いじめられ続けた挙げ句、三回も婚約破棄された悪役令嬢は微笑みながら言った「女神の顔も三度まで」と

鳳ナナ

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平民出の男爵令嬢

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 取り巻きの一人が空のワイングラスをアムネジアの顔に投げつけた。
 まっすぐに飛んで行ったそれはアムネジアの形の良い小さな鼻頭にぶつかる。
 ぶつかった部分は赤く腫れ、鼻からは一筋の血が垂れた。


「あはっ! 見て見て、鼻に当たったわ!」

「やだぁ、鼻血が出てるぅ。なっさけなーい」


 しかし、それでもアムネジアは顔色一つ変えない。
 おもむろにハンカチを取り出した彼女は鼻血を拭うと、いつも通りの笑顔を浮かべた。
 そんなアムネジアの反応に、さすがのエルメスも顔をしかめる。
 いくらなんでもただの16歳かそこらの小娘が、こんなにも苛烈ないじめを受けて、ずっと笑っていられるものなのかと。

 これまでエルメスがいじめてきた相手の中には、反抗的な態度を取る者もいた。
 平然としたフリをする者。毅然とした態度を取る者。
 だがこれほどまでに直接的な暴力を受けてなお、笑顔でい続けた者など一人もいない。

 しかし取り巻きの令嬢達はアムネジアのそんな態度を、ただの強がりだと思ったのだろう。
 より一層悪意をむき出しにしてアムネジアに突っかかった。


「ふん。どこまでその強がりが続くか確かめてあげるわ。みんな、この女のドレスを引き裂いて辱めてやりましょう!」

「あら、いいわねそれ。いくらこの女でも、こんな大衆の前で裸を晒されたらさすがに笑ってなんかいられないでしょ」

「動かないでよ。抵抗したらナイフが滑って体を切っちゃうかもしれないから」

「きゃー! やっばーん!」


 傍のテーブルに置いてあった肉切ナイフを手に、取り巻き達がアムネジアにつめ寄っていく。
 それを見ておお、と歓声を上げながら、ゲスな周囲の子息達が嬉々として集まってきた。
 そんな中、ようやく危機感を覚えたのか、アムネジアが落ち着かない様子で周囲を見回している。

 エルメスは安堵した。
 アムネジアに感じたなにか得体の知れない不安が、自分の杞憂だったと悟って。


「……なによ、ただのやせ我慢だったんじゃない。馬鹿馬鹿しい」


 小声でそうつぶやいたエルメスは、フンと鼻を鳴らした。
 この夜会の場において、女王であるエルメスは何者をも恐れない。
 エルメスが口を出せないとすればそれは、国王陛下とその親族だけだ。
 だがそんなエルメスにも、どうしても排除できない存在が二人だけいる。

 その一人が――


「何をしてるんですか!」


 甲高い少女の声が夜会の会場に響き渡る。
 その場の全員が何事かと振り向けば、そこには桃色の髪をしたドレス姿の少女が立っていた。
 愛らしく庇護欲を誘うその顔立ちには、はっきりとした怒りが浮かんでいる。


「寄ってたかって一人の女の子をいじめて! 貴族の令嬢ともあろう人達が! 恥を知りなさい!」


 桃髪の少女は高らかにそう言うと、まっすぐにアムネジアの方に歩いていった。
 そして、その姿を視界に収めると、両手で口を覆いながらつぶやく。


「ひどい……なんてことを。アムネジア様、大丈夫?」


 桃髪の少女は、悲しげに顔をゆがめるとアムネジアを労るように背中を支えた。
 そんな少女の優しい振る舞いに、アムネジアは微笑みながら口を開く。


「ええ。ご心配をおかけして申し訳ございません。プリシラ様」


 桃髪の少女の名はプリシラ・エド・マインと言った。
 マイン男爵家の令嬢であるプリシラは、元は平民出身である。
 妻を病気でなくし、子供がいなかったマイン男爵が、孤児であったプリシラを孤児院から引き取り娘としたのだ。
 なによりも家柄や出自を第一とする貴族社会において、元孤児であり身分の低い男爵家の令嬢であるプリシラは、本来蔑まれる立場にあったが――


「おおプリシラ……いつ見てもなんと愛らしい!」

「アムネジアのような女に対しても慈悲深く振る舞うとはまさに聖女だな……」


 プリシラはその愛らしい容姿と誰にでも分け隔てなく接する優しい性格で、貴族の子息達から絶大な人気を誇っていた。


「なによあの女……男に色目ばかり使っちゃって」

「平民出の男爵家の小娘ごときが調子に乗るんじゃないわよ」


 その反面、令嬢達からの人気は皆無と言っていいほどない。
 だがそこは基本的には男の立場が高い貴族社会である。
 将来国の重鎮にもなりえる上級貴族の子息達に好かれているプリシラを、表立っていじめる者は、いくら性根の腐った令嬢達といえど誰もいなかった。

 そう、夜会の女王である、エルメスでさえも。


「あら、誰かと思えば平民のプリシラじゃない。ねえ貴女、誰に許しを得てここに足を踏み入れているのかしら。ここは貴族じゃないと入ってはいけないのよ? 芋くさい田舎娘が出入りしているなんてしれたら、私達の品格まで疑われるのだけれど。さっさと私の視界から消え失せてくださらない?」
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