18 / 34
0章
13夜 Maybe navy baby 後編
しおりを挟む
アリエノ村の人々は、キースを捕まえて好き放題世間話を繰り広げた。
うちの畑の領土に隣の家の野菜がなっているだの、あの家の娘さんと息子さんが祖父母の葬式が終わった夜に営んでいただの、若い者は都会で独立して人格が変わるだの、魔獣を見かけたとスペルビアに言っても取り合って貰えないだの愚痴ばかり。
田舎の娯楽は悪口か、噂話しかない。
今は教会を、スペルビアに案内して貰っている。
アリエノ教会は塔型の教会だ。一階に礼拝堂があり、二階に食堂や医務室があり、三階には各部隊の事務所後があった。
昔は賑わっていたのかもしれないと思うと、少し寂しい気もする。
「あの……パトロールとか、行かなくて良いんですか?」
「いいよ、いいよ。あの人らは、愚痴を言いたいだけだから。魔獣が出たら、何とかするからさ。そもそも、魔獣なんて出ないけどね」
何かあってからでは、遅いだろう。何かを防ぐのも、魔獣退治部隊の仕事ではないか?
「レイバン君、なんでそんな冷たい顔するの? 僕、何か変なこと言った?」
あ。ダメだ。この人。話が通じない。
キースの直感が、そう告げる。
虚無も同じことを思っているのか、スペルビアと目を合わせようともしていない。
立ち耳兎型の使い魔なのに、耳は垂れ下がっている。
スペルビアが「そうだ」と、何かを思い出したように口を開いた。
「ムニメィ=リスィって、知ってるかな?」
「ムニメィ……? 知らないですね」
「あー、じゃあ出世はしてないんだ。社交的な方、じゃないからねぇ」
スペルビアは満面に愉悦の色を、浮かべている。
「要塞教会に、居る人なんですか?」
「うん。ここの前任でね。陰気な子供なんだよ。喋るだけで、周りを盛り下げちゃうような子」
「はぁ……」
「彼の後釜が僕なんだけどさ。碌に引き継ぎもせず、要塞教会に行ってしまって。馬鹿でかい、機械だけ残しててさぁ。あんな物あっても、使い方分からないのに」
「はぁ……」
虚無の耳が、ぴょこりと起立した。
ウキウキしているようにも見える。
「機械見たいの? 虚無ちゃん」
「……」
小さく首肯する虚無を見て、スペルビアは鼻で笑った。
「使い魔には、使えないと思うけどね」
虚無はスペルビアに目もくれず、廊下を突き進んで行く。
二階の廊下の突き当たりが、機械の部屋らしい。
扉を開けると、事務机に数多の薄い板のような機械が置かれている。
黒ベースの機械なのだが、面積の大半はグレーの液晶のようなものが嵌め込まれている。
虚無がテーブルによじ登ろうとしたので、キースは彼女を抱えてやる。
虚無はスイッチを押すと、IDとパスワードの入力画面が表示された。
「あいでぃー?」
「パスワード?」
スペルビアとキースが、二人で首を傾げる。そもそもこの機械が、何をするものかすら分かっていない。
「虚無ちゃん、分かるの?」
「……」
虚無は、首を横に振る。
「なんだよ、分からないのかよ~」
スペルビアは、はぁああと仰々しい溜息を吐いた。
「お前も、分からねぇんだろ。他人に言うなよ、デク野郎」
「ヴァニたーん!!」
キースは慌てて虚無の口を手で覆い、頭を下げた。
文字盤の横に置かれている、鼠のような機械が少し浮いている。
机との間に、何か挟まってるのだろうか? キースは、鼠のような機械をどけてみる。
すると、小さな青色のカードのようなものが現れた。
「何ですかね、コレ」
「僕に聞かないでくれる? リスィ君の忘れ物じゃない?」
キースはリュックサックのサイドポケットに、青いカードをしまった。
「ヴァアーヴルルルルル!! ヴァアーヴルルル!!」
虚無が一心不乱に、床を駆け巡り始める。
言葉にならない奇声を発しているが、リズムと音程に聞き覚えがあった。
王国の魔獣が出現した時になる、警報音そっくりなのだ。
突如数多ある板型の機械が、光り出した。液晶には
『魔獣発生! 個体情報を解析中!』と、メッセージが表示された。
「スペルビアさん、魔獣を倒しに行かないと!」
「試験の一環でしょ? 君一人で、やって来なよ。ちゃんとやってたって、評価しとくからさ」
どれだけ動きたくないんだ。この人は……。スペルビアの嫌悪感を通り越して、無関心の域に達してしまった。
虚無は落ち着く気配がなく、部屋の物を手当たり次第に投げ付けている。
どう見ても、おかしい。使い魔と魔獣は対極にある存在らしく、魔獣の魔力にとても弱いと聞いた。
魔獣も同様に使い魔の魔力は弱点となるので、使い魔の中では対魔獣戦闘用特化の品種も居るらしい。
この人間を動かすよりも、自分が動く方が早い。
ルータスやいつきに稽古を、つけて貰ったのだ。大丈夫。やれる! そんな確信が、あった。
キースは部屋を飛び出し、階段を駆け降りた。
*
村の広場から、騒ぎがする。
虚無の奇声のボリュームも、上がりつつある。
魔獣が居ると見て、間違いないだろう。
騒ぎの方を見ると、予想通り魔獣が三体居る。
犬型の個体で、サイズは中型犬ほど。
魔獣の中では弱い種類に入るが、老婆が取り囲まれてしまっている。
(あのおばあさんを、助けないと!)
キースは虚無をベンチの影に隠し、ここで待つよう伝える。
虚無は、力なく小さく頷いた。
恐怖で支配された顔。
これからの未来を想像出来なく、絶望に打ちひしがれる顔。
自分が、守らねばならない。この使い魔も、この村も。
キースはオートマチック拳銃を取り出し、魔獣の脚に一発撃ち込んだ。
(これでしばらくは、動けない筈……)
しかしキースの予想に反して、魔獣の脚はみるみる再生していく。
撃たれた魔獣はキースをターゲットに変え、キースの右肩に噛み付いた。
残り二体の魔獣も、キースに向かって来る。
キースの手から、銃が滑り落ちた。
訓練を受けていない一般市民なら、痛みで気絶するほどのダメージだ。
そんなダメージを負った肩で、もう銃は握れない。
キースは、今になって自身のミスに気付いた。
(そっか……魔体に、先に変身しなきゃいけないのはこう言うことか。俺がやられないように……やられたら、誰も救えない)
他人を助けたい一心で、飛び出してしまった。
ジャスティスシリーズの、台詞を思い出す。
「勇気は、無謀にもなるのだ。ジャスティス。
『助けたい』と言う気持ちだけじゃ、他人は救えない。無い筈の力は湧いて来ないし、都合良く助けも来ない」
仲間がみんなやられ最後の一人となった、ジャスティスに突き付けられた言葉だ。
敵は元トップ勇者のアーロンで、世界滅亡を試みていた。
ジャスティスは勇者で主人公だから、敵の言葉を覆せた。
だけど、キースには無理だ。
力は湧き上がって来なく、助けてくれる仲間は居ない。
これが、敗北と言うやつか。
「虚無ちゃん、逃げて……」
うさぎの穴にでも下りて、楽しく幸せな世界に辿り着けますように。
首を横へ振る、虚無。
その瞳には、闘志と決意の炎が宿っていた。
虚無の体は光に包まれ、みるみる変化していく。
五本指の手、張りのある肌、サイレントスノーの腰までかかるロングヘアー、空よりも気高く海よりも深い蒼の瞳。
軍服を連想させるワンピースを着た、深窓の令嬢のような美少女。
頭の兎の立ち耳は、ピクピクと動いている。
「虚無ちゃん……ですか?」
「はい。私はうさぎさんファミリーズタイプ 虚無。貴方の呼び方は、チワワにチワワちゃんと言うようなもの。今は、良いでしょう。一食の恩があるから、何とかしてあげましょう」
虚無は、兎と青いハートを司った杖を構える。
「主よ 罪人の濁りと穢れを、其方に代わり禊ぎ払うことを赦したまえ。罪人の混濁は、不遜、傲慢、無知。鉄の処女よ。罪人の罪を禊ぎ、白河へと流さん」
地面ーー奈落の底から、鉄の処女が這い上がって来た。
重たい扉が開いたかと思えば、魔獣三体は中へと吸い込まれて行く。
SF小説のダークホールのような、鉄の処女の中から、つんざくような金属音が連続で聞こえる。
魔獣の身体を引き裂いているのだろう。
内臓をも引き裂く、鋭利な刃の音がする。
キースはその音を聞くだけで、身震いしてしまう。
まるで自分が拷問を受けているかのような錯覚を覚え、手足がきちんとついているか見た。
(あ……れ? 俺の手足、だよな。なんだろう。間違えて、他人のスニーカーを履いてしまったような感覚だ)
急に不安に、陥るキース。
彼の思考を掻き消すように、鉄の処女の扉が開いた。
見るも無惨な魔獣だったモノが現れ、キースは視線を逸らした。
もう死んでしまっている。脅威のない、器だけの存在。
姿が犬型だからだろうか。少し可哀想な気もした。
「無事終わって良かったよ~。君の使い魔、強いんだねぇ。まぁ戦えない使い魔なんて、居ないけどさ。主人、要らないんじゃない?」
スペルビアがヘラヘラ笑いながら、村人に家に帰るように告げた。
キースは、ギリギリと歯軋りした。
虚無ちゃんは、怖がってたのに助けてくれたんだ! 貴方は何とも、思わないのか! 何もしてない癖に、言うな!
駄目だ。どの言葉を口にしても、こいつには響かない。
何よりーー
(俺だって、何も出来なかったじゃないか。まだまだだ……精進しないと)
知らなかった。新しいことを出来た達成感より、出来なかったことの苦しみを知った方がバネになるなんて。
*
数日後。キースの元に「世界保安団採用通知書」とイニシター リーランドからの手紙が届いた。
キースは嬉しさより、驚きが勝っている。
イニシター リーランドと言えば、魔獣退治部隊のトップだ。
呼び出しの用件の内容とは言え、手紙を届くことの意味を勘繰ってしまう。
キースはイニシターの執務室の前で、何十回目か分からない深呼吸をした。
(もう十分前だし……時間ピッタリは、心象悪いよな。よし、入ろう)
ノックをすると「入んなさい」と、訛りのある気怠げな声が返って来た。
キースは「失礼します」と言いつつ、中に入る。
床に散乱している、書き損じた書類。ゴミ箱の横に落ちている、菓子の袋。部屋の隅の、萎れた観葉植物、床に直置きされたファイルや魔獣退治部隊の歴史便覧たち。執務机に並ぶ、数多のマグカップや牛乳瓶。
想像とかけ離れた執務室内に、キースは瞬きを繰り返した。
「あー。ごめんねぇ。グランデスタが居ないから、一人で頑張って片付けたんだけど。間に合わなかったわ」
「い、いや、お気になさらず」
イニシターは掌で、キースにソファーに腰掛けるよう促した。
ソファーはソファーで、イニシターの上着や食べた後の皿や猫じゃらしが置かれている。
「猫、飼ってるんですか?」
「いや? グランデスタに『この部屋で、飼うとか信じられません。寝言は寝てから言ってください』って怒られたから、イマジナリー猫ちゃんと遊ぶようの玩具よ。ほ~ら。ぷにまるちゃ~ん。わ~! ぷにまるちゃん、ジャンプ上手いねぇ……。天才猫ちゅわんでちゅか~?」
太い声で笑いながら、楽しそうに一人で猫じゃらしを振る中年男性。
(きっと激務で、病んでるんだな……可哀想に)
虚無がゲージから飛び出して、猫じゃらしに飛びつく。
その跳躍で猫じゃらしを捕らえ、奪い去った。
本棚の上で、猫じゃらしの先端のボールに齧り付いている。
「「かわいい~!! 天才うさちゃん~!!」」
イニシターは取り直すように、小さく咳払いした。
「キース レイバン君。君は合格なことに、さぞ驚いているだろう」
「はい」
イニシターはフーッと息を吐き、温柔な視線を向けた。
「そうね。魔体に変身しなかったこと、頼りない奴とは言え上官に従わなかったこと、村人の避難をしなかったこと、本部に連絡しなかったこと。とても合格とは、言えない。本来は試験用の魔獣人形が相手なんだけど、ティミッドが用意をしてなかった。あの犬型のは、本当に不測の事態だったのよ」
キースは、戦慄した。
もし虚無が魔獣を倒せていなかったら、村は壊滅していたに違いない。
「これは、ベヴィンキーの意見。虚無型は使い魔の中でも扱いが難しくて、人間に心を開かない。その虚無型が、君に協力した。結果、村は救われた。それを評価しないのは、余りに報われないのではないか。
次は、第一隊隊長アリベルトの意見。お前さんは、幼少期から魔獣の襲撃を『受け過ぎている』のよ。それなら、強い仲間と切磋琢磨して強くなった方が良いんじゃない? って意見ね。もし魔獣を呼ぶ体質か何かなら、こちらにとっては好都合なのもある。
最後に、俺の意見。虚無がお前さんを助けたのは、お前さんが危険を顧みず他人の為に動ける優しい子だから。射撃技術とか、魔術の腕よりも、頭の良さよりも、正しい心を持ってることが一番大事よ。そうしたら、人は必ずついてくるから。恩師の受け売りだけどね」
そう言って、イニシターはにっこりと笑う。
なんて、素敵な言葉だろうか。キースの緊張で凍り切った心の氷は、イニシターの温かさで溶け切った。
「ようこそ。歓迎するわよ~。キース レイバン君。頑張ってね。そうしたら、俺の仕事減るし」
この人も、仕事したくない人かよ!
それなのに、不思議と不快感はない。
(そっか。ティミッドと同じく仕事したくない人だけど、他人への敬意があるんだ……)
イニシターは素敵な、人間だと思う。ティミッドは、ああはなりたくない大人だ。
素敵だと大人の背中を追いかけて、ああはなりたくないと思う人間の背中を追い越す。
そうやって、大人になっていくのだろう。
この頃のキースは、知る由もなかった。自分が世界を、揺るがす計画に巻き込まれていることに。
Biblio Take0章 Fin
うちの畑の領土に隣の家の野菜がなっているだの、あの家の娘さんと息子さんが祖父母の葬式が終わった夜に営んでいただの、若い者は都会で独立して人格が変わるだの、魔獣を見かけたとスペルビアに言っても取り合って貰えないだの愚痴ばかり。
田舎の娯楽は悪口か、噂話しかない。
今は教会を、スペルビアに案内して貰っている。
アリエノ教会は塔型の教会だ。一階に礼拝堂があり、二階に食堂や医務室があり、三階には各部隊の事務所後があった。
昔は賑わっていたのかもしれないと思うと、少し寂しい気もする。
「あの……パトロールとか、行かなくて良いんですか?」
「いいよ、いいよ。あの人らは、愚痴を言いたいだけだから。魔獣が出たら、何とかするからさ。そもそも、魔獣なんて出ないけどね」
何かあってからでは、遅いだろう。何かを防ぐのも、魔獣退治部隊の仕事ではないか?
「レイバン君、なんでそんな冷たい顔するの? 僕、何か変なこと言った?」
あ。ダメだ。この人。話が通じない。
キースの直感が、そう告げる。
虚無も同じことを思っているのか、スペルビアと目を合わせようともしていない。
立ち耳兎型の使い魔なのに、耳は垂れ下がっている。
スペルビアが「そうだ」と、何かを思い出したように口を開いた。
「ムニメィ=リスィって、知ってるかな?」
「ムニメィ……? 知らないですね」
「あー、じゃあ出世はしてないんだ。社交的な方、じゃないからねぇ」
スペルビアは満面に愉悦の色を、浮かべている。
「要塞教会に、居る人なんですか?」
「うん。ここの前任でね。陰気な子供なんだよ。喋るだけで、周りを盛り下げちゃうような子」
「はぁ……」
「彼の後釜が僕なんだけどさ。碌に引き継ぎもせず、要塞教会に行ってしまって。馬鹿でかい、機械だけ残しててさぁ。あんな物あっても、使い方分からないのに」
「はぁ……」
虚無の耳が、ぴょこりと起立した。
ウキウキしているようにも見える。
「機械見たいの? 虚無ちゃん」
「……」
小さく首肯する虚無を見て、スペルビアは鼻で笑った。
「使い魔には、使えないと思うけどね」
虚無はスペルビアに目もくれず、廊下を突き進んで行く。
二階の廊下の突き当たりが、機械の部屋らしい。
扉を開けると、事務机に数多の薄い板のような機械が置かれている。
黒ベースの機械なのだが、面積の大半はグレーの液晶のようなものが嵌め込まれている。
虚無がテーブルによじ登ろうとしたので、キースは彼女を抱えてやる。
虚無はスイッチを押すと、IDとパスワードの入力画面が表示された。
「あいでぃー?」
「パスワード?」
スペルビアとキースが、二人で首を傾げる。そもそもこの機械が、何をするものかすら分かっていない。
「虚無ちゃん、分かるの?」
「……」
虚無は、首を横に振る。
「なんだよ、分からないのかよ~」
スペルビアは、はぁああと仰々しい溜息を吐いた。
「お前も、分からねぇんだろ。他人に言うなよ、デク野郎」
「ヴァニたーん!!」
キースは慌てて虚無の口を手で覆い、頭を下げた。
文字盤の横に置かれている、鼠のような機械が少し浮いている。
机との間に、何か挟まってるのだろうか? キースは、鼠のような機械をどけてみる。
すると、小さな青色のカードのようなものが現れた。
「何ですかね、コレ」
「僕に聞かないでくれる? リスィ君の忘れ物じゃない?」
キースはリュックサックのサイドポケットに、青いカードをしまった。
「ヴァアーヴルルルルル!! ヴァアーヴルルル!!」
虚無が一心不乱に、床を駆け巡り始める。
言葉にならない奇声を発しているが、リズムと音程に聞き覚えがあった。
王国の魔獣が出現した時になる、警報音そっくりなのだ。
突如数多ある板型の機械が、光り出した。液晶には
『魔獣発生! 個体情報を解析中!』と、メッセージが表示された。
「スペルビアさん、魔獣を倒しに行かないと!」
「試験の一環でしょ? 君一人で、やって来なよ。ちゃんとやってたって、評価しとくからさ」
どれだけ動きたくないんだ。この人は……。スペルビアの嫌悪感を通り越して、無関心の域に達してしまった。
虚無は落ち着く気配がなく、部屋の物を手当たり次第に投げ付けている。
どう見ても、おかしい。使い魔と魔獣は対極にある存在らしく、魔獣の魔力にとても弱いと聞いた。
魔獣も同様に使い魔の魔力は弱点となるので、使い魔の中では対魔獣戦闘用特化の品種も居るらしい。
この人間を動かすよりも、自分が動く方が早い。
ルータスやいつきに稽古を、つけて貰ったのだ。大丈夫。やれる! そんな確信が、あった。
キースは部屋を飛び出し、階段を駆け降りた。
*
村の広場から、騒ぎがする。
虚無の奇声のボリュームも、上がりつつある。
魔獣が居ると見て、間違いないだろう。
騒ぎの方を見ると、予想通り魔獣が三体居る。
犬型の個体で、サイズは中型犬ほど。
魔獣の中では弱い種類に入るが、老婆が取り囲まれてしまっている。
(あのおばあさんを、助けないと!)
キースは虚無をベンチの影に隠し、ここで待つよう伝える。
虚無は、力なく小さく頷いた。
恐怖で支配された顔。
これからの未来を想像出来なく、絶望に打ちひしがれる顔。
自分が、守らねばならない。この使い魔も、この村も。
キースはオートマチック拳銃を取り出し、魔獣の脚に一発撃ち込んだ。
(これでしばらくは、動けない筈……)
しかしキースの予想に反して、魔獣の脚はみるみる再生していく。
撃たれた魔獣はキースをターゲットに変え、キースの右肩に噛み付いた。
残り二体の魔獣も、キースに向かって来る。
キースの手から、銃が滑り落ちた。
訓練を受けていない一般市民なら、痛みで気絶するほどのダメージだ。
そんなダメージを負った肩で、もう銃は握れない。
キースは、今になって自身のミスに気付いた。
(そっか……魔体に、先に変身しなきゃいけないのはこう言うことか。俺がやられないように……やられたら、誰も救えない)
他人を助けたい一心で、飛び出してしまった。
ジャスティスシリーズの、台詞を思い出す。
「勇気は、無謀にもなるのだ。ジャスティス。
『助けたい』と言う気持ちだけじゃ、他人は救えない。無い筈の力は湧いて来ないし、都合良く助けも来ない」
仲間がみんなやられ最後の一人となった、ジャスティスに突き付けられた言葉だ。
敵は元トップ勇者のアーロンで、世界滅亡を試みていた。
ジャスティスは勇者で主人公だから、敵の言葉を覆せた。
だけど、キースには無理だ。
力は湧き上がって来なく、助けてくれる仲間は居ない。
これが、敗北と言うやつか。
「虚無ちゃん、逃げて……」
うさぎの穴にでも下りて、楽しく幸せな世界に辿り着けますように。
首を横へ振る、虚無。
その瞳には、闘志と決意の炎が宿っていた。
虚無の体は光に包まれ、みるみる変化していく。
五本指の手、張りのある肌、サイレントスノーの腰までかかるロングヘアー、空よりも気高く海よりも深い蒼の瞳。
軍服を連想させるワンピースを着た、深窓の令嬢のような美少女。
頭の兎の立ち耳は、ピクピクと動いている。
「虚無ちゃん……ですか?」
「はい。私はうさぎさんファミリーズタイプ 虚無。貴方の呼び方は、チワワにチワワちゃんと言うようなもの。今は、良いでしょう。一食の恩があるから、何とかしてあげましょう」
虚無は、兎と青いハートを司った杖を構える。
「主よ 罪人の濁りと穢れを、其方に代わり禊ぎ払うことを赦したまえ。罪人の混濁は、不遜、傲慢、無知。鉄の処女よ。罪人の罪を禊ぎ、白河へと流さん」
地面ーー奈落の底から、鉄の処女が這い上がって来た。
重たい扉が開いたかと思えば、魔獣三体は中へと吸い込まれて行く。
SF小説のダークホールのような、鉄の処女の中から、つんざくような金属音が連続で聞こえる。
魔獣の身体を引き裂いているのだろう。
内臓をも引き裂く、鋭利な刃の音がする。
キースはその音を聞くだけで、身震いしてしまう。
まるで自分が拷問を受けているかのような錯覚を覚え、手足がきちんとついているか見た。
(あ……れ? 俺の手足、だよな。なんだろう。間違えて、他人のスニーカーを履いてしまったような感覚だ)
急に不安に、陥るキース。
彼の思考を掻き消すように、鉄の処女の扉が開いた。
見るも無惨な魔獣だったモノが現れ、キースは視線を逸らした。
もう死んでしまっている。脅威のない、器だけの存在。
姿が犬型だからだろうか。少し可哀想な気もした。
「無事終わって良かったよ~。君の使い魔、強いんだねぇ。まぁ戦えない使い魔なんて、居ないけどさ。主人、要らないんじゃない?」
スペルビアがヘラヘラ笑いながら、村人に家に帰るように告げた。
キースは、ギリギリと歯軋りした。
虚無ちゃんは、怖がってたのに助けてくれたんだ! 貴方は何とも、思わないのか! 何もしてない癖に、言うな!
駄目だ。どの言葉を口にしても、こいつには響かない。
何よりーー
(俺だって、何も出来なかったじゃないか。まだまだだ……精進しないと)
知らなかった。新しいことを出来た達成感より、出来なかったことの苦しみを知った方がバネになるなんて。
*
数日後。キースの元に「世界保安団採用通知書」とイニシター リーランドからの手紙が届いた。
キースは嬉しさより、驚きが勝っている。
イニシター リーランドと言えば、魔獣退治部隊のトップだ。
呼び出しの用件の内容とは言え、手紙を届くことの意味を勘繰ってしまう。
キースはイニシターの執務室の前で、何十回目か分からない深呼吸をした。
(もう十分前だし……時間ピッタリは、心象悪いよな。よし、入ろう)
ノックをすると「入んなさい」と、訛りのある気怠げな声が返って来た。
キースは「失礼します」と言いつつ、中に入る。
床に散乱している、書き損じた書類。ゴミ箱の横に落ちている、菓子の袋。部屋の隅の、萎れた観葉植物、床に直置きされたファイルや魔獣退治部隊の歴史便覧たち。執務机に並ぶ、数多のマグカップや牛乳瓶。
想像とかけ離れた執務室内に、キースは瞬きを繰り返した。
「あー。ごめんねぇ。グランデスタが居ないから、一人で頑張って片付けたんだけど。間に合わなかったわ」
「い、いや、お気になさらず」
イニシターは掌で、キースにソファーに腰掛けるよう促した。
ソファーはソファーで、イニシターの上着や食べた後の皿や猫じゃらしが置かれている。
「猫、飼ってるんですか?」
「いや? グランデスタに『この部屋で、飼うとか信じられません。寝言は寝てから言ってください』って怒られたから、イマジナリー猫ちゃんと遊ぶようの玩具よ。ほ~ら。ぷにまるちゃ~ん。わ~! ぷにまるちゃん、ジャンプ上手いねぇ……。天才猫ちゅわんでちゅか~?」
太い声で笑いながら、楽しそうに一人で猫じゃらしを振る中年男性。
(きっと激務で、病んでるんだな……可哀想に)
虚無がゲージから飛び出して、猫じゃらしに飛びつく。
その跳躍で猫じゃらしを捕らえ、奪い去った。
本棚の上で、猫じゃらしの先端のボールに齧り付いている。
「「かわいい~!! 天才うさちゃん~!!」」
イニシターは取り直すように、小さく咳払いした。
「キース レイバン君。君は合格なことに、さぞ驚いているだろう」
「はい」
イニシターはフーッと息を吐き、温柔な視線を向けた。
「そうね。魔体に変身しなかったこと、頼りない奴とは言え上官に従わなかったこと、村人の避難をしなかったこと、本部に連絡しなかったこと。とても合格とは、言えない。本来は試験用の魔獣人形が相手なんだけど、ティミッドが用意をしてなかった。あの犬型のは、本当に不測の事態だったのよ」
キースは、戦慄した。
もし虚無が魔獣を倒せていなかったら、村は壊滅していたに違いない。
「これは、ベヴィンキーの意見。虚無型は使い魔の中でも扱いが難しくて、人間に心を開かない。その虚無型が、君に協力した。結果、村は救われた。それを評価しないのは、余りに報われないのではないか。
次は、第一隊隊長アリベルトの意見。お前さんは、幼少期から魔獣の襲撃を『受け過ぎている』のよ。それなら、強い仲間と切磋琢磨して強くなった方が良いんじゃない? って意見ね。もし魔獣を呼ぶ体質か何かなら、こちらにとっては好都合なのもある。
最後に、俺の意見。虚無がお前さんを助けたのは、お前さんが危険を顧みず他人の為に動ける優しい子だから。射撃技術とか、魔術の腕よりも、頭の良さよりも、正しい心を持ってることが一番大事よ。そうしたら、人は必ずついてくるから。恩師の受け売りだけどね」
そう言って、イニシターはにっこりと笑う。
なんて、素敵な言葉だろうか。キースの緊張で凍り切った心の氷は、イニシターの温かさで溶け切った。
「ようこそ。歓迎するわよ~。キース レイバン君。頑張ってね。そうしたら、俺の仕事減るし」
この人も、仕事したくない人かよ!
それなのに、不思議と不快感はない。
(そっか。ティミッドと同じく仕事したくない人だけど、他人への敬意があるんだ……)
イニシターは素敵な、人間だと思う。ティミッドは、ああはなりたくない大人だ。
素敵だと大人の背中を追いかけて、ああはなりたくないと思う人間の背中を追い越す。
そうやって、大人になっていくのだろう。
この頃のキースは、知る由もなかった。自分が世界を、揺るがす計画に巻き込まれていることに。
Biblio Take0章 Fin
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる