訳あり令嬢の危険な賭け事

ポポロ

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1章

決意

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街の大通りから一本入ったところにある一軒の花屋。
こじんまりとしているわりに花の種類が多く、ブーケ作りのセンスが良いから女性に喜ばれる、と騎士団でも話題に上がったその店先では、動きやすそうなワンピースに洗いざらしのエプロンをつけた女性が1人、せっせと開店の準備を進めていた。
長くはない黒髪を無造作に後ろで縛り、長い前髪と野暮ったい程大きな瓶底眼鏡のせいで表情さえもよく見えないその女性は、こちらに気づくことなく動き回っている。

「すまないが、ブーケを一つ作ってもらいたい」

後ろから声をかけると、女性は一瞬驚いたように肩を震わせたが、振り向くことなく忙しそうに作業を再開する。

「どんなブーケがいいですか?ご予算だけじゃなく、可愛い系?綺麗系?お相手の女性はどちらのタイプでしょう?」

見た目には似つかわしくないハキハキとした快活な口調で問われ、花の茎を斜めに切っている彼女の後ろ姿を見ながら苦笑する。

「女性、か」

「あら、違いました?うちにくる男性の8割はそうだから、勘違いしちゃったかしら」

「いや、合っている。贈る相手は確かに女性だ」

そう言うと、忙しなく動いていた彼女の手が止まった。
何も言わずに見つめていると、はっとしたように別のバケツに入った花に手をのばす。

「…それで、その方は、どういうタイプでしょう?」

濡れた茎を、どこかぎこちなく切る彼女を眺めながら考える。

「可愛い系か綺麗系かと問われれば、おそらく綺麗系なのだと思う」

「まあ、随分と曖昧ですね?そこは綺麗だと言い切ってあげるのが紳士では?」

顔はみえないが、俺の言い方に不満があるようだ。
正面から見ればきっと子どものように頬を膨らましているのだろう。

「確かにそうかもしれない。だが、彼女はそういう枠に嵌まらない人でね。子どもようにあどけなく可愛らしい時もあれば、女神のごとくハッとするほど美しい時もあり、そして同じくらい小憎らしい時もあるんだ」

「……親しい…女性なんですね…」

彼女のそれは、まるで呟くような口調だった。

「どうだろうか。だが、これから親しくなっていきたいとは思っている」

「…分かりました!お任せください!出来たらお呼びしますね」

「いや、こんな機会はあまりないので、店内と、ブーケを作るところを見ても良いだろうか?」

「え…」

その申し出に思わず、といった感じでこちらに少し身体を向けた彼女の顔は、手に持った花と、そして防壁の如き前髪と眼鏡に隠され、やはりよく見えない。
だが、戸惑っているのは分かる。

「…も、もちろんです!どうぞ!」

予算を伝え、そそくさと中に入る彼女に続く。
中はさほど広くはないが、確かに種類が多い。
ドライフラワーやポプリも売られており、包装や店内のディスプレイから言って、なるほど趣味が良いようだ。

いくつかの花を見繕って奥の作業台でサクサクと纏めていく姿を横目に、店内を見て回りながら何でもない口調で話しかける。

「実は先日、お見合いで出会った女性に振られてしまってね」

彼女の手が再び止まる。

「彼女にも色々あったわけなんだが…恥ずかしい話、俺にはその色々を察する力がなくてね。彼女には苦しい想いばかりさせたのかもしれないと反省した」

「……コミュニケーションとは、双方のやり取りで成立するものですから、察してくれなどと思う女性の方に問題があるのでは?」

作業を再開した彼女は怒ったように花を紙に包む。
紙に皺が寄って見えるのは、そういうものなのか?

「いや、誤解があるようだが、彼女は決して『察してほしい』などとは思ってなかったのだと思う。ただ、言えなかったというだけで。むしろ、俺を守ってくれていた」

「まあ!それは男の妄想というものです。思い出の彼女というものは美化されがちですからね」

「そうか。では、次は妄想などと言われないように何でも率直に話すように心掛ける」

「…ええ、それがよろしいのでは」

なんかリボンを乱暴に引っ張り出しているが、それはいいのか。大丈夫なのか。

「今度の彼女とは上手く行くと良いですね」

「ああ。過去の彼女のことは良い思い出として、新たな気持ちでリスタートしたいと思っている」

「……そうですか」

沈黙が降りる。
そういえば彼女との初めての出会いも、こんな沈黙の中だったなと思い出す。
だが、その時とは違うことがある。
むしろ、違うことだらけかもしれない。
器用に包装され、美しくまとまる花束を眺めるフリをしながら、俺の目は店員の様子を自然と追ってしまう。

「はい、出来ました。いかがでしょう?」

出来上がったブーケは、確かに可愛いとも綺麗とも言える仕上がりだった。
よく見れば紙にシワが寄っているところも、リボンが少々引き攣っているのもご愛嬌だろう。
本当に、

「ありがとう。完璧だ」

「…良かったです」

笑って代金を渡すと、カウンター向こうの彼女が少し上を向いた。
相変わらず顔はよく見えないが、そんなことは、もうどうでもいい。
俺は受け取ったばかりのブーケを恭しく差し出す。

「ベアトリス嬢、貴女が好きです。今度こそ本当に、結婚を前提として、俺とお付き合いしてください」

差し出された店員、ベアトリスは、口をポカンと開いて立ち尽くした。

***

「…ご存知だったのですね」

ようやく絞り出すように出てきた彼女の言葉に、少しガッカリしたのは内緒だ。
まあ、ここで舞い上がった返答などされないことは分かっていだが。

「ああ、花屋になっていると知った時は流石に驚きましたけどね。しかも生き生きとして働いているとは。髪色まで変えて」

苦笑して見やれば、ベアトリスは気まずそうに俯いた。

「責めているわけではありません。むしろ、後の逃げ道をきちんと作っていたのだと知って、安心しました」

最後の方はほとんど呟きになったが、ベアトリスはハッとしたように顔を上げた。

「その、エヴ…ヴァンテール様にはご迷惑を…」

「これまでと同じく、エヴァンで。それから、貴女を責めるつもりは一切ありません。さっきも言いましたが、ここには交際の申し込みにきたんです。その返事以外を聞くつもりはありません」

少し強い口調になってしまったかもしれない。
なぜならここに来たのは冷やかしでも、酔狂でもないのだから。
だが、その口調で彼女のスイッチが入ってしまったらしい。

「まあ!侯爵家長男ともあろう方が一体どうしてしまわれたのです?私はもう伯爵家の娘ではありませんわよ。一介の花屋の女です。まさか…そんなにお花が好きなのですか?」

「違います」

なんだその少し心配そうな声色は。

「だいたい、侯爵家のお力で調べられたのでしょうか?それとも騎士団のお力かしら?いずれにせよその行為はストー―」

「そうですね、俺はストーカーです。一回振られたにも関わらず、どうしても貴女のことが気になって、あらゆる力を惜しみなく使って調べ上げましたよ。権力って便利なものですね」

「まあ、開き直りという技を身につけられて…そんな子に育てた覚えはありません」

「俺も貴女に育てられた覚えはありません」

「侯爵閣下のお心を代弁いたしましたのよ?」

にっこりと口元に笑みを浮かべる彼女は、顔の大半が隠れていても、やはりベアトリスだった。
身を乗り出すようにして彼女の立つカウンターに近づく。

「ベアトリス嬢」

「……はい」

「俺は、侯爵家の長男であることに何の感慨もありませんでした。他人から受ける羨望も嫉妬も、それに伴う人間関係のあれこれも、衣食住が恵まれているからこその義務だとは思いこそすれ、それだけです。毎日をそこそこに生きること。それが俺でした」

「そんなことは…」

「いや、そうだったんですよ。今思えば、侯爵家長男ではあっても、エヴァン・ヴァンテールという個人ではなかったのだと思います」

いつもなら「今日の気分は哲学者かしら?」などと言われそうなところだが、ベアトリスは何も言わず、俺を見つめた。

「でも、貴女に出会って…」

「………」

「貴女に出会って……本当に意味不明なことだらけでしたね」

「……はい?」

「ただお茶をするとか、ただ食事するとか、そんなこと一度もなかったですよね。毎回貴女に振り回されて、あたふたして、くたびれて、疲れて」

「エヴァン様、最後の二つはほぼ同じ意味ですわ」

「本当に毎回馬鹿馬鹿しくて、あれ、俺何しにきてるんだっけ?って1日3回も思ったことがありますよ。ははは」

「なるほどですわ。もしかして、こちらには恨み言を言いに?」

「まさか」

「では、何が仰りたいのでしょう?」

「幸せだったのだと」

嫌味な笑いを作ろうとした彼女の動きが止まる。

「心身ともに疲れたはずのデートで、自分がどこか満たされていることに気づいた時にはもうダメでしたね。馬鹿みたいに楽しんで、笑って、照れて。貴女の前だと1つも格好がつかなくて嫌になるのに、でもまた貴女に会いたくなるんです。幸せでした」

「………」

「肝心なことは何も話してくれなかった貴女に、心底腹を立てましたよ。あの日、貴女の背中を見つめながら、人生であんなに怒ったことなどなくて自分でも驚きました」

ベアトリスの肩がぴくりと震える。
だが、彼女が何か言う前に言葉を繋ぐ。

「でも、一番は自分に腹が立ってたんです。貴女の気持ちも、環境も、何一つ思いやることもないまま、ただ幸せを享受するだけだった自分に気づいて、吐き気がするほどムカつきました。賭けだなんてただの建前で、俺は5つも下の貴女に甘えてたんです。貴女がいなくなった後、死ぬ程反省しました」

「違います。エヴァン様は何も悪くありません」

「それを言うなら貴女も悪くありません」

「いいえ、私は…」

「聞いてください、ベアトリス」

彼女はビクリと肩を震わせると、口に蓋でもするように拳を当てた。

「俺は、貴女に出会って多くの感情を知りました。身体が熱くなるような喜び、足が浮くような嬉しさ、吐き気がするような怒りや、眠れなくなるほどの悲しみ。どれも貴女に教えてもらったことです。ベアトリス、俺と出会い、日々を過ごしてくれて、ありがとう」

ベアトリスは口元を手で隠し、俯いている。

「貴女がそばにいてくれるだけで、俺は振り回されて、疲れて、怒って、笑って、とても幸せです。この気持ちを教えてくれて、ありがとう」

彼女との思い出が頭を駆け巡る。

「貴女が好きです、ベアトリス」

ベアトリスがゆっくりと顔を上げる。
強張って震える手を捕まえて、ゆっくりと開かせると、そこにブーケを握らせる。
濡れた頬にそっと手を伸ばし、宥めるように指を滑らせると、彼女の小さな口から震える吐息が漏れ出た。

「ベアトリス、返事をください。今、ここで。賭けをしてもいいですけど、俺は3ヶ月も待てませんよ」

「………」

「何も言わないなら自分の都合の良いように解釈しますよ?」

「だっ…!…でも…家が…」

「大丈夫です。そんなことは何とでもなるんです。俺は絶対に貴女も幸せにできます。身分や地位などどうでもいいんです。だから、今はただ貴女の気持ちを聞かせてください」

「そんな……こと…」

「では、クイズ形式にしますか?」

「え?」

「第一問。侯爵家をたとえ廃嫡されても騎士として家族を養っていけるし、愛する人のためなら剣術大会でもなんでも参加して、騎士として成り上がれるところまで成り上がるつもりの皇国騎士団第三部隊隊長の名前は?」

彼女の頬に片手は添えたまま、ベアトリスに答えを促す。

「…エヴァン・ヴァンテール様…」

「正解です。では、第二問。廃嫡覚悟で家族に相談したところ、お前の愛する娘をさっさと迎えに行けと、むしろ背中を押された、情けない侯爵家嫡男の名前は?」

「えっ!……エヴァン・ヴァンテール様…?」

「正解です。では、最終問題です。何があっても、何者からも、必ず愛する人を守ると決めた騎士団の隊長で、ちょっと変わり者の元伯爵家令嬢のことが大好きで、かつ、彼女の愛する人でもある男の名前は?」

「なっ…」

簡単なクイズでしょう?と促すようにじっと見つめる。
彼女の頬に添えた指先を熱くするのは、俺自身か、彼女か。

「さあ、答えください。ベアトリス」

「…………エヴァン…ヴァンテール様…です…」

「はい、正解です」

満足気に笑んだ俺をベアトリスがキッと睨む。
実際は前髪に隠れてよく見えないが、鋭い視線が投げかけられているのは分かる。

「………私だって…私だって、エヴァン様が好きです!何ですか、一方的に仰って!私の方が絶対先に…ずっと…ずーーっとそう言いたかったんですから!」

俺はひらりとカウンター内に入ると、やけっぱちのように言い放った彼女の顔を上向かせ、その細い腰を引き寄せた。
互いの胸に挟まれたブーケを気遣いつつ、柔らかな唇に自分のそれを強く重ねると、腕の中の彼女の身体が驚きでぎゅっと縮こまる。
その感触を楽しみながら、少しだけ唇を離してニヤリと笑う。

「よく出来ました」

「~~~っ!」

眼鏡越しでも分かる真っ赤な顔をゆるりと撫でて、もう一度、今度は優しく、その熱い唇を味わった。
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