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2巻
2-3
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「見ての通りだ。命が惜しい者は引き下がったほうが身のためだぞ? なにせこのご令嬢は、諸君らも知るあの〝救国の鉄拳姫〟なのだからな」
ジュリアス様の言葉に、門兵の方々が目を見開きます。
「せ、鮮血姫スカーレット・エル・ヴァンディミオン様!」
「元A級冒険者を一撃で再起不能にしたという、あの撲殺姫か!」
「前宰相ゴドウィン様を大講堂の屋上から叩き落とし、文字通り失墜させた『悪徳宰相飛翔事件』の首謀者……まさか、こんな華奢な小娘が!?」
「は、離れろ! 殴り殺されるぞ!」
私達を取り囲もうとしていた門兵の方々が、蜘蛛の子を散らすように離れていきます。
まあ、失礼な。人のことをまるで怪物のように言うなんて。
「大袈裟ですね。命まではとりはしませんよ。ただ──死ぬほど痛いだけですわ」
次の獲物は、この門兵の方々ですね。
ポケットから取り出した手袋をはめ、微笑みながらボキボキと指の関節を鳴らして足を踏み出します。
「ひっ」と、門兵の口から小さな悲鳴が漏れました。
小鳥のさえずりのように可愛らしいそのお声に、私はにこやかに微笑み、一息に距離を詰めようとして──
「神をも恐れぬ不届き者め!」
鋭い声とともに飛んできた鉄球を、首をわずかに傾けてかわします。
せっかちですわね。メインディッシュは最後までとっておくつもりでしたのに。
「聖門を砕くとは、なんと罰当たりな! 異端なる魔女め! この私が直々に正義の鉄槌を下してくれる!」
いつの間にか見張り台から下りてきていたジャルモウさんが、ブンブンと鉄球を振り回しながら近づいてきます。
確かあのモーニングスター、女神パルミアから託された魔道具だと言っていましたか。
見たところ、ただの野蛮な鉄の武器にしか思えませんが、一体どんな力が込められているのでしょう。
「鍛え抜いたこの身体から繰り出される鉄球の一撃、避けられるものなら避けてみよ! ――ぬうん!」
そう声を上げ、ジャルモウさんは鉄球を振り回したのですが……
「ぐべっ!?」
鉄球が傍にいた門兵の顔に、運悪く直撃しました。
顔面が潰れたその方は、顔を押さえて血溜まりにうずくまります。
味方であるはずのジャルモウさんに攻撃され、門兵の方々は困惑した顔で叫びました。
「な、なんで俺達を攻撃する!? アンタの標的はあっちだろう!」
「大いなる行いに多少の犠牲はつきものです! 運が悪かったとお思いなさい!」
隣でジュリアス様がうわぁ……というお顔をなさっていますが、あの、このお方、貴方が将来統治するパリスタン王国の国教幹部なのですからね。他人事じゃありませんよ。
「今度こそ外しませんよ! 喰らいなさい! 我が正義の鉄槌!」
ジャルモウさんの渾身の叫び声とともに、風切り音を立てながら鉄球が飛んできます。
このような戦いの場で玉遊びのお誘いなんて、中々洒落たことをしてくるではありませんか。
よろしい。少しだけ付き合ってあげるとしましょう。
「ちょっとお借りしますね」
「えっ、あっ」
一番近くに立っていた門兵から槍を取り上げます。
長さといい軽さといい、ちょうどいい具合ですね。これなら申し分ないでしょう。
「バカめ! そのような貧弱な槍で、この〝神なる雷槌〟をどうにかできるものですか! 自らの罪を懺悔しながら潰れなさ──」
「えいっ」
槍をフルスイングして鉄球を弾き飛ばします。
音速を超える速度で打ち返された鉄球は目にも留まらぬ速さで飛んでいき、ジャルモウさんのお腹に激突しました。
「おぐぅ!?」
お腹にめり込んだ鉄球を抱きかかえるように、ジャルモウさんが顔を真っ青にしながら倒れます。
その様はまるで、神に懺悔をしているようで、とても滑稽でした。
「残念ながら、許しを乞うのは貴方のほうだったようですわね――はー、スッキリした」
よいものを見せていただき、ありがとうございます。
「手癖が悪くてごめんなさいね。これはお返しいたしますわ」
「え、あ、はい」
微笑みながら、なかばあたりでひしゃげた槍を門兵さんにお返しします。
幼い頃はよく、私の教育係だった執事長とこのような玉遊びに興じたものです。思わず童心に返って、えいっ、などとはしゃいだ声を上げてしまいました。お恥ずかしい限りですわ。うふふ。
「ぐふぅ……ど、どうやって、私の〝神なる雷槌〟を……っ」
血反吐を吐きながら、ジャルモウさんが地面を這っています。
「どうやって、とは異なことをおっしゃいますね。私はただ、なんの変哲もない鉄の槍で、貴方の鉄球を打ち返した。それだけですよ」
羽をもがれた蝶のような惨めな姿に、ついほっこりして笑みがこぼれました。
いえ、違いますね。蝶がこんなに太っていては、空を飛べませんもの。
それに、ジャルモウさんは蝶と呼ぶにはあまりにも醜悪すぎます。
そんな彼にふさわしいのは、そう──
「おわかりですか? ──この豚野郎」
起き上がろうと顔を上げたジャルモウさん。その顎を掬うように殴り上げます。
「ぐはあああ!?」
王都グランヒルデの青空に、一匹の豚が天高く舞い上がりました。
「──『殴られれば、豚も空を飛ぶ』」
無理だと思えることであっても、とりあえず殴れば解決するという意味です。
今後は比喩表現の一種として、国中で使われることになるでしょう。
辞書に新たな言葉を加えてしまいましたね。おめでとうございます、ジャルモウさん。
「いや、貴女以外誰も使わないからな、そんな比喩」
感じ入っていたところでしたのに邪魔しないでくださいませ、ジュリアス様。
しかしあれですね。肩透かしと言いますか。最初、ジャルモウさんにはとても期待しておりましたのに、思っていたほどの爽快感はありませんでした。
地面に叩きつけられたジャルモウさんを眺めながら、その理由に思考を巡らせます。
どうやら、ただ太っていて腹が立つ程度の相手では、もう私の拳は満足できないようです。
舌ならぬ、拳が肥えてしまったのかしら。
「な、なんと凄まじい力だ……」
「それになんという容赦のなさ……」
「俺たちなんかに止められるわけがない……」
一部始終をご覧になった門兵の方々は、完全に戦意を喪失されたご様子ですね。
賢明な判断でございます。兵士としては頼りないとも言えますが。
「勝敗は決した。諸君らも教皇の命を受けているとはいえ、我が王国の臣民である。こちらとて、いたずらに傷つけるのは本意ではない」
わざとらしく憂いを帯びた表情を浮かべたジュリアス様が、門兵達に手を差し出して告げました。
「今回の一件、罪には問わぬ故、全員武器を捨てて投降せよ。よいな?」
「は、ははーっ!」
すべての門兵が武器を下ろし、地に頭を伏せます。
これにて一件落着でしょうか。若干消化不良なのは否めませんが。
まあ、私も久々の外出ですし、今日はこれくらいで勘弁して――
「私の正義はァ! まだ……っ、負けてないぃ!」
「な、なんだっ!? ぐわああ!?」
「ひぎゃっ!?」
そんな声を上げながら、門兵の方々がジャルモウさんの鉄球に吹き飛ばされていきます。
あら、存外にしぶとかったのですね。まだ立ち上がれるなんて。
「はぁ、はぁ……許しません、許しませんよ……女神に仇なす魔女めェ……!」
立ち上がったジャルモウさんは、僧服があちこち裂けてはいるものの、私が与えたはずのダメージがいくらか回復しているご様子でした。
治癒魔法……にしては、それらしい素振りがありませんでしたね。
これは、まさか──
「魔女の穢れた拳ごときで、このジャルモウが倒れると思ったら大間違いです! 私にはこの――〝聖少女の首飾り〟があるのですからね!」
そう言って、ジャルモウさんは胸元から青白く光る首飾りを取り出しました。あれには見覚えがあります。
「……やはりそうでしたか」
――聖少女の首飾り。
加護の力に匹敵する、強力な自動回復効果を持つ魔道具です。
魔道具はいくつかの等級に分けられているのですが、その中でも世界にひとつしかない稀少なものを幻想級と呼びます。
あの首飾りは奴隷オークション事件の時、瀕死の重傷を負ったゴドウィン様を一瞬で回復させるほどの効果を発揮しました。それを考えると、あの首飾りは幻想級だと思っていたのですが――まさかもうひとつあったなんて。
これは少々面倒なことになりましたね。
「驚いたようですねえ? これは模造品ですがね。ただし治癒の効果は絶大です! さあ、続きを始めましょう。先ほどは少々油断しましたが、次はそうはいきませんよ! 今度こそ、貴女の脳天にこの正義の鉄槌を――」
「ディ、ディアナ聖教の聖女守護騎士団だ!」
意気揚々と口上を述べていたジャルモウさんを遮るように、見張り台に残っていた門兵が叫びました。
聖教区内に目を向けると、純白の鎧を身につけた騎士達が、馬でこちらへ駆けて来るのが見えます。
聖女守護騎士団。ディアナ聖教の抱える騎士団であり、大陸最硬と名高い方々でございます。
パルミア教が勢力を拡大する中、ディアナ聖教が同じ聖教区内にとどまり続けていられるのは、彼らの力によると言って間違いないでしょう。
私達はもともと、聖門で彼らと落ち合う約束だったのですが……そう思えば随分と遅いご到着ですわね。……あら、よく見れば鎧が血で汚れていらっしゃいます。どこかで足止めでも食らっていたのでしょうか。
「くっ……仕方ありませんね。どうやら今日はここまでのようです。ですが! 次に会った時は、今度こそ貴女に聖なる鉄槌を下して差し上げますからね!」
そんな捨て台詞を残して、ジャルモウさんが私達に背を向けて走り去っていきました。
自国の第一王子に躊躇なく牙を剥く狂信者でも、数には敵わないと踏みましたか。
「……まったく、舐められたものですわ」
守護騎士団の姿を見て逃げ出すということは、私一人が相手であれば倒せると思っていたということでしょう。これは少々、腹立たしいですわね。
「その思い上がり、いずれ絶対に矯正して差し上げます。首を洗って待っていてくださいな、パルミア教のジャルモウさん」
守護騎士団が到着して周囲が慌ただしくなりはじめた中、私は今後の方針を定めて一人拳を握り締めるのでした。
「やれやれ、これはまたひと波乱起こりそうだ。貴女がいると本当に退屈しないな、スカーレットよ」
この腹黒王子……なにをしれっと私が元凶であるかのように語ってるんですか。
今回に関しては、どう控えめに見ても、私は巻き込まれただけですからね。もうっ。
聖門での騒ぎのあと、私達は守護騎士団の方々に護衛されながら聖教区内に入りました。
馬車で行くこと約五分。ようやく目的地に到着です。
青い屋根に大きな鐘。青みがかった灰色の、巨大な石造りの建物。
ディアナ聖教団の総本部、ディアナ聖堂です。
パリスタン王国でも屈指の歴史を誇る建造物ですね。
ここの神々しさと荘厳さは、いつ見ても思わずため息を漏らしてしまいます。
「ジュリアス殿下! スカーレット様!」
馬車を降りると、聖堂の前で私達を待っていた聖女守護騎士団の一団の中から、一際身体の大きなお方が歩み出てこられました。
そのお方が純白の兜を外すと、お髭の素敵な壮年の殿方の顔が現れます。
聖女守護騎士団団長、パラガス様でございますね。彼の鎧も、ところどころに血や泥がついております。
「お迎えに上がるのが遅れてしまい、申し訳ございませんでした!」
「よい。その有様を見ればだいたい予想はつく。なにかしらのトラブルがあったのだろう」
ジュリアス様の言葉に、パラガス様がうなずきます。
「おっしゃる通りでございます。聖教区内の各所で市民の暴動が発生いたしまして。鎮圧のために戦力を割かざるをえない状況になっておりました」
眉間に皺を寄せて険しい表情をされたパラガス様は、深々と頭を下げました。
「まさかパルミア教のやつらが聖門を閉じて、殿下とスカーレット様に直接妨害してくるとは思いませんでした。考えがいたらず、重ね重ね誠に申し訳ありません!」
ジュリアス様が手を振って、パラガス様の謝罪を受け流します。
そしてふっと口元を歪ませて、笑みを浮かべながら言いました。
「暴動か。そのような野蛮な市民が、一体この聖教区のどこに潜んでおったのだろうな」
「……殿下がお察しの通り、暴動を起こした市民はパルミア教の信者でございます」
パルミア教の方々は、聖地巡礼によってディアナ聖教の求心力が高まるのが気に食わないようですね。聖地巡礼で行う儀式は、あの疑り深いレオお兄様でさえ虜にしてしまうほど見栄えのよいもの。ですから、あらゆる手段を使って、中止させようとしているのでしょう。
「聖門での足止めも、市民の暴動も、おそらくは我々を分断するためだけの作戦だろう。本当の狙いは、なにか別のところにあるに違いない」
「でしょうな。この程度の戦力で、我等やスカーレット様をどうにかできるはずがありません。やつらもそれは重々承知しているでしょう」
「たぬきジジイどもめ。一体なにを企んでいるのやら」
ちなみに鎮圧された暴徒は、守護騎士団の方々の手によって警備隊に引き渡されています。
ジュリアス様いわく「下っ端を捕まえても意味がない」とのことでしたけれど。
私としては大元を絶つことを提案したのですが、ジュリアス様にフッと鼻で笑われてしまいました。
どうやらゴドウィン様の時と同じように確たる証拠を掴まなければ、ボコボコにすることはできなさそうです。面倒なことですわね、まったく。
「あっれー。隊長、こんなところでみんな集まってなにしてんすか?」
真剣なお話をしていたのに、背後からまるで空気を読まない明るい声が聞こえてきました。
振り向くと、乗ってきた馬車の上に、聖女守護騎士団の鎧を身につけた殿方が立っておられます。
緑がかった金髪。人族より少し長いお耳。美しく、線の細い端整なお顔。
この容姿の特徴から推測するに、ハーフエルフの方でしょうか。
「ディオス、貴様ぁ! この非常時に一体どこをほっつき歩いておった!」
「あーはいはい、そんなに怒んないでくださいよ──っと」
パラガス様の怒声を飄々と受け流しつつ、ディオスと呼ばれた殿方が馬車の上から飛び下ります。
まるで軽業師のようにくるりと空中で身体を一回転させ着地した彼は、ウインクをしながら軽薄な調子で言いました。
「聖女守護騎士団筆頭騎士、ディオス・ウエストウッド。ただいま参上いたしました。以後お見知りおきを、ジュリアス殿下」
「ああ……よろしく頼む」
どこまでも軽い態度に、ジュリアス様はなんとも言えないお顔をしていらっしゃいます。
真面目な方をからかうタイプのジュリアス様にとっては、このように奔放な振る舞いをなさるお方は苦手なのかもしれませんね。
ふふ、これはいいことを知りました。
「こんの、バッカモンがあああ!」
「おっとあぶねー。なんすかいきなり殴りかかってきてー。暴力反対っすよ、団長」
「ジュリアス殿下に対してなんたる無礼な振る舞い! 今日こそその羽よりも軽い貴様の性根を叩き直してくれるわ!」
「団長の拳骨で殴られたら、二枚目な俺の顔が台無しになっちゃいますよ」
ひらりひらりとパラガス様の拳をかわしながら、ディオス様が私の前まで移動してきます。
その光景を興味深く見ていた私は、ちょうどディオス様と向き合う形になり、彼と目が合いました。すると、ディオス様は大きく目を見開いて叫びます。
「うおー! す、すっごい美人!? 誰、誰っすか貴女は!?」
あまりに大仰な反応に、少々驚いてしまいました。
ですが私も公爵家の娘。それを表に出さずに優雅に会釈することなど、造作もないことです。
「お初にお目にかかります、ディオス様。私、ヴァンディミオン公爵の娘、スカーレット・エル・ヴァンディミオンと申します。以後お見知りおきを」
スカートを摘まみ微笑みながら一礼します。
そんな私を見たディオス様は、突然私の足元にひざまずきました。
「一目惚れしました! 俺と結婚してください!」
そして、うやうやしく私の手を取ると、その甲に口づけをなさいます。
「……あの、これは一体なんの真似ですか?」
微笑みを浮かべたまま、ひざまずいているディオス様に尋ねます。
私の手の甲から唇を離したディオス様は、人懐っこい笑みを浮かべて答えました。
「求婚っすよ。スカーレットさんは身分の差とか気にするタイプっすか?」
「そうですわね。私はさほど気にしませんが、我が家は公爵家ですし、ある程度のお家柄のお方でなくてはお父様とお母様が納得しないでしょう」
「それなら大丈夫っすよ。俺、こう見えてエルフの王族の息子なんで。ちなみに母親は人間の女って設定のハーフエルフっす。あ、設定って言っちゃったわ」
「ふふ。面白いお方ですわね」
ですが、いけませんね。こういうことは、時と場所をわきまえてもらわなければ。
「おっと」
お仕置きをしようと拳を握り込むと、ディオス様がさっと私から飛び退きます。
それと同時に、誰かがうしろから私の手を引きました。
「私の連れをあまり困らせないでもらおうか」
振り向けば、ジュリアス様がムッとした表情で私の手を握っていました。
助け船を出してくださったのかしら。
私が困っているこのような状況、普段のジュリアス様なら笑いながら見ていそうなものですけれど。
「なーんだ。彼女、ジュリアス殿下のこれっすか」
小指を立てて軽薄そうに笑うディオス様。
これ、とは? 一体なんなのでしょう。
「まあ、そういうことだ。理解したなら、スカーレットにちょっかいをかけるのはやめてもらおう」
「えー、どうしよっかなぁ。俺、他人に指図されるの嫌いなんすよね」
挑発的なその答えに、ジュリアス様はわずかに口の端を吊り上げて悪そうな表情を浮かべます。
「奔放なのはかまわんが、長いものに巻かれるのも賢いとは思わんか?」
「いやあ、そう言われて身を引くのも、それはそれで権力に屈したみたいで格好がつきませんし。ほら俺、反骨精神だけは人一倍っていうか。そういうアウトローなところも俺の魅力の一部っていうか──」
「「「「ディオスうううう……!」」」」
ディオス様の全身を、四人の聖女守護騎士団の方々が一斉にがしっと掴みます。
「スカーレット様だけでなく、殿下にまで無礼な振る舞いをしおって!」
「貴様のたるみきった性根、我らがきっちりと叩き直してくれる!」
「や、やだなー、先輩達。ちょっとしたジョークっすよ。ほら、色々トラブルがあって殿下達も気が立ってるかなーって思って。思いやりってやつっす。ね?」
「聞く耳持たぬ!」
「しかり! しかり!」
「ああっ。モテる男は辛いっ。それじゃスカーレットさん、今度デートしましょうねー」
「「「「まだ言うか!」」」」
まるで犯罪者のように、ディオス様は他の騎士のみなさまによって引きずられていきました。
その姿を見たジュリアス様が、やれやれと大きなため息をつきます。
「規律を重んじる聖女守護騎士団に、まさかあのような不真面目な者がいるとはな。見かけぬ顔であったが、最近入った者か?」
「一年ほど前に入団した者なのですが……申し訳ございません。腕はとびきり立つのに、いかんせんいい加減と言いますか、自由すぎる気質の者でして」
……ディオス・ウエストウッド様。
あのお方、確かに只者ではないようですね。
どうやって察知したのかはわかりませんが、私が殴ろうとしたら、気配を読んでうしろに飛びすさったみたいでしたし。
ひと欠片の殺気も出していなかったというのに、不思議なこともあるものです。
なにか加護の力でもお使いになれるのかしら。
「ところでジュリアス様」
「なんだ」
「いつまで手を握っていらっしゃるおつもりでしょうか」
指摘すると、いま気がついたと言わんばかりに、ジュリアス様がぱっと手を離します。
「ああ。いや、すまぬ。咄嗟のことで、ついな。強く握りすぎたか?」
「いえ、ほどよい加減でございました。助けていただき、ありがとうございます……とでも、言ったほうがよろしいでしょうか」
「やめろ、本心でもあるまいし。こそばゆいわ」
ふんと鼻を鳴らすジュリアス様は少し照れくさそうです。
この方にも可愛らしいところがあるのだな、と不敬なことを考えてしまいました。まあ、不敬だなんていまさらですが。
「そういえば、先ほどディオス様が小指を立てておっしゃっていた〝これ〟とは一体どのような意味だったのでしょうか? ジュリアス様は肯定なさっていらっしゃいましたが」
「――さて、余計な時間を食ってしまったな。聖女ディアナのもとへ急ぐぞ」
誤魔化すように、ジュリアス様がそそくさと歩いていかれます。
一体〝これ〟とはなんのことなのでしょうか。気になりますね。
後ほどどなたかに聞いておきましょう。
中庭から聖堂に入り、パラガス様のあとを歩きます。
聖堂の中は外壁と同じ青灰色の石壁と石床が続いていて、神聖な気で満ち溢れていました。
「聖女守護騎士団団長、パラガスでございます。ジュリアス殿下とスカーレット様をお連れいたしました」
聖堂の最奥。聖女の間の扉の前で、パラガス様が厳かに告げました。
「……どうぞ、お入りください」
少し間を置いてから、いかにも真面目そうな女性の声が返ってまいります。
扉を開いて中に入ると、青い法衣を纏った方々が、左右の壁際に列を作って並んでいました。
広い部屋の奥には薄い純白の布で作られた御簾が張られていて、その向こうには小柄な人影が。
そこにおわすお方こそ、ディアナ聖教団の聖女ディアナ様でございます。
「遅れて申し訳ない。道中、トラブルに見舞われてな」
「ディアナ様、ご機嫌麗しゅうございます」
ジュリアス様と私が挨拶の言葉を述べると、青い法衣を身につけたお付きの方が無言で御簾の中に入っていきました。
中からボソボソとささやく声が聞こえてきて、やがてお付きの方が御簾の中から出てくると、声高らかに告げました。
「ジュリアス殿下、スカーレット様。ご機嫌麗しゅうございます。話はすでにパラガスより聞いております。どうぞこちらにはお気を遣わず、楽になさってください……と、ディアナ様はおっしゃっております!」
聖女の間では、このように人を介してお話しするのが決まり。いかに王子といえど、神聖なこの空間で聖女様と直接会話することはできません。
「……到着して早々だが、聖地巡礼の儀についての話し合いを行いたい。会合の内容は国防に関わる機密ゆえ、聖女ディアナ以外の者には下がってもらいたいのだが」
ジュリアス様がそう言うと、先ほどと同じことが繰り返されます。
そして御簾から出てきたお付きの方が、再び声高らかに言いました。
「承知いたしました。では、会合の間へ移動いたしましょう。準備をしてから後ほどまいりますので、少々お時間をいただきます。ご容赦くださいませ……と、ディアナ様はおっしゃっております!」
「……わかった。では、お先に失礼させていただく」
「ディアナ様、また後ほど」
礼をしてから部屋の外に出ると、バタンと聖女の間の扉が閉じられました。
ジュリアス様の言葉に、門兵の方々が目を見開きます。
「せ、鮮血姫スカーレット・エル・ヴァンディミオン様!」
「元A級冒険者を一撃で再起不能にしたという、あの撲殺姫か!」
「前宰相ゴドウィン様を大講堂の屋上から叩き落とし、文字通り失墜させた『悪徳宰相飛翔事件』の首謀者……まさか、こんな華奢な小娘が!?」
「は、離れろ! 殴り殺されるぞ!」
私達を取り囲もうとしていた門兵の方々が、蜘蛛の子を散らすように離れていきます。
まあ、失礼な。人のことをまるで怪物のように言うなんて。
「大袈裟ですね。命まではとりはしませんよ。ただ──死ぬほど痛いだけですわ」
次の獲物は、この門兵の方々ですね。
ポケットから取り出した手袋をはめ、微笑みながらボキボキと指の関節を鳴らして足を踏み出します。
「ひっ」と、門兵の口から小さな悲鳴が漏れました。
小鳥のさえずりのように可愛らしいそのお声に、私はにこやかに微笑み、一息に距離を詰めようとして──
「神をも恐れぬ不届き者め!」
鋭い声とともに飛んできた鉄球を、首をわずかに傾けてかわします。
せっかちですわね。メインディッシュは最後までとっておくつもりでしたのに。
「聖門を砕くとは、なんと罰当たりな! 異端なる魔女め! この私が直々に正義の鉄槌を下してくれる!」
いつの間にか見張り台から下りてきていたジャルモウさんが、ブンブンと鉄球を振り回しながら近づいてきます。
確かあのモーニングスター、女神パルミアから託された魔道具だと言っていましたか。
見たところ、ただの野蛮な鉄の武器にしか思えませんが、一体どんな力が込められているのでしょう。
「鍛え抜いたこの身体から繰り出される鉄球の一撃、避けられるものなら避けてみよ! ――ぬうん!」
そう声を上げ、ジャルモウさんは鉄球を振り回したのですが……
「ぐべっ!?」
鉄球が傍にいた門兵の顔に、運悪く直撃しました。
顔面が潰れたその方は、顔を押さえて血溜まりにうずくまります。
味方であるはずのジャルモウさんに攻撃され、門兵の方々は困惑した顔で叫びました。
「な、なんで俺達を攻撃する!? アンタの標的はあっちだろう!」
「大いなる行いに多少の犠牲はつきものです! 運が悪かったとお思いなさい!」
隣でジュリアス様がうわぁ……というお顔をなさっていますが、あの、このお方、貴方が将来統治するパリスタン王国の国教幹部なのですからね。他人事じゃありませんよ。
「今度こそ外しませんよ! 喰らいなさい! 我が正義の鉄槌!」
ジャルモウさんの渾身の叫び声とともに、風切り音を立てながら鉄球が飛んできます。
このような戦いの場で玉遊びのお誘いなんて、中々洒落たことをしてくるではありませんか。
よろしい。少しだけ付き合ってあげるとしましょう。
「ちょっとお借りしますね」
「えっ、あっ」
一番近くに立っていた門兵から槍を取り上げます。
長さといい軽さといい、ちょうどいい具合ですね。これなら申し分ないでしょう。
「バカめ! そのような貧弱な槍で、この〝神なる雷槌〟をどうにかできるものですか! 自らの罪を懺悔しながら潰れなさ──」
「えいっ」
槍をフルスイングして鉄球を弾き飛ばします。
音速を超える速度で打ち返された鉄球は目にも留まらぬ速さで飛んでいき、ジャルモウさんのお腹に激突しました。
「おぐぅ!?」
お腹にめり込んだ鉄球を抱きかかえるように、ジャルモウさんが顔を真っ青にしながら倒れます。
その様はまるで、神に懺悔をしているようで、とても滑稽でした。
「残念ながら、許しを乞うのは貴方のほうだったようですわね――はー、スッキリした」
よいものを見せていただき、ありがとうございます。
「手癖が悪くてごめんなさいね。これはお返しいたしますわ」
「え、あ、はい」
微笑みながら、なかばあたりでひしゃげた槍を門兵さんにお返しします。
幼い頃はよく、私の教育係だった執事長とこのような玉遊びに興じたものです。思わず童心に返って、えいっ、などとはしゃいだ声を上げてしまいました。お恥ずかしい限りですわ。うふふ。
「ぐふぅ……ど、どうやって、私の〝神なる雷槌〟を……っ」
血反吐を吐きながら、ジャルモウさんが地面を這っています。
「どうやって、とは異なことをおっしゃいますね。私はただ、なんの変哲もない鉄の槍で、貴方の鉄球を打ち返した。それだけですよ」
羽をもがれた蝶のような惨めな姿に、ついほっこりして笑みがこぼれました。
いえ、違いますね。蝶がこんなに太っていては、空を飛べませんもの。
それに、ジャルモウさんは蝶と呼ぶにはあまりにも醜悪すぎます。
そんな彼にふさわしいのは、そう──
「おわかりですか? ──この豚野郎」
起き上がろうと顔を上げたジャルモウさん。その顎を掬うように殴り上げます。
「ぐはあああ!?」
王都グランヒルデの青空に、一匹の豚が天高く舞い上がりました。
「──『殴られれば、豚も空を飛ぶ』」
無理だと思えることであっても、とりあえず殴れば解決するという意味です。
今後は比喩表現の一種として、国中で使われることになるでしょう。
辞書に新たな言葉を加えてしまいましたね。おめでとうございます、ジャルモウさん。
「いや、貴女以外誰も使わないからな、そんな比喩」
感じ入っていたところでしたのに邪魔しないでくださいませ、ジュリアス様。
しかしあれですね。肩透かしと言いますか。最初、ジャルモウさんにはとても期待しておりましたのに、思っていたほどの爽快感はありませんでした。
地面に叩きつけられたジャルモウさんを眺めながら、その理由に思考を巡らせます。
どうやら、ただ太っていて腹が立つ程度の相手では、もう私の拳は満足できないようです。
舌ならぬ、拳が肥えてしまったのかしら。
「な、なんと凄まじい力だ……」
「それになんという容赦のなさ……」
「俺たちなんかに止められるわけがない……」
一部始終をご覧になった門兵の方々は、完全に戦意を喪失されたご様子ですね。
賢明な判断でございます。兵士としては頼りないとも言えますが。
「勝敗は決した。諸君らも教皇の命を受けているとはいえ、我が王国の臣民である。こちらとて、いたずらに傷つけるのは本意ではない」
わざとらしく憂いを帯びた表情を浮かべたジュリアス様が、門兵達に手を差し出して告げました。
「今回の一件、罪には問わぬ故、全員武器を捨てて投降せよ。よいな?」
「は、ははーっ!」
すべての門兵が武器を下ろし、地に頭を伏せます。
これにて一件落着でしょうか。若干消化不良なのは否めませんが。
まあ、私も久々の外出ですし、今日はこれくらいで勘弁して――
「私の正義はァ! まだ……っ、負けてないぃ!」
「な、なんだっ!? ぐわああ!?」
「ひぎゃっ!?」
そんな声を上げながら、門兵の方々がジャルモウさんの鉄球に吹き飛ばされていきます。
あら、存外にしぶとかったのですね。まだ立ち上がれるなんて。
「はぁ、はぁ……許しません、許しませんよ……女神に仇なす魔女めェ……!」
立ち上がったジャルモウさんは、僧服があちこち裂けてはいるものの、私が与えたはずのダメージがいくらか回復しているご様子でした。
治癒魔法……にしては、それらしい素振りがありませんでしたね。
これは、まさか──
「魔女の穢れた拳ごときで、このジャルモウが倒れると思ったら大間違いです! 私にはこの――〝聖少女の首飾り〟があるのですからね!」
そう言って、ジャルモウさんは胸元から青白く光る首飾りを取り出しました。あれには見覚えがあります。
「……やはりそうでしたか」
――聖少女の首飾り。
加護の力に匹敵する、強力な自動回復効果を持つ魔道具です。
魔道具はいくつかの等級に分けられているのですが、その中でも世界にひとつしかない稀少なものを幻想級と呼びます。
あの首飾りは奴隷オークション事件の時、瀕死の重傷を負ったゴドウィン様を一瞬で回復させるほどの効果を発揮しました。それを考えると、あの首飾りは幻想級だと思っていたのですが――まさかもうひとつあったなんて。
これは少々面倒なことになりましたね。
「驚いたようですねえ? これは模造品ですがね。ただし治癒の効果は絶大です! さあ、続きを始めましょう。先ほどは少々油断しましたが、次はそうはいきませんよ! 今度こそ、貴女の脳天にこの正義の鉄槌を――」
「ディ、ディアナ聖教の聖女守護騎士団だ!」
意気揚々と口上を述べていたジャルモウさんを遮るように、見張り台に残っていた門兵が叫びました。
聖教区内に目を向けると、純白の鎧を身につけた騎士達が、馬でこちらへ駆けて来るのが見えます。
聖女守護騎士団。ディアナ聖教の抱える騎士団であり、大陸最硬と名高い方々でございます。
パルミア教が勢力を拡大する中、ディアナ聖教が同じ聖教区内にとどまり続けていられるのは、彼らの力によると言って間違いないでしょう。
私達はもともと、聖門で彼らと落ち合う約束だったのですが……そう思えば随分と遅いご到着ですわね。……あら、よく見れば鎧が血で汚れていらっしゃいます。どこかで足止めでも食らっていたのでしょうか。
「くっ……仕方ありませんね。どうやら今日はここまでのようです。ですが! 次に会った時は、今度こそ貴女に聖なる鉄槌を下して差し上げますからね!」
そんな捨て台詞を残して、ジャルモウさんが私達に背を向けて走り去っていきました。
自国の第一王子に躊躇なく牙を剥く狂信者でも、数には敵わないと踏みましたか。
「……まったく、舐められたものですわ」
守護騎士団の姿を見て逃げ出すということは、私一人が相手であれば倒せると思っていたということでしょう。これは少々、腹立たしいですわね。
「その思い上がり、いずれ絶対に矯正して差し上げます。首を洗って待っていてくださいな、パルミア教のジャルモウさん」
守護騎士団が到着して周囲が慌ただしくなりはじめた中、私は今後の方針を定めて一人拳を握り締めるのでした。
「やれやれ、これはまたひと波乱起こりそうだ。貴女がいると本当に退屈しないな、スカーレットよ」
この腹黒王子……なにをしれっと私が元凶であるかのように語ってるんですか。
今回に関しては、どう控えめに見ても、私は巻き込まれただけですからね。もうっ。
聖門での騒ぎのあと、私達は守護騎士団の方々に護衛されながら聖教区内に入りました。
馬車で行くこと約五分。ようやく目的地に到着です。
青い屋根に大きな鐘。青みがかった灰色の、巨大な石造りの建物。
ディアナ聖教団の総本部、ディアナ聖堂です。
パリスタン王国でも屈指の歴史を誇る建造物ですね。
ここの神々しさと荘厳さは、いつ見ても思わずため息を漏らしてしまいます。
「ジュリアス殿下! スカーレット様!」
馬車を降りると、聖堂の前で私達を待っていた聖女守護騎士団の一団の中から、一際身体の大きなお方が歩み出てこられました。
そのお方が純白の兜を外すと、お髭の素敵な壮年の殿方の顔が現れます。
聖女守護騎士団団長、パラガス様でございますね。彼の鎧も、ところどころに血や泥がついております。
「お迎えに上がるのが遅れてしまい、申し訳ございませんでした!」
「よい。その有様を見ればだいたい予想はつく。なにかしらのトラブルがあったのだろう」
ジュリアス様の言葉に、パラガス様がうなずきます。
「おっしゃる通りでございます。聖教区内の各所で市民の暴動が発生いたしまして。鎮圧のために戦力を割かざるをえない状況になっておりました」
眉間に皺を寄せて険しい表情をされたパラガス様は、深々と頭を下げました。
「まさかパルミア教のやつらが聖門を閉じて、殿下とスカーレット様に直接妨害してくるとは思いませんでした。考えがいたらず、重ね重ね誠に申し訳ありません!」
ジュリアス様が手を振って、パラガス様の謝罪を受け流します。
そしてふっと口元を歪ませて、笑みを浮かべながら言いました。
「暴動か。そのような野蛮な市民が、一体この聖教区のどこに潜んでおったのだろうな」
「……殿下がお察しの通り、暴動を起こした市民はパルミア教の信者でございます」
パルミア教の方々は、聖地巡礼によってディアナ聖教の求心力が高まるのが気に食わないようですね。聖地巡礼で行う儀式は、あの疑り深いレオお兄様でさえ虜にしてしまうほど見栄えのよいもの。ですから、あらゆる手段を使って、中止させようとしているのでしょう。
「聖門での足止めも、市民の暴動も、おそらくは我々を分断するためだけの作戦だろう。本当の狙いは、なにか別のところにあるに違いない」
「でしょうな。この程度の戦力で、我等やスカーレット様をどうにかできるはずがありません。やつらもそれは重々承知しているでしょう」
「たぬきジジイどもめ。一体なにを企んでいるのやら」
ちなみに鎮圧された暴徒は、守護騎士団の方々の手によって警備隊に引き渡されています。
ジュリアス様いわく「下っ端を捕まえても意味がない」とのことでしたけれど。
私としては大元を絶つことを提案したのですが、ジュリアス様にフッと鼻で笑われてしまいました。
どうやらゴドウィン様の時と同じように確たる証拠を掴まなければ、ボコボコにすることはできなさそうです。面倒なことですわね、まったく。
「あっれー。隊長、こんなところでみんな集まってなにしてんすか?」
真剣なお話をしていたのに、背後からまるで空気を読まない明るい声が聞こえてきました。
振り向くと、乗ってきた馬車の上に、聖女守護騎士団の鎧を身につけた殿方が立っておられます。
緑がかった金髪。人族より少し長いお耳。美しく、線の細い端整なお顔。
この容姿の特徴から推測するに、ハーフエルフの方でしょうか。
「ディオス、貴様ぁ! この非常時に一体どこをほっつき歩いておった!」
「あーはいはい、そんなに怒んないでくださいよ──っと」
パラガス様の怒声を飄々と受け流しつつ、ディオスと呼ばれた殿方が馬車の上から飛び下ります。
まるで軽業師のようにくるりと空中で身体を一回転させ着地した彼は、ウインクをしながら軽薄な調子で言いました。
「聖女守護騎士団筆頭騎士、ディオス・ウエストウッド。ただいま参上いたしました。以後お見知りおきを、ジュリアス殿下」
「ああ……よろしく頼む」
どこまでも軽い態度に、ジュリアス様はなんとも言えないお顔をしていらっしゃいます。
真面目な方をからかうタイプのジュリアス様にとっては、このように奔放な振る舞いをなさるお方は苦手なのかもしれませんね。
ふふ、これはいいことを知りました。
「こんの、バッカモンがあああ!」
「おっとあぶねー。なんすかいきなり殴りかかってきてー。暴力反対っすよ、団長」
「ジュリアス殿下に対してなんたる無礼な振る舞い! 今日こそその羽よりも軽い貴様の性根を叩き直してくれるわ!」
「団長の拳骨で殴られたら、二枚目な俺の顔が台無しになっちゃいますよ」
ひらりひらりとパラガス様の拳をかわしながら、ディオス様が私の前まで移動してきます。
その光景を興味深く見ていた私は、ちょうどディオス様と向き合う形になり、彼と目が合いました。すると、ディオス様は大きく目を見開いて叫びます。
「うおー! す、すっごい美人!? 誰、誰っすか貴女は!?」
あまりに大仰な反応に、少々驚いてしまいました。
ですが私も公爵家の娘。それを表に出さずに優雅に会釈することなど、造作もないことです。
「お初にお目にかかります、ディオス様。私、ヴァンディミオン公爵の娘、スカーレット・エル・ヴァンディミオンと申します。以後お見知りおきを」
スカートを摘まみ微笑みながら一礼します。
そんな私を見たディオス様は、突然私の足元にひざまずきました。
「一目惚れしました! 俺と結婚してください!」
そして、うやうやしく私の手を取ると、その甲に口づけをなさいます。
「……あの、これは一体なんの真似ですか?」
微笑みを浮かべたまま、ひざまずいているディオス様に尋ねます。
私の手の甲から唇を離したディオス様は、人懐っこい笑みを浮かべて答えました。
「求婚っすよ。スカーレットさんは身分の差とか気にするタイプっすか?」
「そうですわね。私はさほど気にしませんが、我が家は公爵家ですし、ある程度のお家柄のお方でなくてはお父様とお母様が納得しないでしょう」
「それなら大丈夫っすよ。俺、こう見えてエルフの王族の息子なんで。ちなみに母親は人間の女って設定のハーフエルフっす。あ、設定って言っちゃったわ」
「ふふ。面白いお方ですわね」
ですが、いけませんね。こういうことは、時と場所をわきまえてもらわなければ。
「おっと」
お仕置きをしようと拳を握り込むと、ディオス様がさっと私から飛び退きます。
それと同時に、誰かがうしろから私の手を引きました。
「私の連れをあまり困らせないでもらおうか」
振り向けば、ジュリアス様がムッとした表情で私の手を握っていました。
助け船を出してくださったのかしら。
私が困っているこのような状況、普段のジュリアス様なら笑いながら見ていそうなものですけれど。
「なーんだ。彼女、ジュリアス殿下のこれっすか」
小指を立てて軽薄そうに笑うディオス様。
これ、とは? 一体なんなのでしょう。
「まあ、そういうことだ。理解したなら、スカーレットにちょっかいをかけるのはやめてもらおう」
「えー、どうしよっかなぁ。俺、他人に指図されるの嫌いなんすよね」
挑発的なその答えに、ジュリアス様はわずかに口の端を吊り上げて悪そうな表情を浮かべます。
「奔放なのはかまわんが、長いものに巻かれるのも賢いとは思わんか?」
「いやあ、そう言われて身を引くのも、それはそれで権力に屈したみたいで格好がつきませんし。ほら俺、反骨精神だけは人一倍っていうか。そういうアウトローなところも俺の魅力の一部っていうか──」
「「「「ディオスうううう……!」」」」
ディオス様の全身を、四人の聖女守護騎士団の方々が一斉にがしっと掴みます。
「スカーレット様だけでなく、殿下にまで無礼な振る舞いをしおって!」
「貴様のたるみきった性根、我らがきっちりと叩き直してくれる!」
「や、やだなー、先輩達。ちょっとしたジョークっすよ。ほら、色々トラブルがあって殿下達も気が立ってるかなーって思って。思いやりってやつっす。ね?」
「聞く耳持たぬ!」
「しかり! しかり!」
「ああっ。モテる男は辛いっ。それじゃスカーレットさん、今度デートしましょうねー」
「「「「まだ言うか!」」」」
まるで犯罪者のように、ディオス様は他の騎士のみなさまによって引きずられていきました。
その姿を見たジュリアス様が、やれやれと大きなため息をつきます。
「規律を重んじる聖女守護騎士団に、まさかあのような不真面目な者がいるとはな。見かけぬ顔であったが、最近入った者か?」
「一年ほど前に入団した者なのですが……申し訳ございません。腕はとびきり立つのに、いかんせんいい加減と言いますか、自由すぎる気質の者でして」
……ディオス・ウエストウッド様。
あのお方、確かに只者ではないようですね。
どうやって察知したのかはわかりませんが、私が殴ろうとしたら、気配を読んでうしろに飛びすさったみたいでしたし。
ひと欠片の殺気も出していなかったというのに、不思議なこともあるものです。
なにか加護の力でもお使いになれるのかしら。
「ところでジュリアス様」
「なんだ」
「いつまで手を握っていらっしゃるおつもりでしょうか」
指摘すると、いま気がついたと言わんばかりに、ジュリアス様がぱっと手を離します。
「ああ。いや、すまぬ。咄嗟のことで、ついな。強く握りすぎたか?」
「いえ、ほどよい加減でございました。助けていただき、ありがとうございます……とでも、言ったほうがよろしいでしょうか」
「やめろ、本心でもあるまいし。こそばゆいわ」
ふんと鼻を鳴らすジュリアス様は少し照れくさそうです。
この方にも可愛らしいところがあるのだな、と不敬なことを考えてしまいました。まあ、不敬だなんていまさらですが。
「そういえば、先ほどディオス様が小指を立てておっしゃっていた〝これ〟とは一体どのような意味だったのでしょうか? ジュリアス様は肯定なさっていらっしゃいましたが」
「――さて、余計な時間を食ってしまったな。聖女ディアナのもとへ急ぐぞ」
誤魔化すように、ジュリアス様がそそくさと歩いていかれます。
一体〝これ〟とはなんのことなのでしょうか。気になりますね。
後ほどどなたかに聞いておきましょう。
中庭から聖堂に入り、パラガス様のあとを歩きます。
聖堂の中は外壁と同じ青灰色の石壁と石床が続いていて、神聖な気で満ち溢れていました。
「聖女守護騎士団団長、パラガスでございます。ジュリアス殿下とスカーレット様をお連れいたしました」
聖堂の最奥。聖女の間の扉の前で、パラガス様が厳かに告げました。
「……どうぞ、お入りください」
少し間を置いてから、いかにも真面目そうな女性の声が返ってまいります。
扉を開いて中に入ると、青い法衣を纏った方々が、左右の壁際に列を作って並んでいました。
広い部屋の奥には薄い純白の布で作られた御簾が張られていて、その向こうには小柄な人影が。
そこにおわすお方こそ、ディアナ聖教団の聖女ディアナ様でございます。
「遅れて申し訳ない。道中、トラブルに見舞われてな」
「ディアナ様、ご機嫌麗しゅうございます」
ジュリアス様と私が挨拶の言葉を述べると、青い法衣を身につけたお付きの方が無言で御簾の中に入っていきました。
中からボソボソとささやく声が聞こえてきて、やがてお付きの方が御簾の中から出てくると、声高らかに告げました。
「ジュリアス殿下、スカーレット様。ご機嫌麗しゅうございます。話はすでにパラガスより聞いております。どうぞこちらにはお気を遣わず、楽になさってください……と、ディアナ様はおっしゃっております!」
聖女の間では、このように人を介してお話しするのが決まり。いかに王子といえど、神聖なこの空間で聖女様と直接会話することはできません。
「……到着して早々だが、聖地巡礼の儀についての話し合いを行いたい。会合の内容は国防に関わる機密ゆえ、聖女ディアナ以外の者には下がってもらいたいのだが」
ジュリアス様がそう言うと、先ほどと同じことが繰り返されます。
そして御簾から出てきたお付きの方が、再び声高らかに言いました。
「承知いたしました。では、会合の間へ移動いたしましょう。準備をしてから後ほどまいりますので、少々お時間をいただきます。ご容赦くださいませ……と、ディアナ様はおっしゃっております!」
「……わかった。では、お先に失礼させていただく」
「ディアナ様、また後ほど」
礼をしてから部屋の外に出ると、バタンと聖女の間の扉が閉じられました。
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