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もう一人の人生②

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 呼び出した家令のセドクへ、苛立ちと共に問いかけた。

「おい……レティシアはどうなった」

「申し訳ありません。所在が……掴めなくなりました」

「っ……このグズが!」

 殺すなどと依頼をしたらしいが、成功できねば意味がない。
 あの女を野放しにすれば……

『では、次に会う時は貴方に後悔してもらうので』

 前世の本郷の言葉。レティシアが本郷ならば、必ず離婚しただけでは済ませない性分だ。
 放流してしまった時限爆弾のような存在が、日に日に恐怖を大きくしていく。

「探しだせ!」

「しょ、承知いたしました! お父上にも本件を相談してまいります!」

「勝手にしろ!」


 出て行く彼に舌打ちした後、俺は心の安らぎを求めて、とある部屋へ向かう。
 あの日以来……部屋にこもったもう一人の妻、アーリアの元へ。

「アーリア、出て来い」

「デミトロ……疑っているのよね?」

 伯爵令息との不倫。

 あの時、焦りで疑ってしまったが。 
 レティシアに脅され、無理やりに言わされた可能性もあったと今なら考えられる。

「すまない、アーリア。俺が間違っていた」

「……」

「君は、レティシアに脅されたのだろう?」

「っ。うん……デミトロ、信じてくれる?」

「もちろんだ。疑って悪かった……出てきてくれ」

 閉ざされていた扉が開き、暗い室内から引きこもっていたアーリアが出てくる。
 久しぶりに見た彼女の髪を優しく撫でれば、ふわりと心が和らいだ。

「すまない」

「いいの。デミトロが信じてくれたから」

「俺はお前を愛しているからこそ。信じるべきだったのに」

 前よりも痩せたアーリアの身体を抱けば、彼女は俺の頬に手を当てて口付けを交わす。
 可憐で、俺を見つめる瞳には愛がこもっていて。
 やはり……愛しきアーリアが俺を裏切るなどあり得ない。



 そう……思っていた時。



 後方より、足音が近づいた。

「ア、アーリア?」

「っ!!」

 バサリと落ちた花束。抱き合う俺達に声を出したのは、見知った男性だった。
 同時に、アーリアは大粒の汗を流して視線を泳がせる。

「ルウート……どうして」

「どうして? 君が……呼んでくれたはずだろ!?」

「なにを言って……」

 ルウート。その名は知っている。
 アーリアとの不倫を疑った伯爵令息、本人だ。

 どうしてここに? 
 それよりも……誰がこの屋敷に通した? 侍女達は何をしている。
 答えを求めても、この修羅場への対応が暇を許してはくれない。

「どういうことだ、アーリア!」

「し、知らない! 私は何も知らないの! デミトロ!」

「アーリア! 君が招待の手紙をくれたはずだろ? いつも通り愛し合えると思ったのに! 騙したのかい?」
  
「そ、そんなの私……送ってない!」

「いつものように愛し合うだと……ふざけるなっ!」

 意味が分からない、なんだこの状況は。
 なにより、二人の関係が続いていた事実。
 
 愛しい彼女が、俺にウソを吐いた?

「アーリア、やはり……お前!」

「ち、ちが。私……」

 困惑したアーリアへ叫べば、ルウートが口を挟む。

「ぼ、僕は帰らせてもらうよ。君たちの事情に僕は関係ない」

「え……ルウート?」

 逃げるように帰ろうとしたルウートに、アーリアは絶望の表情を浮かべた。

「ルウート! 待って。たすけ」

「アーリア。俺を裏切ったのだな?」

「ちが、私……不安で……」

「何が違う! 俺はお前だけを愛していたのに! お前が望む妻にもしてやったはずだ!」

 苛立ちや、怒り。
 プライドを傷つけられた悔しさから、アーリアの髪を掴んで叫ぶ。

「い! 痛い! 痛いよ……やめて!」

「泣くな! 貴様が全て悪いのだろう!?」

「ひっ!! も、もういやぁぁ! やめて!」

 涙を流し、彼女は再び部屋へと飛び込んでいく。
 そのまま扉を閉め。鍵をかけてしまった。

 また、部屋にこもったのだ。
 腹立たしい。

「アーリア! 出て来い!」
 
 扉を叩いても、中から聞こえてくるのはすすり泣く声のみ。
 まるで被害者といった素振りに、苛立ちが止まらぬ。

「さっさと開けろ! 言う事に従え!」 

「や、やめてあげてくれ、デミトロ」

「っ!!」

 不倫していたルウートの態度にも、激情が心を満たす。
 
「黙れ……人の妻に手を出してタダで済むと」

「あ、貴方も悪いのだ。アーリアはずっと自分以外の妻がいる事を嘆いていたぞ!」

「っ!! 口を挟むな! 貴様には関係ない!」

「一人目の妻をないがしろにしていた君に、彼女が不安に思うのは当然だろう? 彼女とよく話し合えばいい、僕も悪かったと思ってる、もうアーリアには関わらないよ」

「それで済ますかっ!! ふざけるなぁ!」

 裏切られた怒りと、ルウートの耳障りな言葉に激情が灯り。
 気付けば、彼を殴りつけてしまっていた。

「な!? こんなここと、我が伯爵家が黙っていない! どうなるか分かっているのか!?」

「黙れ! 貴様には必ず制裁を下してやる!」

「ま、間抜けだな。不倫した僕が悪かったが、この暴力で公爵家にも非ができたぞ」
 
 笑いながら、足早に逃げていくルウートに苛立ちが止まぬ。
 同時に……裏切られた虚しさが胸を刺す。

 俺は、アーリアを信じていたのに。
 知りたくもない真実を知ってしまったのだ。

「くそっ!!」

 すすり泣くアーリアの悲痛な声が部屋から聞こえ……現実を教えられる。
 彼女との愛が、静かに崩れていく音が聞こえた。




   ◇◇◇



 その後。
 両親の元から帰ってきたセドクへと、先の経緯を全て話した。
 

「は、伯爵家の令息を殴りつけた?」

「あぁ、元は不倫した奴が悪い。所詮は伯爵家だ、問題ない」

「なんてことをしたのですか!」

 セドクの叫びに、思わず肩が震えた。
 なぜ、こんなに焦っている?

「あの伯爵家は、多くの商家を抱えており。我ら公爵家も日頃から世話になっていたのですよ!?」

「は……?」

「なんて事だ……建設的な話し合いも出来たはず! 伯爵家と関係が絶えれば、我らにも大きな損害が」

「な、そんなこと! 俺は知らな」

 言っていて気付いてしまう。
 レティシアに執務を任せており、伯爵家との繋がりなど知る由も無かった事を。

「ど、どうすれば。旦那様……」

 焦るセドクの姿を見て、心臓が高鳴って呼吸が荒くなる。
 どうするかなど、分かるはずもなかった。



 どうしてこうなった。
 そもそも、ルウートはアーリアから手紙を貰ったと言っていたが、彼女は送っていない。
 つまりは誰かが偽装して送ったという事。

「……」

 その答えはよく知っている、退職前の本郷美鈴と同じだ。
 表立たずに裏から俺の不正を会社に公にして、こちらの余裕を潰してきたやり口と同じ。

「本郷……やはり、お前が」

 間違いない。
 レティシアは、本郷美鈴であり……ベクスア家を追い込んでいる。

 奴はまた、俺の人生を潰そうとしているのだ。
 それに気付いた瞬間、強烈な恐怖が身を震わせた。
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