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9話

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 ジェラルド様の屋敷に来てから、十日が経った。
 彼が騎士団の職務で不在の昼は戸締りをして立て籠もり、夜は同じ部屋で過ごす。

 とはいえ……私は寝台で寝かせてもらい、彼は床だ。

「他に寝台は無いのですか?」

「全て捨てた」

「ですが、ずっと床に寝てもらう訳には……」

「黙れ、気にせずさっさと寝ろ」 

 そんな悪態にも似た口ぶりで、普段は会話も全く無く。
 白猫のハクちゃんしか接する相手は居ない中……いつも通り撫でながら過ごしていれば。

「レティシア」

「え?」

 今日は珍しく彼が、重々しい口を開いて話しかけてきた。

「お前を……信用せざるを得ないな」

「……?」

 バサリと、机の上に置かれた書類。
 中身を見れば……ベクスア公爵家と、伯爵家の関係が途絶えた事が書かれていた。

「騎士団にまで回ってきた、商家や貴族派閥がこの事態に動揺しているようだ」

 どうやら……私が思う以上に、デミトロは泥沼の展開へ陥ってくれたようだ。
 思わず頬が緩むのを止められない。

「何年も隙すら見せなかった公爵家が、初めて醜態を晒した」

「それは、良かったです」

「……あぁ」

 腰掛けた椅子に背を預けた彼は大きく息を吐く。
 その瞳はまっすぐに私を見つめており……もうそこには、以前の怒気は含まれていなかった。

「諦めていた俺では、こんな事は実現できなかった……お前との協力関係、改めて俺から願いたい」

「当然。私もそれを望んでおりますよ」

 頷きを返しつつ、少しわだかまりが解けたような気がして気持ちが軽くなる。
 同時に……この書類を見つつ、次にすべき算段も見えてきた。
 公爵家も伯爵家も、体裁のために仲が決裂した原因を隠しているようだ。

 なら。

「ジェラルド様。次は両家の関係が壊れた原因……アーリアの不倫を公にします」

「っ!!」

「公爵邸で協力してくれている侍女達に話を聞き、事の顛末をあらゆる貴族家や商家に匿名で送ります」

「……緩む隙も与えんな、お前は」

「ええ、もちろん。当主となったばっかりのデミトロが起こした此度の騒ぎを広め……ベクスア家の信頼を底に落としてあげましょう?」

 ただでさえ、公爵家の当主となったばかりのデミトロだ。
 諸侯貴族との信頼関係も築いていない中、若年当主が起こした失態には皆が注目する。

 それもよりによって、妻の不倫が原因で商家を多く抱え持つ伯爵家と関係を悪化させるなど……当主としてあるまじき失態だ。

「さっそく、侍女達に手紙を書きますね」

「……」

 答えはなく、無言で立ち去ってしまったジェラルド様を気にせず、手紙を書き進めていく。
 伯爵家との事の顛末を尋ね、彼らの近況を報告してもらおう。

「っ……あ」
 
 ふと、手紙を書くのに夢中になっており。
 額の傷に巻いていた包帯が解けたのに、気付けなかった。

 慌てて、新たな包帯を巻こうと思った時。

「俺がやる」

 声に気付けば、ジェラルド様が包帯を手に隣に座っていた。
 先ほどの無言はもしかして、包帯が解けているのに気付いていたから?

「お、お願いします」

「あぁ」

 髪をかきあげられ、彼の大きな手が私の頭を囲うように動く。
 開けた応急箱から、薬品の匂いがほのかに香り。同時に近くにいる彼の匂いも感じる。
 妙にこっぱずかしくて、私は瞳を閉じた。

「すまなかった」

「え?」

 突然の謝罪に戸惑いの声を漏らしてしまう。

「お前に、剣を突きつけた事。いくらベクスア家とて……傷を負い、襲われた女性にすべき事では無い」

「……」

「すまない」

 その謝罪は、私を改めて信頼するからこそ……罪悪感を感じるのだろう。
 彼の気持ちは嬉しくもある、ようやく信じてもらえたのだから。

 でも……簡単に許すほど、私も甘くはない。

「許しません」

「うっ……」

「あの時、凄く怖かったんですよ。もう身体が震えて」

 冗談交じりに言えば、彼が酷く動揺を示す。

「思い出すだけで、今も震えが……」 

「どうすれば、お前に許してもらえる」

 包帯が巻き終わり、瞳を開けば。
 ジェラルド様は無表情ながらも、思い詰めたように視線を落としている。
 本気で反省して、償おうとしてくれているのだろう。

 だからこそ、私は彼に直してもらいたい提案を述べる。

「では、私と過ごす時は笑ってください」

「は……笑う?」

「ジェラルド様、無表情で怖いですから。一緒に過ごすのは息が詰まりますよ」

「……」

「嫌ですか?」

「嫌という訳ではない……だが、俺はあまり普段から感情が動かず、どうすればいいか」

「では、もう許しません」

 視線を逸らして言えば、彼は慌てたように声を漏らした。

「ま、まて」

 彼の声に、視線を戻せば。
 驚いた事に……彼は両手の人差し指を頬に当てて、口角を少し上げていた。 
 無表情を無理やり笑みに変えているのだ。

「い、今は……これで許せ」

 妙に慌てながら、許してもらうためにそんな行為をした彼が面白くて。
 思わず、噴き出してしまう。

「あ……あはは。可愛いらしいところもあるんですね。ジェラルド様……そっちの方がいいですよ」

「も、もういいだろう」

「はい、満足です。では……これでもう謝罪は無し、私達は対等ですよ」

「あぁ、頼む」

 信頼が宿った彼の瞳。
 自らの力で勝ち取った関係が嬉しく思えた。



   ◇◇◇



 数日後、侍女達から手紙が返ってきた。
 その内容に……驚愕した。 

「これは……」

 伯爵家との事の顛末は、デミトロの暴行という最悪のこじれ方を迎えていた。
 なにより驚いたのは……

「アーリアという女は、逃げるように実家に戻ったようだな」

「そう……みたいですね」

 アーリアが実家に逃げ、デミトロは一人となったようだ。

「お前の狙い通り、関係は崩せたな」

「ふふ、ジェラルド様。私が……そんな事で終わらせて満足すると思いますか?」

「?」

「好都合です……アーリアが一人になったのなら、逃さずに追い詰めます」

「お前……まさか」

「はい、彼女の実家へ。直ぐに向かいましょう……」

 デミトロの前には、まだ居場所を晒す訳にはいかない。
 まだまだ、彼を遠くから追い込む術が残っているのだから。
 
 だから……彼からアーリアが離れてくれたのは好都合。
 私は、彼女に毒殺を図ったと無実の罪で責められた事を許してはいない。

 彼女の実家は伯爵家であり、逆上される危険もあって一人では追い詰められないが……今の私には、身を護る力がある。

「護衛は、頼みますね」

「もちろんだ」
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