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4巻
4-2
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このような男と共に行けば、行きつく先は果てのない永遠の闇か、すべてが灰燼と化した煉獄か。
待ち受けているのは無限に続く血風と鉄の匂いにまみれた地獄のような戦場だろう。正直、正気の沙汰とは思えない。だが――
「――面白い」
久方ぶりに心が震えた。あまりのバカらしさに。
ロマンシア大陸におけるヴァンキッシュ帝国の立ち位置はその実、とても微妙で危ういものだ。
常に魔大陸から海を越えてやってくる魔物の脅威に晒されているため、大陸最強の空戦能力を持つ飛竜の大半をどうしてもそちらに割かざるを得ない。
終わらない戦いの中で勇猛な戦士達は命を散らしていき、人口は徐々に減少の一途をたどっている。フェルドが他国との争いよりも、自国を守ることに力を入れていたのも、そういった事情があった故のことだった。
それなのにこの童はあろうことか、守るだけでなく、すべての国を力でねじ伏せるとほざきおった。あまりにも現実味がない、童の戯言じゃ。
だがこやつは、アルフレイムはそれを本気でなそうとしている。なせると思っておる。
「千年の既知を超えて妾の心を震わせたのは、貴様で二人目じゃ。妾が背に乗せる男とは、そうでなくてはの」
身をかがめて、アルフレイムの額に口づけをする。
「これは“魂の誓い”じゃ。これより貴様と妾は、その身朽ち果てるその時まで――いや」
妾の手を握るアルフレイムの指に、自分の指を絡める。もう二度と、決して離れぬように。
「その意志と力が消え去るその時まで共にある。いかなる理由があれど、もしこの誓いが遵守されぬその時は――」
こうして妾は、業火の貴公子の翼となった。千年先、二千年先の未来まで続くであろう、我が番の意志と共に生きるために。
「――頭から噛み殺す。今度こそ、忘れるでないぞ。我が愛しのかがり火よ」
ドーン……と、遠くから聞こえてくる騒々しい喧噪に目を覚ました。
窓から差し込んでくる日差しに、重たい瞼を開く。
業火宮に戻ってきた後、自室のベッドでまどろんでいる内にいつのまにか寝てしまったらしい。
長い間人化したままでいたのが響いたか。後で一度竜の姿に戻って、体内に澱んだ魔力を発散しなければなるまい。
「それにしてもあの女……スカーレットとかいったか」
以前はアルフレイムに対してまったく興味がなさそうな顔をしておったくせに、レックスのことがあったとはいえヴァンキッシュまでわざわざやってくるとは。
あの女だけはいかん。一刻も早くこのヴァンキッシュから追い出さなくては。なぜなら――
「あれはアルフレイムが最も好みとする女じゃ……!」
フェルド譲りのおかしな性癖を持つアルフレイムにとって、一般的な人間族の男が女に求めているような容姿や家柄はなんの意味も持たない。
あやつが女に求めている者は自分と並び立つ程の“強さ”じゃ。
それは物理的な、腕力や闘争における強さだけではない。
どんな苦境にあっても決して心が折れず、己が意志を貫き通すという強さを持っていることじゃ。
その点、あのスカーレットという女は……認めたくないが意志の強さはいわずもがなとして、信じられぬことに素手で筋肉バカのアルフレイムを圧倒する程の人外級の戦闘能力まで兼ね備えておる。
出会った瞬間に求婚したと本人は吹聴しておったが、その様が容易に想像できるわ。
「ヴァンキッシュの女ならともかく、つい最近見知ったばかりの他国の女など妾は絶対に認めんからな……!」
噂によればあのスカーレットという女、素行の悪さから自国の王子に婚約破棄をされたというではないか。
アルフレイムはなにか事情があったのだろうなどと抜かしておったが、妾にはよく分かる。
あれは自らの欲求を満たすためであれば、他者を踏みにじることを何とも思わない女じゃ。
というか、魔物や人間をブン殴っている時の嬉々とした様子を見ていれば、あの女がまともではないことぐらい一目で気づくであろうに。アルフレイムのアホめ。
「何が業火の花嫁か……ふん。気に食わぬ」
妾は断じてあの女に嫉妬しているわけではない。アルフレイムは妾が唯一番と認めた者の孫であり、妾の孫も同然。
そんな孫が悪い女に騙されそうになっているのを黙って見過ごすわけにはいかないだけじゃ。
「だがあの女……」
レックスのことを大切な家族と言った時のあの目。
他者を踏みにじることだけに喜びを感じるような人間が、あのような目をできるものなのか?
本当は自らの信念を貫き、大切な者を守るためならば力を振るうことも厭わず。
しかしそれによって周囲に称賛されることを好まず、つい露悪的に振る舞ってしまう。
そんな不器用で、心優しい人間なのではないのか?
「ええい! 余計なことを考えるな! あの女は稀代の悪女じゃ! そうに決まっておる! そうでなければ妾はあの女を――」
ドーン! と、大きな破砕音がして、業火宮が揺れた。
それからさらに立て続けに、ドン! ドン! ドン! と轟音が響き、その度に宮内が揺れる。
「何じゃ、この音は……?」
最初に聞こえた時は、いつもの侍女共の修練だろうと思って聞き流しておったが、今のはそんな生半可なものではない。
まるで妾に匹敵する巨大な飛竜が宮内で所かまわず暴れ回っているかのような――
「おーい、姫ちん。起きてるー?」
ドアを開けて犬型の竜に乗ったノアが勝手に部屋に入ってくる。こやつ……侍女の分際で主の返事も聞かずに勝手に入ってきおって。
いや、今はそんなことよりも先に聞くべきことがある。
「この騒ぎは何事じゃ」
「あれー? あの歓迎会って姫ちんが企画したんじゃないの?」
「は? 一体何を言って――」
ドーン‼ と、さらに大きな音が響いた直後。
「うぎゃあああ……‼」
遠くから侍女の絶叫が聞こえてきた。
状況を把握するため目を閉じ、宮殿内のすべての音を聞き逃さないように意識を集中する。
すると、大広間の方から侍女共の足音と雄たけびに混じって、一人だけ、舞踊でも舞うかのように石畳の上を軽やかに跳ね回る音があった。その音が一つ地を蹴るごとにあり得ない程に大きな打撃音が響き、侍女の絶叫が湧き上がっている。
宮殿に張った妾の結界を破って敵が侵入した……? いや、それならばノアがこんなところで呑気にしているわけがない。
だとすれば一体――ん? 歓迎会?
「ノア。歓迎会と言っておったが、この宮殿内に今誰か来ておるのか?」
「またまたー。誰って、そんなの決まってるじゃん。業火の花嫁、スカーレ――」
ノアがその女の名を最後まで言うよりも早く、妾は猛スピードで大広間に駆けだしていた。
「あの女ァ! 妾の宮殿に何してくれとんじゃあ!」
◆ ◆ ◆
「――うぎゃあああ!?」
また一人、私に殴り飛ばされた方が広間の壁に激突して人型の穴を空けました。
まだ数十人はいるであろう私を取り囲んだ女性の方々が、悔しそうな顔で後ずさりします。
頬についた返り血をハンカチでぬぐいながら、私は言いました。
「これで三十九人目の方ですわね。皆様、感謝いたしますわ」
恭しく礼をすると、女性達は皆困惑の表情を浮かべます。
「な、なんでアンタが私達に感謝してるのよ!?」
正直なところ、最初の数人を壁にめり込ませた時点で、この方々は戦意を喪失されるかと思っておりました。ですが――
「三十九人もの尊い方々が、私の拳の肥やしとなってくれたことへの感謝のつもりだったのですが……私、何かおかしなことを言ったかしら?」
「っ! この女ァ!」
「完全にあたし達のことを舐めてやがる!」
「絶対に許さない……!」
一人、また一人と殴れば殴る程に。挑発すれば挑発する程に。
こうして闘志を燃やして私に向かってきてくれる。こんなに嬉しいことはありません。
「ヴァンキッシュに来て本当に良かった」
パルミア教の残党を倒すために紅天竜騎兵団の方々と共闘した時には心のどこかで、もうヴァンキッシュの方々と敵対することはないのかもしれないと思っていました。
この国にやって来た目的も、あわよくばお肉を殴れたらいいなと思いながらも、あくまでレックスの病気を治すためでしたし。
それがまさかこんな事になるなんて……これは言葉だけの感謝では到底足りませんわね。
「私の殴りたい気持ちを尊重したいという皆様のまごころに感謝を込めて、これからは一人一人、懇切丁寧にブン殴らせていただきますわね」
ポキポキと指の関節を鳴らす私に、皆様が身構えます。
さて、お次はどの方を血祭りにあげて差し上げましょうか――と、思っておりましたら。
皆様の中から、一人の女性が歩み出てきました。
口元にカラスの口のようなマスクをつけた長い黒髪のその方は、ぼそりと小声でつぶやきます。
「――どきなさい。この女の相手は貴女達には手に余るわ」
周囲の女性達が驚きの表情を浮かべる中、さらにもう一人。
ナナカと同じぐらいの小柄な体躯ながらも、丸太のように太く巨大な棒を担いだ短髪の女性が出てきます。
彼女は棒を床にズン、と突き立てると、広間に響き渡るような大音声で叫びました。
「――ったく、情けないったらないねえ! こんなひょろっちい女一人に良いようにしゃしゃられてさあ! アンタらそれでも業火宮の侍女組かい!?」
二人の登場に今まで劣勢で悔しそうな顔をしていた侍女の皆様が、自信を取り戻したのか一気に沸き上がります。
「来てくれたのね! 業火宮侍女組三竜頭!」
「あの人達が来たからにはもうアンタはおしまいだよ!」
湧き上がる歓声に満更でもない顔をしながら、三竜頭と呼ばれた侍女のお二人はやれやれと肩をすくめました。
「ちょっと喧嘩が強いだけの女一人に雁首揃えて負け犬っぷりさらしてさあ? オマエら全員今日で侍女廃業しな!」
「雑魚を相手に好き勝手暴れて調子に乗っているようだけど、これからは私達が雑魚相手に調子に乗らせてもらうわよ。もちろん雑魚っていうのは貴女のことだけど」
まあ頼もしい。これだけ大きなお口を叩くのですから、このお二人はさぞご自分の力に自信があるのでしょう。
これは殴り甲斐がありそうですわね。
「たくさんの方を殴らせてくれるだけではなく、このような愉快な催し物までご用意してくださるなんて。至れり尽くせりとはこのことですわね」
パンと手を軽く叩いて微笑むと、侍女達が怒りの表情で睨みつけてきます。
そんな中、マスクの方がおもむろに人差し指を立ててぽつりとつぶやきました。
「……一分よ」
そのつぶやきに侍女達が「え……?」と困惑の声をあげます。
マスクの方は自らの長い髪を手で弄びながら言いました。
「その調子に乗った顔を見れば分かるわ。貴女、自分のことを特別な存在だと思っているでしょう? でもそれは勘違い。貴女は狭い井戸の中で広い海を知らずに無様に飛び跳ねていただけのカエルよ。それを貴女に自覚させてあげるのには、たった一分で十分ってこと。お分かり?」
直後、わっ! と、侍女達から歓声が上がります。
この状況を打破してくれる救世主の登場に、熱気冷めやらぬといったところでしょうか。
しかし、そんな様子をマスクの方の隣で見ていた小柄な方は「ハッ!」と小馬鹿にするように鼻を鳴らしました。彼女は私から背を向けて侍女達の方を向くと、マスクの方を真似するかのように人差し指を立てます。
「……一撃だ」
その発言に侍女の皆様が顔を合わせてどよめきます。
小柄な方は後ろを向いたまま、顔だけを私の方に向けて顎をしゃくり上げました。
「無駄な言葉は必要ねえ。身の程知らずのこの勘違い女を、これからアタイが一撃でぶちのめす。よく見ときな女共。この一撃こそが、業火宮侍女組の力の証明だ」
「……っ!!」
侍女達から先程よりもさらに大きな歓声が湧きあがります。
この指を立てる仕草、ヴァンキッシュで流行っているのでしょうか。
「では皆様にならって私も」
人差し指と中指の二本を立てて見せます。するとそれを見た侍女達が嘲りの笑みを浮かべました。
「なによそれ。ピースサイン?」
「あまりの勝ち目のなさに気でも触れちゃったのかしら? あはは――」
「二秒です」
私の言葉でその場が一瞬にして静まり返ります。
小柄な方は私に振り向くと、怒りにぴくぴくと頬をひくつかせて言いました。
「おいオマエ。それはもしかして、アタイ達を――」
「一人一秒で倒すので、お二人合わせて二秒かかるという意味ですわね」
食い気味に言うと、小柄な方のこめかみにビキビキと血管が浮き上がります。
片やマスクの方はうつむいてだらんと腕を下ろすと、人が変わったような低い声でつぶやきました。
「……脇役風情が調子乗ってんじゃねえぞ。一分で分からせるって言った私へのあてつけのつもりか? 適当に半殺しにして追い出すつもりでいたが、もうやめだ。テメエは全殺し決定。今更謝っても、もう遅い」
怒りに打ち震えているせいか、マスクのくちばし部分がカタカタと揺れています。
人を煽るのはお得意でも、煽られるのには耐性がないようですわね。
「弱い者程よく吠える、と言いますが。貴女達は本当におしゃべりが大好きですのね。ところでそろそろ数え始めてもよろしいですか? まあすぐに終わってしまうと思いますが。なにしろたった二秒なので」
「上等だコラァ! やれるもんならやってみ――」
指を立てていない方の拳を振りぬき、圧縮した空気の塊を放って三メートル程の距離に立っていた小柄な方の顎を打ち抜きます。
「ろおおおん……」
気の抜けた声を漏らしながら、小柄な方が白目を剥いてガクン、と膝から崩れ落ちました。
「一」
一秒経過。人差し指を倒します。
「えっ?」
一瞬遅れて、何が起こったのか分からないマスクの方が隣で膝をつく小柄な方に視線を向けます。その隙に地面を蹴り、瞬きの間に彼女の懐に接近。
「へ? あ、ちょ、まっ――」
数を数えるために立てたままの中指を、マスクの方の顎に差し込み、そのまま勢いよく上に跳ね上げます。
「てえええん……」
マスクが吹っ飛ばされて宙を舞います。
顎を私の指で跳ね上げられたマスクなしのマスクの方は、頭を激しく揺さぶられたせいか、泡を吹いてガクン、と膝から崩れ落ちました。
「二」
中指を倒して数え終えます。丁度二秒で片付きましたね。
さて、皆様の反応は――
「侍女組最強の三竜頭の二人がたった二秒で……」
「ば、化け物……」
なにやらお通夜のようになってしまっておりました。一体どうしたことでしょう。
「おかしいですわね。皆様、ヴァンキッシュ的には今のは盛り上がるところでは……?」
「敵の活躍で盛り上がれるかあ‼」
叱られてしまいました。皆様に馴染めるように、良かれと思って真似をしたのですが。
異国の文化を理解するのは、中々に難しいものですわね。ですが私は諦めません。
これから同盟相手として密接に関わっていくことになるかもしれないヴァンキッシュ帝国。
その地に暮らす人々の文化を知ることは、より深い相互理解のためには避けては通れないことでしょう。
そして今この場において、互いを分かり合うために最も適した方法はたった一つ――
「さあ続けましょうか。私達の明るい未来のために――拳の異文化交流を」
「そんな暴力的な異文化交流の仕方があるかー‼」
ほら見てごらんなさい。私の言葉に対して息を合わせたようなツッコミの嵐。
まるで長年連れ添った親友のような連帯感ですわ。
「この調子であと三、四人殴り倒せば私達、もっと分かり合えますわね。というわけで床と地面と壁、皆様はどちらに埋もれるのがお好きですか?」
手の平に拳を打ち付けながらたずねると、侍女達は焦ったように顔に汗をにじませます。
「くぅ……ま、まだよ! まだ三竜頭にはあの方がいるじゃない!」
「そうだったわ! さっきの二人は三竜頭の中でも最弱!」
「三竜頭の面汚しだった二人と違って、あの方は身長二メートル超えの上、私の腰よりも腕回りが太くて、最早女どころか人間じゃないゴリラ並みの圧倒的な肉体を持った、バキバキの近接特化型侍女なんだから!」
まだそのような殴り甲斐のありそうな方がいらっしゃったのですね。
あら……? でもその特徴の方にどこかで見覚えがあるような。
「もしやその方とはあの方でしょうか」
侍女達の後ろの壁を指差します。
「はっ! そうやって隙を作って私達を出し抜こうっていうんでしょ? その手には乗らないわよ!」
「お生憎様! つくならもっとマシな嘘をつくんだね!」
「そもそもあのバカデカい上に目立ちたがり屋のゴリラ女がそんな目立たない場所にいるわけが――」
「ねえ、ちょっとあれ見て……」
侍女の一人が青ざめた顔で自分達の背後の壁を指差します。
「何よ、アンタまで。一体背後に何があるっていうの、よ……」
渋々振り返った侍女が壁を見て硬直します。
その様子を不審に思った他の侍女達も壁に視線を向けて、あんぐりと口を開けて呆然としました。
そこには部屋に入るなり棒で殴りかかってきた方の一人。巨体の侍女が白目を剥いて壁にめり込んでおります。
ああ、なるほど。この方々は後から部屋に入って来た方々でしたか。
それでは最初に壁にめり込んだあの巨漢の方の惨状を知らなくても仕方ありませんね。
「嘘でしょ……三竜頭が全員、こんな細腕の女一人相手にかすり傷ひとつ負わせられずにやられるなんて」
「これが、業火の花嫁……」
侍女達が壁から振り返って私を見ます。
彼女達の顔からは怒りが消え、その目からは溢れんばかりに浮かんでいた私への敵意が消えていました。
あら……てっきり仲間をやられた怒りでより激しくこちらに向かって来るかと思いましたが。
「あの、皆様……?」
困惑する私に、侍女達は一斉に床に手と膝をつくと、深く頭を下げて土下座しました。
そして、広間に響き渡るような大声で叫びます。
「紅蓮の花嫁スカーレット様にご挨拶を申し上げますッ!」
侍女達は顔を上げると、目を輝かせて羨望の眼差しで私を見ていました。
これはいけません。何がいけないのかというと、こんな純粋な憧れの眼差しで見られては、私がこの方々を殴ったらいけないような雰囲気になってしまうではありませんか。
なんとかして元の殺伐とした雰囲気に戻さなくては……!
「さあ、皆様。気を取り直して殴り合いの続きを始めま――」
「あたし達の完敗です! どうぞお気の済むまで殴ってください!」
「スカーレット様のように強く美しい、まさに業火宮の理想を体現したかのような女に殴られるなら、アタイ達は本望です!」
「業火の花嫁、スカーレット様! 万歳!」
「万歳! 万歳! 万々歳!」
口々に私を称賛する言葉をさけぶ侍女達。
女性しかいなかったのですっかり忘れておりましたが、そうでした。
バーン様のご意向はどうあれ、元よりこの国ヴァンキッシュは、全ての国民が武道を嗜み、強さこそを至高とする脳筋国家でした。
この方々にとっては相手が敵であっても、その強さを認めれば敬意を払う対象となるのです。
久しぶりに思う存分暴力を振るえる機会を得たので、調子に乗って力を見せすぎましたね。
残念ですが、この辺りで異文化交流はひとまずお開きのようです。
「お立ちになってくださいませ。私はもう気にしておりません。それよりも、まずは倒れている方の治療を――」
土下座し続けている侍女の方の手を取り、立ち上がらせようとしたその時。
上方から強烈な魔力の気配を感じて、私は二階に続く階段に視線を向けました。
そこには、怒りに顔をゆがめたヘカーテ様が立っております。
「貴様ら……」
彼女は階段から散々に破壊された広間の床や壁を見渡すと、後ろにのけぞり大きく息を吸い込みました。
それを見た侍女達が慌てて立ち上がり、広間から出て行こうと四方八方に逃げ出します。
何が起こるのか分からず、私が首を傾げる中。
ヘカーテ様は口を大きく開けると、広間を埋め尽くす程の黒い炎の吐息を猛烈な勢いで吐き出しました。
「貴様ら全員妾の宮殿から出ていけえええ!!!」
ヘカーテ様が広間を破壊し、怒り心頭でご自分の部屋に戻られた後。
私とナナカは侍女に二階のとある部屋の前に案内されました。
「ここでいつまでもご自由におくつろぎくださいませ! なにか御用がありましたらあたし達かお付きの従者に言伝を! それでは!」
侍女は笑顔でそう言うと、廊下を走って戻っていきました。
広間では今、これ以上ヘカーテ様のご機嫌を損ねないようにと侍女達が破壊された部屋の後片付けをしているので、その応援に向かうのでしょう。
「私達も手伝わなくて良かったのかしら」
「自分達の仕事だからって言って聞かなかったし、良いんじゃないか別に。すぐ直るみたいだし」
私のつぶやきにナナカがなんでもないことのように答えます。
侍女の方いわく、ヘカーテ様の結界内で壊れた壁や床は、術者の魔力が供給される限り自動的に補修されるとのこと。
とはいえ、壊れた他の物や汚れは戻らないので、お掃除にはかなり時間がかかりそうでした。「先程は随分と大人しかったですわね、ナナカは。いつもならすぐに止めに入りますのに」
「いや、ジンがヴァンキッシュでは売られた喧嘩は買わないと舐められるだけだから、スカーレットには殺さない程度であれば殴ってもらっても大丈夫だって言ってたから……」
「まあ、なんて野蛮な」
なんということでしょう。ならば私は最初からこの拳を抑える必要などなかったのですね。
皆様を殴らないで損しました。もったいないですわ。
「ですがそういうことであれば仕方ありませんね。あまり気は進みませんが、これからは売られた喧嘩はすべて買わせていただくとしましょう。本当に、渋々ですが」
「言ってることと表情がまったく一致してないぞ……って、撫でて誤魔化そうとするな!」
避けようとするナナカの頭を的確に撫でながら、部屋のドアを開きます。すると――
「――マスター! 会いたかったよ!」
部屋の中から小柄な赤い影が私に飛びついてきました。
私はその子を抱きとめると、微笑みながら視線を落とします。
「もう体調はよろしいのですか、レックス」
満面の笑みを浮かべた赤髪の少年――レックスが、私を見上げて言いました。
「うん! もうすっかり元気だよ! ボクの病気を治すためにわざわざヴァンキッシュまで連れてきてくれたんだよね? ありがとう! マスター大好き!」
小動物のようにすりすりと身体を擦り付けてくるレックスの頭をよしよしと撫でてあげます。
私の隣でそれを見ていたナナカは、ふんと不機嫌そうに鼻を鳴らしました。
「まったく、いい迷惑だ。ここまで来るのにどれだけ大変だったか――」
「ナナカについてきてなんて一言も言ってないけどー? それとここはボク以外の男子は立ち入り禁止だからナナカはさっさと出て行ってね。しっしっ」
待ち受けているのは無限に続く血風と鉄の匂いにまみれた地獄のような戦場だろう。正直、正気の沙汰とは思えない。だが――
「――面白い」
久方ぶりに心が震えた。あまりのバカらしさに。
ロマンシア大陸におけるヴァンキッシュ帝国の立ち位置はその実、とても微妙で危ういものだ。
常に魔大陸から海を越えてやってくる魔物の脅威に晒されているため、大陸最強の空戦能力を持つ飛竜の大半をどうしてもそちらに割かざるを得ない。
終わらない戦いの中で勇猛な戦士達は命を散らしていき、人口は徐々に減少の一途をたどっている。フェルドが他国との争いよりも、自国を守ることに力を入れていたのも、そういった事情があった故のことだった。
それなのにこの童はあろうことか、守るだけでなく、すべての国を力でねじ伏せるとほざきおった。あまりにも現実味がない、童の戯言じゃ。
だがこやつは、アルフレイムはそれを本気でなそうとしている。なせると思っておる。
「千年の既知を超えて妾の心を震わせたのは、貴様で二人目じゃ。妾が背に乗せる男とは、そうでなくてはの」
身をかがめて、アルフレイムの額に口づけをする。
「これは“魂の誓い”じゃ。これより貴様と妾は、その身朽ち果てるその時まで――いや」
妾の手を握るアルフレイムの指に、自分の指を絡める。もう二度と、決して離れぬように。
「その意志と力が消え去るその時まで共にある。いかなる理由があれど、もしこの誓いが遵守されぬその時は――」
こうして妾は、業火の貴公子の翼となった。千年先、二千年先の未来まで続くであろう、我が番の意志と共に生きるために。
「――頭から噛み殺す。今度こそ、忘れるでないぞ。我が愛しのかがり火よ」
ドーン……と、遠くから聞こえてくる騒々しい喧噪に目を覚ました。
窓から差し込んでくる日差しに、重たい瞼を開く。
業火宮に戻ってきた後、自室のベッドでまどろんでいる内にいつのまにか寝てしまったらしい。
長い間人化したままでいたのが響いたか。後で一度竜の姿に戻って、体内に澱んだ魔力を発散しなければなるまい。
「それにしてもあの女……スカーレットとかいったか」
以前はアルフレイムに対してまったく興味がなさそうな顔をしておったくせに、レックスのことがあったとはいえヴァンキッシュまでわざわざやってくるとは。
あの女だけはいかん。一刻も早くこのヴァンキッシュから追い出さなくては。なぜなら――
「あれはアルフレイムが最も好みとする女じゃ……!」
フェルド譲りのおかしな性癖を持つアルフレイムにとって、一般的な人間族の男が女に求めているような容姿や家柄はなんの意味も持たない。
あやつが女に求めている者は自分と並び立つ程の“強さ”じゃ。
それは物理的な、腕力や闘争における強さだけではない。
どんな苦境にあっても決して心が折れず、己が意志を貫き通すという強さを持っていることじゃ。
その点、あのスカーレットという女は……認めたくないが意志の強さはいわずもがなとして、信じられぬことに素手で筋肉バカのアルフレイムを圧倒する程の人外級の戦闘能力まで兼ね備えておる。
出会った瞬間に求婚したと本人は吹聴しておったが、その様が容易に想像できるわ。
「ヴァンキッシュの女ならともかく、つい最近見知ったばかりの他国の女など妾は絶対に認めんからな……!」
噂によればあのスカーレットという女、素行の悪さから自国の王子に婚約破棄をされたというではないか。
アルフレイムはなにか事情があったのだろうなどと抜かしておったが、妾にはよく分かる。
あれは自らの欲求を満たすためであれば、他者を踏みにじることを何とも思わない女じゃ。
というか、魔物や人間をブン殴っている時の嬉々とした様子を見ていれば、あの女がまともではないことぐらい一目で気づくであろうに。アルフレイムのアホめ。
「何が業火の花嫁か……ふん。気に食わぬ」
妾は断じてあの女に嫉妬しているわけではない。アルフレイムは妾が唯一番と認めた者の孫であり、妾の孫も同然。
そんな孫が悪い女に騙されそうになっているのを黙って見過ごすわけにはいかないだけじゃ。
「だがあの女……」
レックスのことを大切な家族と言った時のあの目。
他者を踏みにじることだけに喜びを感じるような人間が、あのような目をできるものなのか?
本当は自らの信念を貫き、大切な者を守るためならば力を振るうことも厭わず。
しかしそれによって周囲に称賛されることを好まず、つい露悪的に振る舞ってしまう。
そんな不器用で、心優しい人間なのではないのか?
「ええい! 余計なことを考えるな! あの女は稀代の悪女じゃ! そうに決まっておる! そうでなければ妾はあの女を――」
ドーン! と、大きな破砕音がして、業火宮が揺れた。
それからさらに立て続けに、ドン! ドン! ドン! と轟音が響き、その度に宮内が揺れる。
「何じゃ、この音は……?」
最初に聞こえた時は、いつもの侍女共の修練だろうと思って聞き流しておったが、今のはそんな生半可なものではない。
まるで妾に匹敵する巨大な飛竜が宮内で所かまわず暴れ回っているかのような――
「おーい、姫ちん。起きてるー?」
ドアを開けて犬型の竜に乗ったノアが勝手に部屋に入ってくる。こやつ……侍女の分際で主の返事も聞かずに勝手に入ってきおって。
いや、今はそんなことよりも先に聞くべきことがある。
「この騒ぎは何事じゃ」
「あれー? あの歓迎会って姫ちんが企画したんじゃないの?」
「は? 一体何を言って――」
ドーン‼ と、さらに大きな音が響いた直後。
「うぎゃあああ……‼」
遠くから侍女の絶叫が聞こえてきた。
状況を把握するため目を閉じ、宮殿内のすべての音を聞き逃さないように意識を集中する。
すると、大広間の方から侍女共の足音と雄たけびに混じって、一人だけ、舞踊でも舞うかのように石畳の上を軽やかに跳ね回る音があった。その音が一つ地を蹴るごとにあり得ない程に大きな打撃音が響き、侍女の絶叫が湧き上がっている。
宮殿に張った妾の結界を破って敵が侵入した……? いや、それならばノアがこんなところで呑気にしているわけがない。
だとすれば一体――ん? 歓迎会?
「ノア。歓迎会と言っておったが、この宮殿内に今誰か来ておるのか?」
「またまたー。誰って、そんなの決まってるじゃん。業火の花嫁、スカーレ――」
ノアがその女の名を最後まで言うよりも早く、妾は猛スピードで大広間に駆けだしていた。
「あの女ァ! 妾の宮殿に何してくれとんじゃあ!」
◆ ◆ ◆
「――うぎゃあああ!?」
また一人、私に殴り飛ばされた方が広間の壁に激突して人型の穴を空けました。
まだ数十人はいるであろう私を取り囲んだ女性の方々が、悔しそうな顔で後ずさりします。
頬についた返り血をハンカチでぬぐいながら、私は言いました。
「これで三十九人目の方ですわね。皆様、感謝いたしますわ」
恭しく礼をすると、女性達は皆困惑の表情を浮かべます。
「な、なんでアンタが私達に感謝してるのよ!?」
正直なところ、最初の数人を壁にめり込ませた時点で、この方々は戦意を喪失されるかと思っておりました。ですが――
「三十九人もの尊い方々が、私の拳の肥やしとなってくれたことへの感謝のつもりだったのですが……私、何かおかしなことを言ったかしら?」
「っ! この女ァ!」
「完全にあたし達のことを舐めてやがる!」
「絶対に許さない……!」
一人、また一人と殴れば殴る程に。挑発すれば挑発する程に。
こうして闘志を燃やして私に向かってきてくれる。こんなに嬉しいことはありません。
「ヴァンキッシュに来て本当に良かった」
パルミア教の残党を倒すために紅天竜騎兵団の方々と共闘した時には心のどこかで、もうヴァンキッシュの方々と敵対することはないのかもしれないと思っていました。
この国にやって来た目的も、あわよくばお肉を殴れたらいいなと思いながらも、あくまでレックスの病気を治すためでしたし。
それがまさかこんな事になるなんて……これは言葉だけの感謝では到底足りませんわね。
「私の殴りたい気持ちを尊重したいという皆様のまごころに感謝を込めて、これからは一人一人、懇切丁寧にブン殴らせていただきますわね」
ポキポキと指の関節を鳴らす私に、皆様が身構えます。
さて、お次はどの方を血祭りにあげて差し上げましょうか――と、思っておりましたら。
皆様の中から、一人の女性が歩み出てきました。
口元にカラスの口のようなマスクをつけた長い黒髪のその方は、ぼそりと小声でつぶやきます。
「――どきなさい。この女の相手は貴女達には手に余るわ」
周囲の女性達が驚きの表情を浮かべる中、さらにもう一人。
ナナカと同じぐらいの小柄な体躯ながらも、丸太のように太く巨大な棒を担いだ短髪の女性が出てきます。
彼女は棒を床にズン、と突き立てると、広間に響き渡るような大音声で叫びました。
「――ったく、情けないったらないねえ! こんなひょろっちい女一人に良いようにしゃしゃられてさあ! アンタらそれでも業火宮の侍女組かい!?」
二人の登場に今まで劣勢で悔しそうな顔をしていた侍女の皆様が、自信を取り戻したのか一気に沸き上がります。
「来てくれたのね! 業火宮侍女組三竜頭!」
「あの人達が来たからにはもうアンタはおしまいだよ!」
湧き上がる歓声に満更でもない顔をしながら、三竜頭と呼ばれた侍女のお二人はやれやれと肩をすくめました。
「ちょっと喧嘩が強いだけの女一人に雁首揃えて負け犬っぷりさらしてさあ? オマエら全員今日で侍女廃業しな!」
「雑魚を相手に好き勝手暴れて調子に乗っているようだけど、これからは私達が雑魚相手に調子に乗らせてもらうわよ。もちろん雑魚っていうのは貴女のことだけど」
まあ頼もしい。これだけ大きなお口を叩くのですから、このお二人はさぞご自分の力に自信があるのでしょう。
これは殴り甲斐がありそうですわね。
「たくさんの方を殴らせてくれるだけではなく、このような愉快な催し物までご用意してくださるなんて。至れり尽くせりとはこのことですわね」
パンと手を軽く叩いて微笑むと、侍女達が怒りの表情で睨みつけてきます。
そんな中、マスクの方がおもむろに人差し指を立ててぽつりとつぶやきました。
「……一分よ」
そのつぶやきに侍女達が「え……?」と困惑の声をあげます。
マスクの方は自らの長い髪を手で弄びながら言いました。
「その調子に乗った顔を見れば分かるわ。貴女、自分のことを特別な存在だと思っているでしょう? でもそれは勘違い。貴女は狭い井戸の中で広い海を知らずに無様に飛び跳ねていただけのカエルよ。それを貴女に自覚させてあげるのには、たった一分で十分ってこと。お分かり?」
直後、わっ! と、侍女達から歓声が上がります。
この状況を打破してくれる救世主の登場に、熱気冷めやらぬといったところでしょうか。
しかし、そんな様子をマスクの方の隣で見ていた小柄な方は「ハッ!」と小馬鹿にするように鼻を鳴らしました。彼女は私から背を向けて侍女達の方を向くと、マスクの方を真似するかのように人差し指を立てます。
「……一撃だ」
その発言に侍女の皆様が顔を合わせてどよめきます。
小柄な方は後ろを向いたまま、顔だけを私の方に向けて顎をしゃくり上げました。
「無駄な言葉は必要ねえ。身の程知らずのこの勘違い女を、これからアタイが一撃でぶちのめす。よく見ときな女共。この一撃こそが、業火宮侍女組の力の証明だ」
「……っ!!」
侍女達から先程よりもさらに大きな歓声が湧きあがります。
この指を立てる仕草、ヴァンキッシュで流行っているのでしょうか。
「では皆様にならって私も」
人差し指と中指の二本を立てて見せます。するとそれを見た侍女達が嘲りの笑みを浮かべました。
「なによそれ。ピースサイン?」
「あまりの勝ち目のなさに気でも触れちゃったのかしら? あはは――」
「二秒です」
私の言葉でその場が一瞬にして静まり返ります。
小柄な方は私に振り向くと、怒りにぴくぴくと頬をひくつかせて言いました。
「おいオマエ。それはもしかして、アタイ達を――」
「一人一秒で倒すので、お二人合わせて二秒かかるという意味ですわね」
食い気味に言うと、小柄な方のこめかみにビキビキと血管が浮き上がります。
片やマスクの方はうつむいてだらんと腕を下ろすと、人が変わったような低い声でつぶやきました。
「……脇役風情が調子乗ってんじゃねえぞ。一分で分からせるって言った私へのあてつけのつもりか? 適当に半殺しにして追い出すつもりでいたが、もうやめだ。テメエは全殺し決定。今更謝っても、もう遅い」
怒りに打ち震えているせいか、マスクのくちばし部分がカタカタと揺れています。
人を煽るのはお得意でも、煽られるのには耐性がないようですわね。
「弱い者程よく吠える、と言いますが。貴女達は本当におしゃべりが大好きですのね。ところでそろそろ数え始めてもよろしいですか? まあすぐに終わってしまうと思いますが。なにしろたった二秒なので」
「上等だコラァ! やれるもんならやってみ――」
指を立てていない方の拳を振りぬき、圧縮した空気の塊を放って三メートル程の距離に立っていた小柄な方の顎を打ち抜きます。
「ろおおおん……」
気の抜けた声を漏らしながら、小柄な方が白目を剥いてガクン、と膝から崩れ落ちました。
「一」
一秒経過。人差し指を倒します。
「えっ?」
一瞬遅れて、何が起こったのか分からないマスクの方が隣で膝をつく小柄な方に視線を向けます。その隙に地面を蹴り、瞬きの間に彼女の懐に接近。
「へ? あ、ちょ、まっ――」
数を数えるために立てたままの中指を、マスクの方の顎に差し込み、そのまま勢いよく上に跳ね上げます。
「てえええん……」
マスクが吹っ飛ばされて宙を舞います。
顎を私の指で跳ね上げられたマスクなしのマスクの方は、頭を激しく揺さぶられたせいか、泡を吹いてガクン、と膝から崩れ落ちました。
「二」
中指を倒して数え終えます。丁度二秒で片付きましたね。
さて、皆様の反応は――
「侍女組最強の三竜頭の二人がたった二秒で……」
「ば、化け物……」
なにやらお通夜のようになってしまっておりました。一体どうしたことでしょう。
「おかしいですわね。皆様、ヴァンキッシュ的には今のは盛り上がるところでは……?」
「敵の活躍で盛り上がれるかあ‼」
叱られてしまいました。皆様に馴染めるように、良かれと思って真似をしたのですが。
異国の文化を理解するのは、中々に難しいものですわね。ですが私は諦めません。
これから同盟相手として密接に関わっていくことになるかもしれないヴァンキッシュ帝国。
その地に暮らす人々の文化を知ることは、より深い相互理解のためには避けては通れないことでしょう。
そして今この場において、互いを分かり合うために最も適した方法はたった一つ――
「さあ続けましょうか。私達の明るい未来のために――拳の異文化交流を」
「そんな暴力的な異文化交流の仕方があるかー‼」
ほら見てごらんなさい。私の言葉に対して息を合わせたようなツッコミの嵐。
まるで長年連れ添った親友のような連帯感ですわ。
「この調子であと三、四人殴り倒せば私達、もっと分かり合えますわね。というわけで床と地面と壁、皆様はどちらに埋もれるのがお好きですか?」
手の平に拳を打ち付けながらたずねると、侍女達は焦ったように顔に汗をにじませます。
「くぅ……ま、まだよ! まだ三竜頭にはあの方がいるじゃない!」
「そうだったわ! さっきの二人は三竜頭の中でも最弱!」
「三竜頭の面汚しだった二人と違って、あの方は身長二メートル超えの上、私の腰よりも腕回りが太くて、最早女どころか人間じゃないゴリラ並みの圧倒的な肉体を持った、バキバキの近接特化型侍女なんだから!」
まだそのような殴り甲斐のありそうな方がいらっしゃったのですね。
あら……? でもその特徴の方にどこかで見覚えがあるような。
「もしやその方とはあの方でしょうか」
侍女達の後ろの壁を指差します。
「はっ! そうやって隙を作って私達を出し抜こうっていうんでしょ? その手には乗らないわよ!」
「お生憎様! つくならもっとマシな嘘をつくんだね!」
「そもそもあのバカデカい上に目立ちたがり屋のゴリラ女がそんな目立たない場所にいるわけが――」
「ねえ、ちょっとあれ見て……」
侍女の一人が青ざめた顔で自分達の背後の壁を指差します。
「何よ、アンタまで。一体背後に何があるっていうの、よ……」
渋々振り返った侍女が壁を見て硬直します。
その様子を不審に思った他の侍女達も壁に視線を向けて、あんぐりと口を開けて呆然としました。
そこには部屋に入るなり棒で殴りかかってきた方の一人。巨体の侍女が白目を剥いて壁にめり込んでおります。
ああ、なるほど。この方々は後から部屋に入って来た方々でしたか。
それでは最初に壁にめり込んだあの巨漢の方の惨状を知らなくても仕方ありませんね。
「嘘でしょ……三竜頭が全員、こんな細腕の女一人相手にかすり傷ひとつ負わせられずにやられるなんて」
「これが、業火の花嫁……」
侍女達が壁から振り返って私を見ます。
彼女達の顔からは怒りが消え、その目からは溢れんばかりに浮かんでいた私への敵意が消えていました。
あら……てっきり仲間をやられた怒りでより激しくこちらに向かって来るかと思いましたが。
「あの、皆様……?」
困惑する私に、侍女達は一斉に床に手と膝をつくと、深く頭を下げて土下座しました。
そして、広間に響き渡るような大声で叫びます。
「紅蓮の花嫁スカーレット様にご挨拶を申し上げますッ!」
侍女達は顔を上げると、目を輝かせて羨望の眼差しで私を見ていました。
これはいけません。何がいけないのかというと、こんな純粋な憧れの眼差しで見られては、私がこの方々を殴ったらいけないような雰囲気になってしまうではありませんか。
なんとかして元の殺伐とした雰囲気に戻さなくては……!
「さあ、皆様。気を取り直して殴り合いの続きを始めま――」
「あたし達の完敗です! どうぞお気の済むまで殴ってください!」
「スカーレット様のように強く美しい、まさに業火宮の理想を体現したかのような女に殴られるなら、アタイ達は本望です!」
「業火の花嫁、スカーレット様! 万歳!」
「万歳! 万歳! 万々歳!」
口々に私を称賛する言葉をさけぶ侍女達。
女性しかいなかったのですっかり忘れておりましたが、そうでした。
バーン様のご意向はどうあれ、元よりこの国ヴァンキッシュは、全ての国民が武道を嗜み、強さこそを至高とする脳筋国家でした。
この方々にとっては相手が敵であっても、その強さを認めれば敬意を払う対象となるのです。
久しぶりに思う存分暴力を振るえる機会を得たので、調子に乗って力を見せすぎましたね。
残念ですが、この辺りで異文化交流はひとまずお開きのようです。
「お立ちになってくださいませ。私はもう気にしておりません。それよりも、まずは倒れている方の治療を――」
土下座し続けている侍女の方の手を取り、立ち上がらせようとしたその時。
上方から強烈な魔力の気配を感じて、私は二階に続く階段に視線を向けました。
そこには、怒りに顔をゆがめたヘカーテ様が立っております。
「貴様ら……」
彼女は階段から散々に破壊された広間の床や壁を見渡すと、後ろにのけぞり大きく息を吸い込みました。
それを見た侍女達が慌てて立ち上がり、広間から出て行こうと四方八方に逃げ出します。
何が起こるのか分からず、私が首を傾げる中。
ヘカーテ様は口を大きく開けると、広間を埋め尽くす程の黒い炎の吐息を猛烈な勢いで吐き出しました。
「貴様ら全員妾の宮殿から出ていけえええ!!!」
ヘカーテ様が広間を破壊し、怒り心頭でご自分の部屋に戻られた後。
私とナナカは侍女に二階のとある部屋の前に案内されました。
「ここでいつまでもご自由におくつろぎくださいませ! なにか御用がありましたらあたし達かお付きの従者に言伝を! それでは!」
侍女は笑顔でそう言うと、廊下を走って戻っていきました。
広間では今、これ以上ヘカーテ様のご機嫌を損ねないようにと侍女達が破壊された部屋の後片付けをしているので、その応援に向かうのでしょう。
「私達も手伝わなくて良かったのかしら」
「自分達の仕事だからって言って聞かなかったし、良いんじゃないか別に。すぐ直るみたいだし」
私のつぶやきにナナカがなんでもないことのように答えます。
侍女の方いわく、ヘカーテ様の結界内で壊れた壁や床は、術者の魔力が供給される限り自動的に補修されるとのこと。
とはいえ、壊れた他の物や汚れは戻らないので、お掃除にはかなり時間がかかりそうでした。「先程は随分と大人しかったですわね、ナナカは。いつもならすぐに止めに入りますのに」
「いや、ジンがヴァンキッシュでは売られた喧嘩は買わないと舐められるだけだから、スカーレットには殺さない程度であれば殴ってもらっても大丈夫だって言ってたから……」
「まあ、なんて野蛮な」
なんということでしょう。ならば私は最初からこの拳を抑える必要などなかったのですね。
皆様を殴らないで損しました。もったいないですわ。
「ですがそういうことであれば仕方ありませんね。あまり気は進みませんが、これからは売られた喧嘩はすべて買わせていただくとしましょう。本当に、渋々ですが」
「言ってることと表情がまったく一致してないぞ……って、撫でて誤魔化そうとするな!」
避けようとするナナカの頭を的確に撫でながら、部屋のドアを開きます。すると――
「――マスター! 会いたかったよ!」
部屋の中から小柄な赤い影が私に飛びついてきました。
私はその子を抱きとめると、微笑みながら視線を落とします。
「もう体調はよろしいのですか、レックス」
満面の笑みを浮かべた赤髪の少年――レックスが、私を見上げて言いました。
「うん! もうすっかり元気だよ! ボクの病気を治すためにわざわざヴァンキッシュまで連れてきてくれたんだよね? ありがとう! マスター大好き!」
小動物のようにすりすりと身体を擦り付けてくるレックスの頭をよしよしと撫でてあげます。
私の隣でそれを見ていたナナカは、ふんと不機嫌そうに鼻を鳴らしました。
「まったく、いい迷惑だ。ここまで来るのにどれだけ大変だったか――」
「ナナカについてきてなんて一言も言ってないけどー? それとここはボク以外の男子は立ち入り禁止だからナナカはさっさと出て行ってね。しっしっ」
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