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4巻
4-1
しおりを挟む第一章 我が愛しのかがり火よ。
――人間と竜が共に生きるなど、できるわけがなかろう。
人間は脆弱で愚かで短命じゃ。強大で賢く、長命な竜とはまるで真逆の存在といっていい。
生物としての格が違う我らが、なぜ人を背に乗せなければならない?
たとえ千年先の未来で、他の竜共と同じように妾が知恵を失い、人化できない憐れな“飛竜”になれ果てようとも。
妾は生涯、人間に心を許すことはない。決して、一度たりとも。
「黒竜の姫よ! 今日こそ、その背に私を乗せてもらうぞ!」
洞窟の外からやかましい男の声が鳴り響く。またあの人間じゃ。
突然妾のねぐらに一人でやって来るなり「背に乗せろ!」と言ってきた、仕立ての良い朱色の着物を纏い、燃えるような赤髪をしたやけに偉そうなふざけた男。
無視していればその内諦めるだろうと寝たフリをしていたら、強引に背に乗ってこようとしたから、尾で薙ぎ払ってやったのが半年程前だったか。
全長十メートルにも及ぶ、妾の尾による一撃じゃ。おそらくは全身の骨が粉々に砕け散ったであろう。
それだけ痛い目を見れば、さすがにもう二度とここに来ることはないだろうと思っていた。
だが一か月後、男は全身に包帯を巻いたミイラのような姿で再び私の下へ現れた。そして開口一番に一言。
「照れ隠しに殴るとは愛いヤツめ! だがお前の気持ちも考えず、強引に背に乗ろうとした私も性急だった! 故に今一度改めて告げよう! 黒竜よ、私と番になり、生涯を共に――」
蹴り飛ばした。洞窟の外まで。
男はそれからも毎日のようにやって来ては「背に乗せろ!」と喚き立て、妾に殴られては包帯人間になって戻ってきた。
いい加減にしろと、先日ついに死なない程度に炎の吐息を吹きかけて黒焦げにしてやったというのに、また性懲りもなくやって来るとは……一体なんなのじゃあの人間は。
「寝ているのか? まだ日も落ちていないというのに、まったくとんだ眠り姫だなお前は」
地面の岩肌に寝そべった体勢のまま片目を開く。
片手に松明を持った男は、意外なことに肌にわずかな火傷痕が残っているだけでピンピンとしていた。
こやつ……炎への耐性でも持っていたのか。加減せずに焼き尽くしてやればよかった。
「なんだ、起きているではないか。寝ていたら今度こそ背に乗ってやろうと思っていたのに」
相も変わらずふざけたことをほざくこの男に、思い切り尾を叩きつけてやろうかとも思ったが。
どうせ何度殴られようが死なない限りこやつは何度でも戻ってくる。
面倒になった妾は再び目を閉じて、この男の前で初めて声を出した。
「帰れ。次に来たら殺す」
「!?」
男が驚いている気配が伝わってきたが、知ったことではない。妾は体を丸めて、男に妨げられた眠りに再びつこうとして――
「お前は最高だ! 黒竜の姫よ!」
「!?」
男が叫びながら両手を広げて妾の頭に抱き着いてきた。この男、人間の分際で千年を生きる竜である妾の顔に触れるとは!
衣服や言葉遣いからおそらく貴族であろうこの男を殺せば人間の国と揉めると思い、今まで加減をしてやっていたが、もう我慢がならぬ!
妾は大きく口を開き、男を噛み殺そうとして――
「幼き頃から逢瀬を夢見ていた! その翼は蒼穹の果てに広がる天を翔け! その瞳は人智を遥かに超えた叡智を宿す! 伝説の中だけに語られてきた人語を解す古代竜! それが我が愛しの黒竜姫だったとは! こんなに嬉しいことはないぞ! 最高だ! ははははっ!」
心底嬉しそうにしているその男の様子に、妾は口を閉じるのをやめた。
幾度となく殺されかけ、今もいつ殺されてもおかしくない状況なのにもかかわらず。
まったく警戒すらせずに、妾の閉じた口に頬擦りをするバカな男のその振る舞いに、なんだか殺すのがバカらしくなってしまった。
「……離れろ鬱陶しいヤツめ。ハエか貴様は」
「はっ!? 私としたことが!」
我に返ったのか男は慌てて妾の口から飛びのいた。胸に手を当て深く頭を下げた男は、申し訳なさそうに言った。
「淑女に対して大変失礼なことをしてしまった……! あまりの喜びについ我を忘れてしまってな……ここに深く謝罪しよう。許せ、姫よ」
「姫、姫とやかましい。おかしな名前で妾を呼ぶでない。踏み潰すぞ」
「その気品を感じる声音と口調! やはりお前は姫であったな! 顔立ちを見てそうではないかと思っていたが、私の見立てに間違いはなかった! これも愛がなせる技よな、黒竜の姫よ!」
「言葉が通じぬのか、貴様……」
前足で立ち上がって男を見下ろす。
妾が身を起こしたところを初めて見た男は、子供のように目を輝かせていた。何を期待しているのかは知らぬが、人間の愚かな好奇に応えるつもりは毛頭ない。
「我が背に乗って、なんとする」
「……?」
妾の問いかけに、男は眉根を寄せていぶかしげな顔をする。その瞬間、妾は翼を広げ大きく口を開けて怒声をあげた。
恐怖に怯えたこの人間が、二度とここに訪れることがないように。
「どうせ貴様も他の人間と同じであろう! 竜を乗騎として扱い、戦いの道具とし、力を誇示したいだけじゃ! 妾のような力のある竜を手なずけられれば、さぞ国では喜ばれるであろうからな! 違うか!」
妾の声に空気が震え、大音声が洞窟を揺らす。
「長き時を経て知恵を失い退化した他の竜がどうあろうとも、妾だけは決して人間などには従わぬ! 人間は愚かで、脆弱で、すぐに死ぬ! そのような下等な生き物を背に乗せるなど、たとえこの身朽ち果てようともあり得ぬことじゃ!」
嵐のような私の叫びが吹き抜けた後、男は呆然とした顔で立ち尽くしていた。ようやく身の程を知ったのであろう。
吹けば簡単に吹き飛んでしまう小さな人間と、強大な力を持つ竜である私が相容れることなど、決してありえないということが――
「美しい……なんと美しいのだ、我が愛しの姫よ……」
「……は?」
男は泣いていた。泣きながら、笑っていた。
そして困惑する妾の前でひざまずき、高らかに歌うように言った。
「お前の美しい漆黒の鱗は、どんな闇の中にあっても鮮やかに輝き一目で私の心を虜にする黒き真珠のよう……」
男がゆっくりと立ち上がり両手を広げる。
自分の言葉に感極まったのか、両目からはとめどなく涙が溢れていた。
「お前の気高き心は、どんなに荒れ果てた荒野にあっても決して手折られることなく力強く咲き誇る一輪の花のよう……」
妾の目をまっすぐに見ながら、男は真剣な表情で続けた。
「黒竜の姫よ。私は帝国の皇帝でありながら、一目お前の姿を見た瞬間に心を奪われてしまった。そして言葉を重ねて、お前の心に触れた今……すべてをなげうってでも共にありたいと願っている。戦わなくとも良い。いや、むしろ戦うな。戦ってその美しい鱗に傷一つつけることなどあってはならぬ」
男は妾の足元に近づいてくると、ひざまずいて足の爪先に口づけをする。
そして手を差し出して、初めて出会った時のようにその言葉を口にした。
「黒竜よ。私と番となり、生涯を共に生きてくれ」
番――オスとメスが常に共にあること。つまり、夫婦になるということじゃ。
ここにきてようやく妾は理解した。この人間が口にする言葉は、何一つ嘘偽りがない本心なのだということを。
この人間は同種の生き物に対するそれと同じように、恋愛対象として竜である妾のことを見ているのだということを。
「正気か貴様。短命な人間ごときが、どのようにして悠久の時を生きるこの妾と生涯を共にするというのか」
「問題ない! なぜなら私は不死身だからな! 事実、お前に何度殺されそうになっても立ち上がってきたであろう?」
「番になるということは、愛の営みをするということでもある。貴様のその小さな体でどのようにして十メートルにも及ぶ妾と愛を育むというのじゃ」
「無論、我が命を賭して! お前が求めるいかなる愛の形もこの私、フェルド・レア・ヴァンキッシュが全身全霊をもって応えてみせよう!」
よく分かった。この人間は頭がおかしい。
長き時を生き数多の人間を見てきたが、その中でもこやつはダントツでイカれておる。だが――
「――面白い」
「っ!?」
妾の身体から大量の蒸気が吹き上がり、竜の身体が人間の娘の身体に変わる。
人化した私のことを見て、男はなぜか落胆したような顔をしていた。
人間となった私の容姿は、人間の男であれば誰しもが見惚れるような絶世の美少女であるはずなのに。
まるでなぜ竜の姿ではないのだ? と言わんばかりに。やはり頭がおかしいのじゃこやつは。だがそんなところも面白い。
「人間。生涯を共に生きると言ったな。良かろう。これより妾と貴様の命はやがて朽ち果てるその時まで共にある。これは“心臓の誓い”じゃ。いかなる理由があれど、もしこの誓いが遵守されぬその時は――」
歩み寄り男の目の前で立ち止まる。妾より頭一つ分背の高い男は動揺しているのかこちらを見下ろして硬直していた。
妾は背伸びをして男の唇に口づけをすると、微笑みながら言った。
「――頭から噛み殺す。努々覚えておくがよい」
赤い天井に赤い床。赤い屋根に赤い壁。皇帝だったあの男が妾のために建てた朱の宮殿、業火宮。
物々しく囲われることを嫌う妾を気遣って、とても皇帝が訪れる宮殿とは思えない程に無防備な造りになっていて、人間嫌いな妾のために衛兵の一人すら立ち入れない。
妾と数人の侍女だけが暮らすには広すぎる程のその開けた宮殿には、毎日のようにあの男のやかましい声が響いていた。
だが、もう二度とあの男の底抜けに能天気な声を聴くことはない。
もう二度とあの男が……初めて出会った時から少しも変わることのなかった、一生分の憧れを詰め込んだような澄んだ瞳で、妾を見上げてくれることはない。
「……生涯を共に生きると誓ったのに……愚か者め」
ベッドの上で天井を見上げながら、一人死んだように動かなくなってからもう何週間が経っただろうか。
今日も妾の様子をうかがうため、侍女が部屋の外から声をかけてきた。
「へ、ヘカーテ様。お加減はいかがでしょうか……?」
その声には怯えが混じっている。当然だ。
あの男が魔物の討伐に失敗して死んだという知らせを聞かされた時、妾は自分でも信じられない程に取り乱し周囲に当たり散らした。
破壊が吹き荒れた後の部屋は廃墟のようになり、そうなる一部始終を侍女達は目の当たりにしていたのだ。
普通の人間であれば、もう二度と妾の傍に近づこうとは思わないだろう。
どんなに殴られても燃やされても、妾への愛を謳っていたあの男でもない限りは。
「何か御用がありましたら、いつでもお申し付けてくださいませ。私達侍女は皆、ヘカーテ様のことが心配で――」
「……」
返事をせずにいると、諦めたのか侍女の足音は遠ざかっていった。
それから少しすると、部屋から離れた宮殿の庭先から侍女達の声が聞こえてきた。
「ヘカーテ様、今日もお返事がなかったわ」
「先帝のフェルド様が魔物との戦いで亡くなられてから、もう一月近く経つのに」
「仕方ないわよ。フェルド様はヘカーテ様のことをまるで本当の皇妃様のように愛していたし、ヘカーテ様もフェルド様だけには心を許していたもの」
「フェルド様も不運よね。ヘカーテ様が一緒に討伐に行けば亡くなられなかったかもしれないのに」
「それは無理よ。フェルド様はヘカーテ様を一度も戦いに連れて行かなかったもの」
「それだけ大切に思っていたのね」
「おいたわしいわ、ヘカーテ様」
耳を塞いでベッドに顔を埋める。
「……侍女共の言う通りじゃ」
無理矢理にでも妾があの男に――フェルドについていけば。魔大陸からやってくる魔物なぞに後れを取ることはなかった。
いや、そもそも本当に“心臓の誓い”を結んでさえいれば、どうにでもなったのだ。だがあやつは言った。私は不死身だと。だから、妾はそれを信じて――
「なにが不死身じゃ! 魔物なんぞにあっさりと殺されおって!」
激した感情のままにベッドの横の壁を拳で叩く。破砕音と共に壁に大きな穴が空いた。
「妾がどれだけ殴っても死ななかったくせに!」
立ち上がり、ベッドを持ち上げて地面に叩きつける。木製のベッドは木片を周囲にまき散らしながら砕け散った。
暴れたのはこれで二度目だ。侍女達はますます妾を恐れて近づかなくなるだろう。
だがもうどうでも良い。フェルドが……唯一妾が心を許した人間がいなくなったこの国で。
誰にどう思われようが、最早どうでも良かった。
「……もう知らん。帰る」
山奥の元のねぐらに帰るため、乱れた服もそのままに部屋のドアに足を向ける。
その直後、外の廊下から侍女共の慌てた声が聞こえてきた。
「お待ちください! 若様!」
「今ヘカーテ様はお身体の調子が――」
続いて、その声を振り切るように、荒々しい足音が妾の部屋に近づいてくる。
足音の主は妾の部屋の前に立つと、入り口のドアを吹き飛ばすように遠慮なく開け放った。
「美しい女人よ! 貴女が黒竜の姫に相違ないか!」
そこに立っていたのは、赤髪のやけに偉そうな態度の童だった。
皇族が着るような豪奢な布の衣服を身に纏い、若様と呼ばれていたから、おそらくは現皇帝となったバーンの息子のいずれかであろう。
童は腕を組み仁王立ちをしながら破壊された部屋を見渡すと、動じた様子もなくうなずいた。
「うむ。この明らかに人外の者の手によって破壊されたであろう部屋の様子を見るに、貴女で間違いなさそうだ。それにしてもまた豪快にやったものだな! ふははは――」
「どけ」
尾を生やして童の身体を薙ぎ払う。
「ぐふっ!?」
横腹を妾の尾で殴られた童が吹き飛び、壁に叩きつけられた。
「妾は国を出る。二度とここには帰らぬ」
床に崩れ落ちるようにうずくまった童から返事はない。加減はしたがおそらく骨くらいは折れているであろう。
フェルド亡き今、後ろ盾のない妾が皇族に手を出したと知れればおそらくはただでは済むまい。
だがもうそれもどうでも良い。もしこの国の人間共が妾を討伐に来るのであれば全員――
「これが祖父殿が健康のために毎日食らっていたという黒竜姫の愛情表現か! なるほど、これは良い! 将来腰痛になった際には私も世話になるとしよう!」
「!?」
童が何事もなかったかのように立ち上がった。
やせ我慢ではない。打ち身や擦り傷こそあれ、骨には何も異常がないようだった。
「貴様、一体――」
「――すまなかった」
童が深く頭を下げる。意味が分からない。こやつは一体、私に対して何を謝罪して――
「祖父殿が亡くなられたのは、私のせいだ」
「……なんだと?」
童は顔を上げ、真剣な顔で妾の目を見た。
燃えるような赤い髪と赤い瞳。孫というだけあって、その顔には私と出会ったばかりの若い頃のフェルドの面影があった。
「魔物の討伐に行く前日、私は祖父殿から鋼鉄の神メテオールの加護を継承した。皇族のみに伝わる秘伝の継承術によってな」
「……あ」
その言葉に、今まで不思議に思っていたことがすべて腑に落ちた。
鋼鉄の神メテオールの加護。その効力は、身体を鋼鉄のように固くし、物理的な攻撃から身を守る。そして――
「……道理で妾の吐息で焼かれてピンピンしているわけじゃ」
――火に対する強力な耐性を得る。
あのペテン師め。なにが不死身じゃ。加護がなければただの脆弱な人間だったくせに。
どうせ自分に似た孫をかわいがるあまり、調子に乗って加護を譲ったのであろう。
それで無謀にも魔物の討伐に出かけて死ぬとは、本当に救い難い間抜けじゃ。
「もし祖父殿が加護を持ったままだったならば、魔物にやられることはなかっただろう。すまなかった。この程度で貴女の気が済むとは思えないが、恨みがあるのならばすべて私に――」
「……揃いも揃って間抜けばかりじゃな、ヴァンキッシュの皇族は」
童の頭に手をかざし魔法で怪我を治癒する。目を丸くして驚いている童に、妾は言った。
「あの男の命知らずっぷりは筋金入りじゃ。ジジイになっても最前線で戦うようなアホでは、加護があろうがなかろうがいずれは命を落としていたであろう。それがただ少し早かっただけの話じゃ」
そうじゃ。妾は何を勘違いしていたのか。分かっていたではないか。人はいずれ死ぬと。
それなのにあやつの言動があまりにも破天荒で。死という概念すらも覆してしまいそうな程にバカだったから。
信じてしまった。信じたくなってしまった。事実から目をそむけて、すがってしまった。
フェルドこそ……黒い鱗と大きな身体を持つため同族の竜からも恐れられ、孤独に長い時を生きてきた妾と、死ぬまで共に生きてくれる唯一の番なのかもしれないと。
「バカはお互い様、か……八つ当たりをしてしまってすまなかったな、童よ」
童の頭に手を乗せる。国を出て行く前に、最後に会えたのがこやつで良かった。
こやつと話さなければ妾はこれから一生、フェルドのことを思い出しては、ぶつけどころのない怒りと切なさに身を焦がしていたことであろう。
「ではな。フェルドのようなアホは見習わずに、まともな良き王になるのだぞ」
童の頭から手を離し、横を通り過ぎる。
開いたままのドアから外に出ると、不意に背後から抱き着かれた。
振り返ると、童が小さな身体で抱え込むように妾を抱きしめていた。
「なんじゃ。謝罪ならもう必要ないぞ。元より童の貴様が謝るようなことでは――」
「――掴まえた」
振り返った妾に童は勢いよく顔を上げると、満面の笑みで言った。
「掴まえたぞ、黒竜の姫よ! 今より貴女は私のものだ! だから国から出て行くことは許さん! いいな!」
「……は?」
困惑しながら童を見ると、大好きな玩具を見つけた子供のような目で妾を見上げている。
その目が、その顔が。出会った時のフェルドと重なった。
「白状するとだな、私は以前よりずっと、他のどの飛竜よりも雄大で美しい貴女の背に乗って、空を翔けてみたかったのだ。だが祖父殿が、自分が生きている間は絶対に他の者は乗せてやらんと頑として譲らなかった。だから今までずっと我慢してきたのだ」
童はうつむき、握りしめた拳を震わせながら言った。
「祖父殿が亡くなられたことは残念に思う。当然、傍にいた貴女が最も気を落としていることだろう。だからしばらくの間は自分の気持ちは抑えておこうと思っていた。だが――」
勢いよく顔を上げた童は、訴えかけるような必死な表情で叫ぶ。
「生来より堪え性がなかった私は今朝、ついに我慢が限界に達し、いても立ってもいられなくなってここに押しかけてしまったのだ! 貴女の背に乗るためにな! だというのにだ!」
一々歌劇のセリフのように身振り手振りで語る童に、つい口元がほころんでしまう。
大げさなヤツめ。いや、フェルドも妾に求婚してきた時は、似たようなものだったが。血は争えぬということか。
「顔を合わせるなり貴女は国を出て行くという! それは物心ついた時より空を舞う貴女の姿に恋焦がれ、ずっとこの瞬間を待ち望んでいた私に対してあまりにも無慈悲な行いだとは思わんか!?」
「口説き文句まで似たようなことを言いおって……貴様、先程自分のせいでフェルドが死んだと言っておきながら、死んだ途端にこれ幸いと妾を自分のものだと言い、あまつさえ背に乗せろなどと。あつかましいにも程があるとは思わぬのか?」
「謝罪せずとも良いと言ったのは貴女だぞ! それに――」
童はドン、と自らの胸を拳で叩く。
そして昂る感情を閉じ込めたかのような、熱を帯びた声で言った。
「祖父殿は死んだが、その力と意志は私の中で生きている。私が死んだ後は、また次の強者が引き継ぐであろう。そうやって人は、肉体が朽ち果てた後も力と意志を伝えていくことで悠久の時を生きるのだ」
力と意志を伝えることで、悠久の時を生きる。
フェルドが言っていた妾と共に生きるというのは、それを見越したことだったのやもしれぬな。
そうでなければ何千年も生きる竜と生涯寄り添う誓いを立てるなど、気が触れた者の戯言にも程がある。
まったく……腹立たしい男だ。
あの男は妾に、たとえ肉体が滅びようとも自分が残した力と意志が消え去るその時まで、妾と共に生きようと、そう言っておったのだ。
やはりあの時噛み殺しておくのだったな。
「祖父殿は魔大陸からやってくる魔物や、虎視眈々と我が国を狙っている周辺の強国の手から、この国と大切な者達を守るために命を賭していた。その意志を引き継ぐためには私の力だけでは到底足りぬ」
童が妾の足元にひざまずく。あの日、フェルドが妾に求婚した時のように。
「黒竜の姫、ヘカーテよ。我が翼となり、共に空を翔けてくれ。この国を守るために」
この童はきっとフェルドと違って妾と生涯を共にする番になるつもりはない。
妾を手に入れたいのも、軍事力の強化といった打算的な考えがあってのことだろう。
人間の都合など妾にとってはどうでも良いし、この国がどうなろうが知ったことではない。
だが――
「――物足りぬな」
この童がフェルドの力と意志を受け継ぐ者と言うのならば。
共に生きると“心臓の誓い”を立てた番である妾は見届けなければなるまい。
「フェルドの力と意志を受け継ぎ、この国を守る? だから手を貸してくれ? 他人の力をあてにし、他人の意志に縛られて生きるだけの矮小で脆弱な人間を、妾が背に乗せると思うたか?」
フェルドの生きた証がこの世界から消え去るその時まで。
「妾を従えたくば、己が意志を示してみよ。このヘカーテが背に乗せるに足る程の、鋼鉄よりも固く、燃え盛る炎のごとく強き意志をな」
「……フッ。どうやら貴女を手に入れるためにはうわべだけの言葉ではなく、己が内をつまびらかにするほかないようだ。では告げるとしよう、未だ誰にも語ったことのない我が野望の灯を!」
童は獣のような野蛮な笑みを浮かべると、私の両手を強引に引き寄せた。
そしてもう離さぬと言わんばかりに強く握りしめてくると、目を見開き、喉も張り裂けんばかりに秘していた思いの丈を叫んだ。
「私はヴァンキッシュの皇帝になる! そして、先帝フェルドの意志を受け継ぎ、ただ国を守るだけではなく! 圧倒的な力をもってすべての国を屈服させ、ヴァンキッシュを世界一の強国とし! 千年先、二千年の未来にもロマンシア大陸の歴史にこの名を轟かせよう!」
童の瞳の中に、業火のごとき野心の炎が燃え盛っているのが見えた。
これが内に秘していた本性とは、なんという傲慢な人間か。
フェルドのような好戦的なれど本質的には平和を愛していた男とはまるで違う。
まだ童なれど、この男の野望はいずれ大陸に大火を巻き起こすであろう。
「我が名はアルフレイム! ヴァンキッシュ帝国第一皇子、アルフレイム・レア・ヴァンキッシュである!」
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