16 / 42
正体
しおりを挟む
アムネジアが目を細めて微笑む。
そばかすやシミ一つない美しい真白の顔は、闇の中で一際目立って見えた。
恐れを抱きながらも、アムネジアの妖しい美貌に思わず見入ってしまったフィレンツィオは、とあることに気がつく。
(俺が殴った頬が、腫れていない……?)
先程までは確かに赤く腫れあがっていたはずのアムネジアの頬が、何事もなかったかのように治っていた。
そんな馬鹿な、と。フィレンツィオは目を擦るが、何度見てもその頬には傷一つない。
困惑した様子のフィレンツィオにアムネジアは首を傾げると「ああ」とうなずいて言った。
「あの程度の怪我ならばいつでも治せます。ただあの場では傷跡を残しておいた方が同情を買えると思ったので放置していただけのことですわ」
そう言ってアムネジアが小さな口を開けると、そこには綺麗に整った白い歯が並んでいる。
フィレンツィオに叩き折られたはずの歯も、どれがその部分か分からないほど違和感なく生え揃っていた。
あり得ない光景にフィレンツィオは改めて、目の前にいるアムネジアに得体のしれない恐怖を覚える。
「き、貴様は……い、一体何者だ……? 一体何が目的なんだ……!?」
フィレンツィオの問いに、アムネジアは目を閉じる。
遠くから夜会の喧騒がかすかに聞こえてくる中。
アムネジアは静かにとつとつと、闇に溶け込むような透き通る声で語り出した。
「……私はただ、心穏やかに暮らしたいのです」
アムネジアが薄く目を開き、紫紺の輝きを窓の外に向ける。
「何者にも命を脅かされることがなく、日々の何気ない幸せを享受したい。ただそれだけなのです」
ほぅ、と艶やかな溜息をついて。
アムネジアは自らの長い銀髪を一房手に取ると、くるくると指に巻き付けながら話を続けた。
「でも人は自分と少しでも違う特徴を持っているというだけで、すぐにその人間を排除しようとします。目の色が違うだけで。髪の色が違うだけで。少し人と違う嗜好を持っているというだけで、私達の一族は不名誉な名前をつけられ、とても長い間迫害されてきました。同じ人間ですのに。ねえ?」
貴方もそう思うでしょう? と言わんばかりに流し目を送ってくるアムネジアに、フィレンツィオは恐怖に震える身体を叱咤して、なんとか口を開いて問いかけた。
「不名誉な名前と言ったが、貴様は……貴様の一族は、今までなんという名で呼ばれていたのだ……?」
フィレンツィオはアムネジアがぼかしながら言った種族に心当たりがあった。
確か話半分に聞いていた幻想生物学の授業で習ったことがある。
銀の髪に白い肌。人ならざる美貌を持ち、人心を惑わす魔眼を持つ。
それは不老不死であり、どんな傷もたちどころに治してしまうという。
気位が高く高慢で、決して人間に服従しなかったが故に、世界中で迫害され滅ぼされたその種族の名は――
「不死者、夜を渡る者、宵闇の悪夢。名をあげればキリはありませんが……そうですね、この時代で一番知られている名前で言うならば――」
爛、と目を輝かせながらアムネジアが口角を吊り上げる。
「――吸血鬼でしょうか」
アムネジアの口内で鋭くとがった犬歯が、闇夜に白く煌めいた。
「ひっ、ば、化け物……っ!」
その時ばかりは及び腰だったフィレンツィオの体も、躊躇なく動いた。
このままここにいたら殺される。
そんな危機感に、脅されていたことも忘れてフィレンツィオは馬車から逃げようとするが――
「か、体が動かない!? なぜだ!? 目を見ていないのに!」
フィレンツィオは指一本動かせなくなっている自分の身体に愕然とした。
なぜアムネジアの魔眼と視線を合わせていないのに、身体が動かないのか。
混乱するフィレンツィオにアムネジアは身を寄せると、背後から耳元でささやいた。
「……吸血鬼の爪には魔力の抵抗が薄い人間を麻痺させる力があるんです。勉強不足ですね。ダメですよ、ちゃんと授業は真面目に受けないと。ふふ」
そばかすやシミ一つない美しい真白の顔は、闇の中で一際目立って見えた。
恐れを抱きながらも、アムネジアの妖しい美貌に思わず見入ってしまったフィレンツィオは、とあることに気がつく。
(俺が殴った頬が、腫れていない……?)
先程までは確かに赤く腫れあがっていたはずのアムネジアの頬が、何事もなかったかのように治っていた。
そんな馬鹿な、と。フィレンツィオは目を擦るが、何度見てもその頬には傷一つない。
困惑した様子のフィレンツィオにアムネジアは首を傾げると「ああ」とうなずいて言った。
「あの程度の怪我ならばいつでも治せます。ただあの場では傷跡を残しておいた方が同情を買えると思ったので放置していただけのことですわ」
そう言ってアムネジアが小さな口を開けると、そこには綺麗に整った白い歯が並んでいる。
フィレンツィオに叩き折られたはずの歯も、どれがその部分か分からないほど違和感なく生え揃っていた。
あり得ない光景にフィレンツィオは改めて、目の前にいるアムネジアに得体のしれない恐怖を覚える。
「き、貴様は……い、一体何者だ……? 一体何が目的なんだ……!?」
フィレンツィオの問いに、アムネジアは目を閉じる。
遠くから夜会の喧騒がかすかに聞こえてくる中。
アムネジアは静かにとつとつと、闇に溶け込むような透き通る声で語り出した。
「……私はただ、心穏やかに暮らしたいのです」
アムネジアが薄く目を開き、紫紺の輝きを窓の外に向ける。
「何者にも命を脅かされることがなく、日々の何気ない幸せを享受したい。ただそれだけなのです」
ほぅ、と艶やかな溜息をついて。
アムネジアは自らの長い銀髪を一房手に取ると、くるくると指に巻き付けながら話を続けた。
「でも人は自分と少しでも違う特徴を持っているというだけで、すぐにその人間を排除しようとします。目の色が違うだけで。髪の色が違うだけで。少し人と違う嗜好を持っているというだけで、私達の一族は不名誉な名前をつけられ、とても長い間迫害されてきました。同じ人間ですのに。ねえ?」
貴方もそう思うでしょう? と言わんばかりに流し目を送ってくるアムネジアに、フィレンツィオは恐怖に震える身体を叱咤して、なんとか口を開いて問いかけた。
「不名誉な名前と言ったが、貴様は……貴様の一族は、今までなんという名で呼ばれていたのだ……?」
フィレンツィオはアムネジアがぼかしながら言った種族に心当たりがあった。
確か話半分に聞いていた幻想生物学の授業で習ったことがある。
銀の髪に白い肌。人ならざる美貌を持ち、人心を惑わす魔眼を持つ。
それは不老不死であり、どんな傷もたちどころに治してしまうという。
気位が高く高慢で、決して人間に服従しなかったが故に、世界中で迫害され滅ぼされたその種族の名は――
「不死者、夜を渡る者、宵闇の悪夢。名をあげればキリはありませんが……そうですね、この時代で一番知られている名前で言うならば――」
爛、と目を輝かせながらアムネジアが口角を吊り上げる。
「――吸血鬼でしょうか」
アムネジアの口内で鋭くとがった犬歯が、闇夜に白く煌めいた。
「ひっ、ば、化け物……っ!」
その時ばかりは及び腰だったフィレンツィオの体も、躊躇なく動いた。
このままここにいたら殺される。
そんな危機感に、脅されていたことも忘れてフィレンツィオは馬車から逃げようとするが――
「か、体が動かない!? なぜだ!? 目を見ていないのに!」
フィレンツィオは指一本動かせなくなっている自分の身体に愕然とした。
なぜアムネジアの魔眼と視線を合わせていないのに、身体が動かないのか。
混乱するフィレンツィオにアムネジアは身を寄せると、背後から耳元でささやいた。
「……吸血鬼の爪には魔力の抵抗が薄い人間を麻痺させる力があるんです。勉強不足ですね。ダメですよ、ちゃんと授業は真面目に受けないと。ふふ」
130
お気に入りに追加
3,248
あなたにおすすめの小説
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
罠にはめられた公爵令嬢~今度は私が報復する番です
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
【私と私の家族の命を奪ったのは一体誰?】
私には婚約中の王子がいた。
ある夜のこと、内密で王子から城に呼び出されると、彼は見知らぬ女性と共に私を待ち受けていた。
そして突然告げられた一方的な婚約破棄。しかし二人の婚約は政略的なものであり、とてもでは無いが受け入れられるものではなかった。そこで婚約破棄の件は持ち帰らせてもらうことにしたその帰り道。突然馬車が襲われ、逃げる途中で私は滝に落下してしまう。
次に目覚めた場所は粗末な小屋の中で、私を助けたという青年が側にいた。そして彼の話で私は驚愕の事実を知ることになる。
目覚めた世界は10年後であり、家族は反逆罪で全員処刑されていた。更に驚くべきことに蘇った身体は全く別人の女性であった。
名前も素性も分からないこの身体で、自分と家族の命を奪った相手に必ず報復することに私は決めた――。
※他サイトでも投稿中
お言葉を返すようですが、私それ程暇人ではありませんので
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<あなた方を相手にするだけ、時間の無駄です>
【私に濡れ衣を着せるなんて、皆さん本当に暇人ですね】
今日も私は許婚に身に覚えの無い嫌がらせを彼の幼馴染に働いたと言われて叱責される。そして彼の腕の中には怯えたふりをする彼女の姿。しかも2人を取り巻く人々までもがこぞって私を悪者よばわりしてくる有様。私がいつどこで嫌がらせを?あなた方が思う程、私暇人ではありませんけど?
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?
シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。
……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m
許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください>
私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒―
私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。
「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」
その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。
※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる