紅湖に浮かぶ月

紅雪

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紅湖に浮かぶ月5 -始壊-

4章 潰堕の光

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「苦労しなければ楽は生まれない。」


「これは将軍、ご足労頂きありがとうございます。」
「うむ。中は思った程寒くはないな。」
地下洞窟を抜けた先にある部屋をインブレッカは訪れていた。先行していたゴ
スケヌがそれを迎える。広さが直径十メートル程の室内は、半円形状になって
おり、壁面には機器類が備え付けてあった。
部屋の中央にある一メートル程迫り出した円柱の頂点は、平面になっており複
雑な紋様が彫り込まれている。その表面は球状の硝子で保護されていて、紋様
は埃などで汚れてはいなかった。
その部屋の中を慌ただしく動く兵をインブレッカは見渡すと、ゴスケヌに視線
を戻して口を開く。
「分かりそうか?」
「はい、もう少し時間を頂ければ。それと今記述師を手配しておりますので、
転記の方も時間の問題ですな。」
ゴスケヌの報告に、聞いたインブレッカが険しい顔になる。
「転記の方は無理かもしれぬ。」
「何か不都合でも?」
インブレッカの表情に不安を感じ、ゴスケヌは確認する。
「うむ、深傷を負わせたが逃げられてな。傷が癒えればこの場所を取り戻しに
来る可能性がある。」
「そうでしたか、では此処を棄てる事になるかもしれませんな。」
腰を据えて調べようと思っていたゴスケヌは、調査時間が有限であると知って
表情を曇らせる。
「迎え撃つつもりではいるが。せめて場所と起動を含め使い方くらいは知って
おかねばなるまい。何時でも利用出来るようにな。」
「はっ。急がせます。」
達ての希望によりガーンリィの部隊を待機させているが、未明の戦闘を見る限
り撃退も厳しいだろうとインブレッカは思っていた。メブオーグもゲイラルも
逝った今、隠葬隊であれと渡り合える者は居ない。兵ではあの不測の動きにつ
いていくのは難しいだろうと。
「頼んだ。我輩は少し休ませてもらう。」
「夜間も作戦だったのですから、ゆっくりしてください。」
「ああ。」
ゴスケヌの言葉を聞いたインブレッカは、簡易な椅子を手に邪魔にならないよ
う部屋の隅で腰掛けると目を閉じた。
昨日から寝ずに夜間行動も行った身体は、疲弊していたのか意識が無くなるま
でそれほど時間は要さなかった。



吐く息が視界の中で白く煙る。白く化粧をされたモフェグォート山脈を前に私
は、眠い眼をその山肌に向ける。殆どが急な斜面であり、または壁になってい
る。足場になりそうな場所の方が稀有に見えた。人が立ち入るの拒絶している
ように私の前に立ちはだかっている。
阿呆か。
「本気で登るの?こんなところ。正直ここまでとは予想してなかったわよ。」
くそ寒い早朝、検問所から離れたら場所で私たち三人は呆けるように山脈を見
上げていたが、確認のため私は口を開いた。
「私も此処までとは思わなかったわ。」
「だから言ったじゃねーか、人が歩ける地形じゃねーって。」
ある程度は何とかなるだろうとリュティは思っていたのだろう、だが山脈を見
上げる顔は険しい。私もそう、登れない事はないと思っていた。断崖絶壁では
ないが、斜面が急すぎる。おまけに雪まで積もっているとなれば、登山が可能
なんて思えない。
あと得意気に言ったユリファラに雪玉を投げておく。
「お、てめーミリア、何してんだこらっ。」
「雪で手が滑ったのよ。」
「んなわけあるかっ!」
ツインテールを揺らして憤るユリファラの頭を抑え、改めて山脈の攻略を考え
る。
「身体強化でどうにかなるとは思えないわよ。」
「ええ。厳しいでしょうね。」
厳しいどころか無理だと思うのだけど。あとあれだ、じっとしていたせいか寒
くなって来た。この寒さは心を折るのに十分だわ。
「帰らないわよ。」
ぐっ。先手を打たれた。
「思ったんだけど、検問所さえ迂回出来ればいいんじゃない?」
「あっ・・・」
「あら。」
阿呆かこいつら。って私もだけど、そんな当たり前の事すら気付いてなかった
わ。山登りという単語に意識を持っていかれ、思考範囲が狭くなっていたんだ
わ。
「それなら何とかなるかしら。」
「落ちて死ぬ確率は下がったんじゃない。」
「縁起でもねーこと言うな。」
そうと決まれば身体強化の呪紋式を撃って、少し登ったら横に移動かな。よく
よく考えれば登るのも横移動も危険は変わりないわよね。でも考えてばかりじ
ゃ何も始まらない、実際に確かめてみないと。
「山肌の様子を確認するために、軽く登って見るわ。二人は待ってて。」
「分かったわ。」
リュティの返事とユリファラの頷きを見ると、私は紅月を取り出して自分に向
けて引き金を引く。白光の呪紋式が浮かび上がって直ぐに消え、私の身体に効
果をもたらす。
「じゃ、ちょっと行ってくるわ。」
始まりだけ緩いのよね、直ぐに足場が無くなる。ある程度は登らないと検問所
にいる人に気付かれてしまうだろう。だけど急勾配や壁のような地形を保って
いるからなのか、地面はかなり固めだと思う。崩れて落ちる事は、脆いところ
に当たらなければ大丈夫じゃないかな。
手探りで少し登ってみたが、かなり厳しい。行けないことはないかな、なんて
思えないわ。駄目だ、戻ろう。気力が無いわ。

「無理!」
二人のところに戻ると私は力強く言い切った。もう少し頑張ればとか言わせな
いように。頑張っても途中で気力が尽きたり油断が生まれる可能性が高い、人
間の集中力なんてそんな続きはしないのだから。
「身も蓋もねーな。」
「面倒臭くなったのかしら。」
酷い言われようだ、このくそ寒い中足場の無い場所の確認に行ってきたという
のに。少しは労いとかないのかしら。
「見てた感じ行けてたじゃねーか。」
「そうね。何とかなりそうに見えたわ。」
こいつら・・・。他人事だからって好き勝手に言いやがって。まあ行ってみれ
ば理解するだろう、言っている事がどれだけ甘いかって事が。よし分かった、
行くのは妥協するとして、取り敢えず落ちたら笑ってやろう。
「そこまで言うなら登ってみれば?私は着いていくから。」
「足場はミリアの仕事だろ。」
「登った経験者が先頭でしょう。」
性質が悪いわね、こいつら。私の事を何だと思っているのかしら。
「本当に行くの?」
「ええ。此処まで来て、とかじゃないの。行かないと駄目なのよ。」
先ほどまでとは違いリュティの表情が真面目になる。使命感なのか個人的なの
か知らないけれど、付き合ってやる気はない。ただ行くのなら同行を承諾した
身として付き合うだけ。
「しょうがないわね。」
「お・・・おい!空、空!」
私が諦めて苦笑をリュティに向けて言った時、ユリファラが上空を指差して騒
ぎ始める。リュティの顔も一瞬で険しくなった。
「間に合わなかったの・・・」
私も上空を見上げ目にするとそう口にしていた。曇天の真下、モフェグォート
山脈の上に白光が浮かび、呪紋式を描いている。山頂の一つを丸々包み込みそ
うな程巨大な呪紋式を目にして、私は紅月に薬莢を籠めた。どんな効果かは分
からないが、この場に居る二人は護れるかも知れないと。
「何が起こるんだよ!?」
恐怖が混じるユリファラの問いに答えられるのは、可能性が有るとすればこの
場ではリュティだけだろう。私にも分からないけれど、オーレンフィネアで見
た呪紋式とは別物なのは間違いない。
オーレンフィネアと同じように指向性がある効果ならば、上にしろ下にしろこ
の場所は範囲外だ。厄介なのは発動後に広がったり、同心円状に効果を発現す
る場合。例えばメーアクライズを消したような。
何か知ってないかとリュティを見たが、険しい顔を横に振るだけだった。私は
それを見ると山脈の方へ向き、紅月を向けて引き金を引く。効果が有るか不明
だが何もしないで巻き込まれたくはない。
「ミリア、あれ何なんだよ!?」
「私にも分からないわ、一つ分かる事があるとすればろくなもんじゃないって
事ね。」
私たちと上空に展開される呪紋式を隔てるように、私が撃った呪紋式が展開さ
れる。オーレンフィネアでは効果があったけれど、今回も上手くいくかは分か
らない。斜めに展開される呪紋式を見るユリファラは、酷く不安そうな顔をし
ていた。それは私も同じだけど。
上空に展開された呪紋式の白光が一際輝くと、消えていった。効果が発動した
のだろうが何も起きない。
「不発っ!・・・」
「うおっ!」
私が言った瞬間、身体を衝撃が打ち一瞬宙に浮く。轟音と共に大地が揺さぶら
れ、突き上げるような衝撃が来てその反動で身体が浮いたようだ。ユリファラ
は体勢を崩して尻餅を付いている。
「何が起きたの?」
身体が浮くほどの大地の激震なんて尋常じゃない。建造物なんか崩壊していて
も不思議じゃない程の衝撃だった。
「分からないわ。」
これが連続で起きたら街なんて瓦礫の山になってしまう。リュティにも分から
ないなら、確かめようが無い。
「今のところ衝撃以外は無いわね。」
「それに、登ってなくて良かったわ。」
リュティの言葉に衝撃で崩れている山肌を見ながら、私は同意して安堵を口に
した。身体が浮いたのだから、登っていたら間違いなく転落していただろう。
不意の衝撃に対処なんて、人は出来はしない。何が起きたか分からずに宙に舞
って落ちる方が先だろうと思う。
「ミリアがごねたお陰で助かったな。」
黙れ。
危険性を訴えていただけなのに、酷い言われようね。しかし、試しに登ってい
る最中じゃなくて良かったわ。もしその時に発動していたらと思うとぞっとす
る。
「次発が無いわね。」
「効果を確認しただけかも知れないわ。」
オーレンフィネアの時はアーリゲルが連続で発動させたが、今回は続いて来な
い。単純に考えれば使い続けると街も地形も崩壊させかねない威力だ。正体は
まだはっきりと分からないが、世界を壊したい奴でもない限り使わないだろう。
「次発の可能性は少ないんじゃない。」
「私もそう思うわ。」
考えから出た可能性を口にすると、リュティも頷いた。連続するようなら逃げ
も選択肢だが、今は向かってみる価値があるかも知れない。
「なあ、何が起こっているんだ。」
「分からないから、確かめに行こうかと思ってね。」
「さっきのでっけー呪紋式がまた発動したらどうすんだよ。」
ユリファラの心配も分かるが、ちょっとこのまま放置は出来ない。私の中にそ
んな思いが湧いて来ていた。 
「その可能性は低いわ。ユリファラは町に戻っていてもいいわよ。」
「あたしだって何が起きてるか知りてーんだ、此処で逃げられるかよ。」
私の言葉に鼻息を荒くしてユリファラは言う。本当は連れて行きたくなんかな
いけれど、言い出したら説得の方が面倒。
「取り敢えず検問所へ向かってみましょう。」
「そうね、上手くすれば混乱に紛れて抜けられるかも知れない。」
リュティの提案と私も同じ事を考えていた。あれだけの衝撃で、建物が無傷と
はとても思えない。
「だったら早い方がいいわね。」
「おっし、行くか。」
リュティに続いてユリファラが行く気満々に言った。そこで私の小型端末が音
声呼び出しを知らせてくる。私は二人に歩きながらでいいわと合図を送り、端
末を確認すると知らない連絡先だった。仕事に関わる事かも知れないと思いつ
つも、怪訝な顔をしながら呼び出しに応じてみる。
「お久しぶりですミリアさん。」
聞いた瞬間、私は通信を切断していた。阿呆か。
「あら、どうしたの?」
私の行動にリュティが疑問を投げてくる。
「ただの連絡先間違いね。」
「そう。」
そこで再び音声通信の呼び出し。私は応じながら空いている手で作った雪玉を
ユリファラに投げつけた。
「大事な話しなので少し時間をください。」
「ってーなっミリア!やんのか。」
ユリファラが怒り顔で言っている中、やけに神妙なリンハイアの声がそう言っ
た。切断した事への言及も無いことから、リンハイアも余裕が無いのではない
かと思わされる。
「ユリファラも一緒ですね。」
「ええ。で、大事な話しってモフェグォート山脈の件?」
「はい。相変わらず察しが良くて助かります。」
この状況でリンハイアが私に連絡してくるなど、それしか考えられない。察し
が良いも何も無いだろうと思う。私がエカラールに居るなんて言ったのはおそ
らくユリファラだろうと思って睨むと、目を逸らしてリュティと何やら話し始
めやがった。
「エカラールに居る事が分かってて連絡して来たんでしょう。用件は何?」
聞かなくても何となく分かるけれど、わざわざ連絡して来たんだ。何か言いた
い事があるんだろう。
「オーレンフィネアに続き北方連国でも大呪紋式の発現が確認されました。」
大呪紋式?あれをそういう風に呼んでいるのか。
「私は私のやりたいようにしかしないわよ。」
用件を聞いておいてなんだが、余計な事を言うなと釘を刺しておく。
「分かっています。ユリファラは貴女だから付いて行ったのでしょう。出来れ
ば彼女を、護ってやってください。」
リンハイアもユリファラを気にしているのか。いざとなれば命に代えてでも執
政統括を護る執務諜員、だというのに敢えて私に連絡してきてまで言う事か。
為政者の行動としては違和感を感じる。
「執政統括とういう肩書きを持っていても、他国への介入は出来ません。執務
諜員が危険に晒されようとも、本人の裁量に頼るしかないのが現状です。」
言いたい事は分かるが、私はそれをお願いされる立場ではないのよね。ユリフ
ァラを理由に今回の件が片付けばいいくらいに思っているのだろう。
「回りくどいわね、被害の拡大を防ぐ・・・いいえ、理想としては誰の手にも
渡らず、誰も手に出来ない状態かしら。望んでいるのは。」
「仰る通りです。」
そんな事を言われても私にはどうしようもない。リンハイアの理想を助ける気
も、手伝う義理もないわけだし。
「が、先ほど言ったようにユリファラさえ護って頂ければ。私の理想は私が実
現するべき事ですから。」
だったら何故連絡なんかしてきたのよ。連絡してきてまで言う事ではない。
「だから、モフェグォート山脈へは行かず引いて頂けませんか。」
それが理由か。
「本人に直接言ってよね、私に言う事じゃない、それはあんたの役目でしょう
が。それに私は引く気もないわ、勝手な都合を押し付けないでくれる。」
私が声を荒げた事で前を歩いていた二人が振り返る。ユリファラは内容を察し
たようで、険しい顔をしていた。私たちへの同行は、本人も悩んだのかも知れ
ない。
「帰れってさ、どうするユリファラ?」
少女と言えど仕事をしている以上は上司の命令に従う必要はある。私が決める
事ではなく、ユリファラ本人が決断しなければならない。私としてはどちらで
もいいのだけど。
「帰らねー。ターレデファンでの仕事はまだ終わってねー筈だ、おっさんが言
わねー事をこの目で見に行くだけだ。」
大きくはないが、はっきりした声でユリファラは言った。私にそれをとやかく
言う筋合いは無いけれど、私たちと一緒に行動するならこちらの方針には従っ
てもらう。
「だそうよ。」
「分かりました。これ以上言っても意志は変わらなそうだね。ではユリファラ
の事をお願いします。」
リンハイアからの通信はそこで途切れた。まったく無駄な時間を使わせてくれ
て。まあ今回は私への嫌がらせではなく、単純にユリファラの安否を気遣った
ようだったから良いけれど。
私は安堵を感じながらユリファラに近付く。
「ミリア、すまねぇぃでぇいでぇ・・・」
「言うなって言ったのにどうして言ってくれたのかしら?」
私は消沈するユリファラの頬を両手で引っ張ると、笑顔で聞いた。
「残りたい理由が説明出来なくなって、つい・・・」
離れろと言われたのに離れない理由ね。突発的に動いたのだから、そりゃ説明
も難しいでしょうけれど。まあいいか、ユリファラの行動の是非については今
話す事じゃない。
「取り敢えず時間も無いし、急ぎましょう。」
私はユリファラの頭に掌を軽く乗せると、検問所に向かって歩を進めた。

検問所が見えてくると同時に慌ただしく動く人も目に入った。近付くにつれ建
物の状態が判明してくる。道路を囲う門の様に建っていたであろう建物は半壊
し、道路の上を渡っていた部分は崩落していた。
両側の建物は半分辛うじて残っていて、それが三階建てくらいだったと判別出
来る程度に留めているだけだ。
慌ただしく動き回っているのはターレデファン国の軍人だろうか、見たことは
ないが制服を来て動く姿はそう連想させられた。封鎖しているという事前情報
も、そう思った一助かも知れない。国として封鎖しているのだから、軍が動い
ていても不思議はないとも。
「酷い状態ね。封鎖をしていなくても復旧に時間が掛かりそうだわ。」
「だからこそ隙があるかもしれないわ。」
「だけど見付からず行けるか?堂々と抜けるわけにもいかねーだろ。」
ユリファラの言うとおりなのよね。横を抜けるにしても山肌を登っていたら目
に付くだろうし、姿を消せるわけでもない。通り抜けるにしてもこの面子じゃ
理由も作れるわけがない、いや封鎖しているのだから理由もくそもないか。
「あの辺を登るのはどうかしら。丁度迫り出していて死角になりそうよ。」
「いんじゃねーか。」
リュティが見ている場所に目を向けると、確かに死角になりそうだった。この
山肌を登る人間がいると思わないだろうし、加えてこの事態だ。気付かれない
可能性は十分にある。しかしこいつら、どうしても山登りしたいらしいわね。
「どうしたの?」
そんな事を思い目を細めてリュティを見ていると、視線に気付いて怪訝な顔で
言ってきた。
「何でも無いわ。」
私は山登りなんてしたくない、という思いは仕舞って惚けておく。どうするに
しろ他に手はなさそうだから。
「それしかなさそうね。側まで行って準備しましょうか。」
「そうね。薬莢は足りるかしら?」
「大丈夫よ。」
迫り出した山肌まで来ると、確かに死角になっていてこちらからも検問所は見
えない。此処を登り間道に出たら、一気に駆け登る方向で話しは纏まった。私
の身体強化はまだ効果が残っているので、ユリファラだけに撃つ。リュティは
不要だと言ったので撃たなかった、もともと人間かどうか怪しいので不要な事
に納得しておく。
「なんか前より身体が軽い気がすんな。」
呪紋式が効果を及ぼすと、ユリファラは笑顔で跳ねながら言った。以前に使っ
たのはモッカルイアでだから、確かに変わっているでしょうね。
「呪紋式も進化するのよ。」
「まじか!?」
「嘘よ。」
「お、なんだミリア、やんのかおい。」
「緊張感無さすぎよ。」
リュティが咎めて来るが無視。
「時間が無いんでしょ、行くわよ。」
「どの口が言ってんだこら。」
睨め上げて来るユリファラの頭を抑えて、私は山肌を見上げて言う。手元で何
か騒いでいる奴がいるけれど、こっちも無視。
「そうね。」
リュティの同意を合図に山肌に手を掛け、私たちは登り始める。腑に落ちない
顔のユリファラが私の後に続き、リュティが殿を務めて。
落ちそうになりながらも、何とか検問所から離れた間道に私たちは降り立った。
離れたと言っても二百メートル程だが。だってこれ以上あんな場所を移動なん
て嫌だったんだもん。
案の定、検問所の軍人に気付かれ、間道を駆け登ったのは言うまでもない。追
い付かれる事は無いが、帰りを考えるともう少し山肌を移動すれば良かったな
と後悔しながら駆け抜けた。十分ほど登ったところで、私たちは止まり唖然と
する。本来続く筈の間道がそこで途切れていたからだ。
「何だよこれ・・・」
「そりゃ身体が浮くわよね・・・」
私とユリファラが目の前の光景に呆気に取られながらも声を漏らしていた。
「これは確かに、連続で使えるものではないわね。」
そう。道は途切れていたわけじゃない、続いている。但し、十メートルくらい
下の方にだが。此処が呪紋式の効果範囲の開始地点なのだとはっきり分かるく
らい、切り取られたように断崖絶壁になっている。円形状と辛うじて分かるく
らいの広範囲で間道を含めて山脈が陥没していた。
上空に浮かんだ呪紋式が効果範囲と考えれば、かなりの範囲が陥没した事にな
る。いや、陥没と言っていいのか不明だ、押し潰されたのかも知れない。舗装
された間道は粉々になているけれど、どちらとも言えない。
まるで十メートル程下が消滅したように沈んでいるが、それが一番近い表現か
も知れない。山肌も崩れたりはしているが形が残っているところを見ると。
「取り敢えず、先に進んでみましょう。」
「そうね。」
沈んだ山肌を伝えば、苦労せず降りられそうだった。
「げ、行くのかよ。」
「ええ。私はこの呪紋式を発動させた場所に行きたいのよ。」
ユリファラが驚いて言うと、リュティはそう言って飛び降りた。
「帰っても良いわよ。」
「行くって!」
私も言うと間道から逸れ、山肌を飛び降りるように伝って降りていく。すぐ後
ろをユリファラが続いた。リュティが飛び降りた事に関しては驚くが、私もユ
リファラもウェレスの時にその行動を目の当たりにしているのでそこまででは
ない。
「場所、分かる?」
「大体は。」
粉砕された間道に戻り降り立っていたリュティ聞くと、返ってきた言葉は曖昧
だった。何時にも増して真面目な表情のリュティも、はっきりとは知らないよ
うだ。
「僕が案内しようか?」
そこで突如聞こえた声に私は構え、ユリファラが短剣を抜いた。リュティだけ
は動じていない。
「無事だったのねユーリ。」
「その呼び方はやめてよ。」
紺碧の髪の間から笑顔を覗かせて現れた少年は言うが、髪も白い肌も服も乾い
た血で赤黒く染まっていた。
「派手にやられたわね。」
「ザンブオンには恐い人が多くてね。でも案内くらいは出来るよ。」
何を言っているのか分からないが、血塗れの少年は自分の血で汚れているだろ
う事は分かった。それで普通に行動しているのは、リュティと同じく傷が呪紋
式で修復するからだろうか。だがそんな事より。
「あんた誰よ?」
私の誰何の声に少年は、一瞬きょとんとした顔をしたがすぐ笑顔に戻った。
「ああごめん。僕はユエトリエリ・オルソーグ・イラセード。リュティと同じ
組織の人間だよ。」
「ちょっとユーリ。」
まあ予想はしていたが。組織の件でリュティは声を上げたが、私は手を上げて
気にしなくていいと制する。関わるつもりは無いけれど、言う分には勝手に言
っていればいいだけの事だ。しかし、こいつも覚え難い名前をしているわね。
「お姉さんは?」
「私はミリアよ。こっちがユリファラ。」
私は警戒を解いて名乗るが、紹介したユリファラは体勢を変えずにユエトリエ
リを睨んでいる。
「そうか、クスカが言っていたミリアって人がお姉さんなんだね。」
「何を話しても知った事ではないけれど、直接私に関わらないでよね。」
ああ確か、ロンカットに居たとき朝御飯届けてくれた、あの無愛想な奴だっけ。
一体私の知らないところで何を吹聴している事やら。それはともかく、私は関
わりたくない事をきっぱりと明言しておく。
「えぇ、リュティはいいのに?」
「そうよ、私の勝手でしょ。あんたらにどうこう言われる筋合いは無いわ。」
執政統括もそうだし、得体の知れない組織に関与されるのもごめんだ。勝手に
私の人生に入り込んで来ないで欲しいわね。
「まあいいや。僕は楽しければいいだけだし。」
「んで、こいつは信用していーのか?」
まだ警戒を解いて無かったユリファラが、ユエトリエリを短剣で指しながら割
り込んで来る。多分話しに付いて行けないのと、ずっと警戒しているから痺れ
を切らしたのだろう。
「大丈夫よ。もし何か合った時は私が責任を持って始末するから。」
「酷いよリュティ。僕はそんな事しないって分かって言ってるよね。」
両手を上げなら笑顔で言うユエトリエリだったが、リュティの顔はまったく笑
っていなかった。面倒。
「あんたらの関係はどうでもいいのよ。案内する気があるなら早くしてくれる
?」
こっちも危険に飛び込んでいるのだから、馴れ合いなら終わってからやって欲
しい。ユリファラも付いて来ている以上、目的を達成して早く引き上げるべき
なのよ。
「そういう事だからユーリ、案内してくれるかしら。」
「いいよ。こっち。」
ユエトリエリの笑顔は変わらず、返事をすると間道を登り始めた。リュティを
先頭に私たちもそれに続く。
「次発の可能性は?」
「暫く無いと思うよ。そもそも呪紋式が在った場所は誰もいないと思うし。」
私の疑問にユエトリエリは前を向いたまま答える。誰も居ないってどういう事
?発動させた奴らは一体何処に。もしかするとユエトリエリか別の奴がもう始
末してしまったのか。
「つまり、呪紋式の展開範囲が効果範囲なのでしょう?」
え?
「そう。例外はないよ。発動させた中心点も例外はない、全て効果範囲なんだ
。」
それってつまり、アーリゲルが潜って行ったような場所が在ったとして、そこ
ごと潰れたという事?だったら私たちが今向かっている意味ってなんなの。
「だったらもう使えないんじゃねーのか、それ。」
ユリファラの言うとおりだ。崩壊しているなら向かう必要も無いし、誰かに渡
る懸念も消える。
「ところがそうはならないのよ。」
「そう。何で何百年、いやもっと昔からかも知れないけど、ずっと残っている
と思う?」
なんて事、それって誰かが使う危険は消えないって事じゃない!そんな危険な
物が残り続けるなんて、リンハイアの言う通りの末路が待っていると言ってい
るようなもの。
「壊せるならとっくに壊しているのよ。」
リュティのいる組織が何なのか、何となく見えてきた。知りたくも無いけれど。
おそらくずっと昔からこの危険な呪紋式を監視してきたんだ。壊せないと言っ
たリュティの顔も苦い表情をしている。だからオーレンフィネアでも封印に留
まっていたのね。
「これって起こそうと思えば、いくらでも出来んのか?」
「今の話しが本当ならね。」
話しを聞いていたユリファラが私に、小さな声で確認してくる。リュティとユ
エトリエリの話しは、どこまで信憑性があるのかは不明だ。ただ私より、昔か
ら存在を知っているのは間違いないから、無視出来ない内容でもある。
「それ、やばくねーか?町のど真ん中で発動されたりしたらって考えるとさ。」
「その通りね。」
ユリファラの懸念は皆分かっているんだ。だから敢えて口にしないし、存在を
隠そうとする。いざとなれば見つけた人間を始末してでも、触れさせないのだ
ろう。おそらくリュティの組織がやっているのはそういう事だろうと想像する。
だとしても関わる気は無いが。
「もう少し?」
「なんだミリア、分かんのか?」
私が前を歩く二人に聞いてみると、ユリファラが質問を被せて来た。
「そうだよ。」
「この臭いがね・・・」
死臭。
「あ・・・」
ユエトリエリの答えは聞くだけにして、私は近いと思った理由をユリファラに
答える。ユリファラも気付いたようで、嫌な表情に顔を歪めた。まだ視界にも
入ってないのに漂ってくるくらいだから、数も多いのだろう。
「グベルオル老もやられたらしいわね。」
「うん。僕よりこっぴどくね。」
「いい薬だわ。」
「あはは。この前のナベンスクでの事、まだ怒ってるんだね。」
「当たり前でしょう。」
先を行く二人がそんな会話をしていたが、私には何の事か分からない。組織内
の話しなのだろう。一つ分かったのはナベンスク領にも、危険な呪紋式がある
だろう事。
「クスカは何をしているの?」
「僕が襲われる前に状況を確認しに来て、また今日来るって言ってたんだけど
な・・・」
「口ばかりで役に立たないわね。」
無愛想が役に立たない事も分かった。情報としては覚えておこう。万が一巻き
込まれた時など、無愛想は頼りにしないと。
「うぇ・・・」
考えながら歩いていたら、ユリファラが嫌そうな声を出す。理由は聞かなくて
も直ぐに分かった。かなりの数の死体が潰れている光景が、向かう先に広がっ
ている。
「此処を抜けたら直ぐだよ。」
ユエトリエリが笑顔で言ってくる。出来れば近付きたくなんかないし、この少
年の笑顔も勘に障る。それに近付くにつれ、気分も悪くなってきていた。



2.「嘘とは調和のために存在する方便である。」

「状況は!?」
「間道を含め山脈の一部が陥没しています。」
「将軍は?」
「連絡が付きません。」
「隠葬隊もまったく連絡が付きません。」
「同じくゴスケヌ殿、将軍に同行していたガーンリィ隊長も連絡が付きません
。」
報告を聞くたびにベナガハの表情が険しくなっていく。隣に居たフラガニアの
顔は蒼白になっていた。
ザンブオンの城館の中庭で二人を筆頭に、兵達が慌ただしく行き交い騒然とし
ていた。市内でも家屋の倒壊や火事が起こり、城館の外も騒がしくなっている。
被害状況が把握出来ずに、ベナガハとフラガニアも困惑していた。それ以上に
城館内と外の混乱は大きく、誰一人として何が起きたか分からず混乱は拡大し
ていくだけだった。



「これがそうなの?」
人らしかったもの。身体がひしゃげ血を撒き散らし、はみ出た内臓が四散し、
眼球が転がっている。潰れた頭部は中から出た血と脳漿の海に埋もれ、髪の毛
にべったりと絡みついていた。
潰れた臓物は異臭を放ち、腸から出た糞尿の悪臭いと混じり、一帯を漂うのは
空気ではなくり瘴気ではないかと思わせられる。
その散った体液と臓物に塗れ、地面から生えるように一本の柱が建っていた。
高さは一メートル程の円柱で、頂上の平面には呪紋式が描かれている。その呪
紋式を覆うように半球状の硝子が円柱の上にあるが、あの衝撃でも傷すら付い
ていないように見える。私はその円柱を指してユエトリエリとリュティの方を
向いて聞いた。
「そうだよ。」
「ええ。見ての通り無傷なのよ。」
本当に壊れないんだろうか。この世にそんな材質が存在するなんて聞いた事も
無い。
「試していい?」
「やれるならやってみてよ。それなら僕も此処から解放されるし。」
出来るものならやってみせろって言い方がむかつくけれど、取り敢えず無視し
ておこう。私は雪華に薬莢を込めると、円柱の上に向かって撃つ。白光の呪紋
式が浮かぶと大きな石に変換されていく。
「でかっ!」
うげっ。ユリファラが思わずそう言ったのも頷ける。思った以上に石は大きく、
直径二メートルくらいはあるだろうか。私たちは慌てて飛び退いて円柱から離
れる。石は大きな音を立てて円柱に激突すると、真っ二つに割れて人体の上に
粗末な音を立てて落下した。
「危ねーだろ、先に言えよな。」
「私もこんな大きいとは思わなかったのよ。」
ユリファラの文句に不可抗力だと言い訳をしておく。当の円柱の硝子には傷が
付いた様子はない。
「それで壊れるなら、さっきの呪紋式で壊れてるよ。」
五月蝿いわね。
しかし、音が出たという事は存在自体ははっきりしているという事だ。超硬質
な何かだろうか。
「ちょっとそのまま・・・いえ、もっと離れて。」
私は雪華に薬莢を籠めて円柱に近付く。その前に<六華式拳闘術・華流閃>を
放つ。
「いっったぁ!・・・」
「馬鹿なの?」
「うるさい!首を撥ねるわよ!」
手刀が弾かれた私に呆れた顔で言うユエトリエリを、私は睨み付けて言った。
「恐いよ・・・」
黙ってろ、まったく。次に<六華式拳闘術・朔破閃>を試してみる。周囲に散
らかっている人体が、更に潰れて撒き散らされただけだった。硬すぎる。続い
て雪華の引き金を引くと私も直ぐに円柱から離れる。白光の呪紋式が消えると、
円柱が爆発に包まれる。発破用の火薬を精製して自動的に着火する呪紋式だけ
ど、待ち時間零で発動するため廃れた呪紋式だ。
粉塵が煙が消えると、何事も無かった様に円柱が立っている。変化があるとす
れば人体の破片が更に散った事くらいだ。
ごめんなさい。
死者を弄ぶつもりは無いのだけれど、自分自身で確かめなければ気がすまなか
ったのよ。
「うん、無理。」
「あはは、お姉さん面白いよ。でも言った通りだったでしょ。」
こいつかなり鬱陶しいな。
「でも改めて確かめられたわ。」
甘いわねぇ、まだ確かめて無い事があるのよ。私が無理と言ったのは物理的な
話しだ、こんな超硬質硝子や石があってたまるかと、心の中では納得していな
いのよ。
「別にまだ諦めてないわよ。」
私は雪華を仕舞って紅月を取り出すと、薬莢を籠めながら言う。
「人間、諦めが肝心だと思うけどな。」
「あんた少し煩いわよ。案内が終わったならもう私としては用がないのよ。ど
っか行ってくれない。」
いい加減苛々してきた。
「何それ、ちょっと頭に来たかな。」
「何かするつもりなら、私が相手になるわよ。」
笑顔の消えたユエトリエリが言うと、リュティがそれに反応した。見たことの
ない鋭い双眸でユエトリエリを見据え、ぞっとするほどの威圧が降りかかる。
ユエトリエリは一瞬驚いた顔をした後、瞳に剣呑な光を宿らせリュティを見返
した。
「ふーん。リュティはそっちに付くんだね。そりゃクスカも荒れちゃうよ。」
ユエトリエリは左手を剣の柄に添えながら、薄ら笑いを浮かべ始める。見た目
は少年なんだけれど、今の顔は恐い。
「勘違いしないで欲しいわね。もともとアン・トゥルブに付いてもいないわよ
。」
「やるなら他でやれ、邪魔だって言ってるでしょ!」
私の邪魔ばかりして鬱陶しいな。リュティが私を護ろうとそうで無かろうと知
った事ではない。闘いを始めるなら邪魔以外の何者でもないわ。私の言葉でユ
エトリエリの瞳から剣呑な光が消えた。
「分かった、今は退くよ。ただ、案内料は後で頂戴ね。」
ユエトリエリは呆れたように溜め息を吐くと、苦笑いしてそう言った。
「はいはい。」
「この二人相手に啖呵切った人なんていないよ、面白いねお姉さ・・・」
案内料くらい払うわよ。けれど、今は相手をしたく無いので適当にあしらう。
ユエトリエリは走り去りながら何かを言っていたが、最後まで聞こえなかった。
「よし、邪魔者は居なくなったわね。」
「恐いもの知らずね。」
リュティの言葉には呆れが混じっていたけれど、表情は何処か楽しそうにして
いた。先程まで放っていた威圧なんか無かったように。
「ミリアが一番こえーな。」
「何か言った。」
私がユリファラに細目を向けると、ツインテールを揺らしながら首を左右に振
っていた。邪魔して欲しくないだけなのに、酷い扱いね。
「それで、試してみたい事って何かしら?」
それなのよね。もし素材が超硬質の何かと仮定すると、その強度を上回る力を
与えなければならない。今の私には思い付かない。リンハイアあたりであれば
色々考えられるかも知れないが、壊れていない現状を考えると思い付いていな
いか、壊さない理由があるのか。まあ、それはどうでもいいか。
「思ったのよね、これだけの硬度を持つ物質なんて無いんじゃないかって。」
「でも現実としてそこに存在するじゃねーか。」
「そう。もう試しているでしょうけれど、私は自分で確かめたいのよ。本当に
物質としての硬度なのか?別の干渉によって持たされた硬度なのか。」
「んあ、どういう事だ?」
ユリファラは単純に疑問を顔に浮かべて言ったが、リュティは硬直している。
おい、まさか・・・。
「私が知っている中で、その発想に至った記憶は無いわね。」
阿呆か。どれだけの年月掛けたか知らないけれど、考えられる範疇でしょうよ。
「と、いうわけで。」
私はさっき紅月に籠めた呪紋式を円柱に向かって撃つ。呪紋式の効果を打ち消
す呪紋式が、円柱にの上に白光して浮かび消えていく。私たちは無言で結果を
眺めていたが、特に何も起きない。んー、駄目だったか。
「あ!」
ユリファラが声を上げた事で、変化が始まった事に気付く。円柱の上に在った
半球状の硝子に呪紋式らしきものが白光して浮かぶと、硝子は光が消えるのと
一緒に消滅した。
「おお!」
「本当に、そうだったの?」
ユリファラが歓喜の声を上げる中、リュティは疑問を顔から消していない。私
もそのリュティの反応と同じ気分でいた。
「ねえユリファラ。」
「なんだ?」
「あの石柱に短剣刺せる?」
ユリファラの短剣投擲で傷でも付けば、可能性はあると思うのよね。
「やってみるよ。」
弾丸以上の威力があると思われるユリファラの投擲は、剣先に力が一転集中す
る。ただの石だったら突き刺さる威力はあったはず。ならば石に傷くらい簡単
に付くだろうと。ユリファラが短剣を構えて、石柱目掛けて投擲する。が、甲
高い音を立てて弾かれた。
「かてーよ。」
石柱の表面を確認してみるが、傷すら付いていない。
「それそのものはやっぱり硬いんじゃないかしら。」
リュティ言葉は流して、私はまた紅月に薬莢を籠めると石柱に向かって撃った。
呪紋式が白光して浮かびまた消えていく。
「ユリファラ、もう一回お願い。」
「いいけどよ、変わんのか?」
「さあ?」
「さあって、適当だなおい。」
そう言いながらもユリファラは短剣を構え、もう一度投擲した。やっぱり甲高
い音を立てて短剣が弾かれる。
「変わんねーじゃねーか!」
「いえ、傷が付いたわ。この石柱自体が硬いのよ。」
「まじか。」
「二重で掛けられていたって事なのね。」
ユリファラとリュティが揃って驚きの声を上げる。これで壊せるようになった
のかは、まだ分からない。とりあえず試してみない事には。
それから色々試したけれど、微々たる傷は付いても破壊には至らなかった。
「リュティ、なんか違う呪紋式は無いの。」
「何を言っているの?今ではミリアの方が知っている筈よ。」
ああ・・・。それ言うか。だとしても。
「一旦出直しましょう。」
「まじかよ。」
今は無理だ。薬莢も記述しなければならないし、何よりもう気持ち悪い。鼻は
麻痺したように臭いはあまり感じなくなったが、呼吸はそうはいかない。
「山を降りるの?検問所を抜けられるかしら。」
「いえ、山を降りるのは得策じゃ無いわ。おそらくこの場所を確認にも来るで
しょうし。」
確かカリメウニアとザンブオンだっけ、当然ターレデファンも様子を見に来る
だろう。悠長にしている時間は無いけれど、一度落ち着いて整理する時間が欲
しい。
「だけどもう夕方になるぜ、今降りないと夜になっちまう。」
「それについてはその場しのぎの考えがあるわ。」
「最初からその場しのぎとか言ってんじゃねーよ。」

山肌が固そうだから行けるかなと思った。発破の呪紋式で穴を開ける。雪が凌
げるくらいの穴でいい、じゃないと固くても崩落したら嫌だもの。石の呪紋式
で穴を囲って風よけ、その辺からリュティとユリファラに集めさせた枯れ木を
盛る。そこへ着火の呪紋式を発動。これで簡易の休憩所が完成。
私は死体も見えない、臭いも届かないくらいの場所まで離れてその作業を行っ
た。事前にサラーナに記述させた薬莢が役に立ったわ。
「ああ、暖かい。」
「これ楽しーな!」
ふふん。お子ちゃまね。
目を輝かせて焚き火に手を翳すユリファラを見て勝ち誇る。いや、何を勝ち誇
るのかは疑問だが、単純に喜んでくれているのは嬉しい。
「それで、暖を取る為だけに準備したわけじゃないんでしょう?」
「ええ。試してみたい呪紋式があるのだけど、あそこじゃ記述も思うように出
来ないなって思って。」
「そんなところだろうと思っていたわ。」
「あたしは休めて良かったよ。さみーし、何より疲れる。」
顔が少し曇ったのは、疲れたのは心だからかも知れない。誰だってあんなとこ
ろで自分を保つのは、酷く疲れるだろう。
「さ、記述するか。」
考えてもしょうがない、今は出来ることに集中しよう。

「暗ーな。もう少し明るい呪紋式はないのか?」
短剣の先に灯る明かりを振りながら、ユリファラが文句を言う。
「そんな便利なものは無いわ。」
記述を終えて戻っているのだが、周囲はすっかり暗くなってしまった。
「何処かの兵が動いている可能性を考えれば、明るく無い方がいいんじゃなく
て?」
この危険な状態では可能性は低そうだけど、リュティの言う通り無いとは言え
ない。
「言われてみりゃそーか。」
夜になったからと言って状況が緩和される事も無い。気温も下がったし、何よ
り大気に充満した悪臭は精神を疲弊させる。
「見つかるよりましね。」
話している間に私たちは、目的の石柱へ戻ってきた。何か話していないと気が
滅入りそうなので、他愛ない会話でも今の私たちにとっては必要だった。
「で、早速試すんだろ。」
「その為に来たんだしね。」
紅月に薬莢は既に籠めている。私は言うと石柱に向けて引き金を引いた。闇の
中に浮かぶ呪紋式の白光は瞬き、消えていく。相変わらず石柱に変化は無いが。
私は右足を蹴り上げ<六華式拳闘術・華巖閃>を放つ。
「凄いわ・・・」
「やったじゃねーか。」
鎌鼬により石柱の角が切断され滑り落ちるのを見て、二人が歓喜の声を上げる。
それに比べ、私はそれほど喜びは出てこなかった。
「もう、使われる事もないわね。」
「此処に関してはね。」
リュティも晴れない顔で言った。凄く複雑な気分にしかなれない。
「どうしたんだよ、上手くいったんだろ?」
浮かない私とリュティにユリファラが怪訝な顔をして言った。
「そうね。」
リュティはそれだけ言って、微笑を浮かべて見せるが何時ものようには笑えて
いない。
私は諦めて帰れば良かったの?
次の危険を放置して?
未来の事なんて知った事じゃないのに?
私が壊す必要も使命も無いのに?
お店続けていたいだけなのに何をしているの?
こんな他国の山脈まで来てやる事?
何で関わってしまったの?
どうして私は壊そうなんて考えたの?
試してみたい?馬鹿じゃないの。
「おいミリア!」
呼ばれて現実に意識が向くと、ユリファラが心配そうに見上げていた。
「どうしたんだよ、そんな恐い顔して。」
恐い顔?そう、きっと私が恐いのはこの先の自分だ。
忌々しいアラミスカ家の式伝継承。そこに存在した知りもしない呪紋式。呪紋
式を解除する呪紋式は一つでは無かった。それに頼ってしまったのが腹立たし
い。加えてこの状況だ。リュティもそれを悟ったからこそ、手放しで喜べない
のだろう。
「疲れたのよ。それに、石柱を壊したからといって何か解決するわけではない
わ。」
「そうだけどよ、今後使われる危険は無くなったじゃねーか。」
「そうね。」
此処に関してはね。という言葉は飲み込んで曖昧に笑った。
「ところでリュティは何がしたかったの?私は勝手に壊してしまったけど。」
リュティは一瞬戸惑いを見せたが、少しだけ吹き出して笑った。
「今更じゃない。私の目的なんてお構い無しに壊しておいて。」
「まあ、そうだけど。」
なんか腑に落ちない。
「いいのよ。良くて発動させずに封印、それが目的なのだけど壊れたのならい
いわ。」
それならそれでいいけれど、リュティの組織がそれで納得するかは分からない。
この呪紋式を手に入れようとしていた奴らからは恨まれるかもしれない。まあ
それは、知った事じゃない。
「粉砕して、此処は早く離れましょう。出来れば夜に紛れてエカラールに戻り
たいわ。」
「あ!だよな、あたしら見られてるもんな。」
そう、山脈間道に入った時に、おそらく軍人だろうけどターレデファンの検問
所に居た奴らに見られている。呪紋式が発動したせいで警戒しているだろうか
ら、夜が明けたら厳しい。
「それに、夜が明けたら間道に繋がる国が全て動き出すんじゃないかしら。」
「そっちの方がやっかいね。」
いや、どれも厄介だけど。

夜のうちに何とかモフェグォート山脈から抜け出した。あの大穴を抜けるのに、
絶壁に当たった時は失念していた事に嫌気が差した。間道を下り検問所が近付
いたらまた山登り、昨日から行動し続けていたのと寒さで身体の疲弊が激しい。
夜の山肌移動は本当に怖かったわ。
「空が白んで来たわね。」
山脈から降り立ち、東の空に目を向けたリュティが言った。私も見ると薄らと
明るくなっている。曇り空だからまだ暗いが、晴れていたら降りる前に明るく
なっていたかもしれない。
「うー、疲れた・・・」
ユリファラの顔にも明らかに疲労が浮かんでいる。
「だから帰っていいって言ったのに。」
「別に後悔はしてねーよ。」
ユリファラは笑顔で言うが、疲れは隠せないようだ。
「家に来て休むかい?」
間を計ったように突如聞こえた声に私とユリファラが構える。声の主はユエト
リエリだった。服を着替え、血も残っていない。身形を整えたユエトリエリは、
いけ好かないが見た目だけならかなりの美少年に見える。
「付けていたの?」
「そんな事はしないよ。僕だって恐いお姉さん達に睨まれたくないしね。」
よく言う。
「ユーリはカリメウニアに住んでいたのではなくて?」
リュティの問いにユエトリエリは何かを思い出し、頬を膨らませた。むかつく。
その仕草が。
「そうなんだよ。ザンブオンが不穏な動きを始めたから念のため、カリメウニ
アの家を使っていたんだけどね。奴ら容赦なく焼き討ちに来てさ。」
まったく可哀想だと思わないが、ザンブオンの強行は他人事だがそこまでする
かと思わされた。他国に侵入してまで暗殺なんて危険を侵す、そこまでしてあ
の呪紋式を手にしたかったわけだ。
「ザンブオンの家には行けないから、しょうがなくエカラールの家に避難して
来たんだよ。外れの一軒家だから、休めると思うよ。」
どれだけ家を持っているんだ。金持ちか。
「警戒しなくてもいいよ。僕にとっては事を構える理由も無いし。」
そんな事は言われなくても想像は付くが、単にこいつが好きになれないのよね。
かと言って今からホテルに戻るのもな。そう思ってリュティに目を向ける。
「私は構わないわよ。ただ不信な行動をしたらエカラールの家も無くなると思
った方がいいわ。」
「もうリュティは恐いな。そんな事しないって。」
「ユリファラは?」
「構わねーよ。どっちかってーと早く休みてー。」
「決まりだね、案内するよ。」

確かにその家は町の外れだった。周りに家が無いわけでは無いが、歩いても数
分はかかるだろう。家の中に案内され入ると、暖炉に火が灯っていて暖かかっ
た。疲れて冷えきった身体が暖まり始め、一気に疲労感が増してくる。
「珈琲と紅茶どっち?」
「紅茶。」
「あはは。さっきまで警戒してたとは思えない遠慮の無さだね。」
三人揃って同じ事を言った私たちに、ユエトリエリは笑うとそう言った。屈託
のない笑顔は山脈に居た時とは違い、嫌みも感じなく腹は立たなかった。出さ
れた紅茶は身体の中から暖めてくれる。それとむかつく事に紅茶が美味しい。
「で、壊れた?」
同じテーブルにユエトリエリも着き紅茶を飲みながら聞いてくる。悪戯っぽい
笑みを浮かべて聞いてくるその姿は、やっぱり腹立たしいわ。
「知らないわ、自分で確認してくれば。」
「冷たいな。」
そう言うが笑顔は自然に見えたので、そこまで興味は無いのかも知れない。石
柱に関しては別に隠す事でもないのだけど、こいつには素直に答えてやりたく
ない。
「まあどっちみち確認の必要はあるから、答えなくていいけどさ。」
じゃあ聞くな。
「朝から騒々しいのう。」
その時別室の扉が開き、老人が現れた。髪も髭も白く無造作に伸ばし放題に見
える。浮浪者だろうか。
「いい様ね、グベルオル老。」
「また会えたかと思えば冷たいのう。」
グベルオルは顔を綻ばせながらそう言った。ユエトリエリと同じ組織なのだろ
う。だがそれよりはっきり分かった事がある、このジジイは関わり合いになり
たく無いという事だ。
「今回もお主が来たのか。しかし面目無い、油断しておったわけじゃ無いが、
相手が上手だったんじゃ。」
「あなたの言い訳なんてどうでもいいわ。それに私は私の意思で来たのであっ
て、アン・トゥルブは関係ないの。」
リュティは冷たく言い放った。どうも組織の人間が絡むと、普段見ない姿を曝
け出すようだ。それも、相手に関係なく棘があるように感じる。何の理由でそ
うなのかはどうでもいいが。
「そちらの別嬪さんがアラミスカのか?」
「死にたく無かったらその名前は二度と私の前で口にするな。」
グベルオルがアラミスカの名を口にした事で、私は睨み付けて言った。
「初対面だというのに容赦のない娘っ子だのう。」
グベルオルは肩を落としながら言う。寂しい老人でも気取っているのだろうか。
もしそうならかなり鬱陶しい。しかし、扱いは間違っていなかったようだ。面
倒なので関わりたく無いから丁度いいわ。
「ミリア言い過ぎだって。」
そこでユリファラが要らぬ気遣いをする。
「おぉ、優しいお嬢ちゃんじゃな。」
「おいジジイ、あたしに近付くんじゃねーよ。」
ん、気のせいだった。笑顔を取り戻したグベルオルがユリファラ近付こうとし
て、聞いた途端石像と化した。
「あはは。本当に面白いね。グベルオル老を黙らせるとか、リュティとミサラ
ナだけかと思ってたよ。」
お前らの関係なんてどうでもいいけれど、暖かい場所と紅茶には感謝ね。大分
身体も休まったし、落ち着けたわ。この後に来るのは眠気と分かっている、だ
からその前にホテル戻らないと。
「休ませてくれた事には感謝するわ、ありがとう。」
「なんだ、もう行っちゃうの?もう少しゆっくりしていけばいいのに。」
私の言葉から悟って、ユエトリエリが残念そうに言った。
「夜通し起きていたから、ホテルに戻って寝たいのよ。」
「そっか。そうだね。」
ユエトリエリはそう言って椅子から立ち上がる。話しは通じ易くて助かるわ。
「一つだ聞いていい?」
私たちも椅子から立ち上がったところで、ユエトリエリが興味深そうな顔をし
て私に言った。
「なに?」
「アン・トゥルブに入らない?」
「ちょっとユーリ!」
組織への勧誘を、私の返事より早くリュティが咎める。何となくリュティが私
に近付いた理由が分かったわ。
「聞くくらいいいでしょ。」
と言ってユエトリエリは頬を膨らませるが、睨んでいるリュティの視線は緩ま
ない。
「嫌よ。」
そして私の答えも決まっている。そんなものに属する気なんてさらさら無い。
「残念。」
全然残念そうに見えない笑顔のユエトリエリは、それだけ言って玄関の扉を開
けた。
「また会うことがあったら宜しくね。」
「しないわよ。」
家を出た私たちに向けたユエトリエリの言葉を、私は振り向かずにあしらう。
悪い奴では無いと思うが、関わる気はまったくない。
「あー、疲れた。」
「まあ、身体が暖まったのは良かったわ。」
「だな。」

ホテルに戻る際に見た町の光景は、無被害とは言えなかった。間道から離れて
いるとはいえ、損壊している建物が目に付く。道路も隆起や陥没している箇所
もあり、衝撃の強さを物語っているようだった。その光景を無言のまま私たち
は移動した、口を開かないのは昨日からの疲弊の所為だけじゃ無い気がしなが
ら。
ホテルに戻った私は早速麦酒を開けた。朝から飲んでいる事になるけれど、気
分は一仕事終えた後の解放感。言うまでもなく急激に襲ってくる眠気。
凄い疲れたわ。
既に思考が回ってなくぼんやりそんな事を思って、直ぐに意識が無くなった。



ロンガデル高原はナベンスク領からモッカルイア領に続く広大な高原だ。山を
越えたロググリス領側は、岩場が多く地形も悪い。そのためナベンスク領が放
牧や農作に恵まれているのを目の当たりにしても、開拓しようという者は現れ
ない。領間の往き来を可能にするための公道は整備されているが、ロググリス
領に入ると景色は一変してしまう。
その境になっているのが国境だが、過去の諍いもあり国境には砦が築かれてい
る。領間を分断するように築かれた砦は、メフェーラス国からナベンスク領へ
の侵攻を阻む為に建設された。ナベンスク領が落ちれば危険に晒されるアンテ
リッサ国も、当然砦の建設に協力している。
当時分裂した各国は、メフェーラスは衰退すると考え懸念程度の意識だったた
め、実際に使う事になるとは考えてもいなかった。それもあって砦と言っても
監視程度の機能しか持っておらず、防御の要としては使えないのが現実だった。
銃火器には耐えられても、大砲等を持ち出されれば耐えられる物でもない。
ただメフェーラス国もそれほどの重火器を、現在のところ投入してきていない。
それは低国力もあるだろうが、国としての統制不足もあった。三国連合として
は登ってくるメフェーラス国軍を牽制するだけで追い返せるため、砦はまだ体
裁を保っているが、日に日に増す攻勢に落とされるのも時間の問題になってい
た。
「ヒャルア将軍は正面から叩いてくれればよい。相手を追い返す程度にな。連
合の指揮官とは話しが付いているが、都度連絡をとり臨機応変に当たれ。」
「はっ。して顧問殿はどちらへ?」
「儂か?ちと様子見にな。」
ハイリはヒャルアの疑問に曖昧に答えると、不敵な笑みを浮かべる。
「それより執政統括の小僧からあった指示はどうなっている?」
「滞りなく展開が完了しております。現在宿営の準備段階です。」
「ま、この戦争が終わるまでの間だからな、領内とはいえ気を抜かぬ事だ。」
「了解しました、向こうの隊長にも改めて念押ししておきます。」
「うむ。」
ハイリは頷くと顎に手を当てて考える仕草をする。ヒャルアは続く言葉を待っ
ていたが、直ぐにハイリからは出てこない。何か懸念があるのだろうかと気に
なり、問おうとしたところでハイリが顎から手を離した。
「儂はあっちで待機している事にしてくれ。」
「先程話した場所ですか?」
「そうだ。それと、精鋭で体力のありそうなのを十人ほど借りたい。」
ハイリは頷くと、鋭い眼光をロググリス領の方へと向けた。ヒャルアはそれを
見て様子見の事だろうと思うが、向かうのはロググリス領内だなと思うと止め
られない諦めと、止まらない呆れが若干湧いてきた。
「それは構いませんが、無茶はなさらないでください。」
「分かっておる。」
余計な事は付け足さなくていいとばかりに、ハイリはヒャルアに向かって手を
振った。



「北方連国が遠いとはいえ、あれを手にしたのであれば脅威となるだろう。我
が皇国も対抗するべき時だろう、なあ宰相殿。」
国皇の執務室でギネクロアは、不満を受け流していた。頬杖を付き不機嫌丸出
しの表情で言う、国皇フィデムグートへの憤りを抑え込みながら。事有るごと
に呼ばれては飽きもせずに同じ話しをされるのを。
「今少しお待ち下さい。」
「聞き飽きたな、毎度同じ言葉では芸にもならんぞ。」
聞き飽きたのはこちらの方だと思いながら、ギネクロアは平静を装う。同じ答
えなのは同じ質問をするからだろうと。北方連国の詳細は未だに聞こえて来な
い、この状況で何故手にしようと思えるのか。下手をすればこのダルッキスカ
が無くなる危険を孕んでいると、考えるのが普通の発想なのだから。
「呪紋式の解析に時間が掛かっております故。」
「宰相殿は受け継いだだけで、内容は知らんと?」
「残念ながら使用した事も、効果についても記録にありません。」
過去に発動した事が有るのならば、残さない方が不自然だ。発動させて記録も
残さずこんな危険な存在を継承させる家系なら、とっくに絶えているだろうと
ギネクロアは思っている。
「仕方がない、今少し待とう。試しに発動、というわけにもいかんしな。」
「はっ。ありがとうございます。」
ギネクロアにとって救いだったのは、危険という認識をフィデムグートが持っ
ていた事だ。発動してみれば判るなどと言うような王なら、バノッバネフ皇国
も残りはしないだろう。ただ危険を認識しているのならば、あれに関しては政
策から除外して欲しいものだと思いながら、ギネクロアは国皇の執務室を後に
した。



「城館前には昨日の被災者が救援を求めて集まっています。」
「一部を解放して受け入れろ。物資が必要な者についても渡してやれ。議長殿
から許可は得ている。」
「分かりました。」
ベナガハの指示で、フラガニアは城門の方へと走っていく。
「人が足りん・・・」
ベナガハは険しい顔で言いながら、市内への救援部隊を編成する為に兵舎へと
向かう。インブレッカを含む山脈へ向かった部隊の捜索は、明け方に編成して
送り出している。昨日、偵察に出した者の報告によれば、助かっている可能性
はかなり低いだろうと思いつつも。
「せめてゴスケヌでも居れば手分けが出来たのだが・・・」
おそらく助かってはいないだろうと思っても、手の足り無さにベナガハは愚痴
を漏らした。だが自分よりも状況が悪いゴスケヌの名前を出した事を自嘲する、
自分はまだ生きていて動けるではないかと。
それでも人手が足りない事には変わりが無いし、苦労が減るわけでも無い。体
力を使う住民対応はフラガニアが行っている。
市内の損壊した建屋の数は不明で死傷者の数もはっきりしない。未だに鎮火で
きずにいる火事もある。混乱はもっと広がるだろう。
「体制の変更が早急に必要だな。」
兵舎の扉に手を掛け、ベナガハはそう言うと扉を開けた。救援部隊を出したら、
直ぐにでも取り掛かろうと決意して。



疲れた所為で夕方まで寝ていた私は、起きると部屋の備え付けの冷蔵庫から水
を取り出して飲んだ。麦酒を飲もうと思ったが、シャワーを浴びてからにしよ
うと思ってシャワーを浴びる。
(そう言えば、ホテルに戻った後の話しはしていなかったな。)
と思ったが皆寝るだろうと考えれば、どうせ帰るのは明日になるだろうし、今
夜はゆっくりしようと思った。
シャワーを浴びたあとは予定通り麦酒を口にする。する事も無いのでテレビを
点けると、当然内容は昨日の地震が話題の中心だった。ターレデファンの首都
であるランデファンでは影響がないけれど、エカラールの被害が大きいと言わ
れている。
そりゃそうだろう。ただ、原因については何も語られていない、憶測だけだ。
モフェグォート山脈に続く間道は封鎖されているのだから、知りようが無いの
だろう。報道されるとすれば、国が発表した時だろうが、ターレデファンが絡
んでいないのなら北方連国の所為になるんだろうなと思う。
エカラールの住民から聞いた話しでは、空に光る呪紋式が確認されたと言って
いるので、原因の話しもそれに的を絞るだろう。となれば、追及も誰が発動さ
せたかになり、何れはオーレンフィネアの二の舞になる可能性が高い。
そんな事を考えていたら、小型端末に文書通信が届いた。内容を確認すると、
ユリファラから晩御飯を食べに行こうという誘いだった。特にやる事も無いし、
美味しいものが食べられるならと承諾する。エカラールに調査で滞在していた
ユリファラなら、色々お店を知っているだろうなと思って。
ホテルのエントランスに集合する事になったが、小型端末を持っていないリュ
ティは部屋に呼びに行くしか無かった。面倒。
そう言えば何で持っていないのか聞いた事が無かったわ。今後の事を考えれば
持ってもらった方が良いわね。今まではそれほど気にならなかったが、お店を
手伝ってもらうならやっぱり有るに越した事は無い。
「小型端末持ってよ。」
エントランスに集まり、ホテルから出ながら私はリュティに早速言った。
「使い方がよく分からないもの、私はいいわよ。」
「何時の時代の人間だ。無い方が不便なのよ、今後は持ってもらうわよ。」
「いいじゃん、そしたら連絡先交換しよーぜ。」
笑顔で言うユリファラに、リュティが微笑に困った色を混ぜて向ける。
「どうしていいか分からないのよ。」
「はい、じゃあお店の方針として持たせます、決定。」
「うは、強引だな。」
「お店が暇な時に使い方は覚えてもらうわよ。」
「強引過ぎじゃないかしら。」
完全に困り顔になったリュティをからかいながら、私たちはユリファラの案内
でお店に入った。テーブルへ案内され椅子に座ると一人増えていた。
「何故居る・・・」
「げ、いつのまに・・・」
私とユリファラが気付いて同時に言う。
「いや、お礼を言おうと思ってね。ホテルに向かったら丁度出てきたところだ
ったので、こっそり付いて来ました。」
「だったらその場で言えばいいでしょう。」
相変わらず笑顔で言うユエトリエリに私は冷たい目線で言う。
「寒いじゃないですか。」
うん、こういう奴はまともに相手をすると疲れるわね。
「はい、じゃあお疲れ。」
頼んだ飲み物が来たところで、グラスを掲げて飲み始める。ユエトリエリがこ
の場に居る事についての言及はもういいや。
「あのジジイはどうした?」
「グベルオル老ですね、ナベンスク領に戻りましたよ。彼の担当は元々あっち
ですしね。」
ユリファラの問いにあっさり答えるユエトリエリ。あのジジイはどうでもいい
がナベンスク領と言えば、今戦争中だったわよね、確か。
「それと僕は北方連国から解放され、一度モーメルリーエンに戻る事になりま
した。ミリアさんのお陰でね、ありがとうございます。」
そのモーメなんとかは知らないけれど、お礼を言われる筋合いもない。
「見てきましたよ。出来た穴の中はターレデファン、カリメウニア、ザンブオ
ンの兵が居て大変だったけどね。」
わざわざ行ったのか、律儀な事ね。
「さっさと引き上げて正解だったな。」
「本当よね。」
焚き火でもして一晩過ごしていたら大変だったなと思って、ユリファラに同意
した。
「だけど僕ら、五百年も何をしていたんでしょうね。」
「ええ、馬鹿らしく思えて来たわ。」
ユエトリエリが苦笑して言うと、リュティが溜め息混じりに続いた。あれを壊
すのに五百年か、ちょっと想像がつかない。百年も生きられない私にとって、
考えられないわ。
「まじか、五百年ってどんだけだよ・・・」
「あはは。本当だよね。」
そう言って笑うユエトリエリは、屈託のない笑顔に見えた。まるで何かから解
放されたように。
「それじゃ僕は帰るよ。」
「あん、もう帰んのか。」
「お礼を言いに来ただけだし、これ以上恐いお姉さん達の邪魔はしないように
しないと。」
「ああ、なるほど。」
おい待て。誰が恐いんだ。ユリファラも何を納得してやがる。
「そうそう、僕はミサラナよりリュティ派だから。」
ユエトリエリは最後にそれだけ言い残して去っていった。
「派って何よ・・・」
呆れたとも何とも言えないような顔でリュティはそれだけ呟いた。ミサラナは
誰か知らないけれど、恐らく組織の人物だろう。そんな事より。
「あいつただ飯食って逃げたわよ。」
「あ、やりやがったな。」
私の言葉にユリファラも気付いて楽しそうに声を上げる。リュティは苦笑して
いたが、私は許さん、今度取り立ててやる。
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