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紅湖に浮かぶ月4 -融解-
1章 不解な思い
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「精神と乖離する行動など無い。」
今日も麦酒が美味しい。特に閉店後はいい。何時もと変わらず生ハムを口に放
り込みながら、明日の事を考えると面倒臭い。司法裁院の依頼は本当に不定期
なのが腹立たしい。依頼が来る分には問題ないのだけれど、実行する予定日が
糞過ぎるのよ。
と嘆いてもしょうがない、やらないと生活出来ないし今更普通の生活をしろと
言われても、そんな自分が想像出来ないわ。人殺しが普通に生きようとする事
自体無理よね、私は既に道を違えているのだから。
「また暗い事を考えているのかしら。」
仕事終わりの憩いの時間に、ついでに参加していたリュティが察したように言
ってくる。察しが良すぎる事があり、たまに思考を読めるんじゃないかと疑い
たくなる事もある。
「まあ、性格なのよ。自然と考えてしまっているのだから、仕方がないでしょ
。」
「ならいいのだけど、嵌まると戻り難くなるわよ。」
何時もと変わらない微笑を浮かべてリュティは言う。
「分かってるわ。」
悪い癖なのか、私がそういう性格、むしろ性質?まあなんでもいいけれど、直
ぐに負の螺旋に囚われ堕ちてしまう。今までの経験からすれば独りで這い上が
った事など無いのよね。誰かが引き摺り戻してくれている。それは目の前のリ
ュティだったり、獄中で自殺したベイオスだったり様々だけど、自分で切っ掛
けなんて作れていない。改めて考えると情けないわね。それでいて人殺しなん
て嗤えないわ。
「そう言えば明日は薬莢の受け渡しよね。」
「そうね。」
麻酔の薬莢。毎月製薬会社に納める契約をした納品日だ。支払い命令があった
から頑張ろうと思ったのだけど、結局規定数の三十発しか記述していない。こ
んなんじゃ何時、アーランマルバにお店を出せるやら。
「そうそう、モッカルイアにもお店を出そうと考えていてね。」
私の前触れも何も無い発言に、リュティは口を開けて呆けた。珍しいものを見
た。どちらかと言えば呆れているのか、あれは。
「何よ、前々から考えていたのよ。モッカルイアから帰る時には。」
「そうなのね。」
「ゲハートに何かあれば言ってくれと言われたときに、場所を用意して貰おう
かなっていう他力本願だけど。」
私は言って苦笑する。キャヘス襲撃後に言われたその言葉で、思い付いただけ
に過ぎない。
「だとしても、ミリア一人では難しいのではなくて?」
リュティが心配そうに言うが、それは私も分かっている。
「モッカルイアはアクセサリーだけにしようと思っていて、手作りと既製品の
両方を扱うのよ。モッカルイアは外海との交流地点でもあるし、私の創作の刺
激にもなるかなってね。」
「そんな事を考えていたのね。」
「話し半分程度に聞き流してよ。」
苦笑して言うが、出来ればやってみたい気持ちは在るのよね。流石に薬莢まで
は受ける許容は私には無い。ゲハートが場所を用意してくれるなら開店資金も
押さえられる。そんな安直な考えで思い付いただけなのだから。
「出せたらいいわね。」
リュティは呆れる事も馬鹿にする事もなく、微笑んで言った。夢なんていくら
見てもいいじゃない、妄想だって人の原動なのだから。ただ眠っている時に見
る夢はろくでもないので勘弁して欲しいけれど。私は今朝起きた時の事を思い
出して嫌な気分になり、グラスに残っていた麦酒を一気に飲み干した。
蛸のカルパッチョを口に入れると、麦酒のおかわりを注文するために席を立つ。
「もう一杯。」
「私も飲もうかしら。」
リュティもそう言うと葡萄酒が入っていた空きグラスを持って席を立った。
「ナベンスク領の聖廟に直ぐにでも向かってくれ。何者かが侵入した形跡があ
る。」
「あまりに急じゃないかしら?」
薄暗い部屋の中で何時ものように長机に足を組んで座り、リュティは緋色の双
眸でクスカを見据えて言った。床に着いていない足は、其処に何かが存在する
様に重力を感じさせずに浮いている。
「本来の業務だろう。あの娘に関しては好きにさせているんだ、こちらの仕事
を疎かにする事はやめてもらおう。」
頭頂で綺麗に分けられた、肩まで伸ばした髪の間から覗く瞳はリュティを見返
す。クスカも何時もと変わらない背広姿で椅子に足を組んで座っていた。
「分かっているわよ、ただ数日留守にすると伝えたいだけなのよ。」
リュティの発言にクスカは目を鋭くする。
「今すぐだ、手遅れになった時の責任はお前だけでは無いんだぞ。」
リュティもクスカを睨み返すと部屋の空気が重くなり室温が下がった感覚にク
スカは囚われる。その圧力にクスカは顔を顰めるが、剣呑な眼で見返す。
「お前の我が儘は今回は聞いてやれん。それはお前だって分かっている事だろ
う。」
「貴方が行けばいいでしょう。」
声を大きくするクスカに対し、緋色の双眸を更に鋭くしてリュティは食い下が
る。
「それが出来るなら当に向かっている。私は今此処を離れられないのだ。」
重圧に耐えながらクスカは言った。二人は暫しの間睨み合うと、クスカは折れ
るように剣呑な光を消した。
「あの娘には私から伝えておく、それくらいの時間はあるからな。それで問題
は無いだろう。」
クスカの提案にもリュティは態度を変えない。
「代わるなら朝食も用意してあげて、いつも私が用意しているのよ。」
リュティがそう言うとクスカは手近な長机を叩きながら立ち上がり、表情に怒
気を露わにする。
「我が儘もいい加減にしろ!あの娘の世話はお前が勝手にやっている事だろう。
それを私に押し付けるのは間違いだ。」
クスカの怒声にリュティは臆する事なく、緋色の双眸を細める。
「私にそこまでする義理は無い筈よ、忘れたのかしら。思い出させてもいいの
よ、どちらが我が儘かを。」
静かに言ったリュティに気圧され、クスカは力が抜け倒れる様に椅子に座り込
んだ。額から汗が伝うが、緊張を殺してリュティを睨み付ける。
「分かった、朝食を用意すればいいのだろう。」
その言葉を聞くとリュティは視線を緩めるが、睨む事は変わらなかった。それ
により部屋の重圧が緩和したことで、クスカは解放された気分になる。
「飲み物は紅茶にしてあげて。」
「っ・・・」
更なるリュティの要求にクスカは食ってかかるように不満を言おうとしたが、
思い止まった。これ以上機嫌を損ねては本来の目的すら達成出来なくなりそう
だという懸念から堪えるしかなかった。
「・・・分かった。」
納得はしていない顔をしながら言うクスカを、リュティは満足そうに頷くと長
机から降り立つ。
「じゃあよろしくね。行ってくるわ。」
部屋の扉に向かいながらリュティは言い、そのまま部屋を出ていった。それを
確認したクスカは脱力して椅子の背もたれに背を預けると、大きく溜め息を吐
いた。額に浮き出た汗が伝い始めると、一気に流れる始め首筋に嫌な感覚を残
す。
「まったく、面倒な女だ。ミサラナも何故あれを甘やかすのか。」
クスカの呟きは、平穏が訪れた部屋に虚しく消えていくだけだった。
朝から呼び鈴が鳴る。住居区域の。風呂上がりに冷蔵庫から取り出した水を飲
んでいる時だった。経験上、お店の開店前に誰かが訪ねて来たことは無い。
何時もなら朝食を作っているリュティが居るところだが今朝は居ない、それは
別に珍しい事ではなくたまにある。ただ、リュティは呼び鈴を鳴らすなんて真
似はせず、不法侵入よろしく何時でも入ってくるので、呼び鈴を鳴らしたのは
リュティではない事は明白だ。
朝から面倒ね、お店の開店前はゆっくりしたいのに。何か面倒事だったら更に
面倒の上塗りじゃない。そうは思うがご近所さんだと、心象が悪くなってもや
っぱり面倒なので頑張って玄関に向かうと扉を開ける。
閉める。
誰?知らない男だった。背広姿で眉間に皺を作った恐い顔をしていたわ。まさ
か五葉会の何処かじゃないわよね、私は目を付けられるような事は何もしてい
ないわよ。いや、ウェレスの件が何処かから漏れてネヴェライオ貿易総社の遣
いが来た、とも考えにくいわね、闇討ちすればいいのだから。そもそも報復な
ら朝から玄関の呼び鈴を鳴らす意味が分からない。
とすると司法裁院の高査官?ネルカの変わりとか。違う気がする、ネルカは試
す為に直接来ていた、もちろん遠方に居たからというのもあるだろうが。現に
ウェレスの件はザイランを経由してきているのだから、直接私の所に来るとは
考えにくい。
「すまないがあまり時間がないのでな、手短に済ませたい。」
うわ喋った。当たり前か。その男は私の思考を中断して自分の都合を押し付け
て来た。
「いや、偉そうに言ってるけど、あんた誰よ?まず名乗るでしょう、それにあ
んたの都合は私には関係無いのだから時間が無いとか知らないわ。」
玄関の外で不穏な気配を感じる。殺気とは違うがいい感じはしない、けれど私
は何も悪くない。当たり前の事を言っただけよ。
「これはすまない、私はクスカ・ラドバスク・ネールカヴァリ。リュティーエ
ーノ・ムーセルカ・アリアの代わりで来た。少し時間をもらえないか?」
何かの感情をを押さえるように声は聞こえた。リュティもそうだが、名前が覚
えずらい、まあ覚える気もないけれど。しかしリュティの代わりねぇ。今朝居
ない事と何か関係がありそうね、わざわざ代わりを寄越すなんて。余程の事が
ない限り、そんな事はしないだろうと思い私は玄関を開ける。
「早く言ってよ。どうぞ、水くらいしか出ないけれど。」
クスカの眉間に出来た皺が深くなっている気がするけれど、まあいいか。
「いや、直ぐに済むので此処で構わない。」
「そう。で?」
部屋に招いたがどうやら本当に時間が無いらしい。にも関わらず来たのはリュ
ティが押し通しだのろうか。
「こちらの都合、あいつにとっては本業になるのだが仕事が入ってな、数日程
こちらには来れない。」
「そう、分かったわ。」
本業、ね。何をしているのか、今の私に聞くことは出来ない。数日程度なら休
暇で済む話しだし、もともと押し掛けて来たのに私が甘えているだけだから文
句も無い。そんな事文書通信で・・・って、リュティが小型端末を持っている
のを見た事がないわ。もしかすると持ってないのかしら、それなら代わりとし
てクスカが来ているのも納得できる。
「それと、朝食だ。」
そう言ってクスカは紙袋を差し出して来る。顔が不機嫌すぎてそっちに気を取
られたから、手に持っている物に気が付かなかったわ。
「律儀ねぇ。ありがとう。」
私はお礼を言って紙袋を受け取った。どうせこれもリュティが用意させたのだ
ろう。
「あんたも大変ね。」
そう思うと苦労しているんだなと思って、そんな事を口にしていた。
「気にしなくていい、私はこれで失礼する。」
クスカはそう言うと直ぐに踵を返して去っていった。あっちも望んではいない
だろうと思い見送らずに玄関を閉め鍵を掛けると、紙袋の中身を確認する。駅
前にあるカフェ、ソアールのクラブハウスサンドと紅茶だった。紅茶もリュテ
ィが言ったんだろうなと思う。敢えて言わないと珈琲になりがちだもの。
私はテーブルに着くと、部屋の隅で丸まっている紙屑を広げて内容を確認する。
日付だけ見て丸めたので場所を確認していなかったから。クラブハウスサンド
を囓りながら今夜向かう場所を確認すると、メルクキ商業地区だった。雑多な
繁華街は潜むのには都合がいいのだろう思いながら紅茶を飲む。
(しかし面倒ね。)
昨日も見た内容を確認しながらうんざりする。こんな奴に関わりたく無いなと
思うと、尚更その思いは強かった。それが顔に出るのだろうか、以前リュティ
に司法裁院の仕事が終わった後は辛そうにしていると言われたことを思い出す。
どっちにしろ、お店を続けたいからやるしかないのだけれど。
(さて、開店準備しなきゃ。)
残っている紅茶の紙容器を持つと店内に移動する。開店の五分前だがお店の外
には背広姿のおっちゃんが立っていた。見覚えのあるその姿に、カウンターに
紅茶を置くと時間前だが扉の鍵を掴む。製薬会社のニセイド・ゴーベフは朝か
ら薬莢を受取に来たのだろう、待たせるのも気が引けるのでお店を開ける事に
する。
「おはようございます。気を遣わせてしまいましたか。」
鍵を開けてお店の扉を開けると、ニセイドは笑顔でそう言った。
「気にしなくていいですよ、個人店ですし。」
私は応じると店内に案内する、やはり何故か私まで釣られて口調が丁寧になる
のは変わらない。ニセイドをカウンターの前で待たせ、鍵付きの棚から薬莢の
入った箱を取り出す。
「受け取ってから方々を回ろうと思いまして、朝から寄らせてもらいました。」
ニセイドは言いながら鞄を床に置くと、封筒を取り出す。
「そうですか。」
営業も大変だなと思いながら、私は相槌を打って薬莢を差し出す。営業とか私
には無理ね、本当。
「では拝見します。」
ニセイドは箱から薬莢を取り出し確認する。三十発を全部見たが以前ほど時間
は掛かっていないのは、信用してもらえているからだろうか。一発三万五千も
する品物なので、時間を掛けて確認しようと思うのは分かるので、ゆっくり見
てもらっても気にはしない。私に時間があれば、だけれど。
確認が終わったニセイドは、人の良い笑みで封筒を差し出してくる。
「ご確認ください。」
私は受け取ると中身を確認する。確かに百五万、封筒には入っていた。やはり
報酬を受け取る時は嬉しいし、今はこの分が定期的に入って来るのだから助か
る。
「確かに。」
確認が終わりニセイドに笑顔を向ける。ニセイドも鞄に薬莢を仕舞うと笑顔を
向けて来た。
「前回と変わらず見事な記述で安心しました。また来月もお願いします。」
「こちらこそ。」
私には前回同様、自分の記述がどの程度なのか分からないが、本人が満足して
いるならそれでいいかと思う。収入があり気分が良かったのか、私はニセイド
をお店の入口まで見送った。カウンターに戻ると、飲みかけの紅茶を飲む。
そう言えばリュティが居ない事を思い出し、奥で作業するわけにもいかないな
と思う。リュティに店内を任せ、私は奥で薬莢やアクセサリー造りをするのが
最近の日課になって来ているのだと実感した。
(記述セット持ってきて、ここでやるか。)
居ないものは居ないので、店番をしながら薬莢の記述でもしようと思い、私は
店の奥に置いてある記述セットを取りに向かった。
仄暗い地下通路は、湿度は高いが空気は冷たさを感じるくらい涼しい。それに
加え高湿度の所為か、余計に肌寒さを感じる。絡み付く様な冷えた空気は、確
実に体温を奪っていく。
その中を二人の男が歩いていた。一人は眼帯を着けた隻眼で体格が良く、左腰
に帯剣している。もう一人はやはり左腰に帯剣し、加えて背中にも剣を背負っ
た目付きの鋭い、というよりは目つきの悪いと言った方がしっくりくる男だ。
二人の男が歩くと、長靴の響く音に金属音が混じる。目付きの悪い男の左足が
義足のため、歩くたびに鳴っている音だった。その男が右手で灯りが灯る短剣
を持っているが、その右手も義手であり、金属部分が灯りを反射して怪しく光
っている。
二人は外套を羽織ってはいるが、寒さのためか時折身体を抱くようにして、身
震いをしながら歩いていた。幅十メートル程、高さ五メートル程の広大な通路
は、二人の人間が歩こうと温度が変化する事もなく、体温と共に体力も奪って
いく。重たい空気が圧し掛かり、進ませまいとしているかの様に二人の足取り
を重くさせていた。
「なあマフエラート。」
目つきの悪い男が後ろを歩く隻眼の男、マフエラートを怠そうに呼んだ。
「何でしょう、リャフドーラ様。」
マフエラートはその呼び掛けに畏まって、呼ばれた事への問いを発する。
「こんな場所に、一国を相手取る程の代物が本当に在ると思うか?」
「私には分かりません。あのご老体の言ったことの真偽についてもです。」
リャフドーラの問いにマフエラートは首を振りながら答えた。
「だよなぁ。」
怠そうに同意するリャフドーラに、それ以上言える事もなくマフエラートは後
に続いた。グラドリア国の軍神と呼ばれたバラント・フォーグ・ハイリに、圧
倒された手負いのリャフドーラを連れて、サールニアス自治連国のナベンスク
領に逃避したのが一年近く前。
粉砕されたリャフドーラの右手と左足は修復不可能で、切断を余儀無くされた。
ナベンスク領にある医療技師に義手と義足を作成してもらい、付けたのは半年
前。技師には慣れるのに一年は掛かると言われたが、リャフドーラは三ヶ月程
度で支障なく動かせるようになり、それには医療技師も驚いていた。
故郷であるペンスシャフル国には、裏切ったのだから帰るわけにもいかない。
自分の兵が戻ったのだから周知の事実だろう。そのため流れ着いた地で生計を
立てようと、手っ取り早かったのが兵だったが領民でなければなれず、私兵を
するしかなかった。幸い、メフェーラス国のロググリス領侵攻に伴い、ナベン
スク領含む三国同盟が警戒態勢に入っているため、需要が高まり仕事には困ら
なかった。
そんな中、何時も行く居酒屋に独りでいる老人が酔うと独り言を洩らしており、
毎日の様に居座っては繰り返していて、誰も相手にしないどころか煙たがられ
ていた。それに興味を示したリャフドーラが話しを聞いた結果が現状である。
「ま、無けりゃ無いでやっぱりなってところだし、在ったら儲けって事でいい
じゃねーか。今更失くすもんもねーしよ。」
苦笑して気楽に言うリャフドーラに、しがらみから解放された主への安堵感と、
不敵だった五聖騎時代への懐かしさへの寂寥が、ない交ぜになった気分にマフ
エラートはなった。
「そうですな。」
だがマフエラートはその思いを払拭するように頷く、現状がどうあれ自分の忠
誠は変わらないと。でなければ、故郷を捨て部下を捨て只一人の為に付いてな
ど来ない。その想いを再確認したところでリャフドーラが振り向いた。
「潜ってからどれくらい経つ?」
「そうですね・・・」
マフエラートは応えながら懐中時計を取り出すと、高湿度により文字盤を覆っ
ている硝子の曇りを指で拭い確認する。老人の話しから、ロググリス領に近い
山間部の森に在る入り口から入った。誰かが出入りした形跡もなく鬱蒼と繁っ
た草に埋もれて鉄扉が存在した。知っていなければ見つかりそうもない鉄扉は、
苔に覆われ認識出来ない程だったが、不思議な事に朽ちてもおらず錆びすら無
かった。老人がその存在を知っていた事自体胡散臭かったが、リャフドーラが
暇潰しには丁度良さそうにしていたのが、此処まで来た理由の大半になってい
る。
「二時間くらいです。」
少し前の出来事を思い出しつつマフエラートが答えると、経過した時間を聞い
たリャフドーラはうんざりした顔をする。
「そりゃ身体も冷えるわな。」
「ここまで寒いとは思いませんでした。」
リャフドーラの言葉にマフエラートも同意する。その寒さにマフエラートは懸
念が浮かんできた。
「義足や義手は大丈夫でしょうか?冷えて身体に影響などないでしょうか。」
「まあ冷んやりはするが、その程度だ。気にする程じゃねーよ。」
リャフドーラは振り向かずに空いている左手を振って言った。声からしてもそ
れは伝わったのでマフエラートは安堵する。ただ、現状はそうだが帰りの事ま
でを考えると、リャフドーラの手足に対する心配は拭えなかった。
「もう少ししたら帰るか。手足よりもこの陰気くささに、先に精神がやられち
まいそうだ。」
苦笑して言ったリャフドーラに、マフエラートは頷く。
「無理をしても仕方ありません、また日を改めましょう。」
マフエラートがそう言った直後、リャフドーラの目が鋭くなり剣呑な光を宿す。
マフエラートはその光を見て不謹慎だと思いつつも心が高鳴った。五聖騎時代、
幾度となく見たその眼は、軍神に惨敗して以降見ていなかったのだから尚更だ
った。
「冷えた身体が暖まりそうだ。」
リャフドーラは口の端を吊り上げ不敵な笑みを浮かべると前方を見据える。歓
喜により一瞬硬直していたマフエラートは、気を取り直して同様に前方を見据
えるが、闇が広がるばかりで何も見えない。リャフドーラも見えてはいないだ
ろうが、感じるものがあるのだろうとマフエラートは思った。
「儲け、だったかもな。」
リャフドーラはそう言うと、不敵な笑みを浮かべたまま進み出す。マフエラー
トもそれに続くと今までの徒労、冷気と湿度で体力が奪われ、足取りが重くな
っていた事など感じさせないリャフドーラの歩みに驚かずにはいられなかった。
歩みの早まったリャフドーラが間もなく止まるとマフエラートも止まる。その
存在は既に視認できる距離まで来ていた。
この広大な通路を遮るように阻む壁が在り、一枚高さ二メートル幅一メートル
程の観音開きの扉が、その表面に複雑な紋様を携えその先とを隔てていた。
その扉の前に一人の女性が足を組んで座っていた。シルバーブロンドの髪の間
に微笑を浮かべ、緋色の双眸は妖しく中空に向けられていた。ゆっくりと近付
くにつれ、二人はその存在に違和感を感じ、やがて目を疑う光景に気付く。女
性は椅子か何かに座っているのではなく、浮いていた。まるで空気が固形と化
して椅子として存在するように、地に足を着いているように女性は足を組んで
座っている。
「ありゃ人間か?」
顔を顰め進むリャフドーラに並び、マフエラートも怪訝な顔をする。
「分かりません。が、人に出来る行為とは思えません。」
体は冷えている筈なのに、額から伝った汗にマフエラートは嫌な感じがした。
「化け物でいいか。」
リャフドーラも緊張しているのか、右手に持った短剣に灯る呪紋式の灯りを、
額に浮いた汗が反射していた。
「乙女に対して失礼じゃないかしら。」
女性はそう言うと組んだ足をほどき、通路に音もなく降り立つ。
「普通の乙女は浮かねーだろ。」
リャフドーラが不敵な笑みを浮かべて言うと、女性は顎に指を当て考える仕草
をした。
「つまり私は特別な乙女って事かしら。」
惚けるように笑んで言う女性に、リャフドーラが剣呑な眼を向ける。
「じゃあ化け物って事でいいじゃねーか。で、そこに居るって事は俺らは簡単
に進めねーって事でいいのか?」
女性は若干の寂寥を見せるが、直ぐに妖しい微笑に戻りリャフドーラを見据え
た。
「此処は特定の者以外は不可侵の領域。あなたたちは違うのよ。」
不敵から獰猛な笑みにリャフドーラは変化していた。久しぶりに見たその表情
にマフエラートは歓喜するも、女性に恐怖する。何故ならリャフドーラが獰猛
な笑みを浮かべるのは、相手が強い時程浮かべるからだった。
「いいねぇ、軍神にやられてから退屈してたんだ。暫くろくに動かしてねぇ身
体の調整も必要だからよ。」
リャフドーラは左手で左腰から剣を抜き、刀身を回転させると女性に剣先を向
ける。
「灼帝バラント・フォーグ・ハイリ。あれと闘って生きているなんて驚きね。」
リャフドーラが向けた剣先を気にする事もなく、女性は表情を変えずに言った。
「まったく驚いている様には見えねーなっ!」
リャフドーラは言い終わると同時にその場で剣を振るう、振り抜かれた剣から
は女性に向かい剣先が飛ぶ。女性は身体をずらすだけで避けると、剣先は背後
の壁に当たり鞭で殴ったような音を立てて弾けた。
「こりゃ完全に当たりだな。」
リャフドーラがマフエラートに笑みを向ける。その獰猛さは変わらずに。
「はい、かなりの確度かも知れません。」
「持ってろ。」
頷いたマフエラートに対し、リャフドーラはそう言って右手の短剣を放り投げ
る。呪紋式の灯りは弧を描いて宙を舞うとマフエラートに移動し、光の輪郭を
マフエラートを中心に拡散する。
「はい。」
「暴れても大丈夫そうだな。」
短剣を受け取ったマフラーの返事も聞かず、壁の状況からリャフドーラはそう
言うなり女性に向かって駆け出す。
女性を間合いに捉えたリャフドーラが、右手に持ち変えた剣を袈裟斬り振り下
ろす。女性は横に身体を捌き避けると、リャフドーラの剣が凪ぎ払いに変化、
女性は後ろに跳躍して剣先をやり過ごす。
「空中は避けらんねーぞ!」
リャフドーラは吼えると凪ぎ払いから左上に切り上げる。女性は更に横に身体
を移動させ、剣先の軌道から逃れる。
「あ!?くそっ!」
静かに降り立つ女性を見ながら、先ほど空中に座っていた女性の姿を思い出し
リャフドーラは舌打ちした。そんな事が出来るのならば、空中で軌道を変化さ
せるのも可能だろうと。
「逃げてばかりじゃ飽きんだろ。」
一本では追い付かないと判断したリャフドーラは、剣を左手に持ち替え右手で
背中からもう一本の剣を抜く。抜き様に袈裟斬りで剣先を放つと、女性が避け
た方向に左手で刺突を繰り出しながら間合いを詰め右手で凪ぎ払い、女性が身
を屈めて避けると左の唐竹、女性が滑るように横に移動すると、右手の下段へ
の切り返しが追い縋る。女性は軽く跳躍して避わした。
「飽きたわ。」
息一つ乱れず、呆れた顔をして女性は言った。
「っんだと!」
「馬鹿の一つ覚えみたいに剣先ばかり飛ばす芸の無い攻撃はつまらないと言っ
たのよ。」
女性は緋色の双眸を細め、リャフドーラに剣呑な眼差しを向けて言った。その
圧力に周囲の気温が更に下がった気がして、気圧されたリャフドーラが顔を顰
める。
「言ってくれんじゃねーか、逃げるしか能がねぇくせによっ!」
リャフドーラは間合いを詰め、右の袈裟斬りと左の横払いをほぼ同時に放つ。
女性は後退しつつ袈裟斬りの剣先を避けると、払いの剣先を右手で掴む。飛ん
だ剣先は掴まれたところから白い光を放って分解されていく。
「なっ!?」
驚愕の声を漏らしたリャフドーラは、何時間合いを詰めたか分からない女性の
爪に貫かれていた。女性の五指を広げた左手から伸びた爪は、親指が喉を貫き
中指が右目に突き刺さっている。喉からは空気が漏れ、血が泡立ちながら垂れ
る。右目は眼球が押し出されはみ出し、血の涙を流す。薬指が貫いた耳からも、
首を伝って衣服を赤く染めていた。
「なん、なんだ、てめぇは・・・」
左目を見開き、口から血を溢しながらリャフドーラは得体の知れない思いを口
にする。
「何だっていいでしょう、貴方には関係ないわ。」
女性がそう言うと右手の人差し指の爪が伸び、リャフドーラの左目も貫いた。
左目は押し出されはみ出ると、右目同様に赤い涙を流す。女性が喉と両目を貫
いた爪は、リャフドーラの頭部を貫通して後頭部から飛び出す。
リャフドーラは両手の力が抜けると、剣が渇いた音を立てて床に落下した。身
体の痙攣が弱まると全身の力が抜け、自重が重力に逆らえず崩れ落ちる。引き
抜けた女性の爪からは脳漿と血が滴り落ちた。女性は左手を振り、それを払う
とマフエラートに向かい歩を進める。
「結構痛いのよね。」
女性はリャフドーラの剣先を受けた右手を開いて握る。軍神もそうだが、世の
中は広いという思いと、一年寿命が伸びただけだったかという思いでマフエラ
ートは自嘲した。
「仕える方が居ないのであれば未練は無い。」
マフエラートは近付く女性を見据えて言った。
「あら、潔いいのね。」
微動だにせず立つマフエラートの前に、女性は立ち止まると左手を右に振り抜
いた。マフエラートの首と顔に朱線が浮かび上がると、首の断面から吹き出す
血が頭部を瓦解させる。粗末な音を立て床に落ちると、血と脳漿を撒き散らし
首から吹き出した血がそこに降りかかる。マフエラートの身体は立っている事
が出来なく仰向けに倒れ、短剣に灯る光が未だ消えることなくその残骸を照ら
した。
「また入り口を隠さないといけないわ。それと、グベルオルへのお灸も必要か
しら。」
女性はそう呟くと、歪んだ空間へと消えていった。
扉が開いた事によりユーアマリウは目を開ける。アーリゲルが口の端を吊り上
げ、下卑た笑みを浮かべ部屋に入ってくるのが目に映る。横を見るとラーンデ
ルトは痛々しい姿のまま横たわっているのは変わらず、眠りに落ちていた。
ユーアマリウは自分も見れた姿ではないと、下着姿で傷だらけの椅子に拘束さ
れた自分を確認する。状況は何も変わっていない。一時的に眠りという現実逃
避をしていただけだと認識させられた。
昨日殺された十人は、背広姿の男たちに片づけられ部屋の中も清掃されている。
地下という空間のせいか、換気扇は悪臭を処理しきれずに部屋の中に未だ漂っ
ている。切断された首は部屋の隅の暗がりに無造作に転がされていた。
「ボルフォンから連れて来てやったよ。」
アーリゲルはそう言うと部屋の入り口に待機している男に合図をする。手を後
ろで拘束された男女と二人の子供が部屋に入れられる。
「きゃっ!」
「ユーアマリウお嬢様っ!それにまさか、ラーンデルト卿か!?」
女性が傷だらけの二人を見て悲鳴を上げ、拘束されているのが誰か気付いた男
性が名前を呼ぶ。子供二人は煩いからなのか、布で猿轡を噛まされ目には恐怖
の色と涙を浮かべていた。
ユーアマリウはその四人をよく知っていた。ボルフォンの実家の近くに住む家
族で、男性の方は良くカーダリアを訪ねて来ていた。家族同士での夕食会など
もして懇意にしていた一家だった。確か長女は七歳で長男は五歳だったとユー
アマリウは記憶していた。
「これはどういう事かアーリゲル卿!」
室内の惨状を目にした男性が声を荒げてアーリゲルを問いただす。女性は部屋
の隅に置かれた頭部に蒼白な顔をして吐き気を堪えていた。アーリゲルは男性
の問いに、顎でユーアマリウを指す。
「ユーアマリウが聞きたいこと言ってくれんでよ。お主らに手伝ってもらいた
いと思って連れて来たわけよ。」
男性は意味が分からず、怪訝な顔をユーアマリウに向ける。
「誰を連れてこようと無駄です、その人たちを帰してください。」
ユーアマリウは一家の方には目を向けず、清廉な眼差しでアーリゲルを見据え
て言った。
「本人は気付いておらんようだがよ。」
アーリゲルはユーアマリウを見返すと、目を細めて嗤う。
「何の事ですか?」
「何れ分かるがよ。」
何の事を言っているのか分からないというユーアマリウの問いに、アーリゲル
は口の端を吊り上げた。
何故言いたく無いのならば自害しないのか、何故無駄だと思うなら無視を決め
込まず何度も口に出して言うのか、何故昨夜涙を見せたのか。アーリゲルはそ
の思い浮かべた疑問から、既に解には至っていると考えた。自害に関してはさ
せるつもりなど毛頭無かったが。
「お主はヴァールハイアの家名が弊害となっておるのよ。」
「意味が分かりません。ヴァールハイアの名は誇りに思う事はあっても害にな
った事などありません。」
「それよ。」
アーリゲルの言葉を気丈に否定するも、アーリゲルは口の端を吊り上げたまま
憐れみの視線をユーアマリウに向けた。ユーアマリウの瞳は揺らぐ事は無かっ
たが、アーリゲルの言った意味を理解することは出来なかった。
「今日はくじ引きでもするかよ。」
アーリゲルは愉快そうに言うと、控えていた男たち目で合図する。男の一人は
穴の開いた箱を用意し、もう一人は掌程の大きさの紙片を複数枚用意して書き
込む準備をする。アーリゲルはその間に入り口付近の椅子に腰掛けると、昨日
と同様に机に肘を着いた。
「息子が姉を犯し、その息子を更に父親が犯すでどうよ。」
アーリゲルがそう言うと、紙片に男が書き込み箱を持った男に渡す。受け取っ
た男は折り畳んで箱に入れた。
「母親が息子に犯されながら、父親の男根を咥えて噛み千切るとかよ。」
男は紙片に書き込むと箱を持った男に渡す。
「なんて残酷な事を。無駄な事は今すぐ止めて帰しなさい。」
アーリゲルの下卑た笑みを刺すように見据え、ユーアマリウは言った。
「ふん、好きなだけ吠えとれよ。」
ユーアマリウを見る事なく鼻を鳴らして吐き捨てると、アーリゲルは続ける。
「娘の穴は父親と息子じゃ不足だからお前らも塞いでやれよ。」
「こんな事が罷り通ると思っているのか!」
男性は憤怒の表情でアーリゲルに怒鳴るが、目を細めると薄ら笑いだけでアー
リゲルは見返しただけだった。
「これが推進派のやり方か!」
「マールリザンシュが温いから代わりにやっとるだけよ。」
続く怒声にアーリゲルはつまらなそうに冷めた目をする。
「切断した息子の腕で、母親が自慰行為なんてよ。」
「いい加減にしないかアーリゲル卿っ!こんなやり方を他の推進派は認めはし
ないぞっ!」
くじ引きの続きを言うアーリゲルに男性は攻勢を緩めずに怒鳴る。横では何事
も無いように男が紙片に書き込み箱を持った男に渡していた。
「お前が推進派の何を知っているかよ。」
「少なくともマールリザンシュ卿は、こんな事は許さないっ!」
うんざりして言ったアーリゲルに、男性は断言した。これはアーリゲルの独断
で行われている事だと。その男性の言葉を聞くとアーリゲルは薄ら笑いを浮か
べる。
「ヴァールハイアに懐いていた割には良く知っとるがよ。」
「カーダリア卿はただの友人だ!」
穏健派など関係なく、男性はカーダリアをそのように思い、また付き合って来
たのだという思いを吐き出す。
「ほう、ならその娘に言わせてみるがよ。」
アーリゲルが顎でユーアマリウを示すと、男性はユーアマリウを見て苦い表情
をするだけで口をつぐんだ。ユーアマリウが一体何を頑なに拒否しているのか
分からなかったが、ここまでするからには余程の内容なのだろうと。思うがそ
の内容を知らないし、何よりユーアマリウが見せる瞳は語らないだろうと思わ
された。幾度となく目の当たりにしてきたヴァールハイアの目が、そこには在
ったのだから。
「結局役立たずかよ。」
男性の態度にアーリゲルは吐き捨てると、冷めた目をユーアマリウに向ける。
ユーアマリウは変わらない眼差しでアーリゲルを見据えていた。その高潔で揺
らぎもしない瞳に辟易すると、アーリゲルは一家に視線を戻す。
「飽きた、もうそいつらに殺し合ってもらうでいいがよ。」
吐き捨てるアーリゲルの言葉を、横にいた男が律儀に紙片に書き込んでいく。
箱を持った男が紙片を受けとり折り畳んで箱に入れると、その箱をアーリゲル
に差し出した。
「もう面倒臭ぇがよ。」
アーリゲルはそう言いながらも箱に手を入れると、漁るように掻き回して引き
抜く。手には複数の紙片が握られていた。
「うっかり全部引いちまったがよ。取り敢えず引いたからにはやるがよ。」
アーリゲルはつまらなそうに言うと、紙片を投げ捨てる。床に紙片が散るのを
合図に男たちが動き出した。
「アーリゲルっ!!絶対に許さんぞっ!」
「はいはい、好きなだけ言っとれよ。」
男性の憎悪の叫びをあしらうと、ユーアマリウの方に目を向ける。悲鳴と怒号、
悲痛な絶叫が部屋を埋め尽くすがユーアマリウは変わらずにアーリゲルを見据
えたままでいた。横で転がっていたラーンデルトはいつの間にか目を覚まして
おり、その惨状に目を固く瞑り唇を噛んで涙を流していたが、誰も目を向ける
事は無かった。
身体の至るところから血を流し、憎悪と無念を残し光を失った目を見開いて事
切れた両親と、理不尽な苦痛と暴威に苦悶の表情のまま動かなくなった二人の
子供をアーリゲルは見下ろす。それを道端転がる石でも見るかの様に一瞥する
と、椅子から立ち上がり部屋の入り口に向かう。
「また明日来るからよ。」
揺らぎの無い瞳から涙を流し続けるユーアマリウを目にして、それだけ言うと
アーリゲルは口の端を吊り上げて笑みを浮かべながら悪臭の充満する部屋を後
にした。ユーアマリウの気丈さも長くは無いだろうと思いながら。
ターレデファン国、メーアクライズという町が在った跡地をアリータは遠目か
ら眺めていた。リンハイアに見る事を促され、早い方がいいだろうと翌日に出
向いて来たが、そこは跡地と呼べるものではなかった。跡地とは存在した形跡
があって然るべきもの。
(いや、歴史としては残っているという事?)
疑問を浮かべてみるが解決する手段をアリータは持ち合わせてはいない。見え
る限りの荒野は、所々に石なのか瓦礫なのか判別が付かないものが小さく見え
るだけで、草木はまったく生えていない。二十年以上も前の事なのに、風雨で
土地が均されるだけの荒野。此処に一万人近くの人間が町を造り住んでいたと
は、とても思えなかった。住んでいたという記録も、メーアクライズという町
の名前も残っているのに、思えない。
(記録にあるのに記憶に存在を認められない、町が消え人が死ぬ事以上の末路、
それが大呪紋式の傷痕という事?)
人に対して未曾有の厄災をもたらすものなのか。だが結果は文明だけではない、
大地すら死んでいる。二十数年経った今でも、何故起きたのか、何故発動され
たのか、何故植物が育たないのか、解明されているものはない。
未知なるものに恐怖を抱く人間にとって、常に在り続ける存在として残ってい
る。大陸に生きる人間の殆どは知らない事実だが、確実にその恐怖は存在し、
悩み苦しませるだろう。
(私が此処に居たところで、何か解るわけでもない。)
アリータは未知の恐怖にも、大呪紋式の謎にも答えが出るわけでもないと思う
と、メーアクライズが在ったと言われる荒野に背を向けた。空は変わらず続い
ているのに、自分が立つ場所の前後では景色がまるで違うと、上空を見上げな
がら思った。
(グラドリアに戻ろう。)
それだけ思うと、アリータは前を向いて帰路に着いた。
2.「人の反発は抑圧に対し生まれる。だが抑圧を生むのは反発する前の人間が
原因である事が大半だ。」
私はお店を閉めると準備をして、メルクキ商業地区に向かった。何時も通り合
革製で黒のショートパンツにジャケット。腰の後ろに紅月と、左腰に雪華を挿
して夜のアイキナ市を疾駆する。
司法裁院の依頼はかなり嫌な気分になるが、死に直面するほどの危機は無かっ
た。高査官が持ってきた依頼は別だけれど。それでも常に不測の事態は起こる
可能性は在るので、万全とはいかないまでもしっかり準備はするようにしてい
る。五葉会のような相手は緊張するが、逮捕歴のある人物は戦闘力に於いての
危険は少ない。
ただ、その代わり犯罪を重ねるごとに狡猾になっていくのだろう。警察局を欺
くのにも長け捕まるまでの期間が長くなるため、被害もその分拡大する。以前
の少女監禁犯が仕掛けた罠に掛かった事を考えれば、準備をするのも当然だし
し過ぎという事もない。現にあの時は麻酔であろう罠を中和出来たわけだし。
メルクキ商業地区に着いたのは二十三時を廻ったところだった。この時間にな
っても歓楽街も抱えている主要通りは、お店の灯りと看板の光が煌々として明
るい。飲食店に出入りする人もそうだが、時間が時間だけに酔っぱらいも多い。
呼び込みの男性や女性に、気分良さそうに着いていく中年も少なくない。そん
な繁華街を横目に私は裏路地の方へ向かう。
裏路地に入ると暗くなるかと言えば、そうでもない。表に入り切らない店舗が
流れてくるだけなので、多少暗くはなるが大差はない。それでも表に比べると
明らかに胡散臭いお店や、違法と思われるお店も目につく。逆に言えばそんな
お店は表に構えられないのだろうけれど。
更に繁華街から遠ざかると、煌々とした灯りも落ち着き夜の静けさが混じって
くる。この辺に住んでいるのはメルクキ商業地区で働く従業員が多いと聞く。
都合を考えれば当たり前の事だが、そんな場所に今回の標的であるアンナは潜
伏している、司法裁院の情報では。今まで違えた事はないので間違いはないと
思うが。
こんな場所だけに、お客さんとの間に出来てしまった子供を育てている人もい
るのではないかと思える。この辺は警察局の手も入りにくい場所だ。というか
見て見ぬ振りをしている事も多いだけに、アンナにとっては都合がいいのでは
ないかと、嫌な想像をしてしまう。
(いや、在りそうで嫌だ。)
自分で考えた事に辟易する。問題の建物をそんな気分で見上げる。二階建ての
木造集合住宅はかなり古くさい見た目だった。出所したてのアンナにとってメ
ルクキ商業地区は都合が良かったのだろう、手軽に働ける繁華街と安い住居は。
(確か一階の奥だったわね。)
建物の裏手に回りアンナが居る部屋の窓に近づく。周囲を確認するが人の気配
はない事に安堵する。電気は点いていない。と思ったが薄明かりが見える。も
う寝ているのかなと考えると、そうだったら楽でいいなと思った。まあそんな
都合の良い展開は無いだろうと思い、窓を確認すると寝ている程の都合良さで
はないが、換気の為か少し開いていた。
覗き込もうとすると、開いている隙間から悪臭が漏れ漂っているのが鼻に届き
私は顔を顰める。その臭いは明らかに糞便のもので、嫌な感じしかしない。
(帰りたくなってきた。)
と思うがそうもいかないので、悪臭を我慢して窓の中を覗き見ると、テーブル
の上では蝋燭の灯りが揺らめいていた。薄明かりの正体は蝋燭だったがどうで
もいい。問題はその灯りに照らされている女性の顔。間違いなく司法裁院の依
頼書にあった写真の女性、アンナだ。恍惚とした表情を天井に向け、虚ろな瞳
で虚空を見つめているようだった。
部屋の中に視線を移すと、テーブルの横に敷かれたシートの上に赤黒い物体と、
同じ色に染まったナイフを持つアンナの手が目に入る。
(・・・遅かった、くそっ!)
シートの上にある物体からは黒い体液が広がり、短い手足が確認できる。悪臭
の正体はその物体から流れ出たものなのだろう。
沸き上がる黒い感情に、私は窓を勢いよく押し開いて部屋の中に飛び込んでい
た。突然の侵入者にアンナは驚く事もなく、虚ろな瞳を私の方に向けただけで
動く事も声を出すこともしない。ただ恍惚とした表情を向けているだけだった。
シートの上にある物体は腹を切り裂かれ、内蔵を取り出されて横に並べられて
いる。頭部も頭蓋を開けられ、脳が破損して脳漿を垂れ流し、眼球も刳り貫か
れ頭部の横に置かれていた。
(なんなんだこいつはっ!?)
三歳か四歳くらいの子供だったであろうそれは、生前の状態など判別出来ない
程無惨な姿にされていた。黒い感情とともに込み上げる吐き気を堪え、雪華を
抜くと薬莢を籠めて引き金に指を掛ける。アンナに向けた銃口が震えているの
が分かった。銃口を向けられてもアンナの状態に変化はなく、ただ虚ろな瞳と
恍惚した表情を私に向けている。
(なんなのよ・・・)
今まで対峙したことの無い相手に戸惑い、引き金に掛ける指すら震える。目の
前のアンナを、シートの上にある物体を、この空間を、何もかも吹き飛ばして
しまいたい。引き金に掛けた指に力をいれて、逡巡して止める。ハドニクスの
屋敷の二の舞にする事は出来ない。他の人も生活しているのだから。
まだ、あの時程暴走はしていない。
私は雪華を仕舞い、手刀でアンナの首を跳ねると距離を取る。私を見上げてい
た虚ろな瞳は変わることなく、恍惚とした表情のままアンナの頭部は後ろに傾
いて落ちていく。切断した首の断面からは赤黒い体液が噴き出す。私はその血
から逃れるように部屋を飛び出した。噴き出した血は蝋燭の揺れる火を消し、
部屋の中を闇に変えた。
私は直ぐに建物を後にした。意味が分からない。一体なんだというのか、アン
ナの行動も、態度も、虚ろな瞳もなに一つ分かりはしない。もう答えの出るこ
との無い疑問は、分かりたくもない。
(気持ち悪い・・・)
メルクキ商業地区の繁華街を抜け、お店に向かって走っている途中に思考の気
持ち悪さから、裏路地に飛び込んだ。
「ぅ・・・おぇぇっ・・・」
何に対しての嘔吐か分からない。子供を解剖したアンナの行動になのか、解剖
した後のアンナの態度になのか、何も分からない自分になのか。分からない。
気持ち悪いままお店の居住区域に戻ると、冷蔵庫を開け麦酒を取り出すと、開
栓して一気に喉に流し込む。空き缶を流しに放るともう一本取り出し飲む。身
体に入った水分が入れ替わるように、目から涙が溢れ出すと、その場にへたり
込む様に座る。
あれ、泣いているの?
分からない。
私、何で泣いている?
わからない。
十代半ば程の少女が地面を蹴ると、短い雑草が根を引き千切られ土と一緒に宙
を舞う。無造作に腰辺りまで伸ばされた、少女のダークグレーの髪は横に靡き
少女を追う。少女は地面を右足で踏み込み右手の突きを老人の胸に放つ、同時
に左足の上段回し蹴りが老人の即頭部に向かう。突きを右に身体を捌いて避け
た老人は、身を屈めて回し蹴りを避けると、続く踵落としを右腕で受け止めて
左拳を少女の胴に放つ。
少女は受け止められた左足を軸に、右手で老人の突きに手を添え右足で地面を
蹴って宙に舞う。左手で肩を支点に背後に回り込む、身体を反転させて着地す
ると直ぐ様右足の中段回し蹴りへ移行、老人が振り向きながら身体を後ろに避
けるがそこには足を入れ替えた、少女の中段左回し蹴りが迫っていた。
「ぬ。」
老人は顔を顰めると身体を左に捌き辛うじて間合いを逃れるが、少女の左足は
既に地面を踏み込んでおり、左の突きが老人の右脇腹を捉える。直前、老人が
加速して少女の左手に添うように身体を左回転させ、そのまま少女の左半身へ
当て身を入れる。当て身を受けた少女は真横に吹き飛ばされ、地面に両手足を
着いて転倒を回避した。
「今のは悪くない。」
「ジジイ、本気だすなよ。」
少女は手を打ち合わせ着いた土を払いながら、唇を尖らせる。
「大人気ない。」
唇を尖らせてはいるが、歳を重ねても顔は無表情のままの少女が不満を溢す。
「一瞬でも儂を本気にさせたのだ、喜べ。」
「ジジイの本気とかどうでもいい。町に行きたいだけ。」
少女はそう言うと再び構える。老人も構えて迎え撃つ姿勢を取る。
「儂に一撃入れたら良いと言っておるだろう。」
老人は少女を挑発するが、その顔も変わらず無表情だった。変わった所と言え
ば顔に刻まれた皺が深くなったくらいだ。
「ジジイを越える日も近い。」
「言っておれ。」
少女の姿が霞み、蹴られた地面が土を舞い上げる。少女は左足で踏み込むと左
手の抜き手を老人の鳩尾へ放つ。老人は右手で弾きつつ左手の拳で少女の三日
月を狙う。少女が頭部を左にずらし避けたところへ老人の右上段回し蹴りが迫
る。少女は右足で更に踏み込むと、左手で蹴りを受けながら右肘で老人の顎を
狙う。老人は右足をそのまま蹴り抜き引き剥がすように少女を飛ばす。着地と
同時に少女が地を蹴った瞬間、少女は老人の異変に踏み込みを急停止する。
「ジジイ、なんで口から血を吐いてんだ。」
唇と顎を赤黒い血に染め、口角から血を垂れ流している老人を見て少女は疑問
を口にした。老人の喀血は地面に飛び散り黒い染みを作り、雑草に赤い斑点を
付けていた。
「人間歳には抗えないという事だ。」
老人はそう言うと口から血を吐き捨て、少女に向かって構え直す。
「ジジイ、死ぬの?」
少女はその構えには応じず、無表情のまま老人を見据えて問う。
「何れ、な。今ではない、気にせず来い。」
少女は老人の言葉にも反応を示さず、踏み込もうとした姿勢のまま動かない。
ただ、表情に変化は無いが瞳だけは微かに揺らぎを見せていた。
「お前が気にする事ではない。」
その変化に気付いた老人は事態に動揺していると思い、構えを解いて言った。
今日はこれ以上無理だろうとの判断から。
「今日は終わりにして家に戻るぞ。」
老人はそう言って、何時もの家の裏手にある広場から家の方に向かって歩き出
す。横目に少女を見るが固まったまま動く気配は無い。広場を出るときに振り
向いて、もう一度確認するが変化は無かった。老人は確認しただけで何をする
でもなく、少女をそのまま放置して家へ向かった。
少女が家に戻って来たのは夕方だった。広場で目にした状態から特に変わりは
無かったが、微かな瞳の揺らぎは無くなっていた。
「飯にするか。」
老人はお椀の酒を飲み干すと、食卓に置いてそう言った。
「うん。」
少女は頷くと台所に向かう。後を追うように老人も向かい夕食の準備を始める。
少女が居ない時に捕ったであろう魚が処理してあり、少女はそれを焼き始める。
老人は汁物の準備をしつつ、今朝炊いた余りのご飯を温める。少しばかりの野
菜を添えた夕食を、少女と老人は無言で食べる。老人は空いたお椀に酒を注ぎ
足して飲みながら。
「話しておくことがある。」
食事を終え食器も片付け、少女が部屋に行こうとすると老人が呼び止める。
「遺言なら聞かない。」
少女は部屋の扉を開けようとして止まり、老人の方は見ずに言った。
「そんなものは無い。ただ話しておく事があるだけだ。」
老人も少女を見ずに言った。少女は返事をする事もなく食卓に戻り老人の向か
いに座る。老人は渇いた口内を湿らすように、お椀から酒を一口飲む。話しを
するとは言ったものの、躊躇うように少女の方は見ずにお椀に視線を落とす。
少女も座って膝の上に置いた自分の手に視線を落とし、無言のまま動かずにい
た。老人の態度から、決して何時もの雑談のような軽い話しではないだろうと
察して。老人はもう一口お椀から酒を啜ると、意を決した様に少女に目を向け
る。
「十二年前、儂と会った時の事を憶えているか?」
少女は老人に問われると、身体を固くして頭を大きく左右に振った。
「当時儂は所要があってな、ターレデファン国のメーアクライズという町に向
かっていた。」
老人は視線を中空に投げると思い出しながら、懐かしむように話し始める。
「ところがターレデファンの首都で一泊し、翌朝メーアクライズに向かおうと
したらその町は夜のうちに消滅していた。」
「聞きたくない。」
老人がそこまで話すと少女は拒否した。老人が視線を少女に戻すと、少女は拒
絶するように頭の振りを強くしていた。
「儂も長くはないだろう。何れ話さねばと思っておったし、儂が話さなくても
知ることになる。」
「聞きたくない。」
老人が諭すように言っても、少女の態度は変わらず頑なに拒否を示していた。
老人はそれを見ても構わず話しを続ける。
「儂は信じられずメーアクライズに向かう事にしたが、交通機関は動いておら
んかった。それでもこの目で確認したかったのでな、走って向かった。」
「聞きたくない!」
少女は声を荒げて両手を食卓に叩きつけると、椅子を蹴倒して立ち上がる。老
人はそれを見ても表情を変えず、お椀から酒を一口飲むと話しを続ける。
「現地には既に大勢の野次馬が集まっていてな、そいつらが向ける視線の先は
荒野しかなかった。昨日まではメーアクライズの町が存在した筈の場所がだ。」
「うるさい!」
少女は叫ぶと一目散に自分の部屋の前まで駆け、扉を勢い良く開けると部屋に
飛び込み、けたたましい音を立てて扉を閉める。その音で老人の言葉を掻き消
すように、閉めた扉で拒絶するように。
「儂は野次馬から離れ、その光景が目の前に在るにも関わらず自分を疑った。
呆然としているとそこへ一人の女性が現れて、町の中心を指差すとそのまま消
えてしまった。」
老人は少女の拒絶を目の当たりにしても、構わず話しを続けた。扉一枚で音が
遮られるわけもなく、少女に届いていたのだろう。部屋の中からは何かを殴り
付けるような音が響いてくる。
「儂は女性の示す方向に意識を向けた。意識を集中してみると、微かに子供が
泣き喚く声が聞こえたような気がして、気付いたらその荒野の中を駆けていた
。」
少女の部屋の中から何かが壊れるような音が響き、老人の元に振動が伝わる。
それでも老人は壊れた蛇口なのか、後に引けないのか、話し始めたことを止め
る事なく続ける。
「町の中心は分からぬが、中心であろう方向に走っていると、泣き声が気のせ
いでは・・・」
「ぁぁぁあああああああああああああっ!!」
淡々と語る老人の話しは、少女の絶叫によって掻き消された。
気が付くと浮遊感が身体を覆っている。違和感に目を開けるといつか見た白い
世界だった。前回と同じように文字やら記号やらの中で、身体が揺蕩っている。
例に漏れず服は着ていない。
どうでもいい。
何故私は意識を持ってこの訳の分からない世界に居るのか。
分からない。
身体を動かそうとしても動く気配は無い。視界だけが眼球の動く範囲で広がり
認識が出来る。呼吸はしているのだが、本当に出来ているのかは分からない。
違う何かを取り込んでいるのかも知れないが、そこまでの感覚はない。身体が
浮いている認識が出来るのに動かせないのと同じような感覚だろうか。
(一体私に何を見せたいの?)
意味の分からない状況に疑問を浮かべてみるが答えはない。口から言葉を発せ
ない事の認識が出来ただけだった。
(何かを伝えたいわけ?)
頭の中に疑問を浮かべても結局答えはない。世界はただ白いままで、構成して
いるであろう文字や記号が私と同じで揺蕩っているだけ。いや、よく見るとそ
れらは揺蕩っているのではなく流れているが正解だった。ただ、それに気付い
たからと言って何か分かるわけでも答えが出るわけでもないけれど。
(意味が分からないわ。本当に。)
自分ではどうする事も出来ない。出来る事といえば考える事と見る事くらいし
かない。このまま寝てしまえば戻るだろうか?と思って目を閉じても白い世界
は薄らと潜り込んで来て落ち着かない。ただ本当に何もする事が無いのでその
まま瞼を下ろしたままにする。
どれくらい時間が経っただろうか、と思っても実際そんなに経過していないだ
ろう。何もしていない時間は思った以上に過ぎてはくれないから。
(飽きたわ。)
一向に開放してくれない世界に嫌気がさしてくる。何時戻れるのかも分からず、
何も出来ない煩わしさに苛立ち目を開ける。が、何も変化は無い。仕方がない
から視線を彷徨わせて、世界を眺める事にした。面白くもなんともない、気が
滅入って来る。そのうち発狂するんじゃないかと思えた。
(ん?)
ふと視界の端に違和感を感じて、感じた先を注視すると白とは対極に位置する
色が存在した。その黒い点を見ていると、どうやら広がっている気がした。黒
い点がある場所は遠いのか近いのか分からない、世界に距離感を感じられない
せいだろう。
私が、若しくは黒い点が近づいているのか、それとも黒い点が大きくなってい
るのか判別はつかないが、どちらにしろ目に見えて大きくなっているのは分か
った。いや、それすら気のせいかもしれないが。
暫くぼんやりと眺めていると、その黒い点は白い空間を侵食していた。流れる
文字や記号を喰っていた。ただ広がっているのではない、表面が窪んだかと思
うとそこに流れ込んだ文字や記号を取り込んでいる。この空間を取り込んでい
るのだろうか。
頭が痛い気がした。黒い点は私の中にある不安のようにも、沸き上がる黒い感
情のようにも思えた。嫌な予感とも悪寒とも言えない気持ち悪さに嫌気がして
くる。
頭が痛い気がした。それは気のせいではなかったかも知れない。気分の悪さか
らそう思い込んでいるのかも知れない。
頭が痛い。はっきりと感じると顔を顰める。気持ちだけ。実際は感覚が無いか
らわからない。同時にはっきり浮かんでくる嫌悪感は、侵食する黒い点のせい
だろうか。逃げ出したいが身体が動かないし、何故か黒い点から目を離す事が
出来なかった。
拒絶したいのに飲まれたい思いでもあるのだろうか。膨らむ黒い点と分からな
い自分の感情と、意味の分からない世界に吐き気がして目を閉じる。白い世界
は透過してくる事はなく、闇が広がると私の意識は薄らいでいった。
「ぅぁぁぁぁあああああああっ!」
右手を握り締めた私は右方向に振り抜いた。右手が持っていた麦酒の缶は潰れ、
余っていた残りは飛沫いて散った。潰れた缶が傷つけた右手はテーブルの足を
粉砕、痛みが右腕を襲う。
夢の延長で喚いた私は、右手の痛みに顔を顰めて見ると、握り締めた右手から
麦酒と血が滴っていた。昨夜座り込んだ後そのまま眠ってしまったらしい。窓
の外を見るとまだ暗く、目を時計に向けると時間は三時半を示していた。
続けて来る吐き気に、潰れた麦酒の缶を投げ捨てトイレに駆け込むと吐いた。
出てくるのは帰って来てから飲んだ麦酒だけだったが、目と鼻からも体液が溢
れてくる。
何に対しての吐き気なのか、何で泣いているのか。昨夜のアンナに対してなの
か、未だに拒絶している糞ジジイの話しに対してなのか。両方だろうが後者の
方が強いのだろう。受け入れられない過去は拒絶という形で私の心を未だに苛
んでいるのだから。
トイレを出た私は浴室に向かいシャワーを浴びた。身体の表面を流れるお湯は、
私の中に在るものは一切流してはくれない。記憶も過去も流してくれたらどん
なに楽だろうと思うと、涙が止まらない。
浴室の壁に手を着いて、どれくらいの時間頭から浴びただろう。いつの間にか
止まった涙は、考える気力が無くなり感情が希薄になったせいだろうか。
浴室を出て時計を確認すると一時間程経っていた。
「喉、渇いた。」
私は意識せずそう呟くと、冷蔵庫から麦酒を取り出し開栓して流し込む。冷蔵
庫の前に座り込むと、冷蔵庫を背凭れにして呆としながら麦酒をただ飲んでい
た。心が疲弊したのか、何も考えられずただ呆然としながら。やがて意識が途
切れるまで。
机上に置いてある水差しから、グラスに水を注ぐと口に運ぶ。水差しの先には
裏を向いたプレート、反対側には執政統括の文字が刻まれている。窓の外の曇
り空は暗雲の様で、リンハイアは心にも雲が掛かるようで陰鬱な気分になる。
憂いの表情を見せるリンハイアの横には、何時も通りアリータが立ち、その様
子を気掛かりにしていた。ただ、これから報告する内容もそれ以上に気掛かり
であり、不安だった所為もあったのかも知れない。
「ユーアマリウ・ヴァールハイアが数日前から行方不明です。同時に家主であ
るラーンデルト・フェーヌコリウ卿もです。」
アリータはヴァールハイア家最後の令嬢が、行方不明という事態に切なさを感
じずにはいられなかった。リンハイアも目を閉じ、何時もの微笑は浮かべるこ
となく黙って聞いている。
「推進派が強硬に出たという事でしょうか。」
リンハイアから事情を聞いていなければ思い付かなかったかも知れない事をア
リータは口にした。だがその問いに、リンハイアは目を開けると首を左右に振
った。
「推進派というより、推進派内の誰かだろう。マールリザンシュは強硬策を取
るような事はしない。」
誰が、と思ってもリンハイアにも分からないのだろう。現地に滞在する執務諜
員クノスは、推進派を含め動向を監視しているに過ぎない。ただ、二人の行方
不明と推進派に目立った動きはないという報告が来たのみだ。
「現状では動きようが無い。クノス・ノーバンにはそのまま継続するように伝
えてくれ。」
「分かりました。」
他国の問題に首を突っ込むわけにはいかない、静観するしかないのだろうとア
リータは思う。グラドリアが絡めば監視していましたと公にするようなものだ、
どの国もやっている事とはいえ表に出せる事ではないのだから。
当主が戻らないのであれば、フェーヌコリウ家の誰かが警察局に捜索願いを出
しているとも考えられる。ただこれ以上どうも出来ないので、考えても仕方が
無いとアリータは気持ちを切り替える。
「イリガートからの報告ですが、オーレンフィネアがまた動き出したようです
。」
アリータの報告にリンハイアは微かに表情を険しくした。普段見慣れているア
リータだからこそ、気付ける程度の変化でしか無かったが、アリータはリンハ
イアの表情に不安が込み上げる。
「例の地下への入り口へ、定期的に入り込んでいるようです。ただ、入るだけ
で出てきた者は居ないようですが、何処か別の場所から出ているのでしょうか
?イリガートが気付いていないだけで。」
アリータの疑問にリンハイアの表情は厳しくなった。
「いや、出て来てはいない。」
言い切るリンハイアに怪訝な顔をアリータはするが、込み上げた不安は膨らん
でいく。
「送り続ける事でオングレイコッカの疲弊を狙っているのだろう。一人でも監
視が居れば情報に事足りる。つまり戻って来ないのは皆殺されているからだよ
。」
なんて残酷な事をするのか。死ぬと分かっている場所に送られるのは恐怖でし
かない。行く方は知らされていなくても、現地に辿り着いたら惨状を目の当た
りにして逃げる可能性もある。イリガートの報告からすれば、死を覚悟してい
るとしか思えない。だとすれば残酷過ぎると思いアリータは憤りを感じた。
「ユーアマリウ嬢を拐ったのと、ペンスシャフルで人を動かしているのは同一
人物だ。それは推進派の人間であり、推進派の知らないところで独断で動いて
いる。」
リンハイアの言葉にアリータは驚きを隠せなかった。同時にユーアマリウもそ
の残酷さに晒されていると考え、切なさが怒りに代わる。面識は無くとも酷な
話しに。
「誰かは特定出来ないが明らかにする必要はある。」
誰が、と思ったがリンハイアも特定出来ていないのであれば、アリータには想
像すら出来ない。
「イリガートには辛い仕事になるだろうが、なるべく見張るように伝えてくれ
。」
「はい。」
やり場のない怒りを殺してアリータは返事をする。面識のあるリンハイアの方
が辛いのではないかと思うが、この為政者はそれでも職務を全うしていると思
えば、自分だけ感情を露には出来ないと自分を窘めて。
「無理をする必要はないよ。」
それを見透かしたリンハイアが、微笑を向けてアリータに言った。
「大丈夫です。」
その気遣いにアリータは気丈に返した。それを見込んで大呪紋式の事を話して
くれたのだと思えば、応えるのが務めだと。
「ユリファラからの報告ですが、リンハイア様の仰る通りバノッバネフ皇国の
宰相、ギネクロア・ウリョドフが国境沿いの町に現れた様です。引き続き監視
を続けるそうですが。」
「それで構わない。」
まだ動きの少ないバノッバネフについては、それで話しが終わった。アリータ
はバノッバネフ皇国の宰相を監視する理由は聞かされていないので、それ以上
の話しはない。リンハイアが話さないのは未だ情報が確定していないだけで、
何れ話すだろうと思えば聞くだけ自分を貶めるような気がして。
「こちらも準備する必要がありそうだ。」
リンハイアの言葉にアリータは、憤りから忘れていた不安を思い出す。何に対
しての、というものではなく漠然とした不安だが、 分からないからこそ人は不
安を抱くのだと、自分を鼓舞して払拭する。いちいちそんなものに囚われてい
ては、この先にいつか進めなくなると。きっと目の前の為政者は何があっても
進んで往くだろうと思えば尚更だった。
「私は何をすればいいでしょうか。」
やはり見透かされているのか、リンハイアは微笑で頷いてから口を開いた。
「明日出掛ける。メイ・カーに護衛を頼みたい。」
「明日は高官達との会議の予定ですが。」
突然の予定変更に戸惑いながらも、アリータは確認する。
「日程変更の調整は頼む。それとクノスが出ている代わりに、アリータも来て
くれ。」
「は、はい。分かりました。」
まさか同行する事になるとは思っていなかったアリータは、返事に詰まった。
何時もであれば出掛けている間に別の仕事を頼まれる事が殆どのため。
「大呪紋式に関わる事だ。見て来たのだろう?メーアクライズを。」
「はい。未だに現実なのか戸惑いますが。」
それに関わるからこそ同行を求められた、メーアクライズの惨劇を引き起こさ
ない為の駒だとして、それは信頼されているのだとアリータには思えた。
「当日メーアクライズから出ていた者、よく訪れていた者ですらメーアクライ
ズの存在を疑った程だ。」
その感覚をリンハイアが肯定するが、それでもアリータはあの荒野に町が存在
したことへの戸惑いが消えるわけではなかった。だがその戸惑いは、そう認識
させられる大呪紋式の恐ろしさの結果かも知れないとも。
今日も麦酒が美味しい。特に閉店後はいい。何時もと変わらず生ハムを口に放
り込みながら、明日の事を考えると面倒臭い。司法裁院の依頼は本当に不定期
なのが腹立たしい。依頼が来る分には問題ないのだけれど、実行する予定日が
糞過ぎるのよ。
と嘆いてもしょうがない、やらないと生活出来ないし今更普通の生活をしろと
言われても、そんな自分が想像出来ないわ。人殺しが普通に生きようとする事
自体無理よね、私は既に道を違えているのだから。
「また暗い事を考えているのかしら。」
仕事終わりの憩いの時間に、ついでに参加していたリュティが察したように言
ってくる。察しが良すぎる事があり、たまに思考を読めるんじゃないかと疑い
たくなる事もある。
「まあ、性格なのよ。自然と考えてしまっているのだから、仕方がないでしょ
。」
「ならいいのだけど、嵌まると戻り難くなるわよ。」
何時もと変わらない微笑を浮かべてリュティは言う。
「分かってるわ。」
悪い癖なのか、私がそういう性格、むしろ性質?まあなんでもいいけれど、直
ぐに負の螺旋に囚われ堕ちてしまう。今までの経験からすれば独りで這い上が
った事など無いのよね。誰かが引き摺り戻してくれている。それは目の前のリ
ュティだったり、獄中で自殺したベイオスだったり様々だけど、自分で切っ掛
けなんて作れていない。改めて考えると情けないわね。それでいて人殺しなん
て嗤えないわ。
「そう言えば明日は薬莢の受け渡しよね。」
「そうね。」
麻酔の薬莢。毎月製薬会社に納める契約をした納品日だ。支払い命令があった
から頑張ろうと思ったのだけど、結局規定数の三十発しか記述していない。こ
んなんじゃ何時、アーランマルバにお店を出せるやら。
「そうそう、モッカルイアにもお店を出そうと考えていてね。」
私の前触れも何も無い発言に、リュティは口を開けて呆けた。珍しいものを見
た。どちらかと言えば呆れているのか、あれは。
「何よ、前々から考えていたのよ。モッカルイアから帰る時には。」
「そうなのね。」
「ゲハートに何かあれば言ってくれと言われたときに、場所を用意して貰おう
かなっていう他力本願だけど。」
私は言って苦笑する。キャヘス襲撃後に言われたその言葉で、思い付いただけ
に過ぎない。
「だとしても、ミリア一人では難しいのではなくて?」
リュティが心配そうに言うが、それは私も分かっている。
「モッカルイアはアクセサリーだけにしようと思っていて、手作りと既製品の
両方を扱うのよ。モッカルイアは外海との交流地点でもあるし、私の創作の刺
激にもなるかなってね。」
「そんな事を考えていたのね。」
「話し半分程度に聞き流してよ。」
苦笑して言うが、出来ればやってみたい気持ちは在るのよね。流石に薬莢まで
は受ける許容は私には無い。ゲハートが場所を用意してくれるなら開店資金も
押さえられる。そんな安直な考えで思い付いただけなのだから。
「出せたらいいわね。」
リュティは呆れる事も馬鹿にする事もなく、微笑んで言った。夢なんていくら
見てもいいじゃない、妄想だって人の原動なのだから。ただ眠っている時に見
る夢はろくでもないので勘弁して欲しいけれど。私は今朝起きた時の事を思い
出して嫌な気分になり、グラスに残っていた麦酒を一気に飲み干した。
蛸のカルパッチョを口に入れると、麦酒のおかわりを注文するために席を立つ。
「もう一杯。」
「私も飲もうかしら。」
リュティもそう言うと葡萄酒が入っていた空きグラスを持って席を立った。
「ナベンスク領の聖廟に直ぐにでも向かってくれ。何者かが侵入した形跡があ
る。」
「あまりに急じゃないかしら?」
薄暗い部屋の中で何時ものように長机に足を組んで座り、リュティは緋色の双
眸でクスカを見据えて言った。床に着いていない足は、其処に何かが存在する
様に重力を感じさせずに浮いている。
「本来の業務だろう。あの娘に関しては好きにさせているんだ、こちらの仕事
を疎かにする事はやめてもらおう。」
頭頂で綺麗に分けられた、肩まで伸ばした髪の間から覗く瞳はリュティを見返
す。クスカも何時もと変わらない背広姿で椅子に足を組んで座っていた。
「分かっているわよ、ただ数日留守にすると伝えたいだけなのよ。」
リュティの発言にクスカは目を鋭くする。
「今すぐだ、手遅れになった時の責任はお前だけでは無いんだぞ。」
リュティもクスカを睨み返すと部屋の空気が重くなり室温が下がった感覚にク
スカは囚われる。その圧力にクスカは顔を顰めるが、剣呑な眼で見返す。
「お前の我が儘は今回は聞いてやれん。それはお前だって分かっている事だろ
う。」
「貴方が行けばいいでしょう。」
声を大きくするクスカに対し、緋色の双眸を更に鋭くしてリュティは食い下が
る。
「それが出来るなら当に向かっている。私は今此処を離れられないのだ。」
重圧に耐えながらクスカは言った。二人は暫しの間睨み合うと、クスカは折れ
るように剣呑な光を消した。
「あの娘には私から伝えておく、それくらいの時間はあるからな。それで問題
は無いだろう。」
クスカの提案にもリュティは態度を変えない。
「代わるなら朝食も用意してあげて、いつも私が用意しているのよ。」
リュティがそう言うとクスカは手近な長机を叩きながら立ち上がり、表情に怒
気を露わにする。
「我が儘もいい加減にしろ!あの娘の世話はお前が勝手にやっている事だろう。
それを私に押し付けるのは間違いだ。」
クスカの怒声にリュティは臆する事なく、緋色の双眸を細める。
「私にそこまでする義理は無い筈よ、忘れたのかしら。思い出させてもいいの
よ、どちらが我が儘かを。」
静かに言ったリュティに気圧され、クスカは力が抜け倒れる様に椅子に座り込
んだ。額から汗が伝うが、緊張を殺してリュティを睨み付ける。
「分かった、朝食を用意すればいいのだろう。」
その言葉を聞くとリュティは視線を緩めるが、睨む事は変わらなかった。それ
により部屋の重圧が緩和したことで、クスカは解放された気分になる。
「飲み物は紅茶にしてあげて。」
「っ・・・」
更なるリュティの要求にクスカは食ってかかるように不満を言おうとしたが、
思い止まった。これ以上機嫌を損ねては本来の目的すら達成出来なくなりそう
だという懸念から堪えるしかなかった。
「・・・分かった。」
納得はしていない顔をしながら言うクスカを、リュティは満足そうに頷くと長
机から降り立つ。
「じゃあよろしくね。行ってくるわ。」
部屋の扉に向かいながらリュティは言い、そのまま部屋を出ていった。それを
確認したクスカは脱力して椅子の背もたれに背を預けると、大きく溜め息を吐
いた。額に浮き出た汗が伝い始めると、一気に流れる始め首筋に嫌な感覚を残
す。
「まったく、面倒な女だ。ミサラナも何故あれを甘やかすのか。」
クスカの呟きは、平穏が訪れた部屋に虚しく消えていくだけだった。
朝から呼び鈴が鳴る。住居区域の。風呂上がりに冷蔵庫から取り出した水を飲
んでいる時だった。経験上、お店の開店前に誰かが訪ねて来たことは無い。
何時もなら朝食を作っているリュティが居るところだが今朝は居ない、それは
別に珍しい事ではなくたまにある。ただ、リュティは呼び鈴を鳴らすなんて真
似はせず、不法侵入よろしく何時でも入ってくるので、呼び鈴を鳴らしたのは
リュティではない事は明白だ。
朝から面倒ね、お店の開店前はゆっくりしたいのに。何か面倒事だったら更に
面倒の上塗りじゃない。そうは思うがご近所さんだと、心象が悪くなってもや
っぱり面倒なので頑張って玄関に向かうと扉を開ける。
閉める。
誰?知らない男だった。背広姿で眉間に皺を作った恐い顔をしていたわ。まさ
か五葉会の何処かじゃないわよね、私は目を付けられるような事は何もしてい
ないわよ。いや、ウェレスの件が何処かから漏れてネヴェライオ貿易総社の遣
いが来た、とも考えにくいわね、闇討ちすればいいのだから。そもそも報復な
ら朝から玄関の呼び鈴を鳴らす意味が分からない。
とすると司法裁院の高査官?ネルカの変わりとか。違う気がする、ネルカは試
す為に直接来ていた、もちろん遠方に居たからというのもあるだろうが。現に
ウェレスの件はザイランを経由してきているのだから、直接私の所に来るとは
考えにくい。
「すまないがあまり時間がないのでな、手短に済ませたい。」
うわ喋った。当たり前か。その男は私の思考を中断して自分の都合を押し付け
て来た。
「いや、偉そうに言ってるけど、あんた誰よ?まず名乗るでしょう、それにあ
んたの都合は私には関係無いのだから時間が無いとか知らないわ。」
玄関の外で不穏な気配を感じる。殺気とは違うがいい感じはしない、けれど私
は何も悪くない。当たり前の事を言っただけよ。
「これはすまない、私はクスカ・ラドバスク・ネールカヴァリ。リュティーエ
ーノ・ムーセルカ・アリアの代わりで来た。少し時間をもらえないか?」
何かの感情をを押さえるように声は聞こえた。リュティもそうだが、名前が覚
えずらい、まあ覚える気もないけれど。しかしリュティの代わりねぇ。今朝居
ない事と何か関係がありそうね、わざわざ代わりを寄越すなんて。余程の事が
ない限り、そんな事はしないだろうと思い私は玄関を開ける。
「早く言ってよ。どうぞ、水くらいしか出ないけれど。」
クスカの眉間に出来た皺が深くなっている気がするけれど、まあいいか。
「いや、直ぐに済むので此処で構わない。」
「そう。で?」
部屋に招いたがどうやら本当に時間が無いらしい。にも関わらず来たのはリュ
ティが押し通しだのろうか。
「こちらの都合、あいつにとっては本業になるのだが仕事が入ってな、数日程
こちらには来れない。」
「そう、分かったわ。」
本業、ね。何をしているのか、今の私に聞くことは出来ない。数日程度なら休
暇で済む話しだし、もともと押し掛けて来たのに私が甘えているだけだから文
句も無い。そんな事文書通信で・・・って、リュティが小型端末を持っている
のを見た事がないわ。もしかすると持ってないのかしら、それなら代わりとし
てクスカが来ているのも納得できる。
「それと、朝食だ。」
そう言ってクスカは紙袋を差し出して来る。顔が不機嫌すぎてそっちに気を取
られたから、手に持っている物に気が付かなかったわ。
「律儀ねぇ。ありがとう。」
私はお礼を言って紙袋を受け取った。どうせこれもリュティが用意させたのだ
ろう。
「あんたも大変ね。」
そう思うと苦労しているんだなと思って、そんな事を口にしていた。
「気にしなくていい、私はこれで失礼する。」
クスカはそう言うと直ぐに踵を返して去っていった。あっちも望んではいない
だろうと思い見送らずに玄関を閉め鍵を掛けると、紙袋の中身を確認する。駅
前にあるカフェ、ソアールのクラブハウスサンドと紅茶だった。紅茶もリュテ
ィが言ったんだろうなと思う。敢えて言わないと珈琲になりがちだもの。
私はテーブルに着くと、部屋の隅で丸まっている紙屑を広げて内容を確認する。
日付だけ見て丸めたので場所を確認していなかったから。クラブハウスサンド
を囓りながら今夜向かう場所を確認すると、メルクキ商業地区だった。雑多な
繁華街は潜むのには都合がいいのだろう思いながら紅茶を飲む。
(しかし面倒ね。)
昨日も見た内容を確認しながらうんざりする。こんな奴に関わりたく無いなと
思うと、尚更その思いは強かった。それが顔に出るのだろうか、以前リュティ
に司法裁院の仕事が終わった後は辛そうにしていると言われたことを思い出す。
どっちにしろ、お店を続けたいからやるしかないのだけれど。
(さて、開店準備しなきゃ。)
残っている紅茶の紙容器を持つと店内に移動する。開店の五分前だがお店の外
には背広姿のおっちゃんが立っていた。見覚えのあるその姿に、カウンターに
紅茶を置くと時間前だが扉の鍵を掴む。製薬会社のニセイド・ゴーベフは朝か
ら薬莢を受取に来たのだろう、待たせるのも気が引けるのでお店を開ける事に
する。
「おはようございます。気を遣わせてしまいましたか。」
鍵を開けてお店の扉を開けると、ニセイドは笑顔でそう言った。
「気にしなくていいですよ、個人店ですし。」
私は応じると店内に案内する、やはり何故か私まで釣られて口調が丁寧になる
のは変わらない。ニセイドをカウンターの前で待たせ、鍵付きの棚から薬莢の
入った箱を取り出す。
「受け取ってから方々を回ろうと思いまして、朝から寄らせてもらいました。」
ニセイドは言いながら鞄を床に置くと、封筒を取り出す。
「そうですか。」
営業も大変だなと思いながら、私は相槌を打って薬莢を差し出す。営業とか私
には無理ね、本当。
「では拝見します。」
ニセイドは箱から薬莢を取り出し確認する。三十発を全部見たが以前ほど時間
は掛かっていないのは、信用してもらえているからだろうか。一発三万五千も
する品物なので、時間を掛けて確認しようと思うのは分かるので、ゆっくり見
てもらっても気にはしない。私に時間があれば、だけれど。
確認が終わったニセイドは、人の良い笑みで封筒を差し出してくる。
「ご確認ください。」
私は受け取ると中身を確認する。確かに百五万、封筒には入っていた。やはり
報酬を受け取る時は嬉しいし、今はこの分が定期的に入って来るのだから助か
る。
「確かに。」
確認が終わりニセイドに笑顔を向ける。ニセイドも鞄に薬莢を仕舞うと笑顔を
向けて来た。
「前回と変わらず見事な記述で安心しました。また来月もお願いします。」
「こちらこそ。」
私には前回同様、自分の記述がどの程度なのか分からないが、本人が満足して
いるならそれでいいかと思う。収入があり気分が良かったのか、私はニセイド
をお店の入口まで見送った。カウンターに戻ると、飲みかけの紅茶を飲む。
そう言えばリュティが居ない事を思い出し、奥で作業するわけにもいかないな
と思う。リュティに店内を任せ、私は奥で薬莢やアクセサリー造りをするのが
最近の日課になって来ているのだと実感した。
(記述セット持ってきて、ここでやるか。)
居ないものは居ないので、店番をしながら薬莢の記述でもしようと思い、私は
店の奥に置いてある記述セットを取りに向かった。
仄暗い地下通路は、湿度は高いが空気は冷たさを感じるくらい涼しい。それに
加え高湿度の所為か、余計に肌寒さを感じる。絡み付く様な冷えた空気は、確
実に体温を奪っていく。
その中を二人の男が歩いていた。一人は眼帯を着けた隻眼で体格が良く、左腰
に帯剣している。もう一人はやはり左腰に帯剣し、加えて背中にも剣を背負っ
た目付きの鋭い、というよりは目つきの悪いと言った方がしっくりくる男だ。
二人の男が歩くと、長靴の響く音に金属音が混じる。目付きの悪い男の左足が
義足のため、歩くたびに鳴っている音だった。その男が右手で灯りが灯る短剣
を持っているが、その右手も義手であり、金属部分が灯りを反射して怪しく光
っている。
二人は外套を羽織ってはいるが、寒さのためか時折身体を抱くようにして、身
震いをしながら歩いていた。幅十メートル程、高さ五メートル程の広大な通路
は、二人の人間が歩こうと温度が変化する事もなく、体温と共に体力も奪って
いく。重たい空気が圧し掛かり、進ませまいとしているかの様に二人の足取り
を重くさせていた。
「なあマフエラート。」
目つきの悪い男が後ろを歩く隻眼の男、マフエラートを怠そうに呼んだ。
「何でしょう、リャフドーラ様。」
マフエラートはその呼び掛けに畏まって、呼ばれた事への問いを発する。
「こんな場所に、一国を相手取る程の代物が本当に在ると思うか?」
「私には分かりません。あのご老体の言ったことの真偽についてもです。」
リャフドーラの問いにマフエラートは首を振りながら答えた。
「だよなぁ。」
怠そうに同意するリャフドーラに、それ以上言える事もなくマフエラートは後
に続いた。グラドリア国の軍神と呼ばれたバラント・フォーグ・ハイリに、圧
倒された手負いのリャフドーラを連れて、サールニアス自治連国のナベンスク
領に逃避したのが一年近く前。
粉砕されたリャフドーラの右手と左足は修復不可能で、切断を余儀無くされた。
ナベンスク領にある医療技師に義手と義足を作成してもらい、付けたのは半年
前。技師には慣れるのに一年は掛かると言われたが、リャフドーラは三ヶ月程
度で支障なく動かせるようになり、それには医療技師も驚いていた。
故郷であるペンスシャフル国には、裏切ったのだから帰るわけにもいかない。
自分の兵が戻ったのだから周知の事実だろう。そのため流れ着いた地で生計を
立てようと、手っ取り早かったのが兵だったが領民でなければなれず、私兵を
するしかなかった。幸い、メフェーラス国のロググリス領侵攻に伴い、ナベン
スク領含む三国同盟が警戒態勢に入っているため、需要が高まり仕事には困ら
なかった。
そんな中、何時も行く居酒屋に独りでいる老人が酔うと独り言を洩らしており、
毎日の様に居座っては繰り返していて、誰も相手にしないどころか煙たがられ
ていた。それに興味を示したリャフドーラが話しを聞いた結果が現状である。
「ま、無けりゃ無いでやっぱりなってところだし、在ったら儲けって事でいい
じゃねーか。今更失くすもんもねーしよ。」
苦笑して気楽に言うリャフドーラに、しがらみから解放された主への安堵感と、
不敵だった五聖騎時代への懐かしさへの寂寥が、ない交ぜになった気分にマフ
エラートはなった。
「そうですな。」
だがマフエラートはその思いを払拭するように頷く、現状がどうあれ自分の忠
誠は変わらないと。でなければ、故郷を捨て部下を捨て只一人の為に付いてな
ど来ない。その想いを再確認したところでリャフドーラが振り向いた。
「潜ってからどれくらい経つ?」
「そうですね・・・」
マフエラートは応えながら懐中時計を取り出すと、高湿度により文字盤を覆っ
ている硝子の曇りを指で拭い確認する。老人の話しから、ロググリス領に近い
山間部の森に在る入り口から入った。誰かが出入りした形跡もなく鬱蒼と繁っ
た草に埋もれて鉄扉が存在した。知っていなければ見つかりそうもない鉄扉は、
苔に覆われ認識出来ない程だったが、不思議な事に朽ちてもおらず錆びすら無
かった。老人がその存在を知っていた事自体胡散臭かったが、リャフドーラが
暇潰しには丁度良さそうにしていたのが、此処まで来た理由の大半になってい
る。
「二時間くらいです。」
少し前の出来事を思い出しつつマフエラートが答えると、経過した時間を聞い
たリャフドーラはうんざりした顔をする。
「そりゃ身体も冷えるわな。」
「ここまで寒いとは思いませんでした。」
リャフドーラの言葉にマフエラートも同意する。その寒さにマフエラートは懸
念が浮かんできた。
「義足や義手は大丈夫でしょうか?冷えて身体に影響などないでしょうか。」
「まあ冷んやりはするが、その程度だ。気にする程じゃねーよ。」
リャフドーラは振り向かずに空いている左手を振って言った。声からしてもそ
れは伝わったのでマフエラートは安堵する。ただ、現状はそうだが帰りの事ま
でを考えると、リャフドーラの手足に対する心配は拭えなかった。
「もう少ししたら帰るか。手足よりもこの陰気くささに、先に精神がやられち
まいそうだ。」
苦笑して言ったリャフドーラに、マフエラートは頷く。
「無理をしても仕方ありません、また日を改めましょう。」
マフエラートがそう言った直後、リャフドーラの目が鋭くなり剣呑な光を宿す。
マフエラートはその光を見て不謹慎だと思いつつも心が高鳴った。五聖騎時代、
幾度となく見たその眼は、軍神に惨敗して以降見ていなかったのだから尚更だ
った。
「冷えた身体が暖まりそうだ。」
リャフドーラは口の端を吊り上げ不敵な笑みを浮かべると前方を見据える。歓
喜により一瞬硬直していたマフエラートは、気を取り直して同様に前方を見据
えるが、闇が広がるばかりで何も見えない。リャフドーラも見えてはいないだ
ろうが、感じるものがあるのだろうとマフエラートは思った。
「儲け、だったかもな。」
リャフドーラはそう言うと、不敵な笑みを浮かべたまま進み出す。マフエラー
トもそれに続くと今までの徒労、冷気と湿度で体力が奪われ、足取りが重くな
っていた事など感じさせないリャフドーラの歩みに驚かずにはいられなかった。
歩みの早まったリャフドーラが間もなく止まるとマフエラートも止まる。その
存在は既に視認できる距離まで来ていた。
この広大な通路を遮るように阻む壁が在り、一枚高さ二メートル幅一メートル
程の観音開きの扉が、その表面に複雑な紋様を携えその先とを隔てていた。
その扉の前に一人の女性が足を組んで座っていた。シルバーブロンドの髪の間
に微笑を浮かべ、緋色の双眸は妖しく中空に向けられていた。ゆっくりと近付
くにつれ、二人はその存在に違和感を感じ、やがて目を疑う光景に気付く。女
性は椅子か何かに座っているのではなく、浮いていた。まるで空気が固形と化
して椅子として存在するように、地に足を着いているように女性は足を組んで
座っている。
「ありゃ人間か?」
顔を顰め進むリャフドーラに並び、マフエラートも怪訝な顔をする。
「分かりません。が、人に出来る行為とは思えません。」
体は冷えている筈なのに、額から伝った汗にマフエラートは嫌な感じがした。
「化け物でいいか。」
リャフドーラも緊張しているのか、右手に持った短剣に灯る呪紋式の灯りを、
額に浮いた汗が反射していた。
「乙女に対して失礼じゃないかしら。」
女性はそう言うと組んだ足をほどき、通路に音もなく降り立つ。
「普通の乙女は浮かねーだろ。」
リャフドーラが不敵な笑みを浮かべて言うと、女性は顎に指を当て考える仕草
をした。
「つまり私は特別な乙女って事かしら。」
惚けるように笑んで言う女性に、リャフドーラが剣呑な眼を向ける。
「じゃあ化け物って事でいいじゃねーか。で、そこに居るって事は俺らは簡単
に進めねーって事でいいのか?」
女性は若干の寂寥を見せるが、直ぐに妖しい微笑に戻りリャフドーラを見据え
た。
「此処は特定の者以外は不可侵の領域。あなたたちは違うのよ。」
不敵から獰猛な笑みにリャフドーラは変化していた。久しぶりに見たその表情
にマフエラートは歓喜するも、女性に恐怖する。何故ならリャフドーラが獰猛
な笑みを浮かべるのは、相手が強い時程浮かべるからだった。
「いいねぇ、軍神にやられてから退屈してたんだ。暫くろくに動かしてねぇ身
体の調整も必要だからよ。」
リャフドーラは左手で左腰から剣を抜き、刀身を回転させると女性に剣先を向
ける。
「灼帝バラント・フォーグ・ハイリ。あれと闘って生きているなんて驚きね。」
リャフドーラが向けた剣先を気にする事もなく、女性は表情を変えずに言った。
「まったく驚いている様には見えねーなっ!」
リャフドーラは言い終わると同時にその場で剣を振るう、振り抜かれた剣から
は女性に向かい剣先が飛ぶ。女性は身体をずらすだけで避けると、剣先は背後
の壁に当たり鞭で殴ったような音を立てて弾けた。
「こりゃ完全に当たりだな。」
リャフドーラがマフエラートに笑みを向ける。その獰猛さは変わらずに。
「はい、かなりの確度かも知れません。」
「持ってろ。」
頷いたマフエラートに対し、リャフドーラはそう言って右手の短剣を放り投げ
る。呪紋式の灯りは弧を描いて宙を舞うとマフエラートに移動し、光の輪郭を
マフエラートを中心に拡散する。
「はい。」
「暴れても大丈夫そうだな。」
短剣を受け取ったマフラーの返事も聞かず、壁の状況からリャフドーラはそう
言うなり女性に向かって駆け出す。
女性を間合いに捉えたリャフドーラが、右手に持ち変えた剣を袈裟斬り振り下
ろす。女性は横に身体を捌き避けると、リャフドーラの剣が凪ぎ払いに変化、
女性は後ろに跳躍して剣先をやり過ごす。
「空中は避けらんねーぞ!」
リャフドーラは吼えると凪ぎ払いから左上に切り上げる。女性は更に横に身体
を移動させ、剣先の軌道から逃れる。
「あ!?くそっ!」
静かに降り立つ女性を見ながら、先ほど空中に座っていた女性の姿を思い出し
リャフドーラは舌打ちした。そんな事が出来るのならば、空中で軌道を変化さ
せるのも可能だろうと。
「逃げてばかりじゃ飽きんだろ。」
一本では追い付かないと判断したリャフドーラは、剣を左手に持ち替え右手で
背中からもう一本の剣を抜く。抜き様に袈裟斬りで剣先を放つと、女性が避け
た方向に左手で刺突を繰り出しながら間合いを詰め右手で凪ぎ払い、女性が身
を屈めて避けると左の唐竹、女性が滑るように横に移動すると、右手の下段へ
の切り返しが追い縋る。女性は軽く跳躍して避わした。
「飽きたわ。」
息一つ乱れず、呆れた顔をして女性は言った。
「っんだと!」
「馬鹿の一つ覚えみたいに剣先ばかり飛ばす芸の無い攻撃はつまらないと言っ
たのよ。」
女性は緋色の双眸を細め、リャフドーラに剣呑な眼差しを向けて言った。その
圧力に周囲の気温が更に下がった気がして、気圧されたリャフドーラが顔を顰
める。
「言ってくれんじゃねーか、逃げるしか能がねぇくせによっ!」
リャフドーラは間合いを詰め、右の袈裟斬りと左の横払いをほぼ同時に放つ。
女性は後退しつつ袈裟斬りの剣先を避けると、払いの剣先を右手で掴む。飛ん
だ剣先は掴まれたところから白い光を放って分解されていく。
「なっ!?」
驚愕の声を漏らしたリャフドーラは、何時間合いを詰めたか分からない女性の
爪に貫かれていた。女性の五指を広げた左手から伸びた爪は、親指が喉を貫き
中指が右目に突き刺さっている。喉からは空気が漏れ、血が泡立ちながら垂れ
る。右目は眼球が押し出されはみ出し、血の涙を流す。薬指が貫いた耳からも、
首を伝って衣服を赤く染めていた。
「なん、なんだ、てめぇは・・・」
左目を見開き、口から血を溢しながらリャフドーラは得体の知れない思いを口
にする。
「何だっていいでしょう、貴方には関係ないわ。」
女性がそう言うと右手の人差し指の爪が伸び、リャフドーラの左目も貫いた。
左目は押し出されはみ出ると、右目同様に赤い涙を流す。女性が喉と両目を貫
いた爪は、リャフドーラの頭部を貫通して後頭部から飛び出す。
リャフドーラは両手の力が抜けると、剣が渇いた音を立てて床に落下した。身
体の痙攣が弱まると全身の力が抜け、自重が重力に逆らえず崩れ落ちる。引き
抜けた女性の爪からは脳漿と血が滴り落ちた。女性は左手を振り、それを払う
とマフエラートに向かい歩を進める。
「結構痛いのよね。」
女性はリャフドーラの剣先を受けた右手を開いて握る。軍神もそうだが、世の
中は広いという思いと、一年寿命が伸びただけだったかという思いでマフエラ
ートは自嘲した。
「仕える方が居ないのであれば未練は無い。」
マフエラートは近付く女性を見据えて言った。
「あら、潔いいのね。」
微動だにせず立つマフエラートの前に、女性は立ち止まると左手を右に振り抜
いた。マフエラートの首と顔に朱線が浮かび上がると、首の断面から吹き出す
血が頭部を瓦解させる。粗末な音を立て床に落ちると、血と脳漿を撒き散らし
首から吹き出した血がそこに降りかかる。マフエラートの身体は立っている事
が出来なく仰向けに倒れ、短剣に灯る光が未だ消えることなくその残骸を照ら
した。
「また入り口を隠さないといけないわ。それと、グベルオルへのお灸も必要か
しら。」
女性はそう呟くと、歪んだ空間へと消えていった。
扉が開いた事によりユーアマリウは目を開ける。アーリゲルが口の端を吊り上
げ、下卑た笑みを浮かべ部屋に入ってくるのが目に映る。横を見るとラーンデ
ルトは痛々しい姿のまま横たわっているのは変わらず、眠りに落ちていた。
ユーアマリウは自分も見れた姿ではないと、下着姿で傷だらけの椅子に拘束さ
れた自分を確認する。状況は何も変わっていない。一時的に眠りという現実逃
避をしていただけだと認識させられた。
昨日殺された十人は、背広姿の男たちに片づけられ部屋の中も清掃されている。
地下という空間のせいか、換気扇は悪臭を処理しきれずに部屋の中に未だ漂っ
ている。切断された首は部屋の隅の暗がりに無造作に転がされていた。
「ボルフォンから連れて来てやったよ。」
アーリゲルはそう言うと部屋の入り口に待機している男に合図をする。手を後
ろで拘束された男女と二人の子供が部屋に入れられる。
「きゃっ!」
「ユーアマリウお嬢様っ!それにまさか、ラーンデルト卿か!?」
女性が傷だらけの二人を見て悲鳴を上げ、拘束されているのが誰か気付いた男
性が名前を呼ぶ。子供二人は煩いからなのか、布で猿轡を噛まされ目には恐怖
の色と涙を浮かべていた。
ユーアマリウはその四人をよく知っていた。ボルフォンの実家の近くに住む家
族で、男性の方は良くカーダリアを訪ねて来ていた。家族同士での夕食会など
もして懇意にしていた一家だった。確か長女は七歳で長男は五歳だったとユー
アマリウは記憶していた。
「これはどういう事かアーリゲル卿!」
室内の惨状を目にした男性が声を荒げてアーリゲルを問いただす。女性は部屋
の隅に置かれた頭部に蒼白な顔をして吐き気を堪えていた。アーリゲルは男性
の問いに、顎でユーアマリウを指す。
「ユーアマリウが聞きたいこと言ってくれんでよ。お主らに手伝ってもらいた
いと思って連れて来たわけよ。」
男性は意味が分からず、怪訝な顔をユーアマリウに向ける。
「誰を連れてこようと無駄です、その人たちを帰してください。」
ユーアマリウは一家の方には目を向けず、清廉な眼差しでアーリゲルを見据え
て言った。
「本人は気付いておらんようだがよ。」
アーリゲルはユーアマリウを見返すと、目を細めて嗤う。
「何の事ですか?」
「何れ分かるがよ。」
何の事を言っているのか分からないというユーアマリウの問いに、アーリゲル
は口の端を吊り上げた。
何故言いたく無いのならば自害しないのか、何故無駄だと思うなら無視を決め
込まず何度も口に出して言うのか、何故昨夜涙を見せたのか。アーリゲルはそ
の思い浮かべた疑問から、既に解には至っていると考えた。自害に関してはさ
せるつもりなど毛頭無かったが。
「お主はヴァールハイアの家名が弊害となっておるのよ。」
「意味が分かりません。ヴァールハイアの名は誇りに思う事はあっても害にな
った事などありません。」
「それよ。」
アーリゲルの言葉を気丈に否定するも、アーリゲルは口の端を吊り上げたまま
憐れみの視線をユーアマリウに向けた。ユーアマリウの瞳は揺らぐ事は無かっ
たが、アーリゲルの言った意味を理解することは出来なかった。
「今日はくじ引きでもするかよ。」
アーリゲルは愉快そうに言うと、控えていた男たち目で合図する。男の一人は
穴の開いた箱を用意し、もう一人は掌程の大きさの紙片を複数枚用意して書き
込む準備をする。アーリゲルはその間に入り口付近の椅子に腰掛けると、昨日
と同様に机に肘を着いた。
「息子が姉を犯し、その息子を更に父親が犯すでどうよ。」
アーリゲルがそう言うと、紙片に男が書き込み箱を持った男に渡す。受け取っ
た男は折り畳んで箱に入れた。
「母親が息子に犯されながら、父親の男根を咥えて噛み千切るとかよ。」
男は紙片に書き込むと箱を持った男に渡す。
「なんて残酷な事を。無駄な事は今すぐ止めて帰しなさい。」
アーリゲルの下卑た笑みを刺すように見据え、ユーアマリウは言った。
「ふん、好きなだけ吠えとれよ。」
ユーアマリウを見る事なく鼻を鳴らして吐き捨てると、アーリゲルは続ける。
「娘の穴は父親と息子じゃ不足だからお前らも塞いでやれよ。」
「こんな事が罷り通ると思っているのか!」
男性は憤怒の表情でアーリゲルに怒鳴るが、目を細めると薄ら笑いだけでアー
リゲルは見返しただけだった。
「これが推進派のやり方か!」
「マールリザンシュが温いから代わりにやっとるだけよ。」
続く怒声にアーリゲルはつまらなそうに冷めた目をする。
「切断した息子の腕で、母親が自慰行為なんてよ。」
「いい加減にしないかアーリゲル卿っ!こんなやり方を他の推進派は認めはし
ないぞっ!」
くじ引きの続きを言うアーリゲルに男性は攻勢を緩めずに怒鳴る。横では何事
も無いように男が紙片に書き込み箱を持った男に渡していた。
「お前が推進派の何を知っているかよ。」
「少なくともマールリザンシュ卿は、こんな事は許さないっ!」
うんざりして言ったアーリゲルに、男性は断言した。これはアーリゲルの独断
で行われている事だと。その男性の言葉を聞くとアーリゲルは薄ら笑いを浮か
べる。
「ヴァールハイアに懐いていた割には良く知っとるがよ。」
「カーダリア卿はただの友人だ!」
穏健派など関係なく、男性はカーダリアをそのように思い、また付き合って来
たのだという思いを吐き出す。
「ほう、ならその娘に言わせてみるがよ。」
アーリゲルが顎でユーアマリウを示すと、男性はユーアマリウを見て苦い表情
をするだけで口をつぐんだ。ユーアマリウが一体何を頑なに拒否しているのか
分からなかったが、ここまでするからには余程の内容なのだろうと。思うがそ
の内容を知らないし、何よりユーアマリウが見せる瞳は語らないだろうと思わ
された。幾度となく目の当たりにしてきたヴァールハイアの目が、そこには在
ったのだから。
「結局役立たずかよ。」
男性の態度にアーリゲルは吐き捨てると、冷めた目をユーアマリウに向ける。
ユーアマリウは変わらない眼差しでアーリゲルを見据えていた。その高潔で揺
らぎもしない瞳に辟易すると、アーリゲルは一家に視線を戻す。
「飽きた、もうそいつらに殺し合ってもらうでいいがよ。」
吐き捨てるアーリゲルの言葉を、横にいた男が律儀に紙片に書き込んでいく。
箱を持った男が紙片を受けとり折り畳んで箱に入れると、その箱をアーリゲル
に差し出した。
「もう面倒臭ぇがよ。」
アーリゲルはそう言いながらも箱に手を入れると、漁るように掻き回して引き
抜く。手には複数の紙片が握られていた。
「うっかり全部引いちまったがよ。取り敢えず引いたからにはやるがよ。」
アーリゲルはつまらなそうに言うと、紙片を投げ捨てる。床に紙片が散るのを
合図に男たちが動き出した。
「アーリゲルっ!!絶対に許さんぞっ!」
「はいはい、好きなだけ言っとれよ。」
男性の憎悪の叫びをあしらうと、ユーアマリウの方に目を向ける。悲鳴と怒号、
悲痛な絶叫が部屋を埋め尽くすがユーアマリウは変わらずにアーリゲルを見据
えたままでいた。横で転がっていたラーンデルトはいつの間にか目を覚まして
おり、その惨状に目を固く瞑り唇を噛んで涙を流していたが、誰も目を向ける
事は無かった。
身体の至るところから血を流し、憎悪と無念を残し光を失った目を見開いて事
切れた両親と、理不尽な苦痛と暴威に苦悶の表情のまま動かなくなった二人の
子供をアーリゲルは見下ろす。それを道端転がる石でも見るかの様に一瞥する
と、椅子から立ち上がり部屋の入り口に向かう。
「また明日来るからよ。」
揺らぎの無い瞳から涙を流し続けるユーアマリウを目にして、それだけ言うと
アーリゲルは口の端を吊り上げて笑みを浮かべながら悪臭の充満する部屋を後
にした。ユーアマリウの気丈さも長くは無いだろうと思いながら。
ターレデファン国、メーアクライズという町が在った跡地をアリータは遠目か
ら眺めていた。リンハイアに見る事を促され、早い方がいいだろうと翌日に出
向いて来たが、そこは跡地と呼べるものではなかった。跡地とは存在した形跡
があって然るべきもの。
(いや、歴史としては残っているという事?)
疑問を浮かべてみるが解決する手段をアリータは持ち合わせてはいない。見え
る限りの荒野は、所々に石なのか瓦礫なのか判別が付かないものが小さく見え
るだけで、草木はまったく生えていない。二十年以上も前の事なのに、風雨で
土地が均されるだけの荒野。此処に一万人近くの人間が町を造り住んでいたと
は、とても思えなかった。住んでいたという記録も、メーアクライズという町
の名前も残っているのに、思えない。
(記録にあるのに記憶に存在を認められない、町が消え人が死ぬ事以上の末路、
それが大呪紋式の傷痕という事?)
人に対して未曾有の厄災をもたらすものなのか。だが結果は文明だけではない、
大地すら死んでいる。二十数年経った今でも、何故起きたのか、何故発動され
たのか、何故植物が育たないのか、解明されているものはない。
未知なるものに恐怖を抱く人間にとって、常に在り続ける存在として残ってい
る。大陸に生きる人間の殆どは知らない事実だが、確実にその恐怖は存在し、
悩み苦しませるだろう。
(私が此処に居たところで、何か解るわけでもない。)
アリータは未知の恐怖にも、大呪紋式の謎にも答えが出るわけでもないと思う
と、メーアクライズが在ったと言われる荒野に背を向けた。空は変わらず続い
ているのに、自分が立つ場所の前後では景色がまるで違うと、上空を見上げな
がら思った。
(グラドリアに戻ろう。)
それだけ思うと、アリータは前を向いて帰路に着いた。
2.「人の反発は抑圧に対し生まれる。だが抑圧を生むのは反発する前の人間が
原因である事が大半だ。」
私はお店を閉めると準備をして、メルクキ商業地区に向かった。何時も通り合
革製で黒のショートパンツにジャケット。腰の後ろに紅月と、左腰に雪華を挿
して夜のアイキナ市を疾駆する。
司法裁院の依頼はかなり嫌な気分になるが、死に直面するほどの危機は無かっ
た。高査官が持ってきた依頼は別だけれど。それでも常に不測の事態は起こる
可能性は在るので、万全とはいかないまでもしっかり準備はするようにしてい
る。五葉会のような相手は緊張するが、逮捕歴のある人物は戦闘力に於いての
危険は少ない。
ただ、その代わり犯罪を重ねるごとに狡猾になっていくのだろう。警察局を欺
くのにも長け捕まるまでの期間が長くなるため、被害もその分拡大する。以前
の少女監禁犯が仕掛けた罠に掛かった事を考えれば、準備をするのも当然だし
し過ぎという事もない。現にあの時は麻酔であろう罠を中和出来たわけだし。
メルクキ商業地区に着いたのは二十三時を廻ったところだった。この時間にな
っても歓楽街も抱えている主要通りは、お店の灯りと看板の光が煌々として明
るい。飲食店に出入りする人もそうだが、時間が時間だけに酔っぱらいも多い。
呼び込みの男性や女性に、気分良さそうに着いていく中年も少なくない。そん
な繁華街を横目に私は裏路地の方へ向かう。
裏路地に入ると暗くなるかと言えば、そうでもない。表に入り切らない店舗が
流れてくるだけなので、多少暗くはなるが大差はない。それでも表に比べると
明らかに胡散臭いお店や、違法と思われるお店も目につく。逆に言えばそんな
お店は表に構えられないのだろうけれど。
更に繁華街から遠ざかると、煌々とした灯りも落ち着き夜の静けさが混じって
くる。この辺に住んでいるのはメルクキ商業地区で働く従業員が多いと聞く。
都合を考えれば当たり前の事だが、そんな場所に今回の標的であるアンナは潜
伏している、司法裁院の情報では。今まで違えた事はないので間違いはないと
思うが。
こんな場所だけに、お客さんとの間に出来てしまった子供を育てている人もい
るのではないかと思える。この辺は警察局の手も入りにくい場所だ。というか
見て見ぬ振りをしている事も多いだけに、アンナにとっては都合がいいのでは
ないかと、嫌な想像をしてしまう。
(いや、在りそうで嫌だ。)
自分で考えた事に辟易する。問題の建物をそんな気分で見上げる。二階建ての
木造集合住宅はかなり古くさい見た目だった。出所したてのアンナにとってメ
ルクキ商業地区は都合が良かったのだろう、手軽に働ける繁華街と安い住居は。
(確か一階の奥だったわね。)
建物の裏手に回りアンナが居る部屋の窓に近づく。周囲を確認するが人の気配
はない事に安堵する。電気は点いていない。と思ったが薄明かりが見える。も
う寝ているのかなと考えると、そうだったら楽でいいなと思った。まあそんな
都合の良い展開は無いだろうと思い、窓を確認すると寝ている程の都合良さで
はないが、換気の為か少し開いていた。
覗き込もうとすると、開いている隙間から悪臭が漏れ漂っているのが鼻に届き
私は顔を顰める。その臭いは明らかに糞便のもので、嫌な感じしかしない。
(帰りたくなってきた。)
と思うがそうもいかないので、悪臭を我慢して窓の中を覗き見ると、テーブル
の上では蝋燭の灯りが揺らめいていた。薄明かりの正体は蝋燭だったがどうで
もいい。問題はその灯りに照らされている女性の顔。間違いなく司法裁院の依
頼書にあった写真の女性、アンナだ。恍惚とした表情を天井に向け、虚ろな瞳
で虚空を見つめているようだった。
部屋の中に視線を移すと、テーブルの横に敷かれたシートの上に赤黒い物体と、
同じ色に染まったナイフを持つアンナの手が目に入る。
(・・・遅かった、くそっ!)
シートの上にある物体からは黒い体液が広がり、短い手足が確認できる。悪臭
の正体はその物体から流れ出たものなのだろう。
沸き上がる黒い感情に、私は窓を勢いよく押し開いて部屋の中に飛び込んでい
た。突然の侵入者にアンナは驚く事もなく、虚ろな瞳を私の方に向けただけで
動く事も声を出すこともしない。ただ恍惚とした表情を向けているだけだった。
シートの上にある物体は腹を切り裂かれ、内蔵を取り出されて横に並べられて
いる。頭部も頭蓋を開けられ、脳が破損して脳漿を垂れ流し、眼球も刳り貫か
れ頭部の横に置かれていた。
(なんなんだこいつはっ!?)
三歳か四歳くらいの子供だったであろうそれは、生前の状態など判別出来ない
程無惨な姿にされていた。黒い感情とともに込み上げる吐き気を堪え、雪華を
抜くと薬莢を籠めて引き金に指を掛ける。アンナに向けた銃口が震えているの
が分かった。銃口を向けられてもアンナの状態に変化はなく、ただ虚ろな瞳と
恍惚した表情を私に向けている。
(なんなのよ・・・)
今まで対峙したことの無い相手に戸惑い、引き金に掛ける指すら震える。目の
前のアンナを、シートの上にある物体を、この空間を、何もかも吹き飛ばして
しまいたい。引き金に掛けた指に力をいれて、逡巡して止める。ハドニクスの
屋敷の二の舞にする事は出来ない。他の人も生活しているのだから。
まだ、あの時程暴走はしていない。
私は雪華を仕舞い、手刀でアンナの首を跳ねると距離を取る。私を見上げてい
た虚ろな瞳は変わることなく、恍惚とした表情のままアンナの頭部は後ろに傾
いて落ちていく。切断した首の断面からは赤黒い体液が噴き出す。私はその血
から逃れるように部屋を飛び出した。噴き出した血は蝋燭の揺れる火を消し、
部屋の中を闇に変えた。
私は直ぐに建物を後にした。意味が分からない。一体なんだというのか、アン
ナの行動も、態度も、虚ろな瞳もなに一つ分かりはしない。もう答えの出るこ
との無い疑問は、分かりたくもない。
(気持ち悪い・・・)
メルクキ商業地区の繁華街を抜け、お店に向かって走っている途中に思考の気
持ち悪さから、裏路地に飛び込んだ。
「ぅ・・・おぇぇっ・・・」
何に対しての嘔吐か分からない。子供を解剖したアンナの行動になのか、解剖
した後のアンナの態度になのか、何も分からない自分になのか。分からない。
気持ち悪いままお店の居住区域に戻ると、冷蔵庫を開け麦酒を取り出すと、開
栓して一気に喉に流し込む。空き缶を流しに放るともう一本取り出し飲む。身
体に入った水分が入れ替わるように、目から涙が溢れ出すと、その場にへたり
込む様に座る。
あれ、泣いているの?
分からない。
私、何で泣いている?
わからない。
十代半ば程の少女が地面を蹴ると、短い雑草が根を引き千切られ土と一緒に宙
を舞う。無造作に腰辺りまで伸ばされた、少女のダークグレーの髪は横に靡き
少女を追う。少女は地面を右足で踏み込み右手の突きを老人の胸に放つ、同時
に左足の上段回し蹴りが老人の即頭部に向かう。突きを右に身体を捌いて避け
た老人は、身を屈めて回し蹴りを避けると、続く踵落としを右腕で受け止めて
左拳を少女の胴に放つ。
少女は受け止められた左足を軸に、右手で老人の突きに手を添え右足で地面を
蹴って宙に舞う。左手で肩を支点に背後に回り込む、身体を反転させて着地す
ると直ぐ様右足の中段回し蹴りへ移行、老人が振り向きながら身体を後ろに避
けるがそこには足を入れ替えた、少女の中段左回し蹴りが迫っていた。
「ぬ。」
老人は顔を顰めると身体を左に捌き辛うじて間合いを逃れるが、少女の左足は
既に地面を踏み込んでおり、左の突きが老人の右脇腹を捉える。直前、老人が
加速して少女の左手に添うように身体を左回転させ、そのまま少女の左半身へ
当て身を入れる。当て身を受けた少女は真横に吹き飛ばされ、地面に両手足を
着いて転倒を回避した。
「今のは悪くない。」
「ジジイ、本気だすなよ。」
少女は手を打ち合わせ着いた土を払いながら、唇を尖らせる。
「大人気ない。」
唇を尖らせてはいるが、歳を重ねても顔は無表情のままの少女が不満を溢す。
「一瞬でも儂を本気にさせたのだ、喜べ。」
「ジジイの本気とかどうでもいい。町に行きたいだけ。」
少女はそう言うと再び構える。老人も構えて迎え撃つ姿勢を取る。
「儂に一撃入れたら良いと言っておるだろう。」
老人は少女を挑発するが、その顔も変わらず無表情だった。変わった所と言え
ば顔に刻まれた皺が深くなったくらいだ。
「ジジイを越える日も近い。」
「言っておれ。」
少女の姿が霞み、蹴られた地面が土を舞い上げる。少女は左足で踏み込むと左
手の抜き手を老人の鳩尾へ放つ。老人は右手で弾きつつ左手の拳で少女の三日
月を狙う。少女が頭部を左にずらし避けたところへ老人の右上段回し蹴りが迫
る。少女は右足で更に踏み込むと、左手で蹴りを受けながら右肘で老人の顎を
狙う。老人は右足をそのまま蹴り抜き引き剥がすように少女を飛ばす。着地と
同時に少女が地を蹴った瞬間、少女は老人の異変に踏み込みを急停止する。
「ジジイ、なんで口から血を吐いてんだ。」
唇と顎を赤黒い血に染め、口角から血を垂れ流している老人を見て少女は疑問
を口にした。老人の喀血は地面に飛び散り黒い染みを作り、雑草に赤い斑点を
付けていた。
「人間歳には抗えないという事だ。」
老人はそう言うと口から血を吐き捨て、少女に向かって構え直す。
「ジジイ、死ぬの?」
少女はその構えには応じず、無表情のまま老人を見据えて問う。
「何れ、な。今ではない、気にせず来い。」
少女は老人の言葉にも反応を示さず、踏み込もうとした姿勢のまま動かない。
ただ、表情に変化は無いが瞳だけは微かに揺らぎを見せていた。
「お前が気にする事ではない。」
その変化に気付いた老人は事態に動揺していると思い、構えを解いて言った。
今日はこれ以上無理だろうとの判断から。
「今日は終わりにして家に戻るぞ。」
老人はそう言って、何時もの家の裏手にある広場から家の方に向かって歩き出
す。横目に少女を見るが固まったまま動く気配は無い。広場を出るときに振り
向いて、もう一度確認するが変化は無かった。老人は確認しただけで何をする
でもなく、少女をそのまま放置して家へ向かった。
少女が家に戻って来たのは夕方だった。広場で目にした状態から特に変わりは
無かったが、微かな瞳の揺らぎは無くなっていた。
「飯にするか。」
老人はお椀の酒を飲み干すと、食卓に置いてそう言った。
「うん。」
少女は頷くと台所に向かう。後を追うように老人も向かい夕食の準備を始める。
少女が居ない時に捕ったであろう魚が処理してあり、少女はそれを焼き始める。
老人は汁物の準備をしつつ、今朝炊いた余りのご飯を温める。少しばかりの野
菜を添えた夕食を、少女と老人は無言で食べる。老人は空いたお椀に酒を注ぎ
足して飲みながら。
「話しておくことがある。」
食事を終え食器も片付け、少女が部屋に行こうとすると老人が呼び止める。
「遺言なら聞かない。」
少女は部屋の扉を開けようとして止まり、老人の方は見ずに言った。
「そんなものは無い。ただ話しておく事があるだけだ。」
老人も少女を見ずに言った。少女は返事をする事もなく食卓に戻り老人の向か
いに座る。老人は渇いた口内を湿らすように、お椀から酒を一口飲む。話しを
するとは言ったものの、躊躇うように少女の方は見ずにお椀に視線を落とす。
少女も座って膝の上に置いた自分の手に視線を落とし、無言のまま動かずにい
た。老人の態度から、決して何時もの雑談のような軽い話しではないだろうと
察して。老人はもう一口お椀から酒を啜ると、意を決した様に少女に目を向け
る。
「十二年前、儂と会った時の事を憶えているか?」
少女は老人に問われると、身体を固くして頭を大きく左右に振った。
「当時儂は所要があってな、ターレデファン国のメーアクライズという町に向
かっていた。」
老人は視線を中空に投げると思い出しながら、懐かしむように話し始める。
「ところがターレデファンの首都で一泊し、翌朝メーアクライズに向かおうと
したらその町は夜のうちに消滅していた。」
「聞きたくない。」
老人がそこまで話すと少女は拒否した。老人が視線を少女に戻すと、少女は拒
絶するように頭の振りを強くしていた。
「儂も長くはないだろう。何れ話さねばと思っておったし、儂が話さなくても
知ることになる。」
「聞きたくない。」
老人が諭すように言っても、少女の態度は変わらず頑なに拒否を示していた。
老人はそれを見ても構わず話しを続ける。
「儂は信じられずメーアクライズに向かう事にしたが、交通機関は動いておら
んかった。それでもこの目で確認したかったのでな、走って向かった。」
「聞きたくない!」
少女は声を荒げて両手を食卓に叩きつけると、椅子を蹴倒して立ち上がる。老
人はそれを見ても表情を変えず、お椀から酒を一口飲むと話しを続ける。
「現地には既に大勢の野次馬が集まっていてな、そいつらが向ける視線の先は
荒野しかなかった。昨日まではメーアクライズの町が存在した筈の場所がだ。」
「うるさい!」
少女は叫ぶと一目散に自分の部屋の前まで駆け、扉を勢い良く開けると部屋に
飛び込み、けたたましい音を立てて扉を閉める。その音で老人の言葉を掻き消
すように、閉めた扉で拒絶するように。
「儂は野次馬から離れ、その光景が目の前に在るにも関わらず自分を疑った。
呆然としているとそこへ一人の女性が現れて、町の中心を指差すとそのまま消
えてしまった。」
老人は少女の拒絶を目の当たりにしても、構わず話しを続けた。扉一枚で音が
遮られるわけもなく、少女に届いていたのだろう。部屋の中からは何かを殴り
付けるような音が響いてくる。
「儂は女性の示す方向に意識を向けた。意識を集中してみると、微かに子供が
泣き喚く声が聞こえたような気がして、気付いたらその荒野の中を駆けていた
。」
少女の部屋の中から何かが壊れるような音が響き、老人の元に振動が伝わる。
それでも老人は壊れた蛇口なのか、後に引けないのか、話し始めたことを止め
る事なく続ける。
「町の中心は分からぬが、中心であろう方向に走っていると、泣き声が気のせ
いでは・・・」
「ぁぁぁあああああああああああああっ!!」
淡々と語る老人の話しは、少女の絶叫によって掻き消された。
気が付くと浮遊感が身体を覆っている。違和感に目を開けるといつか見た白い
世界だった。前回と同じように文字やら記号やらの中で、身体が揺蕩っている。
例に漏れず服は着ていない。
どうでもいい。
何故私は意識を持ってこの訳の分からない世界に居るのか。
分からない。
身体を動かそうとしても動く気配は無い。視界だけが眼球の動く範囲で広がり
認識が出来る。呼吸はしているのだが、本当に出来ているのかは分からない。
違う何かを取り込んでいるのかも知れないが、そこまでの感覚はない。身体が
浮いている認識が出来るのに動かせないのと同じような感覚だろうか。
(一体私に何を見せたいの?)
意味の分からない状況に疑問を浮かべてみるが答えはない。口から言葉を発せ
ない事の認識が出来ただけだった。
(何かを伝えたいわけ?)
頭の中に疑問を浮かべても結局答えはない。世界はただ白いままで、構成して
いるであろう文字や記号が私と同じで揺蕩っているだけ。いや、よく見るとそ
れらは揺蕩っているのではなく流れているが正解だった。ただ、それに気付い
たからと言って何か分かるわけでも答えが出るわけでもないけれど。
(意味が分からないわ。本当に。)
自分ではどうする事も出来ない。出来る事といえば考える事と見る事くらいし
かない。このまま寝てしまえば戻るだろうか?と思って目を閉じても白い世界
は薄らと潜り込んで来て落ち着かない。ただ本当に何もする事が無いのでその
まま瞼を下ろしたままにする。
どれくらい時間が経っただろうか、と思っても実際そんなに経過していないだ
ろう。何もしていない時間は思った以上に過ぎてはくれないから。
(飽きたわ。)
一向に開放してくれない世界に嫌気がさしてくる。何時戻れるのかも分からず、
何も出来ない煩わしさに苛立ち目を開ける。が、何も変化は無い。仕方がない
から視線を彷徨わせて、世界を眺める事にした。面白くもなんともない、気が
滅入って来る。そのうち発狂するんじゃないかと思えた。
(ん?)
ふと視界の端に違和感を感じて、感じた先を注視すると白とは対極に位置する
色が存在した。その黒い点を見ていると、どうやら広がっている気がした。黒
い点がある場所は遠いのか近いのか分からない、世界に距離感を感じられない
せいだろう。
私が、若しくは黒い点が近づいているのか、それとも黒い点が大きくなってい
るのか判別はつかないが、どちらにしろ目に見えて大きくなっているのは分か
った。いや、それすら気のせいかもしれないが。
暫くぼんやりと眺めていると、その黒い点は白い空間を侵食していた。流れる
文字や記号を喰っていた。ただ広がっているのではない、表面が窪んだかと思
うとそこに流れ込んだ文字や記号を取り込んでいる。この空間を取り込んでい
るのだろうか。
頭が痛い気がした。黒い点は私の中にある不安のようにも、沸き上がる黒い感
情のようにも思えた。嫌な予感とも悪寒とも言えない気持ち悪さに嫌気がして
くる。
頭が痛い気がした。それは気のせいではなかったかも知れない。気分の悪さか
らそう思い込んでいるのかも知れない。
頭が痛い。はっきりと感じると顔を顰める。気持ちだけ。実際は感覚が無いか
らわからない。同時にはっきり浮かんでくる嫌悪感は、侵食する黒い点のせい
だろうか。逃げ出したいが身体が動かないし、何故か黒い点から目を離す事が
出来なかった。
拒絶したいのに飲まれたい思いでもあるのだろうか。膨らむ黒い点と分からな
い自分の感情と、意味の分からない世界に吐き気がして目を閉じる。白い世界
は透過してくる事はなく、闇が広がると私の意識は薄らいでいった。
「ぅぁぁぁぁあああああああっ!」
右手を握り締めた私は右方向に振り抜いた。右手が持っていた麦酒の缶は潰れ、
余っていた残りは飛沫いて散った。潰れた缶が傷つけた右手はテーブルの足を
粉砕、痛みが右腕を襲う。
夢の延長で喚いた私は、右手の痛みに顔を顰めて見ると、握り締めた右手から
麦酒と血が滴っていた。昨夜座り込んだ後そのまま眠ってしまったらしい。窓
の外を見るとまだ暗く、目を時計に向けると時間は三時半を示していた。
続けて来る吐き気に、潰れた麦酒の缶を投げ捨てトイレに駆け込むと吐いた。
出てくるのは帰って来てから飲んだ麦酒だけだったが、目と鼻からも体液が溢
れてくる。
何に対しての吐き気なのか、何で泣いているのか。昨夜のアンナに対してなの
か、未だに拒絶している糞ジジイの話しに対してなのか。両方だろうが後者の
方が強いのだろう。受け入れられない過去は拒絶という形で私の心を未だに苛
んでいるのだから。
トイレを出た私は浴室に向かいシャワーを浴びた。身体の表面を流れるお湯は、
私の中に在るものは一切流してはくれない。記憶も過去も流してくれたらどん
なに楽だろうと思うと、涙が止まらない。
浴室の壁に手を着いて、どれくらいの時間頭から浴びただろう。いつの間にか
止まった涙は、考える気力が無くなり感情が希薄になったせいだろうか。
浴室を出て時計を確認すると一時間程経っていた。
「喉、渇いた。」
私は意識せずそう呟くと、冷蔵庫から麦酒を取り出し開栓して流し込む。冷蔵
庫の前に座り込むと、冷蔵庫を背凭れにして呆としながら麦酒をただ飲んでい
た。心が疲弊したのか、何も考えられずただ呆然としながら。やがて意識が途
切れるまで。
机上に置いてある水差しから、グラスに水を注ぐと口に運ぶ。水差しの先には
裏を向いたプレート、反対側には執政統括の文字が刻まれている。窓の外の曇
り空は暗雲の様で、リンハイアは心にも雲が掛かるようで陰鬱な気分になる。
憂いの表情を見せるリンハイアの横には、何時も通りアリータが立ち、その様
子を気掛かりにしていた。ただ、これから報告する内容もそれ以上に気掛かり
であり、不安だった所為もあったのかも知れない。
「ユーアマリウ・ヴァールハイアが数日前から行方不明です。同時に家主であ
るラーンデルト・フェーヌコリウ卿もです。」
アリータはヴァールハイア家最後の令嬢が、行方不明という事態に切なさを感
じずにはいられなかった。リンハイアも目を閉じ、何時もの微笑は浮かべるこ
となく黙って聞いている。
「推進派が強硬に出たという事でしょうか。」
リンハイアから事情を聞いていなければ思い付かなかったかも知れない事をア
リータは口にした。だがその問いに、リンハイアは目を開けると首を左右に振
った。
「推進派というより、推進派内の誰かだろう。マールリザンシュは強硬策を取
るような事はしない。」
誰が、と思ってもリンハイアにも分からないのだろう。現地に滞在する執務諜
員クノスは、推進派を含め動向を監視しているに過ぎない。ただ、二人の行方
不明と推進派に目立った動きはないという報告が来たのみだ。
「現状では動きようが無い。クノス・ノーバンにはそのまま継続するように伝
えてくれ。」
「分かりました。」
他国の問題に首を突っ込むわけにはいかない、静観するしかないのだろうとア
リータは思う。グラドリアが絡めば監視していましたと公にするようなものだ、
どの国もやっている事とはいえ表に出せる事ではないのだから。
当主が戻らないのであれば、フェーヌコリウ家の誰かが警察局に捜索願いを出
しているとも考えられる。ただこれ以上どうも出来ないので、考えても仕方が
無いとアリータは気持ちを切り替える。
「イリガートからの報告ですが、オーレンフィネアがまた動き出したようです
。」
アリータの報告にリンハイアは微かに表情を険しくした。普段見慣れているア
リータだからこそ、気付ける程度の変化でしか無かったが、アリータはリンハ
イアの表情に不安が込み上げる。
「例の地下への入り口へ、定期的に入り込んでいるようです。ただ、入るだけ
で出てきた者は居ないようですが、何処か別の場所から出ているのでしょうか
?イリガートが気付いていないだけで。」
アリータの疑問にリンハイアの表情は厳しくなった。
「いや、出て来てはいない。」
言い切るリンハイアに怪訝な顔をアリータはするが、込み上げた不安は膨らん
でいく。
「送り続ける事でオングレイコッカの疲弊を狙っているのだろう。一人でも監
視が居れば情報に事足りる。つまり戻って来ないのは皆殺されているからだよ
。」
なんて残酷な事をするのか。死ぬと分かっている場所に送られるのは恐怖でし
かない。行く方は知らされていなくても、現地に辿り着いたら惨状を目の当た
りにして逃げる可能性もある。イリガートの報告からすれば、死を覚悟してい
るとしか思えない。だとすれば残酷過ぎると思いアリータは憤りを感じた。
「ユーアマリウ嬢を拐ったのと、ペンスシャフルで人を動かしているのは同一
人物だ。それは推進派の人間であり、推進派の知らないところで独断で動いて
いる。」
リンハイアの言葉にアリータは驚きを隠せなかった。同時にユーアマリウもそ
の残酷さに晒されていると考え、切なさが怒りに代わる。面識は無くとも酷な
話しに。
「誰かは特定出来ないが明らかにする必要はある。」
誰が、と思ったがリンハイアも特定出来ていないのであれば、アリータには想
像すら出来ない。
「イリガートには辛い仕事になるだろうが、なるべく見張るように伝えてくれ
。」
「はい。」
やり場のない怒りを殺してアリータは返事をする。面識のあるリンハイアの方
が辛いのではないかと思うが、この為政者はそれでも職務を全うしていると思
えば、自分だけ感情を露には出来ないと自分を窘めて。
「無理をする必要はないよ。」
それを見透かしたリンハイアが、微笑を向けてアリータに言った。
「大丈夫です。」
その気遣いにアリータは気丈に返した。それを見込んで大呪紋式の事を話して
くれたのだと思えば、応えるのが務めだと。
「ユリファラからの報告ですが、リンハイア様の仰る通りバノッバネフ皇国の
宰相、ギネクロア・ウリョドフが国境沿いの町に現れた様です。引き続き監視
を続けるそうですが。」
「それで構わない。」
まだ動きの少ないバノッバネフについては、それで話しが終わった。アリータ
はバノッバネフ皇国の宰相を監視する理由は聞かされていないので、それ以上
の話しはない。リンハイアが話さないのは未だ情報が確定していないだけで、
何れ話すだろうと思えば聞くだけ自分を貶めるような気がして。
「こちらも準備する必要がありそうだ。」
リンハイアの言葉にアリータは、憤りから忘れていた不安を思い出す。何に対
しての、というものではなく漠然とした不安だが、 分からないからこそ人は不
安を抱くのだと、自分を鼓舞して払拭する。いちいちそんなものに囚われてい
ては、この先にいつか進めなくなると。きっと目の前の為政者は何があっても
進んで往くだろうと思えば尚更だった。
「私は何をすればいいでしょうか。」
やはり見透かされているのか、リンハイアは微笑で頷いてから口を開いた。
「明日出掛ける。メイ・カーに護衛を頼みたい。」
「明日は高官達との会議の予定ですが。」
突然の予定変更に戸惑いながらも、アリータは確認する。
「日程変更の調整は頼む。それとクノスが出ている代わりに、アリータも来て
くれ。」
「は、はい。分かりました。」
まさか同行する事になるとは思っていなかったアリータは、返事に詰まった。
何時もであれば出掛けている間に別の仕事を頼まれる事が殆どのため。
「大呪紋式に関わる事だ。見て来たのだろう?メーアクライズを。」
「はい。未だに現実なのか戸惑いますが。」
それに関わるからこそ同行を求められた、メーアクライズの惨劇を引き起こさ
ない為の駒だとして、それは信頼されているのだとアリータには思えた。
「当日メーアクライズから出ていた者、よく訪れていた者ですらメーアクライ
ズの存在を疑った程だ。」
その感覚をリンハイアが肯定するが、それでもアリータはあの荒野に町が存在
したことへの戸惑いが消えるわけではなかった。だがその戸惑いは、そう認識
させられる大呪紋式の恐ろしさの結果かも知れないとも。
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