士達が巡回していて、私達とすれ違う度、威圧するように睨みつけてきました。
それが気に食わないのか、レックスは彼らと遭遇する度「グルル……」と喉を鳴らして威嚇していました。
ナナカは冷静に「突然襲ってこないだけ業火宮の連中よりマシだ」と言っていましたが、私からすれば客人に対して無礼極まりない態度であることは双方変わらないので、正直どっちもどっち。無礼両成敗でブン殴り、スカッとしたいと申し上げておきます。
「……こちらへ」
一本道になっている廊下の最奥。紫色のドアの前で立ち止まったケセウス様が、横に退いて私達に前を譲ります。
会釈をしながら前に出ると、ドアはゆっくりと内側に開きました。
おそらくは応接室であろうその部屋には、金の刺繍が入った紫色の絨毯が床一面に敷かれていて、壁には軍旗が飾られています。
また部屋の奥には横長の机と椅子が置かれていて、そこには――
「ようこそおいで下さいました、スカーレット嬢。いえ、救国の鉄拳姫とお呼びした方がよろしいかな?」
紫焔宮の主、ヴァルガヌス様が微笑を浮かべながら座していました。
不名誉な二つ名呼びに思わずピクッと拳が反応しかけますが、それよりも先に私はヴァルガヌス様の両脇に立つ二人の殿方――その内の右手にいる方に視線を奪われます。
そしてそれはナナカも同じだったのでしょう。私の隣で目を見開いたナナカが、驚きの表情で叫びました。
「ドノヴァン!? なんでアイツがここに!?」
二メートル以上にも及ぶ長身に、皮鎧を纏った鍛えられた肉体。
黒く濃い体毛と、獣のように獰猛な顔つきの彼に、私とナナカは見覚えがありました。
奴隷オークションに潜入する際のツテとして利用したザザーラン伯爵。
彼の下で奴隷の管理役として働いていた方、ドノヴァンさんですわ。
「奴隷オークション摘発の際にシグルド様に倒され、監獄に収監されたとお聞きしましたが……なぜここにドノヴァンさんがいらっしゃるのでしょう」
困惑する私達を見て、ドノヴァンさんらしき方はニヤリと笑いました。
「お前が噂の狂犬姫か。俺の名はガンダルフ。パリスタンでは双子の弟が世話になったみてえだな」
その言葉にナナカが納得したようにうなずきます。
「……あいつの双子の兄貴か。道理で似ているわけだ」
確かによく似ています。ですが、よく見るとこのお方は巨漢だったドノヴァンさんよりもさらに一回り身体が大きく。
そしてあの方には感じなかった、戦いによって鍛え上げられた強者特有の余裕のようなものを感じました。
「あまり拳殴欲がそそられないお肉ですわね」
ヴァルガヌス様の左手側に立つもう一人の殿方に視線を向けます。
一九〇センチはあろうかという長身に、無駄が削ぎ落とされて研ぎ澄まされた肉体。
背中に生えた鳥類を思わせる身長と同じ程の大きさの翼は、彼が有翼人であることを示していました。
「……」
黙したまま目を閉じ、腕を組んでいる彼とガンダルフさん。
お二方共、おそらくは以前戦った異端審問官の方々を優に超えた力を持っていることでしょう。
敵になるとしたら、面倒なお肉になりそうですわね。
「彼らが気になりますか? 撲殺姫」
私の考えを見透かすように、ヴァルガヌス様が声をかけてきます。
私は内心の苛立ちを抑えながら、首を横に振って答えました。
「余計な前置きは結構です。それにその名で呼ばれるのはあまり好きではありませんので」
「これは失礼を。本題に入る前に少しでも気を緩めていただけたらと思ったのですが、余計な気遣いだったようですね」
おどけたようにわざとらしい反応をするヴァルガヌス様。
段々と殴り甲斐がありそうなお肉に仕上がってきました。
「それならば一つ、素朴な疑問に答えていただいてもよろしいかしら?」
「どうぞ私に答えられることであればなんなりと」
「なぜこの宮殿のいたるところにファルコニアの方々がいらっしゃるのでしょう」
私の質問に、ヴァルガヌス様は予想していたとばかりに淀みなく答えます。
「それは貴女方と同じ理由ですよ。彼らは私が皇帝になるために力を貸してくれている協力者です。ああ、勘違いしないでください。ファルコニア自体と同盟を結んでいるわけではありませんよ。協力していただいているのはここにいる彼らのみです」
ナナカが「やっぱりな」と小さくつぶやきます。概ね予想していた通りの展開ですわね。
「ヴァルガヌス様はヴァンキッシュの全軍を統括しているとお聞きしました。それだけの戦力があってなお、ファルコニアの方々を引き入れる理由はなんですか?」
「私に指揮権が委ねられている軍はあくまで皇帝陛下から預かっているもの。それを個人的な勢力争いに用いることはできません」
ヴァルガヌス様がわざとらしくため息をつきます。そして――
「このままでは武力に劣る私は後継者争いの舞台に立つことすらかなわないでしょう。そのことを友人であるケセウス殿に相談したところ――」
フッと口元に笑みを浮かべて言いました。
「彼は快く、蒼天翼獣騎兵団を退団して力を持て余していた騎士達を、私の剣として連れてきてくれたというわけです」
その言葉にケセウス様がわずかに眉をひそめます。
この反応……ケセウス様はヴァルガヌス様との同盟関係を快く思っていないのでしょうか。
私達にしてもアルフレイム様と結んだ同盟関係に対して、全面的に同意しているわけではありませんし、彼らも同じような問題を抱えているのかもしれませんね。
「蒼天翼獣騎兵団を退団した騎士達だって……?」
ナナカのつぶやきに、ヴァルガヌス様がうなずきます。
「ええ。ですが辞めたとはいえ、腕は確かですよ。特にここにいる有翼人の彼――フェザーク殿は元々蒼天翼獣騎兵団で団長を務めていた程の豪の者です」
腕を組み、黙したままのフェザーク様は、じっとこちらを見ていました。
私達がどれ程戦えるのか、値踏みするかのような鋭い猛禽類のような目で。
「そしてもう一人の彼、ガンダルフはフェザーク殿の腹心で副団長を務めていた男です。彼らをもってすれば我が国ヴァンキッシュの最強戦力である紅天竜騎兵団とも互角に渡り合うことができるでしょう。しかし――」
懐から手紙を取り出して目の前にかざします。中身はもちろん、私宛に届いていたここへの招待状です。
「単独で一軍にも匹敵するアルフレイム様を相手にした場合、それでも戦力に不安が残る。このような手紙を送り、私をご自分の陣営に引き込もうとしている理由は、あのお方への対抗策としてですか?」
「ご名答です。以前アルフレイム殿下を投げ飛ばした女傑がいると聞いた時は眉唾だと疑っておりましたが、その後に伝え聞いた数々の逸話。そして、実際に貴女を目の当たりにした今、その力を疑う余地はないでしょう」
ヴァルガヌス様はこちらに向かって手の平を差し出すと、ついに私をこちらに呼んだ理由を口にしました。
「単刀直入に言います。スカーレット嬢。アルフレイム殿下を裏切り、私の協力者になっていただけませんか?」
あまりにあけすけに放たれたその言葉に、ナナカが声を荒らげます。
「ふざけるな! スカーレットがそんな話を飲むはずが――」
「このお手紙に書いてありましたね。自分だけが貴女の望むものを与えることができると。それはなんですか?」
「スカーレット!?」
平然とそう答える私にナナカが驚きの表情でこちらを見ました。
そんな私達の反応を見て、ヴァルガヌス様がクッと笑みを漏らします。
「貴女がどのような人間か、色々と調べさせてもらいました。一見、弱きを守り、悪を挫く正義の方に見えるでしょう。ですがその本質はまるで逆――」
ヴァルガヌス様が両手を広げて、声高らかに叫びます。
「貴女は暴力を振るうのが楽しくて仕方がないのです! しかしそのような常軌を逸した性癖が周囲に知られては家の名を落とすことになる! それ故に、殴っても後ろ指をさされない悪人だけを標的にしていた! 違いますか?」
「……さあ、何のことでしょう」
首を傾げてそう答えると、ヴァルガヌス様はそれを肯定と受け取ったのか、さらに言葉を続けます。
「しかしその悪人も、国内の情勢が安定したことによりいなくなってしまった。正直、溜まっているのではないですか? 暴力を振るうことができない鬱憤が」
ピクッとうずく左手を背中に回し、右手で抑え込みます。
鬱憤? ええ、溜まっていますとも。この国に来てからはその気持ちが大きくなる一方です。
「私が皇帝となった暁には、貴女がヴァンキッシュ国内で自由に暴力が振るえるように働きかけましょう。もちろん罰せられることもなければ、その事実すらも発覚することはありません。どうです? 今の貴女にとっては金や名誉よりも、よほど価値ある対価なのではありませんか?」
考えを悟られないように顔を伏せます。ヴァンキッシュに来る以前、確かに私は望んでおりました。合法的に悪人を殴れるような舞台を。
「あは、嫉妬してるんだ? 人間になったボクに自分の居場所取られちゃうーって。ごめんね、かわいくてさ?」
「こ、この……っ! スカーレット! こいつめちゃくちゃ性格悪いぞ!」
「はいはい。二人とも、喧嘩はめっですわ。仲良くしてください。ね?」
「「嫌だ!」」
ぷいっとお互いから顔を背けるレックスとナナカ。
微笑ましいですわね。喧嘩する程仲が良いとはこのことですか。
「レックス。先程病気、と言っておりましたが、どなたかに貴方の低地病の話を聞いたのですか?」
「うん。ついさっきヘカーテ様とすれ違った時に聞いたよ。最近調子悪いなーとは思ってたんだけど、まさかパリスタンの気候が合わなかったからだったなんてね。お家の庭で倒れた時は怖かったよ。ボクどうなっちゃうんだろうって。でもさ――」
レックスは眉根を下げ、少し寂しそうに微笑みました。
「そのおかげで人化できて、マスターとこうやって人間としてお話できるようになれたんだ。だから病気になったのも悪いことだけじゃなかったのかもって思ってるよ……もう、ヴァンディミオンのお家に帰れなくなったとしてもさ」
「あら、家出でもするつもりですか? お家に好物のりんごをたくさん用意してありますのに」
「……え?」
困惑するレックスに微笑みながら、頭を撫でてあげます。
「帰る時は一緒です。我が家にやってきたその時から、もう貴方は私の大切な家族ですもの。必ず貴方の病気を治す方法を見つけますわ。だからそんなに寂しそうな顔をしないでくださいな」
「……っ! うん……っ!」
顔を上げたレックスがにへっと嬉しそうに微笑みました。私に迷惑をかけないようにここに残るつもりだったのですね。
こんなにも気づかいができる良い子を、空気の読めない脳筋皇子や戦闘狂の侍女が集団で襲い掛かってくる野蛮な国に残していくなんて、絶対にあってはならないことですわ。
「ナナカも、一緒に見つけてくれますね?」
「……こいつがいなくなったら張り合いがなくなるしな。スカーレットが見つけるっていうなら僕も――」
「ナナカー!」
「うわっ!? 抱き着くな! 暑苦しい!」
「いつも意地悪なことしてごめんね、ナナカ! 大好きだよー!」
さて、二人が仲直りしたところで。とりあえず部屋に入って落ち着きながら、今後のことを考えましょうか。
「あ、ちょっと待って!」
「おい! だから一々誰かに抱き着こうとするな、こら!」
レックスが私に抱き着こうとしてナナカに止められながら、懐から三枚の封筒を取り出しました。
「これは……?」
「ここに来るまでにもらったんだ。スカーレットに渡せってさ。あ、ちなみに三枚とも違う主の従者からだったよ」
レックスから受け取った封筒を確認します。三枚の内、二枚にはヴァンキッシュの皇族を表す封蝋がしてありました。
その内の一枚は……はい。これは見なくても中身が分かりますわね。
「ナナカ、処分しておいてください」
「なんで僕が……ん? 『愛しの我が花嫁へ』って、ああこれはアルフレイムの……」
私から手紙を受け取ったナナカが一応封を開いて中身を確認しています。
うんざりしている表情から察するに、いつもと変わらない駄文でしょう。
読んでも時間の無駄ですし、捨ておいても問題ありませんね。
というか自分の宮殿にいる私に、なぜわざわざ手紙を送っているのですかあの方は。本当におバカさんですわ。
「次の手紙は……フランメ様からですか」
その手紙には今日の夕暮れ時、パリスタンから来た客人の方々を歓迎する晩餐会を開くので招待したいとの旨が書かれておりました。
パリスタンから来た、ということはジュリアス様達もご一緒されるのでしょう。
フランメ様のお人柄であれば、そういった歓迎の催しをされるのも不自然なことではありませんわね。後程、うかがわせていただきましょう。
「さて、最後の一枚ですが――」
皇族の封蝋こそないものの、その封筒は両面に竜の刺繍が入ったみるからに高価で上質な物でした。この国で出会った方の中で、このような物を送ってきそうな皇族ではないお方といえばおそらく――
「――はぁ~……」
中身を読んだ私はうつむき、深く息を吐きながら最後の手紙を握りつぶします。
そんな私を見たレックスが見てはいけないものを見てしまったとばかりに「うわあ」と声を上げました。
「ねえナナカ、マスターめちゃくちゃ怒ってるよ。あの手紙何が書いてあったんだろ」
「……いや、あれは怒ってるんじゃない」
「えっ?」
『撲殺姫、私の下へ来れば貴女の望むものを与えましょう。アルフレイム様でもフランメ様でもなく、私だけが貴女の欲求を満たすことができる。そう確信しております』
……そうきましたか。面白いですわね。
先程出会ったばかりの貴方がこの私に、一体どんなものを与えてくれるというのでしょうか。
あのお方に興味はありませんでしたが、一度お会いしてみたくなりました。
「行きますよ、二人共。手紙の主――ヴァルガヌス様の元へ」
第二章 貴方達の態度が気に入りません。
「ここがヴァルガヌス様のいらっしゃる宮殿、紫焔宮ですか」
宮殿を取り囲む高さ四メートルにも及ぶ石の壁。壁の中央にある入口の門は、見るからに頑丈そうな分厚い鋼鉄製。
門の左右には槍を持つ巨漢の衛兵が立ち、周囲に睨みを利かせています。
「物々しいっていうか……アルフレイムがいたところとは正反対だな」
隣に立つナナカが緊張した面持ちでそう言いました。確かに業火宮のものとは違い、こちらは中々に突破しがいがありそうな門ですわね。
「本来なら皇族の方が住まう住居にこそこれくらいの厳重さが必要なのですけどね」
「ヘカーテの結界があるとはいえ、もう少しなんとかした方がいいよなあれは……」
ナナカがため息交じりにそう言うと、追随するようにレックスが口を開きました。
「大丈夫でしょ。あの馬鹿皇子なら。襲われても死ぬようなたまじゃないし」
そっぽを向くその顔は、見るからに不機嫌そうです。余程アルフレイム様のことが嫌いなのでしょう。ナナカも同じ意見だったのか、苦笑しながら言いました。
「よっぽど嫌いなんだな、アルフレイムのこと」
「だいっきらい! 顔も見たくないよ! ふん!」
他国に置いて行かれた上に、勝手に自分を譲渡されたともなれば、怒りたくもなりますわよね。
アルフレイム様の自業自得ですわ――と、そんな話をしていますと。
衛兵の方々が門の向こう側である宮の中に向かって声をかけました。
「客人だ。門を開け」
重々しい音を立てながら鉄の門が内側に向かって開きます。
私達が歩み寄ると、衛兵の方々は道を開けるように左右に退きました。
会釈をしながら門を通り過ぎると、背後で再び大きな音を立てながら門が閉まります。
「何事もなく通れてしまいましたね」
「なんで少し残念そうなんだよ……」
そんな残念だなんて。安心して少しだけ緊張が緩んだだけですわ。
「それはそうと――」
紫色の屋根をした豪奢な宮殿の手前。石畳が敷かれた庭に視線を移します。
「まあ不思議。門の先はファルコニアに通じていたのかしら」
そこには鳥や獅子、または鹿の頭に人間の身体を持つ十人程の亜人族の方々が、至るところに立っておりました。
大柄で屈強な肉体に軽装の皮鎧を纏った彼らは、腰や背に剣や槍を差して武装しています。
そして彼らの傍には鷲の頭に獣の身体をした全長四メートルにも及ぶ鳥獣――グリフォンの姿もありました。
「うえー、獣くさーい。そういうのはナナカ一人で十分だよ」
「僕は臭くない! って、そんなことはどうでもいい! あの鎧に刻まれた紋章を見ろ」
ナナカが緊張した面持ちで亜人の方々に視線を向けます。
「翼を持つ三頭の獣の紋章。間違いない……あいつら〝蒼天翼獣騎兵団〟だ」
――蒼天翼獣騎兵団。
ヴァンキッシュの紅天竜騎兵団と並び、大陸屈指の空戦部隊と名高い、亜人の方々で構成されたファルコニアの騎士団の名でしたか。
普通の騎士団とは違い、格式の高さよりも、戦いに飢えた野性味溢れる空気を感じましたが、それならば納得ですわね。
「ファルコニアの騎士団の方々がなぜヴァルガヌス様の宮殿にいらっしゃるのでしょう。確かヴァンキッシュはファルコニアとも敵対関係にあったと記憶していますが」
「僕達がアルフレイムに協力しているみたいに、あいつらもヴァルガヌスを皇帝にするために同盟を組んでいるとか……? どうなんだレックス」
「ボクが知ってるわけないじゃん。最近までずっとパリスタンにいたんだから。少なくともボクがいた頃のヴァンキッシュにはあんなやつらいなかったよ」
そんな風に三人で話していますと、騎士団の紋章をつけた鹿と熊と獅子の顔をした三人組の亜人族の方々が、私達に向かって近づいてきました。その中の一人、獅子の方はナナカを見ると、明らかに見下したような表情で大きな口を開きます。
「おいお前。なんで獣人が人間の貴族なんかと一緒にいるんだ?」
「……ここにいるお前達だって人のことは言えないだろ」
ナナカの返答に残りの二人の亜人の方が、口元をゆがめて嘲りの表情を浮かべました。
「俺達は客人として招かれた。あくまで対等な関係だ。だがお前はどうだ。その服装、まるで人間の召使いではないか」
「一族の大半が人間に捕まって奴隷になるようなマヌケな獣人族には、お似合いかもしれないがな」
周囲の亜人の方々の中から「違いねえや!」と声が響いてきたかと思うと、一斉に笑いが起こります。
ナナカは何も言い返せないようで、うつむいて悔しそうに拳を震わせておりました。そんなナナカを見たレックスは、不機嫌そうに顔をゆがめながら手の指をわきわきと開閉させます。
「何こいつら。感じ悪。やっちゃう?」
私はと言いますと、おもむろに懐から手袋を取り出し拳に装着。
「殺ってしまいましょう。幸い分厚い門と壁に遮られて外には分かりませんし」
「お、おい! やめろ! 僕は別に気にしてないから――」
慌てた様子でナナカが私達を止めようと声をあげます。
優しいですね、ナナカは。そんな子を寄ってたかって笑い者にしたお猿さん達には、しっかりとこの拳でお灸をすえてあげましょう。
「――それくらいにしておきなさい」
その時、低く威圧感のある男性の声が宮殿の方から響いてきました。
視線を向けると、そこには簡素な黒いローブを羽織った、背の高い黒髪の殿方が立っています。
長い耳に整った顔立ち、それに褐色の肌――ダークエルフの方でしょうか。
文献で見たことはありましたが、実際にダークエルフの方とお会いするのは初めてです。
「……ファルコニアの外交官ケセウス・イーストウッドだ。あいつまでいるなんて、ますますきな臭いな」
興味津々の私の傍らで、ナナカが眉根をひそめてそう言いました。
ファルコニアの外交官の方がここにいる、ということは――
「ナナカが先程言っていた、ヴァルガヌス様とファルコニアが協力関係にあるという可能性が、さらに高まりましたね」
ケセウス様がこちらに歩み寄ってくると、私達に絡んでいた三人の亜人の方々が黙り込んで道を開けます。
彼は私達の前で立ち止まると、無表情のまま会釈をしました。
「部下が失礼しました。ヴァルガヌス殿がお待ちです。こちらへ」
それだけ言うとケセウス様は私達から背を向けて、宮殿の方へと歩きだします。
「……腹の底が読めないヤツらだ。油断せずに行こう」
「ちぇっ。人間の姿で暴れてみたかったんだけどお預けかー」
ナナカとレックスがケセウス様の後を追って歩いていきます。さて、私も参るとしましょうか。
「――と、その前に」
私達に絡んできた三人組に視線を向けます。ケセウス様がいなくなったからでしょう。
離れた場所に立っている彼らの顔には、再び私達を馬鹿にするような嘲りが浮かんでおりました。
「あれ程分かりやすく挑発してやったのに向かってこないとはな。とんだ腰抜け共だ」
「所詮は脆弱な女子供よ。平静に振る舞ってはいたが、内心では我らに震えあがっていたのではないか?」
声を潜めることもせずにこれみよがしな罵倒の数々。
あれも私に聞こえるようにわざと言っているのでしょう。
「……本来なら物理的に表情を変えて差し上げるところですが」
会談前から問題を起こすわけにはいきませんからね。レオお兄様の胃にも良くないですし。なので――
「これで勘弁して差し上げましょう」
握り込んだ拳を彼らに向かって軽くシュッシュッと振ってから、宮殿の方へと歩き出します。
何をされたのか分かっていない彼らは不思議そうに私を見ていました。
「次にお会いする時は、私の手が滑らないように祈っておいてくださいな」
少し歩くと背後から驚きの声が響いてきます。
「な、なんだ!? 俺の首飾りが突然粉々に!?」
「まさか、あの人間の女か……?」
「先程手を振った時か……? 一体どうやって……」
「まさか拳圧で破壊したとでもいうのか!?」
「……あの女、タダ者ではないぞ」
彼らの会話を無視して宮殿の入口までたどり着くと、前を歩いていたレックスが騒ぎだした三人組の方を見て不思議そうに首を傾げました。
「アイツらなんか慌ててるみたいだけど、何かあったのかな?」
ナナカがジトっとした半目で私を見ます。
「……またやったな?」
「何のことでしょう。私はただ、目の前で飛び回るうるさい羽虫を静かにさせただけですわ」
宮殿内に入った私達は、一言も口を開かないケセウス様先導の下、長い廊下をひたすらに歩いて行きます。
廊下には常に兵士達が巡回していて、私達とすれ違う度、威圧するように睨みつけてきました。
それが気に食わないのか、レックスは彼らと遭遇する度「グルル……」と喉を鳴らして威嚇していました。
ナナカは冷静に「突然襲ってこないだけ業火宮の連中よりマシだ」と言っていましたが、私からすれば客人に対して無礼極まりない態度であることは双方変わらないので、正直どっちもどっち。無礼両成敗でブン殴り、スカッとしたいと申し上げておきます。
「……こちらへ」
一本道になっている廊下の最奥。紫色のドアの前で立ち止まったケセウス様が、横に退いて私達に前を譲ります。
会釈をしながら前に出ると、ドアはゆっくりと内側に開きました。
おそらくは応接室であろうその部屋には、金の刺繍が入った紫色の絨毯が床一面に敷かれていて、壁には軍旗が飾られています。
また部屋の奥には横長の机と椅子が置かれていて、そこには――
「ようこそおいで下さいました、スカーレット嬢。いえ、救国の鉄拳姫とお呼びした方がよろしいかな?」
紫焔宮の主、ヴァルガヌス様が微笑を浮かべながら座していました。
不名誉な二つ名呼びに思わずピクッと拳が反応しかけますが、それよりも先に私はヴァルガヌス様の両脇に立つ二人の殿方――その内の右手にいる方に視線を奪われます。
そしてそれはナナカも同じだったのでしょう。私の隣で目を見開いたナナカが、驚きの表情で叫びました。
「ドノヴァン!? なんでアイツがここに!?」
二メートル以上にも及ぶ長身に、皮鎧を纏った鍛えられた肉体。
黒く濃い体毛と、獣のように獰猛な顔つきの彼に、私とナナカは見覚えがありました。
奴隷オークションに潜入する際のツテとして利用したザザーラン伯爵。
彼の下で奴隷の管理役として働いていた方、ドノヴァンさんですわ。
「奴隷オークション摘発の際にシグルド様に倒され、監獄に収監されたとお聞きしましたが……なぜここにドノヴァンさんがいらっしゃるのでしょう」
困惑する私達を見て、ドノヴァンさんらしき方はニヤリと笑いました。
「お前が噂の狂犬姫か。俺の名はガンダルフ。パリスタンでは双子の弟が世話になったみてえだな」
その言葉にナナカが納得したようにうなずきます。
「……あいつの双子の兄貴か。道理で似ているわけだ」
確かによく似ています。ですが、よく見るとこのお方は巨漢だったドノヴァンさんよりもさらに一回り身体が大きく。
そしてあの方には感じなかった、戦いによって鍛え上げられた強者特有の余裕のようなものを感じました。
「あまり拳殴欲がそそられないお肉ですわね」
ヴァルガヌス様の左手側に立つもう一人の殿方に視線を向けます。
一九〇センチはあろうかという長身に、無駄が削ぎ落とされて研ぎ澄まされた肉体。
背中に生えた鳥類を思わせる身長と同じ程の大きさの翼は、彼が有翼人であることを示していました。
「……」
黙したまま目を閉じ、腕を組んでいる彼とガンダルフさん。
お二方共、おそらくは以前戦った異端審問官の方々を優に超えた力を持っていることでしょう。
敵になるとしたら、面倒なお肉になりそうですわね。
「彼らが気になりますか? 撲殺姫」
私の考えを見透かすように、ヴァルガヌス様が声をかけてきます。
私は内心の苛立ちを抑えながら、首を横に振って答えました。
「余計な前置きは結構です。それにその名で呼ばれるのはあまり好きではありませんので」
「これは失礼を。本題に入る前に少しでも気を緩めていただけたらと思ったのですが、余計な気遣いだったようですね」
おどけたようにわざとらしい反応をするヴァルガヌス様。
段々と殴り甲斐がありそうなお肉に仕上がってきました。
「それならば一つ、素朴な疑問に答えていただいてもよろしいかしら?」
「どうぞ私に答えられることであればなんなりと」
「なぜこの宮殿のいたるところにファルコニアの方々がいらっしゃるのでしょう」
私の質問に、ヴァルガヌス様は予想していたとばかりに淀みなく答えます。
「それは貴女方と同じ理由ですよ。彼らは私が皇帝になるために力を貸してくれている協力者です。ああ、勘違いしないでください。ファルコニア自体と同盟を結んでいるわけではありませんよ。協力していただいているのはここにいる彼らのみです」
ナナカが「やっぱりな」と小さくつぶやきます。概ね予想していた通りの展開ですわね。
「ヴァルガヌス様はヴァンキッシュの全軍を統括しているとお聞きしました。それだけの戦力があってなお、ファルコニアの方々を引き入れる理由はなんですか?」
「私に指揮権が委ねられている軍はあくまで皇帝陛下から預かっているもの。それを個人的な勢力争いに用いることはできません」
ヴァルガヌス様がわざとらしくため息をつきます。そして――
「このままでは武力に劣る私は後継者争いの舞台に立つことすらかなわないでしょう。そのことを友人であるケセウス殿に相談したところ――」
フッと口元に笑みを浮かべて言いました。
「彼は快く、蒼天翼獣騎兵団を退団して力を持て余していた騎士達を、私の剣として連れてきてくれたというわけです」
その言葉にケセウス様がわずかに眉をひそめます。
この反応……ケセウス様はヴァルガヌス様との同盟関係を快く思っていないのでしょうか。
私達にしてもアルフレイム様と結んだ同盟関係に対して、全面的に同意しているわけではありませんし、彼らも同じような問題を抱えているのかもしれませんね。
「蒼天翼獣騎兵団を退団した騎士達だって……?」
ナナカのつぶやきに、ヴァルガヌス様がうなずきます。
「ええ。ですが辞めたとはいえ、腕は確かですよ。特にここにいる有翼人の彼――フェザーク殿は元々蒼天翼獣騎兵団で団長を務めていた程の豪の者です」
腕を組み、黙したままのフェザーク様は、じっとこちらを見ていました。
私達がどれ程戦えるのか、値踏みするかのような鋭い猛禽類のような目で。
「そしてもう一人の彼、ガンダルフはフェザーク殿の腹心で副団長を務めていた男です。彼らをもってすれば我が国ヴァンキッシュの最強戦力である紅天竜騎兵団とも互角に渡り合うことができるでしょう。しかし――」
懐から手紙を取り出して目の前にかざします。中身はもちろん、私宛に届いていたここへの招待状です。
「単独で一軍にも匹敵するアルフレイム様を相手にした場合、それでも戦力に不安が残る。このような手紙を送り、私をご自分の陣営に引き込もうとしている理由は、あのお方への対抗策としてですか?」
「ご名答です。以前アルフレイム殿下を投げ飛ばした女傑がいると聞いた時は眉唾だと疑っておりましたが、その後に伝え聞いた数々の逸話。そして、実際に貴女を目の当たりにした今、その力を疑う余地はないでしょう」
ヴァルガヌス様はこちらに向かって手の平を差し出すと、ついに私をこちらに呼んだ理由を口にしました。
「単刀直入に言います。スカーレット嬢。アルフレイム殿下を裏切り、私の協力者になっていただけませんか?」
あまりにあけすけに放たれたその言葉に、ナナカが声を荒らげます。
「ふざけるな! スカーレットがそんな話を飲むはずが――」
「このお手紙に書いてありましたね。自分だけが貴女の望むものを与えることができると。それはなんですか?」
「スカーレット!?」
平然とそう答える私にナナカが驚きの表情でこちらを見ました。
そんな私達の反応を見て、ヴァルガヌス様がクッと笑みを漏らします。
「貴女がどのような人間か、色々と調べさせてもらいました。一見、弱きを守り、悪を挫く正義の方に見えるでしょう。ですがその本質はまるで逆――」
ヴァルガヌス様が両手を広げて、声高らかに叫びます。
「貴女は暴力を振るうのが楽しくて仕方がないのです! しかしそのような常軌を逸した性癖が周囲に知られては家の名を落とすことになる! それ故に、殴っても後ろ指をさされない悪人だけを標的にしていた! 違いますか?」
「……さあ、何のことでしょう」
首を傾げてそう答えると、ヴァルガヌス様はそれを肯定と受け取ったのか、さらに言葉を続けます。
「しかしその悪人も、国内の情勢が安定したことによりいなくなってしまった。正直、溜まっているのではないですか? 暴力を振るうことができない鬱憤が」
ピクッとうずく左手を背中に回し、右手で抑え込みます。
鬱憤? ええ、溜まっていますとも。この国に来てからはその気持ちが大きくなる一方です。
「私が皇帝となった暁には、貴女がヴァンキッシュ国内で自由に暴力が振るえるように働きかけましょう。もちろん罰せられることもなければ、その事実すらも発覚することはありません。どうです? 今の貴女にとっては金や名誉よりも、よほど価値ある対価なのではありませんか?」
考えを悟られないように顔を伏せます。ヴァンキッシュに来る以前、確かに私は望んでおりました。合法的に悪人を殴れるような舞台を。
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