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3巻

3-2

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 胸を張ってそう言うと、ナナカは呆れた表情をしながらも根気よく私を諭そうとして口を開きかけ――途中で何かに思い至ったのか、ジト目になって言いました。

「……ちょっと待て、言っていることの雲行きが怪しいぞ。ただの登山だよな?」
「ただのハイキングですよ。一週間程、なんの物資も持ち込まず、山の中で自然の景観を楽しみながら暮らすだけの」
「そんな過酷なハイキングがあるか! それはサバイバルって言うんだ! って、ちょっと待て!? 何の物資も持ち込まず!?」

 ナナカが今まで自分が運んでいたカバンの中身を探ります。
 勝手に主の持ち物を漁るなんて、わんこの本能がうずいてしまったのかしら。
 微笑ましいですわね。

「ナイフに魔法のランタン、替えの服と下着がワンセット……これだけ……?」
「一週間分のハイキングセットですわ。ご心配なく。ナナカの分もちゃんと用意してありますので」
「足りるかー!」

 足りるかー! 足りるか―! 足りるか―……と、辺りにやまびこが響き渡ります。

「ふふ。ナナカったら、さっそくハイキングを楽しんでいますわね。やっぱり山に来たから、わんことしての本能が騒いで思わず遠吠えをしてしまったのかしら」
「んなわけあるか! いや、ある意味そうだよ! 獣としての本能が危険を感じて変な汗が出てるよ!」

 ナナカが頭を抱えてその場でしゃがみ込みます。
 高山病かしら。まだ登り始めたばかりですのに。こんなこともあろうかと痛み止めのお薬を少しだけカバンのポケットに……あら、これはレオお兄様の胃薬でしたわ。うっかり。

「最初から嫌な予感はしてたんだ……よくよく考えたら、ただハイキングするのに、足手まといになるからって、ここまで連れてきた馬車も従者じゅうしゃも途中で返すなんてどう考えてもおかしいだろ……はぁ」
「ナナカとハイキングができる今日という日を、私はずっと楽しみにしていたのです。山での生活は、獣人である貴方にとっては慣れ親しんだものでしょう? 若輩者の私に色々とご教授お願いしますわ、ナナカ先生」

 そう言って微笑むと、ナナカは「むぅ」と唸ってからチラッと私の方を見ます。
 首を傾けて「ね?」と言うと、ナナカは両腕を組んでそっぽを向きながら言いました。

「ま、まあ仕方ないな。そこまで言うのなら色々教えてやらんでもない……放っておくとお前は何をしでかすか分からないし、レオナルドにもちゃんと見ておくように言われてるからな」

 本当は誰かを気づかう優しさを持っているのに、照れ隠しにツンツンしてしまうところは出会った頃から変わりませんわね。
 そんなナナカの可愛げのある性格を、私はとても気に入っているのですが、それを直接本人に伝えたら絶対にムスッと頬を膨らませてしまうので、心の内に留めるだけにして黙っておきましょう。

「ありがとうございます。それでは山道を楽しみながら、拠点にする予定の川辺までゆるりと歩いていきましょうか」
「あ、おい! 僕が先導するから先に行くな……って歩くのはや!?」

 先を行く私に慌ててナナカが追いついてきます。
 毎年、何があってもお嬢様について行きますと言って引き下がらない体力自慢の執事や従者じゅうしゃも、執事長のセルバンテス以外は途中でギブアップして帰っていきますのに。
 山や森で育っただけあって、息も切らさず余裕でついてくるのは流石ですわね。
 思っていた通りの楽しいハイキングになりそうですわ。

「貴族社会で暮らしてきたお嬢様のスカーレットが、なんで野生の動物並の反射神経を持っているのか不思議だったけど、理由が分かった……こうして定期的に自然に身を置くことで、心身をぎ澄ます鍛錬をしていたんだな」
「鍛錬? 普通のハイキングですよ?」
「これが普通のハイキングだったら、修行で登ってる聖職者はみんなピクニックに来てるってことになるからな――っ!」

 ナナカが周囲に目配せをし、何者かの気配を察して身構えます。
 当然私も人の気配には気づいておりましたので、荷物を置いてすでに戦闘準備完了です。

「……多いな。それにもう囲まれてる」
「刃物が草葉に擦れる音も聞こえましたし、明らかな敵意を感じます。これはもしや噂に聞いた山賊というやからでしょうか。恐ろしいですわね」
「だから、なんでそんな嬉しそうなんだ。言ってることと表情がまるで逆だぞ……」

 前後の林の中から、ぞろぞろと暗緑色のローブをまとった男達が出てきます。
 二十人……いえ、三十人はいるでしょうか。
 たった二人を襲うにしては不自然なほどに大所帯ですわね。
 まあ、殴れるお肉は多ければ多いに越したことはありませんので、こちらとしては大歓迎ですが。

「もしかして、これを狙ってわざと人通りのない道を選んだんじゃないだろうな?」

 嬉しそうにしている私の気配を察して、ナナカが疑いの眼差しを向けてきます。
 さすが獣人族。鋭い勘をしていますわね。

「まさかそんな。この地方では時折山賊が出没するという噂は聞いたことがありましたが、こんな昼間に人通りもそれなりにある山道の近くに現れるなんて思いもしませんでした。なんという偶然こううんなのでしょう」

 まあ、と口元に両手を当てて驚く素振りをします。
 それを見たナナカは仏頂面でどこか遠くを見るような目をしたままつぶやきました。

「どうしてだろう。まともなことを言っているはずなのに、さっきからお前の言葉に、違和感しか感じない……」
「考えすぎですわ。それにしても――」

 山賊と聞いたので粗野で屈強な方々を想像していたのですが、どの方々も思っていたより華奢きゃしゃで小奇麗な身なりをした方々で、少し拍子抜けをしてしまいました。
 持っている得物も誰でも手に入るようなナイフや斧ではなく、騎士が持つような剣や槍といった戦うための武器を手にしている方がほとんどのようですし。
 一体どのような出自の方々なのでしょうか。

「……貴族の娘と従者じゅうしゃだな。命までは取らん。持っている物をすべて置いていけ」

 山賊のリーダーと思われる、顔を包帯ほうたいでぐるぐる巻きにした長髪の殿方がくぐもった声でそう言いました。
 手には輪っか状の見慣れない刃物を持っています。
 その武器を見たナナカが、緊張した様子で言いました。

「……チャクラムだ。暗殺者が使う暗器あんきの一種。こいつら、ただの山賊じゃないぞ」
「やはりそうですか。ということはこの方々は全員――」

 リーダーの方だけでなく、周囲の方々の立ち振る舞いも烏合うごうしゅうと呼ぶには統率が取れていて隙がなく、どこかで訓練を受けた方々のように見受けられます。
 もしや、没落した貴族の方か、どこかで騎士をしていた方々なのでしょうか。
 それはなんというか、本当に――

「――私は今、貴方達にとても失望しております」

 私の落胆の言葉に包帯ほうたい男が一瞬固まった後、

「……は?」

 と呆けた声を出します。
 私はため息をつきながら、男に向かって足を踏み出して言いました。

「私はここでしか取れない山のさちを食べたかったのです。それなのに、これからブン殴る相手が今まで殴ってきた方々と変わらない、王都に巣食っていたようなクソ野郎の方々だったなんて」

 懐にしまってあったびょう付きの黒い手袋を取り出し、拳に装着します。
 そんな私の仕草を見た周囲の山賊の方々が顔色を変えてざわめき出しました。

びょう付き手袋に長い銀髪、この女まさか……!」
「銀髪の悪魔、撲殺姫スカーレット……!」

 そう、知っているのですね、私のことを。
 ですが今更気づいたとしても、もう手遅れです。
 こちらは既にランチの支度を終えてしまいましたので。
 それでは皆様――いただきます。

「正直食傷気味なのですよね、貴方達のようなやからは……まあ、殴りますけれど」

 一方的な加害宣言に山賊の方々がたじろぐ中、包帯ほうたい男が一人、私に向かって足を踏み出してきました。

「我が名はパルミア教異端審問官《隠身》のバロック。ディアナ聖教の手先、悪魔スカーレット! 貴様を打ち滅ぼすこの好機を、どれほど待ち望んでいたことか……!」

 怒りに満ちた叫び声と共に、包帯ほうたい男が羽織っていたローブを脱ぎ捨てます。
 その下にはパルミア教の信者の方々が身に着けていた僧衣がありました。

「あの、山を登っているのにそんなに重ね着をして暑くないですか?」
「余計なお世話だ!」

 まあ、すごい剣幕。私はただ素朴な疑問を口にしただけですのに。

「自己表現が苦手なシャイな方なのかしら。お顔の包帯ほうたいもそのせい……?」

 首を傾げてそう言うと、ナナカが哀れみの表情でつぶやきます。

「あんまり突っ込んでやるなよ。あいつらも色々必死なんだろ多分……」

 山賊にも情けをかけるなんて、なんと慈悲深いわんこなのでしょう。
 私もそれにならい、彼らに一振りの慈悲を与えるとしましょうか。拳で。

「人をコケにしおって……! だがそんな軽口を叩けるのも今の内だぞ!」

 周囲の山賊の方々が一斉にローブを脱ぎ捨てます。鎧を着こんだ騎士くずれの者、パルミア教の僧衣を着た者。または貴族が着る上等な衣服を纏う者。
 私が予想していた通り、この方々はただの山賊ではなく、王都かそれに近い裕福な場所で暮らしていた方々で間違いはなさそうです。
 彼らは憎しみに満ちた声で高らかに叫びます。

「我らは邪なるディアナ聖教や卑劣ひれつな王族の策略により、王都を追われし者なり!」

 散々な言われようですが、卑劣な王族ジュリアスという下りには全面的に同意いたしましょう。

こころざしこそ違えども、我らは腐りきった今のパリスタン王国をあるべき姿に戻すという目的のために戦う同志。手を組み、ここで力を蓄えながら雌伏しふくの時を過ごしていたのだ。そこへすべての元凶たる貴様が現れた……!」

 山賊の方々が手に持った武器を私達に向けてきます。
 そして怒りの表情をあらわにすると、一斉に恨み言をまくし立ててきました。

「スカーレット! 忌々しい女め! 貴様さえいなければゴドウィン様は失脚しっきゃくせず、一生を遊んで暮らせていたというのに! 絶対に許さぬ!」
「スカーレット! 悪魔の手先め! 貴様さえいなければディアナ聖教を叩き潰し、美しいテレネッツァ様に一生お仕えすることができたものを! 絶対に許さんぞ!」

 なるほど。この方々、クズ二大巨頭である元宰相ゴドウィン様と現在収監中のクソ女テレネッツァさんの崇拝者すうはいしゃですか。
 王宮秘密調査室によってそのほとんどが断罪され、軽い罪の者達は身分を剥奪はくだつされた上に、王都から追放されたとは聞いていましたが、こんなところで健気にも身を寄せ合っていたのですね。可哀相に。

「――責任を取りましょう」
「……なんだと?」

 私の一言にバロックさんが怪訝な声をあげます。
 私は胸に手を当てて、罪を懺悔ざんげするように真摯しんしな態度で続けました。

「元は王都で暮らしていた貴方達が、こんな人里離れた山の中で惨めな醜態を晒さなくてはいけなくなった原因の一端は私にあります。ですから、その責任を取ると言っているのです」

 山賊の方々は顔を見合わせてから一瞬黙り込むと、先ほどにも勝る凄まじい勢いでまくし立ててきました。

「そうだ! 責任を取れ! 失った俺の奴隷を賠償ばいしょうしろ!」
「そうだそうだ! お布施と偽ってバカな民から騙し取った高価な食器を返せ!」
「金返せ!」
「家返せ!」
「身分を返せ!」
「全部返せ!」
「かーえーせ! かーえーせ!」

 手を振り上げて大合唱を始める山賊の方々。なんという清々しいまでのクズっぷりでしょう。
 自らがしたことをすべて棚に上げて、欲望のままに甘い汁だけを吸おうとする。
 これはやはり私が責任を取らなければなりませんね。

「なんでも返せと言って良いなら私も言わずにはいられん! 親のコネと賄賂わいろで入った騎士団を首にされて汚れた私の名誉も返――ぐぎゃっ!?」

 とりあえず、手近で何事かしゃべろうとしていた騎士くずれの方の顔面を殴りました。
 くるくるとキリ揉み回転しながら空を飛んでいったその方は、木に激突して動かなくなります。
 その様子を見た山賊の方々は唖然とした表情で言いました。

「え……何で殴った?」
「責任を取ってくれるんじゃ……?」

 頬についた返り血を拳の背でぬぐいながら、私は申し訳なさそうに言いました。

「貴方達の話を聞いて、私は自らの過ちに気が付きました。先ほどは殴り飽きて食傷気味だなんて言って、申し訳ございません。正直最初は適当に殴って動けなくしてから、近くの村に引き渡そうと思っておりました。ですが――」

 拳を振り、手袋についた血を払います。

「貴方達のお話を聞いている内に考えを改めることにしたのです。この方々はただの小悪党ではなく、私に殴られてしかるべき立派なクズだと」

 そして、両手を握り込み構えた私は、今からサンドバッグとなる彼らに笑顔でこう告げました。

「なので最後まで責任を取って――全員の顔の形が変形して再起不能になるまで、完膚かんぷなきまでにボコボコにブン殴ってあげますね」
「そんな暴力的な責任の取り方があるかー!」

 ツッコミを無視して地面に思い切り拳を叩きつけます。
 轟音と共に大地が砕け、私を中心に小さなクレーターができ上がりました。
 それと同時にグラリと、周囲の地面が揺れ動きます。

「なっ!? 拳で地面を揺らしただと!?」
「なんという馬鹿力……こやつ本当に人間か!?」

 山賊の方々が体勢を崩します。
 その隙を見逃さず、私は防御の薄い僧衣を着た方に駆け寄って――

淑女しゅくじょに対して馬鹿とは失礼の極みですわね。反省して下さいな――雲の上で」
「うぎゃあああ――――!?」

 下から突き上げるアッパーカットにより、雲の上まで吹き飛ばしました。
 これを機に俗世の欲を捨て、霞だけを食べる立派な聖人となってくださいね。

「――鉄鎖てっさよ、巻き付き絡み付け!」

 周囲から詠唱が聞こえると共に、魔法の鎖があらゆる方向から私に向かって放たれ、絡みつこうとしてきます。
 これは……束縛の魔法ですね。確かに肉弾戦主体の私には有効な手ですが、行動を阻害する魔法を無効化する魔道具〝赤水晶の耳飾り〟を付けた私に、この手の魔法は通用しません。
 彼らもそれが分かっていたのでしょう。間髪入れずにバロックさんが叫びました。

「今だ! 騎士達よ、囲んで突け!」

 私を取り囲んだ騎士崩れの方々が円を狭めるように殺到し、一斉に槍で突いてきます。
 考えましたね。いくら赤水晶の耳飾りが行動阻害を無効化するとはいえ、魔道具である以上、起動には一瞬の遅れが生じます。
 一秒程度の短い時間ではありますが、その間私は一切の行動を封じられるでしょう。
 その隙を狙われれば、いくら私でも回避は困難と言わざるを得ません――まあ、地上で避けようと思ったらの話ですが。

宮廷きゅうていで習わなかったのですか? 淑女しゅくじょをうまくリードしたいのであれば、冷たい鉄の槍で囲むのではなく、優しく包み込むように抱き締めなければ」

 束縛を無効化した瞬間、地面を蹴って飛び上がり、私に向かって突き出された槍を回避します。
 そしてそのまま眼下で交差している槍の上を足場にするように、ふわっと着地。

「はあ!?」

 自分達の槍の上に乗った私を、騎士崩れの方々は信じられないといった驚きの表情で見上げております。
 微笑んだ私は、ハーフパンツの裾をつまんで優雅に会釈えしゃくをしました。ドレスのスカートではないので、見た目の優美さは幾分か落ちますが、その分速さを増した技のキレでご勘弁を。

「さあ、踊りましょう?」
「ぐわぁッ!?」
「に、逃げるんばぁッ!?」

 ぐるりと円を描くような私の回し蹴りによって顔面を強打された騎士崩れの方々がパーン! と弾けるように四方に吹き飛び、山肌にズドンと頭から突き刺さりました。

「中々良い飛距離が出ましたね。この調子でどんどん行きましょうか」

 服の土ぼこりを払いながら周囲を見渡し、次の獲物を物色ぶっしょくします。
 ふと、少し離れたところで、ナナカがナイフを片手に手持無沙汰に立っているのが視界に入りました。あまりにも暇そうにしているのでひらひらと手を振って微笑むと、ナナカはムッとした顔で言いました。

「背中は僕に任せろと言おうとしたのに出番がない……!」
「あらダメですよ、ナナカ。私の背中は攻撃に巻き込まれる可能性が高いので、もう少し離れたところで見守っていて――」

 その刹那せつな、ヒィン、と。何かが風を切るような音が微かに聞こえました。
 反射的に身を反らすと、頬がスッと、不可視ふかしの刃のような物で切りつけられます。

「スカーレット、大丈夫か!?」

 傷口から滲む血を見て、慌てて駆け寄ってこようとするナナカを手で制止します。

「大丈夫。薄皮一枚切り裂かれただけですわ」

 ――不可視ふかしの攻撃。
 近くに人の気配を感じなかったことから察するに、近接攻撃ではなく飛び道具によるものですか。

「……これぞ魔道具〝隠者いんじゃ羽衣はごろも〟の力よ。見えざる我が刃にて散れ、銀髪の悪魔スカーレット!」

 どこからかバロックさんの声だけが響いてきます。
 不可視ふかしになったのは攻撃だけでなく、バロックさん本体も同様のようですわね。

「バロック様の〝死の舞踏ぶとう〟だ! 巻き添えを食らうぞ! 全員離れろ!」

 山賊の方々が叫び、一斉に私から距離を取ります。
 死の舞踏ぶとうとはまた、物騒ぶっそうな踊りですこと。気品ある私の舞踏まわしげりを見習っていただきたいものです。

「見えざる我が刃から逃れるためにあがきながら切り刻まれ、血の華を咲かせる様はさながら死の舞踏ぶとう……さあ踊れ、死のダンスを!」

 殺意が込められたバロックさんの声と同時に、不可視ふかしの刃が飛んできます。
 微かに聞こえるチャクラムの風切り音をたよりに最小限の所作でかわすと、二の腕あたりの服の生地がわずかに削がれました。

「負傷は避けたようだが、その幸運。いつまで続くかな?」

 再びバロックさんの声が周囲に響き渡ります。
 小さく避ければ負傷は免れず、大きく避ければそれを予測して刃を投げられた時にそれ以上の回避行動が取れなくなり、致命傷を負いかねない……中々面倒な攻撃ですね。

「スカーレット!」

 反撃の方法を考えていると、ナナカが私の傍に駆け寄ってきました。
 おやつの時間にはまだ早いですが、どうしたのでしょうか。

「ようやく僕の出番みたいだな」

 身を低くしてナイフを構えたナナカは、余裕の笑みを浮かべて言いました。

「姿は見えなくても匂いまでは消せない。僕には、隠れたあいつのいる場所が手に取るようにわかる。後は任せろ」

 確かに獣人族であるナナカの鋭い嗅覚を持ってすれば、バロックさんの位置の特定は容易でしょう。出番がなくてうずうずしていたようですし、普段ならば我が家の可愛い従者わんこのために獲物の一匹や二匹、譲ってあげても良かったのですが――

「……お下がりなさい、ナナカ」

 少しでも空気抵抗を減らすため、手袋を外します。
 さらにどこに敵がいても即座に反応できるように、足のカカトを浮かせてつま先でステップ。
 今からやろうとしていることは、いかに早く相手の位置を察知し、最速で拳を振り抜けるかにかかっております。
 必要なのは重く強力な一撃メインディッシュではなく、ただ軽く素早い一撃オードブル

「嫁入り前の淑女しゅくじょのお肌に傷をつけた罪――それはこの世で最も重く、万死ばんしあたいするもの。ナナカには申し訳ありませんが――」

 怪訝な表情をしているナナカに微笑んで拳を構えます。

「今の私は、あのお方の顔面に直接有罪の実刑判決こぶしを叩きつけなければ気が済みません。ですのでナナカは大人しくそこでお座りして待っていて下さいな」
「で、でも! どうやってあいつの位置を把握するつもりだ? 僕が場所を教えたとしても、常に動き回ってまとを絞らせないあいつに、接近して攻撃を当てるなんて無理だ!」
「接近して攻撃を当てるのが難しいならば、近づかなければ良いだけの話です」
「それができれば――っ!」

 飛んできた複数の見えないチャクラムをナナカがナイフで弾きます。
 その内の弾ききれなかった刃が一つ、私の足元を掠めて浅い切り傷を作りました。
 しかし私は動じず、目を閉じて五感を研ぎ澄ませます。

「――笑止」

 不意に右側面の木からバロックさんの声が聞こえてきました。
 声はさらに真後ろ、左側面、前方からと。私を中心にして円を描くように聞こえてきます。
 となれば次の声の出所は――

「近づかなければ良いだと? 魔法でも唱えるつもりか? そんな余裕があるとでも思って――」

 予想通り、その声は右側面の木の上に移動しようとしているところでした。

「クロノワの加護〝身体強化〟――」

 反動から身体を保護するため、身体強化の加護を発動。さらに――

「〝加速三倍アクセラレーションスリーバースト〟――!」

 身体の動きを加速させる加護を使い、脱力した状態から早さだけを追及した左拳を一気に振り抜きます。音速を越えた私の拳は空気を切り裂き、衝撃波となってバロックさんがいるであろう右側面の木の上に向かって飛んでいきました。

「がっ!?」

 パァン! と空気が破裂する音と共に、拳圧を受けたバロックさんが姿を現し、木から落ちてきます。一点に集中した拳圧による遠距離攻撃――ぶっつけ本番だったのですが、どうやらうまくいったようです。

「幼き頃、家庭教師の先生がやっていたことを真似てみたのですが、物は試し、やってみるものですね」

 ぐっと拳を握ってガッツポーズを取る私に、ナナカが呆れた顔で言いました。

「いや、何をどうやったらただのパンチで遠くにいる相手を倒せるんだよ……スカーレットもその教師も人間辞めてるだろ、もう……」

 まあナナカったら。私の攻撃などまだまだ可愛いものですわ。
 今のも加護を使い、意識を拳一点に集中することでようやく真似ができたのですから。
 先生は加護も魔法も何も発動した様子もなく、ただ純粋な拳のスピードと精密な力のコントロールだけで衝撃波を放っていたのです。


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