紅湖に浮かぶ月

紅雪

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紅湖に浮かぶ月2 -鳴動-

4章 背叛と狂乱

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1.「黒い感情こそ、記憶を強固にする」


モーニングビュッフェを食べながら、ヒリルには仕事がどうしても抜けられな
い事を話した。それは気にしないと言ってくれた。
「しかし、なんで旅行に来てまで仕事するはめになってんの。しかも別の国な
のに。」
ヒリルは苦笑いしながら疑問を口にする。それは私も痛感しているのだけど。
本当に勘弁して欲しい。どうにかしてあの執政統括に仕返ししてやりたいとこ
ろだが、名案はまったく思い付かない。
「本当にね、呪ってやりたいわ。」
私はそこで溜め息をつく。
「お祭りは一人で満喫してくるから安心して。」
と、笑顔で言ってきやがった。このやろ。そしてにやにやし始める。
「昨日のロンガデル高原の屋台、今日も堪能しよ。」
「あ、ずるい!」
それは私も食べたいのに。くそぅ。そんな私にヒリルのにやにやは続いている。
明日の最終日だけは絶対満喫してやる。いやまて、リンハイアの依頼は今日だ
けとは限らないよね。ユリファラに今日会えと言われただけで。
ああ、嵌められたな、これは。
やっぱ死ね。
「まあまあ、なんかおみやげ買ってきてあげるから。」
リンハイアに向けた怨みの感情でも察したのか、ヒリルは微笑を浮かべて言っ
てきた。
「うん、ありがとう。」

豊穣祭に出かけるヒリルを見送って、エントランスに待機を始めると、直ぐに
ユリファラが現れた。念のため、紅月と雪華も薄手のカーディンで見えないよ
うに隠して装備している。動きやすいようにデニムのショートパンツと、パン
プスはいつもの鉄鋼入り。
「ようミリア、手伝ってくれんだって。」
頭の後ろで両手を組みながら、ユリファラは満面の笑みで近寄ってきた。ブル
ーグレーのツインテールを揺らしながら。タイミングが良すぎるのは、何処か
で見張っていたのだろう。私がヒリルと離れるのを。
ヒリルを巻き込まないように、と言うよりは機密事項に触れないようにといっ
た所だろうか。意思は違えど、利害は一致しているのだろう。どちらにせよ、
ヒリルが関わらないのであれば良かったと思う。
「仕方なくよ。」
「あたしは嬉しいんだけどな。」
人懐っこそうな笑顔でユリファラは言ってくる。
「私は恨めしいのだけど。」
と言って冷めた目を向けるが、ユリファラは気にもしていないようだ。
「ま、文句ならあのおっさんに言いなよ。」
「はぁ。で、私は何をすればいいわけ?」
依頼してきた内容を確認しようとすると、ユリファラは真面目な表情になる。
「場所を変えてからだな。」
と言ってホテル外へ 向かって歩き出す。そりゃそうよね、ホテル内で話せる内
容でもないでしょうし。私は黙ってユリファラの後に続いてホテルを出た。

豊穣祭の喧騒の中、ユリファラがとなりへ来いと合図する。私が隣に並んだと
ころで、ユリファラが口を開く。
「この前騒いでいた豚いるだろ。」
小声で聞いてくるが、顔は此方に向けない。祭りの喧騒の中で話すようだ。祭
りに来ている人は自分達が楽しむ為に来ている人が殆どだろう、私たちの会話
に耳を傾けようなんて酔狂はまず起こさないと踏んだのか。木を隠すならなん
とやらみたい。
「モフェックだったっけ。」
「ん、そう。」
ユリファラは素っ気なく答える。声色は真面目だが、顔は祭りを楽しんでいる
ように笑顔を作っている。まあ、私に無理だけど。一拍置いたユリファラが話
しを続ける。
「で、あの豚はロググリス領の貴族なんだ。」
は?モッカルイア領じゃないのか?
「ここの三頭じゃないの?」
素直に疑問を口にする。
「確かにモッカルイア領の三頭だけど、同時にロググリス領の貴族でもある。」
うん、よくわかんない。
「ミリアはさぁ、サールニアス自治連国の歴史、どれくらい知ってる?」
まて、話が大きくなってないか。まずはそこからだとばかりに、サールニアス
自治連国の歴史とか聞いてくるなんて。嫌な予感しかしない。
「何にも。」
だって興味ないんだもの。
「おっけー。ロググリス領は長年モッカルイア領を併合しようと機を窺ってい
たんだ。ただ、常に小競り合いの絶えない後ろのメフェーラス国が邪魔で、表
だって動けない。喰いつかれるから。あそこはお互いに潰したがっているから
ね、昔から。」
うわぁ、やっぱりそういう話しか。またこんな事に巻き込みやがって。
「それで、この前のハドニクス事件が引き金となって、ロググリス領の動きが
加速したんだ。邪魔なグラドリア国を追い出す好機だと。和平同盟を結んでい
るグラドリア国の存在は、併合の支障になっているんだ。」
リンハイアが言っていた、ハドニクス事件が無関係じゃないってこういう事か。
いやぁ、こんな大事になっているとは。私のした事は豊穣祭に暗雲齎したかも
どころか、国同士の均衡を崩したみたい。
どこか旅に出たいな。
「ロググリス領はこれを機に、現領主ゲハート・ンシンを退陣に追い込み、新
たにモッカルイア領主補佐官であるオーメラ・ヘキサベルを領主にしようと画
策している。オーメラもまたロググリス領の人間だからね。」
話しがやっと見えてきた。モッカルイア領の要人にロググリス領の人間が入り
込んでいる。中から動かそうということか。確かに、領主と三頭の地位があれ
ば可能性はあるのだろう。モフェックの街頭演説もその一端という事だったの
か。まあ、戦争で殺し合いするよりかはましなのか?わからないが、いつの間
にか乗っ取られているのも嫌だな。
「ただな、他国の領事が死んだところでふーんで終わる。豊穣祭見てりゃわか
んだろ。」
「まあ、そういうものよね。私だって政治には興味無いし、自国の要人でも死
んだところでふーんってなるわ。」
人には、自分の生活範囲がある。自分の周りだけで手一杯なのが殆どだ。
「一度動き出したら止まれないんだ。しかも、演説やデモ程度では領民は関心
を示さない。事件が風化する前に、ミリアならどうする?」
私にユリファラの手伝いを依頼してきたのはそういう事か。
「被せるわね。」
「そゆこと。」
風化する前に、記憶に重ねる。単純だが最も効果的な方法だろう。だけど私は
大義の為の犠牲とか、胸糞悪い考え方は嫌いだ。いつだって犠牲にされるのは、
関わってない側なのだから。
「何処で何が起きるかって、判ってたりする?」
「それが判ってるんならミリアに依頼してないよ。」
まあ、そうだろうとは思っていたけど。私は得意じゃないんだよね、探すの。
「単純な話しだと、人の多い場所か、他の要人か。」
うぇ、糞思考。
ユリファラの言ったことは単純だが、効果的だろう。
「それが手っ取り早いわね、確かに。領主を批判させたいなら、領主の線は薄
いかもね。」
私もなんとなく、思いついた事を言ってみる。
「妥当な考えだね。」
うっさいな。私はそういうの得意じゃないのよ。下手な思考はするもんじゃな
いわね。
「で、今は何処に向かってるわけ?闇雲に歩いているわけじゃないんでしょ。」
お祭りの人込みをすり抜けながら、ユリファラは止まる様子もなく歩き続けて
いる。一応当てはあるんだろうなと思って確認する。
「モフェックは今日もミニアル通りで街頭演説。実行するとしたら、配下のソ
ベルィって奴かな。可能性としては、グラドリア国と和平同盟結んでるナベン
スク領事館か、アンテリッサ領事館が妥当な線。何か起きれば、モフェックの
街頭演説が連携出来る。」
確かに。演説中に事件でも起きれば、直ぐに言及出来る。ハドニクスの事件が
まだ記憶にあるところで、似たような事件が起きれば、耳を傾けたり同調する
人は増えるだろう。
しかし、ナベンスク領か。彼処の湖上都市イニャスも行ってみたいんだよね。
次に休暇取った時は行ってみようかな。
!?
脱線思考を戒めるように、遠雷の轟のような音が私の心臓を跳ねさせる。上空
に目をやるが雲はない青天。ただ、轟音を響かせた方角には、粉塵が撒き上が
るのが見えた。




大気を振動させる爆音は、通りに並ぶ店舗や家屋の窓を破砕していく。石造り
の建物を震撼させる音の波濤は通行人の動きを止める。それは音に驚いて止ま
ったのではなく、大音声の衝撃波が路面に通行人を縫いとめた。
直後に吹き付ける爆風は、その暴威を以て通行人を吹き飛ばし建物や路面に叩
きつけていく。頭から外壁に激突した人体は、衝撃で頭蓋骨が陥没から破砕し、
圧迫された脳漿は耳から吹き出し眼球を押し出して溢れ出す。壁には赤黒い血
と髪の毛を貼り付け、視神経が切れずに垂れ下がった眼球を持つ体は既に路面
に打ち捨てられている。
別の肉体は手から激突し、肘の所から骨が皮膚を突き破りあらぬ方向に屈折し
つつ鮮血を吹き出す。あるいは肩を突き破り、または足が似たような彩りを造
り出す。体が路地に抜けたが頭部だけが激突した者は首が千切れ、眼球は飛び
出し脳漿を撒きながら、首から噴出する液体で白の石造りの壁を赤に塗り替え
る。
人体同士が激突し、相手の頭部を砕き、骨が突き刺ささり、撒き散らした鮮血
や臓器、脳漿は誰のものか判別がつかないように絡み合っていく。
五体満足な身体の者ですら、音の衝撃波により耳目から流血して頽れ、路面や
建物の上に打ち捨てられていく。爆砕により音速で撒き散らされる破片は、頭
部を穿ち、または破裂させ、手足を貫き、腹部に穴を開け、肋骨を粉砕し肺や
心臓を潰していく。
店舗や家屋の屋内でも音の衝撃が蹂躙し、陶器や硝子製品に人体を含め破壊し
ていく。爆風により舞う硝子片は、赤い花弁を撒き散らした。
豊穣祭で賑わう街の一角で突如起きた爆発は、一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図にそ
の風景を塗り替えた。
爆心地となったロググリス領事館は原型を留めず、吹き荒れる残骸は建物や人
体を問わず、その暴利で貪り喰らう。敷地内の樹木や領事館外周の壁すら打ち
壊していった。
爆音と爆風が通り過ぎた周囲では、何が起きたか理解するよりも早くその光景
に、今度は悲鳴や怒号が連鎖し波濤となって街を駆け抜ける。

遠く双眼鏡よりその光景を確認したソベルィは、口の端しから血を流しながら
眺めていた。忸怩たる思いから、噛んでいた唇の皮膚が破れた結果の流れは、
顎を伝って滴っている。
「ふざけるなっ!」
激情の叫びと共に、手にしていた双眼鏡を、建物の屋上で石床に叩き付けた。
けたたましい音を立て破損しながら飛び散る破片と、罅が入りつつも外れて転
がるレンズの音が後に残る。
「領事館を破壊するだけだとっ!?あれのどこがっ!・・・」
膝から崩れ落ちると、その勢いのまま右手の拳を床に打ち付ける。拳部分の皮
膚が裂け、白い床が赤色を纏う。
爆薬はロググリス領から持ち込まれた。モフェックは爆破など考えていなかっ
たので、爆薬や火薬の類いは買っていなかった。昨夜、領事館の爆破が決定し
た時、ロググリス領から支援として爆薬とそれを扱う人材が派遣されてきた。
しかし、その人物が来た時は確かに、領事館を壊す程度の爆薬しか持っていな
かった。おそらく別で用意したものか、何処かに隠していたのだろう。それは
個人の意思なのか、ロググリスの意思なのか。
どういった理由にせよ、ソベルィには決して容認できる事ではなかった。
モッカルイア領は正直、ロググリス領より住みやすい。ロググリス領で生まれ
育ったソベルィにとっては。そのモッカルイア領がロググリスに併合されるの
であれば、と思い協力していた。無血で行えるのであればそれに越した事はな
い。モフェックが武器を購入していたのも威力を示す為だ。だからこそ、今回
目の前で起きた惨事は許せなかった。止められなかった自分を含めて。
「あの工作員を問い詰める必要がある。」
何故こんな事態になったのか、昨日ロググリス領から来た人間を思い出しソベ
ルィは呟くと立ち上がる。モフェックもその対象と考えていた。
ただ、答えが解ったとして自分はどうするのか、決断した者を殺すのだろうか。
それは分からなかったが、真実を知りたいという思いが身体をモフェックの元
へ動かした。



「まさか、自分とこの領事館吹っ飛ばすとはな。」
私の隣を走るユリファラが苦い表情で吐き捨てる。愛らしいブルーグレーの瞳
に憤激の色を見せながら。
轟音に続き撒き上がる粉塵が見えたと同時に、私とユリファラはその方向に走
り出していた。どうやらその方向はロググリス領事館らしい。同胞を犠牲にす
るロググリスのやり方に私は吐き気がする。別に、私に同胞意識が在るわけじ
ゃない。むしろ無い。何かを成そうとした時に、そういう方向に向かう思考に
対しての嫌悪感だ。
私は紅月を抜くと、強化の呪紋式を自分に向かって撃つ。排莢を掴んで仕舞う
ところでユリファラが言ってくる。
「ミリア、それあたしにも撃て!」
「安くないわよ。」
言いながら既に紅月には、強化の呪紋式が記述されている薬莢を籠めている。
「金ならリンハイアのおっさんに払わせる!」
ユリファラが言い終わる前に、私は紅月の引き金を引き撃っていた。お金の問
題じゃない、先程見えたユリファラの瞳が私にそうさせていた。
「おぅ、さんきゅ。これご機嫌だな。」
ユリファラはそう言うが、瞳に見える憤激は薄らいですらいない。私たちは撒
き上がる粉塵に向かって、走る速度を上げた。

惨憺たるその光景は私の思考を止めた。吹き荒れた土砂が街路を覆い、撒き散
らされた建造物や樹木の残骸が散乱している。その光景を黒く染め上げる大量
血。無機物の残骸と同じく、人体の部位が散乱している。潰れて脳漿を垂れ流
す頭部。千切れて骨を覗かせるずたずたになった手足。どの頭部から離れたの
か分からない眼球。肋骨が飛び出し、緩やかだがまだ血を流し続ける心臓。樹
木から垂れさがる腸。胴体が千切れ街路に内蔵を零す上半身。皮膚は殆どが赤
黒く色付いている。
街路や壁を、残骸や土砂をその流れ出る血で今も赤黒い領地を広げ続けている。
豊穣祭で街中を歩いている人は、普段よりも遥かに多かっただろう。それはモ
ッカルイアの領民だけでなく、観光客も多かった筈だ。領主館に続くアールバ
レア通りが近いこの辺は、尚更だ。一体どれくらいの国のどれくらいの人が犠
牲になったのだろう。
「ぅ・・・おぇぇっ・・・」
今朝食べた物が食道を逆流して口から溢れ出す。
「何吐いてんだミリア。」
暗い感情が沸き上がってくるのを感じる。だめ・・・。
「お前仕事上慣れてんじゃねぇのか?」
慣れる?何に?死体に?なんの?
口から垂れる吐瀉物を追うように、涙と鼻水が溢れて顔を汚していく。
「おい、大丈夫か!?」
喚いているユリファラの声は、なんとなく聞こえていた。だけど、何を言って
るのかよくわからない。
「わたしの・・・せいじゃない」
街路に転がった暗黒の眼窩は、私を見ているような気がした。その眼窩から見
える苦痛は私を責め立てて来る。劫火を造ったのはお前だと。
「おいミリア。お前がやったわけじゃねぇだろ。」
「わたしは・・・かいただけ・・・」
撃ったのは私じゃない。放ったのは私じゃない。使ったのは私じゃない。頭を
抱えて振り払うように、頭を振りながら蹲る。私じゃないわたしじゃないわた
しじゃない!
「おいったら!」
でも、描いたの、わたしだ。
頭を振るの、やめた。
「ごめんなさい・・・」
「ミリア!おい、どうなってんだ!?」
わたしが、焼いた。
わたしが・・・
「ぅ・・・うああぁぁぁぁ・・・。」
もう嗚咽も涙も止まらない。どうしていいか分からない。感情の抑えかたが分
からない。なんで生きているのかわ・・・
っ!?
突然の衝撃で何が起きたか分からなかった。思考が止まり感情が止まり、私、
何していたんだろう。視界の前には地面が広がっていた。その地面に横倒しに
なった私を見下ろしている少女が目に入り、視線を向ける。その少女は怒りの
瞳を私に向けていた。。
「ユリファラ・・・。」
直後、頬に激痛。
「落ち着いたかよ?」
ユリファラはそう私に聞くと、拳を見せる。私、拳で殴られたのか。
「ごめん、どうしていいか分からなかったから、取り敢えずぶん殴った。」
私、迷惑掛けた。自分一人ならいいけど、一緒に行動中は駄目だよね、迷惑掛
けてしまう。だけど、自分の意思じゃなく、また誰かに呼び戻された。
「ごめん、迷惑掛けて。」
「気にすんな。それより動けるか?」
私は起き上がって、服に着いた汚れを叩いて落とす。もう落ちない汚れもある
けどしょうがない。自業自得。
「乙女の顔、拳はやめてよね。」
ユリファラはそれを聞くと半眼を向けてくる。
「乙女って柄じゃねぇだろ。」
失礼な。
「しかし、これじゃ領事館に近づけないし、近づいても跡形もねぇな。」
真面目な顔つきになったユリファラが、領事館があった方を見ながら言った。
一区画ほぼ更地にしてしまったその爆発は、周囲に甚大な被害を齎していた。
火の手が上がっている建物も見える。
「ここまで無差別な狂気を振り撒く奴らが、領主には手を出さないなんて、私
には思えなくなった。」
ユリファラが頷く。
「あたしも同じ事考えてた。幸い、ここから遠くねぇしな。」
ユリファラと私は顔を見合わせると頷く。
近づいた瞬間、自分の感情に振り回され、周りが良く見えていなかったが、私
以外にも自分の感情のままに存在している人だらけだ。ただ、それらの人は私
と決定的に違う。被害と加害という点で。
現地では警察局員や消防局員が怒号を伴い忙しなく走り回っている。まだ生き
ている人を救助するため、必死に奔走している。泣き叫ぶ女性、泣きわめく子
供、頽れる老人、呆然とする男性、喚き散らす中年。どれだけの悲哀と憤激が
在るのだろう。領事館周辺は数多の激情の坩堝と化していた。
私とユリファラはその激情を置き去りに、領主館へと走り出した。



サールニアス自治連国。現在の五つに分裂したのは二百八十年程前の出来事だ。
当時の名前はオルゾウネウア共和国。現在の各国が有している利点を一国で有
していたオルゾウネウアは、周囲の国から見れば豊かな国だった。
それはあくまで外からの先入観でしかなく、実際のところは血塗られた歴史と、
血生臭い家系と、流血の分裂でしかない。王家のあった現在のメフェーラスは、
強いたげられた民衆の蜂起により今の場所に追われた。北のアンテリッサと違
い荒れた高地が多いメフェーラスは、さほど時間を要せず貧富の差が激しくな
った。
現在のロググリスは、蜂起の主導者だったが王家の圧政と変わらないその態度
に、幾年もせずに分裂する。メフェーラスとロググリスで小競り合いが絶えな
いのは、嘗ての王家と反乱の主導者の対立が現在に続いているからだ。
ロググリスがモッカルイアを欲するのは、当時の主導者に対して反旗を翻した
主導者が現在のモッカルイアの初代領主にあたるのが原因だ。故に モッカルイ
アを最初に併合し、ナベンスクとアンテリッサを次いで取り込もうとしている。
最後に、現在まで続く旧オルゾウネウア王家を滅ぼし統一国を誕生させようと
している、新制オルゾウネウアとして。
メフェーラスとの因縁、モッカルイアとの因縁、領主とそれに追随するものは
常にその因縁に囚われ続けている。現在、グラドリア国と和平同盟を結んでい
る三国は分裂後、それぞれの特徴を生かし、海運業に商業、農業に工業に観光
業といろいろ産業を発展させてきた。今更オルゾウネウアのような国に戻りた
い等とは微塵も思っていないだろう。
時代の流れに迎合出来ない旧体制に、過去に縛られた思想に、亡霊に取り付か
れた指導者に、誰が付いて行きたいと思えるのか。血で染めらた歴史を紡ぎた
い等とは誰も思わない。
同胞を殺す事を大義としたやり方に、賛同する者などいない。それは既に国の
為ではなく、個人の野心でしかない。此れでは、旧オルゾウネウアへの回帰だ。

そんな事の為に生きてきたわけではない。少なくとも理想はあった、不毛とも
言えるロググリス領に恩恵をと。メフェーラス国同様に、ロググリス領も土地
に恵まれているとは言えない。自然にも海産にも恵まれたモッカルイア領に憧
れるのも当然だ。羨望と言ってもいい。同じサールニアス自治連国に住むもの
として、その恵みを少しでも享受出来たらと。ロググリス領民に、多少なりと
もその恵みを分けられたらと。だからこそ、話しを聞き協力もしてきたのだ。
だが、もはやロググリス、いやヤングレフカには大義も名分もない。
「私はこの裏切りは赦さないぞ、ヤングレフカ。」
艶やかともいえる背中まで伸ばした黒髪を、首の後ろで結わえた青年は、同じ
色の目に冷利な光を浮かべて、剣のある言葉を吐く。紺の背広に身を包んだ青
年は、仕事をするにはやや狭い部屋で視線を壁の一点向けている。壁にはサー
ルニアス自治連国の地図が貼ってある。
そこへ、扉を二回叩く音が割り込んだ。青年は入れと促しながら、扉に視線を
移す。中に入って来たのは、濃紺の背広を着て眼鏡をかけた短髪の青年だ。短
い金髪の下にある碧眼は、優しそうな面に苦渋を浮かべている。
「オーメラ補佐官、状況を確認して来ました。」
青年は、小さい椅子と机を避けると、オーメラの事務机の前に移動する。オー
メラの横には小さい書棚があり、背後は窓。それ以上は家具を部屋に置けば動
線が無くなりそうな小さな部屋だ。領主補佐官の部屋とは、言われても疑われ
るような個室でオーメラは仕事をしている。
「ロググリス領事館どころか、周囲も惨憺たる有り様でした。おそらく領事館
敷地一帯が爆心地と思われます。」
オーメラは歯を食い縛りながら、自分の事務机に右手を叩き付ける。鳴り響い
た音に、青年はびくりと肩を竦めた。それは嚇怒を面に浮かべたオーメラへの
反応ではなく、単に音に反応しただけだった。
「先ずは息のあるものを最優先だ。」
オーメラは激憤を堪え、今優先するべき事を伝えた。
「警察局と消防局には、出来る限りの現地出動を要請しています。」
オーメラは頷くと、矢継ぎ早に指示を伝える。
「近隣の病院はすぐに一杯になる、重傷者を優先するよう伝えろ。軽傷者はこ
の領主館のエントランスを開放して入れろ。爆心地から遠い病院には医師の派
遣要請を。」
「わかりました。早急に手配します。」
「領主館の役職者への連絡は後回しで良い、人命優先だ。文句があるような者
が居れば、全部私に回せ。」
「はい。」
「それと。」
急いで部屋を出ようとする青年を、オーメラの言葉が止める。
「この領主館で保存してある物資や食料は好きに使って構わん。」
「そ、それは・・・」
オーメラの言った内容に、青年は言葉に詰まる。
「ゲハートには私から言う。気にせず使え。」
「わ、分かりました。」
オーメラの意思に、青年は了承すると部屋を出ていく。
有事の為に保存しているそれらは、領主の許可がないと使用出来ない事になっ
ている。領主が死んだらどうするのか?補佐官に権限が委譲される。だが、領
主と連絡が付かない、生死が不明の場合は決められていない。一刻を争う時に
使うべき物を縛るそれを、オーメラは変えたいと思っていた。
破れば当然処罰があるのだから、青年の躊躇いは態度と言葉に出たのだろう。
「そんなもの、糞と一緒に捨てればいいものを。」
オーメラは吐き捨てると部屋を出た。

一階のエントランスは直ぐ様人で溢れかえった。近隣の病院に収まりきらなか
った、明らかに重傷者も見える。情報の齟齬による来館や、他に行き場の無い
者、親類縁者と理由は色々あるだろうが、入り切らない程押し寄せていた。既
にエントランス前の通路にも怪我人が横になっているのが散見される。いずれ
そこも、エントランスの様になるだろう。
「別館も開放する必要があるか。」
オーメラは額を伝う汗を手の甲で拭いながら呟く。背広の上着は脱ぎ捨て、腕
捲りしたシャツは泥と血に塗れていた。別館を利用すれば、このエントランス
程広くはないが、一階のロビーと二階の来賓室が利用出来る。それが確保出来
ればエントランスと同程度の収容は可能な筈だと考えていた。
「補佐官!何をしているんですか。」
横たわる人や忙しなく動き回る人を避けながら、眼鏡を掛けた背広姿の青年が
オーメラの傍に駆け寄って来る。
「見ての通りだ。手が空いたらグローアも手伝え。」
「いえ、そういう事ではなく。」
オーメラの態度にグローアは一瞬戸惑う。立場を考えれば今のオーメラの方が
不自然だと。
「何処に居てもやることは同じだ。人手は全く足りていないのだから、私が出
来る事をしているだけだ。各方面への連絡はグローアがやってくれているしな
。」
オーメラは手は休めずに、微笑を浮かべながら言う。こうなると、言ってもき
かないことをグローアは分かっているので、これ以上は諦めた。本来であれば、
事務室で連絡や報告、指揮を行っていればいいのだが。
現場に居ることが邪魔なわけではない。領主、領主館含めて心象もプラスにな
るだろう。そんな打算はオーメラには無いからこそ、それは自分の役目だとグ
ローアは思っていた。
「分かりました。ただ、無茶はしないで下さい。」
溜息混じりのグローアの言葉に、気にする事も無くオーメラは頷く。
「私が直接話す必要がある時は言ってくれ。」
オーメラは言って立ち上がると、救急箱を持って次の負傷者の元へ移動する。
それに続いて歩きながらグローアは現状の報告を始めた。
「おそらくテロと思われますが、現在犯行声明の類いは出ておりません。負傷
者は数百人に及んでますが詳しい数字は今のところ不明です。」
オーメラが足を止めたのでグローアも立ち止まる。オーメラが裂傷だらけの負
傷者の横で膝を付いて手当てを始める。オーメラは特に何を言うでもなく、グ
ローアに視線を向けるでもなく手当をしている。グローアはその横顔を少しば
かり見た後、続行の肯定だと受け取り続ける。
「ゲハート様はルッテアウラの広場で演説中だったのですが、現在此方に向か
っております。ですが、爆破による混乱で渋滞が起きており、到着までは今暫
く時間が掛かりそうです。」
「そうか。モッカルイア領を護る為にはゲハートは必要だ。」
オーメラは顔に苦渋を浮かべながら言った。言っている事は分かるが、それは
目の前で負傷者を手当てしているオーメラも同様であり、他の者も同様だろう
と、グローアは思ったが、それについては単に思いつき程度なので、特に言及
する事は無かった。
ただ、オーメラの言葉の真意はグローアが知る由もない。
「ゲハート様から、同盟国であるナベンスク領とグラドリア国へは、既に援助
要請は出したと連絡が来ております。」
「分かった。医師の手配はどうなっている?」
「近隣の病院に収容出来ない負傷者は、次に近い所から運ばれています。最初
は要請に応じたものの、現在は派遣どころではないと断られ始めています。」
エントランス内を見渡せば明らかに判る人手不足、それを憂慮したオーメラの
質問に、グローアはままならない現状を伝える。
「だろうな。」
グローアの報告に、オーメラは苦さを隠せない。
「多少遠隔にある病院からは、既に派遣したと連絡は来ておりますが、やはり
混乱により行程は芳しくない状況です。」
「暫くは現状のままで乗り切るしかないな。」
「はい。しかし、この豊穣祭の真っ只中での凶行、断じて赦せません。」
現状、これ以上対処出来ない状況を、その憤りをグローアは事件に対して向け
た。
「私も同じだ。」
激情を圧し殺して言ったグローアの言葉に、忸怩たる思いはあったが、それ以
上にロググリスに対する憤りがオーメラを占めていた。
「現状は以上です。」
「分かった。引き続き頼む。」
「はい。」
「それともう一つ。」
「なんでしょう?」
立ち去ろうとしたグローアは、何事か聞き返す。
「別館の一階ロビーと、二階の来賓室も使えるよう手配を頼む。」
「それは、許可が下りないと思いますが。特に、来賓室は。」
グローアは困り顔をした。
「許可の有無は頼んでいない。使えるようにしてくれればいい。グローアは私
の指示に、ただ従っただけだ。」
「流石にそれは、物資食糧の件と合わせると、補佐官としてはもう続けられま
せんよ。」
「それならそれで構わない。」
グローアの懸念に速答するオーメラに対し、言ってもしょうがないと思うとグ
ローアは、一礼して人を避けながら館の外に向かって行った。その姿を目で追
うことはせずにオーメラは手当てを続ける、ロググリスに対する憤激を抑えな
がら。



「モフェックよ、準備は出来ておろうな。」
「もちろん、出来ておりますよ隠剣殿。」
キャヘスの質問にモフェックは、嫌悪を顔に浮かべながら返事をする。自身の
屋敷で、テーブルを挟んで向かいのソファーにその視線を向けながら。応接室
で向かい合う二人の間では、珈琲が湯気を立てている。それも望んで用意した
わけではなく、出迎えた使用人に我が家の如く珈琲を煎れさせたのもモフェッ
クは気に入らなかった。ただ、ロググリス領事館の爆破が無ければ、そんな感
情を抱くことも無かっただろう。
街頭演説に熱を奮っていたモフェックを、キャヘスが中断させここに至る。も
ともと予定の範疇ではあったのだが、出来ればそのまま演説を続け次の行動に
移りたくないという思いもモフェックにはあった。
「まあ、そう怒るでない。」
キャヘスは何処か愉快そうに笑みを浮かべている。
「既定より爆薬の量を増やすとは言っておったが、やり過ぎにも程があるでし
ょう。儂らは他国まで敵に回したいわけではない。」
「なに、余興じゃよ。派手な程、効果があるのは目に見えておる。」
モフェックの苦言も気にせず、キャヘスは笑みを浮かべて返す。
ゲハート・ンシンに対する批判に起因したテロであれば、テロに対する憎悪は
それこそ、爆発的に膨らむだろう。同時にゲハート・ンシンに対する批判も膨
らむ。グラドリア領事の事件が、人の記憶に在るのだからそれを皮切りに。そ
れを理由にモフェックは爆薬増加に、渋々了承したのだが、結果として強い忸
怩たる思いとキャヘスに対する嫌悪が生まれただけとなった。
「だがこれでは、確実にサールニアスの他の国、特に隣国であるナベンスク領
は黙っておるまい。当然、グラドリア国も干渉してくるだろう。」
「何、グラドリアはゲハート・ンシンと伴に批判の対象じゃ。干渉は民意が批
判するだろうよ。それは和平同盟に疑心を生み、同様のナベンスクにも波及す
るだろうよ。さすれば、次の足掛かりも出来ると言うものよ。」
愉快そうに唇の端を吊り上げて嗤うキャヘスを、モフェックは嫌悪を浮かべた
まま訝しむ。果たしてそう上手く行くのかと。既に自分にすら許容出来ない事
を起こしている。自分よりもこの事に対して納得していないソベルィは糾弾し
てくるだろう。身内の心すら掌握出来なければ民意等動かすには程遠い。それ
以前に内部分裂が起きても不思議ではない。特に現在、モッカルイア領で暮ら
す我々にとっては尚更だと、モフェックは考えていた。
「次の手筈は分かっておるな?」
「分かっている。あくまで威嚇の範囲で、だがな。これ以上の人死には承服出
来ん。」
モフェックはキャヘスを睨めつける様に視線を向けて言った。
「当たり前じゃ、これ以上殺しては只の凶悪なテロリストとしか見られなくな
るからの。」
「ふん。」
分かっているならばいいと、モフェックは鼻を鳴らした。その凶悪なテロリス
トに既になっているのではないか、との疑問は圧し潰した。そうしなければ、
自分のやっている事を否定する結果となるからだ。
「して、お主の配下は未だ戻っておらぬのか。領事館の確認に行っただけよな
?」
「ソベルィとは現地合流の予定だ。屋敷には戻って来ん。」
ソベルィに爆薬増加の話しをしていないモフェックにとって、一度ここで合流
すれば爆破の件について言及される事は目に見えていた。そうなれば今後の動
きに制限や支障が出て来るのは容易に想像出来るので、敢えて現地集合と伝え
てあった。ましてや、火付け人がここに居れば尚更だった。
「まぁ、どちらでもよい。」
キャヘスは興味無さそうに、ソベルィの件は投げ捨てた。
「ところで、犯行声明の方は準備も問題ないかの?」
「問題無い。それが無ければこれから行う事に意味が無いのだからな。」
領主館の前での犯行声明。それはソベルィに手配させ、ロググリス領事館爆破
後に発表する手筈になっている。今のところ計画に支障は無く進んでいる。領
主館前もおそらく報道の為に報道局が集まっているだろう。そこで領事館を爆
破したテロリストの声明を出し、領主館を盾に退陣要求をする流れとなってい
る。
テロリスト集団「真明の遣徒」は、真実を明らかにさせるために遣わされた者
を意味する集団としているが、実際は架空の存在となっている。
凶悪な犯罪者であるグラドリア領事を屠り、次の標的としてロググリス領事館
を爆破した。グラドリア領事の件は無関係だが、利用しない手は無い。ロググ
リス領事館は不正を行っていた為、領事館ごと吹き飛ばした。建物そのものが
無くなったのだから確認の仕様が無い。
それらを容認していたゲハート・ンシンは共犯者として断罪されるべきだ。こ
の要求を飲まなければ、次の標的は領主館そのものだと。というのがキャヘス
が持って来た筋書きだった。今のところ予定通りに進んではいるが、モフェッ
クは不安が拭えないでいた。
「分かっておればよい。」
計画自体に不安は無いのか、キャヘスはそう言って珈琲を啜る。
「声明は一四時だ、後一時間も無い。」
「そろそろ出んとな。街中は混乱の最中じゃろうからな。」
珈琲を飲み干して下卑た笑みを浮かべると、キャヘスは言った。うんざりしな
がらも、モフェックも珈琲を飲むとソファーから立ち上がる。
キャヘスとモフェックが立ち上がった途端、応接室の扉を蹴り開けて飛び込ん
で来た人物が、手に持った銃をキャヘスへ向けた。
「あんたに聞きたい事がある。」
急いで来たのか乱れた息のままソベルィが言う。
「待てソベルィ。」
モフェックは慌てて止めようと動き出すが、ソベルィが向けた銃口を目にする
とその場で動きを止める。二挺の銃をそれぞれキャヘスとモフェックに向けて
嚇怒の瞳を向けてくる。
「爆破の規模が狂ってる。変更したのはお前らか、それとも工作員か?どちら
にしろ工作員にも話しを聞きたいからな、居場所を言え。」
「落ち着けソベルィ。説明は後でする、今はこの計画を成功させる方が優先だ
。」
「今すぐだ!」
モフェックの制止も耳に入らず、ソベルィは剣呑な眼差しを向ける。止めよう
としたモフェックはそこで硬直した。
「そいつならもう居らん。爆薬の量を知らなかったからの。領事館の外で起爆
する事になっていたから、一緒に吹き飛んだじゃろ。」
「なっ・・・んだと。」
キャヘスの言葉に、ソベルィは驚愕した。
「ま、夕べのうちに知らない所に多めに仕掛けたのは儂じゃがな。」
挑発するようにキャヘスは口の端を吊り上げて言った。その言葉に、ソベルィ
の表情が怒りに歪んでいく。
「お前がやったのか!」
「止めよソベルィ!ここで計画を破綻させたら、爆破に巻き込まれた人間はそ
れこそ無駄死にだろうが!お前が無駄死ににするのか。」
モフェックの言葉にソベルィは固まって動かない。目の当たりにした光景、爆
風の中吹き飛ばされる人間と家屋。今失敗させてしまえば、それが全て意味を
失う。
その考えが、ソベルィを縛っていた。
「お前はここで少し頭を冷やしていろ。儂らで行ってくる。」
モフェックに言われ、ソベルィは銃口を床に下ろした。
「確かに、今更失敗はごめんだ。ただ、赦されると思うなよ。」
恨みがましく吐き捨てるソベルィの横を、モフェックは苦渋の表情で通り過ぎ
た。通り過ぎる時、ソベルィの肩に手を乗せて。その表情を見たソベルィは、
モフェックもこの状況に耐えているんだと察した。
その後を続いて出ていくキャヘスに、再び嚇怒の眼差しを浴びせる。が、その
瞳に映るキャヘスは、横に傾いたかと思うと、見上げる状態になっていた。
「所詮は使えぬ塵よ。ま、今はもう完全に生塵じゃがな。」
キャヘスの言葉に振り向いたモフェックの目に映ったのは、頭部の無くなった
首から大量に鮮血を吹き出しながら崩れ落ちていく、ソベルィの身体だった。




2.「取り繕った所で、人は個人でしかない。」

アールバレア通りではデモ隊と警察局の局員が衝突していた。この混乱が起き
ている状況を領主ゲハート・ンシンの所為にして。現領主の退陣を求めている
デモなのだから、確証等必要なくゲハート・ンシンが領主だから起きたと結び
付けるのだろう。つまり、なんの因果で事件が起きたかではなく。鶏が先か卵
が先か、というような話しだがこの場合、領主がゲハートだからと言うのは横
暴なような気はする。
まあ、デモの質にもよるのだろうけど。
警察局員も、ロググリス領事館の爆破の影響だろう、数人が対峙しているだけ
で、包囲も出来ずに抑制の効果を発揮していない。その所為でデモ隊が勢い付
いているように見えた。
豊穣祭の影響でもともと祭を楽しんでいた人々と、領事館側から逃げて来た人
々、野次馬根性で集まって来た人々、屋台や店舗の従業員も混じってアールバ
レア通りは混沌としていた。
車が渋滞の列を成し、救援に向かおうとしている警察局員や消防局員も遅々と
して進めないでいるのも視界に入る。
「こりゃ中々進めねぇな。」
ユリファラが人混みにうんざりした視線を投げる。
「狙いがもし領主館だとしたら、一旦迂回するわけにはいかないわね。」
「だな。このまま警戒しながら進むしかねぇか。」
迂回している間に何か起きても後手に回ってしまう。領主館が狙いだとは限ら
ないけど、他の可能性を模索する猶予も、移動する時間もない。私はそんな予
感がしていた。
「領主館は見えてんのに、進まねぇのがむかつくな。」
ユリファラが焦りの色を覗かせながら言う。
確かにこのままでは拉致があかない。私はふと、思いついたので聞いてみる。
「ねぇ、領主館に限定したとして直接、つまり館内で事を起こすと思う?」
「んあ?」
ユリファラが疑問の視線を向けてくる。
「狙撃の可能性もあるんじゃないかって話し。まあ領主があそこに居ればだけ
どね。」
見えてはいるが中々近づかない領主館を目で指して言う。そこでユリファラが
何かに気づいた。と言うより思いだした感じだ。
「あ、そう言やゲハートは今日、ルッテアウラの広場で演説だったはず。午後
からは、独立記念館での演説だった筈だ。」
お忙しい事で。まあ、領主なのだから年に一回の豊穣祭ともなれば、私らと違
って楽しむどころじゃないんだろうな。公演や挨拶、式典の参加等と移動だけ
で時間が無くなりそう。私はそんなの楽しくないな。私が楽しめるのも、そう
いう人が居るお蔭なんだろうけど。
今現在まったく楽しめてないけどね。
まあ何処に居るにせよ、今は領主館に戻ろうとしているか、戻っているかよね。
この事態で戻らないとかないよね、流石に。
「この混沌の中、帰り着いているとは思えねぇけど。」
「そうすると移動中の狙撃もあるんじゃない?」
可能性は有り得る。領主本人が狙いであれば、予定の把握くらいしているだろ
う。だったら移動中でも狙う筈だ。
「まてまて、あたしら二人しか居ねぇんだぞ。あれこれ考えて可能性の分だけ
潰すとか無理だろ。」
その通りだ。風呂敷広げたって回収出来ないんじゃ意味がない。可能性を絞っ
て対処するしか方法はない。外れたら、後悔するだけだ。
「とりあえず、二つに絞るか。」
「そうね。」
ユリファラも同じ考え、まあそれしかないと思うけど、私も同意する。
「やっぱり、」
「この通りからの狙撃と、」
私の言葉をユリファラが繋げる。
「領主館の中。」
次の私に言葉にユリファラが頷く。やはり、現状からすればこの二択か。移動
も極力抑えられるし。というか他の場所なんか移動するだけで、かなりの時間
を要するのが目に見えている。
「あたしはこの通りな。仕事上その方が向いてる。」
成る程、確かに執務諜員として、偵察や監視のために派遣されているなら、そ
の方がいいわね。私は得意じゃないし。
「わかったわ。私は領主館に向かう。」
お互い頷いた後、各自が動き始めたところでユリファラが言った。
「何か起きたら連絡くれ。」
おい待て。
「あなたの端末情報知らないわよ。」
「あ!」
そんな事に気付いてすらいなかったのか、ユリファラは口を開いたまま止まっ
た。
「わりぃ、そういやそうだな。」

端末情報を交換した私は、領主館の前に着いていた。あまり目立ちたくはない
が、背にはらは変えられないので、低層の建物の上を渡って来た。この混乱の
中で気にする人は殆どいなかったが、それでも幾ばくかの奇異なものを見る視
線はあったけれど。
領主館の前には、報道局員が包囲するように集まっていた。これだけの事があ
ったのだから、領主へ話を聞きたいのだろう。他に、領主館内も報道としては
困らなそうだ。そう思ったのは既にそれらしい姿が視界に入ったから。
入り口から館までは負傷者で溢れかえっている。隅にはシートが掛けられた場
所があったが、その下は想像したくはない。いやまあ、してしまうのだけど。
敷地内はまるで野戦病院の様に、負傷者の呻き声、叫び声、泣き声、白衣姿で
駆け回る医師や看護師の悲痛と怒号、関係者の悲鳴と罵声が入り乱れている。
その様はアールバレア通りの混乱の比ではなかった。医師や看護師の白衣も血
と土で汚れきり、元の色がなんだったのかと思わせる程に。
こんな状況で、館自体狙われたらと思うとぞっとした。もし既に爆弾でも仕掛
けられていたら、私にはどうしようもない。
そんな時、領主館の入り口前に二人の男が現れた。野戦服のような出で立ちは、
怪我人でも医師でも報道者でもない。可能性を上げれば協力しに来たとも考え
られるが、雰囲気からいってそれは無さそう。薄ら笑いを浮かべ、剣呑な光を
宿した視線は領主館を囲む報道局員に向けられている。
その時、男の一人が声高に語りだした。
「我々はこの腐敗した世界を、正しき方向に導くために遣わされた【真明の遣
徒】である!」
あ、湧いた。阿呆が。
「腐敗にこの世を導くゲハート・ンシンに鉄槌を下す者である!」
あんたらの頭が既に腐ってると思うのだけど。しかし、こいつら当たりか?
報道局員は既に男らを中継しているようだ。
「我々はまず、他国で数多の犠牲者を排出し、のうのうと居座っていたグラド
リア国の狂徒を滅した!」
は?それ私なんですけど。まあ、被ってくれるのならどうぞ。むしろありがと
う。
耳を傾けた人達からは多少のどよめきが上がる。
「次に、此の地の利を貪り喰らうロググリスの背徒共を討ち滅ぼした!」
そこで周囲のざわめきが大きくなり、憎悪の感情が膨らんでいく。私も例外で
はない、こいつらがこの大惨事を起こしたんだ。内から沸き上がる黒い感情を
圧し殺して、私は男らの動向を観る。
「これらは、現領主ゲハート・ンシンが結託し産み出した産物である。よって
我々は正しき導きの為、即刻ゲハート・ンシンの退陣を要求するものである!

その為に殺したのか。所詮、人殺しは人殺しでしかない。その領域は思想も大
義も語る領分ではない。殺した時点でその権利は放棄しているんだ。
「要求を呑まないのであれば、次の標的は背後にある領主館である!」
そこまで言うと男らは上着を広げる。胴に巻き付けた爆弾がそこにはあった。
悲鳴と共に逃げ出す人々が現れる。報道局員も及び腰だが留まっていた。それ
は報道局員としての姿勢なのかは分からないけど。逃げろよ。
今直ぐにでもあいつらの首を落としてやりたい衝動に駆られる。だが、次の言
葉が私の衝動を押し留める。
「尚、我々を排除すれば砲撃により領主館は鉄槌を下される事になる。退陣へ
の照準は既に合わされていると知れ!」
何処かから狙っているってこと?砲台を置けるような場所は。
呪紋式銃か!
私は気付くと急いでユリファラに文書通信を送る。音声通信は聞かれるとまず
いから。返ってきた通信には未だ見付かっていないと書かれていた。
役立たず。
同時に始末出来ればと思ったが無理か。いや、そもそも二手とは限らないわよ
ね。下手な事をしたら状況を悪化させ兼ねない。ここは様子を観るしかないか。
「現在、領主であるゲハート・ンシンがこちらに向かっている。我々の要求の
刻限はその時までだ。到着時点で退陣表明が成されなければ、実力行使にて排
除に踏み切るものとする。」
こいつらは何処までも腐ってるわね。領主だけじゃない、ここにどれだけの人
が居ると思っている。無関係な犠牲者をどれだけ出せば。ただの人殺しに、何
を成せると思っているんだ。
沸き上がる感情に飲まれそうになるが、そこでユリファラからの文書通信が届
く。
みつけた。
その一文しか書かれていなかったが、少しほっとして私は自分が落ち着いたの
を確認出来た。状況によっては、同時に対処出来そう。そう思うとこのまま様
子を見ることにした。
そこでまた文書通信が来る。
モフェックだ。
うーん、狙撃手を見つけたのか、モフェックを見つけたのか、両方なのか、モ
フェックが狙撃手なのか、狙撃手と別にモフェックも居たという意味なのか、
わからない。
もう少し文章として送って欲しいのだけど。

(ふざけるなよ!)
内心で憤激の絶叫を迸らせながら、オーメラは領主館の入り口からその光景を
横目に、負傷者の手当てをしていた。休みなく動いていた顔には若干の疲労が
見える。汗に加え血と土で汚れた顔は、余計に顔色を悪く見せていた。
(ロググリス領事館だけでなく、ここも破壊しようと言うのか!?)
領事館のエントランスを使い、別館のロビーと来賓室を使っても入り切らなか
った人々が、敷地内には少なくない。オーメラは敷地内を見回す。少なくとも
色々含めれば三百人程は居るだろう。
今の犯行声明で、各々が浮かべていた苦痛や、悲涙等の感情に加えて、恐怖が
加わった。此処に来た人は、既にその恐怖を体験しているのだ。不条理な暴利
に晒されて来たのだから、その膨れ上がる恐怖は尋常ではないだろう。
(モッカルイア領を蹂躙するつもりか。私ごと、爆破するつもりなのか。)
これはモッカルイア領の恩恵を享受するという問題ではなく、支配するつもり
だとオーメラは思った。でなければ、領民を敵に回すような動きはしないだろ
う。
「補佐官、どうしましょうか?」
近くで手当てを手伝っていたグローアが心配そうに聞いてくる。グローアもま
た背広の上着を脱いでいて、同様に汚れていた。
「現状、どうする事も出来ない。もうすぐゲハートが戻ってくるのだろう?」
「はい、先程の連絡ではそれほど時間は掛からないかと。」
出入り口には爆弾を抱えたテロリストが居り、何処からか狙撃も行えるだろう
状況では、避難させるのも難しい。既に動けない負傷者も多くなっている。現
状行動を起こすことは危険だと、オーメラは考えていた。
ゲハートが退陣表明をすれば、これ以上の被害は出なくて済むのだろうかとい
う疑問もまた、沸いて来ていた。
(だが、ここまでする奴らが果たして退陣表明だけで終わらせるか?)
浮かぶ疑問をオーメラは打ち払った。疑問ばかり考えても打破には繋がらない。
今は出来ることをしようと。
「私が出来ることは、負傷者の手当てだけだ。あとはゲハートが戻って来た時
に、どう状況が動くかだな。」
「警察局からの連絡では、包囲は完了しているそうですが。」
グローアは顔を曇らせる。包囲しただけであって、解決には至っていないのだ
から。警察局の対応が悪いわけではない。この膠着状態を動かせない状態が問
題なのだ。
「とりあえず、今は状況を見守ろう。」
オーメラの言葉に、グローアは頷き負傷者の手当てを続けた。

「犯行声明は無事成功したようじゃの。」
領主館から三百メートル程離れた建屋の屋上で、キャヘスは領主館の方を見な
がら呟く。石造りの建物が多い中、五階建ての建屋は見晴らしが良かった。流
石にこの高さになると石造りではなく、塩害対策の施された通常の建物になっ
ている。
港から離れている領主館付近は、ルッテアウラの中心ともいえる街並みをして
いた。昔からの石造りの建物を除けば、中層の建物が立ち並びオフィスビルや
多店舗の建物として乱立している。住宅として使われている建物は多くなく、
仕事と物流の中心街として機能している。
「成功してもらわねば困る。」
モフェックは忌々しげに吐き捨てる。好かれてはいなかっただろうが、それで
も長年仕えてきたソベルィの事を思えば、キャヘスには憎悪しか沸いてこない。
一体何の為にロググリスに協力してきたのか。祖国の為に働いてきたうえに、
同胞を慮った結果が死とは、不条理過ぎるのではないか。モフェックはそう思
っていたが、目の前に存在する凶悪な暴力に抗う術は無かった。突き付けられ
た死に立ち向かう事など出来はしない。
「なんじゃ、怒っておるのか。しかし、塵の不始末は飼い主の責任じゃ。」
余りの言いように腸が煮え繰り返るが、これが終わればこいつと顔を合わせる
事もないと、モフェックは自分に言い聞かせて堪えた。
「銃を構えてる意味はあるのか?腕が疲れるんだが。」
モフェックは領主館に向けたままの呪紋式銃を軽く揺らして、確認する。が、
末路を恐れて降ろすことは出来ないでいた。
「声明で狙撃を匂わせた以上、誰が何処で見ているか分からんからの。威嚇の
為構えておけ。辛いのは怠惰に生を貪っておる御主の自業じゃ。」
モフェックは癇に障る物言いを我慢した。領主が戻り、退陣を表明するまでの
間だけだと。これだけの被害を出し、更に領主館に居る人命の数を考えれば退
陣しないわけにはいかないだろうとの考慮の中。
「ほう、御出なすった。」
キャヘスがアールバレア通りを見て言ったのを聞いて、モフェックもそちらに
目だけを向ける。人を割り、渋滞の車を避けさせて誘導される車が、領主館に
向かっているのが見えた。
「しまった!」
その時、モフェックは右手の二の腕に走った痛みによって呪紋式銃の引き金を
引いてしまい叫んだ。
「おお、すまん。手が滑ったわい。」
右手に目を向けると獰猛な笑みを浮かべて、仕込み杖をモフェックの腕に刺し
ているキャヘスがいた。
「な、なにを!?」
モフェックは驚愕に目を見開き、キャヘスに疑問を投げ掛ける。その間にも銃
口の先には白い呪紋式が浮かび上がり、砲弾を生成していく。

「あのバカ、やりやがった!」
同じ階層の作りをしている隣のビルで、様子を窺っていたユリファラは叫んで
立ち上がると、着ているパーカーの裏から短剣を抜き投擲する。鍔が殆ど無く
小ぶりで細身の短剣は、ほぼ空気抵抗を受けずに弾丸のように飛来していく。
飛来した短剣が、呪紋式銃を持ったモフェックの右手に当たる瞬間、キャヘス
の仕込み杖が短剣を弾く。
「ぬっ!」
余りの衝撃にキャヘスが顔を歪める。弾かれた仕込み杖を握る手には、若干の
痺れが残る。
「あのジジィ何もんだ!?」
ユリファラは短剣を弾かれた事に驚き、目を見張る。だが、短剣の効果はあっ
たようで、衝撃に押されたキャヘスの仕込み杖は、モフェックの手の甲に半ば
まで食い込んでいた。その衝撃でモフェックは呪紋式銃を取り落す。
キャヘスは既に、建物の外階段に向かって疾走していた。手を抑え蹲ったモフ
ェックは無視して。
「逃がすか!」
ユリファラは五メートル程の距離が開いている建物間を軽々と飛び越えると、
建物の屋上に蹲っているモフェックの尻を蹴りあげながら、外階段に向かい
キャヘスを追いかけた。

「ユリファラは何やってんのよ!」
生成される砲弾を見ながら私は叫んだ。その声で、周囲にいた人たちが私の見
ている方向に一斉に目を向けた。見た後は当然、恐怖が顔に浮かんでくる。
生成された砲弾は、爆音を立てて直進する。私は見ている事しか出来ず、砲弾
が領主館の尖塔を打ち砕き爆発する様を呆然と眺めていた。
私は我に返ると、同じく呆然と眺めていた犯行声明を喚いていた二人の背後に
近寄ると、<六華式拳闘術・華流閃>で首を撥ねる。立ち止まらずにそのまま
領主館の敷地に飛び込むと、落下する瓦礫目掛けて駆け抜ける。
「くそっ、小さいのは間に合わない。」
走りながら私は雪華を引き抜くと、薬莢を籠める。傾いた尖塔が屋根を破壊し
て破片を散らしながら落下を始めた。
爆発で吹き飛んだ破片は、容赦なく敷地内に居た怪我人やそれを看病している
人、医師や看護師、警察局員に消防局員、協力と援助している者を選ばずに降
り注いだ。
動けずに横たわった怪我人の頭部を容赦なく潰し、脳漿と鮮血を四散させる。
手足に落下した瓦礫は肉を押し潰し骨を砕く。あらぬ方向を向いた手足からは
赤に染まった骨と肉がはみ出した。腹部に落下された者は、皮膚を突き破った
桃色の腸がはみ出し黄色い脂肪と鮮血を飛沫く。肋骨を粉々に打ち砕いた瓦礫
は、潰した者の苦痛に歪んだ口から血の泡を噴き出させた。
看病で寄り添って居た女性は頭頂部に受け、陥没した頭部が収容しきれない脳
漿を鼻と耳から垂れ流し、視神経が切れずに飛び出した眼球は頬に貼り付いた。
眼窩からは涙のように脳漿と血を流して前向きに崩れていく。
周辺は瓦礫の粉塵と血霧が舞い、内臓と汚物が吐き気のする臭気を漂わせる。
それに充てられたように、吐瀉物を吐き散らす音と、恐怖への嗚咽が周囲から
聞こえ始めた。
領主館の敷地内をも阿鼻叫喚の図に変えられたが、私は立ち止まらずに落下し
始めた尖塔に向かって雪華の引き金を引く。銃口の先に白光の呪紋式が展開さ
れ、展開した直後から強風と成って吹き荒れる。指向性のある風は暴風となり、
細かい瓦礫は直ぐ様横殴りに軌道を変える。瓦礫の行き先までは、決められな
いから各自に任せる。
館を外れたのはやがて勢いを失い落下するからいいが、館に向かった瓦礫は大
小の連弾となって、硝子を突き破り壁に孔を穿っていく。本来の目的である尖
塔は暴風を受け、舳先から進路を変え始めた。やがて後方に押された尖塔は、
本来の落下地点である館の手前から、人の居ない側面に落下して舳先を地面に
埋めた。
間に合った。
私は一瞬安堵するが、改めて見た光景に安堵感は霧散する。自分でやったこと
ではないにしても、やはりその光景は私を苛む。
その時、私の耳に何かが崩れるような音が聞こえた。はっとして上方を見ると
頭部程の大きさの瓦礫が落ち始めた音だった。その下にはまだ生きている怪我
人が居たが、逃げれそうにはない。薬莢を籠めてから呪紋式を発動したのでは
間に合わない。
私は地を蹴って一足飛びで距離を縮めると跳躍して、落ちてきた瓦礫に蹴りを
入れる。
重い・・・。
だが、落下軌道を逸らされた瓦礫は怪我人か離れた所に重い音を立てて落下し
た。怪我人は何が起きたか分からず、恐怖から硬直したままだ。
惨憺たる状況に辟易するが、まだ終わってない。呪紋式銃なら薬莢変えるだけ
で撃てるのだから。次の砲撃が来ないと決まっていない以上、気を緩めるわけ
にはいかない。一旦ユリファラと連絡を取った方が良さそうだ。
「あの、危ないところを有り難う御座います。」
ユリファラへの連絡を考えていた私に声を掛けてきたのは、黒髪黒目の青年だ
った。長髪だが小奇麗な見た目をしていた。ただ、小奇麗と思ったのは印象で
あり、着ているシャツは土と血で汚れている。怪我人の手当てでもしていたの
だろうか。
「別に、ただ通りかかっただけだし。」
私は素っ気なく応える。実際それどころではないし。
「お礼をしたいのは山々なんですが、この状況ですし、後日にでも。」
お礼される意味もわからないけど、これだけの被害が出ているのだから。それ
以前に後日も何も暫く落ち着かないでしょう。
「気にしなくていいわよ。旅行で来てるだけだし。もうすぐ帰る予定だし。」
青年は残念そうに、微笑んだ。
「そうですか。お食事でもと思ったのですが。では滞在中不便があれば言って
ください。少しはお役に立てるかと思いますので。」
滞在中に会う機会なんて無いでしょう、と思うのだけど。
「誰か知らないけど、気にしなくていいわ。それより、私と話してる場合じゃ
ないでしょ。」
私は周りに視線を送る。青年がここで何かをしているのであれば、それを優先
するべきだろうと思った。私の話し相手ではなく。
私の言葉に、青年は表情に苦渋を浮かべ周囲を一瞥する。
「はい。私はここの補佐官をしておりますオーメラ・ヘキサベルと申します。
何かあればお声掛け下さい。」
何かあれば言えというのはそういう事かと納得した。補佐官であれば、ある程
度の融通は利かせてくれるだろう。私は軽く手を振って分かったという素振り
をする。オーメラは私の仕草を見ると、お辞儀をして背を向けた。
ん?オーメラ?
私はユリファラに聞いた話しを、なんとか思い出した。
「ちょっと待って。」
私の呼び止めにオーメラは疑問顔で振り替える。
「あなた、確かロググリス領の。ってことはこの惨事に加担してるでしょ?」
私の突然の言葉は、在らぬ方向からの問いだったようで、オーメラは驚いた表
情をしている。
「どうして・・・」
私はオーメラの言葉を片手上げて制すると、呪紋式銃の事を含め、状況を確認
しようと小型端末を取り出す。オーメラに関しては何故か危険な感じがしなか
ったから、現状の把握を優先した。呪紋式銃の方はユリファラが止めていてく
れればという思いで彼女に音声通信をしようとした矢先、向こうから先に呼び
出しが来た。
「すまねぇ、今そっちに向かってる。」
応答するなり開口一番ユリファラは叫んだ。走っているようで呼吸が荒い。す
まないとは一体何に対してなのか分からないけど。
「見張ってたんじゃない・・・」
「それどころじゃねぇ!ヤバイのがそっちに向かってる!」
私の苦情を遮ってユリファラが叫ぶ。聞けよ。だが、その逼迫した声に私は緊
張するのを感じた。
「どう・・・」
「ジジィに気を付けろ!」
説明を求めようとした私の問いを、またも遮って叫ぶと通信が切れる。おい。
一体何?相変わらず訳が分からない。
「で、どうなの?」
ユリファラとはまともに話せそうにないし、目の前の疑問から片付ける事にし
た。途中で遮った事に関しては謝るつもりはない。
「確かに私はロググリスの人間です。ただ、無血を条件に、ロググリスの領民
が少しでも豊かになればと協力はしてきました。」
オーメラはまた周囲を一瞥すると、浮かべていた苦渋を濃くする。私が何で知
っているのか等、聞いてくるわけでもなくその事実をあっさり認めた。私は無
言で先を促す。真摯に話す態度と苦渋の顔は、嘘には見えなかったから。
「しかし、ロググリスはそれを裏切った。いや、ロググリスではなく領主のヤ
ングレフカが。この惨事は決して赦す事は出来ない!私の身一つでは贖えない
が、ヤングレフカにはそれなりの償いをしてもらうつもりだ。モッカルイア領
の領主補佐官として。」
補佐官自ら土と血に塗れて怪我人の手当てしているのは、その思いからかと思
ったが、信用したわけじゃない。私以上に、巻き込まれた人と領民は不信を抱
くでしょうし。
「裏切りはいかんの。」
今まで存在しなかった嗄れた声が、私とオーメラの会話に割り込んで来た。何
時の間にか私の近くに老人が現れている。オーメラはその老人を目にすると、
瞳に嚇怒を宿らせた。
「キャヘス老。そうか、あんたか。この惨事はあんたの仕業だろう!」
現れたキャヘスと呼ばれた老人にオーメラは激昂の言葉を叩きつける。もう先
程までの真摯さは消え、噛み付かんばかりの勢いでキャヘスを睨んでいる。
この爺さんもロググリスの人間か。今の言葉からすれば、キャヘスが惨事の元
凶か。百五十にも満たない身長で、小柄で皺の多い顔には獰猛な笑みを浮かべ
ている。頭の中で復唱されたユリファラの言葉が理解に変わる。この爺さん、
確かに危険だ。
「なに、進めやすいよう手心を加えただけじゃ。それと、お前さんは支障にな
りそうじゃな。」
キャヘスがそう言った直後、姿が霞んだ。私は左半身を後方に捩りながら、右
手で掌底を前方に叩き込む。キャヘスが突き出した仕込み杖は私の左腕を霞め
切り裂いた。熱と痛みが襲ってくる。私の掌底はキャヘスの骨ばった左腕で受
けられ、後方に跳躍して距離を取られた。
固い!
「中々やる女子じゃの。」
口の端を吊り上げながらキャヘスは言った。骨を折るつもりで放ったのに、効
いてすらいないようだ。確かに、この爺さんやばい。
「オーメラよ、まだ遅くはないぞ。ロググリスの悲願のため戻れ。」
私をいきなり殺そうとしたくせに、今は興味無いようにオーメラに向かって話
しかけている。私は相手にする程じゃないってことか。まあ、関わりたくない
からそれでいいけど。
「断る!無関係な人間を殺すような輩に、国のためと言う資格は無い!」
お、良いこと言った。同意見。オーメラはキャヘスの言葉をきっぱりと断じた。
人の為に人を殺す。個人の感情じゃあるまいし、為政者のやる事ではない。だ
が断られたキャヘスの顔は愉悦に歪んだ。それを見た私は沸き上がる嫌悪と同
時に察した。こいつ、政治とか国とか関係ない、人殺しを楽しんでいるだけだ
と。
「やれやれ、この塵共が足枷なら儂が全て排除してやるわい。」
歪んだ笑みが一層濃くなり、キャヘスの仕込み杖を持った右手が霞む。
「やめろぉぉっ!」
オーメラの絶叫が虚しく響く中、近くに居た若い女性の頭部が赤い糸を引いて
宙を舞う。ゆっくりと地面に落下した瞳は何が起きたのか分かっていないよう
だった。血の噴水を作りながら、頭部を失った体は横に倒れていく。
沸き上がる黒い奔流。
「あああああああああああああああああっっ!」
私は叫びながら地を蹴って、彼我の距離を一瞬で詰める。右足の踏み込みと同
時にキャヘスの左目に手刀を突き出す。キャヘスは顔を傾けただけで避けると
同時に、仕込み杖を横凪ぎに私の胴へ振るう。後ろへ避けるが、踏み込んでい
た所為で避けきれず、刃先が腹部を撫でていく。
「ミリアやめろ!そのジジィはだめだ!」
そこに追いついて来たユリファラの叫びが聞こえたが、私の感情が理解を拒否
する。キャヘスは胴を薙いだ後直ぐに、刺突に変えて腹部に追い打ちを仕掛け
て来る。右半身を後方に引いて避けながら、手刀を戻しつつキャヘスの右手を
払いにいく。
「そのジジイは穏剣だ、あたしらじゃ勝てねぇ!逃げるしかねぇんだ!」
叫んでいるユリファラの言葉は届かない。
同時に左足を蹴り上げ<六華式拳闘術・華巖閃>の体制に入ろうとしたが、私
の打ち払いの下を、地面すれすれでキャヘスが突進してくる。左足の蹴りを回
し蹴りのように振り、右足で地面を蹴って側転のように宙を舞う。私の右足が
在った場所を、キャヘスの仕込み杖が薙いだ。
私は空中で逆さの状態から、右手で掌底を真下に叩き込む。突進の速度を落と
さずに抜けたキャヘスを<六華式拳闘術・朔破閃>が捉える事はなく、地面だ
けを陥没させた。
私は着地と同時に、一歩身を引く。そこを、キャヘスが振り向き様に放った仕
込み杖の逆風が通り過ぎた。キャヘスは更に踏込み、逆風は既に唐竹に軌道を
変えている。
「くそっ!ミリアの奴聞こえてねぇ!」
横に避ければ剣線は私を追うように軌道を変えるだろう。と思い更に後ろに下
がって唐竹をやり過ごす。と同時に踏み込んで右手の手刀を放つ。だけどその
瞬間、目の前に仕込み杖があり唐竹に振り下ろされていた。あまりに速すぎる
唐竹の二段斬りを、それでも右手に身体を捩り避けつつ、手刀を緩めずに突き
出す。無理な体制の所為か、首を狙った手刀はずれて肩口に突き刺さった。
衝撃でキャヘスの身体が後ろに飛ぶ。鎖骨が砕け、指が刺さった場所から出血
していた。
キャヘスが着地した場所には、ユリファラが投擲した短剣が飛んで来ていた。
キャヘスは軽く跳躍して躱すと、短剣は地面を陥没させながら突き立った。キ
ャヘスの跳躍と同時に頭部を狙って投擲された短剣は、仕込み杖で弾かれる。
「潮時か。楽しみは後に取っておくかの。」
キャヘスは更に後方へ大きく跳躍して距離を取る。
「オーメラよ、次に来る時までに考え直しておくがよい。」
「逃がさない!」
外に向かって疾走を始めたキャヘスを私は追いかけようとしたが、そこへ体当
たりでユリファラが止めに入る。
「落ち着けってミリア!」
「退いて!あいつ逃がしたら犠牲者が、あいつはいくらでも人を殺すのよ!」
私は言ってユリファラを見ると、ユリファラは泣きながら血に染まっていた。
私を行かせまいと抱きついている。
「その前に、ミリアが死んじまぅ。」
嗚咽混じりの所為か、声が尻すぼみになっていくユリファラ。
「私は大丈夫よ。それより怪我してるんでしょ、あんたこそ休んでなさいよ。」
「あたしじゃない、ミリアの腕・・・」
腕、私はなんともない・・・。
いや、左手の感覚がない。
地面に落ちている腕が目に入った。見慣れている腕。
泣いているユリファラが血に染まっているのは、私の肘から先がない断面から
噴き出した血の所為。
私、左腕落とされてたんだ。認知したら、痛みが襲って来たけど、それ以上に
意識が薄らいで行くのを感じた。
「おい、ミリア!」
私は力が抜けてユリファラに寄りかかった気がしたが、そこから先はもう意識
が無かった。




斬られた右手を押さえていた左手で、近くに転がったままの呪紋式銃をモフェ
ックは掴んだ。
「はは、まだいけるぞ儂は。」
血で滑り呪紋式銃を取り落す。が、再度それを拾う。
「予定通り、儂が支配者になる時が。くくっ。」
モフェックは何とか呪紋式銃を掴むと、震える銃口を領主館の入り口に向けた。
血で滑りなかなか狙いが定まらないが、砲弾呪紋式が後五発残っている。ある
程度外れても問題はないと、モフェックは銃口の先を見据える。
そこには、領主ゲハート・ンシンの乗った車が到着していた。
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