いじめられ続けた挙げ句、三回も婚約破棄された悪役令嬢は微笑みながら言った「女神の顔も三度まで」と

鳳ナナ

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 アムネジアが目を細めて微笑む。
 そばかすやシミ一つない美しい真白の顔は、闇の中で一際目立って見えた。
 恐れを抱きながらも、アムネジアの妖しい美貌に思わず見入ってしまったフィレンツィオは、とあることに気がつく。


(俺が殴った頬が、腫れていない……?)


 先程までは確かに赤く腫れあがっていたはずのアムネジアの頬が、何事もなかったかのように治っていた。
 そんな馬鹿な、と。フィレンツィオは目を擦るが、何度見てもその頬には傷一つない。
 困惑した様子のフィレンツィオにアムネジアは首を傾げると「ああ」とうなずいて言った。


「あの程度の怪我ならばいつでも治せます。ただあの場では傷跡を残しておいた方が同情を買えると思ったので放置していただけのことですわ」


 そう言ってアムネジアが小さな口を開けると、そこには綺麗に整った白い歯が並んでいる。
 フィレンツィオに叩き折られたはずの歯も、どれがその部分か分からないほど違和感なく生え揃っていた。
 あり得ない光景にフィレンツィオは改めて、目の前にいるアムネジアに得体のしれない恐怖を覚える。


「き、貴様は……い、一体何者だ……? 一体何が目的なんだ……!?」


 フィレンツィオの問いに、アムネジアは目を閉じる。
 遠くから夜会の喧騒がかすかに聞こえてくる中。
 アムネジアは静かにとつとつと、闇に溶け込むような透き通る声で語り出した。


「……私はただ、心穏やかに暮らしたいのです」


 アムネジアが薄く目を開き、紫紺の輝きを窓の外に向ける。


「何者にも命を脅かされることがなく、日々の何気ない幸せを享受したい。ただそれだけなのです」


 ほぅ、と艶やかな溜息をついて。
 アムネジアは自らの長い銀髪を一房手に取ると、くるくると指に巻き付けながら話を続けた。


「でも人は自分と少しでも違う特徴を持っているというだけで、すぐにその人間を排除しようとします。目の色が違うだけで。髪の色が違うだけで。少し人と違う嗜好を持っているというだけで、私達の一族は不名誉な名前をつけられ、とても長い間迫害されてきました。同じ人間ですのに。ねえ?」


 貴方もそう思うでしょう? と言わんばかりに流し目を送ってくるアムネジアに、フィレンツィオは恐怖に震える身体を叱咤して、なんとか口を開いて問いかけた。


「不名誉な名前と言ったが、貴様は……貴様の一族は、今までなんという名で呼ばれていたのだ……?」


 フィレンツィオはアムネジアがぼかしながら言った種族に心当たりがあった。
 確か話半分に聞いていた幻想生物学の授業で習ったことがある。
 銀の髪に白い肌。人ならざる美貌を持ち、人心を惑わす魔眼を持つ。
 それは不老不死であり、どんな傷もたちどころに治してしまうという。

 気位が高く高慢で、決して人間に服従しなかったが故に、世界中で迫害され滅ぼされたその種族の名は――


「不死者、夜を渡る者、宵闇の悪夢。名をあげればキリはありませんが……そうですね、この時代で一番知られている名前で言うならば――」


 爛、と目を輝かせながらアムネジアが口角を吊り上げる。


「――吸血鬼でしょうか」


 アムネジアの口内で鋭くとがった犬歯が、闇夜に白く煌めいた。


「ひっ、ば、化け物……っ!」


 その時ばかりは及び腰だったフィレンツィオの体も、躊躇なく動いた。
 このままここにいたら殺される。
 そんな危機感に、脅されていたことも忘れてフィレンツィオは馬車から逃げようとするが――


「か、体が動かない!? なぜだ!? 目を見ていないのに!」


 フィレンツィオは指一本動かせなくなっている自分の身体に愕然とした。
 なぜアムネジアの魔眼と視線を合わせていないのに、身体が動かないのか。
 混乱するフィレンツィオにアムネジアは身を寄せると、背後から耳元でささやいた。


「……吸血鬼の爪には魔力の抵抗が薄い人間を麻痺させる力があるんです。勉強不足ですね。ダメですよ、ちゃんと授業は真面目に受けないと。ふふ」
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