3 / 42
平民出の男爵令嬢
しおりを挟む取り巻きの一人が空のワイングラスをアムネジアの顔に投げつけた。
まっすぐに飛んで行ったそれはアムネジアの形の良い小さな鼻頭にぶつかる。
ぶつかった部分は赤く腫れ、鼻からは一筋の血が垂れた。
「あはっ! 見て見て、鼻に当たったわ!」
「やだぁ、鼻血が出てるぅ。なっさけなーい」
しかし、それでもアムネジアは顔色一つ変えない。
おもむろにハンカチを取り出した彼女は鼻血を拭うと、いつも通りの笑顔を浮かべた。
そんなアムネジアの反応に、さすがのエルメスも顔をしかめる。
いくらなんでもただの16歳かそこらの小娘が、こんなにも苛烈ないじめを受けて、ずっと笑っていられるものなのかと。
これまでエルメスがいじめてきた相手の中には、反抗的な態度を取る者もいた。
平然としたフリをする者。毅然とした態度を取る者。
だがこれほどまでに直接的な暴力を受けてなお、笑顔でい続けた者など一人もいない。
しかし取り巻きの令嬢達はアムネジアのそんな態度を、ただの強がりだと思ったのだろう。
より一層悪意をむき出しにしてアムネジアに突っかかった。
「ふん。どこまでその強がりが続くか確かめてあげるわ。みんな、この女のドレスを引き裂いて辱めてやりましょう!」
「あら、いいわねそれ。いくらこの女でも、こんな大衆の前で裸を晒されたらさすがに笑ってなんかいられないでしょ」
「動かないでよ。抵抗したらナイフが滑って体を切っちゃうかもしれないから」
「きゃー! やっばーん!」
傍のテーブルに置いてあった肉切ナイフを手に、取り巻き達がアムネジアにつめ寄っていく。
それを見ておお、と歓声を上げながら、ゲスな周囲の子息達が嬉々として集まってきた。
そんな中、ようやく危機感を覚えたのか、アムネジアが落ち着かない様子で周囲を見回している。
エルメスは安堵した。
アムネジアに感じたなにか得体の知れない不安が、自分の杞憂だったと悟って。
「……なによ、ただのやせ我慢だったんじゃない。馬鹿馬鹿しい」
小声でそうつぶやいたエルメスは、フンと鼻を鳴らした。
この夜会の場において、女王であるエルメスは何者をも恐れない。
エルメスが口を出せないとすればそれは、国王陛下とその親族だけだ。
だがそんなエルメスにも、どうしても排除できない存在が二人だけいる。
その一人が――
「何をしてるんですか!」
甲高い少女の声が夜会の会場に響き渡る。
その場の全員が何事かと振り向けば、そこには桃色の髪をしたドレス姿の少女が立っていた。
愛らしく庇護欲を誘うその顔立ちには、はっきりとした怒りが浮かんでいる。
「寄ってたかって一人の女の子をいじめて! 貴族の令嬢ともあろう人達が! 恥を知りなさい!」
桃髪の少女は高らかにそう言うと、まっすぐにアムネジアの方に歩いていった。
そして、その姿を視界に収めると、両手で口を覆いながらつぶやく。
「ひどい……なんてことを。アムネジア様、大丈夫?」
桃髪の少女は、悲しげに顔をゆがめるとアムネジアを労るように背中を支えた。
そんな少女の優しい振る舞いに、アムネジアは微笑みながら口を開く。
「ええ。ご心配をおかけして申し訳ございません。プリシラ様」
桃髪の少女の名はプリシラ・エド・マインと言った。
マイン男爵家の令嬢であるプリシラは、元は平民出身である。
妻を病気でなくし、子供がいなかったマイン男爵が、孤児であったプリシラを孤児院から引き取り娘としたのだ。
なによりも家柄や出自を第一とする貴族社会において、元孤児であり身分の低い男爵家の令嬢であるプリシラは、本来蔑まれる立場にあったが――
「おおプリシラ……いつ見てもなんと愛らしい!」
「アムネジアのような女に対しても慈悲深く振る舞うとはまさに聖女だな……」
プリシラはその愛らしい容姿と誰にでも分け隔てなく接する優しい性格で、貴族の子息達から絶大な人気を誇っていた。
「なによあの女……男に色目ばかり使っちゃって」
「平民出の男爵家の小娘ごときが調子に乗るんじゃないわよ」
その反面、令嬢達からの人気は皆無と言っていいほどない。
だがそこは基本的には男の立場が高い貴族社会である。
将来国の重鎮にもなりえる上級貴族の子息達に好かれているプリシラを、表立っていじめる者は、いくら性根の腐った令嬢達といえど誰もいなかった。
そう、夜会の女王である、エルメスでさえも。
「あら、誰かと思えば平民のプリシラじゃない。ねえ貴女、誰に許しを得てここに足を踏み入れているのかしら。ここは貴族じゃないと入ってはいけないのよ? 芋くさい田舎娘が出入りしているなんてしれたら、私達の品格まで疑われるのだけれど。さっさと私の視界から消え失せてくださらない?」
145
お気に入りに追加
3,248
あなたにおすすめの小説
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
罠にはめられた公爵令嬢~今度は私が報復する番です
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
【私と私の家族の命を奪ったのは一体誰?】
私には婚約中の王子がいた。
ある夜のこと、内密で王子から城に呼び出されると、彼は見知らぬ女性と共に私を待ち受けていた。
そして突然告げられた一方的な婚約破棄。しかし二人の婚約は政略的なものであり、とてもでは無いが受け入れられるものではなかった。そこで婚約破棄の件は持ち帰らせてもらうことにしたその帰り道。突然馬車が襲われ、逃げる途中で私は滝に落下してしまう。
次に目覚めた場所は粗末な小屋の中で、私を助けたという青年が側にいた。そして彼の話で私は驚愕の事実を知ることになる。
目覚めた世界は10年後であり、家族は反逆罪で全員処刑されていた。更に驚くべきことに蘇った身体は全く別人の女性であった。
名前も素性も分からないこの身体で、自分と家族の命を奪った相手に必ず報復することに私は決めた――。
※他サイトでも投稿中
お言葉を返すようですが、私それ程暇人ではありませんので
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<あなた方を相手にするだけ、時間の無駄です>
【私に濡れ衣を着せるなんて、皆さん本当に暇人ですね】
今日も私は許婚に身に覚えの無い嫌がらせを彼の幼馴染に働いたと言われて叱責される。そして彼の腕の中には怯えたふりをする彼女の姿。しかも2人を取り巻く人々までもがこぞって私を悪者よばわりしてくる有様。私がいつどこで嫌がらせを?あなた方が思う程、私暇人ではありませんけど?
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?
シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。
……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m
許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください>
私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒―
私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。
「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」
その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。
※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる