紅湖に浮かぶ月

紅雪

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紅湖に浮かぶ月3 -惨映-

5章 絡まる思惑

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1.「好きな時に好きな物を食べればいい。それをしないのは、風習という押し
付けに浅慮なだけである。」


手から溢れ落ちた薬莢が床に転がっている。そう言えば昨夜、陰鬱とした気分
になった後の記憶が無い。そのまま寝てしまったのか。
(げっ、荷物の準備終わってないわ。)
二泊三日の予定だからそんなに着替えとか必要無いし、観光ではなく仕事だか
ら、記述道具類の方が重要になる。時間を確認すると朝の七時半。リュティが
来るまでに準備とシャワーを浴びる時間は十分にある。
時間を確認すると私は出かける準備の続きをして、終わるとシャワーを浴びて
リュティが来るのを待った。

九時過ぎにリュティが家に来ると、ロンカット商業地区の中心にあるロンカッ
ト駅に向かい、駅前にあるカフェで朝食を済ませた。それから電車に乗り、揺
られる事二時間程、私たちは王都アーランマルバの中心駅であるオレンティア
駅に着いていた。
以前、リンハイアに文句を言うために二度来ているが、その為に往復四時間以
上掛けたかと思うと阿呆くさい。徒労に終わったことを思い出し自嘲する。
構内から外に出ると、広い道路を多くの車と人が往来しており、景色は乱立す
る高層ビルが視界を占める。ロンカット商業地区も負けず劣らずだが、王都の
中心には敵わない。流石にグラドリア国の中心部なだけはある。
「十二時半か。」
時計を確認した私は、現在時刻を口にする。構内から出た私たちは駅前広場で
佇んでいて、周りを多くの人が通り過ぎて行く。忙しいのか興味を示す事が無
いのか、佇む私たちを気にする通行人はほぼ居ない。
「ランチにはまだ早いわね。」
その言葉にリュティが応える。時間がではなく、朝御飯が十時近かったため早
いと言ったのだろう。確かに、電車に乗る前に食べたばかりなのに、二時間程
電車に揺られて降りたら直ぐご飯とは、いくらランチタイムとはいえ食べるに
は早すぎる。
「そうね。ホテルの受付が十五時からだから、軽く見て回ってランチして、向
かったら丁度いいくらいじゃない。」
「そうね。」
私の言葉にリュティが同意する。
「私的に王都アーランマルバと言えばあれ、アンパリス・ラ・メーベのシュー
クリームなのよ、食べに行こうかな。」
王都に来る楽しみの一つを口にした私に、リュティが呆れた顔をする。
「ランチ入らなくなるわよ。」
うっさいな。分かってるわよ。
「言うくらい、いいじゃない。」
言ってはみたものの、リュティの呆れ顔に変化はない。
「取り敢えずニーザメルベアホテルの方に向かおうか。」
「分かったわ。」
駅から徒歩十五分程の所に在るホテルを目指すことにする。途中にある明後日
開業する総合施設エクリアラの外観を見物していってもいいでしょうし。そう
だ、エクリアラと言えば。
「エクリアラにはアンパリス・ラ・メーベの分店が入ってて、エクリアラ限定
濃厚ミルククリームが販売されるらしいわよ。帰る時食べてから帰りたいな。」
調べた事を口にした私に、リュティがまたも呆れ顔をする。
「本店も並ぶようなお店でしょう、開店初日だとどれだけ並ぶ事になるか分か
らないわよ。」
うっ。確かに。どれだけの人が訪れるだろう、その人混みの中を歩くことも、
お店を見つけて並ぶことも、酷く疲れそう。そうまでしてして食べたい人は辿
り着いて並ぶのだろうけど、私は多分しない。確かに食べた時は、並んでまで
買った甲斐はあると思うかもしれないが、私の場合は割に合わない気がするも
の。
「夢は、必要よ。」
今回は無理と諦めるも、何時かは食べたいなと思い明後日の方向に遠い目を向
けながら私は呟いた。
「夢と妄想は紙一重よね。」
五月蠅い、黙れ。
リュティの言葉に私は内心で突っ込む。いいじゃない、好きな物食べたいと思
うくらい自由にしてもと。
そんな事を話しながら散策して歩いた私たちは、ランチをするべくお店に入っ
ていた。
途中、総合施設エクリアラの前をどんな感じか見ようと通ってきた。十五階建
てのビルはかなりの幅があり、それこそ城かと思わせる程の大きさだった。十
一階から上は企業区画となっており色んな会社が入るのだとか。
八階と九階が飲食店、十階は一部飲食店だが主に催事場となっている。上層で
仕事をする人は建物内でお昼が済ませられるわね。ただ凄い混みそう。
一階から七階までが商業区画になっており、地下は駐車区画。と、エクリアラ
前で配っていた施設案内には書いてあった。他にも施設前には開店するお店の
案内や割引券を配る人が大勢いて、開業前から激戦区となっていた。
私たちはそれを横目に素通りして、近くにあるアクセサリー店に入った。差し
出された施設案内はその時に受け取ったものだ。
アクセサリー店では、気になるアクセサリーを二個ほど買ったが、それ以外の
服や靴に関しては見て回っただけ。嵩張る荷物は帰りでもいいかなと思ってち
ょっと我慢した。気になった物が帰りに寄るまで売れませんようにと願いつつ。
そこからニーザメルベアホテルに向かう途中で、見つけたレストランに私たち
は入り今に至る。時間は十四時に差し掛かったところなので、ランチを終えて
ホテルに向かえば受付に丁度いい時間だと思う。
「ホテルに着いたらどうするの?」
注文を終えるとリュティが聞いてくる。
「うろうろする。」
ホテル内を探索してある程度把握しておかなければならない。特に上層部に昇
降機で普通に入れるのかとか。警備の程はどの程度なのかとか。ホテル側の警
備も利用する人間によって変わる可能性はあるが、警察局や本人に着いている
護衛に関しては明日じゃないと分からないか。
「怪しまれないようにね。私はどうしたらいいのかしら?」
「夕方にはホテル周辺を、夕食がてら散策するからゆっくりしてていいわよ。
散策に関しては一人でするけれど。」
リュティの問いに答えると、本人は少し寂しそうな顔をする。
「特にやることも無いし、付き合うわよ。それに、連れて来たのはミリアでし
ょう?」
うっ、ごもっとも。しかも自腹切らせてる。それでも付き合うと言っているの
だから、人が良いというかなんというか。って付き合わせている私が思う事じ
ゃ無いわね。でも感謝はしている。
「そうね、一軒を軽く済ませて食べ歩きも悪くないわね。」
独りで居ると、負の思考が連鎖しかねない。それが怖いと思う事も最近、出て
きた気がする。
「それは飲む人の考えじゃなくて。」
ああ、いや、そうよね。
「でもいいわよ、ちょっと楽しそう。」
悪いことしたかなと思ったけれど、リュティは何時もの微笑で承諾した。その
微笑は本当に楽しみなのか、何処か楽しそうな雰囲気を含んでいた。
「お待たせ致しました、若鶏のソテーアンチョビを使ったアーリオオーリオ 季
節野菜の素揚げとともにでございます。」
私の頼んだ料理が目の前に置かれる。アンチョビと大蒜の香りが食欲をそそる。
ここで麦酒よね。
「観光じゃないんでしょう。」
麦酒を飲む私にリュティが冷めた視線を向けてくる。そこへリュティが頼んだ
料理も運ばれてきた。
「お待たせしました、こちらダージリンになります。」
大きなトレーから店員がティーポットと、ティーソーサーに乗せたカップを置
く。
「ティラミスになります。」
次にデザートを置いた。
「こちらがベリータルトです。」
続けてデザートを置く。
「桃のミルクレープです。」
更にデザートが続く。
「こちらがチョコレートフロマージュになります。ごゆっくりどうぞ。」
最後にデザートを置いて満面の笑顔でそう言うと去っていった。面倒な注文を
する客に嫌な顔、仕草を微塵も見せずに。ランチに来てデザートを食べる、全
然いいわよ、私も肯定派だから。ただ四つは食べないかなぁ。
「よく食べるわね。」
「私からすればミリアは、よく飲むわね。」
デザートに半眼を向けて言ったら、言い返された。よくって程飲んでいるわけ
じゃないのだけど、飲まない人からみれば飲んでるのかな。どちらにせよ、本
人が楽しく生きているのならいいかなと思う。
「明日は別のホテルに泊まるよね?」
「そう。ニーザメルベアホテルから五分くらいかな、駅から更に離れる事にな
るけど。シャリヌオホテルって名前。」
ウェレスの所為でニーザメルベアホテルは予約出来なかったからね。そのウェ
レスが標的なのだから痛し痒し。そういえば一般客の宿泊は受け付けていない
と言っていた、つまりウェレスが最上階って事もあるのじゃないか?
益々見逃せないわね、明日のウェレスの同行は。
「昼間は観光するのかしら?」
そこなのよね、おそらく観光している余裕は無いでしょうね。シャリヌオホテ
ルの宿泊受付も十五時からだったから、ウェレスを待つとなると移動も出来な
い 。
「暇がなさそう。それよりリュティ。」
デザートを半分程食べ終わっている皿を見ながら呼び掛ける。半分と言っても、
四つがそれぞれ半分ずつ食べ回している。
「何かしら?」
「シャリヌオホテルの受付お願い出来ない?私はニーザメルベアホテルで見張
っていたいのよ。」
「いいわよ。」
手伝わせるのは違うと分かっているけれど、折角二人なのだから利用しよう。
後で給与におまけは付けることにして。
「ありがと。」
十五時まで時間がありそうな気はするのだけど、上層の宿泊客には融通が効き
そうだし、早めに来ないとも限らない。そう考えると不安ばかりねこの依頼。
まったく司法裁院め、面倒な依頼を押し付けてくれて。いや、断る余地もあっ
たのだけれど。
「でもお昼くらいまでは時間ありそうよね。」
流石に朝から来たりはしないでしょう。
「何処か見て回る?」
「そうね。」
最後になるかもしれないし、なんて言ったらリュティがいい顔しないだろうか
らそこは言わずに。
「取り敢えずアンパリス・ラ・メーベのシュークリームかな。」
「本当、好きよね。」
美味しいのだからしょうがない。
「いいでしょ、別に。」
「私は食べた事が無いから分からないわ。」
「あれ、そうなんだ。」
そう言われてみれば、お店に居ない時の動向は知らないけれど、私は買って帰
ったこと無いからなぁ。
「そうよ。」
「じゃあ、丁度いいじゃない。きっと気に入るわよ。」
目の前でデザートの最後の一口を口に運ぶリュティを見ながら言う。よく甘い
ものを食べているリュティの事だから、気に入ると思い込んでおいた。
「そう、楽しみね。」
リュティはそう言うと微笑んだ。アンパリス・ラ・メーベか、最後の晩餐にな
らなければいいけれど。私はそう思うと、残っている麦酒をその思いごと飲み
干した。
「もうすぐ十五時ね。」
「そろそろ行こうか、多少早くても大丈夫でしょ。」
時間を確認したリュティに私が言うと、リュティが頷いたので、私は席を立っ
て会計に向かった。

ニーザメルベアホテルの入口前には男性が二人。入る時に「ようこそお越し下
さいました。」と深々と頭を下げられる。落ち着かない。
中に入るときらびやかな内装に、靴が沈むような絨毯。足元がふわふわして更
に落ち着かない。二階まで吹き抜けになった天井には大きなシャンデリアが幾
つも煌めいている。
(うわ、グラドリア王城より豪勢。)
受付に向かうとカウンターの奥にいる女性が既に笑顔。この雰囲気馴染めそう
に無いわ、私は庶民生活に浸かっているってことね。
「ご宿泊のお客様ですか?」
受付に辿り着くと笑顔の女性が聞いてくる。私たちは「はい。」と返事をする
と、記帳して受付を済ませる。部屋の鍵を受け取った私たちは、部屋に荷物を
置くために昇降機に向かう。八階の六号室と七号室と隣同士なので、昇降機に
乗ると八階の釦を押す。
部屋に向かう通路も綺麗で驚いたが、部屋に入った私はもっと驚いた。以前モ
ッカルイア領に旅行した時の様な部屋を想像していたのだけれど、全然違った。
まず広い。寝台はセミダブルで大きく、木製のフレームは精緻な細工が施され
ており、その豪華さは私の表現力では上手く表せない。同じく部屋に備え付け
のテーブルや椅子、化粧台も同様でそれぞれ綺麗なクロスやカバーまで付いて
いる。
(うーん、麦酒飲みながらだらけるには気が引ける。)
寛ぐのは後にするとして、先ずはホテル内の探索をしなければ。私は荷物から
紅月を取り出すとポシェットバッグに入れ部屋を出る。通路に出ると丁度リュ
ティも出て来ていた。
「ゆっくりしなくていいの?」
「部屋にいても暇だもの。」
私の問いにリュティはそう答えた。折角だから寛いで欲しい、高いのだから。
と思っても個人の自由なので突っ込まないでおく。
「そう、じゃあうろうろしようか。」
「ええ。」
私たちは昇降機に乗ると、行き先階の釦で十八階を押してみる。が、反応しな
い。同様に十九階と二十階も反応しなかった。何か条件が在るのだろうか。
「昇降機では上層に行けなさそうね。」
「宿泊者用の区域になるから、当人しか行けない様になっているのね。」
いきなり爪付いた。これでは上に行けないではないか。十七階は反応したので、
リュティが言ったことが正解だろう。私たちは一度上がってから通路に出てみ
る。 通路の突き当たりに窓はあるが、外に出ることは出来そうにない。安全の
為か、人が通れる程開閉しないようになっていた。
「一度一階に降りよう。」
八階もそうだったが、ここ十七階にも警備どころか従業員も見当たらない。そ
れほど重要視はしていないという事だろうか。当日は不明だが。
一階に降りた私たちは、カフェでデザートセットを頼んで寛ぐ事にした。外周
に関しては夕食がてら見て廻るから後でもいい。しかし、今の予定だと侵入経
路が無いわ。外壁を登るのは辛いな。その前に登ったとしても硝子を壊さない
と内部に入れないわ。
「難しいわね。」
「本当にね。」
困っている私にリュティがそう言ったので、溜め息混じりに私は相槌を打つ。
実際かなり難しい。司法裁院の依頼は本当に面倒だわ。
そんな事を思いながら紅茶を口にする。
!?
「明日の朝食は何があるのか聞いてくるわ。」
言いながら席を立つ私にリュティが怪訝な顔をする。
「そう?」
何故今なのかと疑問を浮かべている様な雰囲気で返事をする。
私はリュティの事を気に掛けている余裕は無かった。何故ならカウンターに標
的であるウェレスが居たからだ。依頼書の写真を何度も見たから、見間違いは
無い。司法裁院が明日を指定したのは、ニーザメルベアホテルに総合施設エク
リアラの開店式典に出席するために宿泊と記載していたのも間違いない。
つまり、前日には確実に宿泊するってだけの情報だったのだろうか。それであ
れば間違ってはいないが、予定外の状況変化は焦る。単に前日と思い込んでい
た私の所為ってだけ、と言われればそれまでだが。
「あの。」
私はカウンターに着くと、受付の女性に声を掛ける。少し離れたところではウ
ェレスが受付をしている。
「はい、如何なさいましたお客様。」
「明日の朝食メニューを知りたいのだけど。」
予定通り朝食について確認する。興味がないわけでもないので。横ではウェレ
スが鍵を受け取っていた。
「朝食ですね、少々お待ち下さい。」
「・・・鍵を挿して回しますと、直通で二十階に移動・・・」
「こちらが明日の朝食メニューです。当ホテルの朝食はビュッフェ形式となっ
ておりますので、こちらのメニューからお好きな料理をお選び頂き召し上がっ
て下さい。食べたい料理が無い場合は、お近くの従業員に声を掛けて頂ければ
対応致します。」
対応の速さと長い朝食の説明でほぼ掻き消されたが、重要な事が二つ分かった。
「わぉ、美味しそうなメニュー。うふっ。」
「っ!?」
突然横から聞こえた声に心臓が跳ね上がる。声の方を見ると、長身と綺麗に切
り揃えられたアッシュブロンドのショートボブ、その髪型が特徴の女性が、メ
ニューを覗き込んでいた。黒のレザーパンツに両手を突っ込んで。
それより声が聞こえるまで接近に気が付かなかった。それほど周囲を警戒して
いなかったわけじゃない。
「お姉さんもここにお泊まり?朝食が楽しみだね。あはっ。」
それだけ言うとウェレスを追いかける様に去っていった。質問は投げっぱなし
かい。語尾にいちいち変な声を入れている関わり合いになりたくない女性だ。
だけど接近といい、歩く仕草といい、只者ではなさそう。ウェレスを囲ってい
る黒服四人よりかなり危険な感じがする。
「あ、ありがとう。」
硬直していた私を受付の女性が怪訝な顔をして見ているのに気付き、お礼を言
ってリュティの所に戻る。
「今回の相手かしら?」
椅子に座るとリュティが直ぐに聞いてくる。
「ええ。ウェレスで間違いないわ。」
まさか今日出くわすとは思っていなかったので、未だに心臓は早鐘のよう、で
もないが鼓動は早い。紅茶を一口飲んで落ち着ちつくとリュティに目を向ける。
表情が真剣になっている事に少し驚いた。
(この短時間で何回目よ。)
幾度かの驚きに内心で悪態をつく。落ち着かない鼓動と、いい予感がしないリ
ュティの顔とで、私は顔を顰めたくなった。
「今回の仕事、私も手伝うわ。」
「はっ?」
思いもよらないリュティの言葉に、私は間抜けな声を出しそのまま口が閉じな
かった。少しの間だけど。
「どういう事?」
少し落ち着いてから状況の変化を問う、どうやら落ち着くのを待っていてくれ
たらしい。
「カウンターでミリアに近付いた女性、彼女の名前はメアズー。彼女がいるか
らよ。」
あの女性がなんなのか、それが分からない。だから理由もいるってだけじゃ納
得できる程度ではない。それよりリュティがあの女性を知っている事に驚きだ
わ。
「護衛の雑兵とウェレスだけならばミリアだけでも大丈夫でしょうけど、メア
ズーが一緒ならば荷が勝ち過ぎている、だから看過出来ないわ。」
リュティがそう言うのなら、きっとそうなのだろう。私が弱いみたいに言われ
るのは癪だけれど。強くもないが。しかし只者じゃないと思ったけれど、リュ
ティが警戒している以上、気を付けないといけなさそうね。
「理由は分かったわ。それであの女性は何者なの?」
危険な相手だと分かっているのなら、無理に相手をする必要はない。目的はウ
ェレスの始末なのだから、それさえ果たせれば。ただ、リュティは私の問いに
困ったように考えている。それとも言葉に詰まっているのだろうか。
「何と言っていいか、何者かは分からないわ。」
おいおい、名前や危険度は知っているのに分からないとか。
「以前は法皇国オーレンフィネアで会っているの。出身国や所属も不明だし、
年齢や当時名乗っていたメアズーも怪しいわ。」
リュティも十分正体不明なのだけど。自分の事は棚に上げてそんな事を言って
いるが。
「それなのに手伝うの?」
危険だから手伝うっていうのは分かったけれど、いまいち理由としては弱い気
がするのよね。
「以前はカーダリア卿の元にいたわ。ただ彼女はやり過ぎるから直ぐに解雇さ
れたけれど。」
またその名前か。なんだか色んな思惑に巻き込まれて気がしてきたわ。それよ
りもやり過ぎるってどういう事だ?その内容の方が気になるのだれど。
「はっきり言ってメアズーはミリアよりも強いわ。貴女をここで死なせたくな
いのよ。」
リュティの思惑も分からない。けれど、死なせたくないというのは本音なのだ
ろう。でなければ何度も助けたりしないでしょうし。しかし、私の方が弱いと
か、本当にはっきり言いやがったな。否定は出来ないけれど。
「分かったわ。それなら甘えておくわ。」
思惑とかこの際どうでもいい。早いとこ仕事終わらせて帰るだけよ。
「ええ。」
リュティは緊張した面持ちを崩して何時もの微笑を浮かべると頷いた。
「それに、メアズーも私の存在に気付いていたわ。私の視線の先に居たのはミ
リアだから、どちらにしろ出る結果になったと思うわ。」
げっ。それで私に近付いて来たのか。嫌なのに勘づかれたわね。
「つまり、半分はリュティのせいって事ね。」
「そう言われると心外だわ。」
リュティは不満を顔に出して見せるが、声には無かった。
「ああ、それなら情報共有なのだけど、分かった事が三つあるわ。」
一緒に動くなら雑談程度ではなく、ちゃんと情報は共有しておいた方がいいで
しょうね。メアズーの話しで危なく忘れるところだった。なんの為にカウンタ
ーまで行く危険を侵したのかわからなくなる。
「何かしら。」
リュティは私の言葉に首を傾げると、続きを促す。
「一つは朝食が美味しそうなのよ、明日の朝が楽しみだわ。」
おかしいな、私の有益な情報に返ってきたのはリュティの冷めた視線だ。かな
り重要な情報なのだけど。一日の始まりは大事なのよ。
「で?」
うっ。こんな時だからこそ茶目っ気を出したのに。
「昇降機だけど、リュティが言ったようにその区域の鍵がないと作動しない様
になっていたわ。機械と連動式じゃ、呪紋式での解錠とはいかないわね。」
私が使っている解錠の呪紋式は単純な錠しか解錠出来ない。
「出来ないことは無いけれど、今は無理だわ。少し複雑なのと、鍵と昇降機の
構造が分からないと。」
出来るのか?現代普及している呪紋式にそんなものがあるとは聞いた事が無い。
私が知らない所で存在したり利用していたりするのかも知れないが。リュティ
は一体どれだけの知識が在るのだろうか。
「出来ないものは考えてもしょうがないわ。」
「そうね。」
まあ、無い物ねだりしても時間の無駄なので話しを進めよう。
「最後の一つ、これが一番重要で有益な情報よ。ウェレスの滞在先は二十階っ
て分かったわ。二十階全体が一つの部屋だから間違える心配もないし。」
滞在先さえ分かってしまえば、後は手段だけ。
「どうやって二十階に侵入するかが問題よね。」
そう、それが一番の問題。逆の方がまだなんとかなったのに、行けるけれど部
屋が分からないって方が。まあでも、場所が分かっただけでもいい方か。
「外からしかないんじゃくて?」
「そうよね。やりたくないけれど。」
だけど、二十階は身体強化の呪紋式を使っても辛い。それに設備は壊したくな
いのよね。硝子破って侵入とか嫌だ。その思いからリュティの言葉を肯定する
も、乗る気にはならない。
「他に方法は思い付かないわ。」
まあ、私もそうなのだけど。
「外を散策しようか、何か思い浮かぶかも知れないし。」
「そうね。」
ここで悶々としていても埒があかないので、外を観て廻った方がいいという私
の提案に、リュティが同意する。もともとそのつもりだったし。
私たちはデザートを片付けると、受付に鍵を預けてホテルの外に向かった。



とあるホテルの一室に、中年の男女と少女がいる。男女はテーブルに向かい合
って座り、紅茶を飲んでいた。
「んで、これからどうすんだよ。」
寝台に腰掛けたユリファラが、浮いた両足をぶらつかせながら男女の方に問い
かける。
「明日の夜、ニーザメルベアホテルに向かう。本当はそのホテルに泊まりたか
ったのだが、残念ながら予約は出来なかったのでね。」
カーダリアがそれに答えた。
「うちのおっさんに言えば出来るんじゃね?」
「これは個人的な問題だからね、リンハイア殿の手を汚すわけにはいかないの
だよ。」
ユリファラの言葉に、カーダリアは苦笑しながら言うと、そに目に、何処か懐
かしさを浮かべた。
「それにリンハイア殿には、既に厄介事を押し付けてしまっている。我ら夫婦
が今回の行動に出たことで更なる重荷になった事だろう。」
ユリファラにはなんの事かさっぱり分からなかったが、カーダリアとリンハイ
アが旧知の仲であることは道中聞いている。何年も会っていないとは言ってい
たが、お互いの事は分かっている様な口ぶりだった。
「言ってる事は分からねぇけど、おっさんの事だから今の状況を把握した上で
なんとかすんだろ。」
ただ、リンハイアであれば問題無いだろうと思い笑顔で言って見せる。
「子供の頃から聡明だったからね。」
カーダリアは笑みを浮かべて返した。リンハイアへの思いは色々あれど、目の
前の少女に今それを言うべきでは無いとの思いから。ユリファラがこの歳でリ
ンハイアの元で仕事をしている事情は分からないし、詮索するつもりもカーダ
リアには無い。何よりこの歳で詮索もしてこないユリファラに対し出来る筈も
なく、同時に複雑な思いもあった。
「ユリファラさんも、もう帰っていいのよ。わたくしたちに付き合う必要はな
いのだから。」
サーマウヤの言葉に、ユリファラは首を振る。
「あたしはおっさんに、カーダリア枢機卿のことは最後まで見とけって言われ
たんだ、最後まで付き合うよ。」
サーマウヤの顔を真摯な眼差しで見ると、ユリファラはそう言った。ここまで
来てはいそうですかと帰れるほど、能天気にはなれない。
「醜い見せ物になるよ。」
カーダリアがそう言うも、ユリファラはまた首を振った。
「あたしだって今回の事は許せねぇ。だからあんたたちの往く先を見届けたい
んだ。おっさんの指示は関係なく。」
ユリファラの真っ直ぐな瞳に、サーマウヤは頬を綻ばせて微笑んだ。
「ユリファラ殿には此処までの案内、感謝している。」
カーダリアはそう言うとユリファラを見て笑みを浮かべた。
「好きにするといい。ユリファラ殿の安全は我ら夫婦が確保する。」
表情は穏やかだが、揺らぐことのない意思を瞳に夫妻は宿している。幾度とな
く人の往き様を見てきたユリファラにとっても、この夫妻は切な過ぎた。調査
するにあたり、家族構成も当然知っている。生きている娘一人を残し、殺され
た娘の為に枢機卿の地位も捨ててきた現状を思えば尚更だった。
夫妻の選択に対してなにかを言う事など出来ない。家族の居ないユリファラに
とって夫妻の思いは推し量れないし、割って入るほど無粋でもない。だから余
計に切なさが突き刺さる様だった。
「気にする必要はないよ。ただの中年夫婦の我が儘なのだから。」
「そうですよ。」
ユリファラの思いを察したのか、カーダリアがそう言うとサーマウヤも笑みを
向けて言ってきた。その優しさがユリファラの切なさに痛みを加えるが、仕舞
っておく事にした。
「そろそろ夕食にしましょう。美味しいお店を教えて頂けると嬉しいわ。」
「そうだな、お願い出来るかな?」
夫妻の願いにユリファラは大きく頷く。
「おぅ、任せとけ。」
笑顔で応えると、ユリファラは寝台から跳ねて床に着地した。自分が出来る事
は少ない、だからこそ一緒に居る間は出来る事をしようと、寂寥を断ち切って。




「随分と楽しそうですね。」
ニーザメルベアホテルの最上階、ソファーに深く腰を沈めてウェレスは言った。
手元のグラスに入っている葡萄酒を飲み干しながら、部屋の片隅で笑みを浮か
べる長身の女性に対して。
「古ーい知り合いを見かけたの。うふっ。」
変わらずにレザーパンツのポケットに両手を挿したまま、女性は口の端を吊り
上げて笑みを浮かべて言った。その笑みに狂気を含んだように。
「王都で問題を起こすのはやめて下さいよ。私にとって明後日のエクリアラ開
店式典は重要なのですから。」
表情は穏やかだが、剣のある視線だけウェレスは女性に向けて言うと、空いた
グラスに葡萄酒を注いだ。
「連れて来なければいいのに。えへっ。」
「うちの配下では心許ないと、分かっているでしょう。」
女性の言葉にウェレスは嫌気を含んで言った。腕は立つのだが勝手に行動する
事が多い。不利になるような範囲では無く、勝手にやっている事だから追求や
解雇はしていない。おそらく影響範囲が分かっている上でやっているのだろう
と考えると質の悪さが窺える。若しくは賢しいのか。どちらでもいいが、ウェ
レスにとって一番気に入らないのが喋り方だった。雇い主に対しての態度もそ
うだが、言葉の最後に付ける奇声が何より苛立たしかった。
「そっちの部下は目的が違うから当然でしょ。あはっ。」
確かに、社員は戦闘目的では無く運営の駒である。だからこそウェレスは護衛
兼戦闘要員としてこの女を雇ったのだった。頭の回転も悪くなく、戦闘に於い
ては申し分ない。奇声を差し引いても置いておく理由は十分だった。
「分かっています。兎に角、明日明後日は大人しくしていて下さい。」
ウェレスの言葉に女性は含みのある笑みをした。
「何も起きなきゃね、何もしない。うひっ。」
「あくまで護衛ですからね、心に留めておいて下さい。」
鬱陶しいから顔を見たくも無かったウェレスは、その含みには気付かずに念を
押した。
「今日のところは好きにして下さい、ただホテルの中からは出ないでくだいよ
。」
「わーかってるよ。ぶふっ。」
女性はそう言うと、片手をレザーパンツのポケットか出してひらひらと振りな
がら部屋を出ていった。ウェレスは空いたグラスに葡萄酒を注ぐと、女性に対
する不快感と共に飲み下した。

「さて、一階のラウンジに酒でも飲みにいこっ。あはっ。」
ウェレスの部屋を後にした女性は、目を細めて笑むと昇降機に向かった。



2.「生者の思い込みは、死者を死者足らしめず偶像にする。」

ニーザメルベアホテルの周辺は雑多な感じは全く無く、落ち着いた雰囲気のお
店が多かった。企業ビルも綺麗で、繁華街みたいに雑居ビルの様な建物も無い。
街の雰囲気の一貫なのだろう、高級ホテルの周辺までもが私にとっては落ち着
かない雰囲気だった。庶民なのよ。
「思い付かないわね。」
ニーザメルベアホテルの周囲に在るお店の一つに私たちは入り、そこで頼んだ
麦酒を飲むと私は零した。
「難しいわね。」
リュティも同意する。突風の呪紋式で屋上まで翔んで侵入しようかと考えたが、
周囲に都合のいい建物は存在しなかった。きっとこういう事態を警戒した造り
になっているんじゃないだろうか。と思わされるほどに。
「やっぱり地道に登って硝子壊すしかないのかな。」
「目に付きそうね。」
そうなのよね。まさか登る人がいるとは思っていなくても、視界に入れられた
らと思うと現実的ではない。不振人物として通報されたら阿呆な事この上ない。
「十七階から強硬するしかないかな。」
流石にその高さを見上げる人は居ないだろう。しかしこの場合の問題はどうや
って侵入するかだ。一般客の宿泊は受け付けて無かったし、今日宿泊している
から、従業員に顔を覚える人も出てくるだろう。八方塞がり。
「何とかホテルに入れるといいのだけど。」
リュティも困った顔をして言った。そう言えばと思い、リュティに視線を向け
る。
「駄目よ。以前も言ったけれどミリアには無理だし、そんなに万能じゃないの
よ。」
察したリュティがすかさず却下する。私は不貞腐れた様に表情を作るが分かっ
てはいる。原理は説明してもらっていないが、それには例の覚悟が必要なのだ
ろう。口振りからすれば、リュティだけ空間を渡ってというのも無理なのだろ
う。
「お店変えない?」
麦酒を飲み終わり、頼んだムール貝の葡萄酒蒸しも無くなったので移動を提案
する。リュティの葡萄酒が入っていたグラスと、フォアグラソテーも空になっ
ている。
「いいけれど、お店を変えたからと言って案は出ないわよ。」
「分かってるけど、気分を変えたいのよ。」
リュティの言う事はもっともなのだけど、今は違うお店の違う料理で気分転換
をしたかった。現状が変わらなくても。
「分かったわ、行きましょう。」

次のお店を物色して街中を散策していると、意外な人物に出会った。相手も目
を見開いている。
「ミリア!なんで王都に居んだよ。」
小生意気感がツインテールの髪型と合っていない少女、ユリファラが私を見つ
けると駆け寄ってきた。
「ちょっと用事があってね。ユリファラこそ、法皇国オーレンフィネアに行っ
てたんじゃないの?」
私の言葉にユリファラは、笑顔に陰を散らつかせた。背後で立ち止まっている
中年の男女にその顔を向けると、私に向き直る。その二人が誰なのか、ユリフ
ァラの表情が意味するところは何なのか、予想すら出来なかったが。
「その仕事ももうすぐ終わりで、こっちに戻って来たんだ。」
ユリファラの言葉を聞きながら中年の男女を観る。二人は夫婦だろうか、何故
かそんな事を見ていると思わされた。漂う穏やかな雰囲気と、信頼しあってい
る様にも感じた所為かそう思ったのかも知れない。その二人が私たちに軽く会
釈をすると、私も返す。そこで顔を上げた男性の方が驚いた顔をした。
私、そんな驚かれる様な見た目してないわよ。と思ったが、見ているのは私で
は無かった。
「あの二人を旨い店に案内してるところだから、悪ぃけど今は時間がねぇんだ
。」
ユリファラが申し訳なさそうに言ってくる。誰だかは分からないけれど、邪魔
しては悪い。
「そうなのね。」
いや待て。旨いお店って言ったわね。
「そのお店私も着いていく。席も別で干渉もする気は無いから。」
「えぇっ!?」
ユリファラは露骨に嫌そうな声を上げた。その態度は、付き合いが長いわけじ
ゃないけれど珍しいと思わされた。と同時に、あの二人が大切な存在なのでは
ないかとも思わされた。
「お友達かな?」
何時の間にか近寄って来ていた二人、私たちの話しを聞いていたようで男性の
方がユリファラに確認した。
「ん、まあ、そんなところ。挨拶は終わったんだ、待たせてわりぃな。」
ユリファラは申し訳なさそうに二人に言う。その言葉に女性は微笑んだ。その
笑みは何処か幼さが在るようで、愛らしさのある穏やかな笑みだった。見たこ
とあるような顔に見えるんだけれど、気のせいよね。
「折角だからお友達も一緒にどうかしら。賑やかな方が楽しいわよ。」
「ユリファラ殿さえ良ければ、私たちはは構わないよ。私も賑やかな方が好き
なのだが、訪ねて来る人も少ないのが難点でね。遠慮だったらする必要は無い、
今の時間が何より大切なのだから。」
ユリファラを諭す様に言った男性の顔は、穏やかに笑んでいたが瞳には悲哀の
様な色が浮かんでいた。その言葉は大切な何かを失っていない今を、指してい
るようで物悲しい。
「わかった、ありがとな。」
ユリファラは二人に言うと頷き、私に向き直る。
「しょうがねぇ、同行を許可してやろう。」
うわ。上から目線来た。だが口調と違ってユリファラの顔は嬉しそうに笑って
いた。それを見ると突っ込む気にはなれなかった、その笑顔にも陰が見えた様
な気がして。
「よろしく。」
男性がそう言うと、隣の女性も笑顔で軽く会釈をしてくる。
「ご一緒させて頂いてありがとうございます。」
私も倣って会釈をする。何処か品のある二人に対して、普段は使わない言葉遣
いが出てしまう。なんか釈然としないわ。
ユリファラを先頭に中年の男女が続く。まるで親子の様に歩く三人の後ろを私
たちは、若干距離を開けて歩いていた。距離を開けたのはリュティが促す様に
速度を調節したからだった。距離を計っていたのか、少し離れたところでリュ
ティが小声で話しかけてくる。
「あれがヴァールハイア夫妻よ。」
へぇ、誰?
「男性がカーダリア・ヴァールハイア。奥方がサーマウヤ。」
「っ!?」
飛び出しそうな声を必死に堪え、目を見開いて私はリュティに視線を向ける。
リュティは私の驚きを察したように頷いた。
ヴァールハイアだけじゃ気付かなかったが、あの二人がアールメリダの両親な
のか。何故法皇国オーレンフィネアの枢機卿がグラドリアに?なんて疑問は浮
かび掛けたが霧散させる、娘が殺害されているのだから。他に今、あの夫妻が
此処に居る理由は思い付かない。しかも王都アーランマルバに来ているのだか
ら尚更だ。
ユリファラが一緒に居る事を考えれば、リンハイアにでも会いに来たのだろう
か。そうなると国家間の問題に発展したりするのだろうか。もしそうならこの
状況は不味い気がするわ。私がウェレスを殺してしまったら、あの夫妻の憤り
は何処へ向かうのだろうか。此処に来てまた、望まない思惑に巻き込まれ始め
た気がして、嫌な気分になってきた。
「だけど、随分と穏やかな雰囲気ね。」
嫌な予感を払拭するように、私は今の夫妻に対する違和感を口にした。娘のア
ールメリダが殺害された事で訪れているなら、違った態度でもいい筈なのに、
夫妻からは表面上だけというのではなく本当に穏やかな立ち居振舞いにしか感
じない。
「彼らは何処まで行っても、ヴァールハイア家の人間なのよ。」
悲しいほどに。という言葉が続きそうな、寂寥を瞳に浮かべてリュティは静か
に言った。言わなかったのは、夫妻に対して何か思うところが在るからなのだ
ろうか。私にはその思いも、言葉の意味も推し量ることは出来なかった。
「深く考えなくてもいいのよ。ヴァールハイア家の戒めは、他人が割り込む余
地等ないのだから。」
考えていた私の顔を覗き込んで、リュティは何時もの微笑で言ってきた。
「そうかも知れないけど。」
気になるのよ。という言葉は飲み込んだ、リュティの微笑が消え、真面目な顔
が目に入ると。きっと踏み込んではいけない領域なのではないかと思わせられ
る。一体ヴァールハイア家って何?リュティは一体何を知っているの?リュテ
ィの態度は逆に、疑問を増やし悶々とさせられただけだった。
「ここだ。」
どの疑問に対しても光明が見える事なく、目的地に着いた事をユリファラの声
が告げた。お店は大きな建物で、観音開きの扉の前には背広を着た男性が立っ
ている。扉の上にはマリィフェルゼという文字、店名だろう。高そう。最後の
晩餐に来たみたい。
「いらっしゃいませ。」
入り口に近付いたユリファラ一行に、扉の横に居た男性が声を掛けてくる。
「御予約のお名前を伺います。」
続けて来た男性の問いに、ユリファラが苦い顔をした。
「予約なんかしてねぇ。」
「誠に申し訳御座いませんお客様、当店は予約制となっております。」
男性はそう言って深々と頭を下げた。ユリファラには悪いが、私は内心で安堵
した。窮屈そうなお店での食事を回避出来たことに。当の本人は、落胆と申し
訳なさで沈んだ表情を夫妻に向ける。
「ごめん。前に連れて来られた時は入れたんだ。」
連れて来られたという事は、連れてきた当人が予約でもしたのだろう。ユリフ
ァラの反応に夫妻は優しく微笑んだ。カーダリアはユリファラの頭にそっと手
を乗せる。
「わたくしたちは、美味しければ何でもいいんですのよ。」
サーマウヤが次いで思いを言葉にする。
「じゃぁ、あたしが好きな店でもいいか?」
「もちろん。そっちの方が私はいい。」
カーダリアの言葉にユリファラが笑顔に戻る。
「じゃ、こっち。少し歩くけど。」
気を取り直したユリファラが、指を差しながら街道を歩き始める。夫妻と私た
ちはそれに続いた。
五分ほど歩いた先に着いたお店は、店舗の横にオープンテラスを設けた洒落た
お店だった。普段こんなところで食事をしているのかと、ユリファラに失礼だ
が思ってしまった。気取った雰囲気はなく、食事の喧騒もそれほどでもなくて
夕食時を賑わせている。
窺う様にしていたユリファラに、夫妻が笑顔で頷くと私たちはお店に入った。

それぞれが注文した料理が揃うと、カーダリアが葡萄酒の入ったグラスを軽く
掲げる。私の左にリュティが並んで座り、向かいの中央にカーダリア、右にサ
ーマウヤが座り左にユリファラとテーブルを囲んでいる。特に何を言うでもな
く行ったその行為に、私も麦酒のグラスを軽く向けると喉に流し込んだ。サー
マウヤとリュティも同じく葡萄酒を口に含み、ユリファラはオレンジジュース
を飲む。
テーブルの上には大きな鉄板の上に彩られたパエリアが湯気を上げ、サラダの
大皿が取り分けられた後の少ない無惨な姿を晒している。私は生ハムを一切れ
口に含むと咀嚼しながら、この無言空間に重たさを感じ始めていた。
誰よ、賑やかな方が楽しいって言ったのは。
「久しぶりだね、リュティーエーノ・ムーセルカ・アリア殿。」
と思っていたら、カーダリアがリュティに話しかけた。最初に名乗られた気が
するが、リュティでいいと言ったのでそれ以外の長ったらしい部分は一切憶え
ていなかったわ。
「そうね、カーダリア卿。」
「えぇ!知り合いだったのか?」
リュティが返事をしたところで、ユリファラが驚きの声を上げた。私も聞いて
いなければ同様の反応をしただろう。ユリファラみたいに素直に声を上げる事
はないだろうけれど。
「もう十年以上前になるかしら。」
懐かしむ様にサーマウヤが言った。
「どういう知り合いなんだよ?」
その光景を見ていたユリファラが、面白くなさそうに疑問を口にする。案内し
たのも、お店を選んだのもユリファラだからかも知れない。まあ、私もその辺
の事情は知らないので、長々と続くようなら面白くないけれど。
「何、大した話しではない。」
カーダリアはそう言うが、そんな風には思えない。
「それより、名前の知らないお嬢さんを紹介して欲しいところだな。その前に
未だに名乗らずに失礼、既にリュティ殿から聞いていると思うが、カーダリア
・ヴァールハイアだ。」
カーダリアは一気に自己紹介まで済ませる。
「こちらは妻のサーマウヤ。」
続けてサーマウヤの紹介。
「アクライル・フー・ミリア。アールメリダの事は、その、何と言っていいか
。」
私も続いて名乗ると、沈痛な表情はしないがアールメリダの件を曖昧に言った。
どう言っていいか分からないというのが正直なところだったが、この場で触れ
るべきでは無かったと言った後に後悔する。現に、夫妻の表情から一瞬笑顔を
奪ってしまったのだから。
「ミリア!」
ユリファラが私の発言を咎める様に声を上げるが、カーダリアがそれを制して
温和な表情を私に向けてくる。
「気にしなくていい。むしろ、その事実を知っていてくれてありがとう。哀し
んでくれる者がいるのは、その数だけ手向けになるだろう。」
カーダリアはそう言ってくれたが、人殺しの私が言えた事ではないと、内心で
自嘲した。
「塞ぎ込んでいてもアールメリダに笑われます、それでもヴァールハイアの人
間かと。」
サーマウヤは笑顔でそう言うと、葡萄酒を口に含んだ。カーダリアが苦笑しな
がらそれに倣う。
一体ヴァールハイア家とは何か。この夫妻の強さなのか。家名がそうさせてい
るのか。娘の死に対して何故こうまで振る舞えるのか、私には分からない。き
っと私だったら怒りで我を忘れている、普通の精神状態じゃなく暴れている、
何もかも壊したい衝動に捕われ、取り返しのつかない事になる。その可能性は
大いにあるのに。
二人は、穏やかな表情で葡萄酒を飲んでいる。顔にも、瞳にも、振る舞いにも、
怒りや悲しみを感じられない。
「気を使わせてごめん。」
私は二人に謝った。何を?分からない。ただ、二人の感情や思惑は読み取れな
いけれど、自分が迂闊に言ってしまったことを。
「それはもう気にしなくていい。」
私の悪い癖を咎める様に、カーダリアは言った。口調は穏やかだが、雰囲気は
そうではなかった。私に対して怒っているのではなく、前を見ろと言うような。
私が引き摺った分だけ、この場の雰囲気も持っていくのよね。敵わない人だ。
「ユリファラは何時まで仕事なの?」
私はカーダリアに頷き、話題を変える為にユリファラに聞いた。横でカーダリ
アが微笑んで頷いているのが見えた。
「明日、この二人を案内して見届けたら終わりかな。」
ユリファラの顔にやはり陰が一瞬見える。それは夫妻の事を気にしてなのだろ
うというのは分かる。その理由までは分からないけれど。
「ミリアこそ用事ってなんだ、しかも店ほっぽらかして二人して。」
内容について言えるわけはない。司法裁院の依頼で人を殺しに来たとか。
「まあ、概ね観光みたいなものよ。」
そこは察して欲しいと濁してみる。執務諜員ならむしろ察して欲しい。
「あぁ、そうか。」
曖昧な返事をする。露骨な態度は不振がられるから、むしろ止めて欲しいのだ
けれど。普段の乗りは何処へ行ったのやら。
「カーダリア卿は観光?」
話しの流れで目的でも話してくれないかと振ってみる。無いだろうと思っても、
念のため。
「ああ。」
とだけ漏らして笑って見せる。
「アーランマルバはグラドリア国の王都だけあって賑やかな場所ですわね。オ
ーレンフィネアでも地方に住んでいたので尚更実感します。」
苦笑しながら話すサーマウヤは、なかなか表には出しそうに無い。まあ年期が
違うわよね、私なんて夫妻に比べれば若輩だろうし。というか観光とか聞いた
自分の馬鹿さに辟易して顔を顰めた。娘が殺された直後でするわけが無い。何
て失礼な事を言ったのか私は。
「ごめんなさい、配慮が足りなかったわ。素直に聞くけれど、明日はリンハイ
アに会うの?」
私は頭を下げて自分の愚かさを謝って単刀直入に聞いてみる。政治云々に興味
は無いけれど、夫妻はどうするのだろうと。私の中ではリンハイアに会うのだ
ろうと決めつけてしまっていた。
「安直過ぎるわ。」
隣でリュティが呆れるが、他に思い付かないのだもの、しょうがないじゃない。
「ミリア空気読めよ。」
いやぁ、ユリファラに言われたくないわ。サーマウヤは黙して笑顔を浮かべた
ままでいる。カーダリアに任せると言う事だろうか。茶々を入れた二人もカー
ダリアが何と言うのか気になっているのだろう、自然とカーダリアに視線が集
中する。
「やれやれ、他人事だと言うのに物好きなお嬢さん方だ。」
カーダリアはそう言うと苦笑した。その笑みは呆れなのか、自嘲なのか分から
ないがそんな感情が混じっていたように見えた。カーダリアは言った後にサー
マウヤに視線を送る。サーマウヤは好きにすればいいという様に笑みのまま頷
いた。
「今更取り繕っても仕方ない。それにリュティ殿は勘づいているだろう?」
何?私がリュティを横目で見ると、頷いたところだった。つまり察してないの
は私だけってことか。
「アールメリダの復讐だよ。」
今まで笑みを浮かべていた夫妻からそれは消えていた。まさか、という思いだ
った。一国の枢機卿が単身で他国に来てまで復讐?
「娘を殺されて黙ってはいられないのでね。」
口調は変わらないが、カーダリアの瞳には憤怒が見える。そこには立場よりも
親で在ることの覚悟が見えた気がした。いや、覚悟なのだろう、枢機卿の立場
を顧みずはっきりと復讐に来たと言っているのだから。
「つまり、ウェレスを殺しに来たと?」
正直に言ったカーダリアに、隠し事をする気にもなれず私はその名前を出した。
そこでユリファラと夫妻が驚きを見せる。
「何でミリアが知ってんだよ!?」
「声が大きいわよ。」
ユリファラが驚きの声を上げたので、声を小さくするように促す。
「あ、悪ぃ。」
ユリファラは申し訳なさそうに言うと、周囲を見渡した。大概のお客さんは歓
談し、料理やお酒を楽しんでいて、他の席を気にしている感じはない。
「まさか、アールメリダを殺した者を知っているとは驚きだよ。」
カーダリアは興味の眼差しを私に向けて言った。
「私も正直に言うわ、私がアーランマルバに居る理由はウェレスを殺すため。」
またもユリファラと夫妻は驚きの顔をした。私は夫妻に対して隠す気にはなれ
なかった。ユリファラは私の仕事を知っているだろうから、この状況で隠す意
味も無い。私にとっては。
「済まないが、その役目は私たち夫婦に譲ってもらいたい。」
お金のために受けた仕事だけれど、夫妻の前では些事に過ぎない理由でしょう
ね。出来れば譲りたいところだけど。
「ミリア?」
黙っている私に対して、ユリファラが促す様に名前を呼んでくる。なんでそこ
で答えに詰まっているんだと含みを持って。
私は何を拘っているのだろうか。お金のためもあり、ウェレスの存在が許せな
いのもあった。ただそれ以上に許せずにいる人が、目の前にいるというのに。
何処かで自分の進退に打算している自分がいるのだろうと思うと、それはそれ
で自分に嫌気がさした。
「私も一緒に行くわ。」
出た結論はそれだった。
「答えになってねぇよ。」
ユリファラが睨んで来るが、カーダリアはそれを諌める。
「お互い、事情があるという事だ。私は構わないが、遠慮はしない。」
暗に邪魔をするなら容赦はしないという事だろう。それでも、私はその場に居
合わせたい。夫妻が事を成せない可能性だって在るのだから。
「ええ。」
私が頷くと、カーダリアも頷いてきた。
「ところで、何故この短期間でウェレスが殺したという事実、まして滞在先ま
で判ったのかしら?」
それまで無言で聞いていたリュティが出した疑問は、言われてみればという問
いだった。オーレンフィネアに居てそれを知るのは難しい。アイキナ市警察局
ですら掴めていない事だ。私の場合は決めつけているだけだが、それも司法裁
院の依頼があっての事。
執務諜員のユリファラが知っているとは考え難い。リンハイアが上に居ると言
っても、市内の一事件まで予測しているとは考え難いからだ。
一体どうやって知ったのだろうか。またも視線がカーダリアにあつまるが、当
人しか知らないのだからしょうがない。
「それも大方予想はついているのではないかな?」
カーダリアはリュティを見据えると、逆に問い返した。
「どうしてそう思うのかしら?」
「もう接触したんじゃないかと思ってね。」
牽制をして進まない二人の会話に、何を言いたいのか見えないので若干苛つく。
「はぁ、見かけただけよ。だからメアズーが一番可能性が高いと思っているだ
け。」
諦めた様にリュティが溜息混じりに言った。メアズーってウェレスの配下にい
たあの女か。
「思っている通りだよ。」
リュティの考えをカーダリアが肯定した。待て待て。ウェレスに付いている女
が何故、カーダリアに情報を漏らしているんだ。リュティは何故そう思ったの
か、そう思ってリュティに目を向けると表情に嫌悪感を浮かべていた。過去の
事は聞いてないが、何かあったのだろう。
「相変わらずなのね。」
リュティの言葉にも嫌悪感は滲み出ていた。
「そうだ。だから私たちは此処にいる。」
全く分からない。ユリファラに至っては考える事を放棄したようでパエリアを
食べ始めている。まったくお子様なんだから。
「存在が容認出来るものでもないし、信用もしていないが、彼女の自分に対す
る忠実さは信用してもいいだろう。」
「ええ。」
二人だけで盛り上がるのは止めて欲しいわね。私とユリファラはすっかり置き
去りなので、私もユリファラに倣って飲む方に専念しよう。通りすがった従業
員を呼び止め、麦酒のおかわりを注文すると、私もお子様の仲間入りをする事
にした。
「ユリファラ。」
「あん?」
暇なのでユリファラに声を掛けると、つまらなそうに返事をする。いや、私の
所為じゃないわよ。
「アクセサリーはどう?」
一瞬きょとんとしたが、直ぐに笑顔になる。
「あぁ、いい感じだよ。足首にしっかり収まって音も鳴らないし、今も着けて
んだぜ。」
そう言って左足を上げて見せてくる。お、着けていてくれるとは、作った側と
しては嬉しい限りね。
「また別の作ってくれよ。気分で変えたいじゃん。」
「いいわよ、暇があったら。」
「じゃぁまた店に遊び行くわ。」
「営業の邪魔はしないでよ。」
そんな事を話しながらメニューを見ると、ムール貝と海老のアヒージョが目に
入る。これは、大蒜とオリーブオイルの香りに塩気が、麦酒を進めてくれそう。
「ね、これ食べない?」
私は料理を指差しながらユリファラに聞く。
「ミリアのつまみじゃねぇか。ま、旨そうだからいいぜ。」
よしきた。
「すいませーん!」
私は従業員に声を掛け、ムール貝と海老のアヒージョを注文した。ついでに麦
酒のおかわりも。
「ねぇ、明後日は時間あるんでしょ?」
私は麦酒を飲んで、ユリファラに確認する。
「まぁ、おっさんに報告以外は予定ねぇな。報告っつってもアリータに連絡す
れば、城に行く必要もなくなるけどな。」
ユリファラは考える素振りをしながら言う。
「他にもお店を案内してよ、美味しいところ。」
「しょうがねぇな。」
と言いながら笑顔を向けてくる。これで地理に暗い私でもいいお店に行けるわ。
「後はアンパリス・ラ・メーベに行って。」
「ちょっとミリア。」
そこまで言ったところでリュティが声を掛けてくる。
「何?」
私は冷めた視線をリュティに投げつけた。大人気ないと分かっているが。その
視線にリュティが怪訝な顔をする。
「どうしたのよ。」
「含み話しなら好きなだけすればいいわ。どうせ私には分からないし。」
そう言って私はユリファラに向き直る。ユリファラは言っちゃったよ、みたい
な顔をして私を見るが知った事ではないので笑ってみせる。
「うわ。」
と、ユリファラは声に出したが顔は笑っていた。
「明日の話しがあるのよ、拗ねてる・・・」
リュティを睨み付けたところで、私もろともカーダリアが手を上げて制した。
横ではサーマウヤがカーダリアの耳を引っ張って頬を膨らませている。その光
景に呆気に取られ、不覚にもサーマウヤの態度は可愛く見え、毒気を抜かれた
自分に驚いた。
「ミリア殿、ユリファラ殿、申し訳ない。」
カーダリアはそう言って頭を下げた。
「楽しむ筈の食事で、除け者にしてしまったようだ。」
はぁ、しっかり謝られるとどうしようも無いわね。サーマウヤとアールメリダ
に免じて今の態度は改めましょう。
「分かったわ、私は謝らないけれど。」
サーマウヤが笑顔を向けてくる事で、私も笑顔を返した。一瞬硬直したユリフ
ァラも、笑顔になり、カーダリアは苦笑した。私は真面目な表情のままなリュ
ティに目を向ける。
「悪かったわ。」
感情的になることは珍しいと思うが、この状況で続けようとは思わずにリュテ
ィは破顔した。
「で、明日の話しって?ホテルに入る方法でも決まったの?」
私は強引に話しを戻し、来たばかりのアヒージョからムール貝をフォークに刺
して口に入れる。ん、旨い。そこに麦酒を流し込む。
「ぷは。」
「ミリア、海老もうめぇぞ。」
まだ口をもぐもぐと咀嚼で動かしているユリファラが言ってきた。
「当たりね。」
「だな。」
そんな私とユリファラを三人が無言で見ている。サーマウヤだけは笑顔だ。
「何?明日の話しするんじゃないの?」
誰にともなく聞いた私に、カーダリアが軽く吹いて笑みをこぼした。失礼ね。
私、面白い事なんてしてないわよ。
「そう、明日ニーザメルベアホテルにどうやって入るかだ。」
カーダリアが答える。
「当日、宿泊している者の関係者であれば、入る事は可能だ。」
そりゃそうでしょうよ。それが出来ないから困ってるんじゃないの。あ、まさ
か。
「メアズー?」
カーダリアが関係者と言うのであれば、今の情報からではそれくらいしか思い
付かない。ホテルの従業員に内通者が居るとも考え難い、突発的な殺人と復讐
と考えれば。ユリファラが居るとはいえ、復讐にリンハイアは関わらないだろ
う。
「そういう事だ。」
でも何故?
「普通なら、昔解雇された者が情報を漏らしたり、復讐の手引きをするとは考
えられない。」
そう。私の疑問をリュティが言葉にした。いくらなんでも都合が良すぎるので
はないか?何の理由が在って、と考えてもしょうがないので霧散させる。
「ああ、つまり変態って事か。」
手っ取り早い結論はこれよ。
「その通りよ。」
は?私の思考停止から出た結論は、リュティによってあっさり肯定された。
「うげ、まじか。」
ユリファラも嫌そうな顔をする。
「言い方はどうあれ、危うい存在なのは間違いない。メアズーは組織や集団と
は相容れない性格をしている。」
その辺が、カーダリアが解雇した事や、今回のウェレスへの裏切りに繋がるの
だろうか。
「メアズーは自分が楽しければいいのよ。逆に飽きたら楽しくなる方に事態を
転がすし、それが出来なければ壊滅させてでも其処から抜け出すのよ。」
うげっ。やっぱり変態という表現は間違いじゃなかったわ。そりゃリュティも
肯定するわけだ。とんだ爆弾女ね。という事は、カーダリアはそれを察して解
雇したのだろう。
そうか、信用ならない女だが今の事態が信用出来るというのは。つまりウェレ
スの所に居る事が飽きたのかどうかは不明だが、自分にとってより面白い方向
になるようにしたわけだ。
「飲み込めてきたようだね。」
カーダリアの言葉に私は頷く。ウェレスに対して同情は一切ないが、ろくでも
ない女ね、メアズーは。
「アールメリダの事はメアズーも知っていた筈、だから彼女は今回の展開を企
んだ。」
あ、そっか。知っていて見殺しにした上に、カーダリアへ情報を漏らしたのか。
私の中で黒い感情が沸き上がるのを感じた。自分が楽しむために惨劇を傍観し
た上に、それを弄ぶメアズーに対して。
「おいミリア、顔怖ぇぞ。」
ユリファラに言われて我に帰る。私はどんな顔をしていたのだろうか。リュテ
ィも不安気にこちらを見ている。私も危ういという点ではメアズーと一緒なの
かも知れない。リュティはそれを気にしているのだろう。
「少し落ち着きなさい。」
「分かってるわよ。」
リュティに言われるまでもないけれど、ただ心配して言っただろう言葉を不機
嫌そうにあしらってしまった。
「まあまあ。私は嬉しいよ、娘の死に感情を抑えないミリア殿の態度は。所詮
は他人事なのだから。」
そう言われると身も蓋もないのだけれど。
「そうね。先程初めて会ったばかりなのに、なんだか嬉しいわね。」
サーマウヤもそう言うが、その笑みには哀しさが在った。アールメリダの死に
対して、夫妻は感情を見せない様にしていたのだろう。私は自分の安直さに内
心で自嘲する。
「さて、話しを進めようか。」
カーダリアはそう言って私を見た。
「ごめん、話しの腰を折ってしまったわね。」
そう、ホテルへの侵入方法を話していたのだった。
「いや、全然構わない。」
カーダリアはそう言って笑むと、話しを続ける。
「明日の夜、法皇国オーレンフィネアの枢機卿がネヴェライオの事業展開に興
味がある、という名目で面会する手筈になっている。」
成る程。そういう話しか。枢機卿本人が出向くのであれば信頼性もあるし、無
下にすることも出来ないわね。
「エクリアラの開店を忍んで視察、その前にアーランマルバに総合施設を展開
した手腕の持ち主に直接会いたいという理由でね。」
権力を利用した方法か、私には無理だが道筋としては悪くないと思える。
「メアズーがウェレスにどれだけ信頼されているかが問題ね。」
カーダリアの説明に、私は懸念を示した。あの変な女が雇われの身でどれだけ
信用されるのかと。ネヴェライオの社員が正式に受けた話しなら別だが、飛び
入りの面会がどれだけ通じるのか。
「確かにその懸念はある。本人曰く問題ないと文書通信を送って来ているから
大丈夫だろうと思うが。」
カーダリアも不安は拭えないのだろう、表情に若干その思いを浮かべながら言
った。今はメアズーの勝手さを信用するしかないという事なのだろう。
「その話しに乗るしかないわね。」
私としても手が無いので結論は決まっている。
「その通りだ。」
カーダリアは頷くと、ユリファラに顔を向ける。
「ユリファラ殿は私たちの娘として。」
「お、おぅ。」
カーダリアの発言にユリファラは緊張したのか、口ごもりながら背筋を伸ばし
て応えた。
「お二人はヴァールハイア家の使用人という事でどうかな?」
「構わないわ。」
「入れるなら何でもいいわ。」
私とリュティも承諾する。しかし、私が使用人とか無理があるわ、そういう仕
事は無理だもの、性格的に。自嘲するしかないわ。
「急拵えだがこれで、ヴァールハイア家の視察団が出来たわけだ。」
カーダリアはそう言って苦笑した。面白くも何ともないが、苦笑が丁度いいの
かも知れない。一日だけの視察団がここに出来たのだけど、関わり合いになり
たくない。が、選り好みはしていられないか。
「それで、時間と場所は?」
「十九時にニーザメルベアホテル前だ。」
行くしかない以上、明日の予定を確認した私にカーダリアが答えた。これで明
日の段取りが決まったわけだが。
「なんであっさり、私たちの同行を承諾したの?」
疑問に思っていたので聞いてみる。
「単純な理由だよ。お互い我儘で行動しているだけの事、一緒に行こうが行く
まいがそれは変わらない。ただ、後で無理に割り込まれても困るので一緒に行
った方が得策と思っただけだよ。」
確かに、その方が合理的よね。見えない不安を抱えるくらいなら、一緒に居て
注意を払う方が対応しやすい。現場で出くわして三つ巴になる可能性あるわけ
だし、困惑は目的の達成に支障を来たすどころか、下手をしたら死ぬ確率も上
がる。ただでさえ、死ぬ可能性が在ったわけだし。
「分かり易くていいわ。」
私がそう言うと、カーダリアが頷く。そこでサーマウヤが両の掌を軽く打ち合
わせ、笑顔をこちらに向けてくる。
「明日の話しはこれくらいにして、夕食を楽しみましょう。わたくしとしては、
初対面のミリアさんの話しが聞きたいわ。」
いや、私はそういうの苦手なんだけどな。今まで明日の話しばかりで会話に加
わって無かったサーマウヤが興味の目を向けてくる。
「そうだな、三人の関係も気になるところだ。」
「そうね。」
夫妻は意見が一致したようだが、面倒。ここはリュティとユリファラに任せて、
私は麦酒と料理に集中する事にしよう。
「駄目ですよ、ちゃんと参加してください。」
うっ。私の内心を見透かした様にサーマウヤが言ってきた。真っ直ぐに向けら
れた瞳からは逃れられそうにない。私の反応を見て、リュティとユリファラも
笑ってやがる。はぁ、諦めるしかないか。
偶然の出会いから、悩んでいたホテルへの侵入が解消された。それにより明日
の昼は時間が出来たので、アンパリス・ラ・メーベ行こうか、何処か見に行こ
うか、いろいろ考えようと思ったのに。容赦無く潰された。



「経歴を知っているから、それほど疑ってはいませんが、今一つ信に欠けるん
ですよね。法皇国オーレンフィネアの枢機卿という立場の人間が、しがない会
社の一社員に会いたいというのが。」
相変わらず葡萄酒を飲んでいるウェレスが、呼びつけたメアズーに対して言っ
た。メアズーに向けられる目は何処か胡乱気に。
「嘘はないよ。会えば本人ってわかるって。うひっ。」
メアズーは右手をぱたぱたと振って言った。
「まあ、話しが本当であれば他国展開の足掛かりになる可能性は在りますから
ね。オーレンフィネアはまだ手を着けていない国ですから私としても魅力のあ
る話しです。」
ウェレスは薄ら笑いを浮かべて、グラスの葡萄酒を飲み干すと新たに注ぐ。テ
ーブルの上に並べられた料理から、ローストビーフにフォークを突き刺して口
に運びながら。
「オーレンフィネアは小国だけど、隣国と並んで発展した先進国だからね。機
会は大事だよ。あはっ。」
メアズーが喋った事で、ウェレスの薄ら笑いが崩れる。
「そんな事は分かっています。新規開拓は伝手でもない限り難しいんですよ。
故に、今回の面会が上手く行くことを望んでいるのです。成功したなら、貴女
への報酬も弾みましょう。」
嫌悪感を浮かべながらウェレスは報酬の増額を告げる。腕が立つだけでなく、
法皇国オーレンフィネアへの足掛かりが出来たとなれば、この不快感も些事で
しかないと思えば。
「おぉ、それはありがたい話しだね。うひゃっ。」
メアズーは口の両端を吊り上げて妖しく笑った。
今この場でこいつを殺したい、明日カーダリアに死体を見せつけてやるのも面
白いなと思い浮かべて。一体どんな顔をするのだろうかと想像すると、気持ち
が昂ぶって来るようだった。
(まて、ここまでお膳立てしたんだ、一時の快楽で無駄にしちゃだめ。おぶっ
。)
必死に自分を抑えてメアズーは何事も無かった様に佇む。メアズーの思惑に気
付かずウェレスは葡萄酒に口を付ける。
「では明日は頼みますよ。十九時に下で出迎えでしたよね。」
「そうだよ。えへっ。」
「用件は終わりです。」
「はいはーい。あひっ。」
メアズーが答えると、もう用はないと間髪入れずにウェレスは言った。軽く返
事をして扉に向かうメアズーに、ウェレスは目を向ける事は無かった。これ以
上メアズーと関わっても気分が悪くなるだけだと。折角ニーザメルベアホテル
の最上階に宿泊出来たのだから、満喫したいとウェレスは思っている。部屋の
中に部下やらあの女が居ては寛ぐ事も出来ない。
部屋の扉が閉まる音を聞くと、ウェレスはやっと落ち着けると安堵して、グラ
スの葡萄酒を一気に空ける。新たに注ぐとグラスを持ってソファーから立ち上
がり、窓際に行く。二十階の高層から見下ろす街は、まだ夜が始まったばかり
か、煌々と光が点在していた。

(あふ、なんか我慢出来そうにないかな。どうかな。たはっ。)
部屋を出たメアズーは虚ろな眼差しで昇降機に向かった。



それから私たちは他愛ない会話をして解散した。ホテルに戻った時には二十三
時になろうとしていた。エントランスで部屋の鍵を受けとる時は多少警戒をし
たが、メアズーも配下の者も見かけなかった。最上階の部屋に泊まるお金持ち
だもんね、こんな時間に出歩くわけないか。
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