訳あり令嬢の危険な賭け事

ポポロ

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1章

デート

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「んっ!これも、とっても美味しいですわ!スパイスが効いてますのね!クミンかしら?」

「お口にあって良かったです」

デジャヴか?と思われるやり取りに、思わず苦笑が漏れる。
二人で挟むテーブルには、お世辞にも上品だとは言えないが、食欲を十分に刺激する料理が並んでいる。
ベアトリスは好き嫌いがないらしく、何を食べても目を輝かせるのは面白い。

結局あのあと業務の申し送りに少し手間取ってしまったため、とりあえず今日は一緒に夕食をとって帰ろうという話になった。
たが、いかんせん急な誘いだったため、いわゆるデート向けのお店は空いていない。
仕方なく、仲間内で時々来る中でも比較的小綺麗な食堂に入ることにした。
「比較的」なのがアレだ。

「洒落た高級店ではなくて申し訳ないですが」

「あら、そんなこと気にしませんわ。店員の方も感じがよくて、店内は賑やかで、料理もとっても美味しいなんて、素敵なお店です」

そう言って牛肉の煮込みを幸せそうに噛み締める彼女の顔は嘘をついているようにも、無理をしているようにも見えない。
初対面でも思ったが、本当に何でも美味しそうに食べるひとだ。

「そんなに褒めてもらえるなんて、店も本望でしょう。まあ、貴女は格好からしてもここでは浮いていますが…」

「ええっ?!完全に溶け込んでいるつもりですのに?」

どこからその自信がくるんだ。
入店時から、好奇心と下心が入り混じった視線がビシバシ飛んできているだろうが、と遠い目になる。

「銅貨の中に金貨が混じれば、嫌でも目立つでしょう?それと一緒です」

俺としては褒めたつもりなのだが、ベアトリスは少しムッとしたように口を尖らせる。

「それを仰るなら、ヴァンテール様だってどう見ても銅貨ではございません」

「私の喩えが悪かったですね。石炭の中にダイヤが混じっているといえばいいですか」

「石炭の方が活用用途が多くて魅力的だと思います」

「では、羽虫の中に蝶がいると言えば?」

「羽虫には有益なものもいますわ。少なくとも、蝶よりは人間の役に立ちそうですわね」

「タンポポの中に薔薇が咲いている、の方がお好みですか」

「まあ!私はそんなに派手でトゲトゲしておりませんわ!」

「………何の話をしてるんでしたっけ?」

「私の見た目が浮いてるか否かということについて、現在ディベートバトル中です」

「断じて違います」

そんなバトルに参加した覚えも、申し込んだ覚えもない。
だが、なるほど、浮いていると言われた彼女は少なからず不満だったようだ、と理解した。
周りの視線が気になるあまり、俺の口調も強かったかもしれない。

「…すみません。貴女がご自分の見た目に無頓着なので、意地悪な言い方をしました」

「え?」

パンをやや強めにちぎっていた彼女の手が止まる。

「貴女は綺麗な女性です。その自覚を持たれた方がいい。少なくとも、こういう庶民的な食堂では、どんな地味な服を着ていても注目を浴びるでしょうね。それくらい上品で魅力的なんです」

まるで説教くさい父親のようなセリフだな、とは思った。
だが当のベアトリスは、ポカンと口を開けて固まった後、ジワジワとその頬を赤く染めた。
それを見たこちらも固まってしまう。

「……思っていた反応と違って困るのですが」

「……ヴァンテール様こそ、ご自分の性質たちにご自覚を持たれた方がよろしいですわ」

そう言って赤くなった顔を俯けるベアトリスからは「なんて恐ろしい人たらしなの」と聞こえた気がするが、意味が分からない。

どことなく気まずい雰囲気の中、突然店内がざわつく。
騒ぎの方を見やれば、楽器を持った数人が店の端に集まっており、どうやら演奏が行われるらしい。

「まあ!何か催し物ですか?」

「さあ?私も初めて見ました」

ここ最近周辺の繁華街では、食事をしながら音楽を楽しむ店が増えている。この店もそれを真似て始めたのかもしれない。
あんまりうるさいのは苦手なのだが、明らかにワクワクした様子のベアトリスが「楽しみですね」と微笑むので、まあ悪くないかと思った。

ところが、しばらくすると店内の雰囲気が別の意味で変わり始める。

「何やら様子が変ですね…」

「ええ、全然始まりませんわね。何かトラブルでしょうか?」

楽器を持った数人は準備万端に見えるが、キョロキョロと落ち着きなく店内を見回しており、いっこうに演奏が始まる気配がない。
周囲の話を漏れ聞いたところによると、どうやら歌の担当が来ていないのだという。

「あら、事故などにあっていなければいいですけど」

思わずそう言ったベアトリスに、隣の席の客が驚いたように声を上げた。
見るからに庶民と言った、赤ら顔の恰幅のよいおっさんだ。

「嬢ちゃんは優しいねえ。だが、そんな心配はいらないさ。どうせ酔っ払って寝ちまってるんだよ」

「そうなのですか?」

すると、男と同じテーブルに座るもう一人の客が返す。こちらは口髭が生えた卵のような、頭までツルリとしたおっさんだ。

「ベントのせがれは歌だけは上手いんだがねえ。どうしようもない飲兵衛なんだよ。ありゃあ、死ぬまで治んないね」

「のんべえ?」

「お酒好きという意味ですよ」

「あらまあ」

口元に手を当てて上品なリアクションをとる彼女に、隣のおっさんどもは興味津々だ。
どうやら、彼女に注目していなかった希少な存在らしい。

「ありゃ、嬢ちゃんよく見りゃ別嬪さんだねえ」「嬢ちゃんが歌えば、この店の稼ぎは2倍になるなぁ」
などと調子よく言い出したので、俺は彼女を守るべく「ちょっと待て」と勢いよく立ち上がった。
だが、同時にベアトリスも勢いよく立ち上がった。

なぜ?

「私、歌いますわ!!」

「……………は?」

俺だけでなく、隣のおっさんずも呆気に取られている。
ベアトリスは固まる俺たちの前を颯爽と通り過ぎ、テーブルの間をスルスルと通り抜け、あっという間にステージらしき所まで到達する。

「ちょっ!えっ?!」

俺はあたふたしながら彼女を呼び止めようとするが、この店で伯爵家の家名を高らかに叫ぶのは躊躇われた。

「くそっ!」

仕方なく彼女の後を追おうとしたところでギターの音色が鳴り響き、店内の客が一斉に湧く。

「ええ?!」

見れば、いわゆるステージ(というには急拵えに見えるが)の中央、ベアトリスが両手を広げて立っている!
なぜ!おい!という気持ちを込めて見れば、ベアトリスがこちらに向かってウィンクを投げかける。
いや、なんだそれ!照れるだろ!

そして、軽やかなピアノの伴奏に続いて美しい歌声が響き渡った。
弦楽器も合わさってかなりアレンジが効いているが、この国の人間なら誰でも一度は耳にしたことがある聖歌だ。
ギターとトランペットの音色に合わせてベアトリスが身体を揺らし、時にくるりとまわり、手拍子を打つ。
その楽しげで、美しい歌声に釣られるように客たちが手を打ち、足を鳴らす。
俺はその様子を最初は呆然と見ていたが、気づけば他の客と同様に手を打っていた。

最後にジャンっとギターが終わりを告げ、ベアトリスが深々と美しいカーテシーをすると、わっと店内が拍手喝采、火がついたように活気付いた。
そこで俺は我にかえり、ベアトリスの周りを見る。
案の定、店内の酔っぱらい客が数名ベアトリスに近づいていくのを見て、彼女の荷物片手に慌てて前に飛び出す。

「ベアトリス嬢!」

「まあ、ヴァンテール様っ!見ていてくださいました?」

「それより、さっさとここを出ますよ!」

近くの店員に多めの金を握らせ、彼女の肩と腰を引き寄せ、半ば抱き込むようにして店を出る。切羽詰まっていた俺は、この時彼女の身体が強張っているのには気付かなかった。
後ろから「兄ちゃんだけズルいぞ!」「もっと歌ってくれよ!」などのヤジが飛んできたが知ったことか。
できるだけ素早く店から離れる。
しばらく歩き、後ろから歓声が聞こえなくなったところでようやく彼女を解放した。

「ちょっと!何やってるんです貴女は!」

「まあ!ヴァンテール様がそのセリフを仰いますの?!」

解放された彼女はなぜか顔を真っ赤にして怒っている。いや、拗ねている?困っている…のか?
まあ、そんなことはどうでもいい。

「いや、どう考えてもこちらのセリフでしょう!ただでさえ目立っている中で、どうしてもっと目立とうとするんです?!」

「だって、困っていらしたじゃありませんか!それに、歌には自信がありましたの!私の、教会の子どもたちからの人気ぶりはシスターも嫉妬するほどなんですよ?」

「いや、そりゃ、上手かったですよ?!うっかり魅入ってしまったくらいですからね!」

ベアトリスが目を見張る。
何を驚いているんだ?自分で今言ったじゃないか。

「歌もお上手でしたが、何より楽しそうで、私でさえ途中からは馬鹿みたいに手を叩いてしまいましたよ!」

ベアトリスが再び顔を赤くする。
街灯の下、少し開いた首元まで真っ赤なのが分かる。

「…ありがとう…ございます…」

「は?」

いや、俺はどちらかと言うと怒っているのだが。
あんな目立つところで目立つことをして、変な輩に目をつけられたらどうするのかと。
もっと自分の見た目と立場を自覚しろと言っただろうがと。賢い娘だと聞いていたのは間違いだっのか?と。

だが、目の前でモジモジするベアトリスを見ていると、なんだかその怒りも馬鹿馬鹿しく思えてきた。
さっきまで大勢の前で堂々と歌っていたくせに。全く、何が恥ずかしさのトリガーなのか分からない。
そして、思わずふっと吹き出す。今になって笑いが込み上げてきた。

「本当に、おかしな人ですね」

「…そんなこと…ありませんわ」

「自覚した方がいいですよ」

「おかしな女だなんて、貴族令嬢として認められませんわ」

「では、面白い人です」

「コメディアンの方には敬意を評していますが、それは一般的に女性を褒める言葉ではありません」

「ですが、貴女を褒めるための言葉ではありますよ」

「褒めていらっしゃるの?」

「もちろん」

疑わしい、という目つきでジトリと睨むベアトリスにニヤリと笑みを返す。

「音楽の才能がおありなのはよく分かりました。あと、素晴らしいカーテシーができることも」

「…今のは褒め言葉として受け取っておきます」

ふはっと笑いが漏れた。
すると、ベアトリスも釣られたように笑う。

「途中で連れ出してしまいましたが、お腹はいっぱいになりましたか?」

「はい。結局、ご馳走になってしまって…申し訳ございません」

「貴女の食べっぷりから言うと、かなり安く済んだのでお気になさらず」

「まあ、失礼な!……あ、デザートを食べ損ねてしまいましたわ!アップルパイが気になっていましたのに!」

心底悔しそうに地団駄を踏む彼女が可笑しくて、つい声を上げて笑ってしまった。

「では、次の機会にご馳走しますよ」

何気なくそう言うと、ベアトリスがふと顔を上げる。

「次が……ありますの?」

「あるのでは?まだ3ヶ月どころか、5日しか経っていませんよ?」

もしかして、自分で言った期間を忘れたのか?
やはり「賭け」は空想だったのか?と不安になった俺に、ベアトリスが優しく笑う。
心底安心した、そんな顔だった。

「そうですわね。では、次の機会に」

「はい…次の機会に」

不思議な人だ、と思った。
凛と貴族令嬢らしい気高さを感じる時もあれば、子どものように無邪気で無防備な時もあり、そしてその合間に混じるように、今のように掴みどころのない雰囲気を纏う時もある。
何も言わずに見つめる俺の視線に耐えかねたのか、ベアトリスが恥ずかしげに目を伏せた。
不躾に見過ぎだなと、バツが悪い気持ちを誤魔化すように咳払いする。自分でもかなりわざとらしかったと思う。

「予定より遅くなってしまいましたね。送ります」

「ありがとうございます」

馬車までの短い道のりを並んで歩きながら、調子を取り戻したベアトリスが嬉々として話す。

「あんな風に賑やかなお店は初めてでしたわ!美味しいだけでなく、楽しかったです」

「私も、食事処であんなに慌てたのは初めてですよ」

「まあ!では、ヴァンテール様の初めてをいただいてしまいましたわね」

「そういう言い回しをどこで覚えてくるんです?」

きょとんとする彼女の表情をみて、しまった、不埒なのは自分だったとほぞを噛む。
そんなくだらないやりとりをしながら、待たせていた馬車に乗り、彼女の屋敷まで送っていく。
ずっと話をしていたせいか、「もう着いたのか」と思った。

門の前、先に馬車を降りて彼女をエスコートする。
レース編みの手袋越し、女性らしい優美な形なのに、意外としっかりした手触りの手なのだなと思った。

「あ、そういえば今日、もう一つヴァンテール様の初めてをいただきましたわ」

ステップを踏んで降り立った彼女が振り向く。

「なんです?」

「私のことを、ベアトリス、と呼んでくださいました」

「え?」

そうだっただろうか?記憶にない。

「私が歌い終わって、駆けつけてくれた時ですわ」

「ああ…失礼しました。あの場で伯爵家の家名を叫ぶのはどうかと思っていたので、咄嗟に出てしまったかと」

「責めているのではありませんわよ?」

彼女がゆっくりと手を離す。
それを名残惜しく思ったのは、おそらく気のせいだ。なにせクタクタに疲れているのだから。

「どうぞ、私のことはベアトリス、とお呼びください」

「…それは、作戦ですか?」

揶揄うつもりで言ったのだが、ベアトリスは少し目を見張った後、ニヤリと笑った。
あ、これ、言ったらダメだったやつだ。

「ええ、そうですわ。この後、ベスという愛称で呼ばせ、最後にはハニーまでランク上げ予定ですの」

「ハニー…」

そんなの騎士団仲間に聞かれたら、数年はネタにされて揶揄われるわ。

「因みに私は今すぐ人前でダーリン呼びまでランクアップしても構いませんが」

「やめてください。貴女、半ば本気でしょう」

そんなの騎士団仲間に聞かれたら、末代まで揶揄われ倒すわ。

「普通に、エヴァンと」

「…よろしいのですか?」

「ダーリン呼びの数千倍マシです。それに、それで平等でしょう」

彼女がベアトリス呼びを許可するのなら、こちらも名前呼びを許可するのが妥当だ。
何もおかしなことは言っていないはずだが、なぜ彼女はそんなに嬉しそうな顔をするのか?

「人たらしですわね」

「私がですか?貴女に言われたくはありませんよ」

おっさんずを一瞬で虜にした記憶はどこへやった。食堂での歓声も忘れたのか。

「今日はありがとうございました。我儘をきいてくださって」

「良かったです、貴女に我儘の自覚があって」

「残念ながら、これからも我儘を言う予定ですわ」

「その宣言がすでに我儘です」

憮然とした俺に軽い笑みを向け「では、また」と、彼女が門をくぐる。
俺はそれを見届けて、踵を返した。
すると、その後ろから彼女が言った。

「おやすみなさい、エヴァン様」

俺はその姿勢のまま軽く会釈し、急いで馬車に乗り込んだ。
馭者に合図をして馬を出させた後、車窓から彼女を振り返ることもしなかった。

なぜなら、酔ってもないのに顔が赤い自覚があったからだ。
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