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3巻
3-3
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あれこそ、人智を超えた技と言えるでしょう。さすがは先生です。
「ぐぅ……な、何が起こった……?」
殴られた顔を押さえながら、バロックさんがよろよろと立ち上がります。
彼は目の前に立っている私を見ると、服を羽織るような仕草をして慌てて叫びました。
「隠者の羽衣よ!」
バロックさんの姿が景色に溶け込み消えます。ですが――
「ここら辺でしょうか」
「ぐはぁっ!?」
無造作に放った私の拳が見えないバロックさんのどこかをえぐりました。
少し遅れて腹を押さえてうずくまったバロックさんが姿を現します。
「お好きなだけ隠れて良いですよ。その度に殴って叩き出して差し上げますので」
笑顔でそう告げて、左の拳をにぎにぎします。
バロックさんは引きつったお顔で私を見上げると、困惑した声で言いました。
「な、なぜだ……なぜ私に攻撃を当てられる!?」
「まだ気づきませんか? さて、これはなんでしょう」
「これ……?」
右手に握った包帯を見せつけます。
バロックさんはそれが自分の身体から伸びている物だと気がつくと――
「……待て。一旦仕切り直そうではないか。隠者の羽衣を見破った貴様に敬意を表して、今度はチャクラムを使わずに相手をしてやろう。何を隠そう、私には未だ誰にも見せたことがない剣を使った秘技がある。だから正々堂々、拳と剣のぶつかり合いで決着をつけて――」
「先ほど申し上げましたね、実刑判決だと。断罪ですわ、バロックさん――お山の養分におなりなさい」
包帯を引っ張りこちら側に引き寄せながら、顔面に拳を叩きつけます。
「うぎゃあああ!?」
吹っ飛び後ろに引っ張られた身体の勢いに耐えきれなくなった包帯が引きちぎれると、バロックさんは遥か遠くの山肌に頭から突っ込んで、上半身を地面に埋めたまま動かなくなりました。
「頭隠して尻隠さず。隠れるのがお上手なバロックさんにしてはお粗末な最後でしたわね」
拳を引き、構えを解いて一息つきます。
前衛芸術と化したバロックさんを見て、ナナカは嫌そうな顔をしていました。
「あいつの姿を見てたら、初対面でスカーレットに殴られた時のトラウマが蘇ってきた……」
「安心してください。ナナカはもっと可愛い感じで壁に埋まっていましたよ。なにしろメイド服でしたし」
「どこに安心する要素があるんだよ!」
さて、本命をぶっ飛ばしたところで。残った残飯の処理はどうしましょうか。
そう思いながら彼らがいた方に振り返ると――
「あんな化け物と戦っていられるかあ! 逃げろ逃げろ!」
「家の再興などどうでも良い! あんな無惨な姿になるのだけはごめんだ!」
「前衛芸術になるのは嫌だあ!」
口々に悲鳴をあげて我先にと逃亡していきました。
こんな辺鄙な場所に来てまで這いあがってやろうという不屈の気概があるのかと思えば、少し不利な状況になればすぐに泣き言を口にし、現実に向き合わず背を向けて逃げ出す。
本当に救いようのないクズ共ですわね。
「ナナカ、逃亡した彼らの捕縛をお任せしてもよろしいでしょうか」
「それは構わないけど……って、おい! スカーレット!?」
ナナカの声を背中に受けながら、身体強化を使って地面を蹴り跳躍。そのままの勢いで一気に山を駆けおります。行き先は先ほど通った分かれ道の先。商隊が進んでいった観光客向けの山道です。
「……間に合うかしら」
山賊が私達を監視していて機を見て襲ってきたのであれば、当然商隊が近く通るのも把握していたはず。商隊には冒険者の護衛の方々もいましたが、私達が相対したような訓練を積んだ騎士や異端審問官に襲われては分が悪いでしょう。
無辜の民に被害が出る前に、一刻も早く私の暴力をお届けしなければなりません。
「……?」
逸る気持ちを抑えながら、山の斜面を一足飛びで駆けていると、遥か頭上の空からなにか大きな物体が飛んでくるような音が聞こえてきました。
空を見上げると、木々の葉の隙間から黒い巨大な生き物の影が垣間見えます。
「あれは……飛竜?」
見間違いようもありません。それはゴドウィン様を追い詰めた奴隷オークションの会場となった大講堂の屋上――そこに舞い降りてきた隣国ヴァンキッシュに住まう飛竜の姿でした。
我がヴァンディミオン家のペット兼、私の乗騎となっているレックスのおかげで飛竜の存在は見慣れていますし、そもそもここら辺には野生の飛竜も生息しているので、見かけること自体は珍しくはないでしょう。
ですが、今空を飛んでいった飛竜には鞍が付いており、私の角度からは良く見えませんでしたが明らかに人が騎乗しているようでした。
つまりあれは野生の飛竜ではなく、ヴァンキッシュ帝国の竜騎兵が乗った飛竜だということです。
「――〝加速二倍〟」
足元に加速の加護を集中させて地面を蹴り、一気に突き進みます。
国境に近いとはいえ、ここはまだパリスタン王国の領土。ヴァンキッシュの飛竜が入り込んでいるなんて、尋常な事態ではありません。
しかも飛竜が向かっていった先は、商隊が向かっていった方角。
となれば――
「息抜きに登山をして、ついでに山の幸をつまめれば良いと思っておりましたが……これはとんだ大捕り物になりそうですわね」
斜面を駆けおりている途中、遠くから「ぎょえええ!?」という野太い殿方の悲鳴が聞こえてきました。普段ならば「まあ愉快な悲鳴!」と笑顔になるところですが、悲鳴に混じって竜の鳴き声と共に「オラァ! オラァ!」とガラの悪そうな殿方の怒号が聞こえる以上、そう楽観視してはいられなさそうです。
「……それにしてもヴァンキッシュの竜騎兵ですか。まさかとは思いますが、またあのお方が関わっているのではないでしょうね」
殴っても気持ち良くない嫌なお肉の記憶が蘇りかけますが、足に力を込めて思い切り跳躍することで振り払います。
景色があっという間に後方に流れていき雑木林を抜けると、開けた山道に出ました。
そこには動きを止めた商隊の馬車と商人。
倒れ伏した山賊と思わしき十数人の男達。
そしてひと際目立つ一人の殿方の後ろ姿がありました。燃えるような赤髪をして、竜を模した刺々しい鎧を着こんだその方は、私の気配を察したのかこちらに向かって振り返ります。
その方は私を見るなり口元を緩め、歓喜に満ちあふれた声で言いました。
「――おお、運命の時は来たり。この瞬間を一体、幾星霜待ち望んだことか」
燃えるような赤髪に肉食獣めいたギラギラとした目。
鎧の上からでも分かる屈強な肉体をしたその殿方の名は、アルフレイム・レア・ヴァンキッシュ様。隣国ヴァンキッシュ帝国の第一皇子であり、かつてゴドウィン様をそそのかして我が国に内乱を起こそうと画策した張本人です。
「……ごきげんよう、アルフレイム様。お久しぶりですわね」
鋼鉄の神メテオールの加護を持つアルフレイム様は、私の攻撃すらも余裕で受け止める尋常ではない耐久力の持ち主で、槍の腕前に関しても大陸で五指に入ると言われている武名高きお方でした。
そこだけを取ってみれば、一定の敬意を持ってしかるべきお方のように見えます。
実際、出会った時の印象さえ悪くなければ、私もアルフレイム様を一国の皇子として敬意を持って接する未来もあったでしょう。
ですが、彼の性格や気質を知った今となっては、それはもう絶対にあり得ないと断言できます。
なぜなら――
「愛しの撲殺姫スカーレットよ。我が伴侶となり、共に竜の国を統べようではないか。私のプロポーズ、受けてくれるな……?」
奴隷オークションの日、大講堂の屋上で初めて出会った時と同じように、私の足元にひざまずいて求婚をしてくるアルフレイム様。このようにこの方は、自分が気に入った女性に対して、場所も空気もわきまえずに求婚するという節操のなさをお持ちなのです。
正直に言って私が一番嫌いなタイプの殿方ですわね。
そんなお方に対する答えは言葉ではなく、これで十分でしょう。
「謹んでお断り申し上げます」
「オッフゥ!?」
私に顔面を殴られて頭からズザーッと地面を滑っていくアルフレイム様。
相変わらずまるで鉄でも叩いたかのようなこの感触……
やっぱり私、このお肉嫌い。
◆ ◆ ◆
「危ないところを救って頂き、なんとお礼を言えばよいか……本当にありがとうございました、ヴァンキッシュの方々」
救われたことに感謝して去っていく商隊を見送った後。
アルフレイム様が引き連れていた鎧姿の四人の竜騎兵の一人――ジンと名乗る、鋭い目つきをした短髪の方が、私に頭を下げました。
「主の無礼をお詫びいたします。ヴァンディミオン家のご令嬢」
「顔面を殴られた主の心配はなしか?」
会話に割って入ろうとしてくるアルフレイム様を、自業自得ですと言わんばかりに涼しい顔で無視するジン様。このお方、蛮族国家の兵らしからぬ落ち着いた物腰をしておりますわ。
しかし油断はできません。なにしろあのアルフレイム様の部下ですから。
「お詫びは結構です。その方のおかしな言動は既に存じておりますので。そんなことよりも、隣国ヴァンキッシュの兵である貴方達が、パリスタンの領土であるこの地で一体何をしているのですか?」
念のため、いつ戦闘になっても良いように気を張っておきましょう。
少しでも彼らが攻撃の意志を見せたら、即座に殴りかかれるように。
「言わずとも分かっておりますわね? 領土侵犯は宣戦布告と同義だということを」
私の問いにジン様は少し思案するように目を伏せます。
そして、言葉を選ぶように慎重に口を開こうとした直後。
突然思い立ったかのように、アルフレイム様が自信満々のドヤ顔で割り込んできました。
「近くを飛んでいたら、我が国に商品を運ぶ商隊が賊に襲われておるではないか! 周囲にパリスタンの兵はおらぬし、このままでは積荷が危ういと思った故、救ったまでのことよ! 善行をなすと心地が良いな! はっはっは!」
会話を遮られたジン様が眉根を寄せて、なにか言いたげな表情でアルフレイム様を一瞥します。
敵国の方ながらそのお気持ち、とても良く分かります。殴りたいですよね、この笑顔。
ジン様はため息をついてから、私に向き直って言いました。
「領土侵犯については機密事項故に詳細はお話できませんが、ヴァンキッシュの国境に近い山岳地帯の通行に関していえば、パリスタン側の許可を得て行っていることです。決して、そちらの国と争うつもりではないことをご理解していただきたく――」
「その通り! 水面下ではすでにジュリアス殿と話は通してある故、何も心配することはないのだぞ、スカーレ――オッフゥ!?」
ジン様が持っていた槍の石突でアルフレイム様の腹をゴスッと突きました。
かなりの勢いでいったせいか、さしものアルフレイム様も腹を押さえて震えています。
「機密事項と言ったばかりなのに、さっきから何勝手してくれてるんですかこのクソ皇子は。お願いですからもう口を開かないでくれます? 突きますよ?」
「もう突いておるのだが……」
思わずよくやったと親指を立てそうになりました。でも冷静に考えてみれば、主を諫めるにしても石突とはいえ槍で突くのはさすがにやりすぎなのでは――
「あーアル様、またジン兄に殴られてるー」
「自業自得。良い薬だ」
「なんだ決闘か!? うおー! 俺も混ぜろー!」
と思いましたが、配下の竜騎兵の方々の緩い反応を見るに日常茶飯事なのでしょう。
仲がおよろしいことで。
「ジュリアス様に話は通してある、と言っておりましたが、一体どういうことですか?」
ジン様に問うと、彼は「それは……」と言い淀み、アルフレイム様を見てチッと舌打ちをしました。
「貴方が余計な口出しをするから面倒なことになってしまったではないですか。一体どうするんですかこの始末。先方に怒られても知りませんよ、俺」
「やってしまったものは仕方あるまい! なに、スカーレットならば言ってしまっても大丈夫であろう! 遅かれ早かれ私の妻になる女であるからな!」
たとえ生まれ変わったとしても絶対にそれだけはあり得ないのでご安心を。
「もし言い辛いことであれば、拳で直接身体にお聞きしましょうか?」
拳を握りしめながら首を傾げると、アルフレイム様は両手を広げた無防備なお姿になり目を大きく見開きます。
「相変わらず激しい愛情表現であるな!? 良いぞ良いぞ! あの夜の続きを今ここで始めようか!」
「舐められたものですね。いくら鋼体の加護があるとはいえ、数々の戦いで鍛え上げられた今の私を、あの時と同じように思っているのならば痛い目を見ますよ。死ぬほどに」
「ほう、それは楽しみだ。私も以前と同じではないぞ。貴女が鍛えていたように、私の加護と筋肉も日々密度と硬度を増している。このようにな――!」
鋼体の加護の発露を感じた瞬間、アルフレイム様の足元の地面がひび割れます。
言葉通り、以前に相対した時よりさらに力を増しているようですわね。
まったく面倒な。あらゆる意味でこの方と私の相性は最悪なようです。
「さあ来たまえ。我が全霊を持って、貴女の想いと拳すべてを抱き締めてみせよう!」
「二度とパリスタンの地に足を踏み入れることができないように、今度は天界の果てまでぶっ飛ばして差し上げますわ」
〝身体強化〟と〝加速〟の加護を重ね掛け――場合によっては〝停滞〟も使うことになるでしょう。ただでも打撃の効果が薄いこの方相手に生半可な攻撃など無意味ですし、不本意ながら最初から全力でいかせていただきます。
問題はアルフレイム様を倒した後、配下の方々をまとめて相手にできるかということですが――
「アルフレイム様」
大柄で頬に大きな傷がある竜騎兵の方が、何か四角い箱のような物を持って私達の方に近づいてきました。あれは……遠距離通信用の魔道具でしょうか。
「どうした! 見た通り、今私は久方ぶりの強者との闘争を前に血が滾っておる! くだらない理由であれば、お前達であろうが容赦せぬぞ!」
「パリスタンから通信が入っております。同盟を破棄されたくなければ五秒以内に出るようにとのことです」
「ようし! しばし待っておれ、スカーレット!」
そのままの勢いで傷のある竜騎兵の方に駆け寄っていくアルフレイム様。
この計ったかのようなタイミングでの通信。
何かとても嫌な予感がします。そう、腹黒なあのお方の予感が。
まあそれはそれとして――
「――背中がガラ空きですわ、業火の貴公子様」
助走をつけてアルフレイム様の背に飛び蹴りを叩き込みます。
「ぐおおお!?」
ドゴォ! という打撃音を残して、アルフレイム様が地面に顔面を擦り付けながら吹っ飛んで行きます。
「それで、通信とはどなたからです?」
何事もなかったかのようにそう言うと、吹っ飛んでいったアルフレイム様を無言で見つめていた傷ありの方が、ジン様に問いかけます。
「副隊長、良いのか?」
「何をやっているんだかあのクソ皇子は……ああ。この方であれば問題ない」
ジン様が許可を出すと、傷ありの方は「どうぞ」と言って私に通信機の受話器を差し出してきました。物分かりが良くて結構なことです。
さて、一体どんな腹黒な声が聞こえてくるのでしょう――
「『スカーレット!? なんだ、今の人間が地面を削りながら滑っていくような音と雄たけびは!? おい、スカーレット! そこにいるんだろう! スカーレットォォオ!』」
「……レオお兄様?」
受話器向こうの意外なその声に、思わず目を丸くしてしまいました。
どうしてレオお兄様がヴァンキッシュの方々と通信を?
なにはともあれ、早急に私がおかれている状況を説明しなければなりません。
そうしないとお兄様の胃が死んでしまいます。
「『落ち着けレオ。山にアクシデントは付き物だ。私が思うに、どこぞの皇子が、背中から野生の獣に飛び蹴りでもされて吹っ飛んでいったのだろうよ。そうであろう、狂犬姫よ』」
叫ぶお兄様の声を背景に、含み笑いを堪えた腹黒な声が聞こえてきました。
あの、無理矢理取っておいてなんですが、やっぱりこの通信切って良いですか?
「『その様子ではまだ大事に及んではいないようだな。一応言っておくと、私はそこで転がっているであろうヴァンキッシュの第一皇子と個人的な協力関係を結んでいる。敵対するような行為は謹んでもらえると嬉しいのだが』」
受話器を傷ありの方に返そうとしたタイミングを見計らうように、再びジュリアス様の声が聞こえてきました。
まあ、そうですわよね。ジュリアス様なら秘密裡にヴァンキッシュの方と連絡を取り、何か良からぬことを企んでいたとしてもなにも違和感はありません。
「既に飛び蹴りしてしまった後ですが」
「『一発や二発程度ならまあ大丈夫だろう。鋼鉄よりも硬い身体と、雲一つない蒼穹がごとく能天気……ではなく、広い心を持っているアルフレイム殿のことだ。その程度のことでケチケチ言うまい』」
私の一発や二発程度は普通の方なら致命傷の一撃ですが。
念のためチラリと転がっていったアルフレイム様に視線を向けます。
「わずかな隙も見逃さぬその容赦のなさ! ますます惚れたぞ、スカーレット!」
何事もなかったかのように立ち上がっておりました。
もう二、三発程度ブチ込んでも大丈夫じゃないですか、あの方。
いえ、今は殴っても楽しくないお肉のことは後回しにしましょう。
「……ジュリアス様、お聞きしてもよろしいですか?」
「『何だ? まあ、何を言おうとしているのかは大体予想はつくが』」
「そこにいるヴァンキッシュ帝国の方々は、元宰相であるゴドウィン様をそそのかし、パリスタン王国を破滅に追いやろうとした張本人です。そんな方々と個人的に協力関係を結んだ、などと聞かされては平静でいられるはずもありません」
かつての事件の時、彼らがどこまで裏で糸を引いていたのか。どれだけゴドウィン様と密接な関係にあったのか。それは今となっては知る由もありません。ですが――
「おそらくは、なにか彼らとの間で高度な政治的駆け引きがあったのでしょう。ですがあの時、奴隷オークションの現場にいた私としては、心情的にどうしてもこの方々を信用できません。端的に言えば、そう――今すぐここにいる全員をぶっ飛ばして、ヴァンキッシュまで空輸で強制送還してやりたいとすら思っております」
私の言葉に、ヴァンキッシュの方々の顔色が緊張したものに変わります。
次の瞬間、いつ戦闘が始まってもおかしくない。そう判断したのでしょう。
その直感は正解です。隙あらば殴る。それが私のモットーですから。
「そうさせたくないのであれば、協力関係を結ぶに至った経緯と理由をお聞かせくださいませ。ちなみに先ほどジン様がおっしゃったような機密故に言えない、などという言い訳は通用しないものと思ってくださいな」
名指しされたジン様が顔をしかめて、面倒なことになったと言わんばかりの表情をされています。
私としても、こんな面倒なやり取りはせずに手っ取り早く殴って解決したいのです。
ですが、レオお兄様にもこのやり取りを聞かれてしまっている以上、なるべく穏便に解決しようとしたという建て前がなければ後で悲しませてしまいますからね。
兄想いの良き妹というのも大変なものです。ふふ。
「『悪徳宰相飛翔事件から少し経った後、アルフレイム殿から手紙が届いてな。そこには件の事件は自分が個人的に企んだことで、国は何も関与していないという言葉と共に、私と個人的な協力関係を結びたいという旨が書かれていた』」
ジュリアス様から聞かされた衝撃の事実に、私は思わず呆れてしまいました。
パリスタン王国の安寧を揺るがすようなことを国の方針ではなく、個人的に企んでいたというのも十二分に腹立たしいことですが、その上さらに――
「我が国を侵略しようとした直後にその口で協力関係を結びたいなどと、大した二枚舌ですわね」
目を細めてアルフレイム様を睨みつけます。
私の視線に気づいた彼は、満面のドヤ顔で言いました。
「良く分からんが褒められたようだぞ、お前達! ふはは! さすが私! 燃え盛らんばかりの存在感がなにをしようと人の憧憬と羨望を集めてしまう! 自分の才能が恐ろしいぞ!」
「どう見てもあれは軽蔑の視線ですよ。クソ皇子」
ジン様に辛辣な突っ込みを受けているアルフレイム様から視線を外します。
もう彼を見るのは辞めましょう。精神衛生上あまりよろしくなさそうです。
殴ってもおいしくありませんし、言動も脳筋すぎて理解できませんし。
私のため息が受話器の向こうにも届いたのでしょう。
ジュリアス様は苦笑するような声を漏らした後、話を続けました。
「『私はさして驚きはしなかったがな。ヴァンキッシュ側の事情も予想がついていたし、アルフレイム殿個人の企みであったという話もヴァンキッシュに放っていた間諜の報告から、裏は取ってある。自国が荒れている中で侵略が成功しなかった以上、内と外に敵を作らないためにもとりあえず片方と同盟を結ぶのは、感情論を除けばまっとうな考えだ』」
「ヴァンキッシュ側の事情とは……後継者争いに関係することですか?」
パリスタンの宮廷でまことしやかに流れていた噂によれば、ヴァンキッシュ帝国の現皇帝は年齢と病気が原因で、近々退位することを発表されたとか。
ヴァンキッシュ帝国といえば、代々最も武勇が優れた者が皇帝となり国を統べる、正に己の拳こそがすべての脳筋国家。世襲制ではない以上、ヴァンキッシュに暮らす、すべての者に皇位継承権が存在し、後継者争いの激しさは他の国の比ではないとのことです。
今は正にその真っ最中とのことですから、国内は身内同士の争いによって荒れに荒れていることでしょう。
「ぐぅ……な、何が起こった……?」
殴られた顔を押さえながら、バロックさんがよろよろと立ち上がります。
彼は目の前に立っている私を見ると、服を羽織るような仕草をして慌てて叫びました。
「隠者の羽衣よ!」
バロックさんの姿が景色に溶け込み消えます。ですが――
「ここら辺でしょうか」
「ぐはぁっ!?」
無造作に放った私の拳が見えないバロックさんのどこかをえぐりました。
少し遅れて腹を押さえてうずくまったバロックさんが姿を現します。
「お好きなだけ隠れて良いですよ。その度に殴って叩き出して差し上げますので」
笑顔でそう告げて、左の拳をにぎにぎします。
バロックさんは引きつったお顔で私を見上げると、困惑した声で言いました。
「な、なぜだ……なぜ私に攻撃を当てられる!?」
「まだ気づきませんか? さて、これはなんでしょう」
「これ……?」
右手に握った包帯を見せつけます。
バロックさんはそれが自分の身体から伸びている物だと気がつくと――
「……待て。一旦仕切り直そうではないか。隠者の羽衣を見破った貴様に敬意を表して、今度はチャクラムを使わずに相手をしてやろう。何を隠そう、私には未だ誰にも見せたことがない剣を使った秘技がある。だから正々堂々、拳と剣のぶつかり合いで決着をつけて――」
「先ほど申し上げましたね、実刑判決だと。断罪ですわ、バロックさん――お山の養分におなりなさい」
包帯を引っ張りこちら側に引き寄せながら、顔面に拳を叩きつけます。
「うぎゃあああ!?」
吹っ飛び後ろに引っ張られた身体の勢いに耐えきれなくなった包帯が引きちぎれると、バロックさんは遥か遠くの山肌に頭から突っ込んで、上半身を地面に埋めたまま動かなくなりました。
「頭隠して尻隠さず。隠れるのがお上手なバロックさんにしてはお粗末な最後でしたわね」
拳を引き、構えを解いて一息つきます。
前衛芸術と化したバロックさんを見て、ナナカは嫌そうな顔をしていました。
「あいつの姿を見てたら、初対面でスカーレットに殴られた時のトラウマが蘇ってきた……」
「安心してください。ナナカはもっと可愛い感じで壁に埋まっていましたよ。なにしろメイド服でしたし」
「どこに安心する要素があるんだよ!」
さて、本命をぶっ飛ばしたところで。残った残飯の処理はどうしましょうか。
そう思いながら彼らがいた方に振り返ると――
「あんな化け物と戦っていられるかあ! 逃げろ逃げろ!」
「家の再興などどうでも良い! あんな無惨な姿になるのだけはごめんだ!」
「前衛芸術になるのは嫌だあ!」
口々に悲鳴をあげて我先にと逃亡していきました。
こんな辺鄙な場所に来てまで這いあがってやろうという不屈の気概があるのかと思えば、少し不利な状況になればすぐに泣き言を口にし、現実に向き合わず背を向けて逃げ出す。
本当に救いようのないクズ共ですわね。
「ナナカ、逃亡した彼らの捕縛をお任せしてもよろしいでしょうか」
「それは構わないけど……って、おい! スカーレット!?」
ナナカの声を背中に受けながら、身体強化を使って地面を蹴り跳躍。そのままの勢いで一気に山を駆けおります。行き先は先ほど通った分かれ道の先。商隊が進んでいった観光客向けの山道です。
「……間に合うかしら」
山賊が私達を監視していて機を見て襲ってきたのであれば、当然商隊が近く通るのも把握していたはず。商隊には冒険者の護衛の方々もいましたが、私達が相対したような訓練を積んだ騎士や異端審問官に襲われては分が悪いでしょう。
無辜の民に被害が出る前に、一刻も早く私の暴力をお届けしなければなりません。
「……?」
逸る気持ちを抑えながら、山の斜面を一足飛びで駆けていると、遥か頭上の空からなにか大きな物体が飛んでくるような音が聞こえてきました。
空を見上げると、木々の葉の隙間から黒い巨大な生き物の影が垣間見えます。
「あれは……飛竜?」
見間違いようもありません。それはゴドウィン様を追い詰めた奴隷オークションの会場となった大講堂の屋上――そこに舞い降りてきた隣国ヴァンキッシュに住まう飛竜の姿でした。
我がヴァンディミオン家のペット兼、私の乗騎となっているレックスのおかげで飛竜の存在は見慣れていますし、そもそもここら辺には野生の飛竜も生息しているので、見かけること自体は珍しくはないでしょう。
ですが、今空を飛んでいった飛竜には鞍が付いており、私の角度からは良く見えませんでしたが明らかに人が騎乗しているようでした。
つまりあれは野生の飛竜ではなく、ヴァンキッシュ帝国の竜騎兵が乗った飛竜だということです。
「――〝加速二倍〟」
足元に加速の加護を集中させて地面を蹴り、一気に突き進みます。
国境に近いとはいえ、ここはまだパリスタン王国の領土。ヴァンキッシュの飛竜が入り込んでいるなんて、尋常な事態ではありません。
しかも飛竜が向かっていった先は、商隊が向かっていった方角。
となれば――
「息抜きに登山をして、ついでに山の幸をつまめれば良いと思っておりましたが……これはとんだ大捕り物になりそうですわね」
斜面を駆けおりている途中、遠くから「ぎょえええ!?」という野太い殿方の悲鳴が聞こえてきました。普段ならば「まあ愉快な悲鳴!」と笑顔になるところですが、悲鳴に混じって竜の鳴き声と共に「オラァ! オラァ!」とガラの悪そうな殿方の怒号が聞こえる以上、そう楽観視してはいられなさそうです。
「……それにしてもヴァンキッシュの竜騎兵ですか。まさかとは思いますが、またあのお方が関わっているのではないでしょうね」
殴っても気持ち良くない嫌なお肉の記憶が蘇りかけますが、足に力を込めて思い切り跳躍することで振り払います。
景色があっという間に後方に流れていき雑木林を抜けると、開けた山道に出ました。
そこには動きを止めた商隊の馬車と商人。
倒れ伏した山賊と思わしき十数人の男達。
そしてひと際目立つ一人の殿方の後ろ姿がありました。燃えるような赤髪をして、竜を模した刺々しい鎧を着こんだその方は、私の気配を察したのかこちらに向かって振り返ります。
その方は私を見るなり口元を緩め、歓喜に満ちあふれた声で言いました。
「――おお、運命の時は来たり。この瞬間を一体、幾星霜待ち望んだことか」
燃えるような赤髪に肉食獣めいたギラギラとした目。
鎧の上からでも分かる屈強な肉体をしたその殿方の名は、アルフレイム・レア・ヴァンキッシュ様。隣国ヴァンキッシュ帝国の第一皇子であり、かつてゴドウィン様をそそのかして我が国に内乱を起こそうと画策した張本人です。
「……ごきげんよう、アルフレイム様。お久しぶりですわね」
鋼鉄の神メテオールの加護を持つアルフレイム様は、私の攻撃すらも余裕で受け止める尋常ではない耐久力の持ち主で、槍の腕前に関しても大陸で五指に入ると言われている武名高きお方でした。
そこだけを取ってみれば、一定の敬意を持ってしかるべきお方のように見えます。
実際、出会った時の印象さえ悪くなければ、私もアルフレイム様を一国の皇子として敬意を持って接する未来もあったでしょう。
ですが、彼の性格や気質を知った今となっては、それはもう絶対にあり得ないと断言できます。
なぜなら――
「愛しの撲殺姫スカーレットよ。我が伴侶となり、共に竜の国を統べようではないか。私のプロポーズ、受けてくれるな……?」
奴隷オークションの日、大講堂の屋上で初めて出会った時と同じように、私の足元にひざまずいて求婚をしてくるアルフレイム様。このようにこの方は、自分が気に入った女性に対して、場所も空気もわきまえずに求婚するという節操のなさをお持ちなのです。
正直に言って私が一番嫌いなタイプの殿方ですわね。
そんなお方に対する答えは言葉ではなく、これで十分でしょう。
「謹んでお断り申し上げます」
「オッフゥ!?」
私に顔面を殴られて頭からズザーッと地面を滑っていくアルフレイム様。
相変わらずまるで鉄でも叩いたかのようなこの感触……
やっぱり私、このお肉嫌い。
◆ ◆ ◆
「危ないところを救って頂き、なんとお礼を言えばよいか……本当にありがとうございました、ヴァンキッシュの方々」
救われたことに感謝して去っていく商隊を見送った後。
アルフレイム様が引き連れていた鎧姿の四人の竜騎兵の一人――ジンと名乗る、鋭い目つきをした短髪の方が、私に頭を下げました。
「主の無礼をお詫びいたします。ヴァンディミオン家のご令嬢」
「顔面を殴られた主の心配はなしか?」
会話に割って入ろうとしてくるアルフレイム様を、自業自得ですと言わんばかりに涼しい顔で無視するジン様。このお方、蛮族国家の兵らしからぬ落ち着いた物腰をしておりますわ。
しかし油断はできません。なにしろあのアルフレイム様の部下ですから。
「お詫びは結構です。その方のおかしな言動は既に存じておりますので。そんなことよりも、隣国ヴァンキッシュの兵である貴方達が、パリスタンの領土であるこの地で一体何をしているのですか?」
念のため、いつ戦闘になっても良いように気を張っておきましょう。
少しでも彼らが攻撃の意志を見せたら、即座に殴りかかれるように。
「言わずとも分かっておりますわね? 領土侵犯は宣戦布告と同義だということを」
私の問いにジン様は少し思案するように目を伏せます。
そして、言葉を選ぶように慎重に口を開こうとした直後。
突然思い立ったかのように、アルフレイム様が自信満々のドヤ顔で割り込んできました。
「近くを飛んでいたら、我が国に商品を運ぶ商隊が賊に襲われておるではないか! 周囲にパリスタンの兵はおらぬし、このままでは積荷が危ういと思った故、救ったまでのことよ! 善行をなすと心地が良いな! はっはっは!」
会話を遮られたジン様が眉根を寄せて、なにか言いたげな表情でアルフレイム様を一瞥します。
敵国の方ながらそのお気持ち、とても良く分かります。殴りたいですよね、この笑顔。
ジン様はため息をついてから、私に向き直って言いました。
「領土侵犯については機密事項故に詳細はお話できませんが、ヴァンキッシュの国境に近い山岳地帯の通行に関していえば、パリスタン側の許可を得て行っていることです。決して、そちらの国と争うつもりではないことをご理解していただきたく――」
「その通り! 水面下ではすでにジュリアス殿と話は通してある故、何も心配することはないのだぞ、スカーレ――オッフゥ!?」
ジン様が持っていた槍の石突でアルフレイム様の腹をゴスッと突きました。
かなりの勢いでいったせいか、さしものアルフレイム様も腹を押さえて震えています。
「機密事項と言ったばかりなのに、さっきから何勝手してくれてるんですかこのクソ皇子は。お願いですからもう口を開かないでくれます? 突きますよ?」
「もう突いておるのだが……」
思わずよくやったと親指を立てそうになりました。でも冷静に考えてみれば、主を諫めるにしても石突とはいえ槍で突くのはさすがにやりすぎなのでは――
「あーアル様、またジン兄に殴られてるー」
「自業自得。良い薬だ」
「なんだ決闘か!? うおー! 俺も混ぜろー!」
と思いましたが、配下の竜騎兵の方々の緩い反応を見るに日常茶飯事なのでしょう。
仲がおよろしいことで。
「ジュリアス様に話は通してある、と言っておりましたが、一体どういうことですか?」
ジン様に問うと、彼は「それは……」と言い淀み、アルフレイム様を見てチッと舌打ちをしました。
「貴方が余計な口出しをするから面倒なことになってしまったではないですか。一体どうするんですかこの始末。先方に怒られても知りませんよ、俺」
「やってしまったものは仕方あるまい! なに、スカーレットならば言ってしまっても大丈夫であろう! 遅かれ早かれ私の妻になる女であるからな!」
たとえ生まれ変わったとしても絶対にそれだけはあり得ないのでご安心を。
「もし言い辛いことであれば、拳で直接身体にお聞きしましょうか?」
拳を握りしめながら首を傾げると、アルフレイム様は両手を広げた無防備なお姿になり目を大きく見開きます。
「相変わらず激しい愛情表現であるな!? 良いぞ良いぞ! あの夜の続きを今ここで始めようか!」
「舐められたものですね。いくら鋼体の加護があるとはいえ、数々の戦いで鍛え上げられた今の私を、あの時と同じように思っているのならば痛い目を見ますよ。死ぬほどに」
「ほう、それは楽しみだ。私も以前と同じではないぞ。貴女が鍛えていたように、私の加護と筋肉も日々密度と硬度を増している。このようにな――!」
鋼体の加護の発露を感じた瞬間、アルフレイム様の足元の地面がひび割れます。
言葉通り、以前に相対した時よりさらに力を増しているようですわね。
まったく面倒な。あらゆる意味でこの方と私の相性は最悪なようです。
「さあ来たまえ。我が全霊を持って、貴女の想いと拳すべてを抱き締めてみせよう!」
「二度とパリスタンの地に足を踏み入れることができないように、今度は天界の果てまでぶっ飛ばして差し上げますわ」
〝身体強化〟と〝加速〟の加護を重ね掛け――場合によっては〝停滞〟も使うことになるでしょう。ただでも打撃の効果が薄いこの方相手に生半可な攻撃など無意味ですし、不本意ながら最初から全力でいかせていただきます。
問題はアルフレイム様を倒した後、配下の方々をまとめて相手にできるかということですが――
「アルフレイム様」
大柄で頬に大きな傷がある竜騎兵の方が、何か四角い箱のような物を持って私達の方に近づいてきました。あれは……遠距離通信用の魔道具でしょうか。
「どうした! 見た通り、今私は久方ぶりの強者との闘争を前に血が滾っておる! くだらない理由であれば、お前達であろうが容赦せぬぞ!」
「パリスタンから通信が入っております。同盟を破棄されたくなければ五秒以内に出るようにとのことです」
「ようし! しばし待っておれ、スカーレット!」
そのままの勢いで傷のある竜騎兵の方に駆け寄っていくアルフレイム様。
この計ったかのようなタイミングでの通信。
何かとても嫌な予感がします。そう、腹黒なあのお方の予感が。
まあそれはそれとして――
「――背中がガラ空きですわ、業火の貴公子様」
助走をつけてアルフレイム様の背に飛び蹴りを叩き込みます。
「ぐおおお!?」
ドゴォ! という打撃音を残して、アルフレイム様が地面に顔面を擦り付けながら吹っ飛んで行きます。
「それで、通信とはどなたからです?」
何事もなかったかのようにそう言うと、吹っ飛んでいったアルフレイム様を無言で見つめていた傷ありの方が、ジン様に問いかけます。
「副隊長、良いのか?」
「何をやっているんだかあのクソ皇子は……ああ。この方であれば問題ない」
ジン様が許可を出すと、傷ありの方は「どうぞ」と言って私に通信機の受話器を差し出してきました。物分かりが良くて結構なことです。
さて、一体どんな腹黒な声が聞こえてくるのでしょう――
「『スカーレット!? なんだ、今の人間が地面を削りながら滑っていくような音と雄たけびは!? おい、スカーレット! そこにいるんだろう! スカーレットォォオ!』」
「……レオお兄様?」
受話器向こうの意外なその声に、思わず目を丸くしてしまいました。
どうしてレオお兄様がヴァンキッシュの方々と通信を?
なにはともあれ、早急に私がおかれている状況を説明しなければなりません。
そうしないとお兄様の胃が死んでしまいます。
「『落ち着けレオ。山にアクシデントは付き物だ。私が思うに、どこぞの皇子が、背中から野生の獣に飛び蹴りでもされて吹っ飛んでいったのだろうよ。そうであろう、狂犬姫よ』」
叫ぶお兄様の声を背景に、含み笑いを堪えた腹黒な声が聞こえてきました。
あの、無理矢理取っておいてなんですが、やっぱりこの通信切って良いですか?
「『その様子ではまだ大事に及んではいないようだな。一応言っておくと、私はそこで転がっているであろうヴァンキッシュの第一皇子と個人的な協力関係を結んでいる。敵対するような行為は謹んでもらえると嬉しいのだが』」
受話器を傷ありの方に返そうとしたタイミングを見計らうように、再びジュリアス様の声が聞こえてきました。
まあ、そうですわよね。ジュリアス様なら秘密裡にヴァンキッシュの方と連絡を取り、何か良からぬことを企んでいたとしてもなにも違和感はありません。
「既に飛び蹴りしてしまった後ですが」
「『一発や二発程度ならまあ大丈夫だろう。鋼鉄よりも硬い身体と、雲一つない蒼穹がごとく能天気……ではなく、広い心を持っているアルフレイム殿のことだ。その程度のことでケチケチ言うまい』」
私の一発や二発程度は普通の方なら致命傷の一撃ですが。
念のためチラリと転がっていったアルフレイム様に視線を向けます。
「わずかな隙も見逃さぬその容赦のなさ! ますます惚れたぞ、スカーレット!」
何事もなかったかのように立ち上がっておりました。
もう二、三発程度ブチ込んでも大丈夫じゃないですか、あの方。
いえ、今は殴っても楽しくないお肉のことは後回しにしましょう。
「……ジュリアス様、お聞きしてもよろしいですか?」
「『何だ? まあ、何を言おうとしているのかは大体予想はつくが』」
「そこにいるヴァンキッシュ帝国の方々は、元宰相であるゴドウィン様をそそのかし、パリスタン王国を破滅に追いやろうとした張本人です。そんな方々と個人的に協力関係を結んだ、などと聞かされては平静でいられるはずもありません」
かつての事件の時、彼らがどこまで裏で糸を引いていたのか。どれだけゴドウィン様と密接な関係にあったのか。それは今となっては知る由もありません。ですが――
「おそらくは、なにか彼らとの間で高度な政治的駆け引きがあったのでしょう。ですがあの時、奴隷オークションの現場にいた私としては、心情的にどうしてもこの方々を信用できません。端的に言えば、そう――今すぐここにいる全員をぶっ飛ばして、ヴァンキッシュまで空輸で強制送還してやりたいとすら思っております」
私の言葉に、ヴァンキッシュの方々の顔色が緊張したものに変わります。
次の瞬間、いつ戦闘が始まってもおかしくない。そう判断したのでしょう。
その直感は正解です。隙あらば殴る。それが私のモットーですから。
「そうさせたくないのであれば、協力関係を結ぶに至った経緯と理由をお聞かせくださいませ。ちなみに先ほどジン様がおっしゃったような機密故に言えない、などという言い訳は通用しないものと思ってくださいな」
名指しされたジン様が顔をしかめて、面倒なことになったと言わんばかりの表情をされています。
私としても、こんな面倒なやり取りはせずに手っ取り早く殴って解決したいのです。
ですが、レオお兄様にもこのやり取りを聞かれてしまっている以上、なるべく穏便に解決しようとしたという建て前がなければ後で悲しませてしまいますからね。
兄想いの良き妹というのも大変なものです。ふふ。
「『悪徳宰相飛翔事件から少し経った後、アルフレイム殿から手紙が届いてな。そこには件の事件は自分が個人的に企んだことで、国は何も関与していないという言葉と共に、私と個人的な協力関係を結びたいという旨が書かれていた』」
ジュリアス様から聞かされた衝撃の事実に、私は思わず呆れてしまいました。
パリスタン王国の安寧を揺るがすようなことを国の方針ではなく、個人的に企んでいたというのも十二分に腹立たしいことですが、その上さらに――
「我が国を侵略しようとした直後にその口で協力関係を結びたいなどと、大した二枚舌ですわね」
目を細めてアルフレイム様を睨みつけます。
私の視線に気づいた彼は、満面のドヤ顔で言いました。
「良く分からんが褒められたようだぞ、お前達! ふはは! さすが私! 燃え盛らんばかりの存在感がなにをしようと人の憧憬と羨望を集めてしまう! 自分の才能が恐ろしいぞ!」
「どう見てもあれは軽蔑の視線ですよ。クソ皇子」
ジン様に辛辣な突っ込みを受けているアルフレイム様から視線を外します。
もう彼を見るのは辞めましょう。精神衛生上あまりよろしくなさそうです。
殴ってもおいしくありませんし、言動も脳筋すぎて理解できませんし。
私のため息が受話器の向こうにも届いたのでしょう。
ジュリアス様は苦笑するような声を漏らした後、話を続けました。
「『私はさして驚きはしなかったがな。ヴァンキッシュ側の事情も予想がついていたし、アルフレイム殿個人の企みであったという話もヴァンキッシュに放っていた間諜の報告から、裏は取ってある。自国が荒れている中で侵略が成功しなかった以上、内と外に敵を作らないためにもとりあえず片方と同盟を結ぶのは、感情論を除けばまっとうな考えだ』」
「ヴァンキッシュ側の事情とは……後継者争いに関係することですか?」
パリスタンの宮廷でまことしやかに流れていた噂によれば、ヴァンキッシュ帝国の現皇帝は年齢と病気が原因で、近々退位することを発表されたとか。
ヴァンキッシュ帝国といえば、代々最も武勇が優れた者が皇帝となり国を統べる、正に己の拳こそがすべての脳筋国家。世襲制ではない以上、ヴァンキッシュに暮らす、すべての者に皇位継承権が存在し、後継者争いの激しさは他の国の比ではないとのことです。
今は正にその真っ最中とのことですから、国内は身内同士の争いによって荒れに荒れていることでしょう。
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