紅湖に浮かぶ月

紅雪

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紅湖に浮かぶ月4 -融解-

5章 波乱の幕開

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「妥協をせず生きる人間等居ない。故に、妥協は人の摂理と言ってもいい。」


目を開けると飛び込んで来たのは木目だった。何故か、台所に在るテーブルが
木製だから。麦酒の缶は何時も通り手が離してなく、握ったままだった。いつ
の間にか寝たというのは分かるが、正確な時間は覚えているわけなどない。
身体を起こすと左肩の痛みに顔を歪める。
(くそっ、あの変態女め・・・)
痛みから思い出し内心で悪態を付くと、時計に目を向ける。午前の三時とか中
途半端な時間に目覚めてしまった。
(そう言えばリュティが居ないな、一緒に飲んでいたのに、私が寝たから帰っ
たか?ま、いいけど。)
ぼんやりそんな事を考え、手に持っている缶から残っていた麦酒を飲み干す。
(薬莢の記述でもするか。)
痛む全身に恨みを向けて、紅月で痛み止めを撃つと作業場に移動する。一つだ
け記述済みの大型薬莢を目にして、もう一発描いてみるかという気になって台
の前に座る。複雑で時間は掛かるが描けない呪紋式ではない。大型薬莢である
必要も無い気がするが、リンハイアの思惑としては遠距離から撃ってなるべく
遠くに結界を張りたいのだろう。
それはいいが、何れその大型遠距離呪紋式銃は攻撃にも使われるようになる。
未来の懸念をしているのだから、当然その危険を孕んでいることも承知の上だ
ろう。それでも使用しなければならない危険が迫っているからこそ、敢えて銃
の開発をして嫌がる私に無理矢理にでも記述させようとしたのだろう。
癪に障るが私だってそんな未来を望んでいるわけではない。お店が無くなった
ら、何の為に手を血に染め人を殺してまで生きているのか分からなくなるもの。
自分の気持ちが矛盾しているのも分かっている。リンハイアへの拒絶も変わら
ないし、人死にに加担したくもない。戦争なんか勝手にやってろと思う。
それでも私はこうやってリンハイアの思惑通り動いてしまっている。リンハイ
アの考えは多分正しい、為政者として当然の考えなのだろう。でも巻き込まな
いで欲しいと思っている。
記述は一発目よりも順調に進んだ。そりゃ一度描いているのだから当然と言え
ば当然なのだが。ただ、この呪紋式がどれ程の効果が有るのかは分からない。
リュティならば知っているかも知れないが。呪紋式に対する結界なんて、今ま
で考えた事もない。
!?
呪紋式に対する結界!?
まさか、メアズーに呪紋式が殆ど効かないのって。いやでも、あの変態女が小
銃を使っているのを見たことがない。もしかすると、身体強化のように一定時
間効果が有るものだとすると、戦闘前に撃っていれば有効だ。
私は呪紋式に精通しているわけではない、そういう効果の呪紋式が在っても不
思議ではない。現に今、薬莢に記述しているこれもそうなのだから。
この仮定は可能性の一つとして考慮する必要がある。ボルフォンに行けば否応
なくメアズーと対峙する事になるのだろうから。リュティにも確認した方がい
いわね。もっとも、自分を受け入れない私に教えてくれる可能性は少ないが。
色々と考えているうちに、記述は終わりを迎えていた。時計を見ると六時にな
る少し前。
(ボルフォンに向かう前に、一つ試してみようかな。)
「此処に居たのね。」
「っ!?」
突如、背後から掛けられた声に吃驚して身体が跳ねる。それにより左肩の傷が
痛み、苦鳴が漏れた。私は振り返り声の主、リュティを痛む肩を抑えながら睨
んだ。
「ごめんなさい、そんなに驚くとは思わなかったのよ。」
「まあ、いいわ。それより早いわね、まだ六時よ。」
私は言いながら作業台に向き直る。出掛ける前に試しておきたい事があって。
「ミリアこそこんな時間から作業台に向かっているなんて珍しいわよ。」
余計なお世話よ。話しが出たのも、決めたのも、遅いのだだから時間が無いの
よ。もう一つやりたい事があるけれど、それは移動中でいいわ。
「朝御飯用意するわ。食べるでしょう?」
「うん、ありがと。」
背後で何時もの微笑を浮かべているような気はするが、見る必要もないので背
中に返事をしながら準備をする。やがて背後の気配が消えると私は記述に集中
した。
半分程終わったところでリュティがまた作業場に表れる。ご飯早いなと思って
時計を見ると七時半だった。もうそんなに経っていたのか。
「出来ているわよ。」
「食べる。」
台所に戻りテーブルに着くと用意されたものを口にする。クロワッサンを割り、
間にハム、卵、レタスをいれたサンド。うん、美味しい。
「本当にボルフォンへ行くの?」
コンソメスープで流し込んで私は頷く。
「そう言ったからねぇ。心の何処かで行くなと拒絶している部分もあるけど、
行きたい、行かなかったら後悔すると思う方が強いのよ。」
何でそんな事を思ったのか、思っているのは分かるのに、思った理由は分から
ない。
「また連日閉店ね。」
そうだ。いや。
「リュティも行くの?」
「当然でしょう。一人で行かせないわよ。」
ま、そうだよね。
「出来れば司法裁院の期限前には戻りたい。その頃に戻らないと薬莢の依頼も
間に合わなくなるし。」
出来れば受けた仕事を反故にすることはしたくない。まあ、阿呆裁院はいいと
して、お店での信頼を崩したくはない。今後の展開を考慮するならば尚更。生
きて帰れたらだけどね。
「そういうところは真面目よね。」
「他が真面目じゃないみたいに言うな。」
開店時間は不定期だし、休店日もあって、麦酒をよく飲んで抜けていないのに
開店。まああまり否定は出来ないけれど。
「そんなつもりで言ったんじゃないのよ。」
「分かってるわよ、ご馳走さま。さて、続きをやるわ。」
私は言うと椅子から立ち上がって、作業場に戻ろうとする。
「何時に出るの?」
「そうだなぁ、多分九時半くらいね。」
「分かったわ。」
一旦足を止めて私は答え、リュティが頷くのを確認して作業場に移動した。今
途中の記述が終わる予定は九時くらいだから、準備をしていたらそのくらいの
時間かなと考えて。



「昨夜クノスから報告があり、カーダリア枢機卿のご息女ユーアマリウ嬢と、
ラーンデルト・フェーヌコリウ卿を救出したそうです。」
グラスに伸ばした手を途中で止めて、アリータの報告にリンハイアは険しい顔
をする。
「間に合わなかったか。」
リンハイアの漏らした言葉が、重く部屋の中に落ちる。
「はい。既にアーリゲル卿はボルフォンに向かった後でした。いまエリミアイ
ンが追っています。それと事後報告になりますが、クノスもボルフォンに向か
わせました。」
アリータは窺うようにクノスの件を報告した。昨日、クノスから連絡があった
時、リンハイアは会議で不在だったため独断で判断したのだが、その事を気ま
ずそうにしながら。
「そうか。」
リンハイアは頷くと何時もの微笑をアリータに向ける。時間が鍵になり、人手
は少しでもあった方がいいだろうというアリータの判断だったが、リンハイア
の態度を見る限り肯定しているようだったので安堵した。
「それと、二人とも断り切れず、ユーアマリウ嬢とラーンデルト卿も同行して
いるそうです。」
続けてアリータはもう一つの懸念を口にする。
「土地勘が無い二人にとっては助かるだろう。身体の心配はあるが、二人の助
力は有り難く頂いておこう。」
「はい。」
ボルフォンで起きている事態は不安しかないが、それを防ごうと向かう彼らに
リンハイアもアリータも遠くから期待を寄せるしかなかった。今はその同行に
注意を払っている彼らを気にする事しか出来ないが、そればかりを懸念してい
ても仕方がないと、アリータは次の報告に移る。
「ペンスシャフルの方に変化はありません。それとユリファラですが、明日に
は戻って来ますが如何いたしましょうか。」
「休ませておいていい。」
一瞬考えたリンハイアだが、それだけに留めた。今後の展開次第では、バノッ
バネフ皇国に置いておくのも危険だと考え。
「わかりました。それと内部の話しではないのですが、ミリアさんから連絡が
ありました。」
予想外だったのだろう、リンハイアが怪訝な表情を見せて直ぐに曇らせる。そ
れは取り乱したミリアを目の当たりにしたからだろうとアリータは思った。
「二発だけ、今日オレンティアまで持ってくるそうです。」
リンハイアはその報告に一瞬驚きを見せる。
「ボルフォンに行くついで、だそうです。」
「彼女に一体何が。」
リンハイアの疑問ももっともだった。アリータも連絡を受けたとき驚きを隠せ
なかったのだから。ただ、リンハイアがここまで感情を露わにするのも珍しい
と思わされた。世情でもそれ程変化を見せないリンハイアが、個人の事で変化
するのはあの時の後悔からなのか、それとも何か特別な理由があるのか。そこ
まではアリータに分からない。
「二発と、言ったか?」
「はい、本人曰く。昨日試に描いて、今朝もう一度描いてみただけ。故に二発
しか出来ていないが受け取っておけ。と、言っていました。」
それを聞いたリンハイアが苦笑する。
「恐ろしいな。カマルハーはまともに出来ているのが一発だそうだ、昨日の夕
方時点でな。しかし、今の時点でボルフォンに向かうとは、彼女は引き寄せれ
られているとしか思えない。」
「そうですね。」
微笑を浮かべて言うリンハイアに、アリータも同意以外は無かった。本来なら
会う事も無いであろう一国民に、アリータは奇妙な運命を感じつつその張本人
からの伝言がまだ在った事を思い出し、リンハイアに視線を向ける。
「それと、もう一つ伝言がありまして。」
その言い出しにリンハイアは、どうせろくな事ではないだろうと苦笑した。



この薬莢の記述が必要なのかと言われれば、必要な感じはしない。いや、私に
とって技術としては必要と言えるのかな、勿論知識としても。結局リンハイア
の掌の上になってしまうが、見据える先で無駄にならないのじゃないかと思っ
ている。なら、利用出来るものは利用してやろうと思っている自分がいた。思
考と感情は必ずしも同じ方向を向いているわけじゃないのだけれど。
薬莢の記述を終えた私は、携帯用の記述セットを用意する。普段使用している
呪紋式の記述ならこれで十分だし移動中でもなんとかなる。メアズーと対峙す
るには、補充しておく必要があるけれど後でいい。
部屋に戻り着替えを含め準備をすると台所に戻る。既に準備を終えているリュ
ティがいたが、まさか、此処に置いていたんじゃないでしょうね。
「記述している間に準備をしてきたのよ。そこまで図々しくないわ。」
と不満げにリュティは言った。いつの間にか持ち込んでいる物も在るのだから
疑ってもいいじゃないか。ま、いいけれど。
「さて、行きますか。一度アーランマルバに寄るわよ。」
家を出て玄関の扉に鍵を掛けながら言った私に、リュティは怪訝な顔をして見
据えてくる。何よ。
「まさか、アンパリス・ラ・メーベでお茶をしてからとか考えているのかしら
。」
「いくら好きだからと言って、こんな時までそんな悠長な事はしないわよ。」
まったく失礼な事を。まてよ、実はリュティが期待して私を山車に使ったんじ
ゃないのか。そう思って横を歩くリュティに目をやると、顔を反らした。
「お店はどうしたのかしら?」
しかも話しを反らしやがった。
「閉店の札を下げっぱなしよ。面倒だったのよ。」
二、三日留守にするだけなのだけど、用があって来た人はごめんなさいって事
で。今はそこまで気を回している余裕はないもの。

ロンカット駅から電車に乗り座席を確保すると、早速記述に取りかかる。
「こんな所でまでやるの?」
向かいから呆れを含んでリュティが言ってくる。
「せめて昨夜使った分くらいは補充しておかないと。」
「それを家で記述していたわけじゃないのね。」
「うん。」
リンハイアから最初の記述を受けた後、色々と試して分かった事がある。
「そう言えば昨夜使った爆炎の呪紋式、以前モッカルイアで使ったものと同じ
でしょう?」
「そうよ。」
それが試した結果なのよね。銃はあくまで発動の媒体でしかない。ハドニクス
の件と、リュティが教えてくれた身体強化の呪紋式で概ね予想は付いていた。
昨日メアズーで試して、それは確信に変わった。使用する機会があり、今朝記
述をした呪紋式の効果が想定通りであれば、確定になるだろう。
しかし、死ぬかもしれない闘いで試すとか阿呆よね。自分の行動にぞっとする
わ。
「記述の仕方によっては効果や範囲が限定出来る、それは呪紋式銃でも同じ。
違う?」
記述しながら私はリュティに疑問を投げる。私より精通しているであろうリュ
ティに。
「否定はしないわ。」
言い方が素直じゃないわね。まあいいわ、その答えは肯定という事に出来るわ
ね。
「もう一ついい?」
「何かしら。」
私は考えていた仮定が存在するか確認しようと質問を続ける。
「答える気が無いのなら答えなくてもいいのだけど、呪紋式に対する結界の呪
紋式。」
「それはミリアが記述・・・」
私は言いかけたリュティの言葉を遮り続ける。
「を、無効化する呪紋式が存在するかどうか。」
直ぐに返事が無いので手を止めてリュティを見る。困ったような顔をしてリュ
ティは私を見ていた、その瞳は困惑に揺らいでいる様にも感じる。
「在るわ。」
重たい口を開くようにリュティは声を絞り出した。リュティの考えは分からな
いから、何故躊躇するのかも分からない。メアズーに呪紋式の効果が殆ど及ば
ないのはそうじゃないかと仮定すれば、今の私にとって必要になってくる。
六華式拳闘術だけじゃメアズーを捕らえきれない。私が実力不足なのは分かっ
ているが、認めないとそれこそ直ぐ死ぬだろう。ハイリのような化け物なら拳
だけで制圧出来るのだろうけれど。
しかし、想定内の答えと言える。攻撃に対する防御、そこで終わってはお互い
決定打に欠けるし進歩も無い。だからこそ今度は防御を打ち破る策を考える。
呪紋式にも同じ事が言えるだろうと考えていた。
「で、それを私に教えてくれる気はない?」
私は作業に戻り記述しながら聞く。相手の顔を見て、目を見て話してもその気
が無いなら結果は変わらない。初対面でも仕事でもないのだから。どちらかと
言えば答えを聞く前に分かってしまいそうなのが、嫌だったのかも知れないけ
れど。
「何れ知ることになる気がするのよ。それとも、私が自分と向き合えないうち
は教えられない?」
無言のままのリュティに私は追い討ちをするように問いを重ねる。視線は手元
に向けられているのでリュティの顔は分からない。私の問いはメアズーとの戦
闘で生死を分けるかも知れない、と考えると内容としては卑怯だろうか。死な
せたくないと言う、リュティに対しての聞き方として。
答えは実のところどうでもいい。あった方が良いに決まっているのだけど、無
い物ねだりと変わらない、初めから私にはその資質が無かったってだけの事な
んだもの。
「正直迷っているわ。一緒にいるうちに感化されたのかしら、ボルフォンに行
くことも心配してしまうなんて。」
ああ、つまりお互い様な状況か。リュティは私の思いを尊重する事で、私が嫌
だと思っている方に進む事を危惧するようになったんだね。逆に私は、嫌で拒
絶しているのに吸い込まれるように近付いて行ってる。
「教えたからといって、触れる事には繋がらないとは思うの。ただ、齎された
結果が引き金にならないとも限らないわ。」
「そこまでリュティが考えなくてもいいじゃない?結果はどうあれ、私は受け
入れるわよ。迷惑を掛けるかも知れないけれど。」
私はそう言って顔を上げると、笑顔を向けて見せた。自分でも何故こんな気持
ちになっているのか分からない。ボルフォンで何か起こっても、受け入れられ
そうな気分で、落ち着いている。それは気のせいで、また醜態を晒す可能性も
ある事を含めて。
「分かったわ。」
何時もの微笑に戻ったリュティが、頷いて言った。
「描いている時間は無いから直接見せるわ。ミリアなら、見たら解ると思うの
。」
言ってる意味がわからん。と、怪訝な顔をしている私にリュティが手を伸ばし
てくる。指先の爪が伸び、私の頭を鷲掴みにした。ちょ、待て待て。
「大丈夫、じっとしていて。」
無茶言うな。そう思って身体を硬直させ、拒むようにきつく目を閉じた。
瞼の裏に描かれるように、網膜に焼き付けられるように、脳裏に刻み付けられ
るように、白光の呪紋式が私の中に流れ込んできた。流れ込んで来たというよ
りは、浮かび上がって来たという方が近いだろか。模様、記号、文字が目まぐ
るしく廻っていく。
その光に弾かれるように目を開けた私を、リュティが心配そうに眺めていた。
「何で、こんな事・・・」
呻くように出した声は殆ど言葉にならなかった。悲しそうな表情に変わってい
くリュティの顔を見て、そこから先は今の私に知る事が出来ないと悟る。その
片鱗を見せてしまう事にも、おそらくリュティは躊躇したのだろう。
思い出してみれば、腕を繋げたのもそうなのかも知れない。
「見えたようで良かったわ。」
リュティが寂寥を伴った笑みで言った。これ以上の詮索は出来ないし、応える
事も出来ない。
「ありがと。」
それしか言えない。教えてもらった私に出来る事は一つだけだ。
「早速記述するわ。」
私は言うと、薬莢を取り出し準備を始める。車窓の外に向けたリュティの顔は、
柔らかい表情に感じた。

オレンティア駅に着いた私は電車を降りると、出入口付近で待機する。オーレ
ンフィネアに行くにしても、グラドリア国の中心であるアーランマルバは経由
せざるを得ない。ついでなので此処で人と会う約束をした。そこへ、ブロンド
髪を揺らしながら近付いて来る女性がいる。怪訝な顔をしながら。
「こんなところで何してるのミリア!」
驚きの表情に変わり声を掛けてきた。うん、私が待っているのはこいつじゃな
い。
「ヒリルこそ何してるのよ。」
そう、まさかこんな所で昔の同僚に会うとは思わなかったわ。しかも乗り継ぎ
のついでで降りただけなのに。
「今日は休みだから、一度行ってみたかったエクリアラにね。」
顔には出さなかったが、総合商業施設であるエクリアラは私にとってあまりい
い思い出ではない。
「一ヶ月くらい経ったから行ってみたけど、人が凄くて疲れちゃった。」
まあ、そうでしょうよ。一ヶ月で人が少なくなったら施設としての末路が見え
ているわ。ロンカットでさえ何時でも混んでいるのだもの、王都アーランマル
バに出来たエクリアラは、混んでない時が来る方を想像できない。
「朝から並んで楽しんだし、もう帰ろうかなって。ミリアこそ何で此処に。」
並ぼうと並ぶまいと、あの施設内を歩き回るのは本当に疲れそう。私はそこま
で興味はないので、敢えて行きたいとも思わないのだが。行く人は好きで、そ
こで体力を削られると分かっていても行くのだろう。
「オーレンフィネアに行くのよ。」
エクリアラはさておき、私の目的は別に隠す事でもないので素直に言う。
「旅行?」
だったらいいのだけど。
「仕事よ。」
目的は言えないのでこっちは隠す。生きて帰れるかも分からないけれど、言え
ば面倒だし。
「そっか。大変だね。ランチは?」
何時でも変わらない態度のヒリルを見て、何処か安堵する自分がいた。そんな
自分がよく分からずに苦笑する。長い付き合いでも旧友でもないけれど、私の
仕事に関わらない友人の態度がそうさせたのだろうか。
「今人を待ってるのよ。会ったら直ぐにオーレンフィネアに向かうから、残念
だけどまた今度ね。」
「そっかぁ、しょうがないね。じゃぁ独りでするしかないか。」
と、口だけ尖らせてヒリルは言うと笑顔に戻り、私とリュティに挨拶をして去
っていった。乗り場の方ではないため、本当に独りランチをしに行ったのだろ
う。
入れ替わりで別の人物が私に近付いて来る。腰まである長い黒髪を揺らす、パ
ンツスーツ姿の女性だ。滅多に会うことなど無いけれど、見慣れた姿に思える
のが不思議。
「ごめんね待たせて、忙しいでしょうに。」
「いえ、大丈夫です。」
会釈したアリータにそう言うと、紙袋を渡した。私とヒリルの会話が終わるの
を待っていた事など、言葉の通り気にした風もなく応じると、アリータは紙袋
を受け取る。
「リンハイア様が驚いていました。実は言い過ぎたと後悔していましので。」
へぇ、そりゃ良い事を聞いた。とは言えあいつの事だ、それすら演技である可
能性も考えられる。若しくはアリータが私に気遣ったとか。疑いだしたらきり
が無いから、自分の都合の良いように受け取っておくのがいいわね。どうせ普
段から会うことなどないのだから。
「で、お願いしたことは確認してくれた?」
「使い物になるのであれば可能、だそうです。」
予想通り。私に話した事からも、一発でも需要があるだろうと思った。
アリータに渡した紙袋の中身は、昨日今日で記述した大型遠距離呪紋式銃の薬
莢二発。描き始めてから今の状況まで短時間で変化したため、描いている時間
が無かった。それでも需要から考えればありかと思って、一発単位で依頼料の
支払いが可能か確認してもらっていたのだ。
ま、駄目だと言われても薬莢は渡したけれど。私が持っていたところで使い道
はないし、なにより狭い作業場に置いておくには邪魔過ぎる。というか薬莢薬
莢と言っているが、どちらかと言えば砲弾って言った方が近い気がするわ。そ
う考えれば邪魔で当然よね。
「ありがと、良かったわ。」
「こちらこそありがとうございます。」
アリータは言うと笑みを浮かべて頭を下げた。その笑みはリンハイアに向けら
れているのかも知れないが、私にはどうでもいい事だった。
「さて、用事も済んだし行こうか。」
私はリュティの方を見て言うと、リュティも頷いた。
「本当にオーレンフィネアに行くのですか?」
背を向けようとした私を引き留めるようにアリータが聞いてくる。それを聞い
て来たのはアリータに連絡を取った時、ボルフォンに向かうついでに薬莢を渡
すと話していた所為だろうか。
「そうよ。」
此処まで来てるのだから、その質問は今更な気もするが。
「今あの国は色々と混乱していて危険があるかもしれません、お気を付けて。」
アリータの気遣いに頷いて内心苦笑した。情勢は知らないからオーレンフィネ
アでの危険なんて知らない、ただ危険に飛び込んで行くのは変わらないけれど
と思って。
「良かったら道中食べて下さい。」
わざわざ用意してくれたであろうアンパリス・ラ・メーベの袋を受け取る。
「ありがと。」
私は言って背を向けると、軽く手を振ってリュティとオーレンフィネア行きの
乗り場に移動した。もう既にお昼を廻っているため、中央のセーティオラ・ウ
ヌラト・ロアーに着くのは十五時くらいになるだろうか、ボルフォンに着く頃
には夕方ね。
「移動するだけで1日掛かりね。」
以前、と言っても一ヶ月くらい前に行ったばかりだがやはり遠い。そこにまた
行くことになるなんて考えもしなかったけれど。
「本当にね。」
リュティは相槌を打っただけで、他に何を言うでも無かった。途中にあった売
店でお弁当を買うと、丁度来た電車に私とリュティ乗り込む。
「ところで、リンハイアが依頼してきた呪紋式を、さっき教えてもらった呪紋
式で消す事って可能。」
お弁当を食べながら、存在する以上は避けて通れない疑問を口にする。効果と
して矛盾しているかも知れないが、鼬ごっこには決してならない。何故なら主
目的がそれではない為、意味が無いのだから。
「発現させる目的と効果の差異、後は能力の差になるわ。単純に言うと弱い方
が効果を失う。」
なんとなく予想はしていたが、やはりそうか。私がさっき教えてもらい記述し
た呪紋式ではリンハイアが持ってきた呪紋式に使っても、弾かれて効果を発揮
せず消えるだけだ。
「何を考えているか分からないけれど、万能な呪紋式なんてないのよ。」
「分かっているわ。」
私は頷きながら返事をする。例えメアズーに対する予想が的中していたとして
も、リュティに教えてもらった呪紋式が効くとは限らない。そう考えると、ロ
ンカットでお店を開けていた方が良かったかなと思わないでもない。けれどそ
れは、きっと後悔する。
想定ばかりで明確な対策も思い付かず、私はお弁当に入っていたポークソテー
を咀嚼しながら車窓の外に目を向け、流れる景色を見て電車の揺れに身を任せ
た。



「まだ動きは無いんだ、落ち着け。」
レーディラホテルのラウンジで向かいに座り、落ち着かないユーアマリウとラ
ーンデルトにクノスは言った。チョコレートケーキをフォークで切り取り口に
運ぶと、煙草を取り出して火を点ける。吸い込んだ紫煙は高い天井に向かって
吐き出されるが、その高さから半分も届かずに霧散していく。
「しかし、ボルフォンまで来て、待つだけ、というのも。」
ユーアマリウが顔に悔しさを滲ませて言った。二人とも体力を回復させようと
身体が求めていたのか、それぞれ二人分のモーニングセットを平らげている。
実際もうランチ時間なのだが、切り替わる直前にクノスが先に来て頼んでいた
ものだった。
「動きがあればエリミアインから連絡が来るんだ、無駄に動いてこちらの動き
が知られる方が危険だ。」
とは言うが、エリミアインならこの衰弱した二人を巻き込まずに一人で終わら
せるんじゃないかという思いもクノスには在った。クノスにとってはその方が
楽でいいが、二人は納得しないだろう。
他国の事だからそれでもいいかと思うが、ここまで首を突っ込むとそう割り切
れるものでもなかった。
「ですがユーアマリウ様、私たちがアーリゲル卿と対峙したとして、勢いでボ
ルフォンまで来てしまっただけで止める手立ては無いのではないですか?」
「それは・・・」
ラーンデルトの言う通りだとクノスも内心で同意しながら煙草の火を消して珈
琲を啜る。それはユーアマリウ自身も分かっているようで、言葉が出てこない。
だからこそ、エリミアインは夜が明けると同時に単独で向かったのだろう。い
つ動くかも分からないアーリゲルを待ち続けるだけでも疲弊する。それをこの
二人に強いるわけにもいかない。ユーアマリウ自身は置いて行かれた事に、か
なり不満を表しているが。
「策が無かろうとアーリゲル卿が現れたら、止めても行くんだろう?」
「はい。」
「当然です。」
呆れた表情で言ったクノスだったが、返ってきた視線は真剣な眼差しだった。
ラーンデルトはお嬢様に付いて行くだけだろうが、ユーアマリウのその瞳は何
があっても揺るぎそうには無かった。エリミアインも面倒なもんを拾ったなと
思う反面、自分でもこの瞳から目を反らすのは無理だろうなと、クノスは自嘲
した。
「ま、何にせよ連絡が来るまではゆっくりしていたらどうだ。いざというとき
動けない場合、俺は置いて行くからな。」
クノスはチョコレートケーキを切り取りながら言うと、口に放り込んだ。その
まま二人の方には目を向けず、新しい煙草を取り出し火を点けると大きく吸い
込んだ。
「分かって、います。」
「あ、ああ。」
何処と無くやり場の無い思いなのだろう、ユーアマリウとラーンデルトは落ち
着かずに返事をした。無理も無いが仕方もないと、クノスは思いを乗せて紫煙
を上に向かって吐き出した。



「よくよく考えればよ。」
ボルフォンに着いた私は、駅から出て第一声を顔を顰めて出した。リュティは
そんな私に怪訝な顔を向けて来る。
「メアズーの居場所が分からないわ。」
「そうね。」
真理を付いた私の言葉を、リュティが呆れを含んで流す。
「気付いていたなら言ってよね。」
「此処まで気付かない方がどうかしてると思うわよ。」
うっ。その通りなのだけど。思いに従ってボルフォンに行く事を優先し、どう
やってメアズーを相手にしようかと、そればかり考えていたわ。現地に着いて
からの事なんてこれっぽっちも考えて無かったわ。時間が無かったのも良くな
い、これは言い訳か。
そもそも来いと言うならちゃんと場所を示して欲しいわね、あの変態女。
「此処で立ち往生していても仕方無いわ。」
「そうね。取り敢えず宿泊場所を確保したいわね。」
私は駅に在る案内表示で宿泊施設を調べる。大きな町ではないので、泊まれる
場所も限られていた。どちらかと言えば金持ちや貴族の家が多く、別荘地にも
なっている片田舎という雰囲気のボルフォンは、そもそもそんな設備はあまり
必要ないのだろう。
「一番近い所でここね。」
私は呟くと 、リュティを見る。
「そうね。他は歩いて行ける距離じゃないわね。」
リュティの言う通り他は遠い。公共の交通もよく分からない場所で、敢えて遠
くを目指す意味はない。身体強化して走れば行けそうだが、そこまでして遠く
から攻める意味も無いし。
「取り敢えず行こうか。」
「ええ。」
リュティが頷くのを確認すると、私たちはホテルに向けて歩き始めた。

ホテルの見た目は普通だった。当たり前だが。いや、アイキナ市にある在り来
たりなホテルに比べれば十分綺麗なのだけど。ただ周りがそこまで拓けていな
いので、浮いている感は否めない。
「部屋、空いているといいなぁ。」
私は呟きながら入り口の自動扉を抜ける。かなり高い天井から吊るされたシャ
ンデリアの柔らかい光の中、ふかふかの絨毯を踏みしめ正面の受付へ向かう。
幸い部屋は空いていたので、直ぐに手続きを済ませた。ラウンジでお茶でもし
ながら今後の方針を決めようという事になり、一旦部屋に荷物を置いてラウン
ジに来た。
夕方時で、ディナーを食べ始めている人も見かけたが、私とリュティはケーキ
セットを頼んで空いてる席に着く。
「さて、知らない土地で虱潰しは無謀だしどうしようか。」
「向こうが騒ぎを起こすのを、待つのが賢明なんじゃないかしら。」
「確かにそうなのだけど、間に合わない可能性もあるわよね、それ。」
「とはいえ、他には思いつかないわ。」
そんな会話をして私は溜息を吐くと、レアチーズケーキを口に運ぶ。おいし。
セイロンティーを飲んで、またケーキを口に運ぶ。私はセットで済ませたが、
目の前のスイーツ好きはセットプラスケーキを二つも頼んでいやがる。ザッハ
トルテにベイクドチーズケーキ、オランジェチョコミルクレープ。所謂、本日
のデザートと記された三種類を全部頼んだのだ。少しずつ味わっては紅茶を飲
むリュティ。会話の内容からか、表情は何処か曇っている。
そんなリュティに視線を送っている男が居た。美人なので仕方ないと思うが、
デザートを食べる姿をずっと見ているのが私の視界ぎりぎりに入っている。か
なり鬱陶しい。私もレアチーズケーキを食べる時、一瞬視線を感じたがそれき
りだった。
「知り合い?」
「知らないわ。いい気分じゃないわね。」
聞いてはみたが当然の答えだった。ボルフォンに知り合いが居ない、という可
能性は否定できないが低いだろう。本人も嫌がっているし、そろそろ注意しよ
かな。と思うと私は席を立つ。
「ほどほどにね。」
「分かってるわよ。」
リュティに応えて私は男の方に近づいた。通り過ぎるとでも思ったのか、男の
視線はまだリュティの方に向けられている。
「人の席をずっと見ているなんて行儀が悪いんじゃない?」
私に声を掛けられた事で、男が私を睨むように見る。
「別に何もしてねぇ・・・あっ!?」
「げっ!?」
お互いに一瞬驚いて硬直する。
「なんであんたがこんな所に居るのよ。」
「仕事だよ。お前は旅行か何かか?こっちは忙しいんだから、邪魔すんなよ。」
あれ、おかしいな。確かに話しは噛みあっているから、人違いでは無いと思う
のだけど、リンハイアと一緒に居た時とは雰囲気が違う。
「これが素なんだよ。」
怪訝な顔をしている私に、面倒そうに答えるクノス。うん、確かそんな名前だ
った気がするわ。リンハイアと居る時は一応職務に合わせた態度をしているっ
て事か。ま、仕事をしている人なんて大概そうだろうから、気にするところで
もない。それより。
「それはどうでもいいけれど、なんで人の連れをずっと見てるのよ、気持ち悪
いでしょう。」
クノスはばつが悪そうに目を逸らす。
「お前の連れを見ていたわけじゃない。」
一瞬、自分の手元に視線を落とすと、煙草を取り出して火を点ける。良く見れ
ばクノスの前には、ケーキが乗っていたであろう空皿が三枚ほど置いてあった。
「あ、あぁ・・・」
甘党なのね。理由を知ると脱力して言葉も出ず、ただ呆れ声だけが漏れた。
「な、いいだろ別に。」
私の冷めた目線で察したのか、慌てるクノス。
「そんな事は分かっているわよ、あなたの好みに何か言いたいわけじゃなく、
ケーキを見ていたからと言っても、視線を向けられる方はいい気分じゃないわ
よ。」
「分かってる、それはすまなかった。」
素直に言うと申し訳なさそうにクノスは、リュティの方に向かって頭を下げる。
私もリュティを見ると、いつもの微笑で頷いていたのでこの件はこれで終わり
かなって思い席に戻ろうとする。
「まだ連絡は、ありませんか?」
背を向けて席に戻ろうとすると、背後からそんな言葉が聞こえてきた。何処か
で聞いた事のある声に、歩き始めた私は足を止めて振り向いていた。
「まだ無いんだ。」
クノスがそう返事をした先に立つ女性に私は見覚えがあった。身体は服で隠れ
て見えないが、顔や手先は傷と痣だらけになっている。横に立つ男性も似たよ
うな状態で酷かった。確か墓参りに行ったとき、ユーアマリウと一緒に居たラ
ーンデルトとかいう男性。
「ユーアマリウ・・・」
私は口から名前を発していた。此処に来る前の情報からすれば、ユーアマリウ
は何者かに攫われていた筈だ。という事は助け出されたという事か?リンハイ
アの配下である執務諜員が助け出したと考えるのが正解だろう。だが、他国の
問題に関わって、と考え始めたがすぐ止める。あの執政統括なら何か考えがあ
り、下手な事にはならないだろうと。
「あなたは・・・」
ユーアマリウも驚きの表情で私を見ている。ラーンデルトも覚えていたようで、
その表情は似たり寄ったりだった。私は気付かれた事で、軽く会釈をすると、
二人も同様に返してきた。
「何だ、もしかして知り合いか?」
クノスも驚きを隠せないでいるが、それは私たちが面識がある事に関してなの
だろう。
「世の中狭いな。」
それだけ言って紫煙を天に向かって吐き出す。ユーアマリウが助け出されたと
すれば、事態は変わっている筈。だが、聞いたところで素直に答えてくれると
は思えない。
「リンハイアはユーアマリウが無事だって事、もう知っているんでしょ?」
ここは関係者を装って聞き出してみるしかないと思い、私はクノスだけに聞こ
えるように小さく言った。クノスは煙草を灰皿に押し付けて消すと、鋭い視線
で見据えてくる。
「悪いが仕事に関する事は言えないな。」
思った以上に油断ならない相手だった。伊達に執務諜員じゃないってところか
しら。だとしても私も手詰まりなのだから、ここで引き下がっても振り出しに
戻るだけ。
「座った方がいいんじゃない。見たところ立っているのもやっとじゃない。」
まだ立ったままでいたユーアマリウとラーンデルトに、私は座るよう促した。
正直、病院に送られていても不思議ではない状態の二人が、此処にいるってこ
とはメアズーが関係している可能性が高い。クノスが駄目ならこっちから攻め
るしかない。私は二人が座ったところで、事情を知っている様に装う。
「メアズーがアールメリダの家に来たわよ。」
ユーアマリウに向かってそう言うと、目を見開いて驚きの表情になるが、直ぐ
に平静を装った。
「姉の、知り合い、でしょうか?」
あくまでも惚けるか。次の手を考えていると、横にリュティがやって来た。
「貴女は知っている筈よ、ユーアマリウ。」
リュティの言葉にユーアマリウは目を向けたが、やがて唇を噛むようにして目
を反らした。以前、リュティとメアズーがヴァールハイア家で遇っている事を
思い出したのだろう。
「待て待て、話しが見えねぇんだが。」
クノスが不服そうに会話に割り込んで来るが、私とリュティ、ヴァールハイア
とメアズーの情報までは揃っていないだろう。だったら煽るまで。
「外野は黙ってて欲しいわね。」
私はクノスを一瞥しただけで直ぐにユーアマリウに視線を戻す。
「なっ!お前らこそ急に来て何言ってんだよ。」
噛みついてくるクノスは無視して、ユーアマリウの出方を待つ。どうしても言
いたくないのか、他に理由があるのか分からないが顔を反らしたまま黙ってい
る。
「酷く疲れているんです。尋問のような真似は止めて頂きたい。」
ラーンデルトが庇うように、私とリュティを交互に見て言った。疲れているな
んて問題じゃない、そんな事は一目瞭然だ。
「病院に放り込まれても不思議じゃない状態なのに敢えて此処にいる。拘束さ
れているわけでもない。だったらそれは覚悟を持って来ているんじゃないの。」
私はラーンデルトを見据えて言った。それでラーンデルトも目を反らす。埒が
明かないわね。
「床下の鍵、メアズーが持って行ったわよ。」
鍵かどうか知らないけれど、ザイランから聞いた情報をもとにかまを掛けてみ
る。予想以上にそれは効いた。ユーアマリウは目をきつく閉じ、唇を噛み締め
ると強い意思を宿した瞳で真っ直ぐに私を射抜いた。
「そこまで、事情を知って、いる方が、居るとは、思いません、でした。」
やけに拙い喋り方をするなと思ったが、おそらく拷問が原因なのだろうと思っ
た。以前、墓地で遇った時は普通に喋っていたのだから。
ここでグラドリア国の執務諜員と、オーレンフィネアの枢機卿であったカーダ
リアの娘が一緒に行動している事情なんか知らない。ただ、目的地は一緒だろ
うと想像が付くから、ボルフォンまで来た事を無意味にしないためにも。
「お互い目的地は一緒よね、私はメアズーを追ってきただけで他に興味はない
のよ。むしろ関わりたくもないのが本音ね。」
ユーアマリウは値踏みするように私を見た後、クノスに顔を向けた。
「おいおい、こいつらも連れてけって事か?」
その意図を察して疑問を口にするが、クノスの態度は勘弁してくれと語ってい
た。ユーアマリウが無言で頷くと、クノスは明後日の方向を向いて煙草を取り
出すと火を点けた。何時までもそんな態度でいられると思わないでよね。
「ね、ユーアマリウ。」
「何でしょう?」
私が態度を軽くした事で、ユーアマリウは怪訝な顔をした。
「こいつが何者か知っているでしょ。」
私がクノスを指差して言うと、ユーアマリウより先にクノスが反応する。
「おい待て!」
「何よ。」
慌てるクノスに私は冷めた視線を投げる。
「そんな事をしていいと思ってんのか?」
クノスはそんな私を睨み返して言った。そんな脅しが私に通じると思ったら間
違いね。私は小型端末を取り出してちらつかせる。
「誰かさんが手伝ってくれないから、貴女の上司にはもう協力しないってアリ
ータに連絡しようかな。」
それを聞いたクノスが椅子を蹴倒して立ち上がる。若干顔を赤くして私を睨み
付けるクノスを、ラウンジにいたお客さんが何事かと視線を集中させた。
「嘘だと思うなら連絡先、確認する?」
クノスは憤慨したまま椅子を戻すと座り直して、燃え尽きかけた煙草を灰皿に
押し付けると新しい煙草に火を点けた。
ユーアマリウとラーンデルトは私のやり取りを固唾を飲んで、って言うほどじ
ゃないが行く末を気にして見守っている。まあリュティは苦笑しているのが分
かったけれど。
「分かったよ、同行を認めればいいんだろ。」
クノスは諦めて私の同行を認めたが、全然納得いっていない態度を隠さずに、
天井に向かって勢いよく紫煙を吐き出した。
ふふん。
気分が少し晴れたところでクノスの小型端末が鳴った。どうやら文書通信のよ
うだったが、読んだクノスの表情が引き締まるのが分かった。その態度から一
同は察したが、クノスから確定の言葉が出るのを待つ。
「出るぞ。」
その一言で緊張が走り、破るようにクノスが立ち上がって吸いきれていない煙
草の火を消した。



2.「理性は思考の上に成り立っている。つまり、自分勝手な人間ほど考える事
 が出来ていない。」

日は疾うに落ちて闇が支配する時間。鬱蒼と繁った雑草や樹木がその支配力を
助長する。付近に家屋もないため生活の灯りもなく、頼れる月も星も支配者の
配下であるように厚い雲が遮っていた。時間は二十時を廻ったところ、闇が支
配する刻は始まったばかりで後何時間も逃れる事は出来ない。
(鬱陶しいわね。)
私は雑草を掻き分けながら暗闇の中を進む。既にメアズーはこの丘の上に移動
している筈だ。クノスの同僚から、アーリゲルが現れたと連絡があり直ぐに駆
け付けたのだが、それでも一時間は掛かっている。それに加えこちらには負傷
者が二人いるのだから差が開くのは当然。
と、現状を嘆いても仕方無い。それを承知で同行を許してもらっているのだか
ら。場所は分かっているから先行する事も可能だけど、そんな不義理な真似は
したくない。
アーリゲルは既に目的地に着いているだろうが、執務諜員がどれだけ時間を稼
げるか。情報交換という事で、道中車の中でお互いの知っている事を話した。
勿論、それぞれ言えない事は省いた、ヴァールハイア家の秘密やクノスの素性
など。
メアズーは変態で阿呆みたいに強いとクノスに伝えたのだが、エリミアインと
いう同僚の方が上だと言って譲らなかった。軍神にも一目置かれていると誇ら
しげに言っていたから強いのだとは思うが、同僚の色眼鏡が入っていなければ
と思う。
「もう、少しです。」
喋りずらいのか、息が切れているのか不明だが、先頭を行くユーアマリウが言
った。自分の怪我や衰弱は無視して、ラーンデルトがそれを支えている。そん
なにしてまでその場所に行かなければならないのか、アーリゲルとやらを止め
なければならないのか 、と思わされるほどヴァールハイア家の秘密は重いのか
と考えさせられる。
私にとってそんな事情は二の次、いや正確には興味が無い。ただ、メアズーを
殺せればそれでいい。期限は切れたが一度上がった対象だ、依頼として完了さ
せられる。これも建前か、私の何処かでメアズーは許せない、その思いがある
のが正解なのだと思う。
「あ・・・」
先頭に居たユーアマリウが小さく声を上げ、足を止める。私は一気に追い抜く
と前に出て、ユーアマリウの視線の先を確認した。
背広姿の男が数人、黒い体液と内臓を撒き散らし転がっている。五体満足な身
体は無く、手も足も胴も頭も千々に飛び散っていて元の人数は判別出来ない。
それをやったのはおそらくメアズーと対峙しているかなり長身の男性だろう。
構える長刀が近くに居た老婆が持つ灯りを妖しく反射していた。不思議な事に
その刀身は血に染まっていない。
あれがクノスの言っていた同僚、エリミアインなのだろう。老婆の持つ灯りは、
自身の赤黒く染まる左腕も浮かび上がらせていた。
まあメアズーの場合、どさくさに紛れて味方を殺していても不思議ではないが。
向こうも此方に気付いたらしく、視線を一瞬動かした。その瞬間エリミアイン
の腕が翻り消える。同時にメアズーの姿も霞んで移動していた。一瞬の後、メ
アズーが居た場所に生えていた雑草が地面に落ちていく。
背広姿の男たちが無惨な残骸になっている理由が判明した。遠距離攻撃は卑怯
よね、しかもあれだけ長刀を凄い速度で振っているし。ハイリが一目置いたっ
て言うのも強ち嘘じゃなさそう。メアズーがやられても不思議じゃないわね。
って、それじゃ私がここまで来た理由が無くなるわ。私は前に出て闘いの場に
近付いて行く。
「待て待て、何をする気だ。」
クノスが私の肩を掴んで引き止める。
「何って、私の目的はあの変態女なのよ。」
クノスの制止に私はメアズーを指差して言った。
「やだ、こんな所まで追ってくるなんて感激。ぶひゃっ。」
「黙ってろ!」
身を捩りながら言うメアズーを睨んで言うが、本人は愉快そうに目を細めただ
けだった。
「だったら尚更エリミアインに任せて、死という結果だけ受け取ればいいだろ
う。」
それじゃ私の心が納得しない、結果だけの虚しさが残るだけだ。
「それじゃ、駄目なのよ。」
私はクノスの手を払って足を前に出す。その時またエリミアインの手が消え、
同時にメアズーも霞む。剣先を潜り抜け間合いを詰めたメアズーの右手ナイフ
が翻ると、エリミアインがその斬り上げを鍔本で受け長刀を捻って流し斬りへ
移行する。メアズーが腰を落としてかわすと、刀身が袈裟斬りの軌道に変化、
メアズーは左手のナイフを振りながら地面を蹴り側転の要領で刀身を回避、つ
いでにエリミアインの左腕を切り裂いていた。メアズーは直ぐ後方に跳躍し、
跳ね上がるエリミアインの剣先から逃れた。
「その長物一本じゃ不利なんじゃない。きへっ。」
エリミアインは傷も言われた内容も気にしていないのか、表情を変える事無く
メアズーを睨みつける。
「アーリゲル卿、これ以上、止めて、下さい!」
小さいが意志の強い声は、闘いの場を抜けてアーリゲルに届いたようで、ユー
アマリウに気付いて驚きの表情になる。
「生きていたかよ、だが今更止めるかよ。」
アーリゲルが言い返すとユーアマリウは唇を噛むが、瞳に宿した意志は全く揺
らいでいなかった。その間も続いていたエリミアインとメアズーの闘いは、エ
リミアインの右足が切り裂かれている事以外は変化がない。
「おいおい、やばいんじゃないのか・・・」
その闘いを見守っていたクノスが、顔に焦りの色を浮かべて言った。何か策で
もない限り、現状メアズーの方が優位だと私も感じる。それより、私と闘って
いるときはやはり手抜きしてやがったなあの変態女。
見ていて分かった、エリミアインと闘っている今は、以前私と闘った時より速
い。
「邪魔をするなら斬る。」
徐々に近付いていた私に言ったのだろう、エリミアインはメアズーから目を離
さなかったが、叩き付けられる殺気で分かった。自分でも気付かなかったが、
勝手に身体が前に出ていたようだ。それは焦りなのかメアズーとの闘いを求め
ているのか。求めている?馬鹿馬鹿しい。そう思っても、私の身体は前に進ん
でいた。
エリミアインは警告で終わるつもりなど無いようで、前進する私に容赦なく袈
裟斬りの剣先を翔ばしてきた。同時に私も右足を蹴り上げて鎌鼬を翔ばす。
(私じゃなくメアズーに向けなさいよね。)
そう思いながら放った鎌鼬は、剣先と衝突すると金切音を上げ弾けると周囲の
雑草を千々に撒き散らした。
「おい!お前らが闘ってどうするんだよっ!」
その光景を見たエリミアインが目に驚愕の色を見せる。背後からクノスの怒声
が聞こえてくるが無視。エリミアインが驚いている間に、私は舞い散る雑草の
中を一足跳びで距離を詰める。
「なっ!?」
目の前に来た私にエリミアインは驚くが、手は休めずに横凪ぎ払いを放つ。斬
撃の方向が全て間合いと考えれば上下にしか逃げ道はない。私は屈んで斬撃と
同方向に移動、追うように下を這う私に軌道を変えた打ち下ろしが迫る。更に
加速して通り抜けると、たわめた身体の力を起き上がりと同時に<六華式拳闘
術・華靠閃>放つ。右足で地面を踏み抜くと同時に右肩から半身でエリミアイ
ン打ち付けた。
エリミアインは左腕で防御姿勢を取るが、衝撃を逃すことが出来ずに長身が宙
を舞う。エリミアインは空中で体制を直し斬撃を放つが、牽制にしかならない
斬撃は私の前の雑草を散らしただけだった。
「くっ!?」
着地したエリミアインが、左手を垂れ下げて苦鳴を上げる。
「あんたやっぱ楽しいよ。ぐっはっ!」
距離を取って観戦に回っていたメアズーが、愉悦に歪んだ顔で歓喜を口にして
いるが放置。ただメアズーが言う通り長物は扱いが限られる。身体が一定方向
に回転し続けない限り、斬撃で追うのは無理だ。体制を変えるためには、足を
動かして身体の向きを変える必要がある。その隙を付いたのだが、身体の骨を
砕くつもりで出した<華靠閃>はエリミアインの左手を封じただけに止まった。
「掛心の使い手だと、一体お前は何者だ。」
顔を歪めながら誰何の声を上げるエリミアイン。また掛心の名前、一体なんな
のよ。もしかしてジジイの体術って六華式拳闘術って名前じゃなく、その掛心
とかいうやつなのかしら。いや、家名や総称、分派という可能性もあるので考
え出したらきりがない。無視しよう。
「ただのアクセサリー屋だけど。」
私が冷めた目線で答えると、エリミアインが剣呑な光を目に宿して睨んでくる。
「ぶっひゃっ!」
いちいち五月蝿い変態女だな。と、視界の隅で腹を抱えているメアズーにうん
ざりして思う。
「エリミアインやめろ!そいつは俺ら上司のお気に入りなんだぞ!」
まてくそクノス!
執政統括のお気に入りとか気持ち悪いこと言いやがって。クノスを睨み付けて
やりたかったが、エリミアインとメアズーから目を離すことが出来ないため断
念。だが後でぶん殴る。
「なんだと・・・」
クノスの言葉にエリミアインは、瞳に浮かべる剣呑な光が困惑に変わり、私と
クノスを交互に見る。
「なんだと・・・」
それ聞いたよ、さっき。
自分の中で情報が処理しきれないのか、同じ言葉を繰り返したエリミアイン。
面倒。そこでクノスがエリミアインに近付く。ほぼ音も立てずに歩くように移
動したが、その足運びは精練されていて速い。こいつも、やはり執務諜員の一
員なのだと改めて認識させられる。そりゃリンハイアの護衛にも付くわけだ。
メアズーも気付いた様で、クノスに興味の視線を向ける。今まで見せなかった
動きをここで出したのは、メアズーや私に対する牽制でもあるのだろう。
「ちなみに軍神の知り合いでもある、これ以上は止めておけ。」
エリミアインに近付いたクノスが小さく言った。それはユーアマリウやラーン
デルトに聞こえないようにするために近付いたのだと分かった。リンハイアは
上司と言えば済むが、ハイリの名は上手い言い方が無かったのだろう。
「成る程。それであの体術か。」
「勝手に納得しないで欲しいわね、あのジジイと私の体術は関係ないわ。」
むかつく。
エリミアインの言葉を私は否定した。
「取り敢えずここは嬢ちゃんに任せろ。」
クノスの説得にエリミアインは顔に苦渋を浮かべた。
「お前の任務はアーリゲル卿を止める事だろう。」
追い討ちのように続けたクノスの言葉に、エリミアインはやっと納得して私に
対する警戒を解いた。本当に面倒。
ただ、これでメアズーとまた闘わなければならなくなったわけだが。と、メア
ズーに目を向けると待ち焦がれた様に愉悦で細めた目を私に向けて来る。
うげっ。
あ。
うんざりして目を反らそうとしたが、ある事に気付く。
「さっきまで其処に居た婆さんは?」
「何!?」
「なんだと!?」
私の言葉にクノスとエリミアインが同時に灯りの方に目を向ける。離れていた
ユーアマリウとラーンデルトも驚きの顔でその灯りに目を向けていた。
扉の上に置かれた灯りは、持ち主が居なくなっても周囲にその光を散らしてい
た。その光を持っていた婆さんは一体何処に消えたのか。地面に設えられた扉
に開いた気配は無い。いや、大きな扉の一部が黒く四角い穴を開けていた。そ
れは人一人が通れる程の穴だった。
よくよく考えれば地面に設えられたあの大きな扉を開けるのは骨が折れそうだ。
通行用の扉が別途設けられていても不思議ではない。もしそうなら、内部の整
備用等の為に在るのだろうが、こんな場所で維持している人なんかいるのだろ
うか。
「行けると思っているのかな?たはっ。」
なんて思いを馳せている場合じゃない。直ぐにその入り口に行こうとしたクノ
スとエリミアインをメアズーがナイフを向けて牽制する。
「くっ。」
二人はその牽制に足を止めた。
「あんたらもよー。ぷはっ。」
隙を付いて静かに動き出していたユーアマリウとラーンデルトにも、顔は向け
ずナイフだけをメアズーは向けて言った。リュティは着いた時からずっと静観
しているが、誰が死ぬことになろうと動かないのだろうと思った。
硬直していても始まらないし、そもそも私はメアズーを殺しに来たんだ。他の
奴等の事情などどうでもいい。
そう思ってメアズーへ向かって駆け出すと、紅月と雪華の両方を抜く。一気に
視線が私に集中するが、メアズーだけは這わせるようにゆっくりと向けて口の
端を吊り上げた。
正面から向かう私にメアズーは右手のナイフを付き出す。私はそのナイフを左
手の雪華の台尻で叩き付けながら引き金を引いた。白光する呪紋式が私とメア
ズーの間に浮かび上がるが、メアズーは無視して私の左手に、左ナイフを斬り
上げてくる。
(なっ、避けると思ったのに。)
発動してからでも避けられる自信があるのだろうか。更に踏み込んで左手を引
いた私に、右ナイフを斬り上げてくる。呪紋式が刀身を生成し、メアズーに重
なるように具現化した。
(近すぎて飛ばせない。)
私は斬り上げを右側に身体を捌いて避けつつ、左足を払って低空の鎌鼬を翔ば
す。軽く跳躍したメアズーとの距離を詰め、左ナイフの振り下ろしを避けなが
らメアズーに向かって右手の紅月の引き金を引いた。
着地と同時にメアズーは、身体の前に浮かび上がった呪紋式から離れようと後
方に跳躍するが、白光は張り付いた様に追っていく。やがて呪紋式は効果を発
動して消え去った。私は直ぐに紅月を仕舞い、雪華に薬莢を籠める。
メアズーは怪訝な顔をして自分と私に目を向けるが、直ぐに口の端を上げて笑
った。
「なるほどなるほど。いい線いってるけどね、正解は半分だよ。いひっ。」
なに?呪紋式の効果がこの短時間でもう分かったのか。分かった上に、半分間
違っている?メアズーに呪紋式が効かないのは、無効化の呪紋式が掛かってい
るからじゃないって事?
「教えて上げる義理はないよ。でひゃっ。」
言うと同時にメアズーが一瞬で間合いを詰めてくる。考えている暇なんてない、
正面から突っ込んで来るメアズーに牽制の<朔破閃>を放つ。間合いを見切り
効果範囲外まで横っ飛びすると、地面を蹴って稲妻の様な軌道で私の前に来る。
右手ナイフを顔を目掛けて突き出して来るので、身体を引いて避けようとした
が、伸びてくるので仰け反らせ間合いから逃れる。が、執拗にナイフは追って
くるので屈むがそこには既に、左手ナイフが横凪ぎに振られていた。座り込む
ように更に腰を落とすと後転して、足が着いた時点で手足で地面を弾いて横に
跳ぶ。
「ごめんねぇ、うっかり手からナイフが抜けちゃった。てへっ。」
左のナイフを避けきれずに斬られた右頬から血が伝う。私はメアズーを睨み付
けながら、腕で血を拭った。
何がうっかりだ、質が悪い。この状況でも遊ぶ事を止めないメアズーに辟易す
る。だけど、勢いで来てしまったので対策もない。隙を見つけて運が良ければ
程度だ、作る程の実力は私に無いのだから。だったら、攻めるまで。
私は間合いを詰め右手の抜き手をメアズーの目を狙って繰り出す。同時に雪華
の引き金を引いて、身体を反らして避けられた右手を戻し次弾を素早く籠める。
その間に繰り出されているメアズーの左ナイフの突きを左側に移動して避ける。
そこ狙って凪ぎ払いに来ていた右ナイフを、前方に飛び込む様に体制を低くし
て避け、メアズーの背後に回り込むと先程精製した刀身を拾って、振り向き様
に投擲しながら雪華の引き金を引く。
同時に左肩に激痛が走る、見るとメアズーが投擲したナイフが突き刺さってい
た。
(また左肩っ!!)
最初に発動した電撃の呪紋式が、投擲した刀身に引かれて白光を散らす。メア
ズーは刀身を避けるも飛び散った電撃に打たれ、一瞬硬直する。私は既に次の
刀身を連続で投擲、メアズーは避けきれずに右腕を掠められ、鮮血を散らす。
そこへ二発目の呪紋式が精製した電撃が避雷、メアズーは大きく横っ飛びした。
「あ、ぁぁぁあああっはは!いったーい。ぶほっ。」
メアズーが跳んだと同時に私は右足を蹴り上げて、追い討ちの鎌鼬を翔ばす。
着地と同時に身を捩るが、逃げ切れなかった左肩の先端を削った。それでもメ
アズーの左腕が霞みナイフを投擲、私を大きく外れた事に傷の影響かと思った
が、背後からくぐもった悲鳴が聞こえた。
私を狙ったものじゃないと、一瞬意識を奪われたとき、それは背後に居た。
「益々殺すのが惜しくなってきちゃったなぁ。うふっ。」
私の首筋にナイフを当て、メアズーは言った。右腕を掠めた電撃は、流れ出し
た血を沸騰させ傷口から煙が立ち上っている。肉の焦げる嫌な臭いが鼻をつき、
気分は最悪だ。
(いつ、移動した・・・)
それが一番気分の悪い理由だ。見えないどころか気付かない。一瞬、ナイフの
投擲先に気を取られたとはいえ、気付きもしないとは。
「闘ってるのはこっちなのに、他に気を移すのは良くないぞ。みにゃっ。」
うげっ。
気持ちわるっ。
「反らしたのはあんたでしょうが。」
メアズーがナイフを変な方向に投擲しなければこんな事には。いや違う、油断
以前に実力の差がありすぎる。今までそんな片鱗すら見せなかったんだこいつ
は。
「扉の先には行かせられないからね。たはっ。」
私との闘いは暇潰しって事か。何故私や執務諜員が居ても余裕をくれていたの
かはっきりと分かった。実際に私たち全員を相手にしても余裕なんだこの変態
女は。
「私はあの先に興味なんてないわよ。」
「知っているよ。うへっ。」
そりゃそうよね。メアズーに言われなかったら来なかったもの。ん?メアズー
に言われなかったら?そう言うことか。
「グラドリアに来るとき司法裁院に情報を流したのはあんた自身ね。」
突然の依頼に詳細な場所、事態が面白い方向に転がるのを、いや無理にでも転
がそうとするなら、自分の危険など省みずにやりかねない。
「ご名答。いい読みだね。ぐひゃっ。」
最初からこの状況に導かれた道化か、私は。アールメリダが住んでいたアイキ
ナ市、当然私が住んでいるのもアイキナ市なのだから依頼が回ってくるのは必
然。ウェレスの件があったから、話しが私に回れば受ける可能性は高いと踏ん
だのだろう。まあ、まんまと乗りましたが。
「それで護衛としての暇潰しに、私を挑発したわけだ。」
この場所の護りはするが、中に興味があるようには見えない。
「それも正解。老いぼれの護衛だけじゃつまらないよね。ただ、やろうとして
いる事は楽しそうだから付いてやってるだけ。ぶひょっ。」
予想通りね。あの老婆に関しては道中に聞いただけなので良く分からないが、
つまらなくなった時点でメアズーは、ウェレスと同じようにあっさり放り出す
だろう。違うな、放り出すのではなく面白くなりそうな自体に転がそうとする、
と言った方が正しいかもしれない。変態だから。
「そりゃ、いまいち盛り上げられず悪かったわね。」
遊びに付き合わされただけで、殺す云々以前の問題だった。予想していた事は
外れ、策も思い付かない。だがそれ以上の実力差が私とメアズーの間に存在し
た。今出来る事は、皮肉を言うくらいしかない。
その瞬間、首筋をねっとりと生暖かい感触が襲った。感触がした方を見るとメ
アズーが下を出し、目を細めて愉悦に顔を歪めていた。
うえっ。気持ち悪いよ。
その存在に挫折感が沸き上がりそうだ。人生への。
「殺しはしないよ。成長中なのが勿体無いからね。ぬへっ。」
何を言っているのか分からないが、兎に角気持ち悪い。殺さないなら離してく
れないかな。なんて考えたとき、メアズーの私を押さえる手から振動が伝わっ
て来た。
「んぐっ・・・」
直後に堪えるような苦鳴。
「次扉に向かったら殺すからねー。だひゃっ。」
男の声だったので三人の内の誰かだろう。ろくに話した事もない奴等なので悲
鳴なんかで判別出来るか。そう考えるとザイランなら分かりそうな気がする、
間抜けな声を上げそうだし。
そんな事を考えてる場合じゃない、動けないなら少しでも情報が欲しい。メア
ズーが言うとおり殺されないのであれば。
「さっき半分正解って言ってた事なんだけど。」
何かこの変態女の弱点が無いかと聞いてみる事にした。他に何も出来ないし。
「何かな、お姉さんに興味津々かな。うひょっ。」
殴り倒したい。
けど無理なので我慢する。語弊のある言い方が凄い腹立つ、本当に。が、あま
り感情的になると楽しませるだけな気がするから我慢よ、私。
「例えばこの前の爆炎の呪紋式、口の中で発動したらあんたは死ぬの?」
「ふーん・・・」
メアズーは興味深そうに鼻を鳴らした。変な語尾が無いのは言葉を発してない
からだろうか。いやどうでもいい。 
「それ極秘事項なんだけどなー。死ぬよ。げひゃっ。」
駄目かと思いきやあっさり言ったな阿呆女め。
「出来るならやりなよ。ぶっひっ。」
くっ。むかつく。
私には無理だと分かっているからあっさり答えたのか。ただ、先程の電撃呪紋
式で焼けている右腕の傷と今の答え、それと半分正解の無効化の呪紋式から何
か見えそうな気がする。
でもこの状況じゃ思考が纏まらず霧散していくばかりだ。
「他にお姉さんについて知りたい事は無いかな?えへっ。」
うぜぇ。この馬鹿女。
・・・
いけない、心が荒んで来ている気がするわ。
あれから誰かが動く気配は無い。執務諜員が二人も居ながらこの状況を覆せな
いのだろう。ユーアマリウやラーンデルトが闘えるとも思えないし、リュティ
は私が死に瀕した時じゃないと動かない気がする。もしかしてリュティならこ
の変態女をどうにか出来るんじゃないか?後で問い詰めてやろう。
そう言えば。
「あんたも言ってたけれど、みんな私の体術を見ると掛心と言う。私はそれを
知らないのだけど、教えてくれない?」
現状の打開策も思い付かないので、以前から疑問に思っていた事を聞いてみる。
言われる度に気持ち悪いから、情報を得られるならすっきりしたい。
「なんだ、お姉さんの秘密じゃないのか、つまらないよ。ひへっ。」
本当にうざいなこの女。
「掛心は武術一派の総称。流派は二系統に分かれ、一般的な掛心華陽拳と暗殺
をするための掛心華隠拳がある。ちなみに掛心華陽拳の奥伝まで修めているの
は、現存する中で軍神一人のみと言われている。やだお姉さんったら博識。ん
ひゃっ。」
お前の博識度合いはどうでもいいが、掛心については分かった。でも私との関
係性が分からないままだ。
「ちなみにミリアちゃんのは何処で学んだか知らないけれど、掛心華隠拳の方
だよ。」
ちゃん付けとか本気で気持ちわりぃ、今すぐ死ね、滅べ、腐れ、糞女! 
・・・
もうこいつと一瞬でも一緒に居たくないよ・・・。
荒んで行く内心を堪えて思考を戻す。つまり、ジジイは六華式拳闘術の使い手
ではなく、掛心華隠拳の使い手だったって事か?確かに、ハイリが訪ねて来て
いた事を考えればその可能性は高い。二人の繋がりが掛心と考えれば辻褄も合
う。以前ユリファラが私の事を掛心華隠拳の使い手だって聞いたと、言った事
を思い出すと尚更だ。
しかしハイリが奥伝まで修めてるとは、それがどれほどのものか想像はつかな
いが、私が相手にならない理由は分かった。
「掛心ね、昔学びに行ったんだけどさ、同門殺しで破門されちゃったよ。ぶっ
はっ。」
つまりこいつは昔からこうだったのね。きっとつまらないとか、飽きたとかそ
んな理由なのだろう。だけど変態女が少しでも掛心にいたことで、私の疑問は
解消された。もしかすると、ジジイの事も知っているんじゃないか?ついでだ
から聞いてみようと思った。
「もう一つ、ゼン・・・」
私が口を開いて喋り始めた瞬間、上空から閃光が迸る。
「うっわ、ババア本気でやりやがった。どひぇっ。」
その閃光は呪紋式が発する光だった。メアズーはそれが何かを知っていたよう
で阿呆みたいに騒いでいる。
上空に描かれ始めた呪紋式は、地面と平行にその大きさを広げていく。周囲を
見渡すと、みんなその光景に目を奪われ放心していた。ただ、リュティは何時
もと変わらず、ユーアマリウは苦渋に顔を歪めていたが。
呪紋式は時間と共に描かれる範囲が広がり、やがてその大きさは半径十メート
ル程の巨大な円形となった。呪紋式の白光が輝きを増していく中、私は視界だ
けでなく脳内までその光に侵されていく感じがした。
見たくないと拒絶して瞼をきつく閉じる。
網膜に焼きついたように輝きは変わらない。
脳を揺さぶるように浸透してくる白光に気持ち悪くなり目を開ける。上空に描
かれた呪紋式は更に光が増し、中心に直視できない程の球体が顕現する。球体
は輝きと共に、周囲に小さい光を幾千幾万と呪紋式から変換するように束ねて
いく。呪紋式が消え、集束した光の渦は上空に向け一気に放出された。
呪紋式の半分ほどの太さだった眩いばかりの光の柱は、一瞬で天まで駆け上が
ると光の粒となって消えた。一気に戻った闇に、目が暗順応するまで何も見え
なくなる。
「こりゃ確かに楽しいわ。が、好みじゃないかな。むきゃっ。」
「これはやばすぎるぞ!」
「仕方が無い、振り切ってでも行くしかない!」
「アーリゲル卿、あなたは、本当に・・・。」
「ユーアマリウ様!」
いろんな声が飛び込んでくるけれど、暗順応どころか私の目から白光が消えな
い。違う、目に移っているのは瞼の裏?それとも脳が見せている幻覚?分から
ないが、光が強くなる程に意識が薄らいで、そのまま何も分からなくなった。
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