侯爵令嬢と密かな愉しみ

ポポロ

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第3章

思わぬ人物

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肌に張り付くような暑苦しさに目が覚める。
喉の渇きを感じ、簡素なベッド脇の水差しを取ろうと手を伸ばすが、目に映った小さなその手では全く届かない。
そこでようやくぼんやりと、自分は暑さなど感じておらず、喉も渇いていない、つまりこれは夢なのだと気付く。

身体を起こして明るい部屋を見渡せば、ホールような場所にいくつものベッドが並べられ、そのどれにも人が横たわっている。
自分と同じ、白い包帯をした人たち。

ベッドが足りていないのか、座り込んでいる人もおり、その間を縫うようにして白衣の人々が行き来する室内は騒然としていた。
いや、なぜか音が聞こえないので、騒然としているように見える、というのが正しいのか。

「お母さん…どこ…」

ふとつぶやく。
それと同時に猛烈な不安が小さな心臓をギュッと掴んだ。

「お父さん…は?」

いやだ、それ以上言わないで。
それ以上、考えないで。

喉元にせり上がるような不安を払おうと、辺りを見回す。

「おかあさ…」

だから、やめて。
お願いだから探さないで。

「おか…おと…さん」

だって、探したって二人はいないのに。

============================
「…ラ」

「…やめ…」

「…アラ」

「…おかあ…」

「キアラ!キアラ!」

身体が落ちるような浮遊感の後、キアラを覗き込むグラスグリーンの瞳と目が合う。

「…ウィリ…アム…様?」

「大丈夫?キアラ、すごくうなされてたよ。」

言われてキアラは、自分の頬が濡れていることに気付いた。

「…すみません…悪い夢を見ていました…」

ウィリアムは何も言わずベッドを出ると、トコトコと歩いて水を持ってきてくれた。
コップを渡すウィリアムの顔があまりに心配そうなので、申し訳なさに苦笑する。

「ありがとうございます。すみません、怖がらせてしましたしね。」

「ううん、怖かったのはキアラの方でしょう?」

「ただの夢です…水を飲んだら落ち着きました!ありがとうございます。」

キアラはコップを置くと、ウィリアムを膝の上に抱き上げた。
子ども特有の、ふわふわしたストロベリーブロンドの頭をなでながら、キアラは心を落ち着ける。

「ただの夢で、ウィリアム様を起こしてしまいましたね。すみません。」

「ううん、ボクは大丈夫だよ。」

「今は…深夜12時ですか…」

眠りについてさほど時間は経っていないが、しばらくは眠れそうにない。
なぜ最近になって、またあの夢をみるのだろう。

「キアラ、眠れない?」

「あー…、そうですね。何だか、目が冴えてしまいました。」

「ボクも、お昼寝してたから眠くないの。」

「あら…では、持ってきた本でも読んで…」

そこでキアラは、荷物の中にトランプが入っているのを思い出した。
ちょっとした空き時間にでも、と思い持ってきたのだが、眠れない夜に家族と楽しむこともあったと思い出す。

「良ろしければ、トランプなんてどうでしょう?ああ、夜遅いですけど、せっかくですからジャンヌも巻き込んで。」

「えっ、ジャンヌ?」

「え?」

確かに夜も遅い時間に起こすのは忍びないが、てっきりウィリアムのことなので賛成するものと思ったのだが。

「やっぱり、夜遅いですよね。」

「うん!夜起こすのはダメだと思う!」

「…?」

いつものウィリアムらしくない反応に、キアラのセンサーが小さな警告音を発する。

「ウィリアム様…何か隠していらっしゃいます?」

「えっ、何で?」

「ジャンヌを呼びに行ってはいけない理由が?」

「えっ!なんで今日はするどいの…あっ!」

しまったと小さな手で口元を隠す仕草は大変可愛らしくて再びギュッとしたい衝動にかられたが、今はそれどころではない。

「もしかして…今、ジャンヌは部屋にいないのですか?」

「……」

黙秘することにしたようだが、口元がわなわなしていて、それが真相を如実に表している。
外に対しては役者なみの演技力を発揮するくせに、身内に対してはガードが5歳児のそれになるなんて、なんて可愛いのだろう。
いや、そうじゃなくて。

「もしかして、一人で調査へ…?あ、話していた賭博場ですか?!」

「う…う…ん、分かんない…」

「本当ですか?本当に知りませんか?」

腕の中に囲い込んだウィリアムに思いっきり顔を近づけると、ウィリアムはコクコクと小刻みに首を振る。

「だから突然、9区に泊まろうなどと言い出したんですね!ああ、私も迂闊でした…!」

思い返せばおかしな話なのに、それに気付けなかった悔しさに、だんだん腹が立ってきた。
やってやったとほくそ笑む顔が絵に浮かぶ。

「勝手に巻き込んでおいて…ウエスカータくんだりまで連れてきておいて…?」

「キアラ?」

「…何がキアラが良いですか…一緒に調査してくれと言ってたくせに…」

「…キアラ?」

「…だいたい、あんな変態を信じたのが迂闊でした…旅を楽しむなどとよくも…」

「…キアラ…さん?」

ワナワナと震える肩にウィリアムがそっと手を触れた瞬間、頭の中でプチッと何かが切れた。

「あの変態を追いかけます!!あの馬鹿の首に綱を繋いで引き戻してきます!」

「えっ!で、でも、夜中だよ?僕たちは危ないってジャンヌが…」

「あぁ?危険がなんぼのもんですか。ジャンヌだって十分危ないでしょうが。それなのに私たちを置いて行くなんて、ウィリアム様は許せるんですか?いいえ、許せませんよね。相談もなく騙しうちみたいな真似して置いてけぼりなんて、許されるわけもありません。」

「で、でも、どこに行ったのかも分からないし…」

「きっと賭博場です。わざわざ夜を待って出かけるなんて、しかも私たちが寝静まってからなんて、そこしかありませ…ん?寝静まって?どうしてウィリアム様はジャンヌがいないことを知っているのです?」

「え、それは…行くときにジャンヌが…」

ごにょごにょと口ごもるウィリアムが何を言ったのか正確には聞き取れなかったが、おそらく、ウィリアムには出ていくときに一声掛けたとかなんとかだろう。
幼いウィリアムには伝えて、私には一言もない、だと…?と再び怒りに火がつく。

「ぁんの変態パーソナルスペース極狭男女おとこおんな……こうしてはいられません!すぐに着替えないと!あ、ウィリアム様はここにいてくださいね。ウィリアム様に何かあっては私、死んでも死にきれません。その前に死罪でしょうけれど。」

「そんな、あぶないよ…!」

「大丈夫です、ウィリアム様。今なら私、口から火でも吐けそうなくらい元気ですから、絶対に死んだりしません。あいつを焼き殺すまでは。」

「そういうことじゃ…わわわ…ジャ、ジャンヌー!」

「あの変態を呼び出したいのは私です!!」

その時、カタンという音ともにバルコニーへと続く窓が開き、ふわりと外の風がカーテンを押し上げた。
ヒッっと思わずウィリアム様を抱きしめると、中から現れたのは幽霊でも賊でもなく、月の光をまとった銀髪の精霊だった。

「たしかに変態は呼び出せねーけど、俺なら呼び出せたわけだ。呼び出された側としては不本意だけども。」

「ク、クロード様?!」

「クロード!!」

タタッとウィリアムが駆け寄ると、クロードは膝を折ってそれを迎え、くしゃくしゃっと頭をなでた。
天使と精霊の出会いに眼福…などと思っている頬を軽く叩き、キアラは水を注ぎながらクロードに椅子をすすめる。

「お、喉乾いてたから、ありがてー。サンキュな。」

「いえ、あの…どうして、こんな時間に、いえ、こんな場所にクロード様が…?」

「まあ、それは俺も聞きてーわけだが…端的に言うと呼び出されたんだよ、あの馬鹿に。」

「あの馬鹿…ジャンヌですか?でも、ここに泊まるのは突然決まったことで…」

「連絡網が…いや…それは置いといて、休みなくここまで来たっつーのに、あいつの部屋はもぬけの殻で、メモ書きがあるだけ。あいつマジで俺のこと何だと思ってんだよと思いながら外に出たら、寝てるはずのお前らの部屋から声が聞こえるから来てみたってわけ。」

「…ツッコミどころが満載で、何と言って良いか分かりません。」

連絡網?は仕事関連かもしれないので150歩ほど譲って置いておくとして、なぜ出入りの基本がバルコニーなのか。

「とりあえず、クロード様はジャンヌの行き先をご存知だということですね?」

「あー、いや、メモ書きの場所に行ってもあいつがいるとは…」

「でも、ヒントはあるということですよね。あの底なしの薄情者の。」

「おうおう、ちょっと見ない間にどうした?ちなみにあいつは、底なしの薄情者で冷酷非道な魔王だぞ。」

「そうなんです!冷酷です!一言もなく、一言の相談もなく、夜中にこっそり出ていくなんて!」

「キアラってあんな顔だったか、ウィル?」

「すごーく怒ってるとあんな顔みたい。」

「は?何か?」

自分でも驚くくらいの地を這うような声で凄むと、クロードとウィリアムがスッと目をそらす。

「クロード様、私も連れて行ってください。」

「いやぁ、俺もよく現状が分かってねーし、お前に危険なことはさせらん…」

「連れて行ってくださらないんだったら、ベアトリス様に告げ口してクロード様もジャンヌと同じ地獄に落ちてもらいます。」

「もちろん、連れていくに決まってるだろ。俺に全部任せとけって!」

あはははと乾いた笑いを漏らすクロードを、ウィリアムが心底冷めた目で見つめた。
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