47 / 51
紅湖に浮かぶ月6 -変革- 第二部
0章 上がる幕
しおりを挟む
「欲が悪いのではない、管理出来ないから歪が生じるのだ。」
「やっと此処まで来ましたね。」
「そうだね、これが一歩目だ。」
「一歩目、ですか。先は長いですね。」
「ああ。スタート地点に立ったのが約半年前だ、半年で一歩を踏み出せたのは
むしろ僥倖だろう。」
「そう、ですね。確かにそうかもしれません。」
「ただ、二歩目の足場はまだ無い。それが創られるかは今日次第だろうね。」
「望んだからこそ、今日の場があるのではないですか?」
「踏んでみなければ分からない。だから足場の確認に来るとも考えられる。」
「確かめてみなければ、望んだものかどうか判別出来ない。」
「そうだ。だからこの地、エユーイフェデルの足場を確認に来るのだろう。」
リンハイアとアリータは、高層塔の下に広がる大森林を見下ろしていた。
エユーイフェデル聖国、現代の技術に迎合する事もなく独自の早さで進歩する
国である。技術や文化を取り入れないわけではなく、必要なものしか受け入れ
ないと言った方が正解だろう。独自の進化を続けるエユーイフェデル聖国は、
人の住む場所が少なく自然が多く残っている地として知られている。
隣国の国境付近は隣接する国と技術や街並みは変わらないが、奥地に行くほど
時代に逆境しているように錯覚するのがこの国の特徴となっている。そのため
国内でも場所によっては文化や技術に、大きな違いが生じている。
エユーイフェデル聖国の南側は海に面しており、海に面している地はモッカル
イア領より多い。モッカルイア領と接している南東側は、国境付近では漁業が
行われているが、奥に行くほど必要な量しか狩猟を行わない。その風習は東か
ら西にかけて接するグラドリア国、バノッバネフ皇国の国境も同様である。
同盟国は存在せず、協調もしない。国境付近への立ち入りに制限はないが、聖
国の奥に進むには聖室の許可が必要になる。だがその許可も、余程の事が無い
限り下りはしない。故に、国内の情報を知っている人間は、隣国の中でもそれ
ほど多くない。
エユーイフェデル聖国の中央付近にある聖室と呼ばれる城には、国王と一部の
国民が住むのみで、人口は三千にも満たないと言われている。ただ正式に発表
をしているわけではないので、これは隣国の予想数値でしかない。現地に行っ
た事のある者から得た情報によって。
そこより北に位置する聖塔は六角形の陵郭に、六本の塔が建っている建物であ
る。正確には聖城郭と言われ、塔は聖塔と呼ばれるが、目立つのが塔のみなの
で聖城郭自体を聖塔と呼ぶ国民も少なくない。
その聖塔の一つに、リンハイアとアリータは居た。内装は質素だが、客室とし
て用いられているようで、中は清潔に保たれているようだった。他にもお茶を
入れる設備やトイレなども設置してあった。
室内はそれほど広くなく、ローテーブルを挟むように置かれたソファーと、一
人掛けの机と椅子が置いてあるだけである。大人数を滞在、または待機させる
事は想定していな造りだと思わされた。
「しかし、なかなかの眺めだね。」
「はい、隣の国でこんな景色が見られるとは驚きです。」
眼下に広がる大森林を眺めながら、リンハイアとアリータはその景色を享受し
ていた。
「他には染まらない国だからね、貴重な体験と言えるだろう。」
「そうですね。」
リンハイアは窓から離れると、ソファーに座りローテーブルに置いてある紅茶
を飲む。少し前にアリータが淹れたものだが、既に温くなっていた。その紅茶
を飲んだところで、部屋の扉が叩かれる。
アリータが扉を開けて来訪者を迎え入れると、既に立っていたリンハイアが来
訪者に深く頭を下げた。
「ご足労ありがとうございます、ギネクロア宰相殿。」
「気にする事はない、私としても隣国の執政統括がどれほどのものか気になっ
てね。」
ギネクロアはリンハイアに促されると、向かい側に座る。
「言葉を崩してもいいかな?」
「ええ、お好きなようにしてください。」
堅苦しいのは面倒だとばかりに、まずギネクロアが言った。リンハイアも特に
気にした風も無く応える。
「何故、儂を?」
「宰相殿が呪紋式、いえ。大呪紋式を消してしまいたい、そう考えているので
はないかと思いまして。」
呼ばれた理由を聞いたギネクロアに、リンハイアは何時もの微笑で答える。ギ
ネクロアはアリータが用意した紅茶に口を付けると、苦笑してリンハイアを見
据えた。
「国として支持し同調しているだけだ、儂が思っているわけではない。むろん
賛同はしている、でなければこの場所に居ない。」
ギネクロアの言葉にリンハイアは頷く。
「分かっています。ですが方針を決めているのは宰相殿です。」
「何故そう言い切れる?」
ギネクロアは表情を固くすると、リンハイアを見据えた。刺すような視線を受
けてもリンハイアの表情は変わらない。
「バノッバネフ皇国にある大呪紋式の場所を宰相殿は知っている。それを宰相
殿は疎ましく思っているからです。」
「まるで見てきたかの様な物言いだな。それともグラドリア国の執政統括は、
千里眼でも持っているのかな?」
口調は穏やかだが、ギネクロアの視線は鋭さを増した。威圧するような視線に、
向けられているわけでもないアリータも緊張する。
「持っているのなら苦労はしていません。」
「では何を根拠に言い切る?」
「法皇国オーレンフィネアのマールリザンシュ枢機卿の死、そしてバノッバネ
フ皇国の前フィデムグート国皇の死。」
リンハイアがそれを言うと、ギネクロアの瞳に剣呑な光が宿った。室内の空気
が重くなったようにアリータは感じ、その場から離れたいと思わされる。
「それと何の関係がある?」
「彼らは大呪紋式を求めたが故に、死ぬことになった。」
声にも剣が混じったようなギネクロアの追及を、リンハイアは受け流して不自
然な死を遂げた二人の原因を口にした。二人の死は未だに未解決のままになっ
ている。
「儂が殺したと言っているようなものだぞ。」
「それについて追及するつもりはありません。むしろその意思こそ必要だと思
い、今回の場を設けたのですから。」
「怖いもの知らずだな。」
ギネクロアの鋭い眼光を、リンハイアは微笑のまま見返す。室内が一触即発の
雰囲気になり、アリータの緊張も増していく。
「儂は二人の死については知らぬが、向かう先が同じだという意志はよく分か
った。」
ギネクロアが苦笑してそう言った事で、室内の空気が元に戻りアリータは安堵
した。
「はい、会談の前に話せて良かったです。」
「グラドリア国の執政統括は恐ろしいな。」
アリータはギネクロアに苦笑を向けられ戸惑ったが、リンハイアが作り出した
場を壊してはならないと毅然とする。
「リンハイア様は未来に対する憂いから言っております。」
「有能だな。」
「私には過ぎた人材です、何時も助けられておりますので。」
アリータの態度を見たギネクロアは、リンハイアにそう言った。
「謙遜する事は無いだろう。」
「ありがとうございます、ですが謙遜などでは無く事実です。」
ギネクロアは破顔するとソファーから立ち上がった。同時にリンハイアも立ち
上がる。
「なかなか面白い時間だった。この後の会談も楽しみにしている。」
「此方こそ、貴重な時間を頂きありがとうございました。」
アリータが先導して扉を開けると、ギネクロアは振り向きもせず出ていった。
リンハイアが下げていた頭を上げたところで、アリータが扉を閉める。
「緊張しました。」
「だが話した甲斐はあった。否定も肯定もしなかったが、確信を持てたのだか
ら。」
その確信は何に対してなのか、アリータははっきりしなかったが敢えて聞くこ
とはしなかった。想定の範疇だというのもあったからかもしれない。
「会談は一時間後ですね。」
「ああ。その前にもう一杯頂こうか。」
「はい。」
カップを持ち上げて見せるリンハイアに、アリータは返事をすると準備を始め
た。
聖城郭の中央に位置する議事堂には、八人の人物が集まっていた。人数なら三
十人ほど入るだろう小さな議事堂の中央に、長方形の卓が置かれ両側に十の椅
子が置かれている。
間を置いて二人ずつ座り、両側に四人ずつ分かれ八人は合間見えていた。その
うちの二人が立ち上がり一礼すると、口を開いた。
「私はアン・トゥルブ頭首、ミサラナ・エンシェルカ・リーアライナと申しま
す。こちらは秘書を務めるオーメイラ・カルディアモ・ハーネスです。」
百八十近い長身に、腰まである真っ直ぐなシルバーブロンドの髪を揺らしミサ
ラナが挨拶をする。隣に居る秘書のオーメイラも紹介されると会釈をした。鋭
い緋色の双眸で列席者を一瞥したミサラナは再度口を開く。
「本日は遠路遥々、我らが本拠地であるモーメルリーエンまでご足労頂き感謝
致します。」
そこで再び頭を下げ続ける。
「既にグラドリア国の執政統括である、リンハイア殿より趣旨は聞いていると
思いますが、本日は各地に点在するあれの処遇について議論をしたいと思って
おります。」
ミサラナの言葉に、参加者一同が頷いた。
「各々の名前は聞き及んでいると思いますが、この場で改めて自己紹介をお願
いします。」
ミサラナが促すと最初に二人が立ち上がる。
「今名前が上がりました、グラドリア国執政統括、メルカーラ・キュア・リン
ハイア。」
「秘書のアリータ・パリカーオです。」
続いて立ち上がった二人が挨拶をする。
「法皇国オーレンフィネア枢機卿、ユーアマリウ・ヴァールハイアと申します
。」
「同じく議員を務める、ラーンデルト・フェーヌコリウです。」
最後の二人が立ち上がった。
「バノッバネフ皇国宰相、ギネクロア・ウリョドフだ。」
「事務官のケルベウン・サヌムと申します。」
八人は挨拶を終えたところで、ミサラナに促され椅子に座り直した。
「残念ながら、ペンスシャフル国は予定が合わず、今回は見送るそうです。」
「だがこれだけ集まったのは、初回にしては僥倖でしょう。」
リンハイアが不参加国を伝えるも、ミサラナはこの集まりを称賛した。
「今日まで監視してきた我らも人手が不足し、対応もままならない状況になっ
ています。同調して頂いたリンハイア殿の提案で、この場が設けられたのだか
ら。」
ミサラナは続けてその思いを口にした。それは今までの苦労と、これから望む
変革を含んでいた。
「アン・トゥルブは監視と守護を続けて来たと聞いている。それに協力する事
は可能だろうが、解決には至らないのではないか。」
「ギネクロア宰相殿の言うとおりです。行うのが人である以上、利用される危
険を孕んでいる事から逃れられない。」
ギネクロアの言葉をリンハイアは継いで話す。それに頷いたユーアマリウが口
を開く。
「ですから消す道を探したいと思っています。私は目の前で発動するのを見ま
した、あれは人の手に触れていいものではありません。だからこそオーレンフ
ィネアは離別の道を選びました。」
強い眼差しを参加者に向けながらユーアマリウは言った。その瞳には強固な意
思を感じさせながら。
「探すと言っても当てはあるのですか?我らアン・トゥルブは長年携わって来
たが、片鱗にすら触れられていない。」
「その為に集まったのだろう。とはいえだ、儂も知らぬ。知っていれば疾うの
昔に破壊している。」
ミサラナの発言にギネクロアも同意した。それを聞いたリンハイアは、ギネク
ロアが知っている事を確認出来たが、今更だと思いそこには言及しなかった。
「それはグラドリア国とて同じ事です。執政統括が継承するには重すぎる内容
です。」
「ほう。ではグラドリア国はリンハイア殿が所在を知っているわけだな。」
「はい、その通りです。」
むしろ此処は明かした方が信を得られるだろうと、リンハイアは考え自ら先に
札を切った。
「オーレンフィネアはヴァールハイア家が継承しております。」
「なるほど、何故この面子が此処に集められたのか、意図はそういう事か。」
続くユーアマリウの発言に、ギネクロアは何故自分に声が掛かったのかを理解
した。同時に、誰に明かしたわけでも無いのに情報が出ている事に、疑惑を抱
きそうになった。だがそれは自分の代の話しでしかない。それにアン・トゥル
ブの存在を考えれば、無意味な事だと思えた。
「ならば尚更、手を打つ必要があるわけだ。」
思考の最後をギネクロアは声にした。
「そうです。我らの時間も有限でしかありません。何れ大陸は滅びへと向かう
でしょうが、歯止めはかけなければなりません。」
ミサラナは憂いの目を一同に向けて言うと、今度は意を決したように瞳に強い
意思を見せる。
「情報を持ちより、より多くの人が知る事で道が見えるかも知れません。だか
らこそのこの場だと思っています。」
「私もミサラナさんと同じ気持ちです。目の当たりにしたからこそ、その思い
は強くあります。」
続けたミサラナの意思に、ユーアマリウも重ねて思いを示した。
「意識はいい。だが今回の会談では、方法は出なさそうだな。」
「しかし方針は決められます。次回に繋げるためのね。むしろそれが始まりで
はないのですか。」
ギネクロアは足を組んで椅子の背凭れに背を預けると、会談で得るものは無さ
そうとばかりに言った。そもそも意識の在り方を変える必要があり、意思と方
針の確認のために集まっているのだと、リンハイアは考えを伝える。
「リンハイア殿の言う通りです。集まらねば始まりませんし、それぞれの意図
も見えません。向かう方向が同じであれば、協力の可能性もあります。」
「会談をしたという体裁を考慮すればな。儂はもっと具体的な方法、それに繋
がる情報が出ると思って来たんだがな。」
ミサラナの言葉にギネクロアは、得られなければ意味はないとばかりに否定す
る。
「意味はあったと思います。その所在を知る者が分かり、それを巡る意思も確
認出来た。であれば方法を探す手は多い方がいい。私はそう考えますが。」
ユーアマリウがギネクロアの態度に、意を唱えるように言うと、ギネクロアの
視線はユーアマリウを見据える。
「それが体裁だろう。理想だけでは進まないのだ、理想を語るために集まった
わけではあるまい。お主なら分かるだろうよ。」
ギネクロアの視線はユーアマリウからリンハイアへと移動した。何かを知って
いるのではないか、その疑いが視線に混じっているようだった。
「ギネクロア宰相殿の言う事は分かります。私も方法が判ればそれに越した事
はないと思います。それに得るものを期待するから人は集まります。」
「その通りだ。だがそんな御託はいい。」
何時もと変わらない微笑で受け流すリンハイアへ向けるギネクロアの視線は、
疑いの色を濃くして言った。
「私はメーアクライズが鍵になるのではないかと考えています。」
「それは・・・」
「ほう、消え去った町に何が在るというのだ。」
ギネクロアだけでなく、ユーアマリウの驚きの視線もリンハイアに向けられた。
ミサラナだけは黙して視線を卓上に落としている。
「それです。消え去った、つまり発動をしておきながら呪紋式の形跡が残って
いない。」
「なるほど、つまり消し去る手は存在しているという事か。」
やっと話したかというように、ギネクロアは視線を緩めた。
「モフェグォート山脈では、呪紋式が記述された石柱を中心に発動したが、石
柱は無傷だった。その周りに居た人間はすべて圧死していたのですが。」
「何故それを知っている?誰が発動させたか明らかにはなっていないだろう。」
ミサラナが語ったモフェグォート山脈の件に、ギネクロアの目は追及するよう
に鋭くなった。これにはユーアマリウも同調する。公表されている事実として
は、発動後の惨状とザンブオン兵が死んでいたという事のみなのだから。
「言った筈です、私たちは各地に点在するあれをずっと監視してきたと。極力
発動させないようにもしてきました。モフェグォート山脈に関しては間に合い
ませんでしたが。」
「オーレンフィネアもだろう。」
「そうですね。」
淡々と言うミサラナに、ギネクロアが追い討ちを掛けるように言うが、ミサラ
ナの表情に変化はない。オーレンフィネアの名前が出た事で、苦い顔をしたの
はユーアマリウだった。
「ではモフェグォート山脈のあれは剥き出しになったまま放置か?」
「オーレンフィネアでは、入り口をアン・トゥルブの方が封印してくださいま
したが。」
ギネクロアとユーアマリウが言及するようにミサラナに言い、続く言葉を待つ。
「後日、何か手を打とうと向かったのですが、石柱は破壊されていました。」
「なに!?」
「本当ですか?」
「何時、誰がどのようにして破壊したのかは分かっていません。」
驚きに目を大きくしたギネクロアとユーアマリウだったが、続くミサラナの言
葉に落胆する。
「だが壊す方法が有るという事実は判ったわけだ。」
「壊した人を見つけられれば。」
「そうです。それを探すというのが、今後の方針としてどうでしょうか。」
リンハイアの提案に、ギネクロアは睨むような視線を移動させた。
「執政統括殿は知っていたようだな。」
その言葉にユーアマリウもリンハイアを見据える。
「ミサラナ殿とこの場を企画したのですから、何か無ければ示しがつかないで
しょう。」
「狸め、やってくれる。」
微笑のまま平然と言ったリンハイアに、ギネクロアは呆れた目を向けて言った。
ミサラナもリンハイアも会談が始まった時点では知らぬ振りをしていた、だが
流れによって情報を出して来たことに。
「方法が有るというのは分かりましたが、雲を掴むような話しですね。」
「だがやるしかあるまい。」
ユーアマリウが溜め息を吐くように言った。大陸の中から見つけるとなれば、
確かに気が遠くなるような話しなのだから。それでも、可能性がある以上は動
くしかないとギネクロアが言う。
「人に欲がある以上、機は巡って来るでしょう。」
「その通りだ。実際に発動しているのだから、多くの人間がその存在を認知し
たわけだからな。」
ただ、そこまで可能性は低くないと含みミサラナは言う。それに関してはギネ
クロアも同様だった。
認知の数が多くなる程、そこに向けられる人間の欲も膨らんでいく。つまり、
狙われる可能性が高まるという事は、阻止しようとするものも増える。壊す者
が現れる可能性も高まるのだと。同時にそれは、発動される危険も孕んでいる
のだが。
「では今回の会談はここまでとしましょう。次回の日程は決めません、進捗が
見えた時に集まるという事でいいでしょうか。」
ミサラナの言葉に一同は頷く。
「貴賓室の方に食事を用意致します。この後は呼びに伺いますので自由にして
頂いて構いません。聖城郭内も特に制限はありませんので。」
ミサラナの言葉で、それぞれが立ち上がり議事堂を後にする。ギネクロアと事
務官が出て、続いてユーアマリウとラーンデルトが出ていく。その後にミサラ
ナが出ようとすると、背後からリンハイアが小声で話しかける。
「お気遣いありがとうございます。」
「アラミスカの娘の事ですか?」
ミサラナは立ち止まり、横顔で静かに礼に対する問いを発した。
「はい。」
「状況から開示出来る話しでは無いでしょう。彼女に何かあれば、この話しは
破綻します。」
リンハイアが頷くと、ミサラナは何事も無かったように歩を進め議事堂を後に
した。
聖塔の割り当てられた部屋に戻ると、アリータが紅茶を淹れリンハイアがそれ
を啜る。
「緊張しました。何処まで話されるのかと。」
「宰相殿の圧力は凄かったね。」
アリータの安堵に、リンハイアも苦笑して言う。部屋に戻り気が抜けたところ
で、扉が叩かれアリータは驚きからまた緊張した。
「夕食には早すぎますね。」
「大丈夫、入れてあげてください。」
まるで分かっていたように言うリンハイアに、怪訝な顔をしてアリータは扉を
開けた。そこに居たのはユーアマリウ・ヴァールハイア一人だった。
「宜しいでしょうか?」
「どうぞ。」
失礼します言ってユーアマリウは部屋に入ると、リンハイアに促されソファー
に座った。
「生前は父と懇意にされていたそうで、ありがとうございます。ろくに挨拶に
も伺えませんで申し訳ない限りですが。」
ユーアマリウは最初にそう言うと深く頭を下げた。
「気にしなくていい。彼はとても意志が固く真っ直ぐで、優しい御仁だった。」
「はい、私も誇りに思っています。」
リンハイアの優しい言葉と笑顔に、ユーアマリウは瞳を潤ませて言った。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
アリータが新たに淹れた紅茶が目の前に置かれると、ユーアマリウはお礼を言
って手に取る。
「それで要件は?」
ユーアマリウが紅茶を一口飲んだところで、リンハイアは来訪の意図を聞く。
ユーアマリウは表情を引き締めて口を開いた。
「リュティさんとミリアさん。どちらかではないでしょうか?」
突然出された名前にアリータは驚き、声が出そうになったが目の開きを大きく
しただけに止めた。リンハイアは顔色ひとつ変えずに、微笑したまま受け止め
ている。
「オーレンフィネアの時、執務諜員の二人にも助けて頂きましたが、呪紋式に
精通しているのはお二人かと思いました。」
「それで?」
ユーアマリウの話しを、リンハイアは興味深そうに続きを促した。
「先程の会談の中で、モフェグォート山脈の話しに至った時にそう思ったので
す。もしかするとお二人がやったのではないかと。」
「なるほど、確かに可能性としてはあり得る話ですね。」
リンハイアは頷くとそう言って紅茶を口に運んだ。
「リュティ殿はアン・トゥルブの人間です。当時、モフェグォート山脈のあれ
が狙われており、現地での人手不足が問題視されていたのです。」
リンハイアは一呼吸置いて続ける。
「ミリアさんはリュティ殿に一緒に来て欲しいと言われ、現地に向かったそう
ですよ。本人から聞いたので、真偽は分かりかねますが。」
「そうですか。」
ユーアマリウは特に気にした風も無く相槌を打つ。
「では可能性が消えたわけでは無いですね。ミサラナさんが全てを話したとも
思っていませんし。」
「確かに、ユーアマリウ嬢の言う通りだ。っと、もう枢機卿でしたね。」
「まだ慣れていませんので、気になさらないでください。」
ユーアマリウの態度を見て、あんな事件が在ったにも関わらず前向だなとリン
ハイアは思っていた。それは本人の強い意思と、父親の存在が良かったのだろ
うと。決してヴァールハイアの名前などではない、そう思えていた。
「宰相殿も同じ事を考えているだろうね。」
「そうでしょうね。」
リンハイアの言葉に、ユーアマリウも同意する。
「でも今は、これでいいと思います。」
続けて言ったユーアマリウにリンハイアは頷いて見せる、大切なのはそこでは
ない。それは分かっていると。
「しかし、いざ破壊となった場合、事は簡単に進まない気がします。」
「自分から真っ先に棄てようとはしないだろうね。それが人間だ。抑止力にも
外交にも、脅迫にすら利用出来るのだから。」
笑みを消したリンハイアが、ユーアマリウの懸念を引き継いで言った。
「その通りです。私の本音としてはオーレンフィネアから破壊したい、でも私
の一存では決められないのが現状です。」
「個人の話しでは無い。事は大陸に関わっているのだから、周りが棄てても拒
絶は生まれるだろうね。」
「はい。」
大呪紋式は国が管理しているわけではない、それでも所在が知れれば利用しよ
うとするのが常だろう。だからこそ秘密裏に継がれてきたのだし、アン・トゥ
ルブのような組織が存在する。
だからといって、真っ先に自分のところから手放そうとするところは少ない。
自国を窮地に追い込む可能性がある選択を、望んでするところなど無いだろう。
アリータは二人の話しを聞きながら、険しい道のりだと思っていた。
「では、私はこれで失礼します。」
ユーアマリウは紅茶を飲み終えると、リンハイアの控え室を出ていった。
「良かったのですか?」
「今はね。何れ知られる事になるだろう。それまでは巻き込みたくはない。」
「でも、知られたとしても、彼女なら自分の好きなようにしそうですが。」
アリータがそう言うと、リンハイアは苦笑して立ち上がり窓の前に移動した。
眼下にある大森林は、夕刻だというのに、その奥は全てを呑み込みそうな深い
闇を携えていた。
法皇国オーレンフィネアの公表により端を発した、大呪紋式との離別を求めた
初の会談は何事もなく終了した。
全ての話しが出たわけではないだろうと、各々が疑問を抱きつつも。それでも
未来にこの大陸を、少しでも今のまま残そうと決起したのだ。
非公式に行われたこの会談は、参加者以外は知らない事になっている。当然、
アン・トゥルブの者も知らされていない。
何処からか情報が漏れ、それが起因で悪用される可能性を避けての事だった。
極力情報漏れを防ぎ、来るべき時まで事を進めようという合意のもとで。
「やっと此処まで来ましたね。」
「そうだね、これが一歩目だ。」
「一歩目、ですか。先は長いですね。」
「ああ。スタート地点に立ったのが約半年前だ、半年で一歩を踏み出せたのは
むしろ僥倖だろう。」
「そう、ですね。確かにそうかもしれません。」
「ただ、二歩目の足場はまだ無い。それが創られるかは今日次第だろうね。」
「望んだからこそ、今日の場があるのではないですか?」
「踏んでみなければ分からない。だから足場の確認に来るとも考えられる。」
「確かめてみなければ、望んだものかどうか判別出来ない。」
「そうだ。だからこの地、エユーイフェデルの足場を確認に来るのだろう。」
リンハイアとアリータは、高層塔の下に広がる大森林を見下ろしていた。
エユーイフェデル聖国、現代の技術に迎合する事もなく独自の早さで進歩する
国である。技術や文化を取り入れないわけではなく、必要なものしか受け入れ
ないと言った方が正解だろう。独自の進化を続けるエユーイフェデル聖国は、
人の住む場所が少なく自然が多く残っている地として知られている。
隣国の国境付近は隣接する国と技術や街並みは変わらないが、奥地に行くほど
時代に逆境しているように錯覚するのがこの国の特徴となっている。そのため
国内でも場所によっては文化や技術に、大きな違いが生じている。
エユーイフェデル聖国の南側は海に面しており、海に面している地はモッカル
イア領より多い。モッカルイア領と接している南東側は、国境付近では漁業が
行われているが、奥に行くほど必要な量しか狩猟を行わない。その風習は東か
ら西にかけて接するグラドリア国、バノッバネフ皇国の国境も同様である。
同盟国は存在せず、協調もしない。国境付近への立ち入りに制限はないが、聖
国の奥に進むには聖室の許可が必要になる。だがその許可も、余程の事が無い
限り下りはしない。故に、国内の情報を知っている人間は、隣国の中でもそれ
ほど多くない。
エユーイフェデル聖国の中央付近にある聖室と呼ばれる城には、国王と一部の
国民が住むのみで、人口は三千にも満たないと言われている。ただ正式に発表
をしているわけではないので、これは隣国の予想数値でしかない。現地に行っ
た事のある者から得た情報によって。
そこより北に位置する聖塔は六角形の陵郭に、六本の塔が建っている建物であ
る。正確には聖城郭と言われ、塔は聖塔と呼ばれるが、目立つのが塔のみなの
で聖城郭自体を聖塔と呼ぶ国民も少なくない。
その聖塔の一つに、リンハイアとアリータは居た。内装は質素だが、客室とし
て用いられているようで、中は清潔に保たれているようだった。他にもお茶を
入れる設備やトイレなども設置してあった。
室内はそれほど広くなく、ローテーブルを挟むように置かれたソファーと、一
人掛けの机と椅子が置いてあるだけである。大人数を滞在、または待機させる
事は想定していな造りだと思わされた。
「しかし、なかなかの眺めだね。」
「はい、隣の国でこんな景色が見られるとは驚きです。」
眼下に広がる大森林を眺めながら、リンハイアとアリータはその景色を享受し
ていた。
「他には染まらない国だからね、貴重な体験と言えるだろう。」
「そうですね。」
リンハイアは窓から離れると、ソファーに座りローテーブルに置いてある紅茶
を飲む。少し前にアリータが淹れたものだが、既に温くなっていた。その紅茶
を飲んだところで、部屋の扉が叩かれる。
アリータが扉を開けて来訪者を迎え入れると、既に立っていたリンハイアが来
訪者に深く頭を下げた。
「ご足労ありがとうございます、ギネクロア宰相殿。」
「気にする事はない、私としても隣国の執政統括がどれほどのものか気になっ
てね。」
ギネクロアはリンハイアに促されると、向かい側に座る。
「言葉を崩してもいいかな?」
「ええ、お好きなようにしてください。」
堅苦しいのは面倒だとばかりに、まずギネクロアが言った。リンハイアも特に
気にした風も無く応える。
「何故、儂を?」
「宰相殿が呪紋式、いえ。大呪紋式を消してしまいたい、そう考えているので
はないかと思いまして。」
呼ばれた理由を聞いたギネクロアに、リンハイアは何時もの微笑で答える。ギ
ネクロアはアリータが用意した紅茶に口を付けると、苦笑してリンハイアを見
据えた。
「国として支持し同調しているだけだ、儂が思っているわけではない。むろん
賛同はしている、でなければこの場所に居ない。」
ギネクロアの言葉にリンハイアは頷く。
「分かっています。ですが方針を決めているのは宰相殿です。」
「何故そう言い切れる?」
ギネクロアは表情を固くすると、リンハイアを見据えた。刺すような視線を受
けてもリンハイアの表情は変わらない。
「バノッバネフ皇国にある大呪紋式の場所を宰相殿は知っている。それを宰相
殿は疎ましく思っているからです。」
「まるで見てきたかの様な物言いだな。それともグラドリア国の執政統括は、
千里眼でも持っているのかな?」
口調は穏やかだが、ギネクロアの視線は鋭さを増した。威圧するような視線に、
向けられているわけでもないアリータも緊張する。
「持っているのなら苦労はしていません。」
「では何を根拠に言い切る?」
「法皇国オーレンフィネアのマールリザンシュ枢機卿の死、そしてバノッバネ
フ皇国の前フィデムグート国皇の死。」
リンハイアがそれを言うと、ギネクロアの瞳に剣呑な光が宿った。室内の空気
が重くなったようにアリータは感じ、その場から離れたいと思わされる。
「それと何の関係がある?」
「彼らは大呪紋式を求めたが故に、死ぬことになった。」
声にも剣が混じったようなギネクロアの追及を、リンハイアは受け流して不自
然な死を遂げた二人の原因を口にした。二人の死は未だに未解決のままになっ
ている。
「儂が殺したと言っているようなものだぞ。」
「それについて追及するつもりはありません。むしろその意思こそ必要だと思
い、今回の場を設けたのですから。」
「怖いもの知らずだな。」
ギネクロアの鋭い眼光を、リンハイアは微笑のまま見返す。室内が一触即発の
雰囲気になり、アリータの緊張も増していく。
「儂は二人の死については知らぬが、向かう先が同じだという意志はよく分か
った。」
ギネクロアが苦笑してそう言った事で、室内の空気が元に戻りアリータは安堵
した。
「はい、会談の前に話せて良かったです。」
「グラドリア国の執政統括は恐ろしいな。」
アリータはギネクロアに苦笑を向けられ戸惑ったが、リンハイアが作り出した
場を壊してはならないと毅然とする。
「リンハイア様は未来に対する憂いから言っております。」
「有能だな。」
「私には過ぎた人材です、何時も助けられておりますので。」
アリータの態度を見たギネクロアは、リンハイアにそう言った。
「謙遜する事は無いだろう。」
「ありがとうございます、ですが謙遜などでは無く事実です。」
ギネクロアは破顔するとソファーから立ち上がった。同時にリンハイアも立ち
上がる。
「なかなか面白い時間だった。この後の会談も楽しみにしている。」
「此方こそ、貴重な時間を頂きありがとうございました。」
アリータが先導して扉を開けると、ギネクロアは振り向きもせず出ていった。
リンハイアが下げていた頭を上げたところで、アリータが扉を閉める。
「緊張しました。」
「だが話した甲斐はあった。否定も肯定もしなかったが、確信を持てたのだか
ら。」
その確信は何に対してなのか、アリータははっきりしなかったが敢えて聞くこ
とはしなかった。想定の範疇だというのもあったからかもしれない。
「会談は一時間後ですね。」
「ああ。その前にもう一杯頂こうか。」
「はい。」
カップを持ち上げて見せるリンハイアに、アリータは返事をすると準備を始め
た。
聖城郭の中央に位置する議事堂には、八人の人物が集まっていた。人数なら三
十人ほど入るだろう小さな議事堂の中央に、長方形の卓が置かれ両側に十の椅
子が置かれている。
間を置いて二人ずつ座り、両側に四人ずつ分かれ八人は合間見えていた。その
うちの二人が立ち上がり一礼すると、口を開いた。
「私はアン・トゥルブ頭首、ミサラナ・エンシェルカ・リーアライナと申しま
す。こちらは秘書を務めるオーメイラ・カルディアモ・ハーネスです。」
百八十近い長身に、腰まである真っ直ぐなシルバーブロンドの髪を揺らしミサ
ラナが挨拶をする。隣に居る秘書のオーメイラも紹介されると会釈をした。鋭
い緋色の双眸で列席者を一瞥したミサラナは再度口を開く。
「本日は遠路遥々、我らが本拠地であるモーメルリーエンまでご足労頂き感謝
致します。」
そこで再び頭を下げ続ける。
「既にグラドリア国の執政統括である、リンハイア殿より趣旨は聞いていると
思いますが、本日は各地に点在するあれの処遇について議論をしたいと思って
おります。」
ミサラナの言葉に、参加者一同が頷いた。
「各々の名前は聞き及んでいると思いますが、この場で改めて自己紹介をお願
いします。」
ミサラナが促すと最初に二人が立ち上がる。
「今名前が上がりました、グラドリア国執政統括、メルカーラ・キュア・リン
ハイア。」
「秘書のアリータ・パリカーオです。」
続いて立ち上がった二人が挨拶をする。
「法皇国オーレンフィネア枢機卿、ユーアマリウ・ヴァールハイアと申します
。」
「同じく議員を務める、ラーンデルト・フェーヌコリウです。」
最後の二人が立ち上がった。
「バノッバネフ皇国宰相、ギネクロア・ウリョドフだ。」
「事務官のケルベウン・サヌムと申します。」
八人は挨拶を終えたところで、ミサラナに促され椅子に座り直した。
「残念ながら、ペンスシャフル国は予定が合わず、今回は見送るそうです。」
「だがこれだけ集まったのは、初回にしては僥倖でしょう。」
リンハイアが不参加国を伝えるも、ミサラナはこの集まりを称賛した。
「今日まで監視してきた我らも人手が不足し、対応もままならない状況になっ
ています。同調して頂いたリンハイア殿の提案で、この場が設けられたのだか
ら。」
ミサラナは続けてその思いを口にした。それは今までの苦労と、これから望む
変革を含んでいた。
「アン・トゥルブは監視と守護を続けて来たと聞いている。それに協力する事
は可能だろうが、解決には至らないのではないか。」
「ギネクロア宰相殿の言うとおりです。行うのが人である以上、利用される危
険を孕んでいる事から逃れられない。」
ギネクロアの言葉をリンハイアは継いで話す。それに頷いたユーアマリウが口
を開く。
「ですから消す道を探したいと思っています。私は目の前で発動するのを見ま
した、あれは人の手に触れていいものではありません。だからこそオーレンフ
ィネアは離別の道を選びました。」
強い眼差しを参加者に向けながらユーアマリウは言った。その瞳には強固な意
思を感じさせながら。
「探すと言っても当てはあるのですか?我らアン・トゥルブは長年携わって来
たが、片鱗にすら触れられていない。」
「その為に集まったのだろう。とはいえだ、儂も知らぬ。知っていれば疾うの
昔に破壊している。」
ミサラナの発言にギネクロアも同意した。それを聞いたリンハイアは、ギネク
ロアが知っている事を確認出来たが、今更だと思いそこには言及しなかった。
「それはグラドリア国とて同じ事です。執政統括が継承するには重すぎる内容
です。」
「ほう。ではグラドリア国はリンハイア殿が所在を知っているわけだな。」
「はい、その通りです。」
むしろ此処は明かした方が信を得られるだろうと、リンハイアは考え自ら先に
札を切った。
「オーレンフィネアはヴァールハイア家が継承しております。」
「なるほど、何故この面子が此処に集められたのか、意図はそういう事か。」
続くユーアマリウの発言に、ギネクロアは何故自分に声が掛かったのかを理解
した。同時に、誰に明かしたわけでも無いのに情報が出ている事に、疑惑を抱
きそうになった。だがそれは自分の代の話しでしかない。それにアン・トゥル
ブの存在を考えれば、無意味な事だと思えた。
「ならば尚更、手を打つ必要があるわけだ。」
思考の最後をギネクロアは声にした。
「そうです。我らの時間も有限でしかありません。何れ大陸は滅びへと向かう
でしょうが、歯止めはかけなければなりません。」
ミサラナは憂いの目を一同に向けて言うと、今度は意を決したように瞳に強い
意思を見せる。
「情報を持ちより、より多くの人が知る事で道が見えるかも知れません。だか
らこそのこの場だと思っています。」
「私もミサラナさんと同じ気持ちです。目の当たりにしたからこそ、その思い
は強くあります。」
続けたミサラナの意思に、ユーアマリウも重ねて思いを示した。
「意識はいい。だが今回の会談では、方法は出なさそうだな。」
「しかし方針は決められます。次回に繋げるためのね。むしろそれが始まりで
はないのですか。」
ギネクロアは足を組んで椅子の背凭れに背を預けると、会談で得るものは無さ
そうとばかりに言った。そもそも意識の在り方を変える必要があり、意思と方
針の確認のために集まっているのだと、リンハイアは考えを伝える。
「リンハイア殿の言う通りです。集まらねば始まりませんし、それぞれの意図
も見えません。向かう方向が同じであれば、協力の可能性もあります。」
「会談をしたという体裁を考慮すればな。儂はもっと具体的な方法、それに繋
がる情報が出ると思って来たんだがな。」
ミサラナの言葉にギネクロアは、得られなければ意味はないとばかりに否定す
る。
「意味はあったと思います。その所在を知る者が分かり、それを巡る意思も確
認出来た。であれば方法を探す手は多い方がいい。私はそう考えますが。」
ユーアマリウがギネクロアの態度に、意を唱えるように言うと、ギネクロアの
視線はユーアマリウを見据える。
「それが体裁だろう。理想だけでは進まないのだ、理想を語るために集まった
わけではあるまい。お主なら分かるだろうよ。」
ギネクロアの視線はユーアマリウからリンハイアへと移動した。何かを知って
いるのではないか、その疑いが視線に混じっているようだった。
「ギネクロア宰相殿の言う事は分かります。私も方法が判ればそれに越した事
はないと思います。それに得るものを期待するから人は集まります。」
「その通りだ。だがそんな御託はいい。」
何時もと変わらない微笑で受け流すリンハイアへ向けるギネクロアの視線は、
疑いの色を濃くして言った。
「私はメーアクライズが鍵になるのではないかと考えています。」
「それは・・・」
「ほう、消え去った町に何が在るというのだ。」
ギネクロアだけでなく、ユーアマリウの驚きの視線もリンハイアに向けられた。
ミサラナだけは黙して視線を卓上に落としている。
「それです。消え去った、つまり発動をしておきながら呪紋式の形跡が残って
いない。」
「なるほど、つまり消し去る手は存在しているという事か。」
やっと話したかというように、ギネクロアは視線を緩めた。
「モフェグォート山脈では、呪紋式が記述された石柱を中心に発動したが、石
柱は無傷だった。その周りに居た人間はすべて圧死していたのですが。」
「何故それを知っている?誰が発動させたか明らかにはなっていないだろう。」
ミサラナが語ったモフェグォート山脈の件に、ギネクロアの目は追及するよう
に鋭くなった。これにはユーアマリウも同調する。公表されている事実として
は、発動後の惨状とザンブオン兵が死んでいたという事のみなのだから。
「言った筈です、私たちは各地に点在するあれをずっと監視してきたと。極力
発動させないようにもしてきました。モフェグォート山脈に関しては間に合い
ませんでしたが。」
「オーレンフィネアもだろう。」
「そうですね。」
淡々と言うミサラナに、ギネクロアが追い討ちを掛けるように言うが、ミサラ
ナの表情に変化はない。オーレンフィネアの名前が出た事で、苦い顔をしたの
はユーアマリウだった。
「ではモフェグォート山脈のあれは剥き出しになったまま放置か?」
「オーレンフィネアでは、入り口をアン・トゥルブの方が封印してくださいま
したが。」
ギネクロアとユーアマリウが言及するようにミサラナに言い、続く言葉を待つ。
「後日、何か手を打とうと向かったのですが、石柱は破壊されていました。」
「なに!?」
「本当ですか?」
「何時、誰がどのようにして破壊したのかは分かっていません。」
驚きに目を大きくしたギネクロアとユーアマリウだったが、続くミサラナの言
葉に落胆する。
「だが壊す方法が有るという事実は判ったわけだ。」
「壊した人を見つけられれば。」
「そうです。それを探すというのが、今後の方針としてどうでしょうか。」
リンハイアの提案に、ギネクロアは睨むような視線を移動させた。
「執政統括殿は知っていたようだな。」
その言葉にユーアマリウもリンハイアを見据える。
「ミサラナ殿とこの場を企画したのですから、何か無ければ示しがつかないで
しょう。」
「狸め、やってくれる。」
微笑のまま平然と言ったリンハイアに、ギネクロアは呆れた目を向けて言った。
ミサラナもリンハイアも会談が始まった時点では知らぬ振りをしていた、だが
流れによって情報を出して来たことに。
「方法が有るというのは分かりましたが、雲を掴むような話しですね。」
「だがやるしかあるまい。」
ユーアマリウが溜め息を吐くように言った。大陸の中から見つけるとなれば、
確かに気が遠くなるような話しなのだから。それでも、可能性がある以上は動
くしかないとギネクロアが言う。
「人に欲がある以上、機は巡って来るでしょう。」
「その通りだ。実際に発動しているのだから、多くの人間がその存在を認知し
たわけだからな。」
ただ、そこまで可能性は低くないと含みミサラナは言う。それに関してはギネ
クロアも同様だった。
認知の数が多くなる程、そこに向けられる人間の欲も膨らんでいく。つまり、
狙われる可能性が高まるという事は、阻止しようとするものも増える。壊す者
が現れる可能性も高まるのだと。同時にそれは、発動される危険も孕んでいる
のだが。
「では今回の会談はここまでとしましょう。次回の日程は決めません、進捗が
見えた時に集まるという事でいいでしょうか。」
ミサラナの言葉に一同は頷く。
「貴賓室の方に食事を用意致します。この後は呼びに伺いますので自由にして
頂いて構いません。聖城郭内も特に制限はありませんので。」
ミサラナの言葉で、それぞれが立ち上がり議事堂を後にする。ギネクロアと事
務官が出て、続いてユーアマリウとラーンデルトが出ていく。その後にミサラ
ナが出ようとすると、背後からリンハイアが小声で話しかける。
「お気遣いありがとうございます。」
「アラミスカの娘の事ですか?」
ミサラナは立ち止まり、横顔で静かに礼に対する問いを発した。
「はい。」
「状況から開示出来る話しでは無いでしょう。彼女に何かあれば、この話しは
破綻します。」
リンハイアが頷くと、ミサラナは何事も無かったように歩を進め議事堂を後に
した。
聖塔の割り当てられた部屋に戻ると、アリータが紅茶を淹れリンハイアがそれ
を啜る。
「緊張しました。何処まで話されるのかと。」
「宰相殿の圧力は凄かったね。」
アリータの安堵に、リンハイアも苦笑して言う。部屋に戻り気が抜けたところ
で、扉が叩かれアリータは驚きからまた緊張した。
「夕食には早すぎますね。」
「大丈夫、入れてあげてください。」
まるで分かっていたように言うリンハイアに、怪訝な顔をしてアリータは扉を
開けた。そこに居たのはユーアマリウ・ヴァールハイア一人だった。
「宜しいでしょうか?」
「どうぞ。」
失礼します言ってユーアマリウは部屋に入ると、リンハイアに促されソファー
に座った。
「生前は父と懇意にされていたそうで、ありがとうございます。ろくに挨拶に
も伺えませんで申し訳ない限りですが。」
ユーアマリウは最初にそう言うと深く頭を下げた。
「気にしなくていい。彼はとても意志が固く真っ直ぐで、優しい御仁だった。」
「はい、私も誇りに思っています。」
リンハイアの優しい言葉と笑顔に、ユーアマリウは瞳を潤ませて言った。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
アリータが新たに淹れた紅茶が目の前に置かれると、ユーアマリウはお礼を言
って手に取る。
「それで要件は?」
ユーアマリウが紅茶を一口飲んだところで、リンハイアは来訪の意図を聞く。
ユーアマリウは表情を引き締めて口を開いた。
「リュティさんとミリアさん。どちらかではないでしょうか?」
突然出された名前にアリータは驚き、声が出そうになったが目の開きを大きく
しただけに止めた。リンハイアは顔色ひとつ変えずに、微笑したまま受け止め
ている。
「オーレンフィネアの時、執務諜員の二人にも助けて頂きましたが、呪紋式に
精通しているのはお二人かと思いました。」
「それで?」
ユーアマリウの話しを、リンハイアは興味深そうに続きを促した。
「先程の会談の中で、モフェグォート山脈の話しに至った時にそう思ったので
す。もしかするとお二人がやったのではないかと。」
「なるほど、確かに可能性としてはあり得る話ですね。」
リンハイアは頷くとそう言って紅茶を口に運んだ。
「リュティ殿はアン・トゥルブの人間です。当時、モフェグォート山脈のあれ
が狙われており、現地での人手不足が問題視されていたのです。」
リンハイアは一呼吸置いて続ける。
「ミリアさんはリュティ殿に一緒に来て欲しいと言われ、現地に向かったそう
ですよ。本人から聞いたので、真偽は分かりかねますが。」
「そうですか。」
ユーアマリウは特に気にした風も無く相槌を打つ。
「では可能性が消えたわけでは無いですね。ミサラナさんが全てを話したとも
思っていませんし。」
「確かに、ユーアマリウ嬢の言う通りだ。っと、もう枢機卿でしたね。」
「まだ慣れていませんので、気になさらないでください。」
ユーアマリウの態度を見て、あんな事件が在ったにも関わらず前向だなとリン
ハイアは思っていた。それは本人の強い意思と、父親の存在が良かったのだろ
うと。決してヴァールハイアの名前などではない、そう思えていた。
「宰相殿も同じ事を考えているだろうね。」
「そうでしょうね。」
リンハイアの言葉に、ユーアマリウも同意する。
「でも今は、これでいいと思います。」
続けて言ったユーアマリウにリンハイアは頷いて見せる、大切なのはそこでは
ない。それは分かっていると。
「しかし、いざ破壊となった場合、事は簡単に進まない気がします。」
「自分から真っ先に棄てようとはしないだろうね。それが人間だ。抑止力にも
外交にも、脅迫にすら利用出来るのだから。」
笑みを消したリンハイアが、ユーアマリウの懸念を引き継いで言った。
「その通りです。私の本音としてはオーレンフィネアから破壊したい、でも私
の一存では決められないのが現状です。」
「個人の話しでは無い。事は大陸に関わっているのだから、周りが棄てても拒
絶は生まれるだろうね。」
「はい。」
大呪紋式は国が管理しているわけではない、それでも所在が知れれば利用しよ
うとするのが常だろう。だからこそ秘密裏に継がれてきたのだし、アン・トゥ
ルブのような組織が存在する。
だからといって、真っ先に自分のところから手放そうとするところは少ない。
自国を窮地に追い込む可能性がある選択を、望んでするところなど無いだろう。
アリータは二人の話しを聞きながら、険しい道のりだと思っていた。
「では、私はこれで失礼します。」
ユーアマリウは紅茶を飲み終えると、リンハイアの控え室を出ていった。
「良かったのですか?」
「今はね。何れ知られる事になるだろう。それまでは巻き込みたくはない。」
「でも、知られたとしても、彼女なら自分の好きなようにしそうですが。」
アリータがそう言うと、リンハイアは苦笑して立ち上がり窓の前に移動した。
眼下にある大森林は、夕刻だというのに、その奥は全てを呑み込みそうな深い
闇を携えていた。
法皇国オーレンフィネアの公表により端を発した、大呪紋式との離別を求めた
初の会談は何事もなく終了した。
全ての話しが出たわけではないだろうと、各々が疑問を抱きつつも。それでも
未来にこの大陸を、少しでも今のまま残そうと決起したのだ。
非公式に行われたこの会談は、参加者以外は知らない事になっている。当然、
アン・トゥルブの者も知らされていない。
何処からか情報が漏れ、それが起因で悪用される可能性を避けての事だった。
極力情報漏れを防ぎ、来るべき時まで事を進めようという合意のもとで。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サディストの私がM男を多頭飼いした時のお話
トシコ
ファンタジー
素人の女王様である私がマゾの男性を飼うのはリスクもありますが、生活に余裕の出来た私には癒しの空間でした。結婚しないで管理職になった女性は周りから見る目も厳しく、私は自分だけの城を作りまあした。そこで私とM男の週末の生活を祖紹介します。半分はノンフィクション、そして半分はフィクションです。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

Hしてレベルアップ ~可愛い女の子とHして強くなれるなんて、この世は最高じゃないか~
トモ治太郎
ファンタジー
孤児院で育った少年ユキャール、この孤児院では15歳になると1人立ちしなければいけない。
旅立ちの朝に初めて夢精したユキャール。それが原因なのか『異性性交』と言うスキルを得る。『相手に精子を与えることでより多くの経験値を得る。』女性経験のないユキャールはまだこのスキルのすごさを知らなかった。
この日の為に準備してきたユキャール。しかし旅立つ直前、一緒に育った少女スピカが一緒にいくと言い出す。本来ならおいしい場面だが、スピカは何も準備していないので俺の負担は最初から2倍増だ。
こんな感じで2人で旅立ち、共に戦い、時にはHして強くなっていくお話しです。
伯爵令嬢の秘密の知識
シマセイ
ファンタジー
16歳の女子高生 佐藤美咲は、神のミスで交通事故に巻き込まれて死んでしまう。異世界のグランディア王国ルナリス伯爵家のミアとして転生し、前世の記憶と知識チートを授かる。魔法と魔道具を秘密裏に研究しつつ、科学と魔法を融合させた夢を追い、小さな一歩を踏み出す。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。
国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。
悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる