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第3章
カフスボタンと偶然
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グレゴリオに案内されたそこは、店というよりも貴族の邸宅と言った方がよいような、壮麗な建物だった。
塀が取り囲む入り口には、よじ登って侵入するのは無謀だと思わせる荘厳な鉄格子状の門がついており、両側には体格のよい門番まで立っている。
両側に広がる美しい緑の芝生、その真ん中だけを切り抜いたように整ったレンガの歩道を進んだ先にある、見るからに贅を尽くした2階建て。
ここが、アントニオ商会だ。
「いらっしゃいませ。あら、ダンジュ様。いつもご贔屓にしていただき、ありがとうございます。」
店に入ると、女性店員がにこやかに話し掛ける。
強めにカールさせた短い黒髪を後ろに流し、ワンピースの上には女性としては珍しくスーツジャケットを羽織っている。
「こんにちは。こちらの友人が職人を探していましてね。ちょっと話をきいてもらえるかい?」
「もちろんでございます。」
グレゴリオの慣れた口調から、彼がここの常連であることを知る。
周りの客も一様に裕福そうで、もしかして、あの門番は篩をかける役目も担っているのではと思わせた。
「どのような職人をお探しでしょうか?お品物として、ご要望のものをご用意できる場合もございますが。」
「別の店で素晴らしいカフスボタンを買ったのですが、それを作った職人に会えないものかと思って参りました。こちらのお嬢様が大変気に入って。」
ジャンヌがキアラの肩を抱き、笑顔で店員に説明する。
「え、ええ、とても素敵な細工だったので。オホホ…」
いや、そんなことよりも、距離が近い。
ジャンヌは、なぜか店に入ってからというもの、キアラにピタリと寄り添ってくるのだ。
こんな時だというのに、心臓が勝手に煩くなるのでやめてほしい。
「カフスボタン、でございますか。まずは、当店にあるものをお出ししますね。似ているものがございましたら、作り手を確認いたします。」
「なるほど。では、お願いします。」
店奥のテーブルへと案内されると、女性は商品をもってくると言ってしばらく離れた。
その間にハーブティーまで出してもらい、座り心地の良い椅子で待っている間、キアラは買い物に来ているという感覚を忘れそうだった。
上流階級に気に入られるんけだ、とキアラは他人事にも思った。
「お待たせいたしました。」
女性は、小いさめの旅行鞄のようなケースからいくつか小箱を取り出すと、その中身をビロード張りのトレイに載せていく。
トレイの上には、色とりどりのカフスボタンが並び、使う予定のないキアラでも欲しくなってしまう。
「カフスボタンって色々あるんですね。」
「はい。当店は海外からの輸入品も扱っておりますので、幅広いご要望にお応えしております。お探しの意匠は、どのようなものでしょうか?」
「えーっと、お花です。立体的な彫りに、繊細な色付けがしてあって…」
ベゴニアの花だと、具体的に示しても良いものか分からず、曖昧に答える。
クレムーナではペラペラと詳細を話してしまったが、ここではいやでも警戒心が高まっている。
「お花ですか。男性のものとしては珍しいモチーフですね。」
「ですよね…だから珍しくて、綺麗だと思ったのかもしれません。」
「珍しいとは思いますが、当店にもご用意がございます。花や葉などの植物も、一定の人気がございますので。」
「それなら良かったです。」
と、答えながらも、さりげなく肩に置かれたジャンヌの手が気になって仕方がない。
今朝嗅いだ柑橘系の香りが、時間が経ったせいか、どこかスパイスを含んだような、男性っぽい香りになっているのもダメだ。
ふわりと香るたびに、ボタンより気になってしまう。
「あの、ジャンヌ…」
「はい、何か?」
「いや、何かっていうか…」
どうしてそんなに面白そうなの。
ああもう、揶揄われていると分かっていても、近くで見つめられれば顔が熱くなるから嫌だ。
「あのね、ジャンヌ…」
「こちらは、いかがでしょう?」
言いかけたところで、女性がいくつかを入れ替えたトレーを示す。
あとできっちり文句を言ってやると誓う。
「あ、キアラ姉さん、これ似てなーい?」
「え、どれ?」
いつの間にかグレゴリオに抱き抱えられていたウィリアムが、トレーの中を指差す。
銀地にシダの葉。
地金を彫っただけで色がついていないが、確かにどこか似ている気がする。
「これを作った方の、別の作品はありますか?」
女性が残りの小箱を確認していく。
「いえ、申し訳ございませんが、こちらだけのようです。ですが、職人はこの街の人間ですので、ご紹介できますわ。9区の…」
「教会通り、ですよね?」
女性がみなまで言う前に、別の方から声が飛んできて驚いた。
しかも、発言したのは、なんとグレゴリオだったのだ。
その場の全員が、驚きに目を見開く。
「え、ええ、仰る通りでございます。9区の教会通り二丁目にある店の職人だと、ここに。」
「私が紹介状を書きますよ、キアラさん。」
「グレゴリオさんが…」
「いやぁ、こんな偶然があるですね。」
ほんとにその通りだと、キアラは縦に首を振る。
神様の悪戯とも言える出来事に、ただただ驚くばかりだ。
「お探しのものが見つかったようで、良うございました。他になにかご入用のものはございますか?」
「すみませんが、紙とペンを貸してもらえますか?紹介状を書いてあげたいので。」
「畏まりました。お待ちください。」
女性が小箱とともにその場を離れる。
「グレゴリオが知ってたなんて、ビックリだね!」
「私も、皆さんが探されていたのがあの職人だったなんてビックリですよ。」
「キアラお嬢様の引きの強さに、私は少し引いています。」
「いや、引き当てたのはどちらかというとジャンヌでしょう…?」
女性が戻ってきたので、グレゴリオが紹介状を用意する。
字だけでも分かるはずとのことだったが、念のためアントニオ商会の印章を入れてもらった。
「ありがとうございます。立ち寄ってみますね。」
紹介状を受け取ったキアラは、改めてグレゴリオにお礼を言う。
ランチのお返しができて良かったと、グレゴリオも満足そうだ。
「せっかくですから、他にも何かみて行かれますか?」
女性店員にそう聞かれ、キアラとウィリアムはジャンヌを見る。
ジャンヌは二人の『ワクワク』という音が聞こえそうな態度にクスリと笑う。
「良いですよ。9区に立ち寄るのでしたら、そんなに長くはいられませんが。せっかくですからね。」
「やったー!探検だー!」
「はい、探検はダメよ、探検は…。でも、子どもが楽しめそうなものって何かあります?」
「でしたら、あちらに-」
キアラはウィリアムと手を繋ぎ、女性の案内についていく。
ベアトリスへのお土産も何か買えると嬉しいのだが。
この時、すっかり気を抜いていたキアラには、見えていなかった。
その背後で、グレゴリオがジャンヌにそっとメモを渡しているのが。
塀が取り囲む入り口には、よじ登って侵入するのは無謀だと思わせる荘厳な鉄格子状の門がついており、両側には体格のよい門番まで立っている。
両側に広がる美しい緑の芝生、その真ん中だけを切り抜いたように整ったレンガの歩道を進んだ先にある、見るからに贅を尽くした2階建て。
ここが、アントニオ商会だ。
「いらっしゃいませ。あら、ダンジュ様。いつもご贔屓にしていただき、ありがとうございます。」
店に入ると、女性店員がにこやかに話し掛ける。
強めにカールさせた短い黒髪を後ろに流し、ワンピースの上には女性としては珍しくスーツジャケットを羽織っている。
「こんにちは。こちらの友人が職人を探していましてね。ちょっと話をきいてもらえるかい?」
「もちろんでございます。」
グレゴリオの慣れた口調から、彼がここの常連であることを知る。
周りの客も一様に裕福そうで、もしかして、あの門番は篩をかける役目も担っているのではと思わせた。
「どのような職人をお探しでしょうか?お品物として、ご要望のものをご用意できる場合もございますが。」
「別の店で素晴らしいカフスボタンを買ったのですが、それを作った職人に会えないものかと思って参りました。こちらのお嬢様が大変気に入って。」
ジャンヌがキアラの肩を抱き、笑顔で店員に説明する。
「え、ええ、とても素敵な細工だったので。オホホ…」
いや、そんなことよりも、距離が近い。
ジャンヌは、なぜか店に入ってからというもの、キアラにピタリと寄り添ってくるのだ。
こんな時だというのに、心臓が勝手に煩くなるのでやめてほしい。
「カフスボタン、でございますか。まずは、当店にあるものをお出ししますね。似ているものがございましたら、作り手を確認いたします。」
「なるほど。では、お願いします。」
店奥のテーブルへと案内されると、女性は商品をもってくると言ってしばらく離れた。
その間にハーブティーまで出してもらい、座り心地の良い椅子で待っている間、キアラは買い物に来ているという感覚を忘れそうだった。
上流階級に気に入られるんけだ、とキアラは他人事にも思った。
「お待たせいたしました。」
女性は、小いさめの旅行鞄のようなケースからいくつか小箱を取り出すと、その中身をビロード張りのトレイに載せていく。
トレイの上には、色とりどりのカフスボタンが並び、使う予定のないキアラでも欲しくなってしまう。
「カフスボタンって色々あるんですね。」
「はい。当店は海外からの輸入品も扱っておりますので、幅広いご要望にお応えしております。お探しの意匠は、どのようなものでしょうか?」
「えーっと、お花です。立体的な彫りに、繊細な色付けがしてあって…」
ベゴニアの花だと、具体的に示しても良いものか分からず、曖昧に答える。
クレムーナではペラペラと詳細を話してしまったが、ここではいやでも警戒心が高まっている。
「お花ですか。男性のものとしては珍しいモチーフですね。」
「ですよね…だから珍しくて、綺麗だと思ったのかもしれません。」
「珍しいとは思いますが、当店にもご用意がございます。花や葉などの植物も、一定の人気がございますので。」
「それなら良かったです。」
と、答えながらも、さりげなく肩に置かれたジャンヌの手が気になって仕方がない。
今朝嗅いだ柑橘系の香りが、時間が経ったせいか、どこかスパイスを含んだような、男性っぽい香りになっているのもダメだ。
ふわりと香るたびに、ボタンより気になってしまう。
「あの、ジャンヌ…」
「はい、何か?」
「いや、何かっていうか…」
どうしてそんなに面白そうなの。
ああもう、揶揄われていると分かっていても、近くで見つめられれば顔が熱くなるから嫌だ。
「あのね、ジャンヌ…」
「こちらは、いかがでしょう?」
言いかけたところで、女性がいくつかを入れ替えたトレーを示す。
あとできっちり文句を言ってやると誓う。
「あ、キアラ姉さん、これ似てなーい?」
「え、どれ?」
いつの間にかグレゴリオに抱き抱えられていたウィリアムが、トレーの中を指差す。
銀地にシダの葉。
地金を彫っただけで色がついていないが、確かにどこか似ている気がする。
「これを作った方の、別の作品はありますか?」
女性が残りの小箱を確認していく。
「いえ、申し訳ございませんが、こちらだけのようです。ですが、職人はこの街の人間ですので、ご紹介できますわ。9区の…」
「教会通り、ですよね?」
女性がみなまで言う前に、別の方から声が飛んできて驚いた。
しかも、発言したのは、なんとグレゴリオだったのだ。
その場の全員が、驚きに目を見開く。
「え、ええ、仰る通りでございます。9区の教会通り二丁目にある店の職人だと、ここに。」
「私が紹介状を書きますよ、キアラさん。」
「グレゴリオさんが…」
「いやぁ、こんな偶然があるですね。」
ほんとにその通りだと、キアラは縦に首を振る。
神様の悪戯とも言える出来事に、ただただ驚くばかりだ。
「お探しのものが見つかったようで、良うございました。他になにかご入用のものはございますか?」
「すみませんが、紙とペンを貸してもらえますか?紹介状を書いてあげたいので。」
「畏まりました。お待ちください。」
女性が小箱とともにその場を離れる。
「グレゴリオが知ってたなんて、ビックリだね!」
「私も、皆さんが探されていたのがあの職人だったなんてビックリですよ。」
「キアラお嬢様の引きの強さに、私は少し引いています。」
「いや、引き当てたのはどちらかというとジャンヌでしょう…?」
女性が戻ってきたので、グレゴリオが紹介状を用意する。
字だけでも分かるはずとのことだったが、念のためアントニオ商会の印章を入れてもらった。
「ありがとうございます。立ち寄ってみますね。」
紹介状を受け取ったキアラは、改めてグレゴリオにお礼を言う。
ランチのお返しができて良かったと、グレゴリオも満足そうだ。
「せっかくですから、他にも何かみて行かれますか?」
女性店員にそう聞かれ、キアラとウィリアムはジャンヌを見る。
ジャンヌは二人の『ワクワク』という音が聞こえそうな態度にクスリと笑う。
「良いですよ。9区に立ち寄るのでしたら、そんなに長くはいられませんが。せっかくですからね。」
「やったー!探検だー!」
「はい、探検はダメよ、探検は…。でも、子どもが楽しめそうなものって何かあります?」
「でしたら、あちらに-」
キアラはウィリアムと手を繋ぎ、女性の案内についていく。
ベアトリスへのお土産も何か買えると嬉しいのだが。
この時、すっかり気を抜いていたキアラには、見えていなかった。
その背後で、グレゴリオがジャンヌにそっとメモを渡しているのが。
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