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三回目の婚約破棄
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「はい!」
一切の口答えをせず、子息はためらいなく床にうつ伏せになった。
激しやすく高慢なフィレンツィオは、何よりも自分が舐められることを嫌う。
以前には自分の前をただ横切ったというだけで、貴族学園の同級生を鞭打ちに処したことすらあった。
だからそのことを知っている者達は、フィレンツィオの言うことには絶対に逆らわない。
彼らにとって王族であるフィレンツィオは、仮初めの女王であるエルメスよりも、さらに敬意と畏怖を持って接しなければならない面倒な相手であった。
「馬車からこの会場までの道中、土で靴の裏が汚れてな。貴様の背中は汚れを落とすのに丁度良さそうだ」
「は、はい! 私の背中などで良ければどうぞ、汚れふきに使ってください!」
子息の背中をためらいなく両足で踏みつけたフィレンツィオは、ぐりぐりと靴の踵を彼の背にめり込ませる。
踏まれた子息が苦しそうにうめき声をあげる度、フィレンツィオは嬉しそうに口角を吊り上げた。
実際にフィレンツィオがこの子息を踏みつけたのは、靴の裏が汚れていたなどという理由ではない。
彼がただフィレンツィオよりも身長が高く、頭を下げてなお、自分と同等の背丈だったことが気に食わなかったという、それだけの理由だった。
「貴様はこれから俺に頭を下げる時は土下座をせよ。地に頭を擦りつけてな。分かったか下郎」
「わ、分かりました……ぐぅ」
フィレンツィオはフンと鼻を鳴らすと、子息の上から足を離し、誰かを探すかのように周囲を見渡した。
彼はアムネジアとプリシラの姿を見つけると、今まで浮かべていたしかめ面を一転させて笑顔になる。
「プリシラ! そんなところにいたのか!」
フィレンツィオは婚約者であるアムネジアには目もくれず、一目散にプリシラに駆け寄った。
プリシラはそんなフィレンツィオに対して周囲に向けていたのと同じ可憐な笑みを浮かべると、スカートの裾をつまんでおしとやかに会釈する。
「フィレンツィオ様、ごきげんよう――」
「挨拶など良い!」
フィレンツィオは辛抱たまらんと言わんばかりに、プリシラの華奢な腰に手を回すと、強引に自分の胸に抱き寄せた。
公衆の面前であるにも関わらず、フィレンツィオはプリシラに互いの唇がふれあいそうなほどに顔を寄せると、甘い声でささやく。
「……今日も可愛いな、プリシラ。貴様だけだぞ、俺がこんなにも心を砕いて接する女は。まったく、罪深い小鳥め。ベッドの上で夜毎行っている情事のように、この場で乱れさせてくれようか」
「フィレンツィオ様……だめ、みんなが見てるわ」
頬を紅潮させて、吐息を荒げながら切ない顔をするプリシラに、フィレンツィオはごくりと生唾を飲み込んだ。
同世代の間では暴君のように振る舞っているフィレンツィオも、男をたぶらかす手管に長けたプリシラの手にかかればこの通りである。
王族とはいえ、フィレンツィオも所詮は一人の男。
それも甘やかされ傲慢に育った子供だ。
プリシラからすれば、少し自尊心をくすぐって自己承認欲求を満たしてやれば簡単に手の平で転がせる、初心な童貞男に過ぎない。
それゆえに――
「それにほら、婚約者のアムネジア様に悪いわ」
「どうでもいい。そんな女のことなど。俺には貴様さえいればそれでいいのだ」
プリシラにとって、婚約者という立場にあぐらをかいて何も行動を起こさないアムネジアから、フィレンツィオを奪い取ることなど造作もないことであった。
「ごきげんよう、フィレンツィオ様。本日はこのような場にお招き頂き、とても喜ばしく――」
「俺に許可なく話しかけるな、不快なメス犬が。また痛めつけられたいか」
声をかけたアムネジアを一瞥すらせずに、フィレンツィオは冷たい声でそう言った。
婚約者にかけるものとは到底思えないその言葉も、この二人の間では最早日常茶飯事のことである。
それほどまでに、フィレンツィオはアムネジアのことを蛇蝎のごとく嫌っていた。
「フィレンツィオ様、そんな言い方をしてはアムネジア様が可哀想だわ」
「優しいなプリシラよ。だがな、これの扱いなどこんなものでいいのだ。普段からしてみればこれでも十二分に優しくしている方であるからな。ハッ!」
二人の婚姻関係はフィレンツィオの父である国王ベルスカード三世が、豊富な資産を持つツェペル家とより強固な繋がりを作るために決めた政略結婚である。
だがフィレンツィオからしてみれば王族である自分が、身分の低い伯爵家の娘と婚約することなど、耐え難い屈辱であった。
元より不満があればなにかに当たり散らさずにはいられないフィレンツィオである。婚約者が決まった十歳の時、フィレンツィオのイラ立ちの矛先は、憎きツェペル家の一人娘であるアムネジアに向けられた。
それ以降の六年間、今日この日に至るまで。
アムネジアはずっとその肉体と精神に、虐待を受けてきたのであった。
「愚鈍で阿呆で可愛げのかけらもない、ただ俺の種を受け子を孕むことだけにしか存在価値のないメスが。そんな生き物と少しの金を得るためだけに婚約させられたこの俺の、なんと不幸なことよ……!」
イラ立ちにギリ、と歯を噛み締めたフィレンツィオは、抱きしめていたプリシラから手を離す。
そして舞台役者のように芝居がかった仕草で大きく両手を広げると、会場中に響き渡るような大声で叫んだ。
「だがそんな屈辱の日々も今日限りで終わりだ! アムネジア! 今この場をもって、貴様との婚約を破棄する!」
一切の口答えをせず、子息はためらいなく床にうつ伏せになった。
激しやすく高慢なフィレンツィオは、何よりも自分が舐められることを嫌う。
以前には自分の前をただ横切ったというだけで、貴族学園の同級生を鞭打ちに処したことすらあった。
だからそのことを知っている者達は、フィレンツィオの言うことには絶対に逆らわない。
彼らにとって王族であるフィレンツィオは、仮初めの女王であるエルメスよりも、さらに敬意と畏怖を持って接しなければならない面倒な相手であった。
「馬車からこの会場までの道中、土で靴の裏が汚れてな。貴様の背中は汚れを落とすのに丁度良さそうだ」
「は、はい! 私の背中などで良ければどうぞ、汚れふきに使ってください!」
子息の背中をためらいなく両足で踏みつけたフィレンツィオは、ぐりぐりと靴の踵を彼の背にめり込ませる。
踏まれた子息が苦しそうにうめき声をあげる度、フィレンツィオは嬉しそうに口角を吊り上げた。
実際にフィレンツィオがこの子息を踏みつけたのは、靴の裏が汚れていたなどという理由ではない。
彼がただフィレンツィオよりも身長が高く、頭を下げてなお、自分と同等の背丈だったことが気に食わなかったという、それだけの理由だった。
「貴様はこれから俺に頭を下げる時は土下座をせよ。地に頭を擦りつけてな。分かったか下郎」
「わ、分かりました……ぐぅ」
フィレンツィオはフンと鼻を鳴らすと、子息の上から足を離し、誰かを探すかのように周囲を見渡した。
彼はアムネジアとプリシラの姿を見つけると、今まで浮かべていたしかめ面を一転させて笑顔になる。
「プリシラ! そんなところにいたのか!」
フィレンツィオは婚約者であるアムネジアには目もくれず、一目散にプリシラに駆け寄った。
プリシラはそんなフィレンツィオに対して周囲に向けていたのと同じ可憐な笑みを浮かべると、スカートの裾をつまんでおしとやかに会釈する。
「フィレンツィオ様、ごきげんよう――」
「挨拶など良い!」
フィレンツィオは辛抱たまらんと言わんばかりに、プリシラの華奢な腰に手を回すと、強引に自分の胸に抱き寄せた。
公衆の面前であるにも関わらず、フィレンツィオはプリシラに互いの唇がふれあいそうなほどに顔を寄せると、甘い声でささやく。
「……今日も可愛いな、プリシラ。貴様だけだぞ、俺がこんなにも心を砕いて接する女は。まったく、罪深い小鳥め。ベッドの上で夜毎行っている情事のように、この場で乱れさせてくれようか」
「フィレンツィオ様……だめ、みんなが見てるわ」
頬を紅潮させて、吐息を荒げながら切ない顔をするプリシラに、フィレンツィオはごくりと生唾を飲み込んだ。
同世代の間では暴君のように振る舞っているフィレンツィオも、男をたぶらかす手管に長けたプリシラの手にかかればこの通りである。
王族とはいえ、フィレンツィオも所詮は一人の男。
それも甘やかされ傲慢に育った子供だ。
プリシラからすれば、少し自尊心をくすぐって自己承認欲求を満たしてやれば簡単に手の平で転がせる、初心な童貞男に過ぎない。
それゆえに――
「それにほら、婚約者のアムネジア様に悪いわ」
「どうでもいい。そんな女のことなど。俺には貴様さえいればそれでいいのだ」
プリシラにとって、婚約者という立場にあぐらをかいて何も行動を起こさないアムネジアから、フィレンツィオを奪い取ることなど造作もないことであった。
「ごきげんよう、フィレンツィオ様。本日はこのような場にお招き頂き、とても喜ばしく――」
「俺に許可なく話しかけるな、不快なメス犬が。また痛めつけられたいか」
声をかけたアムネジアを一瞥すらせずに、フィレンツィオは冷たい声でそう言った。
婚約者にかけるものとは到底思えないその言葉も、この二人の間では最早日常茶飯事のことである。
それほどまでに、フィレンツィオはアムネジアのことを蛇蝎のごとく嫌っていた。
「フィレンツィオ様、そんな言い方をしてはアムネジア様が可哀想だわ」
「優しいなプリシラよ。だがな、これの扱いなどこんなものでいいのだ。普段からしてみればこれでも十二分に優しくしている方であるからな。ハッ!」
二人の婚姻関係はフィレンツィオの父である国王ベルスカード三世が、豊富な資産を持つツェペル家とより強固な繋がりを作るために決めた政略結婚である。
だがフィレンツィオからしてみれば王族である自分が、身分の低い伯爵家の娘と婚約することなど、耐え難い屈辱であった。
元より不満があればなにかに当たり散らさずにはいられないフィレンツィオである。婚約者が決まった十歳の時、フィレンツィオのイラ立ちの矛先は、憎きツェペル家の一人娘であるアムネジアに向けられた。
それ以降の六年間、今日この日に至るまで。
アムネジアはずっとその肉体と精神に、虐待を受けてきたのであった。
「愚鈍で阿呆で可愛げのかけらもない、ただ俺の種を受け子を孕むことだけにしか存在価値のないメスが。そんな生き物と少しの金を得るためだけに婚約させられたこの俺の、なんと不幸なことよ……!」
イラ立ちにギリ、と歯を噛み締めたフィレンツィオは、抱きしめていたプリシラから手を離す。
そして舞台役者のように芝居がかった仕草で大きく両手を広げると、会場中に響き渡るような大声で叫んだ。
「だがそんな屈辱の日々も今日限りで終わりだ! アムネジア! 今この場をもって、貴様との婚約を破棄する!」
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