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訳ありの結婚

絵画の女

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用意された部屋は作り自体古いものの、暖かくかつ居心地良く整えられていた。
部屋の中央、座り心地の良いソファで待つように言われて数分後、オリバーが二人の女性を伴って戻ってきた。
紺色のお仕着せに白いエプロンを付けた姿から、一目でレインが言っていた侍女なのだと分かる。
来たばかりの女に二人も付けてくれるというのは畏れ多い高待遇だが、フィーナが驚いたのはそこではない。
髪型の違いはあるものの、娘二人は何と同じ顔をしていたのだ。
引っ詰め髪がエル、おさげ髪がアルだと言う。

「身の回りは今後、この二人にお申し付けください。二人とも、快適にお過ごしいただけるよう心を砕くように」

「「はい」」

何かあれば呼び鈴を引いてくれと言い残し、オリバーが出て行く。
すると、まずはお茶で喉を潤してから、風呂の準備をしてくれると言う。
フィーナはその申し出に慌てた。

「い、いえ!あの、どうぞお構いなく!洗面器一杯のお湯さえ頂ければ、今日は…」

昔実家にあった美しいビスクドールを思わせる娘たちを前に、フィーナは恐縮してしまう。
自分の方が使用人のような成りなのに、身の回りを世話してもらうなど申し訳ないことこの上ない。
どんなに身綺麗にしたところでオルテンシアのようになどなれないのだと、明日にでもレインに説明せねばと決意する。

すると、双子はチラリと互いの目線を交わすと、フィーナに詰め寄る。

「いけません。それでは私どもが主人に叱られてしまいます」

「どうか、フィーナ様を美しくするお手伝いを私どもにさせてください」

「いえ、あの…」

「「さあ、どうか」」

口元だけ薄らと微笑む二人は、まるで一対の人形のようだ。
あまり無碍にするのも却って失礼かと思ったので、では身体だけは自分で洗わせてくれと懇願した。
しばらく問答を繰り返した後、フィーナの必死な様子に折れた二人が「フィーナが良いと思うところは全て彼女たちに任せる」のを譲歩案としてもらった。

そんなやりとりを経てから、ようやく人心地ついて鏡台の前に座ったフィーナ。
だが、鏡に映ったその姿に目が点になる。

「…………え?…」

カサカサだった肌は瑞々しさを取り戻し、頬や唇はほんのりと薔薇色に色づいている。
伸び放題で、パサついた卵の黄身のようだった髪は、本来の色形を思い出したように艶が出ており、自分のものとは思えない良い香りがしている。
薄っぺらい体型だけは勿論どうにもならないが、それでも学生の頃くらいには見られる姿になっているのではないだろうか。

アルがフィーナの前に湯気の立つカップを置いた。

「あら、ごめんなさい…ありがとう。その、こんなに色々としてもらって…恥ずかしいけれど自分の姿に少し驚いてしまったわ」

「「フィーナ様は素材が良いので、私どもは特に何も」」

計ったような言葉の同調に驚いた。
本当に良く似た双子だと感心していると、背後で髪を梳かしてくれていたアルと鏡越しに目が合う。

「この後、お夕食をお部屋にお持ちいたします。長旅にお疲れかと思いますので、それを終えたら本日はゆっくりお休みください」

ひび割れた手指に、ハーブの香りがするクリームを塗り込んでくれていたエルがそれに続く。

「明日の朝食は旦那様と一緒にお取りいただくので、朝のお支度のため8時頃に伺います。よろしいでしょうか?」

「ええ……いえ、あの、こんなに良くしてもらっていいのかしら?自分で言うのもなんだけど、今はまだ素性の知れない客人、のようなものかと思っているのだけど…」

それとも、侯爵家ともなればこれくらいのもてなしは普通なのだろうか?
借金のせいで親戚とさえも疎遠になっていたフィーナには、屋敷で人をもてなすことの「普通」が分からなくなっているのか。

アルとエルが揃って鏡越しにフィーナを見つめる。

「じきに奥様になられる方なので何も問題ごさいません」

「奥様…」

「僭越ながら申し上げれば、フィーナ様でしたら必ず当家に馴染まれると思います」

「そう…かしら?」

「「はい」」

美しい双子は声の抑揚が少なく、表情の変化にも乏しい。だが、フィーナにはなぜか二人がどことなく嬉しそうに見えた。
少なくとも拒絶されているわけではない、と思ってよいのだろうか。

「…ありがとう」

温かい気持ちに、フィーナは微笑んだ。



****

「長旅に疲れた身体にあまり負担がかからないように」との配慮から、夕食は具沢山のスープに焼きたてのパン、ハーブを使ったサラダだった。
だが、それでもフィーナにとっては十分すぎるご馳走であり、かつ、久しぶりのしっかりとした食事だったため、どうやら身体が驚いてしまったらしい。
夜中に軽い胃痛を感じて目が覚めてしまった。
身体の不調などいつものことなので、とにかく今は寝て忘れようと寝返りを打ったところで耳に届いた違和感に気付く。

(声…?)

微かだが、遠くに人の声が聞こえた気がした。
時計に目をやれば深夜の2時。
普通であれば使用人も寝静まっているような時間だが、これだけの大きな屋敷なのだし、見回りでもいるのだろうか。
フィーナは再び目を閉じる。

(…誰か…呼んでる…?)

その声、いや、声のようなものがさっきよりもはっきりと耳に入った…気がする。
しかも、なんだか切羽詰まっているような響きがある…気がする。

(もしかして、誰か閉じ込められてる、とかかしら?古い建物だから、建付けが悪いってこともありそうよね)

在学中、同級生が誤って資料室に閉じ込められたのをフィーナは思い出した。
建付けが悪いため開け放たれていた扉を、それを知らなかった新入生が中に人がいるかを確かめないまま締めてしまったのが原因だった。
幸いにも、数時間後に運良く資料室を利用した教員に助けてもらえて事なきを得たが、中にいた同級生はそれがトラウマとなって暗所恐怖症になってしまった。

(こんな時間に誰かを起こすのも申し訳ないし…でも、ちょっと見に行った方がいいかも)

恐怖とパニックでぐちゃぐちゃになった同級生の顔を思い浮かべ、フィーナは意を決した。
アルに渡された厚手のストールを羽織り、棚の上にあったオイルランプを片手に扉を開けると、廊下には想像していた以上に冷たい空気とランタンの明かりなど飲み込まれそうなほどの暗闇が広がっており、思わず尻込みしてしまう。

「……やっぱり気のせいだったかも…………ん?」

一度ベッドに戻ろうかと扉を締めかけたところであの声が、先程よりも確かな形で聞こえた。

(やっぱり、誰かが呼んでるみたい…)

もし自分なら、こんな屋敷の一室に閉じ込められるなんて、絶望に我を忘れて取り乱すだろう。
閉じ込められてなくとも、この夜更けに助けを求めるようなことが起こっているのだとすれば、それはどんなに心細いだろう。
その場面を想像し、フィーナは決意に口を引き結び一歩を踏み出した。

(右奥…かしら?)

耳を頼りに足を進める。
窓も少なく、わずかな月明かりさえも入らない廊下は、時間や距離の感覚がおかしくなるほどに真っ暗で、フィーナは手元のランタンの光に縋るような気持ちで奥へと進んだ。

『……しょ……て…』

そう聞こえたのは一つの部屋の前だった。
恐怖心もあったため、実際にはどれくらい歩いたのか分からないが、存外フィーナのいる部屋からは近いと思われる。
声が聞こえる範囲なのだから当然だろうが。

「ここ…かしら?」

最初に聞こえた時よりは確実に声自体大きくなっている。
ただ、何と言っているのかは不鮮明なので、もしかしたら部屋の中でトラブルが起こっているのかもしれない。
何かに挟まれているとか、押しつぶされているから、とかだろうか。

「あの…」

一応ノックしてみたものの何も返事がなかったため、フィーナはドアを開けた。
埃っぽい場所かと覚悟したが、それは杞憂だったようで中は綺麗に整備されているようだ。
見つけたランプに明かりを灯していけば、大きな天蓋付きのベッドやソファセットがあることが分かり、フィーナに与えられたような客室、または相応の部屋なのだろうと思われた。
かなり広い部屋のようだが、人が使っていれば当然あるはずの気配が全くないので、ここで助けを呼ぶ人間がいるとすれば掃除婦やメイドだろうか。

「あの…どなたかいらっしゃいますか?その…何かお困り事でしょうか?」

来たばかりの人間なので、案内されてもいない部屋を無断でウロウロするのは気が引けた。
だが、もし困っている人がいるならと、フィーナはもう一度大きな声で呼びかけてみる。

「あの、どなたかいらっしゃいますか?声が聞こえたので来てみたのですが?」

『……しょに……て…』


今度こそしっかり聞こえた声に振り向く。
すると、光の奥に人影が見えたような気がしてフィーナはそちらへと急いだ。

「あの、こちらですか……きゃーーーーっ!!……った!!」

突然人が現れたと思ったフィーナは、驚きのあまりその場に尻もちをついた。
その拍子にランタンの光が大きく揺らめく。

「な、なんだ…!絵だったのね…!」

バクバクする心臓を抑えながらランタンの光を掲げると、暖炉の上に大きな絵画が飾られているのが見えた。
女性がこちらを振り返っている場面を描いたもので、薄明かりの元でも分かるほどにリアルなタッチだ。

(綺麗な絵…もっとよく見てみたいわ…)

フィーナは立ち上がると、まるで引き寄せられるように絵に近づいた。
なぜかその絵の女性をもっと見たいと思う気持ちが、声の主を探したい気持ちを上回っていたのだ。

(私、彼女を知ってる気が…)

絵の中の女性はこちらを振り向き、手を差し出しながら微笑んでいる。
まるで、一緒に行こうと誘うようなその仕草に、フィーナは惹きつけられるように見惚れ、無意識のうちにつられるように微笑んでいた。

(綺麗な金髪…とっても柔らかそう…頬もふっくらしていて…)

その絵に、いや、彼女にもっと近づきたいと暖炉に手をつく。

(彼女の手…女性らしくて小さい……それに唇は……)

絵に触れたくて――彼女の手に自分のを重ねたくて手を伸ばす。

(唇は…サクランボみたいに

その時、女性の目がギョロリと動きフィーナを捕らえた。

『ねえ、いっしょに、きて』

彼女の口が、はっきり喋った。

「誰がいくか」

自分のものではない低いその声にハッとすると同時に、フィーナは後ろにグイと引かれた。
誰かに抱きとめられたのだと認識する間もなく、パチンと指を鳴らす音が聞こえたかと思えば、辺りを強烈な白い光が包み込み、その衝撃に耐えられず思わず強く目をつぶる。

「消えろ、可燃ごみ "Annihilation"」

一体どこから吹き込んだのか。大きな風が巻き起こり、がたがたと家具を揺らすほどの縦揺れに立っているのがやっとだ。

『ゃああああああぁぁぁぁぁ』

地鳴りのような音と、ガラスを思いっきり爪で引っ掻いたような不快な悲鳴が部屋にこだまする。
まるで頭に直接響いてくるようなそれは耳を塞いでも消えず吐き気がしたが、フィーナに巻かれた腕が守るようにギュッと力を込めると、包まれている安堵感のおかげで不快な気持ちが和らぐ。
時間にすれば数十秒、だが、体感的にはもっと長い時間を経て、光や風が終息していく。
気づけば辺りは、フィーナの持っていたランタンの光が揺れるのを残して、元の静かな暗闇が戻ってきており、肩で大きく息をしている自分と、腹に回された自分以外の者の手さえいなければ、何か夢でも見ていたと思っただろう。

「こんな夜更けに女の一人出は感心せんな」

そう言われて恐る恐る振り向くと、予想通りの人物――ドワイト・レイン侯爵の顔がそこにあった。
薄闇に浮かぶ整った顔から漏れる声は硬いが、覗き込むその目には確かに労りの色が浮かんでいる。

「今は眠れ」

目の前を大きな掌が覆い、場違いにも思った。

(温かい手…それにやっぱり意外と…大きい…)

フィーナはそこで意識を手放した。
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