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紅湖に浮かぶ月3 -惨映-
3章 狂宴と厭忌
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1.「人が存在しなければ、地獄も存在しえない。」
朝ご飯を食べながらテレビを眺めている。リュティが買ってきたクロワッサン
を半分に割り、そこにレタス、薄切りのトマト、クリームチーズ、スモークチ
キンを挟んで頬張る。コンソメスープが付いた朝食は、朝から美味しさと優雅
な気分を味わわせてくれるが、気分は乗らない。テレビから流れている報道、
男女の惨殺事件が流れているのが原因なのは分かっているのだけど。
昨夜の仕事は朝からもう報道されている。部屋から血の色の灯りが漏れていれ
ば通報されるのも当然の流れよね。もう少し軽妙に動いた方が良かったと思わ
せられる。この調子ではいつか足元を掬われかねないとも。
開店前の朝食は憂鬱な気分から始まった。目の前のリュティは、私の心情など
お構い無しに何時もの微笑で紅茶を飲んでいる。自分の業だから文句を言える
立場ではないけれど、それでも目の前に居るといい気分ではなくなってしまう。
自分勝手な話しよね。
それを打ち消してくれたのは、ハミニス弁護士からの文書通信だった。昨日の
今日だが、早速候補日が送られてきた。こんな個人店に早々と動いてくれた事
が嬉しい。
「ハミニス弁護士から、早速来店の候補日がきたわ。」
私は小型端末をちらつかせながらリュティに言う。
「良かったわね。いつかしら?」
リュティには昨日、面会から帰って来た時に説明をしてある。「会って決まっ
たわけじゃないのね。」と言っていたが、私も同じ事を考えていたので、直ぐ
には決まらないと否定は出来なかった。
「明日か、明後日。」
「あら、早いのね。」
「アーランマルバに行く事を考えて、その付近は外してもらってるからね。必
然的に直近で対応してくれようとしたんでしょ。」
無理だったらアーランマルバから戻った時に調整するしかないかなと思ってい
た。いつ戻れるか分からないし、殺されて戻れないかもしれないが。そうなっ
たら決まった決まらないに関わらず無駄になってしまうのだけど。
「ええと、明日は午前で明後日は午後ね。」
大間かに時間も書いてあるので口にしてみる。私は明日も明後日も特に予定は
無いのだけれど、明日は薬莢の受け渡しがあるくらいか。どっちでもいいから
都合のいい時にきてもらう方向で返事をしようか。
いや、駄目ね。ちゃんと約束した方がいいわ。折角調整してくれているのだか
ら、どっちも空いてるから好きな方でどうぞとか、投げやりな態度は良くない
わよね。そう捉える人もいるだろうと思うが、それ以上に適当なんだと思われ
たくはない。
私はそう思い、ハミニス弁護士に文書通信を送った、明後日の午後でお願いす
る旨を。まあ、午前で約束しても時間通りにお店を開けるかといえば、分から
ないから午後の方がいいかなという思いが正直なところ。
「明後日にしたわ。」
「そう。」
リュティは頷くと時計を見る。
「開店の時間よ?」
私にも見ろという含みで見たのだろう、そこで開店を促してきた。時計を見る
と十時を十分程過ぎていた。あ、過ぎてる。
普段通り調光が僅かに落とされた部屋では、机を前に椅子に座っていたウェレ
スが紫煙を吐き出しながら葉巻を灰皿に置き立上がり、両手を開いて笑顔を浮
かべる。両脇には二人ずつの配下の男と、部屋の入り口にも二人の男。やはり
全員が笑顔だった。
部屋の中央には普段置いてない長机が置いてあり、ウェレスの机とヤミトナ、
アルメイナ両名の間に豪勢な料理と数種類の酒が並んでいる。
「折角の門出です、心許りで申し訳ありませんが、祝福させてください。」
笑顔のウェレスが、掌を料理の方に差し出しながら切り出した。
「お心遣い感謝します。」
ヤミトナはそう言って頭を下げると、ウェレスの前まで移動して分厚い封筒を
差し出す。
「退職用の納付金です。」
「頂戴します。不条理な我が社の方針、重ね重ね申し訳ない。」
ウェレスは金を受け取るとそう言って、軽く頭を下げた。。
「いえ気になさらないでください、了承して入ったのですから。ただ、当時は
辞めるなんて考えてもいませんでしたが。」
ヤミトナも笑顔で応じる。これから最愛の妻になるであろうアルメイナと、歩
む事を考えると、自然と笑顔になった。ネヴェライオ貿易総社という、裏では
不正取引も当たり前の様に行っている会社から出て、アルメイナの故郷で真面
目に働き一緒に過ごす事を思うと尚更だった。
「時間が無いかもしれませんが、良ければ少しお付き合いください。」
ウェレスは封筒を横に居た男に渡すと、長机に並べられた料理を指して言った。
男は封筒を受け取ると金庫へ仕舞うため移動する。それを横目に、ヤミトナは
並んだ料理に視線を移す。
「この後、法皇国オーレンフィネアまで移動するので、長居出来ず申し訳あり
ませんが、それまでお言葉に甘えます。」
言いながらヤミトナはアルメイナに視線を送る。アルメイナは分かっていると、
その視線を見返した。その間にウェレスは自分の机を迂回してヤミトナの隣ま
で移動してくると、葡萄酒の瓶を掴む。見越していたかのように、配下の男が
グラスを持って長机まで移動してきていた。
ヤミトナは差し出されたグラスを受け取ると、ウェレスが既に開栓していた葡
萄酒をヤミトナのグラスに注ぐ。次いでウェレスも配下の男からグラスを受け
取って注いだ。
その一連の動作を見ていたアルメイナは、あまりの手際の良さに目を丸くした。
驚いているアルメイナの前にもグラスが差し出される。
「お嬢さんには水を。」
断ろうとしたアルメイナより早く、ウェレスが身重のアルメイナを気遣って言
う。察したアルメイナはその気遣いに頭を下げた。
全員に酒杯が行きわたると、ウェレスが軽く咳払いをする。それが合図のよう
に一同がウェレスを注目した。
「ささやかではありますが、ヤミトナさんとアルメイナさんの門出が、幸多き
事を祈って。」
言った後、ウェレスは頭上にグラスを掲げる。それを合図に全員が倣った。
ヤミトナが葡萄酒を一口含んで楽しんでいる間に、横のウェレスはグラスを開
けていた。その豪気な飲みっぷりにまたも、アルメイナは目を丸くした。
「相変わらずお強いですね。」
「はは、これが楽しみで生きているようなものですからね。」
ウェレスはそう言って右手を机上に伸ばすと、料理からハムを掴み取って頬張
る。左手では空いたグラスに葡萄酒を注いでいた。
「しかし、聞いていた以上に綺麗なお嬢さんですね。」
器用な事をすると思いながらウェレスを見ていたヤミトナは、その言葉に微笑
んだ。
「アルメイナは、とても優しい女性なんです。」
照れくさそうにヤミトナは言うと、頭を掻く。
「それは、自慢の奥さんになりますね。」
ウェレスはそう言うと葡萄酒を飲み干す。ヤミトナはその言葉に苦笑した。
「私には過ぎた、と言われないよう頑張らなければと思っています。」
「ヤミトナさんなら大丈夫ですよ。ネヴェライオでの働きを見ていれば分かり
ます。」
「ありがとうございます、ウェレスさんにそう言って頂けると心強いです。」
満面の笑みで言ったウェレスに、ヤミトナも笑みで応えた。ヤミトナは葡萄酒
を口に運ぶついでに腕時計に目をやり、予定の時間に近づいている事を確認し
て申し訳なさそうに笑みを消した。
「すいません、そろそろ出発の時間ですのでこの辺で失礼します。私たちの為
にこの様な場まで設けて頂きありがとうございました。」
余った葡萄酒を飲み干したヤミトナは、空いたグラスを机に置くとそう言って
頭を下げた。アルメイナも机の反対側でヤミトナに倣う。
「もうそんな時間ですか、名残惜しいですがオーレンフィネアに行っても頑張
って下さい。」
「はい、ありがとうございます。」
ヤミトナはウェレスが差し出して来た手を握り返し礼を言った。握手を終える
とウェレスは大仰に手を広げる。
「さあ、ヤミトナさんたちの旅立ちだ。」
ウェレスの言葉を合図に、部屋の中に銃声が二度鳴り響いた。
「っ!!」
「いやぁぁぁっ!」
ヤミトナの苦鳴が銃声に埋もれ、その銃声の残響をアルメイナの悲鳴が掻き消
した。悲鳴と共に駆け寄ろうとしたアルメイナを、扉の前に待機していた男二
人が両側から押さえ付ける。
「離してっ!」
両足の脹脛から血を流すヤミトナに、アルメイナは駆け寄ろうともがくが、男
達の力には抗えない。
「ヤミトナっ!」
「なにをっ・・・」
同じく男に両側から押さえられたヤミトナが、起きた事への戸惑いと、沸き上
がる嚇怒が交ざった様な目をウェレスに向ける。心配して声を上げたアルメイ
ナを横目に見ただけで、ウェレスを見据える。ウェレスは机上からこんがりと
焼かれた骨付きの鶏肉を掴むと齧る。
「ヤミトナさん。あなたが行くのはオーレンフィネアではないのですよ。」
「なんだと!?」
骨付き肉を齧るウェレスに疑問を投げつけたヤミトナは、能面のような無表情
で光の無い冷利な目を見ると恐怖が沸き上がる。ネヴェライオ貿易総社の筆頭
として他を圧倒してきたウェレスの顔を、幾度となく目の当たりにしてきたヤ
ミトナはその恐怖をよく知っていた。その目が今自分に向けられていることで、
これから訪れる絶対の苦痛と恐怖から逃れられない事に、愕然とした。
「アルメイナは関係ない、離してくれ。」
自分の末路を悟ったヤミトナは、アルメイナの解放を懇願する。無駄だとは分
かっていても願わざるを得ない。
「ネヴェライオの内情を知るものは放置出来ないのですよ。」
ウェレスはそう言うと肉を齧り取り、身が無くなった骨を机に放り投げ、空い
たグラスに葡萄酒を注ぎ始める。
「元々は身内です。ヤミトナさんは反吐が出るほど真面目ですからね。おっと、
これは評価しているんですよ。」
口調は変わらないが光の無い目は何も映そうとしない闇のままで、ウェレスは
葡萄酒を飲み干す。
「その評価に応じて、暫くしたら解放してあげます。」
「私はどうなってもいい、アルメイナだけは!」
「駄目よ、一緒じゃなきゃ!」
ヤミトナの懇願に涙を浮かべながらアルメイナが抵抗する。
「解放すると言ってるじゃないですか。ああ、それと止血を。」
ウェレスはそう言うと、顎を横に軽く振る。能面の様に無表情のままだが、口
の端だけが僅かに吊り上がる。ウェレスの合図でアルメイナを押さえていた男
たちは、アルメイナを引き摺って移動を始める。同時に待機していた男の一人
が、小銃を取り出すと、ヤミトナに向けて撃つ。
「やめて!」
アルメイナは叫ぶが銃声は鳴らずに、代わりに白光の呪紋式がヤミトナに浮か
び消失していく。
「止血の呪紋式を撃っただけですよ。」
ウェレスは何処を見るでもなく言い、空きグラスに葡萄酒を注ぐ。その横でヤ
ミトナが床に頭を押さえつけられ、両手の掌をナイフで床に縫い留められた。
「っ!」
「やめてぇっ!」
「流石にネヴェライオで働いていただけはありますか、声も上げないとは。あ
と殺しはしませんが、痛みは消してあげません。」
ヤミトナを見る事もなく、アルメイナの悲痛な叫びも聞こえてないように、葡
萄酒を飲むとウェレスは天井を見上げて言った。 机上にある焼いた牛肉を一切
れ掴むと口に放り込み咀嚼する。
「綺麗にして頂けますか?」
ウェレスはそう言って、ソースに塗れた右手をアルメイナの口元に差し出す。
「やめろ!」
「ヤミトナさん、傷が増えますよ。」
ヤミトナが発した静止の叫びを無視して、ウェレスはアルメイナに優しく言う。
「んっ!」
直ぐにヤミトナの苦鳴があがり、反応したアルメイナがヤミトナを確認すると
右足の太腿にナイフが刺さっているのが見えた。アルメイナは目から大粒の涙
を零しながら、ウェレスの指を舐めはじめる。
「アルメイナ、私の事はいいから止めてくれ!」
「と、言ってますが私は別にどちらでも構いません。」
ウェレスの言葉にも、アルメイナは止めずに指を舐め続けた。ウェレスは顎で
合図すると、アルメイナの前後を男たちに入れ替えさせ、前屈みにさせた。ア
ルメイナのスカートをウェレスは捲り上げると、下着をナイフで切り取り、恥
部を露わにする。
「ウェレス、止めてくれ!」
ウェレスはアルメイナのスカートを戻すと、グラスに残っている葡萄酒を飲み
干した。追加の葡萄酒を空いたグラスに注ぎながら、豚肉のソテーを齧って千
切る。
「先程も言いましたが、私はどちらでも構いません。どうしますか、アルメイ
ナさん?」
ウェレスは一切ヤミトナに目を向ける事無く、全く変わる事の無い能面の顔を、
アルメイナの方へ向けて言った。
「聞くなアルメイナ!私の事はどうなってもいいから、アルメイナは解放して
くれ、頼む!」
ヤミトナはアルメイナに言ったあと、続けてウェレスに懇願する。ウェレスは
ヤミトナを見る事無くアルメイナに再び問いかける。
「次は左足でいいですか?」
「続けて!だから、ヤミトナはこれ以上傷つけないで。」
ウェレスの問いにアルメイナは直ぐに反応した。先程、間髪を入れずにヤミト
ナを刺された事を思い出して。
「いや、ヤミトナさんの言う通りお優しいお嬢さんですね。しかも気丈さも兼
ね備えた素晴らしい女性だ。」
ウェレスはアルメイナのスカートをまた捲り上げ、豚肉のソテーで汚れた指を
陰部に挿し込んだ。
「んんっ!」
アルメイナは嫌悪と痛みを唇を噛んで堪えた。
「豚の脂が付いて丁度良かった。」
ウェレスの言葉の後、更に突き上げる痛みが下腹部を襲う。
「止めろ!止めてくれ!」
ヤミトナの叫びもにも反応せず、ウェレスは腰を動かし始める。奥に突き込ま
れる度に、痛みを堪えるアルメイナの呻きが静かな部屋を漂った。
「止めろウェレス!」
ヤミトナは今にも飛びかかりたかったが、掌の激痛と男たちの強靭な拘束で動
く事も出来なかった。
「殺してやる!!お前は絶対に殺してやる!」
白目が赤に染まるほど充血させ、憤怒の形相でヤミトナはウェレスに殺意を向
ける。
「ああ、確度が悪くてよく見えませんでしたか。」
ヤミトナの殺意にウェレスはそう言うと、アルメイナの位置を変え押さえてい
る男に片足を持ちあげさせる。アルメイナとの結合部をヤミトナに見えるよう
に。
「これでどうでしょう。」
「貴様ぁっ!」
ヤミトナは掌を切り裂いてでもウェレスに向かおうとしたが、やはり男たちに
抗う事が出来ずに痛みだけが襲った。
「まだ足りないんですね。上の口がお留守だからですか。」
ウェレスは待機してた男に顎で指示をする。男はウェレスと向かい合うように
アルメイナの前に立つと、その口に無理やり男根を入れる。
「ヤミトナさんに見える様にしてくださいね。」
「離せっ!殺してやるっ!お前ら全員地獄に送ってやる!離せっ!!」
ヤミトナは罵声を飛ばしながら暴れるが、束縛からは逃れられない。
「心配しなくても大丈夫ですよヤミトナさん。まだ始まったばかりですから。」
ウェレスは腰の動きを止めると、アルメイナの陰部から男根をゆっくりと抜く。
穴からは白濁の体液が溢れ出ると、床に音を立てて零れた。ウェレスはアルメ
イナのスカートで自分の男根を拭くと、待機していたもう一人に顎で合図をし
た。
アルメイナを押さえている片方の男と、押さえるのを交代すると、押さえてい
た男が今度はアルメイナの陰部に男根を挿し込んだ。ウェレスは葡萄酒の瓶と
グラスを持つとヤミトナの横に移動してグラスに葡萄酒を注ぐ。その姿を下か
ら見上げるようにヤミトナは睨め付ける。
「一緒に飲みながら鑑賞でもしましょうか。」
ウェレスはそう言うと、グラスから葡萄酒を飲みつつ、瓶の葡萄酒はヤミトナ
の頭に注いだ。葡萄酒は頭に当たると臙脂色の飛沫を撒き、顔を染めながら床
に広がっていく。
「うあああああああぁぁぁぁっ!」
ヤミトナは頭を振り回して力の限り叫んだ。
「殺す!!」
髪を濡らした葡萄酒を散らしながら。
「殺す!!」
口角に臙脂の泡をつけ、葡萄酒混じりの涎を飛ばしながら。
「殺すっ!!」
掌を縫い留めているナイフから、右掌を裂いて引き抜き赤黒い体液を振り撒い
て。
「皆殺しにしてやるっ!!」
引き抜いた手で左側を押さえている男の右目に親指を突き入れ、そのまま頭部
を鷲掴みにする。
「があっ!」
男は激痛に叫びヤミトナの手を引き剥がそうするが、怪我をした手で何処にこ
れ程の力があるのかと思わせる程の握力だった。
「今分かりました。」
ウェレスの言葉と同時に、ヤミトナは体制を崩して顔から床に激突する。頭部
を捕まれた男はヤミトナの手から力が抜けたと知ると、引き剥がして投げ棄て
た。
「ヤミトナさん、喜んでいたんですね。しかしいくら歓喜に囚われても、度が
過ぎますよ。」
ヤミトナは起き上がろうと手を床に着くが、激痛で床に倒れ込む。何が起きた
のか確認すると、右手首から先が失くなっていた。ヤミトナは床からウェレス
を見上げると、変わらない能面の顔と、血に塗れたナイフが目に入った。
「私の事よりほら、アルメイナさんが見てますよ。」
その言葉にヤミトナはアルメイナに目を向ける。丁度口から男根を抜かれたと
ころで、開いた口から白濁の体液が垂れ落ちる。アルメイナは直ぐに口を閉じ
引き結んだ。口角の泡が赤く染まり、その血は線を作り顎を伝って滴る。
ヤミトナに向けられたアルメイナの瞳は清廉で曇りなく、決意の光を宿してい
た。鋭い眼光はここで諦めては全て無駄になる、この未来を歩く為に折れはし
ないと語っている様だった。ヤミトナはアルメイナの優しさに包まれた気がし
て、同時に惨めさを思い知った。何も出来ず、床に這い蹲らされ、ただ喚いて
いるだけの自分に。
アルメイナの後ろの男が入れ代わり、挿される男根が代わっても一切揺らがな
い、その瞳が宿す意志の強さはヤミトナへ影響した。
「素晴らしい。なんと気高く、気丈なお嬢さんだ。」
ウェレスは変わらない能面から、歓喜の言葉を漏らす。ヤミトナは忌々しいそ
の顔を、潰してやりたい憎悪と憤激で睨み付ける。
「ヤミトナさんのは、在り来たりな視線で面白くないですね。」
ウェレスは向けられている感情と視線が分かっているかの様に、ヤミトナの方
は見ずに言った。ヤミトナにとってウェレスの言葉などどうでもいい、ただた
だ目の前の能面を引き裂いてやりたいだけだった。
「気丈なお嬢さんのお陰で、ヤミトナさんも静かになり白けて来ましたね。」
少し間何かを考えているかの様な沈黙が流れたが、ウェレスの口の端だけが僅
かに吊り上がるのを見たヤミトナは、考えている素振りだったと確証に変わる
と同時に、ろくでもない事だろうと嫌悪に顔を顰める。
「成る程、ヤミトナさんも参加したかったんですね。」
「ふざけるなっ!」
淡々と言うウェレスに激昂を叫ぶヤミトナだが、ウェレスは無視してアルメイ
ナの方に近付く。
「やはりそうでしたか。ただアルメイナさんは忙しいようなので胸くらいです
かね、ヤミトナさんが口に出来るのは。」
アルメイナは目の前に来たウェレスが存在しないように、その瞳は変わらずヤ
ミトナにだけ向けられていた。
「何をする気だ!」
「そう慌てないでください。」
ウェレスはアルメイナのシャツの前を開くと、下着をナイフで切る。下着によ
って支えられていた乳房が重力に引かれて垂れ下がり揺れる。
「やめろ!それ以上アルメイナを傷付けるな!」
悲痛に叫ぶヤミトナの声は聞こえていない様に、ウェレスはアルメイナの乳房
を左手で掴むと右手のナイフを閃かせる。
「殺してやるっっ!!!」
ヤミトナはウェレスに飛びかかろうともがくが、男たちに押さえられ動けない。
ナイフが刺さったままの左手と、右手の切断面が激痛を訴えるがそれでももが
く。
「芸がないですね。聞き飽きましたよ、その言葉は。」
切断面の脂肪を赤い体液が塗り替え滴り始める。乳房を斬り取られたアルメイ
ナは痛みに顔を歪めるが唇を噛んで必死に苦痛の声を堪える。口の端から更に
血が流れ、痛みに目は細められるがヤミトナに向けられる瞳だけは変わらなか
った。
ウェレスが顎で合図すると、アルメイナの後ろに居た男が小銃を取り出し止血
の呪紋式を撃つ。アルメイナに白光の呪紋式が浮かび消える。
ウェレスはヤミトナに近付くとヤミトナを押さえていた男が、ヤミトナの顔を
持ち上げる。男に頬を押さえつけられ口を開けられると、ウェレスは切り取っ
た乳房をその口に押し込んだ。
「いや参加出来て良かった。」
ウェレスは能面の表情は変わらず言った。
「うっ・・・お、ぇえっ・・・」
ヤミトナは堪え切れず胃から逆流したものを吐き出した。アルメイナの乳房と
嘔吐物が粗末な音を立てて床に撒かれる。ヤミトナは鼻口から嘔吐物を垂れ流
しながらウェレスに憤激の目を向ける。
「おや酷い扱いですね。」
ウェレスはそう言って、何も映していない闇を携えた瞳をアルメイナに向ける
が、アルメイナの光は変わらずヤミトナに向けられたままだった。
「貴様だけは、絶対に許さんぞ・・・」
怨嗟を込めた言葉すらウェレスには何の感慨も与えず、ヤミトナの声は虚しく
消え去った。
カーダリアの屋敷をグーダルザが訪れている。庭に据え置かれているテーブル
には、カーダリアの妻が焼いたアップルパイと、アールグレイが用意されてい
た。向かい合う二人の前でアールグレイが湯気を立て、切り分けられたアップ
ルパイが置かれている。普段通りの着崩した楽な格好のカーダリアに対し、背
広姿のグーダルザは緊張の面持ちで対峙していた。
「突然の訪問にも関わらずご面会頂き感謝致します。」
「何、全然構わない。半分隠居生活みたいなものでね。」
グーダルザの言葉にカーダリアは苦笑して見せる。
「お元気そうで何よりです。」
「グーダルザ卿が本日訪ねて来たことは運が良い。」
グーダルザの気遣いに頷くと、カーダリアは笑顔で言った。
「と、申しますと?」
突然の来訪に運が良いなどと言われ、グーダルザは怪訝な顔をする。
「妻が焼いたアップルパイは絶品でね、今日は久しぶりに焼いてくれたのだよ。
是非召し上がって頂きたい。」
「そうですか。」
目の前に置かれたアップルパイの話しだった事に、気の抜けた返事をすると、
グーダルザはフォークで一口大に切り取って口に運ぶ。咀嚼する顔は感心した
ように、変化し幾度か頷いた。
「これは美味ですな。甘い物があまり得意ではない私でも美味しく頂けます。」
「それは何より。」
グーダルザの賛辞に、カーダリアは顔を綻ばせて頷くと、紅茶を一口飲んで視
線をグーダルザに向ける。
「して、推進派であるグーダルザ卿がわざわざこんな辺境を訪れた用件は何か
な?」
続けたカーダリアの問いに、グーダルザは再び緊張の面持ちになり、躊躇があ
るのか絞り出すように声を出す。
「マールリザンシュ卿から、話しを聞きました。」
「やはりその話しか。」
グーダルザの言葉から内容を察したカーダリアは、表情を厳しくする。その表
情は何処か寂しさを内包している様でもあった。
「ロードアルイバの口伝というのは、本当に存在するのですか?」
グーダルザの問いは、マールリザンシュの語った内容が未だに半信半疑だと言
っている様だった。カーダリアは疑問を肯定する様に頷く。
「確かに口伝は存在する。内容の真偽は確かめていないし、確かめたという話
しも伝えられてはいないがね。」
結局のところ確かめるしかないのかと、グーダルザは顔を顰める。カーダリア
が受け継いでいる口伝が真実であれば、マールリザンシュが受け継いでいる歴
史も真実となるだろう。歴史が口伝では信憑性に欠けるため、カーダリアが受
け継いでいる真偽を、グーダルザはどうしても確かめたいところであった。
「それを教えて貰う事は出来ないんでしょうか?」
カーダリアはやれやれという様に溜息をついた。何処か遠い所を見ている目に
は、呆れとも憂いとも言える揺らぎを見せている。
「二十年程前に決めた話しだ。マールリザンシュ卿も知っているのだけど。」
カーダリアはそこでまた溜息をつく。
「詳しい経緯は、マールリザンシュ卿の口から語られておりません。」
グーダルザはその事に苦い顔をして言った。
「私が心変わりするような人間で無いことは、マールリザンシュ卿もよく分か
っている筈なのだがね。」
「だからだったのですね。マールリザンシュ卿はカーダリア卿が知っていると
言っただけで、それ以上の事は語りませんでした。ただ、この状況を見据えて
住居を移しただけだと。」
カーダリアの話しを聞いて、真実を語るも何故現状の進展を促さないのか、グ
ーダルザはこの時点でやっと認識出来た。つまり、カーダリアは聞いても決し
て話す事は無いのだと。だからこそマールリザンシュは事実のみを騙るに留め、
促しはしなかったのだろうと。
「マールリザンシュ卿は人が悪いね。初めから言っておけば、グーダルザ卿が
無駄な労足をする必要など無かっただろうに。」
カーダリアはそう言って法皇庁の方角へ目線を向けた。その目は多少、冷利な
色を宿らせた様にグーダルザには見えた。
「やはりどうあっても、所在を言うことは出来ないのでしょうか?」
遠くを見やるカーダリアに、恐る恐るグーダルザは食い下がった。だがカーダ
リアは諭す様に首を左右に振る。
「それは出来ない。」
カーダリアの拒否にグーダルザはテーブルに両手を付いて身を乗り出す。その
目に若干の嚇怒を見せて。
「どうしてもですか!?」
声が大きくなるグーダルザにも、カーダリアは態度を変えずに頷くだけだった。
「法皇国オーレンフィネアを思えば、未来への憂いがあるかこそ私は動いてい
ます。カーダリア卿は現在の、この国の行く末より真偽の定かでない口伝の方
が大切なのですか!?」
グーダルザはそこまで捲し立てるとたじろいだ。正面から返ってくる視線は、
先程と違って明らかに冷利な光を宿し鋭くなっていた。
「憂いているからこそだよ。人の欲が確実に衰退と破滅を造り出す。」
それが分かっているからこそ、ロードアルイバは存在だけに留め利用した。存
在するからこそ価値の在るものだと口伝で受け継がれている。だから決して他
の者に口を割ることは出来ないのだと。
カーダリアは後半の言葉を口にはせず、心の中だけで言った。それを口にして
しまえば、口伝の内容を言ったも同等だと思っていたからだった。
「それは、悪用しなければいいのでは・・・」
グーダルザはカーダリアが出す雰囲気に気圧され、言葉が尻すぼみになった。
この決意には何を言っても通じそうにないと諦め混じりに。
「人には無理だ。正直口伝を受け継いだのはいい迷惑だが、受け継いだ以上は
守秘を全うする。例え家族が拷問や殺害されようともだ。」
生半可な覚悟で此処に移住してきたのではない、言葉通り全てを捨ててでも他
言はしないだろう。カーダリアから向けられる視線を、グーダルザはそれでも
見返したがこれ以上次ぐ言葉は出てこなかった。
「敵いませんな。」
グーダルザがそう言うとカーダリアは表情を緩めた。先程まで放っていた威圧
も消え、安堵しながら浮かしていた腰をグーダルザは下ろした。
「折角だ、お茶は楽しんでいくといい。」
「はい。」
微笑に戻っているカーダリアから言われ、グーダルザは緊張で渇いた喉に紅茶
を流した。
「私は何れ必要な時が来ると考えております。故に、諦めたわけではありませ
ん。」
一息付いたグーダルザがそう言うと、カーダリアは頷いた。
「それも在り方の一つだ、否定はしない。それぞれの思惑が在るなかで、どう
舵取りをするかだ。」
カーダリアはそう言うとアップルパイを口に入れた。グーダルザも倣って皿の
上を片付ける。
「とても有意義な時間でした。奥方のアップルパイも絶品です。」
グーダルザは現状を知れただけでも良しとした。訪れて分かった事もあると、
ここに来て初めて顔が緩んだ。
「それは良かった。」
「今日のところは帰ります。会って実感しました、その気になれば中央を苦も
なく制圧するだろうと言われた枢機卿の実態を。」
グーダルザがそう言うと、カーダリアは苦笑した。
「希少生物みたいな扱いだね。それに根も葉も無い噂だ、世間は私を買い被り
過ぎている。半分隠居している中年でしかないのに。」
グーダルザはそれを聞くと、紅茶を飲み干して椅子から立ち上がる。
「ご馳走になりました、何れまた。」
「訪ねて来る者も少ない、世間話なら歓迎するよ。」
カーダリアも立ち上がりながら言うと、屋敷の方を指差す。
「良かったらお土産にアップルパイはどうかな。」
「有り難く頂きましょう。」
カーダリアの指先を追って視線を回すと、グーダルザは頷いた。二人は屋敷に
向かい、カーダリアだけが屋敷に入ると間もなく紙袋持って現れる。グーダル
ザは紙袋を受け取り、屋敷の入り口まで二人で向かう。
「それでは。」
「ゾーミルガ卿の分もある、良かったら二人で食べるといい。」
一礼して去ろうとしたグーダルザに、カーダリアが言った。その言葉にグーダ
ルザは一瞬目を見開いた。何故ゾーミルガがボルフォンに来ている事を知って
いるのかと。だが、二十年も此処に住んでいるカーダリアであれば知っていて
も不思議ではないかと思うと、もう一度頭を下げてその場を後にした。
「ちゃんと送って差し上げましたか?」
調光の落とされた部屋で、机を前に椅子に座っているウェレスが言った。部屋
の中は何事も無かった様に、既に掃除され平常を取り戻している。机を挟んで
対峙している女性は、笑顔でウェレスの質問を受けた。百八十程の長身に、綺
麗に切り揃えられたショートボブ、そのアッシュブロンドの間に浮かべた笑顔
は妖艶だった。
「もちろん。」
白のシャツに黒のレザーパンツを履き、両手をパンツのポケットに差しながら
女性は答えた。
「この世界からちゃんと見送ってあげちゃった。うはっ。」
女性は可笑しそうに目を細め、犬歯を覗かせて笑う。ウェレスはそれを見てう
んざりした顔になった。
「何でもかんでも殺せばいいというわけでは無いんですがね。」
女性は肩を竦めて見せる。
「あんたに言われたくないね、あんな残酷な事して。可哀想だから解放しちゃ
った。あはっ。」
「辞めると言うのでね、記載されてある三百万と、記載されていない方を実行
しただけですよ。」
「それやってんの、あんただけだっつーの。うへっ。」
ウェレスの言葉に女性はうんざりした顔を作って見せる。女性の態度にウェレ
スは辟易したが、話しを続ける。
「王都アーランマルバに入る準備は整っているんでしょうね?」
「ばっちり。えへっ。」
ウェレスはそれだけ聞くと、もう下がっていいと手振りする。女性は追い払わ
れる様な態度を気にもせず、笑顔でウェレスの部屋を出て行った。
2.「人は他人の不幸によって生を実感する。」
机上の水差しからグラスに水を注ぐも、グラスには口を付けずに憂慮の表情を
机に肘を付いた両手の上に乗せている。リンハイアは落ち着かなげに、椅子の
背もたれに背を預けると足を組んで膝に両手を乗せる。普段、憂慮をこんなに
浮かべているところを見たことが無いアリータは、リンハイアの態度に不安を
隠せずにいた。
「リンハイア様・・・」
その姿に力なくアリータは呼びかける。リンハイアは何時もの微笑をアリータ
に向けた。
「すまない、思わぬところから不意打ちを受けた気分でね。」
リンハイアはそう言って苦笑に変わる。
「報告だったね。」
「はい。」
リンハイアが促すと、アリータは取り直して報告を始める。
「まずは動静の少ないイリガートの方からですが、ペンスシャフル国での法皇
国オーレンフィネアの動きに変化はありません。ただ、特定の場所への出入り
が増えてきたようです。」
「それに関しては然程心配はしていない。剣聖オングレイコッカも一国を預か
る身だ、それほど甘くはない。」
アリータの報告にリンハイアは直ぐに応える。
「分かりました、引き続きイリガートには現状維持で伝えておきます。」
「ありがとう。」
リンハイアの言った事からペンスシャフルは今のところ問題ないのだろうと察
して、アリータはイリガートへの指示を現状維持だと判断して言った。リンハ
イアの態度から判断は間違っていなかったと安堵する。
「ユリファラからの報告ですが、やはりグーダルザ卿はカーダリア枢機卿と接
触したようです。ゾーミルガ卿は昨日ボルフォン入りしたばかりで、カーダリ
ア枢機卿にはまだ会っていませんが、グーダルザ卿とゾーミルガ卿の両名は昨
夜会っていようです。」
そこまで話すとアリータは、リンハイアの顔が先程の憂慮に戻っている事に気
付く。リンハイアにとっての懸念はやはり、法皇国オーレンフィネアなのだと。
「アリータは今朝の報道を見たか?」
突然、話しが切り替わった事にアリータは一瞬戸惑う。脈絡がない話しはする
方ではないと思うが、繋がりが分からないからだった。何故ならオーレンフィ
ネアの報道も、それに関する報道も無かったのだから。
「はい。いつも通り流しているだけですが、概ねは。」
リンハイアは頷く。
「その中で男女の変死事件があったのは、憶えているかな?」
「はい。確かにありましたね。」
アリータは記憶から今朝の報道を思い起こし、在った事を肯定した。しかし、
リンハイアが一介の殺人事件に興味を示した事に、益々状況が分からなくなっ
て怪訝な表情をする。
「それが何か?」
「名前は違ったが、女性の方に見覚えがあってね。間違いなく彼女は私が知っ
ている人物だ。」
「えっ?」
リンハイアは微かな悲哀を浮かべて言った。知り合いの女性、普段見せる事の
ない表情に、アリータも何時もより動揺していた。
「彼女の名はアールメリダ・ヴァールハイア。」
アリータは瞬考してすぐにリンハイアが憂慮していた理由に気付く。もしそう
であればという考えに辿り着くと、驚愕して表情を固くする。
「カーダリア・ヴァールハイア枢機卿のご息女、ですか?」
アリータの問いにリンハイアが頷く。
「カーダリア枢機卿は良く知っているが、グラドリア国で娘が殺害されたから
と言って、国を糾弾するような真似をする人ではない。ただ、娘の仇を取る父
親ではある。」
法皇国オーレンフィネアの枢機卿の娘が別の国で殺害されたとなれば、国家間
で軋轢が生まれる。それに対しカーダリアはそんな事をする様な人ではないと
リンハイアが言った事で、問題は推進派にあるのではないかとアリータは考え
た。でなければ、リンハイアが憂慮を顔に出すことは無いだろうと思ったから。
「推進派が、我が国に何かを仕掛けて来るのですか?」
その懸念があるからこその憂慮かと思いアリータは疑問を口にしてみたが、リ
ンハイアは首を左右に振って否定した。
「国家間で軋轢を生むと国際問題に発展する可能性がある。法皇国オーレンフ
ィネアは国力が小さい、故に表立って問題を起こそうとはしない。」
リンハイアの説明にアリータは一体何が問題で、憂慮を抱えているのかと一層
分からなくなった。
「カーダリア枢機卿の存在は大きい。それはオーレンフィネアの中だけでなく
周辺諸国にも波及している。その存在が失われれば、オーレンフィネアの迷走
が始まるだけでなく、周辺諸国の態度も変化するだろう。」
「ちょっと待ってください、カーダリア枢機卿が死ぬように聞こえたのですが
?」
アリータは驚きに多少を声量を上げてリンハイアに問うと、思わずとった自分
の行動に恐縮する。まさかと思って聞いたことが、リンハイアがゆっくり頷く
事で肯定された。
「実際には生死が問題なのではない。カーダリア卿は枢機卿の座を捨てて、ア
ールメリダ嬢の復讐を選ぶ。それが問題になる。」
「まさか・・・」
公人が立場を捨てて復讐すると言う事にアリータは驚きを隠せなかった。その
立場の人間であれば、先程リンハイアが言ったように国内外への影響もわかっ
ている筈。それでも選ぶのだろうかと。
「止める事は、出来ないのですか?」
不安を隠しても無駄だと思ったアリータは、隠さずに回避出来ないのか聞いた。
だがリンハイアはゆっくりと左右に首を振る。
「それが出来るくらいなら、ボルフォンには引っ越していない。カーダリア卿
は良くも悪くも、真っ直ぐ過ぎる人なのだよ。」
特に語り部としての頑堅さと、家族への思いの強さは。と、リンハイアは内心
だけで思うと、法皇国オーレンフィネアの方角へと憂いの瞳を向けた。アリー
タは何を言えるでもなく、その姿を見ているしか出来なかった。
「待て待て、待ってくれっ!」
日が中天を過ぎたくらい、午後の陽射しが強いなかランチタイムにするために
お店に休憩中の札を掛け、扉に鍵を掛けようとした時だった。その大声は明ら
かにこっちに向かって来ている。大きな足音を立て駆け込んで来た男は、あろ
うことか鍵を持つ私の手を掴んだ。直後、男の身体は宙を待って背中から路上
に落下する。
「んぐっ!」
男は息の詰まったような苦悶の声を口から漏らした。受け身を取らないから。
「い、いきなり何しやがる。」
男は顔を歪めながら、私に食って掛かる様に立ち上がった。
「いきなり白昼堂々と乙女に暴行したのはどっちよ。」
「暴行じゃねぇ!」
男は私の言葉に一瞬呆気に取られたが、直ぐに顔を紅潮させて怒鳴ってくる。
周囲の目がこっちに集まり始めた、勘弁して欲しいわね。
「あら、あなたは。」
いつも通りの微笑を浮かべてリュティが割り込んで来る。ん?知り合いか。あ。
「ああ、紛らわしい事しないでよね。」
今日出来上がっている薬莢を受け取りに来た男だと、私も気付いたので呆れて
言った。いきなり大声で腕を掴んで来るから投げちゃったじゃない。
「いや、すまねぇ。ってか投げる事ねぇだろ。」
男は不貞るように言った。
「乙女の嗜みよ。」
「意味分かんねぇよ。」
何ということか、意味が分からないとか。
「暴漢から身を護るのは当然でしょ。ねぇ?」
「そうね。」
私がリュティに同意を求めると、あっさり同意した。
「暴漢じゃねぇ!」
必死に否定する男が、ちょっと滑稽に見えて来た。多少苛めているような感覚
に囚われ心苦し気がするような。
「白昼堂々と大声出しながら乙女の手を掴んでも?」
でも追い討ち。
「それは、その、悪かったよ。」
先程までの勢いは何処へやら、消沈して男は言った。
「次からは気を付けてよね。」
私はそう言うと、中断させられた扉への鍵掛けを再開すると、男は慌てる。
「いや待て待て。薬莢受け取りに来たんだって。」
また中断させられる。我が儘ね。
「私たちこれからランチタイムなんだけど?」
男は顔を顰めて何とも言えない表情になる。
「受け取りだけなんで、飯前になんとかならねぇ?」
男は弱気な口調で聞いてくる。流石にランチタイム中待たせるのも悪いと思う
し、着いて回られても嫌だから渡すつもりだったのだけど。ちょっと面白いの
で調子に乗ってしまった。
「しょうがないわね。」
「俺、客なんだけどなぁ。」
店内に入る私に続いて来た男は、後ろで小さくぼやいた。
「なんか言った?」
「い、いや何でもねぇ。」
男は慌てて言ったが。私が思うにぼやきって絶対聞こえる様に言うのが前提よ
ね。聞かれて不都合なら内心に納めておけばいいのよ。
「はい、お待たせ。」
私はカウンターの下にある鍵付き扉を開け、から薬莢の入った箱を取り出すと
差し出した。もちろん笑顔で。
「お、おぅ。ありがとよ。」
男は顔を反らしながらポケットからお札を出すとカウンターに置き、代わりに
薬莢の箱を押し込んだ。
「ん、丁度二十一万。中身確認しないの?」
お金を数えている間にも、顔を逸らして薬莢を確認するでもなく待っていた男
に聞いてみた。
「信用しってから問題ない。」
それじゃ問題あるんだけどな。後々こうでしたって言われて揉めるの嫌だから。
まあ、いいけど。
「そう、じゃあまたよろしくね。」
「あ、ああ。それじゃぁな。」
男は結局、私に目を合わせる事なく帰っていった。面白いけどこれ、私も寒い
な。あと飽きた。
「お待たせ。」
外に出ると待っていたリュティにそう言って、今度こそお店を閉めてランチに
繰り出した。
私とリュティは、近所で見つけたてんぷらという食べ物を試しに来た。お店の
作りも普段行っているお店と違い変わった作りだ。以前、短時間勤務をしてい
た時に行った、とんかつなるものに近い感じがする。
引き戸を開け、垂れ下がった邪魔くさい布を潜って店内に入ると、これまた油
の匂い。とんかつの時ほど酷くはないが。適当な席に着くと、おばちゃんが陶
器のカップを置いて注文が決まったら呼んで、と言って奥に下がっていった。
カップの中には透き通った薄い緑色の液体。飲んで見るとお茶だろう、紅茶と
は違い多少の渋味と爽やかな香りがした。
「リュティはてんぷらって食べた事あるの?」
「無いわ。」
注文を終えると私はリュティに聞いてみる。気にならないのか、普段と変わら
ない態度のリュティ。そうか。調べたところによると水で溶いた小麦粉を絡め
て、油で揚げるのだとか。つまり具と主食を同時に摂るのか?
「想像が付かないわね、具と小麦粉を一緒に揚げるとか。」
「出て来てからのお楽しみでいいじゃない?」
そう言われると見も蓋もないが。気になるものは気になるのでしょうがない。
しかし、とんかつの事例があるので内心では密かに期待している。
「そうだけど、気になってしょうがないのよね。」
「食べる楽しみの一つでしょ。」
笑顔で言うリュティ。痛いところを突かれた、確かにその通りなのよね。好き
だからこそ、待っている時間も楽しみになる。言い換えれば、待ち時間も好き
に含まれるのではないか。
「お待ちどう様。」
そんな事を考えていると、おばちゃんが両手にトレーを持って奥から出てきた。
「こっちがてんぷら定食、こっちがてんぷらどんね。」
テーブルの横に来たおばちゃんが、二人の前にトレーを置く。私が頼んだのは
てんぷらどんの方なのだが、米の上に揚げた具材が乗って茶色い汁が掛かって
いる。不思議な光景だ。
私はまず、分かりやすい海老から食べることにした。いや、尻尾が出てるから
分かっただけなのだけど。口に入れて噛むとさくっとした感触と、海老のぷり
っとした食感、少し甘めの汁が合っていて米に合う。
「ぉぉぉ。」
「どうしたのかしら?」
私の不穏な態度にリュティが怪訝な顔をして聞いてくる。
「美味しい!」
これはまた、初めての食べ物だが美味だ。
「ふふ。」
リュティは一瞬キョトンとしたが 、私の反応に笑みを浮かべた。
茄子に筍、鱚に蓮根等食感が違う食材が一緒くたに入っていて楽しい。野菜も
合うなんてねぇ。一緒に付いて来たスープはとんかつの時に飲んだのと同じ味
だ。具材は違うのだけど、味付けが同じような感じだ。確か味噌スープ。
リュティのてんぷら定食は、てんぷらは揚げたままの状態で盛り付けてあり、
塩やつけ汁を付けて食べるようだ。つけ汁の方は薄い紅茶みたいな色で、てん
ぷらどんに掛かっている汁とは明らかに違う。出来上がっている料理なのに、
食べる時に味を変えるというのも斬新だ。
あれはあれで美味しそうだな、今度来たときはてんぷら定食にしよう。私がて
んぷらどんを堪能していると小型端末が音声呼び出しを知らせる。相手を確認
するとザイランだったので無視。
「てんぷらって美味しいね。」
「そうね。私も初めてだけど新鮮だわ。」
食べ終わってお茶を飲むと、てんぷらを食べた後の口をさっぱりさせてくれた。
「緑茶というらしいわよ。」
私が緑茶に目を向けていたからだろうか、リュティが教えてくれた。
「これは知ってるんだ。」
「たまにカフェでも見かけるわよ。ミリアは紅茶以外を見ないから、気付かな
いんじゃないかしら。」
うっ。ごもっとも。珈琲すら見ないもの、紅茶とデザートしか見ないから。
「次から、気にしてみるわ。」
「それがいいわ。珈琲も物によっては全然味が違うわよ。」
言ってる事は分かる。てんぷらもそうだしとんかつもそうだ、美味しくて新し
い出会いだったのだから。ただ、アイキナ市警察局で出される不味い珈琲と、
いつも渋い顔で珈琲を飲むザイランを思い出すのよね。美味しそうじゃない。
「気が向いたら。」
取り敢えず濁しておく。
「そうね。」
「お店、戻ろうか。」
曖昧に微笑むリュティに私は言った。頷いたリュティと会計を済ませ外に出る
と、また小型端末が音声呼び出しを知らせる。ザイランだったのでしょうがな
く出る。
「何?」
「こっちに来る時間はないか?」
挨拶もなくいきなり用件のみだ。まあ、私もなのだけど。
「局に?」
私はリュティを見ながら問い返す。
「ああ。」
リュティが察して頷いてくれたので、店の方は引き受けてくれるようだ。
「事件の方で動きがあったんで、見せたいものがある。」
「分かったわ。」
そこで通信は終了した。事件と言うからにはニグレースの件だろう。新たな凶
行でも起きたか、ニグレースが何なのか判明したのか。どちらにしろ行ってみ
ないと分からない。解決はないでしょうね、今の通信で終わりを告げればいい
だけなのだから。
「忙しいわね。」
「本当にね。」
微苦笑して言うリュティに、私も苦笑で返す。
お店に戻って準備をすると、私はコートカ駅に向かった。
「今日は準備がいいのね。」
目の前に置いてあるカップと、何処かのお店で買ったのだろう。個別包装され
た大きめのクッキーが置いてある。
「話しが進まないからな。」
うわぁ。いきなり嫌味からとか、それも進まない原因になってるじゃない。
「私の所為みたいに言わないでくれる?」
ザイランは眉間に皺を寄せた渋い顔を向けてくる。
「さっき応答しなかった最初の通信も大方、昼飯食ってるかなんかだろ。」
「当たり前じゃない。」
「なっ・・・」
呆気に取られて固まるザイラン。開きなおるとは思って無かったのだろう、何
年の付き合いよ。警務のくせに考えが甘いわね。
「嫌味で話しが進んでないわよ。」
逆手に取ってやる。ふふん。
ザイランは苦い表情をすると、局にある不味い珈琲を啜って資料を広げる。私
のお茶を買うついでに自分の珈琲も買えばいいのに。なんて考えていると目に
入った写真で一気に嫌悪感が沸き上がり、珈琲の事は頭から消し飛んだ。
「新たな犠牲者だ。」
「頭おかしいんじゃないの。」
塵捨てばに男女の死体。女性は可愛らしい人だったのだろう、顔は傷ついてお
らず目は閉じられている。死んで顔色は悪いが容易に想像出来る。ただ、口だ
けは引き結んだ様になっていて、口の端からは流血の跡。塵捨てばに足を伸ば
して座っている女性のはだけた胸元には出血、左の乳房がない。女性の両手は
太腿の上に置かれ、その両手が抱える様に血や何かで汚れた男性の頭部を持っ
ている、というより置かれている。
私が言ってる間にザイランは別の写真を見せてくる。例の血文字が写った写真
だ、文字は当然ニグレース。
「筆跡は同じだったから、犯人の可能性が高い。」
この二人のどちらかが前回の犯行をして、今回は自分で書いた可能性もあるん
だろう、ザイランは言い切らなかった。
「二人の名前は判明しているんだが、ニグレースが何なのかは不明のままだ。」
名前とは関係無いのだろうか。警察局が調べても分からないんじゃ、私にも分
からない。
「男の方はヤミトナ・ウルガ。ネヴェライオ貿易総社の元社員で、ウェレスの
配下だった。元社員と言っても、辞めたのは昨日らしいんだが。」
ネヴェライオとウェレス!?
「それって。」
「関係あるかも知れんが。」
私と同じ事を考えたんだろう、ザイランが察して言うが表情は苦い。分からな
いんだろう。
「ウェレスの所には行ったんでしょ?」
「ああ。だが何も知らないそうだ、ヤミトナがネヴェライオを辞めた以降は。」
司法裁院が指定してくる程なのだから、辞めた後に始末する可能性も十分にあ
る気はする。というか司法裁院云々の前に、辞めた翌日に死体になっているっ
て時点で明らかにおかしいでしょ。
「信用してないんでしょ?」
「当然、な。」
ザイランは頷きながら私の疑問を肯定した。まあ疑惑の範囲は出ないから、ど
うしようもないけど。
「女性の方は?」
「アルメイナ・レヴェティス。普通の事務職をしていて、会社の同僚に聞いた
ら、近々故郷のオーレンフィネアに帰って結婚すると言っていたそうだ。」
沸き上がる黒い感情で目の前が暗くなった気がした。何故そんな人が凶行の餌
食にならなければならないのか。
「同僚の評判も良くてな、優しい女性だったらしい。妊娠もしててなっておい
!」
ザイランが慌てて私の左手を指差しつつ、机上の書類を移動させる。私はその
指摘に自分の左手を見るとカップを握り潰していた。溢れた紅茶が机の上に広
がっている。
「あれ、ごめん。紅茶代は払うわ。」
「それはいいから、少し待ってろ。」
どうやら我を忘れていたみたいだ。ザイランが部屋を出て直ぐに戻ってくると、
布巾で机の上を拭き始める。
「手、大丈夫か。」
そう言えば熱いわね。
「ある程度冷めていたから、多分大丈夫。」
「少し落ち着け。」
私は机に右手を叩きつけ立ち上がっていた。
「落ち着けですって!?こんな話し聞かされて何をどう落ち着けって言うのよ
!」
怒鳴った私にザイランは冷利な目を向けてくる。見たことの無いほど静かで冷
たいその視線に、私は戸惑った。
「気持ちは分かるが、今じゃないだろう。」
「分かってるわよ。」
ザイランの酷く静かな物言いに、私は椅子に腰を下ろして呟く様に言った。こ
こで騒いだって何の解決にもならない事くらい分かってるけど、感情ってそう
いうものじゃないじゃない。
ザイランもこの理不尽な凶行に怒りを隠せていないのは見えた。だからこその
今の態度なんだって。それでも、抑える事の出来ない時もあるのよ、私は多い
かもしれないが。
「続けていいか?」
「ええ。」
私の我が儘で本職の時間を取りたくはない、その時間は捜査に使って欲しいし。
「実はこのお嬢さん、身元がはっきりしていない。」
「え?名前は偽名ってこと?」
偽名であれば、身元を辿るのが難しいだろうと思って疑問を口にした。
「おそらく、の域は出ないがな。住民情報を見たが、どれも適当だった。とす
れば名前も偽っている可能性が高い。」
確かに情報が虚偽であればその可能性は高い。そうなると、何故そこまでして
生活していたのだろうか。その真意を知る事はもう出来ないかもしれないが。
「オーレンフィネアに帰る、と会社の同僚が言っていた事から、オーレンフィ
ネアの方にも問い合わせたが、その名前は存在しないと言われた。」
「ますます分からないじゃない。」
法皇国オーレンフィネアだって小国とは言え、調べるには広すぎて地方の警察
局がどうこう出来る問題じゃないしょう。手懸かりがそれだけとなると。
「ヤミトナは元々からアイキナの人間だからな、そこから辿るのも難しい。誰
かに話してくれていればいいが、ネヴェライオの社員から聞き出すのは無理だ
ろうしな。」
「そうね。ウェレスが噛んでいたら尚更ね。」
私が言葉を次ぐと、ザイランは苦々しく頷いた。
「まあ、ヤミトナとアルメイナの行動から色々当たるのはこっちの仕事だから
気にしなくていい。」
そりゃ私個人でそれは無理だけど。かと言って私が手伝ってネヴェライオに目
を付けられても問題だ。今後の事も、司法裁院の仕事にも影響が出兼ねない。
特にお店に目を付けられるのだけは絶対に嫌。
「ねぇ、アルメイナの生前に撮った写真はないの?」
「在るには在るが、どうする気だ?」
ザイランが怪訝な顔をして聞いてくる。
「少しくらいなら、私も聞けるかなって。」
私の提案に唸るような顔をしてザイランは考え込んだ。少しすると何時もの眉
間に皺を寄せた顔を向けてくる。
「捜査資料だから、失くすのだけは注意してくれよ。」
行き詰まっている所為もあるのか、背に腹は代えられないのか、ザイランは渋
々了承した。だけど借りたとしても、私が聞ける人なんて殆ど居ないのよねぇ。
「分かってるわよ。」
そんなに馬鹿じゃないわよ。しかし、本当に聞く人居ないからな。そうだ、お
店に置いておいたら気付いた人が反応したり、知り合い?くらいに声を掛けて
くれるかも知れない。
・・・
その前にお客さんあんまり来なかったわ。
「取り敢えずありがと。万が一何か分かったら連絡するわ。」
「ああ、頼む。」
ザイランは言いながら、机上の資料を漁って写真を取り出した。そこにあるな
ら最初から出しておけよ。
「これでいいか?」
差し出して来た写真を受け取って見ると、鳶色の髪を陽光に煌めかせ微笑んで
いるアルメイナだった。大きな瞳が特徴の顔はまるで愛らしい少女に見える。
余計、やるせない気分になった。
「いいわ。じゃぁ借りていくわ。」
鞄に写真を仕舞うと、席を立ってザイランに顔を向ける。
「なんだ、まだ何かあるのか?」
「折角用意してくれた紅茶、ごめんね。」
ザイランは片手を振り払う様に振った。
「気にするな、らしくないぞ。」
そこまで傍若無人じゃないわよ。内心だけで思い私はアイキナ市警察局を後に
した。
「あらお帰り。」
お店に戻った私を何時も通りリュティが迎える。相変わらずお店にお客さんは
いない。余計なお世話だ。一人突っ込んで虚しくなる。
「なんか売れた?」
一応聞いてみる。もう薬莢の依頼は日数的に受ける事は出来ないし。
「聞きたいの?」
「いや、言わなくていいわ。」
何時も通りの微笑を浮かべて言ってくるリュティに恨みがましい視線を向けて
拒否する。
「酷いわ、聞いてきたのに。」
目線を下に向けて、リュティは寂しそうな顔をする。演技だな。
「残念ながら、薬莢の依頼は断ったわ。」
来たのか。悪い事をしたと思うが、司法裁院の依頼の方が先だし、優先したい。
今日の話しを聞いたら是が非でもウェレスは許せない。例え確証が無いと言わ
れようと、私はウェレスの仕業だと思っている。
「仕方ないわね。」
「そうね。」
リュティも頷く。
「何か進展はあったのかしら?」
お店の話しから事件へとリュティが話しを変える。進展ねぇ、被害者が増えた
だけで何も無かったわね。警察局は何をしているのかしら。そう言えば写真を
借りたんだっけ。無駄だとは思うけど一応聞いてみるか。
「特に無いけど、身元がよく分からない人がいてね。」
私は鞄からアルメイナの写真を取り出すと、リュティの前に置いた。
「知らないわよね。」
「知ってるわよ。」
「そうよねぇ。」
知るわけないわよね。そもそも何で私はろくに知り合いも居ないのに、写真を
借りようと思ったのだろう。感情に流されただけなのかな。
「はぁっ?何で知ってるのよ!」
「何でって聞かれてもねぇ。」
不穏な言葉を聞いた気がしたがやっぱりそうだったか。リュティは不服そうな
顔をしているが、知ってる方が悪い。
「会ったことあるからよ。」
「本当?」
まさかリュティが知ってるどころか会ったことまであるとは。写真を借りてき
て正解だったわ。知ってる方が悪いとか思ってごめんなさい。
「ええ、十年くらい前かしら。見た目はあまり変わって無いから間違いないわ
よ。」
確かに、あまり変わらなそうだな、この女性。歳を取っても可愛らしさが残り
そう。いけない、こういう事を考え出すと感情に引っ張られる。
「結構前なんだね。」
しかし、これでザイランから情報料をふんだくって展開の資金に。
「そうね。で、この娘がどうかしたのかしら?」
ああ、どの程度知り合いかは不明だけど、会ったことあると言われると話し難
いわね。ここまで来て話さないのも不自然だし、そもそもまだ名前を聞いてい
ない。私の態度を見て察しているのか、何時の間にかリュティの顔から微笑が
消えている。
「それが、今回の被害者なのよ。」
「そう。」
考えてもしょうがないので正直に言う。あっさりした返事に若干戸惑うが、リ
ュティは何かを考え込んでいる様だった。
「大丈夫?」
私の心配にリュティは微笑んで頷くと、アルメイナについて話し出した。
「彼女の名前はアールメリダ・ヴァールハイア。法皇国オーレンフィネアの祖、
ロードアルイバの直系にして現在のオーレンフィネアにおける枢機卿カーダリ
ア・ヴァールハイアの娘なの。」
なんか大層な人物が出てきた。枢機卿?祖ロードアルイバの直系?話しが大き
くないか?突然すぎる。
「私はカーダリアと知り合いなのよ。だから娘のアールメリダの事も知ってい
ただけ。」
だったら、尚更この話しは辛いじゃない。私は余計な話しを持ち込んでしまっ
たなぁ。
「気にしなくていいわ。」
私の思いを察してか、リュティは笑んで言ってくれた。
「問題はカーダリアの方なの。」
「どういう事?」
殺されたアールメリダの方でなく、父親の方が問題とはどういう事情なのだろ
う。何も知らない私に推測する余地もないのだけれど。だがリュティは今まで
と違い、顔を曇らせて考え込んでいる。その表情には何処か苦いものも混じっ
ている様に見えた。
「言いにくいのだけれど。」
リュティはそこで一旦言葉を切ると、私の目を正面から見据える。その態度で
私は察してしまう。この話しは少なからず私にも関係してくるのだと。自然と
自分の顔が歪むのを感じる。
「これ以上の話しは、今話す事は出来ないわ。」
察したリュティは私から目を反らしてそう言った。
「ごめん。」
私がそう言うと、リュティは左右に首を振って寂しそうに微笑んだ。
「いいのよ、ミリアに嫌な思いをさせたくないもの。」
気遣いはありがたい。けれど、益々リュティの正体が謎めいてしまう。本当に
一体、何者なのだろう。今の私にはそれを受け入れるだけの余裕は全然無いか
ら、聞く事は出来ない。
「ありがとう。せめてアールメリダの無念を晴らす事に、進展はあったわ。」
「そう、良かったわ。」
リュティは何時もの微笑に戻っていたが、寂寥は拭い切れていないようだった。
しかし、名前が分かったからと言って捜査に進展があるのか?殺したのがウェ
レスだとして、名前を偽ってまでグラドリアで暮らしていたアールメリダの正
体に気付いていたのだろうか。
よくよく考えれば法皇国オーレンフィネアの枢機卿の娘を殺害とか、国家間の
問題に発展しかねない事をするだろうか?事実が分かればアイキナ市警察局だ
けの問題では無くなる気がする、おそらく国の問題として捜査されるんじゃな
いだろうか。そんな状況になってまで事に及ぶだろうか?ウェレスは事情を知
らなかったと考える方が自然な気がする。
ああ、また厄介事じゃないか、これ。何で最近こんな大きな事に巻き込まれる
んだろう。多分あいつのせいだな。何時も微笑を浮かべる執政統括の顔を思い
出したら腹が立ってきた。流石に個人の死までは予想しているとは思えないが。
「ちょっと奥でザイランと通信してくるね。」
考えても結論は出ないので、現状分かっている事を伝えようと、私はリュティ
にお店をお願いする。
「分かっているわ。」
リュティの返事を聞くと、奥に移動した私は早速ザイランにリュティから聞い
たことを伝えた。名前と、カーダリア枢機卿の娘であることを。それだけ聞く
とザイランは礼を言ってさっさと通信を切った。情報料の上乗せを言う隙もな
く。察したか?あんにゃろ。
結局、身元は判明したが犯人に関する情報が得られたわけじゃない。どうして
殺されなければならなかったのか、経緯はなんだったのか、アルメイナは何故
本名を偽ってグラドリアに居たのか。謎だらけだ。
ネヴェライオ幹部を相手にするってだけで気が重いのに、法皇国オーレンフィ
ネア、は直接は私に関係無さそうだからいいか。国家間問題になったところで
私には関係無いでしょう。だけどその前にウェレスを始末しないと、手が出し
難くなりそうなのよね。
まあ今考えてもしょうがないなと思うと私は店内に戻った。
広い居間にある食卓でカーダリアは食後の紅茶を楽しんでいた。向かいに座る
妻と共に。夫妻が居る食卓の横には濃紺の背広に身を包んだ若い男性が佇んで
いる。その面持ちに、夫妻も表情を固くした。
「今日は報告日ではない、何があった?」
定期的に情勢を報告に来ている男性に、カーダリアは静かに問いただす。その
面持ちと態度から良くない事だとは夫妻も察していた。
「本日、グラドリア国にいるヘーリガンから急遽連絡がありました。」
男性はそこで夫妻の顔色を窺うが、変化は無く続きを促している様だったので、
報告を続ける。
「今朝方、グラドリア国の報道で男女の変死体が発見された報道がありました
。」
男性がそこまで言うと察した様に夫妻の表情も険しくなる。話し始めた以上、
夫妻の反応を押して続けるしかないと、男性は続ける。
「夕方には身元が判明し、名前が公表されました。女性の方はアールメリダお
嬢様です。」
婦人は顔を覆って俯いたが、カーダリアは表情を穏やかにして婦人に優しい瞳
を向ける。
「サーマウヤ、部屋で休んでいてもいいんだよ。」
婦人、サーマウヤは顔を上げると決意の表情をカーダリアに向ける、瞳は潤ん
でいるが涙は流していない。カーダリアはその目を確認すると、男性の方を向
く。
「オーセズン。」
「なんでしょう。」
食卓の横に立っていた男性、オーセズンがカーダリアの呼び掛けに返事をする。
「他に無ければ、今夜の所は帰ってくれないか。」
「はい。」
口調は穏やかだが有無を言わせない雰囲気に、オーセズンは気圧され返事をす
るだけで部屋を出て行った。二人になってもどちらか口を開く事無く、沈黙だ
けが部屋に流れる。
「サーマウヤ。」
暫くしてカーダリアが呼びかける。
「はい。」
サーマウヤは返事をすると、分かっていると頷いた。
「私は決して許す事など出来ない。」
「分かっています。」
オーセズンが出て行ってからカーダリアは感情を殺すのを止め、嚇怒を宿した
瞳は真っ直ぐサーマウヤに向いていた。
「後の事は頼んだ。」
意を決しているカーダリアの目を、サーマウヤも決意の眼差しで見返す。
「聞きません。」
「それではユーアマリウを孤独にしてしまう。付いていてやってくれ。」
頑として聞き入れない態度のサーマウヤに、カーダリアはそれでも乞うように
言った。
「あれももう二十歳です。何よりヴァールハイア家の娘です、意は汲んでくれ
るでしょう。」
変わらないサーマウヤの態度に、カーダリアは苦さを顔に浮かべる。
「しかし・・・」
「ラーンデルト殿に押し付けてしまいましょう。」
言葉に詰まるカーダリアを気にもせずサーマウヤは言った。その思ってもいな
かった発言に、カーダリアは一瞬硬直する。サーマウヤの眼差しは一向に変化
が見られない事から、カーダリアは決して冗談ではないと察した。
「ラーンデルトであれば確かに問題ないだろう。様子を見てくれるよう頼んで
みようか。しかし、それで本当にいいのか?」
その言葉にサーマウヤは目を閉じ、軽く左右に首を振るとカーダリアを見据え
る。
「家族と居るのは幸せに決まっています。ですが、わたくしは娘の為に生きて
いるわけではありません。あなたの横で、あなたと共に往きたいからこそ、一
緒にいるのですよ。」
カーダリアは目を閉じて顔を下に向ける。
「例え娘であろうと、わたくしの意思を覆す事は出来ません。」
一緒に往きたくないのであれば、この場で斬って棄てて行って下さい。とまで
言おうとしたサーマウヤだったが、顔を上げ真っ直ぐに向けられたカーダリア
の目を見ると、その言葉は飲み込んだ。
「分かった。ならば共に往こうか。」
「はい。どこまでも。」
サーマウヤは優しく微笑んで頷いた。カーダリアも頷き返すと、椅子から立ち
上がり左右の掌を開いて握るを幾度か繰り返す。
「鈍っていなければいいのだが。」
それを見たサーマウヤは遠い目をする。
「わたくしたちも、歳を取りましたからね。双朱華と呼ばれていた時が懐かし
いですわ。」
カーダリアも吊られて思い馳せた。
「そんな時代もあったな。」
「ええ。」
カーダリアは表情を元に戻すと、サーマウヤを見据える。
「アールメリダが何を思い、何を考え、何を言いたかったそれを知る術はもう
無い。最期に会うことすら叶えられなかった。いや、無情にも知らない所で奪
われた。」
サーマウヤは何も言わず受け止めていた。
「死んだアールメリダが何を思うか分からないが、私は私個人の想いで動く。
娘を奪われた者の無念の為に。」
サーマウヤは堪え切れなかった想いが、涙となって頬を伝った。
「今夜のうちに済ませておくといい。」
カーダリアの言葉にサーマウヤは椅子から立ち上がり、一礼すると足早に部屋
を出ていった。いくら気丈に振る舞おうとも、娘の死に何も思わないわけでは
ない。せめて今夜だけでも悼んでやりたい、サーマウヤにもそのつもりで言っ
た。翌日になればその思いを殺してでも、自分の隣に立つのは目に見えてカー
ダリアには分かっていたからだった。
(あれに似てアールメリダもユーアマリウも気丈になったものだ。)
ヴァールハイア家の娘としては誇り高いが、普通の女性として生きて欲しいと、
以前サーマウヤと話した事をカーダリアは思いだし、苦笑いを浮かべて思った。
その願いが叶う直前に訪れた理不尽に、何も出来なかった自分にカーダリアは
胸を締め付けられる。
(サーマウヤだけではないか。)
今夜のうちに済ませておけと言った言葉は自分もだなと思い、カーダリアは自
嘲した。
(今夜くらいはいいか。)
カーダリアはそう思うと、食卓の横にある棚から酒瓶を取り出す。何時買った
のか、貰い物だったかも定かではない程前から飾ってあったものだ。客人が来
れば振る舞う事もあったが、それも少ないため、棚には幾種もの酒瓶が並んだ
ままだ。
カーダリアは瓶の口開けをすると、琥珀色の蒸留酒を直接瓶から一口飲んだ。
喉を通って食道を熱くし胃に熱が広がると、目から熱を持った水が頬を伝って
顎から床に零れ落ちた。
(アールメリダ、済まない・・・)
絨毯に染みを作った涙にも気付かず、カーダリアは心の中でそう呟くと、再び
蒸留酒の瓶に口を付けた。
朝ご飯を食べながらテレビを眺めている。リュティが買ってきたクロワッサン
を半分に割り、そこにレタス、薄切りのトマト、クリームチーズ、スモークチ
キンを挟んで頬張る。コンソメスープが付いた朝食は、朝から美味しさと優雅
な気分を味わわせてくれるが、気分は乗らない。テレビから流れている報道、
男女の惨殺事件が流れているのが原因なのは分かっているのだけど。
昨夜の仕事は朝からもう報道されている。部屋から血の色の灯りが漏れていれ
ば通報されるのも当然の流れよね。もう少し軽妙に動いた方が良かったと思わ
せられる。この調子ではいつか足元を掬われかねないとも。
開店前の朝食は憂鬱な気分から始まった。目の前のリュティは、私の心情など
お構い無しに何時もの微笑で紅茶を飲んでいる。自分の業だから文句を言える
立場ではないけれど、それでも目の前に居るといい気分ではなくなってしまう。
自分勝手な話しよね。
それを打ち消してくれたのは、ハミニス弁護士からの文書通信だった。昨日の
今日だが、早速候補日が送られてきた。こんな個人店に早々と動いてくれた事
が嬉しい。
「ハミニス弁護士から、早速来店の候補日がきたわ。」
私は小型端末をちらつかせながらリュティに言う。
「良かったわね。いつかしら?」
リュティには昨日、面会から帰って来た時に説明をしてある。「会って決まっ
たわけじゃないのね。」と言っていたが、私も同じ事を考えていたので、直ぐ
には決まらないと否定は出来なかった。
「明日か、明後日。」
「あら、早いのね。」
「アーランマルバに行く事を考えて、その付近は外してもらってるからね。必
然的に直近で対応してくれようとしたんでしょ。」
無理だったらアーランマルバから戻った時に調整するしかないかなと思ってい
た。いつ戻れるか分からないし、殺されて戻れないかもしれないが。そうなっ
たら決まった決まらないに関わらず無駄になってしまうのだけど。
「ええと、明日は午前で明後日は午後ね。」
大間かに時間も書いてあるので口にしてみる。私は明日も明後日も特に予定は
無いのだけれど、明日は薬莢の受け渡しがあるくらいか。どっちでもいいから
都合のいい時にきてもらう方向で返事をしようか。
いや、駄目ね。ちゃんと約束した方がいいわ。折角調整してくれているのだか
ら、どっちも空いてるから好きな方でどうぞとか、投げやりな態度は良くない
わよね。そう捉える人もいるだろうと思うが、それ以上に適当なんだと思われ
たくはない。
私はそう思い、ハミニス弁護士に文書通信を送った、明後日の午後でお願いす
る旨を。まあ、午前で約束しても時間通りにお店を開けるかといえば、分から
ないから午後の方がいいかなという思いが正直なところ。
「明後日にしたわ。」
「そう。」
リュティは頷くと時計を見る。
「開店の時間よ?」
私にも見ろという含みで見たのだろう、そこで開店を促してきた。時計を見る
と十時を十分程過ぎていた。あ、過ぎてる。
普段通り調光が僅かに落とされた部屋では、机を前に椅子に座っていたウェレ
スが紫煙を吐き出しながら葉巻を灰皿に置き立上がり、両手を開いて笑顔を浮
かべる。両脇には二人ずつの配下の男と、部屋の入り口にも二人の男。やはり
全員が笑顔だった。
部屋の中央には普段置いてない長机が置いてあり、ウェレスの机とヤミトナ、
アルメイナ両名の間に豪勢な料理と数種類の酒が並んでいる。
「折角の門出です、心許りで申し訳ありませんが、祝福させてください。」
笑顔のウェレスが、掌を料理の方に差し出しながら切り出した。
「お心遣い感謝します。」
ヤミトナはそう言って頭を下げると、ウェレスの前まで移動して分厚い封筒を
差し出す。
「退職用の納付金です。」
「頂戴します。不条理な我が社の方針、重ね重ね申し訳ない。」
ウェレスは金を受け取るとそう言って、軽く頭を下げた。。
「いえ気になさらないでください、了承して入ったのですから。ただ、当時は
辞めるなんて考えてもいませんでしたが。」
ヤミトナも笑顔で応じる。これから最愛の妻になるであろうアルメイナと、歩
む事を考えると、自然と笑顔になった。ネヴェライオ貿易総社という、裏では
不正取引も当たり前の様に行っている会社から出て、アルメイナの故郷で真面
目に働き一緒に過ごす事を思うと尚更だった。
「時間が無いかもしれませんが、良ければ少しお付き合いください。」
ウェレスは封筒を横に居た男に渡すと、長机に並べられた料理を指して言った。
男は封筒を受け取ると金庫へ仕舞うため移動する。それを横目に、ヤミトナは
並んだ料理に視線を移す。
「この後、法皇国オーレンフィネアまで移動するので、長居出来ず申し訳あり
ませんが、それまでお言葉に甘えます。」
言いながらヤミトナはアルメイナに視線を送る。アルメイナは分かっていると、
その視線を見返した。その間にウェレスは自分の机を迂回してヤミトナの隣ま
で移動してくると、葡萄酒の瓶を掴む。見越していたかのように、配下の男が
グラスを持って長机まで移動してきていた。
ヤミトナは差し出されたグラスを受け取ると、ウェレスが既に開栓していた葡
萄酒をヤミトナのグラスに注ぐ。次いでウェレスも配下の男からグラスを受け
取って注いだ。
その一連の動作を見ていたアルメイナは、あまりの手際の良さに目を丸くした。
驚いているアルメイナの前にもグラスが差し出される。
「お嬢さんには水を。」
断ろうとしたアルメイナより早く、ウェレスが身重のアルメイナを気遣って言
う。察したアルメイナはその気遣いに頭を下げた。
全員に酒杯が行きわたると、ウェレスが軽く咳払いをする。それが合図のよう
に一同がウェレスを注目した。
「ささやかではありますが、ヤミトナさんとアルメイナさんの門出が、幸多き
事を祈って。」
言った後、ウェレスは頭上にグラスを掲げる。それを合図に全員が倣った。
ヤミトナが葡萄酒を一口含んで楽しんでいる間に、横のウェレスはグラスを開
けていた。その豪気な飲みっぷりにまたも、アルメイナは目を丸くした。
「相変わらずお強いですね。」
「はは、これが楽しみで生きているようなものですからね。」
ウェレスはそう言って右手を机上に伸ばすと、料理からハムを掴み取って頬張
る。左手では空いたグラスに葡萄酒を注いでいた。
「しかし、聞いていた以上に綺麗なお嬢さんですね。」
器用な事をすると思いながらウェレスを見ていたヤミトナは、その言葉に微笑
んだ。
「アルメイナは、とても優しい女性なんです。」
照れくさそうにヤミトナは言うと、頭を掻く。
「それは、自慢の奥さんになりますね。」
ウェレスはそう言うと葡萄酒を飲み干す。ヤミトナはその言葉に苦笑した。
「私には過ぎた、と言われないよう頑張らなければと思っています。」
「ヤミトナさんなら大丈夫ですよ。ネヴェライオでの働きを見ていれば分かり
ます。」
「ありがとうございます、ウェレスさんにそう言って頂けると心強いです。」
満面の笑みで言ったウェレスに、ヤミトナも笑みで応えた。ヤミトナは葡萄酒
を口に運ぶついでに腕時計に目をやり、予定の時間に近づいている事を確認し
て申し訳なさそうに笑みを消した。
「すいません、そろそろ出発の時間ですのでこの辺で失礼します。私たちの為
にこの様な場まで設けて頂きありがとうございました。」
余った葡萄酒を飲み干したヤミトナは、空いたグラスを机に置くとそう言って
頭を下げた。アルメイナも机の反対側でヤミトナに倣う。
「もうそんな時間ですか、名残惜しいですがオーレンフィネアに行っても頑張
って下さい。」
「はい、ありがとうございます。」
ヤミトナはウェレスが差し出して来た手を握り返し礼を言った。握手を終える
とウェレスは大仰に手を広げる。
「さあ、ヤミトナさんたちの旅立ちだ。」
ウェレスの言葉を合図に、部屋の中に銃声が二度鳴り響いた。
「っ!!」
「いやぁぁぁっ!」
ヤミトナの苦鳴が銃声に埋もれ、その銃声の残響をアルメイナの悲鳴が掻き消
した。悲鳴と共に駆け寄ろうとしたアルメイナを、扉の前に待機していた男二
人が両側から押さえ付ける。
「離してっ!」
両足の脹脛から血を流すヤミトナに、アルメイナは駆け寄ろうともがくが、男
達の力には抗えない。
「ヤミトナっ!」
「なにをっ・・・」
同じく男に両側から押さえられたヤミトナが、起きた事への戸惑いと、沸き上
がる嚇怒が交ざった様な目をウェレスに向ける。心配して声を上げたアルメイ
ナを横目に見ただけで、ウェレスを見据える。ウェレスは机上からこんがりと
焼かれた骨付きの鶏肉を掴むと齧る。
「ヤミトナさん。あなたが行くのはオーレンフィネアではないのですよ。」
「なんだと!?」
骨付き肉を齧るウェレスに疑問を投げつけたヤミトナは、能面のような無表情
で光の無い冷利な目を見ると恐怖が沸き上がる。ネヴェライオ貿易総社の筆頭
として他を圧倒してきたウェレスの顔を、幾度となく目の当たりにしてきたヤ
ミトナはその恐怖をよく知っていた。その目が今自分に向けられていることで、
これから訪れる絶対の苦痛と恐怖から逃れられない事に、愕然とした。
「アルメイナは関係ない、離してくれ。」
自分の末路を悟ったヤミトナは、アルメイナの解放を懇願する。無駄だとは分
かっていても願わざるを得ない。
「ネヴェライオの内情を知るものは放置出来ないのですよ。」
ウェレスはそう言うと肉を齧り取り、身が無くなった骨を机に放り投げ、空い
たグラスに葡萄酒を注ぎ始める。
「元々は身内です。ヤミトナさんは反吐が出るほど真面目ですからね。おっと、
これは評価しているんですよ。」
口調は変わらないが光の無い目は何も映そうとしない闇のままで、ウェレスは
葡萄酒を飲み干す。
「その評価に応じて、暫くしたら解放してあげます。」
「私はどうなってもいい、アルメイナだけは!」
「駄目よ、一緒じゃなきゃ!」
ヤミトナの懇願に涙を浮かべながらアルメイナが抵抗する。
「解放すると言ってるじゃないですか。ああ、それと止血を。」
ウェレスはそう言うと、顎を横に軽く振る。能面の様に無表情のままだが、口
の端だけが僅かに吊り上がる。ウェレスの合図でアルメイナを押さえていた男
たちは、アルメイナを引き摺って移動を始める。同時に待機していた男の一人
が、小銃を取り出すと、ヤミトナに向けて撃つ。
「やめて!」
アルメイナは叫ぶが銃声は鳴らずに、代わりに白光の呪紋式がヤミトナに浮か
び消失していく。
「止血の呪紋式を撃っただけですよ。」
ウェレスは何処を見るでもなく言い、空きグラスに葡萄酒を注ぐ。その横でヤ
ミトナが床に頭を押さえつけられ、両手の掌をナイフで床に縫い留められた。
「っ!」
「やめてぇっ!」
「流石にネヴェライオで働いていただけはありますか、声も上げないとは。あ
と殺しはしませんが、痛みは消してあげません。」
ヤミトナを見る事もなく、アルメイナの悲痛な叫びも聞こえてないように、葡
萄酒を飲むとウェレスは天井を見上げて言った。 机上にある焼いた牛肉を一切
れ掴むと口に放り込み咀嚼する。
「綺麗にして頂けますか?」
ウェレスはそう言って、ソースに塗れた右手をアルメイナの口元に差し出す。
「やめろ!」
「ヤミトナさん、傷が増えますよ。」
ヤミトナが発した静止の叫びを無視して、ウェレスはアルメイナに優しく言う。
「んっ!」
直ぐにヤミトナの苦鳴があがり、反応したアルメイナがヤミトナを確認すると
右足の太腿にナイフが刺さっているのが見えた。アルメイナは目から大粒の涙
を零しながら、ウェレスの指を舐めはじめる。
「アルメイナ、私の事はいいから止めてくれ!」
「と、言ってますが私は別にどちらでも構いません。」
ウェレスの言葉にも、アルメイナは止めずに指を舐め続けた。ウェレスは顎で
合図すると、アルメイナの前後を男たちに入れ替えさせ、前屈みにさせた。ア
ルメイナのスカートをウェレスは捲り上げると、下着をナイフで切り取り、恥
部を露わにする。
「ウェレス、止めてくれ!」
ウェレスはアルメイナのスカートを戻すと、グラスに残っている葡萄酒を飲み
干した。追加の葡萄酒を空いたグラスに注ぎながら、豚肉のソテーを齧って千
切る。
「先程も言いましたが、私はどちらでも構いません。どうしますか、アルメイ
ナさん?」
ウェレスは一切ヤミトナに目を向ける事無く、全く変わる事の無い能面の顔を、
アルメイナの方へ向けて言った。
「聞くなアルメイナ!私の事はどうなってもいいから、アルメイナは解放して
くれ、頼む!」
ヤミトナはアルメイナに言ったあと、続けてウェレスに懇願する。ウェレスは
ヤミトナを見る事無くアルメイナに再び問いかける。
「次は左足でいいですか?」
「続けて!だから、ヤミトナはこれ以上傷つけないで。」
ウェレスの問いにアルメイナは直ぐに反応した。先程、間髪を入れずにヤミト
ナを刺された事を思い出して。
「いや、ヤミトナさんの言う通りお優しいお嬢さんですね。しかも気丈さも兼
ね備えた素晴らしい女性だ。」
ウェレスはアルメイナのスカートをまた捲り上げ、豚肉のソテーで汚れた指を
陰部に挿し込んだ。
「んんっ!」
アルメイナは嫌悪と痛みを唇を噛んで堪えた。
「豚の脂が付いて丁度良かった。」
ウェレスの言葉の後、更に突き上げる痛みが下腹部を襲う。
「止めろ!止めてくれ!」
ヤミトナの叫びもにも反応せず、ウェレスは腰を動かし始める。奥に突き込ま
れる度に、痛みを堪えるアルメイナの呻きが静かな部屋を漂った。
「止めろウェレス!」
ヤミトナは今にも飛びかかりたかったが、掌の激痛と男たちの強靭な拘束で動
く事も出来なかった。
「殺してやる!!お前は絶対に殺してやる!」
白目が赤に染まるほど充血させ、憤怒の形相でヤミトナはウェレスに殺意を向
ける。
「ああ、確度が悪くてよく見えませんでしたか。」
ヤミトナの殺意にウェレスはそう言うと、アルメイナの位置を変え押さえてい
る男に片足を持ちあげさせる。アルメイナとの結合部をヤミトナに見えるよう
に。
「これでどうでしょう。」
「貴様ぁっ!」
ヤミトナは掌を切り裂いてでもウェレスに向かおうとしたが、やはり男たちに
抗う事が出来ずに痛みだけが襲った。
「まだ足りないんですね。上の口がお留守だからですか。」
ウェレスは待機してた男に顎で指示をする。男はウェレスと向かい合うように
アルメイナの前に立つと、その口に無理やり男根を入れる。
「ヤミトナさんに見える様にしてくださいね。」
「離せっ!殺してやるっ!お前ら全員地獄に送ってやる!離せっ!!」
ヤミトナは罵声を飛ばしながら暴れるが、束縛からは逃れられない。
「心配しなくても大丈夫ですよヤミトナさん。まだ始まったばかりですから。」
ウェレスは腰の動きを止めると、アルメイナの陰部から男根をゆっくりと抜く。
穴からは白濁の体液が溢れ出ると、床に音を立てて零れた。ウェレスはアルメ
イナのスカートで自分の男根を拭くと、待機していたもう一人に顎で合図をし
た。
アルメイナを押さえている片方の男と、押さえるのを交代すると、押さえてい
た男が今度はアルメイナの陰部に男根を挿し込んだ。ウェレスは葡萄酒の瓶と
グラスを持つとヤミトナの横に移動してグラスに葡萄酒を注ぐ。その姿を下か
ら見上げるようにヤミトナは睨め付ける。
「一緒に飲みながら鑑賞でもしましょうか。」
ウェレスはそう言うと、グラスから葡萄酒を飲みつつ、瓶の葡萄酒はヤミトナ
の頭に注いだ。葡萄酒は頭に当たると臙脂色の飛沫を撒き、顔を染めながら床
に広がっていく。
「うあああああああぁぁぁぁっ!」
ヤミトナは頭を振り回して力の限り叫んだ。
「殺す!!」
髪を濡らした葡萄酒を散らしながら。
「殺す!!」
口角に臙脂の泡をつけ、葡萄酒混じりの涎を飛ばしながら。
「殺すっ!!」
掌を縫い留めているナイフから、右掌を裂いて引き抜き赤黒い体液を振り撒い
て。
「皆殺しにしてやるっ!!」
引き抜いた手で左側を押さえている男の右目に親指を突き入れ、そのまま頭部
を鷲掴みにする。
「があっ!」
男は激痛に叫びヤミトナの手を引き剥がそうするが、怪我をした手で何処にこ
れ程の力があるのかと思わせる程の握力だった。
「今分かりました。」
ウェレスの言葉と同時に、ヤミトナは体制を崩して顔から床に激突する。頭部
を捕まれた男はヤミトナの手から力が抜けたと知ると、引き剥がして投げ棄て
た。
「ヤミトナさん、喜んでいたんですね。しかしいくら歓喜に囚われても、度が
過ぎますよ。」
ヤミトナは起き上がろうと手を床に着くが、激痛で床に倒れ込む。何が起きた
のか確認すると、右手首から先が失くなっていた。ヤミトナは床からウェレス
を見上げると、変わらない能面の顔と、血に塗れたナイフが目に入った。
「私の事よりほら、アルメイナさんが見てますよ。」
その言葉にヤミトナはアルメイナに目を向ける。丁度口から男根を抜かれたと
ころで、開いた口から白濁の体液が垂れ落ちる。アルメイナは直ぐに口を閉じ
引き結んだ。口角の泡が赤く染まり、その血は線を作り顎を伝って滴る。
ヤミトナに向けられたアルメイナの瞳は清廉で曇りなく、決意の光を宿してい
た。鋭い眼光はここで諦めては全て無駄になる、この未来を歩く為に折れはし
ないと語っている様だった。ヤミトナはアルメイナの優しさに包まれた気がし
て、同時に惨めさを思い知った。何も出来ず、床に這い蹲らされ、ただ喚いて
いるだけの自分に。
アルメイナの後ろの男が入れ代わり、挿される男根が代わっても一切揺らがな
い、その瞳が宿す意志の強さはヤミトナへ影響した。
「素晴らしい。なんと気高く、気丈なお嬢さんだ。」
ウェレスは変わらない能面から、歓喜の言葉を漏らす。ヤミトナは忌々しいそ
の顔を、潰してやりたい憎悪と憤激で睨み付ける。
「ヤミトナさんのは、在り来たりな視線で面白くないですね。」
ウェレスは向けられている感情と視線が分かっているかの様に、ヤミトナの方
は見ずに言った。ヤミトナにとってウェレスの言葉などどうでもいい、ただた
だ目の前の能面を引き裂いてやりたいだけだった。
「気丈なお嬢さんのお陰で、ヤミトナさんも静かになり白けて来ましたね。」
少し間何かを考えているかの様な沈黙が流れたが、ウェレスの口の端だけが僅
かに吊り上がるのを見たヤミトナは、考えている素振りだったと確証に変わる
と同時に、ろくでもない事だろうと嫌悪に顔を顰める。
「成る程、ヤミトナさんも参加したかったんですね。」
「ふざけるなっ!」
淡々と言うウェレスに激昂を叫ぶヤミトナだが、ウェレスは無視してアルメイ
ナの方に近付く。
「やはりそうでしたか。ただアルメイナさんは忙しいようなので胸くらいです
かね、ヤミトナさんが口に出来るのは。」
アルメイナは目の前に来たウェレスが存在しないように、その瞳は変わらずヤ
ミトナにだけ向けられていた。
「何をする気だ!」
「そう慌てないでください。」
ウェレスはアルメイナのシャツの前を開くと、下着をナイフで切る。下着によ
って支えられていた乳房が重力に引かれて垂れ下がり揺れる。
「やめろ!それ以上アルメイナを傷付けるな!」
悲痛に叫ぶヤミトナの声は聞こえていない様に、ウェレスはアルメイナの乳房
を左手で掴むと右手のナイフを閃かせる。
「殺してやるっっ!!!」
ヤミトナはウェレスに飛びかかろうともがくが、男たちに押さえられ動けない。
ナイフが刺さったままの左手と、右手の切断面が激痛を訴えるがそれでももが
く。
「芸がないですね。聞き飽きましたよ、その言葉は。」
切断面の脂肪を赤い体液が塗り替え滴り始める。乳房を斬り取られたアルメイ
ナは痛みに顔を歪めるが唇を噛んで必死に苦痛の声を堪える。口の端から更に
血が流れ、痛みに目は細められるがヤミトナに向けられる瞳だけは変わらなか
った。
ウェレスが顎で合図すると、アルメイナの後ろに居た男が小銃を取り出し止血
の呪紋式を撃つ。アルメイナに白光の呪紋式が浮かび消える。
ウェレスはヤミトナに近付くとヤミトナを押さえていた男が、ヤミトナの顔を
持ち上げる。男に頬を押さえつけられ口を開けられると、ウェレスは切り取っ
た乳房をその口に押し込んだ。
「いや参加出来て良かった。」
ウェレスは能面の表情は変わらず言った。
「うっ・・・お、ぇえっ・・・」
ヤミトナは堪え切れず胃から逆流したものを吐き出した。アルメイナの乳房と
嘔吐物が粗末な音を立てて床に撒かれる。ヤミトナは鼻口から嘔吐物を垂れ流
しながらウェレスに憤激の目を向ける。
「おや酷い扱いですね。」
ウェレスはそう言って、何も映していない闇を携えた瞳をアルメイナに向ける
が、アルメイナの光は変わらずヤミトナに向けられたままだった。
「貴様だけは、絶対に許さんぞ・・・」
怨嗟を込めた言葉すらウェレスには何の感慨も与えず、ヤミトナの声は虚しく
消え去った。
カーダリアの屋敷をグーダルザが訪れている。庭に据え置かれているテーブル
には、カーダリアの妻が焼いたアップルパイと、アールグレイが用意されてい
た。向かい合う二人の前でアールグレイが湯気を立て、切り分けられたアップ
ルパイが置かれている。普段通りの着崩した楽な格好のカーダリアに対し、背
広姿のグーダルザは緊張の面持ちで対峙していた。
「突然の訪問にも関わらずご面会頂き感謝致します。」
「何、全然構わない。半分隠居生活みたいなものでね。」
グーダルザの言葉にカーダリアは苦笑して見せる。
「お元気そうで何よりです。」
「グーダルザ卿が本日訪ねて来たことは運が良い。」
グーダルザの気遣いに頷くと、カーダリアは笑顔で言った。
「と、申しますと?」
突然の来訪に運が良いなどと言われ、グーダルザは怪訝な顔をする。
「妻が焼いたアップルパイは絶品でね、今日は久しぶりに焼いてくれたのだよ。
是非召し上がって頂きたい。」
「そうですか。」
目の前に置かれたアップルパイの話しだった事に、気の抜けた返事をすると、
グーダルザはフォークで一口大に切り取って口に運ぶ。咀嚼する顔は感心した
ように、変化し幾度か頷いた。
「これは美味ですな。甘い物があまり得意ではない私でも美味しく頂けます。」
「それは何より。」
グーダルザの賛辞に、カーダリアは顔を綻ばせて頷くと、紅茶を一口飲んで視
線をグーダルザに向ける。
「して、推進派であるグーダルザ卿がわざわざこんな辺境を訪れた用件は何か
な?」
続けたカーダリアの問いに、グーダルザは再び緊張の面持ちになり、躊躇があ
るのか絞り出すように声を出す。
「マールリザンシュ卿から、話しを聞きました。」
「やはりその話しか。」
グーダルザの言葉から内容を察したカーダリアは、表情を厳しくする。その表
情は何処か寂しさを内包している様でもあった。
「ロードアルイバの口伝というのは、本当に存在するのですか?」
グーダルザの問いは、マールリザンシュの語った内容が未だに半信半疑だと言
っている様だった。カーダリアは疑問を肯定する様に頷く。
「確かに口伝は存在する。内容の真偽は確かめていないし、確かめたという話
しも伝えられてはいないがね。」
結局のところ確かめるしかないのかと、グーダルザは顔を顰める。カーダリア
が受け継いでいる口伝が真実であれば、マールリザンシュが受け継いでいる歴
史も真実となるだろう。歴史が口伝では信憑性に欠けるため、カーダリアが受
け継いでいる真偽を、グーダルザはどうしても確かめたいところであった。
「それを教えて貰う事は出来ないんでしょうか?」
カーダリアはやれやれという様に溜息をついた。何処か遠い所を見ている目に
は、呆れとも憂いとも言える揺らぎを見せている。
「二十年程前に決めた話しだ。マールリザンシュ卿も知っているのだけど。」
カーダリアはそこでまた溜息をつく。
「詳しい経緯は、マールリザンシュ卿の口から語られておりません。」
グーダルザはその事に苦い顔をして言った。
「私が心変わりするような人間で無いことは、マールリザンシュ卿もよく分か
っている筈なのだがね。」
「だからだったのですね。マールリザンシュ卿はカーダリア卿が知っていると
言っただけで、それ以上の事は語りませんでした。ただ、この状況を見据えて
住居を移しただけだと。」
カーダリアの話しを聞いて、真実を語るも何故現状の進展を促さないのか、グ
ーダルザはこの時点でやっと認識出来た。つまり、カーダリアは聞いても決し
て話す事は無いのだと。だからこそマールリザンシュは事実のみを騙るに留め、
促しはしなかったのだろうと。
「マールリザンシュ卿は人が悪いね。初めから言っておけば、グーダルザ卿が
無駄な労足をする必要など無かっただろうに。」
カーダリアはそう言って法皇庁の方角へ目線を向けた。その目は多少、冷利な
色を宿らせた様にグーダルザには見えた。
「やはりどうあっても、所在を言うことは出来ないのでしょうか?」
遠くを見やるカーダリアに、恐る恐るグーダルザは食い下がった。だがカーダ
リアは諭す様に首を左右に振る。
「それは出来ない。」
カーダリアの拒否にグーダルザはテーブルに両手を付いて身を乗り出す。その
目に若干の嚇怒を見せて。
「どうしてもですか!?」
声が大きくなるグーダルザにも、カーダリアは態度を変えずに頷くだけだった。
「法皇国オーレンフィネアを思えば、未来への憂いがあるかこそ私は動いてい
ます。カーダリア卿は現在の、この国の行く末より真偽の定かでない口伝の方
が大切なのですか!?」
グーダルザはそこまで捲し立てるとたじろいだ。正面から返ってくる視線は、
先程と違って明らかに冷利な光を宿し鋭くなっていた。
「憂いているからこそだよ。人の欲が確実に衰退と破滅を造り出す。」
それが分かっているからこそ、ロードアルイバは存在だけに留め利用した。存
在するからこそ価値の在るものだと口伝で受け継がれている。だから決して他
の者に口を割ることは出来ないのだと。
カーダリアは後半の言葉を口にはせず、心の中だけで言った。それを口にして
しまえば、口伝の内容を言ったも同等だと思っていたからだった。
「それは、悪用しなければいいのでは・・・」
グーダルザはカーダリアが出す雰囲気に気圧され、言葉が尻すぼみになった。
この決意には何を言っても通じそうにないと諦め混じりに。
「人には無理だ。正直口伝を受け継いだのはいい迷惑だが、受け継いだ以上は
守秘を全うする。例え家族が拷問や殺害されようともだ。」
生半可な覚悟で此処に移住してきたのではない、言葉通り全てを捨ててでも他
言はしないだろう。カーダリアから向けられる視線を、グーダルザはそれでも
見返したがこれ以上次ぐ言葉は出てこなかった。
「敵いませんな。」
グーダルザがそう言うとカーダリアは表情を緩めた。先程まで放っていた威圧
も消え、安堵しながら浮かしていた腰をグーダルザは下ろした。
「折角だ、お茶は楽しんでいくといい。」
「はい。」
微笑に戻っているカーダリアから言われ、グーダルザは緊張で渇いた喉に紅茶
を流した。
「私は何れ必要な時が来ると考えております。故に、諦めたわけではありませ
ん。」
一息付いたグーダルザがそう言うと、カーダリアは頷いた。
「それも在り方の一つだ、否定はしない。それぞれの思惑が在るなかで、どう
舵取りをするかだ。」
カーダリアはそう言うとアップルパイを口に入れた。グーダルザも倣って皿の
上を片付ける。
「とても有意義な時間でした。奥方のアップルパイも絶品です。」
グーダルザは現状を知れただけでも良しとした。訪れて分かった事もあると、
ここに来て初めて顔が緩んだ。
「それは良かった。」
「今日のところは帰ります。会って実感しました、その気になれば中央を苦も
なく制圧するだろうと言われた枢機卿の実態を。」
グーダルザがそう言うと、カーダリアは苦笑した。
「希少生物みたいな扱いだね。それに根も葉も無い噂だ、世間は私を買い被り
過ぎている。半分隠居している中年でしかないのに。」
グーダルザはそれを聞くと、紅茶を飲み干して椅子から立ち上がる。
「ご馳走になりました、何れまた。」
「訪ねて来る者も少ない、世間話なら歓迎するよ。」
カーダリアも立ち上がりながら言うと、屋敷の方を指差す。
「良かったらお土産にアップルパイはどうかな。」
「有り難く頂きましょう。」
カーダリアの指先を追って視線を回すと、グーダルザは頷いた。二人は屋敷に
向かい、カーダリアだけが屋敷に入ると間もなく紙袋持って現れる。グーダル
ザは紙袋を受け取り、屋敷の入り口まで二人で向かう。
「それでは。」
「ゾーミルガ卿の分もある、良かったら二人で食べるといい。」
一礼して去ろうとしたグーダルザに、カーダリアが言った。その言葉にグーダ
ルザは一瞬目を見開いた。何故ゾーミルガがボルフォンに来ている事を知って
いるのかと。だが、二十年も此処に住んでいるカーダリアであれば知っていて
も不思議ではないかと思うと、もう一度頭を下げてその場を後にした。
「ちゃんと送って差し上げましたか?」
調光の落とされた部屋で、机を前に椅子に座っているウェレスが言った。部屋
の中は何事も無かった様に、既に掃除され平常を取り戻している。机を挟んで
対峙している女性は、笑顔でウェレスの質問を受けた。百八十程の長身に、綺
麗に切り揃えられたショートボブ、そのアッシュブロンドの間に浮かべた笑顔
は妖艶だった。
「もちろん。」
白のシャツに黒のレザーパンツを履き、両手をパンツのポケットに差しながら
女性は答えた。
「この世界からちゃんと見送ってあげちゃった。うはっ。」
女性は可笑しそうに目を細め、犬歯を覗かせて笑う。ウェレスはそれを見てう
んざりした顔になった。
「何でもかんでも殺せばいいというわけでは無いんですがね。」
女性は肩を竦めて見せる。
「あんたに言われたくないね、あんな残酷な事して。可哀想だから解放しちゃ
った。あはっ。」
「辞めると言うのでね、記載されてある三百万と、記載されていない方を実行
しただけですよ。」
「それやってんの、あんただけだっつーの。うへっ。」
ウェレスの言葉に女性はうんざりした顔を作って見せる。女性の態度にウェレ
スは辟易したが、話しを続ける。
「王都アーランマルバに入る準備は整っているんでしょうね?」
「ばっちり。えへっ。」
ウェレスはそれだけ聞くと、もう下がっていいと手振りする。女性は追い払わ
れる様な態度を気にもせず、笑顔でウェレスの部屋を出て行った。
2.「人は他人の不幸によって生を実感する。」
机上の水差しからグラスに水を注ぐも、グラスには口を付けずに憂慮の表情を
机に肘を付いた両手の上に乗せている。リンハイアは落ち着かなげに、椅子の
背もたれに背を預けると足を組んで膝に両手を乗せる。普段、憂慮をこんなに
浮かべているところを見たことが無いアリータは、リンハイアの態度に不安を
隠せずにいた。
「リンハイア様・・・」
その姿に力なくアリータは呼びかける。リンハイアは何時もの微笑をアリータ
に向けた。
「すまない、思わぬところから不意打ちを受けた気分でね。」
リンハイアはそう言って苦笑に変わる。
「報告だったね。」
「はい。」
リンハイアが促すと、アリータは取り直して報告を始める。
「まずは動静の少ないイリガートの方からですが、ペンスシャフル国での法皇
国オーレンフィネアの動きに変化はありません。ただ、特定の場所への出入り
が増えてきたようです。」
「それに関しては然程心配はしていない。剣聖オングレイコッカも一国を預か
る身だ、それほど甘くはない。」
アリータの報告にリンハイアは直ぐに応える。
「分かりました、引き続きイリガートには現状維持で伝えておきます。」
「ありがとう。」
リンハイアの言った事からペンスシャフルは今のところ問題ないのだろうと察
して、アリータはイリガートへの指示を現状維持だと判断して言った。リンハ
イアの態度から判断は間違っていなかったと安堵する。
「ユリファラからの報告ですが、やはりグーダルザ卿はカーダリア枢機卿と接
触したようです。ゾーミルガ卿は昨日ボルフォン入りしたばかりで、カーダリ
ア枢機卿にはまだ会っていませんが、グーダルザ卿とゾーミルガ卿の両名は昨
夜会っていようです。」
そこまで話すとアリータは、リンハイアの顔が先程の憂慮に戻っている事に気
付く。リンハイアにとっての懸念はやはり、法皇国オーレンフィネアなのだと。
「アリータは今朝の報道を見たか?」
突然、話しが切り替わった事にアリータは一瞬戸惑う。脈絡がない話しはする
方ではないと思うが、繋がりが分からないからだった。何故ならオーレンフィ
ネアの報道も、それに関する報道も無かったのだから。
「はい。いつも通り流しているだけですが、概ねは。」
リンハイアは頷く。
「その中で男女の変死事件があったのは、憶えているかな?」
「はい。確かにありましたね。」
アリータは記憶から今朝の報道を思い起こし、在った事を肯定した。しかし、
リンハイアが一介の殺人事件に興味を示した事に、益々状況が分からなくなっ
て怪訝な表情をする。
「それが何か?」
「名前は違ったが、女性の方に見覚えがあってね。間違いなく彼女は私が知っ
ている人物だ。」
「えっ?」
リンハイアは微かな悲哀を浮かべて言った。知り合いの女性、普段見せる事の
ない表情に、アリータも何時もより動揺していた。
「彼女の名はアールメリダ・ヴァールハイア。」
アリータは瞬考してすぐにリンハイアが憂慮していた理由に気付く。もしそう
であればという考えに辿り着くと、驚愕して表情を固くする。
「カーダリア・ヴァールハイア枢機卿のご息女、ですか?」
アリータの問いにリンハイアが頷く。
「カーダリア枢機卿は良く知っているが、グラドリア国で娘が殺害されたから
と言って、国を糾弾するような真似をする人ではない。ただ、娘の仇を取る父
親ではある。」
法皇国オーレンフィネアの枢機卿の娘が別の国で殺害されたとなれば、国家間
で軋轢が生まれる。それに対しカーダリアはそんな事をする様な人ではないと
リンハイアが言った事で、問題は推進派にあるのではないかとアリータは考え
た。でなければ、リンハイアが憂慮を顔に出すことは無いだろうと思ったから。
「推進派が、我が国に何かを仕掛けて来るのですか?」
その懸念があるからこその憂慮かと思いアリータは疑問を口にしてみたが、リ
ンハイアは首を左右に振って否定した。
「国家間で軋轢を生むと国際問題に発展する可能性がある。法皇国オーレンフ
ィネアは国力が小さい、故に表立って問題を起こそうとはしない。」
リンハイアの説明にアリータは一体何が問題で、憂慮を抱えているのかと一層
分からなくなった。
「カーダリア枢機卿の存在は大きい。それはオーレンフィネアの中だけでなく
周辺諸国にも波及している。その存在が失われれば、オーレンフィネアの迷走
が始まるだけでなく、周辺諸国の態度も変化するだろう。」
「ちょっと待ってください、カーダリア枢機卿が死ぬように聞こえたのですが
?」
アリータは驚きに多少を声量を上げてリンハイアに問うと、思わずとった自分
の行動に恐縮する。まさかと思って聞いたことが、リンハイアがゆっくり頷く
事で肯定された。
「実際には生死が問題なのではない。カーダリア卿は枢機卿の座を捨てて、ア
ールメリダ嬢の復讐を選ぶ。それが問題になる。」
「まさか・・・」
公人が立場を捨てて復讐すると言う事にアリータは驚きを隠せなかった。その
立場の人間であれば、先程リンハイアが言ったように国内外への影響もわかっ
ている筈。それでも選ぶのだろうかと。
「止める事は、出来ないのですか?」
不安を隠しても無駄だと思ったアリータは、隠さずに回避出来ないのか聞いた。
だがリンハイアはゆっくりと左右に首を振る。
「それが出来るくらいなら、ボルフォンには引っ越していない。カーダリア卿
は良くも悪くも、真っ直ぐ過ぎる人なのだよ。」
特に語り部としての頑堅さと、家族への思いの強さは。と、リンハイアは内心
だけで思うと、法皇国オーレンフィネアの方角へと憂いの瞳を向けた。アリー
タは何を言えるでもなく、その姿を見ているしか出来なかった。
「待て待て、待ってくれっ!」
日が中天を過ぎたくらい、午後の陽射しが強いなかランチタイムにするために
お店に休憩中の札を掛け、扉に鍵を掛けようとした時だった。その大声は明ら
かにこっちに向かって来ている。大きな足音を立て駆け込んで来た男は、あろ
うことか鍵を持つ私の手を掴んだ。直後、男の身体は宙を待って背中から路上
に落下する。
「んぐっ!」
男は息の詰まったような苦悶の声を口から漏らした。受け身を取らないから。
「い、いきなり何しやがる。」
男は顔を歪めながら、私に食って掛かる様に立ち上がった。
「いきなり白昼堂々と乙女に暴行したのはどっちよ。」
「暴行じゃねぇ!」
男は私の言葉に一瞬呆気に取られたが、直ぐに顔を紅潮させて怒鳴ってくる。
周囲の目がこっちに集まり始めた、勘弁して欲しいわね。
「あら、あなたは。」
いつも通りの微笑を浮かべてリュティが割り込んで来る。ん?知り合いか。あ。
「ああ、紛らわしい事しないでよね。」
今日出来上がっている薬莢を受け取りに来た男だと、私も気付いたので呆れて
言った。いきなり大声で腕を掴んで来るから投げちゃったじゃない。
「いや、すまねぇ。ってか投げる事ねぇだろ。」
男は不貞るように言った。
「乙女の嗜みよ。」
「意味分かんねぇよ。」
何ということか、意味が分からないとか。
「暴漢から身を護るのは当然でしょ。ねぇ?」
「そうね。」
私がリュティに同意を求めると、あっさり同意した。
「暴漢じゃねぇ!」
必死に否定する男が、ちょっと滑稽に見えて来た。多少苛めているような感覚
に囚われ心苦し気がするような。
「白昼堂々と大声出しながら乙女の手を掴んでも?」
でも追い討ち。
「それは、その、悪かったよ。」
先程までの勢いは何処へやら、消沈して男は言った。
「次からは気を付けてよね。」
私はそう言うと、中断させられた扉への鍵掛けを再開すると、男は慌てる。
「いや待て待て。薬莢受け取りに来たんだって。」
また中断させられる。我が儘ね。
「私たちこれからランチタイムなんだけど?」
男は顔を顰めて何とも言えない表情になる。
「受け取りだけなんで、飯前になんとかならねぇ?」
男は弱気な口調で聞いてくる。流石にランチタイム中待たせるのも悪いと思う
し、着いて回られても嫌だから渡すつもりだったのだけど。ちょっと面白いの
で調子に乗ってしまった。
「しょうがないわね。」
「俺、客なんだけどなぁ。」
店内に入る私に続いて来た男は、後ろで小さくぼやいた。
「なんか言った?」
「い、いや何でもねぇ。」
男は慌てて言ったが。私が思うにぼやきって絶対聞こえる様に言うのが前提よ
ね。聞かれて不都合なら内心に納めておけばいいのよ。
「はい、お待たせ。」
私はカウンターの下にある鍵付き扉を開け、から薬莢の入った箱を取り出すと
差し出した。もちろん笑顔で。
「お、おぅ。ありがとよ。」
男は顔を反らしながらポケットからお札を出すとカウンターに置き、代わりに
薬莢の箱を押し込んだ。
「ん、丁度二十一万。中身確認しないの?」
お金を数えている間にも、顔を逸らして薬莢を確認するでもなく待っていた男
に聞いてみた。
「信用しってから問題ない。」
それじゃ問題あるんだけどな。後々こうでしたって言われて揉めるの嫌だから。
まあ、いいけど。
「そう、じゃあまたよろしくね。」
「あ、ああ。それじゃぁな。」
男は結局、私に目を合わせる事なく帰っていった。面白いけどこれ、私も寒い
な。あと飽きた。
「お待たせ。」
外に出ると待っていたリュティにそう言って、今度こそお店を閉めてランチに
繰り出した。
私とリュティは、近所で見つけたてんぷらという食べ物を試しに来た。お店の
作りも普段行っているお店と違い変わった作りだ。以前、短時間勤務をしてい
た時に行った、とんかつなるものに近い感じがする。
引き戸を開け、垂れ下がった邪魔くさい布を潜って店内に入ると、これまた油
の匂い。とんかつの時ほど酷くはないが。適当な席に着くと、おばちゃんが陶
器のカップを置いて注文が決まったら呼んで、と言って奥に下がっていった。
カップの中には透き通った薄い緑色の液体。飲んで見るとお茶だろう、紅茶と
は違い多少の渋味と爽やかな香りがした。
「リュティはてんぷらって食べた事あるの?」
「無いわ。」
注文を終えると私はリュティに聞いてみる。気にならないのか、普段と変わら
ない態度のリュティ。そうか。調べたところによると水で溶いた小麦粉を絡め
て、油で揚げるのだとか。つまり具と主食を同時に摂るのか?
「想像が付かないわね、具と小麦粉を一緒に揚げるとか。」
「出て来てからのお楽しみでいいじゃない?」
そう言われると見も蓋もないが。気になるものは気になるのでしょうがない。
しかし、とんかつの事例があるので内心では密かに期待している。
「そうだけど、気になってしょうがないのよね。」
「食べる楽しみの一つでしょ。」
笑顔で言うリュティ。痛いところを突かれた、確かにその通りなのよね。好き
だからこそ、待っている時間も楽しみになる。言い換えれば、待ち時間も好き
に含まれるのではないか。
「お待ちどう様。」
そんな事を考えていると、おばちゃんが両手にトレーを持って奥から出てきた。
「こっちがてんぷら定食、こっちがてんぷらどんね。」
テーブルの横に来たおばちゃんが、二人の前にトレーを置く。私が頼んだのは
てんぷらどんの方なのだが、米の上に揚げた具材が乗って茶色い汁が掛かって
いる。不思議な光景だ。
私はまず、分かりやすい海老から食べることにした。いや、尻尾が出てるから
分かっただけなのだけど。口に入れて噛むとさくっとした感触と、海老のぷり
っとした食感、少し甘めの汁が合っていて米に合う。
「ぉぉぉ。」
「どうしたのかしら?」
私の不穏な態度にリュティが怪訝な顔をして聞いてくる。
「美味しい!」
これはまた、初めての食べ物だが美味だ。
「ふふ。」
リュティは一瞬キョトンとしたが 、私の反応に笑みを浮かべた。
茄子に筍、鱚に蓮根等食感が違う食材が一緒くたに入っていて楽しい。野菜も
合うなんてねぇ。一緒に付いて来たスープはとんかつの時に飲んだのと同じ味
だ。具材は違うのだけど、味付けが同じような感じだ。確か味噌スープ。
リュティのてんぷら定食は、てんぷらは揚げたままの状態で盛り付けてあり、
塩やつけ汁を付けて食べるようだ。つけ汁の方は薄い紅茶みたいな色で、てん
ぷらどんに掛かっている汁とは明らかに違う。出来上がっている料理なのに、
食べる時に味を変えるというのも斬新だ。
あれはあれで美味しそうだな、今度来たときはてんぷら定食にしよう。私がて
んぷらどんを堪能していると小型端末が音声呼び出しを知らせる。相手を確認
するとザイランだったので無視。
「てんぷらって美味しいね。」
「そうね。私も初めてだけど新鮮だわ。」
食べ終わってお茶を飲むと、てんぷらを食べた後の口をさっぱりさせてくれた。
「緑茶というらしいわよ。」
私が緑茶に目を向けていたからだろうか、リュティが教えてくれた。
「これは知ってるんだ。」
「たまにカフェでも見かけるわよ。ミリアは紅茶以外を見ないから、気付かな
いんじゃないかしら。」
うっ。ごもっとも。珈琲すら見ないもの、紅茶とデザートしか見ないから。
「次から、気にしてみるわ。」
「それがいいわ。珈琲も物によっては全然味が違うわよ。」
言ってる事は分かる。てんぷらもそうだしとんかつもそうだ、美味しくて新し
い出会いだったのだから。ただ、アイキナ市警察局で出される不味い珈琲と、
いつも渋い顔で珈琲を飲むザイランを思い出すのよね。美味しそうじゃない。
「気が向いたら。」
取り敢えず濁しておく。
「そうね。」
「お店、戻ろうか。」
曖昧に微笑むリュティに私は言った。頷いたリュティと会計を済ませ外に出る
と、また小型端末が音声呼び出しを知らせる。ザイランだったのでしょうがな
く出る。
「何?」
「こっちに来る時間はないか?」
挨拶もなくいきなり用件のみだ。まあ、私もなのだけど。
「局に?」
私はリュティを見ながら問い返す。
「ああ。」
リュティが察して頷いてくれたので、店の方は引き受けてくれるようだ。
「事件の方で動きがあったんで、見せたいものがある。」
「分かったわ。」
そこで通信は終了した。事件と言うからにはニグレースの件だろう。新たな凶
行でも起きたか、ニグレースが何なのか判明したのか。どちらにしろ行ってみ
ないと分からない。解決はないでしょうね、今の通信で終わりを告げればいい
だけなのだから。
「忙しいわね。」
「本当にね。」
微苦笑して言うリュティに、私も苦笑で返す。
お店に戻って準備をすると、私はコートカ駅に向かった。
「今日は準備がいいのね。」
目の前に置いてあるカップと、何処かのお店で買ったのだろう。個別包装され
た大きめのクッキーが置いてある。
「話しが進まないからな。」
うわぁ。いきなり嫌味からとか、それも進まない原因になってるじゃない。
「私の所為みたいに言わないでくれる?」
ザイランは眉間に皺を寄せた渋い顔を向けてくる。
「さっき応答しなかった最初の通信も大方、昼飯食ってるかなんかだろ。」
「当たり前じゃない。」
「なっ・・・」
呆気に取られて固まるザイラン。開きなおるとは思って無かったのだろう、何
年の付き合いよ。警務のくせに考えが甘いわね。
「嫌味で話しが進んでないわよ。」
逆手に取ってやる。ふふん。
ザイランは苦い表情をすると、局にある不味い珈琲を啜って資料を広げる。私
のお茶を買うついでに自分の珈琲も買えばいいのに。なんて考えていると目に
入った写真で一気に嫌悪感が沸き上がり、珈琲の事は頭から消し飛んだ。
「新たな犠牲者だ。」
「頭おかしいんじゃないの。」
塵捨てばに男女の死体。女性は可愛らしい人だったのだろう、顔は傷ついてお
らず目は閉じられている。死んで顔色は悪いが容易に想像出来る。ただ、口だ
けは引き結んだ様になっていて、口の端からは流血の跡。塵捨てばに足を伸ば
して座っている女性のはだけた胸元には出血、左の乳房がない。女性の両手は
太腿の上に置かれ、その両手が抱える様に血や何かで汚れた男性の頭部を持っ
ている、というより置かれている。
私が言ってる間にザイランは別の写真を見せてくる。例の血文字が写った写真
だ、文字は当然ニグレース。
「筆跡は同じだったから、犯人の可能性が高い。」
この二人のどちらかが前回の犯行をして、今回は自分で書いた可能性もあるん
だろう、ザイランは言い切らなかった。
「二人の名前は判明しているんだが、ニグレースが何なのかは不明のままだ。」
名前とは関係無いのだろうか。警察局が調べても分からないんじゃ、私にも分
からない。
「男の方はヤミトナ・ウルガ。ネヴェライオ貿易総社の元社員で、ウェレスの
配下だった。元社員と言っても、辞めたのは昨日らしいんだが。」
ネヴェライオとウェレス!?
「それって。」
「関係あるかも知れんが。」
私と同じ事を考えたんだろう、ザイランが察して言うが表情は苦い。分からな
いんだろう。
「ウェレスの所には行ったんでしょ?」
「ああ。だが何も知らないそうだ、ヤミトナがネヴェライオを辞めた以降は。」
司法裁院が指定してくる程なのだから、辞めた後に始末する可能性も十分にあ
る気はする。というか司法裁院云々の前に、辞めた翌日に死体になっているっ
て時点で明らかにおかしいでしょ。
「信用してないんでしょ?」
「当然、な。」
ザイランは頷きながら私の疑問を肯定した。まあ疑惑の範囲は出ないから、ど
うしようもないけど。
「女性の方は?」
「アルメイナ・レヴェティス。普通の事務職をしていて、会社の同僚に聞いた
ら、近々故郷のオーレンフィネアに帰って結婚すると言っていたそうだ。」
沸き上がる黒い感情で目の前が暗くなった気がした。何故そんな人が凶行の餌
食にならなければならないのか。
「同僚の評判も良くてな、優しい女性だったらしい。妊娠もしててなっておい
!」
ザイランが慌てて私の左手を指差しつつ、机上の書類を移動させる。私はその
指摘に自分の左手を見るとカップを握り潰していた。溢れた紅茶が机の上に広
がっている。
「あれ、ごめん。紅茶代は払うわ。」
「それはいいから、少し待ってろ。」
どうやら我を忘れていたみたいだ。ザイランが部屋を出て直ぐに戻ってくると、
布巾で机の上を拭き始める。
「手、大丈夫か。」
そう言えば熱いわね。
「ある程度冷めていたから、多分大丈夫。」
「少し落ち着け。」
私は机に右手を叩きつけ立ち上がっていた。
「落ち着けですって!?こんな話し聞かされて何をどう落ち着けって言うのよ
!」
怒鳴った私にザイランは冷利な目を向けてくる。見たことの無いほど静かで冷
たいその視線に、私は戸惑った。
「気持ちは分かるが、今じゃないだろう。」
「分かってるわよ。」
ザイランの酷く静かな物言いに、私は椅子に腰を下ろして呟く様に言った。こ
こで騒いだって何の解決にもならない事くらい分かってるけど、感情ってそう
いうものじゃないじゃない。
ザイランもこの理不尽な凶行に怒りを隠せていないのは見えた。だからこその
今の態度なんだって。それでも、抑える事の出来ない時もあるのよ、私は多い
かもしれないが。
「続けていいか?」
「ええ。」
私の我が儘で本職の時間を取りたくはない、その時間は捜査に使って欲しいし。
「実はこのお嬢さん、身元がはっきりしていない。」
「え?名前は偽名ってこと?」
偽名であれば、身元を辿るのが難しいだろうと思って疑問を口にした。
「おそらく、の域は出ないがな。住民情報を見たが、どれも適当だった。とす
れば名前も偽っている可能性が高い。」
確かに情報が虚偽であればその可能性は高い。そうなると、何故そこまでして
生活していたのだろうか。その真意を知る事はもう出来ないかもしれないが。
「オーレンフィネアに帰る、と会社の同僚が言っていた事から、オーレンフィ
ネアの方にも問い合わせたが、その名前は存在しないと言われた。」
「ますます分からないじゃない。」
法皇国オーレンフィネアだって小国とは言え、調べるには広すぎて地方の警察
局がどうこう出来る問題じゃないしょう。手懸かりがそれだけとなると。
「ヤミトナは元々からアイキナの人間だからな、そこから辿るのも難しい。誰
かに話してくれていればいいが、ネヴェライオの社員から聞き出すのは無理だ
ろうしな。」
「そうね。ウェレスが噛んでいたら尚更ね。」
私が言葉を次ぐと、ザイランは苦々しく頷いた。
「まあ、ヤミトナとアルメイナの行動から色々当たるのはこっちの仕事だから
気にしなくていい。」
そりゃ私個人でそれは無理だけど。かと言って私が手伝ってネヴェライオに目
を付けられても問題だ。今後の事も、司法裁院の仕事にも影響が出兼ねない。
特にお店に目を付けられるのだけは絶対に嫌。
「ねぇ、アルメイナの生前に撮った写真はないの?」
「在るには在るが、どうする気だ?」
ザイランが怪訝な顔をして聞いてくる。
「少しくらいなら、私も聞けるかなって。」
私の提案に唸るような顔をしてザイランは考え込んだ。少しすると何時もの眉
間に皺を寄せた顔を向けてくる。
「捜査資料だから、失くすのだけは注意してくれよ。」
行き詰まっている所為もあるのか、背に腹は代えられないのか、ザイランは渋
々了承した。だけど借りたとしても、私が聞ける人なんて殆ど居ないのよねぇ。
「分かってるわよ。」
そんなに馬鹿じゃないわよ。しかし、本当に聞く人居ないからな。そうだ、お
店に置いておいたら気付いた人が反応したり、知り合い?くらいに声を掛けて
くれるかも知れない。
・・・
その前にお客さんあんまり来なかったわ。
「取り敢えずありがと。万が一何か分かったら連絡するわ。」
「ああ、頼む。」
ザイランは言いながら、机上の資料を漁って写真を取り出した。そこにあるな
ら最初から出しておけよ。
「これでいいか?」
差し出して来た写真を受け取って見ると、鳶色の髪を陽光に煌めかせ微笑んで
いるアルメイナだった。大きな瞳が特徴の顔はまるで愛らしい少女に見える。
余計、やるせない気分になった。
「いいわ。じゃぁ借りていくわ。」
鞄に写真を仕舞うと、席を立ってザイランに顔を向ける。
「なんだ、まだ何かあるのか?」
「折角用意してくれた紅茶、ごめんね。」
ザイランは片手を振り払う様に振った。
「気にするな、らしくないぞ。」
そこまで傍若無人じゃないわよ。内心だけで思い私はアイキナ市警察局を後に
した。
「あらお帰り。」
お店に戻った私を何時も通りリュティが迎える。相変わらずお店にお客さんは
いない。余計なお世話だ。一人突っ込んで虚しくなる。
「なんか売れた?」
一応聞いてみる。もう薬莢の依頼は日数的に受ける事は出来ないし。
「聞きたいの?」
「いや、言わなくていいわ。」
何時も通りの微笑を浮かべて言ってくるリュティに恨みがましい視線を向けて
拒否する。
「酷いわ、聞いてきたのに。」
目線を下に向けて、リュティは寂しそうな顔をする。演技だな。
「残念ながら、薬莢の依頼は断ったわ。」
来たのか。悪い事をしたと思うが、司法裁院の依頼の方が先だし、優先したい。
今日の話しを聞いたら是が非でもウェレスは許せない。例え確証が無いと言わ
れようと、私はウェレスの仕業だと思っている。
「仕方ないわね。」
「そうね。」
リュティも頷く。
「何か進展はあったのかしら?」
お店の話しから事件へとリュティが話しを変える。進展ねぇ、被害者が増えた
だけで何も無かったわね。警察局は何をしているのかしら。そう言えば写真を
借りたんだっけ。無駄だとは思うけど一応聞いてみるか。
「特に無いけど、身元がよく分からない人がいてね。」
私は鞄からアルメイナの写真を取り出すと、リュティの前に置いた。
「知らないわよね。」
「知ってるわよ。」
「そうよねぇ。」
知るわけないわよね。そもそも何で私はろくに知り合いも居ないのに、写真を
借りようと思ったのだろう。感情に流されただけなのかな。
「はぁっ?何で知ってるのよ!」
「何でって聞かれてもねぇ。」
不穏な言葉を聞いた気がしたがやっぱりそうだったか。リュティは不服そうな
顔をしているが、知ってる方が悪い。
「会ったことあるからよ。」
「本当?」
まさかリュティが知ってるどころか会ったことまであるとは。写真を借りてき
て正解だったわ。知ってる方が悪いとか思ってごめんなさい。
「ええ、十年くらい前かしら。見た目はあまり変わって無いから間違いないわ
よ。」
確かに、あまり変わらなそうだな、この女性。歳を取っても可愛らしさが残り
そう。いけない、こういう事を考え出すと感情に引っ張られる。
「結構前なんだね。」
しかし、これでザイランから情報料をふんだくって展開の資金に。
「そうね。で、この娘がどうかしたのかしら?」
ああ、どの程度知り合いかは不明だけど、会ったことあると言われると話し難
いわね。ここまで来て話さないのも不自然だし、そもそもまだ名前を聞いてい
ない。私の態度を見て察しているのか、何時の間にかリュティの顔から微笑が
消えている。
「それが、今回の被害者なのよ。」
「そう。」
考えてもしょうがないので正直に言う。あっさりした返事に若干戸惑うが、リ
ュティは何かを考え込んでいる様だった。
「大丈夫?」
私の心配にリュティは微笑んで頷くと、アルメイナについて話し出した。
「彼女の名前はアールメリダ・ヴァールハイア。法皇国オーレンフィネアの祖、
ロードアルイバの直系にして現在のオーレンフィネアにおける枢機卿カーダリ
ア・ヴァールハイアの娘なの。」
なんか大層な人物が出てきた。枢機卿?祖ロードアルイバの直系?話しが大き
くないか?突然すぎる。
「私はカーダリアと知り合いなのよ。だから娘のアールメリダの事も知ってい
ただけ。」
だったら、尚更この話しは辛いじゃない。私は余計な話しを持ち込んでしまっ
たなぁ。
「気にしなくていいわ。」
私の思いを察してか、リュティは笑んで言ってくれた。
「問題はカーダリアの方なの。」
「どういう事?」
殺されたアールメリダの方でなく、父親の方が問題とはどういう事情なのだろ
う。何も知らない私に推測する余地もないのだけれど。だがリュティは今まで
と違い、顔を曇らせて考え込んでいる。その表情には何処か苦いものも混じっ
ている様に見えた。
「言いにくいのだけれど。」
リュティはそこで一旦言葉を切ると、私の目を正面から見据える。その態度で
私は察してしまう。この話しは少なからず私にも関係してくるのだと。自然と
自分の顔が歪むのを感じる。
「これ以上の話しは、今話す事は出来ないわ。」
察したリュティは私から目を反らしてそう言った。
「ごめん。」
私がそう言うと、リュティは左右に首を振って寂しそうに微笑んだ。
「いいのよ、ミリアに嫌な思いをさせたくないもの。」
気遣いはありがたい。けれど、益々リュティの正体が謎めいてしまう。本当に
一体、何者なのだろう。今の私にはそれを受け入れるだけの余裕は全然無いか
ら、聞く事は出来ない。
「ありがとう。せめてアールメリダの無念を晴らす事に、進展はあったわ。」
「そう、良かったわ。」
リュティは何時もの微笑に戻っていたが、寂寥は拭い切れていないようだった。
しかし、名前が分かったからと言って捜査に進展があるのか?殺したのがウェ
レスだとして、名前を偽ってまでグラドリアで暮らしていたアールメリダの正
体に気付いていたのだろうか。
よくよく考えれば法皇国オーレンフィネアの枢機卿の娘を殺害とか、国家間の
問題に発展しかねない事をするだろうか?事実が分かればアイキナ市警察局だ
けの問題では無くなる気がする、おそらく国の問題として捜査されるんじゃな
いだろうか。そんな状況になってまで事に及ぶだろうか?ウェレスは事情を知
らなかったと考える方が自然な気がする。
ああ、また厄介事じゃないか、これ。何で最近こんな大きな事に巻き込まれる
んだろう。多分あいつのせいだな。何時も微笑を浮かべる執政統括の顔を思い
出したら腹が立ってきた。流石に個人の死までは予想しているとは思えないが。
「ちょっと奥でザイランと通信してくるね。」
考えても結論は出ないので、現状分かっている事を伝えようと、私はリュティ
にお店をお願いする。
「分かっているわ。」
リュティの返事を聞くと、奥に移動した私は早速ザイランにリュティから聞い
たことを伝えた。名前と、カーダリア枢機卿の娘であることを。それだけ聞く
とザイランは礼を言ってさっさと通信を切った。情報料の上乗せを言う隙もな
く。察したか?あんにゃろ。
結局、身元は判明したが犯人に関する情報が得られたわけじゃない。どうして
殺されなければならなかったのか、経緯はなんだったのか、アルメイナは何故
本名を偽ってグラドリアに居たのか。謎だらけだ。
ネヴェライオ幹部を相手にするってだけで気が重いのに、法皇国オーレンフィ
ネア、は直接は私に関係無さそうだからいいか。国家間問題になったところで
私には関係無いでしょう。だけどその前にウェレスを始末しないと、手が出し
難くなりそうなのよね。
まあ今考えてもしょうがないなと思うと私は店内に戻った。
広い居間にある食卓でカーダリアは食後の紅茶を楽しんでいた。向かいに座る
妻と共に。夫妻が居る食卓の横には濃紺の背広に身を包んだ若い男性が佇んで
いる。その面持ちに、夫妻も表情を固くした。
「今日は報告日ではない、何があった?」
定期的に情勢を報告に来ている男性に、カーダリアは静かに問いただす。その
面持ちと態度から良くない事だとは夫妻も察していた。
「本日、グラドリア国にいるヘーリガンから急遽連絡がありました。」
男性はそこで夫妻の顔色を窺うが、変化は無く続きを促している様だったので、
報告を続ける。
「今朝方、グラドリア国の報道で男女の変死体が発見された報道がありました
。」
男性がそこまで言うと察した様に夫妻の表情も険しくなる。話し始めた以上、
夫妻の反応を押して続けるしかないと、男性は続ける。
「夕方には身元が判明し、名前が公表されました。女性の方はアールメリダお
嬢様です。」
婦人は顔を覆って俯いたが、カーダリアは表情を穏やかにして婦人に優しい瞳
を向ける。
「サーマウヤ、部屋で休んでいてもいいんだよ。」
婦人、サーマウヤは顔を上げると決意の表情をカーダリアに向ける、瞳は潤ん
でいるが涙は流していない。カーダリアはその目を確認すると、男性の方を向
く。
「オーセズン。」
「なんでしょう。」
食卓の横に立っていた男性、オーセズンがカーダリアの呼び掛けに返事をする。
「他に無ければ、今夜の所は帰ってくれないか。」
「はい。」
口調は穏やかだが有無を言わせない雰囲気に、オーセズンは気圧され返事をす
るだけで部屋を出て行った。二人になってもどちらか口を開く事無く、沈黙だ
けが部屋に流れる。
「サーマウヤ。」
暫くしてカーダリアが呼びかける。
「はい。」
サーマウヤは返事をすると、分かっていると頷いた。
「私は決して許す事など出来ない。」
「分かっています。」
オーセズンが出て行ってからカーダリアは感情を殺すのを止め、嚇怒を宿した
瞳は真っ直ぐサーマウヤに向いていた。
「後の事は頼んだ。」
意を決しているカーダリアの目を、サーマウヤも決意の眼差しで見返す。
「聞きません。」
「それではユーアマリウを孤独にしてしまう。付いていてやってくれ。」
頑として聞き入れない態度のサーマウヤに、カーダリアはそれでも乞うように
言った。
「あれももう二十歳です。何よりヴァールハイア家の娘です、意は汲んでくれ
るでしょう。」
変わらないサーマウヤの態度に、カーダリアは苦さを顔に浮かべる。
「しかし・・・」
「ラーンデルト殿に押し付けてしまいましょう。」
言葉に詰まるカーダリアを気にもせずサーマウヤは言った。その思ってもいな
かった発言に、カーダリアは一瞬硬直する。サーマウヤの眼差しは一向に変化
が見られない事から、カーダリアは決して冗談ではないと察した。
「ラーンデルトであれば確かに問題ないだろう。様子を見てくれるよう頼んで
みようか。しかし、それで本当にいいのか?」
その言葉にサーマウヤは目を閉じ、軽く左右に首を振るとカーダリアを見据え
る。
「家族と居るのは幸せに決まっています。ですが、わたくしは娘の為に生きて
いるわけではありません。あなたの横で、あなたと共に往きたいからこそ、一
緒にいるのですよ。」
カーダリアは目を閉じて顔を下に向ける。
「例え娘であろうと、わたくしの意思を覆す事は出来ません。」
一緒に往きたくないのであれば、この場で斬って棄てて行って下さい。とまで
言おうとしたサーマウヤだったが、顔を上げ真っ直ぐに向けられたカーダリア
の目を見ると、その言葉は飲み込んだ。
「分かった。ならば共に往こうか。」
「はい。どこまでも。」
サーマウヤは優しく微笑んで頷いた。カーダリアも頷き返すと、椅子から立ち
上がり左右の掌を開いて握るを幾度か繰り返す。
「鈍っていなければいいのだが。」
それを見たサーマウヤは遠い目をする。
「わたくしたちも、歳を取りましたからね。双朱華と呼ばれていた時が懐かし
いですわ。」
カーダリアも吊られて思い馳せた。
「そんな時代もあったな。」
「ええ。」
カーダリアは表情を元に戻すと、サーマウヤを見据える。
「アールメリダが何を思い、何を考え、何を言いたかったそれを知る術はもう
無い。最期に会うことすら叶えられなかった。いや、無情にも知らない所で奪
われた。」
サーマウヤは何も言わず受け止めていた。
「死んだアールメリダが何を思うか分からないが、私は私個人の想いで動く。
娘を奪われた者の無念の為に。」
サーマウヤは堪え切れなかった想いが、涙となって頬を伝った。
「今夜のうちに済ませておくといい。」
カーダリアの言葉にサーマウヤは椅子から立ち上がり、一礼すると足早に部屋
を出ていった。いくら気丈に振る舞おうとも、娘の死に何も思わないわけでは
ない。せめて今夜だけでも悼んでやりたい、サーマウヤにもそのつもりで言っ
た。翌日になればその思いを殺してでも、自分の隣に立つのは目に見えてカー
ダリアには分かっていたからだった。
(あれに似てアールメリダもユーアマリウも気丈になったものだ。)
ヴァールハイア家の娘としては誇り高いが、普通の女性として生きて欲しいと、
以前サーマウヤと話した事をカーダリアは思いだし、苦笑いを浮かべて思った。
その願いが叶う直前に訪れた理不尽に、何も出来なかった自分にカーダリアは
胸を締め付けられる。
(サーマウヤだけではないか。)
今夜のうちに済ませておけと言った言葉は自分もだなと思い、カーダリアは自
嘲した。
(今夜くらいはいいか。)
カーダリアはそう思うと、食卓の横にある棚から酒瓶を取り出す。何時買った
のか、貰い物だったかも定かではない程前から飾ってあったものだ。客人が来
れば振る舞う事もあったが、それも少ないため、棚には幾種もの酒瓶が並んだ
ままだ。
カーダリアは瓶の口開けをすると、琥珀色の蒸留酒を直接瓶から一口飲んだ。
喉を通って食道を熱くし胃に熱が広がると、目から熱を持った水が頬を伝って
顎から床に零れ落ちた。
(アールメリダ、済まない・・・)
絨毯に染みを作った涙にも気付かず、カーダリアは心の中でそう呟くと、再び
蒸留酒の瓶に口を付けた。
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