3 / 48
公爵家の忌子
しおりを挟む
この国のインフラは、その地を治める王侯貴族の魔力によって支えられている。千年を超える安定した王政が続いてきたのはひとえに魔力の賜物で、魔力こそがローナ王国を支える礎なのである。
高位の貴族が魔力を持っていないなど、あってはならないことだ。魔力を持たない貴族の子は忌子と呼ばれ、呪われた存在と言われている。彼らは生後すぐに秘密裏に処理される。すなわち、平民街の孤児院に入れられるか、存在を亡きものにされるのだ。
ルクレツィアは生まれた時から魔力を持っていない。しかし、その容姿から、孤児院に入れることはできなかった。青銀の髪もヴィクトリアブルーの瞳も、王家に連なるものとしか思えない貴色なのだから。
加えて妻の忘れ形見であるルクレツィアを、公爵は手放すことができなかった。上の二人の子は明るい茶髪で顔立ちも公爵似であるのに対し、ルクレツィアは色も顔のつくりも亡き妻ジュリエッタに生き写しだった。
公爵は屋敷の限られたエリアで、家族と一部の使用人の手によってルクレツィアを育てた。
魔力がないせいかルクレツィアは病弱で、実年齢よりもかなり幼く見える。そんなルクレツィアが哀れで愛おしくて、公爵家の者はルクレツィアに深い愛情を注いだ。
今年十六歳になったルクレツィアは、成人の祝いに望みを問われ王立劇場で歌劇が見たいと答えた。
魔道蓄音機で歌劇を聴くのがルクレツィアは大好きだ。一度でいいから本物の歌劇を見てみたい。しっかり頭までフードを被っていれば大丈夫だと、姉オクタヴィアも言ってくれた。高貴な人のお忍びでありがちなスタイルなのだとか。
十六歳の春、体調の良い日を選んで、ルクレツィアは初めて屋敷の外に出た。騎士スタイルのオクタヴィアにエスコートされ、憧れの王立劇場で歌劇を見る。それは夢のような体験だった。荘厳な建物もそこにいる人々も歌劇を演じる役者達もその歌声も、何もかも夢のように美しくて、ルクレツィアの心をときめかせた。
歌劇『建国王カルロス』を堪能したあとは、貴族たちの社交の時間となる。
むろんルクレツィアには縁のない世界だが、すぐに屋敷に連れ帰らず、オクタヴィアは劇場内のテラスに連れて行ってくれるという。この劇場のテラスは広大な面積を誇り、国随一の庭師が手掛けた空中庭園になっている。
初めての外出に初めての劇場。ルクレツィアの気持ちはいつになく高揚していた。浮ついていたといってもいい。自動昇降階段に乗り背後を振り返った瞬間その高さに驚き、バランスを崩してしまった。足を踏み外して体が宙に浮く。オクタヴィアの差し伸べる手に向かって必死に手を伸ばしたが、ルクレツィアは階段から落下した。
ぎゅっと目を瞑り衝撃に備える。しかし落ちた先にいた誰かが受け止めてくれた。予想よりも軽い衝撃にほっとしながら目を開くと、逞しい大人の男性に抱き留められていた。
衣服越しにも高い体温が伝わってきて、恐怖に竦んだルクレツィアの体に再び血液が循環し始める。不思議なことに、見知らぬ他人の体温がひどく心地良かった。
ルクレツィアの手足は常に冷えきっているが、この男性に触れた部分から体が温まっていく。まるで生命力が流れ込んでくるような感覚だ。
「ルクレツィア……!」
焦燥に満ちたオクタヴィアの声がして、ルクレツィアはハッとした。外套のフードがめくれて、髪が露わになっている。絶対、脱いではいけないと言われていたのに――。
「殿下、お怪我はありませんでしたか」
「大事ない」
「従妹殿、この者は?」
「……私の身内です。危ないところをありがとうございました。大丈夫かい?」
オクタヴィアの問いかけに頷く。
姉の様子から、自分を抱き留めてくれた人が高貴な方であることを察した。しかし、この状況で自分が直接口をきいていいのかルクレツィアにはわからない。そんなルクレツィアの耳を、響きの良いバリトンがくすぐった。
「ルクレツィア」
まるで愛しい者の名みたいに呟かれ、ルクレツィアは思わず顔を上げた。兄と同じ年頃と思われる二十代半ばくらいの男性が自分を見下ろしていた。漆黒の髪と瞳、塑像のように整った男性的な美しい顔。ルクレツィアは声も出せずただ見惚れた。
それから貴賓室らしきところに連れていかれ話を聞くうちに、自分がとんでもない事態を引き起こしたことを知った。
第二王子ラファエロ・デ・ローナ――ルクレツィアを助けてくれた人は王族の中でも有名な人だった。建国王カルロス以来の全属性魔力を持つという第二王子。
その王子殿下はルクレツィアを己のつがいだと主張した。同席した王妃殿下まで二人を婚約させると言い出し、ルクレツィアは恐怖に身を強張らせた。
ルクレツィアは忌子だ。
公爵家に降嫁した直系王族から魔力のない娘が生まれるなんてあってはならないことだと家庭教師は言っていた。王子妃になどなれるわけもないのに。
「どうか、お許しください。わたくしには無理です……恐れ多くて……」
必死に絞り出した声は、震え掠れていた。
「そのお話は父となさってください。今日のところは退出をお許しいただきたい」
姉の言葉で貴賓室からは解放されたが、いったいこれからどうなるのだろう。父は王子の求婚を断ることができるだろうか。ルクレツィアが忌子であることを隠し通せるだろうか。
こんな自分を愛情深く育ててくれた家族は、ルクレツィアの全世界を構成している大切な人たちだ。その家族を、劇場に行きたいという自分の我儘のせいで窮地に陥れてしまった。ルクレツィアは何をどうすればいいのかわからず途方に暮れるのだった。
高位の貴族が魔力を持っていないなど、あってはならないことだ。魔力を持たない貴族の子は忌子と呼ばれ、呪われた存在と言われている。彼らは生後すぐに秘密裏に処理される。すなわち、平民街の孤児院に入れられるか、存在を亡きものにされるのだ。
ルクレツィアは生まれた時から魔力を持っていない。しかし、その容姿から、孤児院に入れることはできなかった。青銀の髪もヴィクトリアブルーの瞳も、王家に連なるものとしか思えない貴色なのだから。
加えて妻の忘れ形見であるルクレツィアを、公爵は手放すことができなかった。上の二人の子は明るい茶髪で顔立ちも公爵似であるのに対し、ルクレツィアは色も顔のつくりも亡き妻ジュリエッタに生き写しだった。
公爵は屋敷の限られたエリアで、家族と一部の使用人の手によってルクレツィアを育てた。
魔力がないせいかルクレツィアは病弱で、実年齢よりもかなり幼く見える。そんなルクレツィアが哀れで愛おしくて、公爵家の者はルクレツィアに深い愛情を注いだ。
今年十六歳になったルクレツィアは、成人の祝いに望みを問われ王立劇場で歌劇が見たいと答えた。
魔道蓄音機で歌劇を聴くのがルクレツィアは大好きだ。一度でいいから本物の歌劇を見てみたい。しっかり頭までフードを被っていれば大丈夫だと、姉オクタヴィアも言ってくれた。高貴な人のお忍びでありがちなスタイルなのだとか。
十六歳の春、体調の良い日を選んで、ルクレツィアは初めて屋敷の外に出た。騎士スタイルのオクタヴィアにエスコートされ、憧れの王立劇場で歌劇を見る。それは夢のような体験だった。荘厳な建物もそこにいる人々も歌劇を演じる役者達もその歌声も、何もかも夢のように美しくて、ルクレツィアの心をときめかせた。
歌劇『建国王カルロス』を堪能したあとは、貴族たちの社交の時間となる。
むろんルクレツィアには縁のない世界だが、すぐに屋敷に連れ帰らず、オクタヴィアは劇場内のテラスに連れて行ってくれるという。この劇場のテラスは広大な面積を誇り、国随一の庭師が手掛けた空中庭園になっている。
初めての外出に初めての劇場。ルクレツィアの気持ちはいつになく高揚していた。浮ついていたといってもいい。自動昇降階段に乗り背後を振り返った瞬間その高さに驚き、バランスを崩してしまった。足を踏み外して体が宙に浮く。オクタヴィアの差し伸べる手に向かって必死に手を伸ばしたが、ルクレツィアは階段から落下した。
ぎゅっと目を瞑り衝撃に備える。しかし落ちた先にいた誰かが受け止めてくれた。予想よりも軽い衝撃にほっとしながら目を開くと、逞しい大人の男性に抱き留められていた。
衣服越しにも高い体温が伝わってきて、恐怖に竦んだルクレツィアの体に再び血液が循環し始める。不思議なことに、見知らぬ他人の体温がひどく心地良かった。
ルクレツィアの手足は常に冷えきっているが、この男性に触れた部分から体が温まっていく。まるで生命力が流れ込んでくるような感覚だ。
「ルクレツィア……!」
焦燥に満ちたオクタヴィアの声がして、ルクレツィアはハッとした。外套のフードがめくれて、髪が露わになっている。絶対、脱いではいけないと言われていたのに――。
「殿下、お怪我はありませんでしたか」
「大事ない」
「従妹殿、この者は?」
「……私の身内です。危ないところをありがとうございました。大丈夫かい?」
オクタヴィアの問いかけに頷く。
姉の様子から、自分を抱き留めてくれた人が高貴な方であることを察した。しかし、この状況で自分が直接口をきいていいのかルクレツィアにはわからない。そんなルクレツィアの耳を、響きの良いバリトンがくすぐった。
「ルクレツィア」
まるで愛しい者の名みたいに呟かれ、ルクレツィアは思わず顔を上げた。兄と同じ年頃と思われる二十代半ばくらいの男性が自分を見下ろしていた。漆黒の髪と瞳、塑像のように整った男性的な美しい顔。ルクレツィアは声も出せずただ見惚れた。
それから貴賓室らしきところに連れていかれ話を聞くうちに、自分がとんでもない事態を引き起こしたことを知った。
第二王子ラファエロ・デ・ローナ――ルクレツィアを助けてくれた人は王族の中でも有名な人だった。建国王カルロス以来の全属性魔力を持つという第二王子。
その王子殿下はルクレツィアを己のつがいだと主張した。同席した王妃殿下まで二人を婚約させると言い出し、ルクレツィアは恐怖に身を強張らせた。
ルクレツィアは忌子だ。
公爵家に降嫁した直系王族から魔力のない娘が生まれるなんてあってはならないことだと家庭教師は言っていた。王子妃になどなれるわけもないのに。
「どうか、お許しください。わたくしには無理です……恐れ多くて……」
必死に絞り出した声は、震え掠れていた。
「そのお話は父となさってください。今日のところは退出をお許しいただきたい」
姉の言葉で貴賓室からは解放されたが、いったいこれからどうなるのだろう。父は王子の求婚を断ることができるだろうか。ルクレツィアが忌子であることを隠し通せるだろうか。
こんな自分を愛情深く育ててくれた家族は、ルクレツィアの全世界を構成している大切な人たちだ。その家族を、劇場に行きたいという自分の我儘のせいで窮地に陥れてしまった。ルクレツィアは何をどうすればいいのかわからず途方に暮れるのだった。
0
お気に入りに追加
341
あなたにおすすめの小説
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
魔術師の妻は夫に会えない
山河 枝
ファンタジー
稀代の天才魔術師ウィルブローズに見初められ、求婚された孤児のニニ。こんな機会はもうないと、二つ返事で承諾した。
式を済ませ、住み慣れた孤児院から彼の屋敷へと移ったものの、夫はまったく姿を見せない。
大切にされていることを感じながらも、会えないことを訝しむニニは、一風変わった使用人たちから夫の行方を聞き出そうとする。
★シリアス:コミカル=2:8
【完結】魔王様、溺愛しすぎです!
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
ファンタジー
「パパと結婚する!」
8万年近い長きにわたり、最強の名を冠する魔王。勇者を退け続ける彼の居城である『魔王城』の城門に、人族と思われる赤子が捨てられた。その子を拾った魔王は自ら育てると言い出し!? しかも溺愛しすぎて、周囲が大混乱!
拾われた子は幼女となり、やがて育て親を喜ばせる最強の一言を放った。魔王は素直にその言葉を受け止め、嫁にすると宣言する。
シリアスなようでコメディな軽いドタバタ喜劇(?)です。
【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう
【表紙イラスト】しょうが様(https://www.pixiv.net/users/291264)
挿絵★あり
【完結】2021/12/02
※2022/08/16 第3回HJ小説大賞前期「小説家になろう」部門 一次審査通過
※2021/12/16 第1回 一二三書房WEB小説大賞、一次審査通過
※2021/12/03 「小説家になろう」ハイファンタジー日間94位
※2021/08/16、「HJ小説大賞2021前期『小説家になろう』部門」一次選考通過作品
※2020年8月「エブリスタ」ファンタジーカテゴリー1位(8/20〜24)
※2019年11月「ツギクル」第4回ツギクル大賞、最終選考作品
※2019年10月「ノベルアップ+」第1回小説大賞、一次選考通過作品
※2019年9月「マグネット」ヤンデレ特集掲載作品
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】
僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。
※他サイトでも投稿中
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
【本編完結・番外編不定期更新】
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる