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1章
28夜 その笑顔、対を成して
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「ミランデールに行くメンバーを、発表するぞ。各々思うところはあるだろうが、協議の上決まったことだから納得してくれ」
いつきは事務所に戻るなり、そう宣言した。
支援隊のメンバーは作業の手を止めて、いつきに向き直る。
みんな手は膝の上にきちんと置き、聞く姿勢に入った。
いつきは小さく咳払いして、言葉を続けた。
「メンバーは俺とフィデリースさん以外は、以下四名でいこうと思う。リンドリヒ マーレ、フォルスィー=ランザース、キャロライン シェリー、キース レイバン。以上だ」
自身がミランデール行きのメンバーに組み込まれて安堵する反面、疑問が浮かんだ。
キースの疑問を掻き消すように、タズーの声が事務所内に響く。
「待ってください!!」
手を挙げて、立ち上がるタズー。
「ランザースがメンバーに入って、僕が入ってないのは納得出来ません!」
アイマヒュリーが、タズーを睨む。心底、鬱陶しそうな表情だ。
「協議の上、って言ったでしょ? あんたら二人組むと、喧嘩するじゃない」
「だったら、僕を入れるべきです! ランザースは馬鹿だし、空気読めないし、デリカシーもないし」
いつきは、予想していたのだろう。取り乱すことなく、流水のように穏やかに言う。
「別にどっちが、上とか下とかないだろう。今回は、ランザースの方が適任だ。って、判断しただけで……」
「今回だけじゃないです! いつも僕を、ハブるじゃないですか!」
タズーの言葉に、いつき以外の先輩が気まずそうに視線を逸らした。
キースの想像以上に、腫れ物扱いされているのかもしれない。
「いやそれは、魔科学部隊からの移籍だしさ。どこまで任せて良いか、判断に悩んでるんだよ」
チュエンイはわざとらしく「おかしいな~」と歯を見せて、笑い始める。
「ミシェック先輩。働かないに越したことは、ないですよ。俺ら公務員ですし! 公務員までワーカーホリックになったら、ノイアリア帝国じゃなくって社畜帝国になっちゃいますって! あっはっはっは」
まるで空気を読まないチュエンイの発言に、キャロラインは怒りを露わにした。今にも食ってかかりそうな、勢いである。
対するいつきは「お前は、もっと働け。マジで」と、受け流した。
(女神のような人だな……)
キャロラインは無理矢理自身の溜飲を下げて、いつきの言葉を待っている。
呼吸を整えて、話し出すいつき。
「急で申し訳ないが、出発は今晩。夜行急行列車で、フェキュイルの街を発つ。フェキュイル中央駅の三番ホームに、夜七時に来てくれ。簡素だが資料を配るから、目を通しておくように」
夜七時となると、残り七時間程しかない。定時が夕方五時なので、二時間程で用意をしなくてはならないのだ。
「夜行急行列車にシャワールームとか食事サービスはあるから、荷造りだけして来てくれたら良いぞ。じゃあ、新入り三名とミシェックは昼休憩入れ。残りは四人が戻って来たら、行くように」
そう補足しながら、彼は資料を配る。
キースはキャロラインから資料を受け取り、小さく礼を言う。
チュエンイは「お疲れ様でーす」と軽薄な笑みを浮かべて、いの一番に事務所を後にした。
*
キースとキャロラインは大食堂に行き、本日のランチプレートを各々頼んだ。
四人掛けのテーブルに向き合うように座り、テーブルのスペースの半分は虚無の食事スペースと食後の昼寝用である。
キースは白身魚のフライ盛り合わせのプレートにして、キャロラインは若鳥ステーキのプレートにしたようだ。
虚無は、使い魔専用マフィンに齧りついている。
「ミランデールのメンバー、不思議よね」
「そうだよね……。俺ら二人を選出して、リージン君だけ入れなかったり」
「そこは、大して問題じゃないわ。異常事態に、不真面目な人はそりゃあ選ばないもの。私の疑問は、何故私を選んでグローディア隊長補佐を連れて行かないのか? ね」
言われてみればそうだ。アイマヒュリーの方が、新人のキャロラインより動けるだろう。
いつきだってアイマヒュリーとの方が、合わせやすいだろうに。
「俺ら二人の動きを、見たいんじゃない?」
「それなら、普通の魔獣退治で良いじゃない」
「確かに、そうかも……」
キースは小さく頷く。
キャロラインはストレートティーを、ストローで飲みながら言う。
「もしかして、村の祭に関係しているのかしら?」
いつきに渡された資料の束を、捲るキース。
資料は五十頁程あり、丁度真ん中に位置する頁に村の行事が書かれている。
「毎年、星流の節(九月)下旬に女人だけの祭が行われている……?」
「何をする祭なのかしら?」
そうなのだ。肝心の内容が、記載されていない。
女性だけの祭と聞くと、安直な発想だが踊りが連想された。
華やかなドレスを着て頭には花冠を被った可憐な女性達が、村の伝統舞踊を踊っている様子が頭に浮かぶ。
「そうよね。ミランデールって、メルメリィ王国並みに分からないわよね。考えても、仕方ないわ」
キャロラインは、暗示をかけるようにそう言った。
シトロンのような瞳だと思っていたが、絶対に堕ちない月のような意志を彼女のそれから感じた。
「キャロライン、すごいね……。俺なら、何をさせられるか不安で眠れないと思う」
「私一人なら、そうでしょうね。みんなが、居るもの」
そう言って、キャロラインは微笑む。
強い子だ。自分より、ずっと。
「そっか……そうだよな。隊長も、ランザース先輩も、マーレ先輩も居るよね」
「一人、抜けてない?」
キャロラインが、眉をひそめた。
「はははは。気にしなくて、良いよ」
キースは、はっきりしない笑顔を浮かべた。
キャロラインの口が微かに動くも、言葉にするのをやめた。
(キースも、笑顔で誤魔化すタイプね……。フィデーリスさんの笑顔は「圧倒的な強者の『自分は正しい』と、言わんばかりの圧をかける仮面の笑顔。キースの笑顔は自分のことを「どうしようもない弱者の『自分は何も出来ない』と思い込んでいるから、コミュニケーションを放棄する仮面の笑顔。馬が合わない訳だわ)
キースが不安そうに、キャロラインを見つめている。
何処か具合でも悪いのかと、問いかけるような表情だ。
「なんでもないわ」
遠くから、おーいと手を振る男が近寄って来る。
痩せこけた身体にチョビ髭を生やしたその見目に、キースは覚えがあった。
マグノーツだ。
彼はパスタのセットを頼んだらしく「邪魔するぜ」と、一声かけてからキースの隣に座った。
「お疲れ様です。紹介するよ。こちらは、マグノーツ ベヴィンキーさん。トウマ村の魔獣退治処理を担当して下さったり、採用試験前にアドバイスを下さったり、何かと縁がある人なんだ。今の所属って……」
キャロラインは、小さくマグノーツに会釈する。マグノーツは、笑みで返事をした。
「所属自体は第三隊なんだが、最近は使い魔飼育班みたいな仕事ばっかだな」
マグノーツが虚無の額を、撫でながら言う。
虚無はされるがままに、撫でられている。
目を細めて「もっと撫でろ」と言わんばかりに、じっとしている。
使い魔飼育班。その響きが、妙に愛らしい。
犬型の使い魔の散歩に行くマグノーツや、猫型使い魔の悪戯に悲鳴を上げるマグノーツの姿が浮かんだ。
「使い魔飼育班って、ご飯あげたりするんですか?」
「それもだが、召喚するだけして面倒見ない魔術師が多いのなんの。はぐれ使い魔って呼ばれる、主人が居ない使い魔の保護と新しい飼い主探しばっかだよ」
「そう言えば、虚無ちゃんって……」
キースの疑問を察したのか、マグノーツは「ああ」と呟いた。
「俺が面倒を見てた内の一羽だな。帝国の魔獣研究所で造られた、人造使い魔だよ。魔力が強いのは、野生より調整されてるからだ。虚無型のプロトタイプは、元々未来予知用に造られたんだぜ。最期は数多の予知に脳が耐えられなく、虚空を見つめることしか出来なくなった。だから虚無なんて、不吉な名前を学者がつけやがったのさ」
命を造る。その行為は、人間が踏み込んではならない領域ではないか……?
命を使って実験みたいな真似をすること自体が、神に裁かれるべき行動だ。
キャロラインも同じようなことを思ったのか、絵画にペンキを塗る環境活動家を見るような目をしている。
「あの……虚無ちゃんは、大丈夫なんですか?」
「そいつは幸か不幸かーー未来予知の力が全く現れなかった個体なんだ。研究所が薬殺しようとしていたところを、通りかかった魔術師が拾ってな。育てたって聞いている」
「あれ? ならばなんで、ベヴィンキーさんのところに居たんですか?」
「察しろよ……。前の主人が、亡くなったからだ。だから、保護したんだよ」
こいつ本当に、懐かなくて大変だったんだぜ? マグノーツはそう言って、わざとらしく肩を落とす。
「じゃあ今は、はぐれ使い魔ってことなんでしょうか?」
キャロラインの質問に、彼は小さく頷いた。
「ああ。すっかりレイバンの使い魔みたいなナリだが、はぐれ使い魔だ。契約も無しにここまで懐いてんのは、余程気に入ったんだろう。それか一緒に居る必要性を、虚無が感じているかだな」
必要性か……。確かに虚無が居なかったら、採用試験は不合格だっただろう。
キースは世間話のつもりで、何気なく質問を口にした。
「虚無ちゃんを育てていた、魔術師の名前ってなんていうんですか?」
キースの質問に、マグノーツは数回瞬きをした。
何かまずいことでも、聞いたのだろうか? キースは「分からないなら、大丈夫ですよ」と思わず頭を下げた。
マグノーツはこめかみを抑えて、低く唸る。
「ああ……確かアエテルって言ったかな。作家の旦那と、息子が一人居た。って、聞いた気がする」
歯切れの悪いマグノーツの返事。彼の声音に釣られて、キースの気分は雨雲が立ち込み始めたかのように暗くなる。
「魔術師と作家なんて社会不適合者筆頭なのに、よく結婚したよな」
キースを笑わせようと、マグノーツは冗談めかしにそう笑ってみせた。
キースは呼吸を整えて、音量こそは小さいけれどよく通る声で言葉を口にした。
「アエテルって、俺の母親の名前です……。ベヴィンキーさん、虚無ちゃんをどうやって引き取ったんですか?」
同名で同じような、境遇の他人かもしれない。
だけど虚無が、他人じゃないような気がしてならない。
しかしキースの母親だとすると、疑問点が生じるのも事実だ。
キースの母親の最期は、呪いのような歌を歌っていた。魔獣を倒す代わりに、母親の肉体は腐った。
魔獣に襲撃されたあの状況で、使い魔の面倒を見てくれ。なんて、とても言ってられないのではないか?
それにマグノーツやオズウェルがトウマ村へ到着したのは、魔獣襲撃から一晩が経ったあとのことだ。
キースの母親は、既に事切れていた。
「分からない……」
マグノーツの返事は、キースが想定していなかったものだ。
「信じてくれ……嘘じゃない。気がついたら、虚無が居た。それは、トウマ村の事件の直後だ。ムーンフレイクが使い魔を嫌がっていたから、俺が全面的に世話をしていたんだよ。これは間違いない」
キャロラインがメモ帳の真っ白な頁を千切り、書き込みをしていく。
虚無の前の主人は、アエテルと言う魔術師の女であったこと。
トウマ村の事件直後に、虚無が居たこと。
キャロラインが虚無の額を撫でながら、言う。
「何か、覚えてる? 前の主人のこととか……」
「何も覚えてない」
「そんなこと、あるかしら……?」
この現象、前もどこかであった気がする。
そうだ。フェキュイルの通り魔事件だ。
マグノーツは、キースを見つめた。
毛糸が絡まるように、疑念が絡まっていく。
(こいつ、一体何に巻き込まれているんだ……? 全部隊統括者の件ついでに、ダンのところに行くか)
いつきは事務所に戻るなり、そう宣言した。
支援隊のメンバーは作業の手を止めて、いつきに向き直る。
みんな手は膝の上にきちんと置き、聞く姿勢に入った。
いつきは小さく咳払いして、言葉を続けた。
「メンバーは俺とフィデリースさん以外は、以下四名でいこうと思う。リンドリヒ マーレ、フォルスィー=ランザース、キャロライン シェリー、キース レイバン。以上だ」
自身がミランデール行きのメンバーに組み込まれて安堵する反面、疑問が浮かんだ。
キースの疑問を掻き消すように、タズーの声が事務所内に響く。
「待ってください!!」
手を挙げて、立ち上がるタズー。
「ランザースがメンバーに入って、僕が入ってないのは納得出来ません!」
アイマヒュリーが、タズーを睨む。心底、鬱陶しそうな表情だ。
「協議の上、って言ったでしょ? あんたら二人組むと、喧嘩するじゃない」
「だったら、僕を入れるべきです! ランザースは馬鹿だし、空気読めないし、デリカシーもないし」
いつきは、予想していたのだろう。取り乱すことなく、流水のように穏やかに言う。
「別にどっちが、上とか下とかないだろう。今回は、ランザースの方が適任だ。って、判断しただけで……」
「今回だけじゃないです! いつも僕を、ハブるじゃないですか!」
タズーの言葉に、いつき以外の先輩が気まずそうに視線を逸らした。
キースの想像以上に、腫れ物扱いされているのかもしれない。
「いやそれは、魔科学部隊からの移籍だしさ。どこまで任せて良いか、判断に悩んでるんだよ」
チュエンイはわざとらしく「おかしいな~」と歯を見せて、笑い始める。
「ミシェック先輩。働かないに越したことは、ないですよ。俺ら公務員ですし! 公務員までワーカーホリックになったら、ノイアリア帝国じゃなくって社畜帝国になっちゃいますって! あっはっはっは」
まるで空気を読まないチュエンイの発言に、キャロラインは怒りを露わにした。今にも食ってかかりそうな、勢いである。
対するいつきは「お前は、もっと働け。マジで」と、受け流した。
(女神のような人だな……)
キャロラインは無理矢理自身の溜飲を下げて、いつきの言葉を待っている。
呼吸を整えて、話し出すいつき。
「急で申し訳ないが、出発は今晩。夜行急行列車で、フェキュイルの街を発つ。フェキュイル中央駅の三番ホームに、夜七時に来てくれ。簡素だが資料を配るから、目を通しておくように」
夜七時となると、残り七時間程しかない。定時が夕方五時なので、二時間程で用意をしなくてはならないのだ。
「夜行急行列車にシャワールームとか食事サービスはあるから、荷造りだけして来てくれたら良いぞ。じゃあ、新入り三名とミシェックは昼休憩入れ。残りは四人が戻って来たら、行くように」
そう補足しながら、彼は資料を配る。
キースはキャロラインから資料を受け取り、小さく礼を言う。
チュエンイは「お疲れ様でーす」と軽薄な笑みを浮かべて、いの一番に事務所を後にした。
*
キースとキャロラインは大食堂に行き、本日のランチプレートを各々頼んだ。
四人掛けのテーブルに向き合うように座り、テーブルのスペースの半分は虚無の食事スペースと食後の昼寝用である。
キースは白身魚のフライ盛り合わせのプレートにして、キャロラインは若鳥ステーキのプレートにしたようだ。
虚無は、使い魔専用マフィンに齧りついている。
「ミランデールのメンバー、不思議よね」
「そうだよね……。俺ら二人を選出して、リージン君だけ入れなかったり」
「そこは、大して問題じゃないわ。異常事態に、不真面目な人はそりゃあ選ばないもの。私の疑問は、何故私を選んでグローディア隊長補佐を連れて行かないのか? ね」
言われてみればそうだ。アイマヒュリーの方が、新人のキャロラインより動けるだろう。
いつきだってアイマヒュリーとの方が、合わせやすいだろうに。
「俺ら二人の動きを、見たいんじゃない?」
「それなら、普通の魔獣退治で良いじゃない」
「確かに、そうかも……」
キースは小さく頷く。
キャロラインはストレートティーを、ストローで飲みながら言う。
「もしかして、村の祭に関係しているのかしら?」
いつきに渡された資料の束を、捲るキース。
資料は五十頁程あり、丁度真ん中に位置する頁に村の行事が書かれている。
「毎年、星流の節(九月)下旬に女人だけの祭が行われている……?」
「何をする祭なのかしら?」
そうなのだ。肝心の内容が、記載されていない。
女性だけの祭と聞くと、安直な発想だが踊りが連想された。
華やかなドレスを着て頭には花冠を被った可憐な女性達が、村の伝統舞踊を踊っている様子が頭に浮かぶ。
「そうよね。ミランデールって、メルメリィ王国並みに分からないわよね。考えても、仕方ないわ」
キャロラインは、暗示をかけるようにそう言った。
シトロンのような瞳だと思っていたが、絶対に堕ちない月のような意志を彼女のそれから感じた。
「キャロライン、すごいね……。俺なら、何をさせられるか不安で眠れないと思う」
「私一人なら、そうでしょうね。みんなが、居るもの」
そう言って、キャロラインは微笑む。
強い子だ。自分より、ずっと。
「そっか……そうだよな。隊長も、ランザース先輩も、マーレ先輩も居るよね」
「一人、抜けてない?」
キャロラインが、眉をひそめた。
「はははは。気にしなくて、良いよ」
キースは、はっきりしない笑顔を浮かべた。
キャロラインの口が微かに動くも、言葉にするのをやめた。
(キースも、笑顔で誤魔化すタイプね……。フィデーリスさんの笑顔は「圧倒的な強者の『自分は正しい』と、言わんばかりの圧をかける仮面の笑顔。キースの笑顔は自分のことを「どうしようもない弱者の『自分は何も出来ない』と思い込んでいるから、コミュニケーションを放棄する仮面の笑顔。馬が合わない訳だわ)
キースが不安そうに、キャロラインを見つめている。
何処か具合でも悪いのかと、問いかけるような表情だ。
「なんでもないわ」
遠くから、おーいと手を振る男が近寄って来る。
痩せこけた身体にチョビ髭を生やしたその見目に、キースは覚えがあった。
マグノーツだ。
彼はパスタのセットを頼んだらしく「邪魔するぜ」と、一声かけてからキースの隣に座った。
「お疲れ様です。紹介するよ。こちらは、マグノーツ ベヴィンキーさん。トウマ村の魔獣退治処理を担当して下さったり、採用試験前にアドバイスを下さったり、何かと縁がある人なんだ。今の所属って……」
キャロラインは、小さくマグノーツに会釈する。マグノーツは、笑みで返事をした。
「所属自体は第三隊なんだが、最近は使い魔飼育班みたいな仕事ばっかだな」
マグノーツが虚無の額を、撫でながら言う。
虚無はされるがままに、撫でられている。
目を細めて「もっと撫でろ」と言わんばかりに、じっとしている。
使い魔飼育班。その響きが、妙に愛らしい。
犬型の使い魔の散歩に行くマグノーツや、猫型使い魔の悪戯に悲鳴を上げるマグノーツの姿が浮かんだ。
「使い魔飼育班って、ご飯あげたりするんですか?」
「それもだが、召喚するだけして面倒見ない魔術師が多いのなんの。はぐれ使い魔って呼ばれる、主人が居ない使い魔の保護と新しい飼い主探しばっかだよ」
「そう言えば、虚無ちゃんって……」
キースの疑問を察したのか、マグノーツは「ああ」と呟いた。
「俺が面倒を見てた内の一羽だな。帝国の魔獣研究所で造られた、人造使い魔だよ。魔力が強いのは、野生より調整されてるからだ。虚無型のプロトタイプは、元々未来予知用に造られたんだぜ。最期は数多の予知に脳が耐えられなく、虚空を見つめることしか出来なくなった。だから虚無なんて、不吉な名前を学者がつけやがったのさ」
命を造る。その行為は、人間が踏み込んではならない領域ではないか……?
命を使って実験みたいな真似をすること自体が、神に裁かれるべき行動だ。
キャロラインも同じようなことを思ったのか、絵画にペンキを塗る環境活動家を見るような目をしている。
「あの……虚無ちゃんは、大丈夫なんですか?」
「そいつは幸か不幸かーー未来予知の力が全く現れなかった個体なんだ。研究所が薬殺しようとしていたところを、通りかかった魔術師が拾ってな。育てたって聞いている」
「あれ? ならばなんで、ベヴィンキーさんのところに居たんですか?」
「察しろよ……。前の主人が、亡くなったからだ。だから、保護したんだよ」
こいつ本当に、懐かなくて大変だったんだぜ? マグノーツはそう言って、わざとらしく肩を落とす。
「じゃあ今は、はぐれ使い魔ってことなんでしょうか?」
キャロラインの質問に、彼は小さく頷いた。
「ああ。すっかりレイバンの使い魔みたいなナリだが、はぐれ使い魔だ。契約も無しにここまで懐いてんのは、余程気に入ったんだろう。それか一緒に居る必要性を、虚無が感じているかだな」
必要性か……。確かに虚無が居なかったら、採用試験は不合格だっただろう。
キースは世間話のつもりで、何気なく質問を口にした。
「虚無ちゃんを育てていた、魔術師の名前ってなんていうんですか?」
キースの質問に、マグノーツは数回瞬きをした。
何かまずいことでも、聞いたのだろうか? キースは「分からないなら、大丈夫ですよ」と思わず頭を下げた。
マグノーツはこめかみを抑えて、低く唸る。
「ああ……確かアエテルって言ったかな。作家の旦那と、息子が一人居た。って、聞いた気がする」
歯切れの悪いマグノーツの返事。彼の声音に釣られて、キースの気分は雨雲が立ち込み始めたかのように暗くなる。
「魔術師と作家なんて社会不適合者筆頭なのに、よく結婚したよな」
キースを笑わせようと、マグノーツは冗談めかしにそう笑ってみせた。
キースは呼吸を整えて、音量こそは小さいけれどよく通る声で言葉を口にした。
「アエテルって、俺の母親の名前です……。ベヴィンキーさん、虚無ちゃんをどうやって引き取ったんですか?」
同名で同じような、境遇の他人かもしれない。
だけど虚無が、他人じゃないような気がしてならない。
しかしキースの母親だとすると、疑問点が生じるのも事実だ。
キースの母親の最期は、呪いのような歌を歌っていた。魔獣を倒す代わりに、母親の肉体は腐った。
魔獣に襲撃されたあの状況で、使い魔の面倒を見てくれ。なんて、とても言ってられないのではないか?
それにマグノーツやオズウェルがトウマ村へ到着したのは、魔獣襲撃から一晩が経ったあとのことだ。
キースの母親は、既に事切れていた。
「分からない……」
マグノーツの返事は、キースが想定していなかったものだ。
「信じてくれ……嘘じゃない。気がついたら、虚無が居た。それは、トウマ村の事件の直後だ。ムーンフレイクが使い魔を嫌がっていたから、俺が全面的に世話をしていたんだよ。これは間違いない」
キャロラインがメモ帳の真っ白な頁を千切り、書き込みをしていく。
虚無の前の主人は、アエテルと言う魔術師の女であったこと。
トウマ村の事件直後に、虚無が居たこと。
キャロラインが虚無の額を撫でながら、言う。
「何か、覚えてる? 前の主人のこととか……」
「何も覚えてない」
「そんなこと、あるかしら……?」
この現象、前もどこかであった気がする。
そうだ。フェキュイルの通り魔事件だ。
マグノーツは、キースを見つめた。
毛糸が絡まるように、疑念が絡まっていく。
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