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1章
大捕物
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「やはり…本当なんだな」
「うん、残念ながら、ね…」
俺からの視線に耐えかねたように、ジークが視線を逸らした。
キリトは何も言わずに机の上をじっと見ている。
「キリトから話を聞いた時は、エヴァンに何も言わないことも考えたんだよ?でも…俺だったら、言われない方が…その…」
「…ああ…分かってる」
俺は手元にある書類に目を戻す。
そこには、皇都で多発している婦女子連続誘拐事件の概要、調査結果、主犯の名前などが記されていた。
「エヴァン、レンタラ家は黒だ。それは間違いないよ。なにせ、内部告発な上に証拠もあるんだからね」
「内部告発ね…」
確かに記されている――『通報者 ベアトリス・レンタラ』と。
望んで知りたいと言ったが、冷静に受け入れられるとは言っていない。
報告にあるレンタラ伯爵たちのやっていることは、鬼畜の所業の一言であり、彼らは救いようのないクズだ。
「だが幸いにも、…いや、エヴァン…お前にとっては幸いでも何でもないが…彼女は義理の母親と妹が家に入ってからは屋敷の外に出ることはほとんど許されず、離れで使用人同然の暮らしをしていたという。伯爵が、恐らくカムフラージュのために許していた慈善活動くらいしか息抜きはなかっただろうと。これは過去の使用人たちからの証言でも明らかだ」
「つまり、何だ?」
まるで尋問のようなきつい声色に、キリトが苦い顔をし、ジークは溜息をついた。
「だから、捜査協力をしてくれた彼女には、十分に叙情酌量の余地があるってことをキリトは言いたいんだよ」
俺は二人から無理矢理に目を逸らした。
そうでもしないと友人に当たってしまいそうだからだ。
情状酌量だと?ここに記されている事が事実だとしたら、彼女はむしろ被害者だろうが!と。
報告にはこうある。
5年程前からレンタラ伯爵家の経済状況が悪化。
領地運営が上手くいっていない中での浪費癖に加え、遊牧民族との衝突に伴う臨時徴収の国税がその首を絞めた。
俺、いや、俺たちにもその戦いは記憶に新しい。
隣国との間にある山岳帯を勝手に「領地」とした彼らは、その領土を広げようと軍を率いてこのレンドール皇国および隣国に襲来した。
兵器の差で迅速に抑えることはできたが、各者それなりの犠牲を払った。
その復興のため、緊急事態時徴収金の名目で、伯爵家以上の家格には、その収益に応じて一定の割合を別途納付せよとのお触れが出たのだ。
その際、金策に走るレンタラ伯爵に話を持ちかけたのは、件の遊牧民族だという。
彼らの伝手と交通網を利用して商売しないか、と――これがレンタラ伯爵が人身売買に手を出したキッカケだ。
初めは娼婦や貧民街の子どもなど、いなくなっても騒ぎが大きくならない者たちを狙ったようだ。
だが、そのうちもっと稼ぎになると言われたのか、手口はエスカレートの一途を辿る。
そして極め付けが、あの身持ちの悪い男爵令嬢だ。
その際、少しでも見目を良くして高く売る算段だった伯爵は、ベアトリスに彼女の世話を任せたのだという。
それが、ベアトリスに不審を抱かせた瞬間だった。
酒でも飲んでいるのか、ベアトリスが呼ばれた時は常に朦朧としている彼女とは会話もままならないが、肌や髪、手や脚など、どう見ても商売女のそれではない。
彼女は一体何者なのか…?
長らく忘れていた長子としての勘が、警鐘を鳴らしたと言う。
「それで、彼女が調べて拠点の一つを発見したっていうのか。貴族令嬢が探偵の真似事を?」
「彼女というより、彼女の周囲の人間のようだけれどね。使用人同然の暮らしではあったようだが、彼女を慕う人間は多かったらしいよ。亡くなった伯爵夫人の生き写しだとかで」
ジークの言葉を、俺は鼻で笑った。
「探偵の真似事は協力しておいて、彼女の身を守ることはしてこなかったなんて、笑える忠誠心だな」
「エヴァン、使用人が主人に楯突くなんて現実的には不可能だろう?実権を握っているのは伯爵なんだからさ。それに、彼女が少なくとも身体的には健やかであることからも、秘密裏に守られていた可能性もあるよ」
「身体的虐待がなかったことを喜べとでも言っているのか?そりゃそうだろう。伯爵の中で、彼女は最も高額で売れる商品だったろうからな!」
「エヴァン!」
吐き捨てるように言った俺に、ジークの一喝が飛ぶ。
自分でもイラついている自覚はあるため、俺は心を落ち着けようと、ふーっと一つ息を吐いた。
「悪い…感情的になってる」
「…うん、分かっているよ」
黙り込んだ俺とジークを見やった後、キリトが重々しく口を開いた。
「エヴァン、事は一令嬢の身の上話に収まらん。人身売買は重罪であるし、ウィー族との犯罪的繋がりは愛国法違反の上、もし国家機密に関わる事を漏らしていた場合にはスパイ罪、渡していた情報いかんでは国家反逆罪に問われるやもしれん」
「ああ……死罪の可能性もあるな…」
伯爵の行ったことはそれ程の大事だ。
つまり、ベアトリスの協力の度合いは、彼女の命を救うことに繋がると言っても過言ではない。
「謀反の意思は皆無であることを周囲に印象付けるためにも、レンタラ伯爵の息のかかった者たちからの逆恨みを防ぐためにも、レンタラ伯爵令嬢の現場での捕縛は必要だ」
「っ!」
俺は机の上で爪が食い込む程強く拳を握った。
ジークとキリトは、事件の情報を開示しに来てくれただけではない。
この件を事前に俺に伝えるために来てくれたのだと分かった。
ベアトリスが、犯罪現場で捕縛される予定である、と。
「………決定事項なんだろう?」
「…うん、殿下の令は既に出ているよ。彼女も勿論承知だ」
だったら、俺のやるべき事は一つだ。
「なら、俺のとこも連れて行け」
ジークとキリトが目を見張る。
ベアトリスに何と言うべきか、何を聞くべきか、そして俺は何をすべきか。そんなことは現時点では分からない。
だが、彼女の最大の窮地に自分がいないなんて、考えられなかった。
「だが、お前たちの部隊は諜報部隊だろう?目立つ事は避けたいんじゃないのか?」
隊長でありながら事なかれ主義な俺がいつも言っていたことだ。
だが、第三部隊が現場に切り込めない程脆弱なわけではない。
俺は二人に向かって頭を下げた。
「頼む。その作戦に参加させてくれ」
暫く二人は無言だったが、俺が少しも折れる気配を見せないと悟ったのか、頭上から大きなため息が聞こえ、ポンと肩を叩かれた。
「仕方ないなぁ。そこまで麗しの姫君を助けに行く騎士になりたいって言うなら、協力してあげるよ。幼馴染のよしみでね」
ジークは気障ったらしく片目を瞑ってそう言うと、キリトに視線を投げた。
キリトはそれに応えるように一つ頷くと、ニッと片頬を上げた。
「俺たちにそこそこの権力があって良かったな!お前の隊を何人か組み組むなどわけない。任せろ!その代わりキビキビ働けよ!」
「ああ…!」
俺は心の底から二人に感謝した。
関係者に近い俺は、本来なら作戦から遠いところにいる方が良い。
だが、二人はそこを何とかしてくれると言っているのだ。
「迷惑かけて、すまないな…」
「いや、俺は、正直どこかホッとしているよ。今までの君を見てきた幼馴染としてはさ」
「え?」
どさりと椅子に座ったジークが、気怠げに前髪を梳く。
交わした言葉自体は少なかったが、内容が内容なだけに疲れたのだろう。
「ジークが言わんとしていることが、オレにも何となく分かるぞ。エヴァン、お前、今回は諦めないんだな」
「今回はって…」
隊服の上からも分かるほど逞しい腕を組んだキリトが、何事かを思い出すように、視線を上に漂わせる。
「エヴァンがこんなに必死になっているのを最後に見たのは、いつだ?思い出せん」
「あー、そうそう!そういうこと。エヴァンってさ、自分の感情とか考えとかに、常にリミッターを設けているよね」
ジークもキリトも、うんうんと感慨深そうに頭を振っている。
なんだ、それは。
「いや、分かるよ?侯爵家嫡男で、期待の星だもん。自分のことで周囲に迷惑掛けてはいけないって考えるのは、悪いことじゃあないよ」
「そうだな。むしろ、優秀な跡取りであれば当然かもしれん」
「何の話してんのか、よく分からないんだが?」
ジークは髪を無造作に縛り直すと、ニヤリと笑った。
ちなみに隣に座るキリトも同じしたり顔をしている。
「つまりさ、そんなエヴァンがここまで必死になるなんて、凄い事なんだよ?そこのところ、ちゃんと自覚しているかな?」
「エヴァン、さっきまでのお前の顔をご婦人が見たら、泣いて逃げ出すぞ。これが何を意味するか、鈍いお前でも分かるだろう」
俺はそこへきてようやく、二人が何を言わんとしているか分かってきた。
常に平均点よりちょっと上を目指し、周囲との揉め事を起こさず、『侯爵家嫡男として』それなりの道を歩んできた俺が、人生で初めて、その心を乱した女性。
「ああ、俺はベアトリス嬢を女性として慕っている」
ジークがヒューっと口笛を鳴らし、キリトは大口を開けて笑った。
「自覚しているなら良かったよ」
「なら、男をみせろ!」
俺は二人の言い分に苦笑で応えた。
いつまでも曖昧な態度で煮え切らない俺を、心配してくれていたのだろう。
「正直、レンタラ家にどんな処罰が下るかは分からない。だけど、俺たちは最後までエヴァンの味方だからね」
「ああ…ありがとう」
作戦会議は明朝5時に決まった。
***
暗闇に紛れた複数の足音と、鞘がベルトを揺らす金属音が重なる。
皇都の端、裏寂れた街並みの中で、その建物だけは嘘くさい高級感を漂わせていた。
白い外壁に沿って第三部隊および第二部隊は配置についており、周囲も漏れなく包囲済みだ。
俺はジークに目配せをして、一つ頷いた。
「いくぞ」
ジークの低い一声が闇に溶けた次の瞬間、ドアベル代わりとばかりに太い柱が叩きつけられた正面の扉は、爆発とも思えるほどの轟音と共に砕け散った。
木ぐずと埃の舞う中、ジークと共に隊員が傾れ込む。
「皇国騎士団団長、レオナルド殿下の名の下に逮捕状が出ている!神妙に縛につけ!逃げるものは容赦なく切り捨てる!」
綺麗な顔には似つかわしくない声量でジークが発すると、案の定、建物内はワッと蜂の巣を突いた状態となった。
階段や廊下を柄の悪い輩が駆けていくのを部下が追う音に、物が割れる音や倒れる音が盛大な不協和音となって鳴り響く。
ちなみに、
「女を連れて逃げろ!!」
「きゃーーー!」
「うるせぇ!」
「離せくそったれ!」
などの罵詈雑言はバックコーラスだと思うことにする。
だが、そんな小物たちの中にも、多少は骨のある奴がいたようだ。
「そこをどけえぇ!!」
セリフは小物感たっぷりだが、他の小物よりも体格は二回りほど大きく、筋骨逞しい。
体格だけでいえば、俺の部隊に勝てる奴はいないだろう。
「そう言われて道を譲る奴がいると思うのか?」
「あ゛あんっ?!」
つい疑問を口にした俺の目の前。
飛びかかってきた男と俺の間にエリンが瞬時に躍り出て、そいつの脛に踵蹴りを一発。倒れて位置が下がった顎に拳を一発、平衡感覚を失った身体を掴んでその腹に膝蹴りを一発叩き込んだ後、仕上げとばかりに剣を抜くので「殺すな!」と叫べば、渋々柄頭で頭に一発。
もちろん、件の中ボスは白目を剥いて床に伸びている。
「……エリン、くれぐれも過剰防衛にはならないように」
「文字通り体を張って助けに入った部下に、何すかそれ~」
俺は溜息をつきながら、文句を言う部下を後ろに先を急ぐ。
血気盛んなのは仕方ないが、うっかり重要な証人を殺されては堪らない。
特に、今回の証人たちについては。
外観よりも随分と広く感じる建物内、予め教えられていた部屋へと急ぐ。
2階の角部屋。1つだけ色味の異なる茶色のドア――あれだ。
「総員警戒。気を抜くな」
歩く速度はそのまま、後ろに控える4人の部下に命令し、自分も腰からスラリと剣を抜いた。
目顔で突入の合図をし、半呼吸後、ドアを蹴破る。
大きな音とともに蝶番が壊れ、ドアが半壊した。
「きゃあーーー!」
「いやあぁぁあ!」
複数の女性の悲鳴が響き渡る室内。
目に飛び込んできたものに、思わず目を見張る。
「なんだ…これ…」
部下のうち、誰が言ったのかは分からない。だが、誰が言ったとしてもおかしくはなかった。
目の前には、大きな牢屋があった。
そう、牢屋としか言いようのない頑丈な鉄格子で囲われた一角。
そしてその中に囲われているのは、犬でも家畜でもなく――女性だ。
歳の頃は10代といったところがざっと見て15名ほど。
牢屋の隅、まるで羊の群れのようにして集まった彼女らは、悲鳴をあげたり、泣いたり、怯えた表情でこちらを見たりしている。
皆一様に生地が薄いシュミーズのようなものしか身につけておらず、ここで何をさせられていたか嫌でも想像がついた。
「落ち着いてください。彼らは貴女方を害する人間ではありません」
聞き覚えのある声にハッとする。
見れば俺たちの前に、部屋の暗がりから一人の女が現れた。
月を思わせる銀髪に、菫色の大きな瞳を持った、スラリとした若い女性。
「ベ……アトリス…」
分かっていても衝撃で口が動かなかった。
だが、彼女は何の動揺も躊躇いもなく膝をつくと、俺たちの前にひれ伏した。
「すべての罪はレンタラ家にございます。彼女達には何の罪もございません。あそこの鍵はこちらにございます。彼女たちを解放した後は、適切な形で保護していただけますよう、心よりお願い申し上げます」
そして彼女は顔を上げ、俺を真っ直ぐに見つめた。
「そして、どうぞ私を連行してください。全ての事柄を白日の元に晒す覚悟でございます」
俺は不覚にも部下の前で、一瞬息の仕方を忘れた。
「うん、残念ながら、ね…」
俺からの視線に耐えかねたように、ジークが視線を逸らした。
キリトは何も言わずに机の上をじっと見ている。
「キリトから話を聞いた時は、エヴァンに何も言わないことも考えたんだよ?でも…俺だったら、言われない方が…その…」
「…ああ…分かってる」
俺は手元にある書類に目を戻す。
そこには、皇都で多発している婦女子連続誘拐事件の概要、調査結果、主犯の名前などが記されていた。
「エヴァン、レンタラ家は黒だ。それは間違いないよ。なにせ、内部告発な上に証拠もあるんだからね」
「内部告発ね…」
確かに記されている――『通報者 ベアトリス・レンタラ』と。
望んで知りたいと言ったが、冷静に受け入れられるとは言っていない。
報告にあるレンタラ伯爵たちのやっていることは、鬼畜の所業の一言であり、彼らは救いようのないクズだ。
「だが幸いにも、…いや、エヴァン…お前にとっては幸いでも何でもないが…彼女は義理の母親と妹が家に入ってからは屋敷の外に出ることはほとんど許されず、離れで使用人同然の暮らしをしていたという。伯爵が、恐らくカムフラージュのために許していた慈善活動くらいしか息抜きはなかっただろうと。これは過去の使用人たちからの証言でも明らかだ」
「つまり、何だ?」
まるで尋問のようなきつい声色に、キリトが苦い顔をし、ジークは溜息をついた。
「だから、捜査協力をしてくれた彼女には、十分に叙情酌量の余地があるってことをキリトは言いたいんだよ」
俺は二人から無理矢理に目を逸らした。
そうでもしないと友人に当たってしまいそうだからだ。
情状酌量だと?ここに記されている事が事実だとしたら、彼女はむしろ被害者だろうが!と。
報告にはこうある。
5年程前からレンタラ伯爵家の経済状況が悪化。
領地運営が上手くいっていない中での浪費癖に加え、遊牧民族との衝突に伴う臨時徴収の国税がその首を絞めた。
俺、いや、俺たちにもその戦いは記憶に新しい。
隣国との間にある山岳帯を勝手に「領地」とした彼らは、その領土を広げようと軍を率いてこのレンドール皇国および隣国に襲来した。
兵器の差で迅速に抑えることはできたが、各者それなりの犠牲を払った。
その復興のため、緊急事態時徴収金の名目で、伯爵家以上の家格には、その収益に応じて一定の割合を別途納付せよとのお触れが出たのだ。
その際、金策に走るレンタラ伯爵に話を持ちかけたのは、件の遊牧民族だという。
彼らの伝手と交通網を利用して商売しないか、と――これがレンタラ伯爵が人身売買に手を出したキッカケだ。
初めは娼婦や貧民街の子どもなど、いなくなっても騒ぎが大きくならない者たちを狙ったようだ。
だが、そのうちもっと稼ぎになると言われたのか、手口はエスカレートの一途を辿る。
そして極め付けが、あの身持ちの悪い男爵令嬢だ。
その際、少しでも見目を良くして高く売る算段だった伯爵は、ベアトリスに彼女の世話を任せたのだという。
それが、ベアトリスに不審を抱かせた瞬間だった。
酒でも飲んでいるのか、ベアトリスが呼ばれた時は常に朦朧としている彼女とは会話もままならないが、肌や髪、手や脚など、どう見ても商売女のそれではない。
彼女は一体何者なのか…?
長らく忘れていた長子としての勘が、警鐘を鳴らしたと言う。
「それで、彼女が調べて拠点の一つを発見したっていうのか。貴族令嬢が探偵の真似事を?」
「彼女というより、彼女の周囲の人間のようだけれどね。使用人同然の暮らしではあったようだが、彼女を慕う人間は多かったらしいよ。亡くなった伯爵夫人の生き写しだとかで」
ジークの言葉を、俺は鼻で笑った。
「探偵の真似事は協力しておいて、彼女の身を守ることはしてこなかったなんて、笑える忠誠心だな」
「エヴァン、使用人が主人に楯突くなんて現実的には不可能だろう?実権を握っているのは伯爵なんだからさ。それに、彼女が少なくとも身体的には健やかであることからも、秘密裏に守られていた可能性もあるよ」
「身体的虐待がなかったことを喜べとでも言っているのか?そりゃそうだろう。伯爵の中で、彼女は最も高額で売れる商品だったろうからな!」
「エヴァン!」
吐き捨てるように言った俺に、ジークの一喝が飛ぶ。
自分でもイラついている自覚はあるため、俺は心を落ち着けようと、ふーっと一つ息を吐いた。
「悪い…感情的になってる」
「…うん、分かっているよ」
黙り込んだ俺とジークを見やった後、キリトが重々しく口を開いた。
「エヴァン、事は一令嬢の身の上話に収まらん。人身売買は重罪であるし、ウィー族との犯罪的繋がりは愛国法違反の上、もし国家機密に関わる事を漏らしていた場合にはスパイ罪、渡していた情報いかんでは国家反逆罪に問われるやもしれん」
「ああ……死罪の可能性もあるな…」
伯爵の行ったことはそれ程の大事だ。
つまり、ベアトリスの協力の度合いは、彼女の命を救うことに繋がると言っても過言ではない。
「謀反の意思は皆無であることを周囲に印象付けるためにも、レンタラ伯爵の息のかかった者たちからの逆恨みを防ぐためにも、レンタラ伯爵令嬢の現場での捕縛は必要だ」
「っ!」
俺は机の上で爪が食い込む程強く拳を握った。
ジークとキリトは、事件の情報を開示しに来てくれただけではない。
この件を事前に俺に伝えるために来てくれたのだと分かった。
ベアトリスが、犯罪現場で捕縛される予定である、と。
「………決定事項なんだろう?」
「…うん、殿下の令は既に出ているよ。彼女も勿論承知だ」
だったら、俺のやるべき事は一つだ。
「なら、俺のとこも連れて行け」
ジークとキリトが目を見張る。
ベアトリスに何と言うべきか、何を聞くべきか、そして俺は何をすべきか。そんなことは現時点では分からない。
だが、彼女の最大の窮地に自分がいないなんて、考えられなかった。
「だが、お前たちの部隊は諜報部隊だろう?目立つ事は避けたいんじゃないのか?」
隊長でありながら事なかれ主義な俺がいつも言っていたことだ。
だが、第三部隊が現場に切り込めない程脆弱なわけではない。
俺は二人に向かって頭を下げた。
「頼む。その作戦に参加させてくれ」
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「仕方ないなぁ。そこまで麗しの姫君を助けに行く騎士になりたいって言うなら、協力してあげるよ。幼馴染のよしみでね」
ジークは気障ったらしく片目を瞑ってそう言うと、キリトに視線を投げた。
キリトはそれに応えるように一つ頷くと、ニッと片頬を上げた。
「俺たちにそこそこの権力があって良かったな!お前の隊を何人か組み組むなどわけない。任せろ!その代わりキビキビ働けよ!」
「ああ…!」
俺は心の底から二人に感謝した。
関係者に近い俺は、本来なら作戦から遠いところにいる方が良い。
だが、二人はそこを何とかしてくれると言っているのだ。
「迷惑かけて、すまないな…」
「いや、俺は、正直どこかホッとしているよ。今までの君を見てきた幼馴染としてはさ」
「え?」
どさりと椅子に座ったジークが、気怠げに前髪を梳く。
交わした言葉自体は少なかったが、内容が内容なだけに疲れたのだろう。
「ジークが言わんとしていることが、オレにも何となく分かるぞ。エヴァン、お前、今回は諦めないんだな」
「今回はって…」
隊服の上からも分かるほど逞しい腕を組んだキリトが、何事かを思い出すように、視線を上に漂わせる。
「エヴァンがこんなに必死になっているのを最後に見たのは、いつだ?思い出せん」
「あー、そうそう!そういうこと。エヴァンってさ、自分の感情とか考えとかに、常にリミッターを設けているよね」
ジークもキリトも、うんうんと感慨深そうに頭を振っている。
なんだ、それは。
「いや、分かるよ?侯爵家嫡男で、期待の星だもん。自分のことで周囲に迷惑掛けてはいけないって考えるのは、悪いことじゃあないよ」
「そうだな。むしろ、優秀な跡取りであれば当然かもしれん」
「何の話してんのか、よく分からないんだが?」
ジークは髪を無造作に縛り直すと、ニヤリと笑った。
ちなみに隣に座るキリトも同じしたり顔をしている。
「つまりさ、そんなエヴァンがここまで必死になるなんて、凄い事なんだよ?そこのところ、ちゃんと自覚しているかな?」
「エヴァン、さっきまでのお前の顔をご婦人が見たら、泣いて逃げ出すぞ。これが何を意味するか、鈍いお前でも分かるだろう」
俺はそこへきてようやく、二人が何を言わんとしているか分かってきた。
常に平均点よりちょっと上を目指し、周囲との揉め事を起こさず、『侯爵家嫡男として』それなりの道を歩んできた俺が、人生で初めて、その心を乱した女性。
「ああ、俺はベアトリス嬢を女性として慕っている」
ジークがヒューっと口笛を鳴らし、キリトは大口を開けて笑った。
「自覚しているなら良かったよ」
「なら、男をみせろ!」
俺は二人の言い分に苦笑で応えた。
いつまでも曖昧な態度で煮え切らない俺を、心配してくれていたのだろう。
「正直、レンタラ家にどんな処罰が下るかは分からない。だけど、俺たちは最後までエヴァンの味方だからね」
「ああ…ありがとう」
作戦会議は明朝5時に決まった。
***
暗闇に紛れた複数の足音と、鞘がベルトを揺らす金属音が重なる。
皇都の端、裏寂れた街並みの中で、その建物だけは嘘くさい高級感を漂わせていた。
白い外壁に沿って第三部隊および第二部隊は配置についており、周囲も漏れなく包囲済みだ。
俺はジークに目配せをして、一つ頷いた。
「いくぞ」
ジークの低い一声が闇に溶けた次の瞬間、ドアベル代わりとばかりに太い柱が叩きつけられた正面の扉は、爆発とも思えるほどの轟音と共に砕け散った。
木ぐずと埃の舞う中、ジークと共に隊員が傾れ込む。
「皇国騎士団団長、レオナルド殿下の名の下に逮捕状が出ている!神妙に縛につけ!逃げるものは容赦なく切り捨てる!」
綺麗な顔には似つかわしくない声量でジークが発すると、案の定、建物内はワッと蜂の巣を突いた状態となった。
階段や廊下を柄の悪い輩が駆けていくのを部下が追う音に、物が割れる音や倒れる音が盛大な不協和音となって鳴り響く。
ちなみに、
「女を連れて逃げろ!!」
「きゃーーー!」
「うるせぇ!」
「離せくそったれ!」
などの罵詈雑言はバックコーラスだと思うことにする。
だが、そんな小物たちの中にも、多少は骨のある奴がいたようだ。
「そこをどけえぇ!!」
セリフは小物感たっぷりだが、他の小物よりも体格は二回りほど大きく、筋骨逞しい。
体格だけでいえば、俺の部隊に勝てる奴はいないだろう。
「そう言われて道を譲る奴がいると思うのか?」
「あ゛あんっ?!」
つい疑問を口にした俺の目の前。
飛びかかってきた男と俺の間にエリンが瞬時に躍り出て、そいつの脛に踵蹴りを一発。倒れて位置が下がった顎に拳を一発、平衡感覚を失った身体を掴んでその腹に膝蹴りを一発叩き込んだ後、仕上げとばかりに剣を抜くので「殺すな!」と叫べば、渋々柄頭で頭に一発。
もちろん、件の中ボスは白目を剥いて床に伸びている。
「……エリン、くれぐれも過剰防衛にはならないように」
「文字通り体を張って助けに入った部下に、何すかそれ~」
俺は溜息をつきながら、文句を言う部下を後ろに先を急ぐ。
血気盛んなのは仕方ないが、うっかり重要な証人を殺されては堪らない。
特に、今回の証人たちについては。
外観よりも随分と広く感じる建物内、予め教えられていた部屋へと急ぐ。
2階の角部屋。1つだけ色味の異なる茶色のドア――あれだ。
「総員警戒。気を抜くな」
歩く速度はそのまま、後ろに控える4人の部下に命令し、自分も腰からスラリと剣を抜いた。
目顔で突入の合図をし、半呼吸後、ドアを蹴破る。
大きな音とともに蝶番が壊れ、ドアが半壊した。
「きゃあーーー!」
「いやあぁぁあ!」
複数の女性の悲鳴が響き渡る室内。
目に飛び込んできたものに、思わず目を見張る。
「なんだ…これ…」
部下のうち、誰が言ったのかは分からない。だが、誰が言ったとしてもおかしくはなかった。
目の前には、大きな牢屋があった。
そう、牢屋としか言いようのない頑丈な鉄格子で囲われた一角。
そしてその中に囲われているのは、犬でも家畜でもなく――女性だ。
歳の頃は10代といったところがざっと見て15名ほど。
牢屋の隅、まるで羊の群れのようにして集まった彼女らは、悲鳴をあげたり、泣いたり、怯えた表情でこちらを見たりしている。
皆一様に生地が薄いシュミーズのようなものしか身につけておらず、ここで何をさせられていたか嫌でも想像がついた。
「落ち着いてください。彼らは貴女方を害する人間ではありません」
聞き覚えのある声にハッとする。
見れば俺たちの前に、部屋の暗がりから一人の女が現れた。
月を思わせる銀髪に、菫色の大きな瞳を持った、スラリとした若い女性。
「ベ……アトリス…」
分かっていても衝撃で口が動かなかった。
だが、彼女は何の動揺も躊躇いもなく膝をつくと、俺たちの前にひれ伏した。
「すべての罪はレンタラ家にございます。彼女達には何の罪もございません。あそこの鍵はこちらにございます。彼女たちを解放した後は、適切な形で保護していただけますよう、心よりお願い申し上げます」
そして彼女は顔を上げ、俺を真っ直ぐに見つめた。
「そして、どうぞ私を連行してください。全ての事柄を白日の元に晒す覚悟でございます」
俺は不覚にも部下の前で、一瞬息の仕方を忘れた。
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エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
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