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下僕
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ライエルがたずねてきた三日後の朝。
アムネジアは貴族学校に向かっていた。
「……少し痕が残ってしまったわね」
制服姿のアムネジアが馬車の中でうなじを撫でる。
傷はほとんど完治したものの、そこにはうっすらと線のような痕が残っていた。
もしこれが肌一枚ではなく、首に少しでも食い込んでいたなら。
それだけで致命傷になった可能性もあった。
(――あの男は早めに処理しなければ。どんな手を使ってでも)
拳を握りしめながらアムネジアが決意も新たにしていると、馬車が停車する。
赤茶色の壁が立ち並ぶ学校の校門前には、登校する生徒達の姿であふれていた。
馬車からアムネジアが降りると、周囲の視線が一斉に集まる。
すると、一人の生徒がアムネジアを指差して言った。
「見ろよ、糸目女だぜ。ったく、今日も辛気臭い面しやがって――」
「おい馬鹿、やめろ!」
いつものようにアムネジアを罵倒しようとした生徒を、別の男子生徒が慌てて抑える。
「家に通達が来ただろ! 聞いてなかったのか!」
「は? いや、俺は辺境の別荘に旅行行ってたからなにも知らないが……何かあったのか?」
「アムネジアに対して危害を加えたら、たとえどんなに家柄が高い貴族の子供であろうと処罰するって、学校に通ってる生徒の家全部におふれが出たんだよ! 陛下の名前で!」
なるべくしてなったことにアムネジアは驚きもしなかった。
夜会の一件で国王と王妃は既にアムネジアがいじめられていることを認識している。
それが発覚した以上、アムネジアを大事に思っている二人が、対策を講じないわけがなかった。
さらにそれに加えて――
「あら、そこにいらっしゃるのはフィレンツィオ様ではありませんか。ごきげんよう」
校門の前で立っていたフィレンツィオにアムネジアが笑顔で会釈をする。
アムネジアと視線が合ったフィレンツィオはビクッと身体を震わせた。
そして目線を泳がせながらも、ひきつった笑顔で手を挙げて言った。
「あ、ああ。おはよう、アムネジア!」
笑顔で挨拶を交わし合うアムネジアとフィレンツィオ。
その姿を見て、周囲の生徒達は驚き、ざわめき出す。
「あ、あの女に挨拶したわよ。フィレンツィオ様が」
「今まではアムネジアの姿を見るなり不機嫌そうにしてたのに……」
「やっぱり夜会で愛しているって言ってたのは本当だったのね」
何も脅しの言葉をかけずとも、フィレンツィオは最早、アムネジアの完全なる下僕と化していた。
威張り散らしていた口はすっかり大人しくなり。
常に不遜だった表情はアムネジアの顔色をうかがうようにおどおどして。
今のフィレンツィオには暴君と呼ばれていた頃の面影は、どこにもなかった。
「もしかして、私を待っていてくださったのですか?」
アムネジアが首を傾げてそう言った。
傍から見たら可憐な美少女の可愛らしい仕草にしか見えないそれは。
フィレンツィオにとっては恐ろしい化物の脅し文句にしか聞こえない。
「も、もちろんだ! 俺とアムネジアは、愛を誓いあった婚約者同士なのだからな! はっはっは!」
フィレンツィオがわざと周囲に聞こえるような大声でさけぶ。
一言もそんな言葉を発する気はなかったフィレンツィオは、驚きに顔を歪めた。
それもそのはず、視線が合った時点でフィレンツィオの身体の自由は、すでにアムネジアによって奪われていたのだから。
顔面蒼白となったフィレンツィオは、アムネジアを視界に収めたままの不自然な動きでぎこちなく身体の向きを変えた。
フィレンツィオは最初にアムネジアを糸目女と馬鹿にした生徒の方に歩み寄る。
そして目の前で立ち止まると口を開き、少し遅れて言った。
「おい貴様」
「は、はい! 俺になにか用でぐぎゃぁっ!?」
フィレンツィオが生徒の顔面を思い切りぶん殴る。
殴られた生徒は鼻血を吹き出しながら吹っ飛んで地面に倒れた。
フィレンツィオの突然の凶行に、生徒達は目を見開いて絶句する。
そんな彼らにフィレンツィオは、額に血管を浮かべながらさけんだ。
「なにを見ておる! 見世物ではないぞ!」
「は、はい!」
「も、申し訳ありませんでした!」
生徒達は慌ててフィレンツィオから視線をそらすと、早足で校舎に向かっていく。
その場には、ピクピクと痙攣して泡を吹く生徒だけが残された。
アムネジアは生徒を見下して満足そうに微笑む。
フィレンツィオは殴って骨が砕けた拳を押さえて、半泣きになっていた。
そんなフィレンツィオにアムネジアは身を寄せ、砕けた拳を優しく撫でる。
「私のために怒って下さるなんて、お優しいのですね、フィレンツィオ様」
「も、もう許してくれ……さ、逆らわない。絶対に逆らわないから、もう俺の身体を操るのはやめ――」
言葉をさえぎるように、アムネジアが手を広げてフィレンツィオの砕けた拳を握りしめた。
「いっぎゃあああ!?」
「今、何か言いましたか? 聞こえませんでしたね。もう一度私に聞こえるように言ってくださいませ。さあさあ」
アムネジアは爪を立てて、砕けた骨をえぐるようにフィレンツィオの手の甲をギリギリと握りしめる。
鼻水と涙を垂れ流しながら、フィレンツィオは掠れた声で言った。
「な、なんでもない……俺はお前の下僕だ……どうとでもしてくれ……」
アムネジアがフィレンツィオの拳から手を離す。
膝から地面に崩れ落ち、手を押さえてうめくフィレンツィオにアムネジアは――
「よくできましたね。これからも一生、その調子でお願いしますわ。私の王子様」
薄っすらと紫紺の目を見開いて。
にたぁと口元を釣り上げながら、そう言った。
アムネジアは貴族学校に向かっていた。
「……少し痕が残ってしまったわね」
制服姿のアムネジアが馬車の中でうなじを撫でる。
傷はほとんど完治したものの、そこにはうっすらと線のような痕が残っていた。
もしこれが肌一枚ではなく、首に少しでも食い込んでいたなら。
それだけで致命傷になった可能性もあった。
(――あの男は早めに処理しなければ。どんな手を使ってでも)
拳を握りしめながらアムネジアが決意も新たにしていると、馬車が停車する。
赤茶色の壁が立ち並ぶ学校の校門前には、登校する生徒達の姿であふれていた。
馬車からアムネジアが降りると、周囲の視線が一斉に集まる。
すると、一人の生徒がアムネジアを指差して言った。
「見ろよ、糸目女だぜ。ったく、今日も辛気臭い面しやがって――」
「おい馬鹿、やめろ!」
いつものようにアムネジアを罵倒しようとした生徒を、別の男子生徒が慌てて抑える。
「家に通達が来ただろ! 聞いてなかったのか!」
「は? いや、俺は辺境の別荘に旅行行ってたからなにも知らないが……何かあったのか?」
「アムネジアに対して危害を加えたら、たとえどんなに家柄が高い貴族の子供であろうと処罰するって、学校に通ってる生徒の家全部におふれが出たんだよ! 陛下の名前で!」
なるべくしてなったことにアムネジアは驚きもしなかった。
夜会の一件で国王と王妃は既にアムネジアがいじめられていることを認識している。
それが発覚した以上、アムネジアを大事に思っている二人が、対策を講じないわけがなかった。
さらにそれに加えて――
「あら、そこにいらっしゃるのはフィレンツィオ様ではありませんか。ごきげんよう」
校門の前で立っていたフィレンツィオにアムネジアが笑顔で会釈をする。
アムネジアと視線が合ったフィレンツィオはビクッと身体を震わせた。
そして目線を泳がせながらも、ひきつった笑顔で手を挙げて言った。
「あ、ああ。おはよう、アムネジア!」
笑顔で挨拶を交わし合うアムネジアとフィレンツィオ。
その姿を見て、周囲の生徒達は驚き、ざわめき出す。
「あ、あの女に挨拶したわよ。フィレンツィオ様が」
「今まではアムネジアの姿を見るなり不機嫌そうにしてたのに……」
「やっぱり夜会で愛しているって言ってたのは本当だったのね」
何も脅しの言葉をかけずとも、フィレンツィオは最早、アムネジアの完全なる下僕と化していた。
威張り散らしていた口はすっかり大人しくなり。
常に不遜だった表情はアムネジアの顔色をうかがうようにおどおどして。
今のフィレンツィオには暴君と呼ばれていた頃の面影は、どこにもなかった。
「もしかして、私を待っていてくださったのですか?」
アムネジアが首を傾げてそう言った。
傍から見たら可憐な美少女の可愛らしい仕草にしか見えないそれは。
フィレンツィオにとっては恐ろしい化物の脅し文句にしか聞こえない。
「も、もちろんだ! 俺とアムネジアは、愛を誓いあった婚約者同士なのだからな! はっはっは!」
フィレンツィオがわざと周囲に聞こえるような大声でさけぶ。
一言もそんな言葉を発する気はなかったフィレンツィオは、驚きに顔を歪めた。
それもそのはず、視線が合った時点でフィレンツィオの身体の自由は、すでにアムネジアによって奪われていたのだから。
顔面蒼白となったフィレンツィオは、アムネジアを視界に収めたままの不自然な動きでぎこちなく身体の向きを変えた。
フィレンツィオは最初にアムネジアを糸目女と馬鹿にした生徒の方に歩み寄る。
そして目の前で立ち止まると口を開き、少し遅れて言った。
「おい貴様」
「は、はい! 俺になにか用でぐぎゃぁっ!?」
フィレンツィオが生徒の顔面を思い切りぶん殴る。
殴られた生徒は鼻血を吹き出しながら吹っ飛んで地面に倒れた。
フィレンツィオの突然の凶行に、生徒達は目を見開いて絶句する。
そんな彼らにフィレンツィオは、額に血管を浮かべながらさけんだ。
「なにを見ておる! 見世物ではないぞ!」
「は、はい!」
「も、申し訳ありませんでした!」
生徒達は慌ててフィレンツィオから視線をそらすと、早足で校舎に向かっていく。
その場には、ピクピクと痙攣して泡を吹く生徒だけが残された。
アムネジアは生徒を見下して満足そうに微笑む。
フィレンツィオは殴って骨が砕けた拳を押さえて、半泣きになっていた。
そんなフィレンツィオにアムネジアは身を寄せ、砕けた拳を優しく撫でる。
「私のために怒って下さるなんて、お優しいのですね、フィレンツィオ様」
「も、もう許してくれ……さ、逆らわない。絶対に逆らわないから、もう俺の身体を操るのはやめ――」
言葉をさえぎるように、アムネジアが手を広げてフィレンツィオの砕けた拳を握りしめた。
「いっぎゃあああ!?」
「今、何か言いましたか? 聞こえませんでしたね。もう一度私に聞こえるように言ってくださいませ。さあさあ」
アムネジアは爪を立てて、砕けた骨をえぐるようにフィレンツィオの手の甲をギリギリと握りしめる。
鼻水と涙を垂れ流しながら、フィレンツィオは掠れた声で言った。
「な、なんでもない……俺はお前の下僕だ……どうとでもしてくれ……」
アムネジアがフィレンツィオの拳から手を離す。
膝から地面に崩れ落ち、手を押さえてうめくフィレンツィオにアムネジアは――
「よくできましたね。これからも一生、その調子でお願いしますわ。私の王子様」
薄っすらと紫紺の目を見開いて。
にたぁと口元を釣り上げながら、そう言った。
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