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麻田麻尋

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1章

14.5夜 コミカルトリオから、愛を込めて agent side

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「もう少しで、特務の祖がお帰りになる。それまで、それからも特務部隊を守るように」
 委員会からの勅令にしては、あんまりにもぼんやりとした内容。
 タンザナイトは何かの謎かけかと、首を捻っていた。
 ムニメィは後ろを振り返ることなく、何十時間もモニターに向かっている。
 彼はタンザナイトが見込んだ、唯一無二の子供だ。
 人間として「一番大事なもの」が欠落していてる。
 特務では「一番要らないもの」だと、タンザナイトは認識しているのだ。
 狭い独房に、タンザナイトとムニメィと爽乃の三人が居る。
 剥げたフローリングの床に、穴だらけの壁。
 便器の前に設置された、ボロボロのシングルベッド。
 窓も、空調もない。尤も一番ないのは、人としての尊厳なのだが。
 常人ならばこの独房に、入れられた瞬間に正気を失う。
 悲鳴をあげ、頭を壁に打ち付け、衣服を脱ぎ脱いだ衣服を輪っかにして首吊りを図るのだ。
 しかし天井には、輪っかを吊るすフックや柱は走っていない。
 舌を噛み切る者、首を絞める者、与えられた食事を摂らない者。
 手段を問わず自ら命を絶った人間を、タンザナイトはたくさん知っている。
 数えるのを諦める程の人数であり、屍で山が作れる程の人数でもある。
 ここは三人に、与えられた共同部屋。
 何人冥土に送ろうと、暮らしは豊かにはならない。
 豊かどころか、人間扱いすらされないのだ。
「特務の祖って、お二人は会ったことあるんですか」
 不意にムニメィが、口を開いた。
 まるで初めて言葉を、話す子供のような声。
 しばらく口を聞いてなかったので、今漸くムニメィの声をタンザナイトは思い出した。
「さぁ……ありませんね。ホラ話みたいな、噂しか知りません」
 ある特務の人間は岩のような大男だと言い、ある特務の人間はどんな花よりも美しい絶世の美女だと言い、ある特務の人間は幼気な子供だと言う。
 噂話の中には特務の祖はアルストレンジの誕生と共に生まれ、特務部隊を作った。なんて、幼子が作ったようなものもある。
 変装の名人だの、幻術の使い手だの、自分が殺した人間の面の皮を被っているだの根も葉もない噂ばかりだ。
 タンザナイトはこの与太話たちが、全て「真」であるような気がしている。
 自分達ですら「普通」とは、かけ離れた存在なのだ。
 その祖が「普通」である訳がない。
 爽乃が何かを思い出したように、口を開いた。
 この女のことだ。イカレ宗教の説法に、絡めて話かねない。
「私が聞いた話では、意思を持つ石が特務の祖に寄生しているそうですよ」
「……」
 タンザナイトは、余りにも頓珍漢な発言に眉を顰めた。
 爽乃は気にする素振りを見せずに、話を続ける。
「神器のようなものだと思います。石に選ばれた人間は、身体のみならず心まで石の支配下になります」
「そんな石が、存在する筈がないでしょう」
 特務の祖の話をしているのに、何故存在するかも怪しい石の話をするのだ。
 ムニメィが、昏い顔で振り返る。
「待って下さい。心すらも支配下に置くということは、つまり……石が無関係の一般市民を『お前は特務の祖だ』と刷り込むことも出来る。そういう話ですか?」
「御名答です~。花丸あげます」
 愉しげに、笑う爽乃。
 これから誕生日パーティーが始まる子供のような笑みに、タンザナイトの背筋は冷えた。
「これから現れる、祖はどんな人なんでしょうね。鬼が出るか蛇が出るかーー楽しみですね」
 タンザナイトは、確信した。
 この女は、祖の正体を知っているのだと。
 自分達を掻き乱す為に、こんな情報を提供したのだと。
 タンザナイトは上着から財布を取り出し、ムニメィに渡した。
「ムニメィ君、ずっと食べてないでしょう。街で、何か食べて来なさい」
「いや……僕は」
「パスタでも、ピザでも、サンドイッチでも、スイーツでも、なんでもいいです。貴方が食べたいものを、食べて来なさい。上官命令です」
 ムニメィは小さく「分かりました」と呟き、黒ローブを座っていた椅子にかけた。
 タンザナイトの財布を握りしめて、部屋を出ていく。
 自由に外に出られる特務の人間は、ほんの一握りである。
 戦果を上げ、委員会への叛逆心も悟られず、自由を放棄したものが与えられる権利。
 爽乃は、タンザナイトを一瞥した。
 軽蔑という名の、天を突くような激浪の顔だ。
「そう言う優しさが、特務には猛毒だと知っているでしょうに」
「お気に入りなんでね。多少人間扱いしても、良いでしょう。彼は情になんて、流されませんから」
 爽乃は、わざとらしいため息を吐いた。
(下手な優しさは、希望も与えず救いにもならない。絶望を深くするだけなのに……馬鹿な人)
 






 ムニメィは裏門から入って来た幌馬車を見て、足を止めた。
 太陽は煌々と輝きを放っており、今が昼であることに気付く。
 世界保安団には、数多の業者が出入りしている。
 この幌馬車も、その一つだろう。
 馬車から、果物や野菜の甘い匂いがする。
「そんな目で見ても、あげねーぞ。これは、食堂の荷物だからな。葡萄一粒でも欠けてりゃ、ローズさんに殺されんだよ」
 ガッハッハ! 腰に手を当てて、仁王立ちで笑う筋肉隆々の男。
 肌は日によく焼けて、元の色がすっかり分からない。
 髪の毛はライオンのように逆立ち、薄汚れたタンクトップに、穴だらけのジーンズ。
 年齢は、二十代の半ばくらいだろう。
 一般市民よりは強いけれど、自分よりは弱い。
 武器を構えずとも、勝てる。
 ムニメィは、男に小さく会釈した。
「ローズさんは、とても神経質な方なのですね」
「え? いやそうだけどよ。ジョークだ、ジョーク! 葡萄なんか果物屋のパックでも、中に落ちてるだろー! とか」
「すみません。ブドウを見たことがないので、分かりません」
「おいおい……どんな人生、送ってんだ」
 男はムニメィに近寄ろうとするも、歩みをピタリと止めた。
 生物としての、本能が告げているのだ。
 ムニメィを中心とした、直径数メートルほどの円の中に入れば殺される。
 そうだ。最初から、このガキは可笑しかった。
 こんな汚い身なりの自分を、不快に思わず警戒さえもしなかったのだ。
 男は幌馬車に戻り、コンテナの中にある葡萄を一房ムニメィに手渡す。
 ムニメィは、首を横に傾げた。
「それやるよ。好きな女の子とでも、食え」
「……」
 ムニメィは掌にある、葡萄をじっと見つめている。
「ブドウ」
 気のせいだろうか。この少年の口元が、少し緩んだ気がする。
(ちゃんと笑ったり、出来るじゃねえかよ……少し安心したぜ)
 男はムニメィに向かって、手を振った。
「俺は、ザックス。週の始まりと週末に、荷物届けに来てるからまた会うと思うぜ」
「僕は、ムニメィ=リスィです」
 変わった響きの名前だ。帝国の子では、ないだろう。
 ムニメィは頭を下げて、裏門から出て行った。
 大事そうに、葡萄を抱えながら。
 音楽のように、梢の葉擦れ音が鳴った。
 今は、星流の節。今までの星が流れ新しい季節が始まるので、この名前が付けられた。
 アルストレンジの大半が、今節を年度始めとしている。
 ザックスが働く運送屋にも、活きのいい新人が三人入って来た。
 こんな仕事だ。日中は太陽に照らされ、みんな肌が浅黒い。
(あのガキ……肌の色、真っ白だったな)
 葡萄を知らなかったり、彼から放たれる「強者」のオーラだったり、警戒心を持っていなかったり。
 不思議な、子供だ。
「葡萄の言い訳、どうしよう……マジでローズさんに殺されるんじゃねーか。俺」







 数十分後。公園のベンチに、座っているムニメィ。
 楽しそうに遊ぶ子供達の笑い声に、口元が綻ぶ。
 あれから要塞教会から徒歩五分のサンドイッチ専門店で、ブルーベリーとレアチーズのクリームサンドとあんバターサンドとセットドリンクのカフェオレを買った。
  店内は、若い女性しか居なかった。来る場所を間違えたかとも思ったが、先程の葡萄に合いそうな食べ物でパッと思いつくのがサンドイッチしかない。
 やはり大自然の中で、食べる食事は美味い。
 ものすごく、視線を感じる。
 粘り気のある、異性からの視線だ。
 ムニメィが顔を上げると、ヴァイオレットの髪をした乙女がこちらを見下げている。
 チェン国を連想させるデザインのロリータドレスに身を包み、髪型もチェン国風のシニヨン。
 ヴァイオレットの髪からは、ふんわりとフラワーブーケの香りがする。
 ムニメィは少女の顔を見て、眉を顰めた。
 目鼻口、全てのパーツが爽乃と一緒なのだ。
 双子にしては、この少女は爽乃よりも若い。
 沈黙の間に痺れを切らしたのか、少女が口を開いた。
「可愛い女の子で、ございますです~。そのあずきサンド、私ちゃんが行った時には売り切れていたんですます。私ちゃんのマンゴーシトラスサンドと、一切れ交換してくれませんか?」
 甘い砂糖菓子のような、声。爽乃よりワントーン高いが、声は一緒だ。
「僕は男です」
「そう言う感じの子、なんですね~」
 少女は、全くこちらの話を聞いていない。
 この手の相手の誤解を解くのは、エネルギーの消耗が激しい。得られる成果は、消費したエネルギーに見合わないであろう。
 ムニメィは、敢えて訂正しなかった。
 ムニメィがあずきサンドに手を伸ばすよりも先に、少女はムニメィの横へ座りあずきサンドを食べている。
 おいしそうに食べていたのも、束の間。少女の顔が、夜叉のような形相に変貌した。
「うぇっ! これ、つぶあんじゃないですか~! 私ちゃん、こしあんじゃないと食べられないのに! 言って下さいよ~!」
「見たら、分かるじゃないですか」
 少女は頬を栗鼠のように膨らませて、抗議を続けた。
「私ちゃんの、マンゴーシトラスサンド返して下さいですます~! あずきサンド返しますから」
 ムニメィは、口にマンゴーシトラスサンドを含んでいた。後の祭とは、まさにこのこと。
「おえっ……シャンプーの味だ。これにお金を、払ったんですか?」
「はぁあ!? 返してください~!」
 少女が腕を、こちらへと伸ばして来る。
 ムニメィは彼女の腕を払うつもりだったが、手が彼女の乳房に当たってしまった。
「もう、仕方ないですます~。触って良いのは、触られる覚悟がある娘だけですよ?」
「はい……?」
「私ちゃん達、女の子同士じゃないですか」
「僕、男です!! ごめんなさい!!」
 ムニメィは飛び上がり、その勢いのまま地面に頭をつけた。
 人生でこんな土下座を決めたのは、初めてだ。
「僕っ娘ちゃんも、守備範囲内ですます~。寧ろ大好物でございますです」
 少女がムニメィに、覆い被さる。目と鼻の距離に迫る、爽乃そっくりの顔。
 ムニメィの胸は、ドクンと高鳴る。
 数秒後。少女が甲高い悲鳴を上げて、真っ青になりつつ後退する。
「ど、ど、どうして、男だって、言わないんですかぁ!?」
「何回も、言ってます」
「私ちゃん、死ぬほど男が嫌いなんですます。この世の男と言う男の性器を、輪切りにするって決めてるくらいには……」
 少女から、ただならぬ殺気を感じる。
 親の仇を目にした時の復讐者のようでいて、この殺気だけで五臓六腑が機能停止をするようなーー絶対に殺してやるんだ! と言う強い意志を、感じる。
 こんな殺気を放つ人間、特務部隊にも居ない。
(もしかして、彼女が特務の祖!?)
 ムニメィ=リスィは、天然であった。
 生き延びる方法を、巡らせる。
 しかし、何も浮かばないのである!
(あ、ヤバい。今日は、僕の命日だ。お昼を食べに、出かけただけなのに)
「で、でも……いきなり輪切りは、可哀想な気もしますですますぅ。下僕になるなら、許してあげてもいいですけどぉ。私ちゃん、菫架すみかって言いますですぅ」
 頬を紅潮させながら、菫架すみかは言った。
「? 元から、下僕ですが……僕は、ムニメィ=リスィです」
「えっ?」
 こうして勘違いから、二人の関係は始まった。
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