薄氷が割れる

しまっコ

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この部屋で目覚めた時、マリカは自分が誰なのかも、どこにいるのかも、わからなかった。 
頭がぼんやりして、ずっと暗闇の中にいるみたいだった。 
それでも不安がなかったのはレオンハルトが傍にいてくれたからだ。 
マリカの無事を涙ながらに喜んでくれたレオンハルト。 
黒い鬣を持つ獅子獣人のレオンハルトは、鎧のような筋肉をまとう美丈夫だ。
漆黒の瞳は切れ長で、男らしい精悍な顔には王者の貫禄がある。 
この国の皇帝で、優しくて美しいこの人がマリカの許嫁だという。 
熱で弱ったマリカを気遣い、甲斐甲斐しく食事やお風呂の世話をしてくれたレオンハルトの存在は空っぽのマリカを満たし、気が付けばマリカの心はレオンハルトでいっぱいになっていた。 
記憶が戻らなくても構わない、これから二人の時間を刻んでいけばいい――そう言ってくれたレオンハルトのことをマリカは大好きになった。 
二人は相思相愛の許嫁で、もうすぐマリカはレオンハルトの妃になる。レオンハルトが傍にいてくれれば、マリカの心はぽかぽか温かくなり、失った記憶のことも気にならなかった。 

「マリカ、身体は大事ないか。疲れていないか」
執務から戻ってきたレオンハルトは必ずそう問いかける。 
「私はもう大丈夫です。レオンハルト様こそお疲れではありませんか」 
「俺は丈夫にできている。たまっていた仕事があらかた片付いた。今日明日は二人でゆっくりしよう」 
「お庭に連れて行って下さいますか」 
ずっと部屋に閉じこもっていたマリカは、お外に出たくて仕方がなかった。 
「おまえが望むなら、いくらでも連れて行ってやる」 
ソファーに座ったレオンハルトはマリカを膝に乗せ、優しいキスをしてくれた。 
「ヒルデ、おまえも明日はゆっくり休んでくれ」 
「わかった。あまりマリカに無理をさせるなよ」 
ブリュンヒルデはマリカの頭をぽんぽんと撫でてから退室した。 
以前正気を失った獅子獣人の女性にマリカが乱暴されたことがあって、それ以来レオンハルトかブリュンヒルデのいずれかが必ずマリカの傍にいてくれる。 
特にブリュンヒルデは一緒にいる時間が長く、褒める時も叱るときも実の姉のように接してくれて、マリカは彼女が大好きだ。 
「夕餉も一緒がよかったのに」 
名残惜しくて後姿を視線で追うマリカをレオンハルトが抱き寄せた。
「俺では不満か」 
「不満なんて」 
マリカは首を振った。レオンハルトはいつも優しい。不満なんてあるはずもない。けれど、優しすぎて過保護なのではないかと思う。 
「排泄は済んだか?」 
真面目な顔で問いかけられ、マリカは頬を染めた。 
「恥ずかしがる必要はない。おまえが意識を失っていた間、身体を清めたり排泄の世話をしたのは俺だ」 
マリカは耳まで真っ赤になった。もうすぐ成人するというのに排泄の世話をしてもらうなんて、恥じるなという方が無理である。 
「まだなら食事の前に連れて行こう」 
抱き上げられてしまい、慌てて抵抗する。 
「もう一人で大丈夫です。こんなに元気になったんですもの」 
「遠慮するな。元気であっても、俺はつがいの世話をしたい。それはつがいを持つ雄の当然の欲求だ」 
そのまま浴室内のサニタリーに連れていかれる。
「レオンハルト様…… ! お願い、やめて。恥ずかしいの」 
「言っただろう。何も恥ずかしがる必要はない。おまえの健康管理をするのはつがいの義務であり権利だ」 
レオンハルトはすでにマリカの身体の隅々まで知り尽くしているのだろう。
それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。
涙の浮かんだマリカの瞳を見つめ、レオンハルトの頭上の耳がぺたんと角度を変えた。 
「許してくれ。狼獣人の血がさせることだ。向こうで待っているから」 
マリカは無言で頷いた。
レオンハルトは愛情深い人だ。マリカを困らせたいなんて思っていないはずだ。
獣人のつがいとして伴侶になる以上、マリカが慣れなければいけないのだろう。
マリカは無言でレオンハルトの首に抱きついた。 
「マリカ?」 
「慣れるように努力します。レオンハルト様……はしたないところを見ても嫌わないで」 
「俺がおまえを嫌いになるなどありえない。可愛らしいと思いこそすれ、はしたないと思ったことは一度もない」 
レオンハルトはマリカの顎をくいっと持ち上げ、優しいキスをしてくれた。 
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