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4話

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「ア、アーリア……何を言って」

「ち、違うのよデミトロ。私は……い、言わされて。そ、そうよねレティシア!」

「……え? なんのことやら」

「な! は、話がちが」

 アーリアは何を言っているのだろうか。
 私は約束通りに、これ以上は彼女の不倫について言及をしないだけというのに。

「違うの! デミトロ……私は」

「伯爵家の令息とは……お前の幼なじみのラクシア家の男か?」

「違う、違うの! ただ遊んでいただけで」

 あら……取り繕うのは下手なようだ。
 アーリアはしなくていい失言を、自らしてしまっている。

 デミトロも同様に、一度疑いだせば疑心は止まらぬ。

「奴とは、もう関係は絶ったはずだろ! だから妻に迎えたはずだ!」

「あ……あぁぁ。いや、いやぁ……さ、寂しくて、私」

「……俺を裏切ったのだぞ、お前は!」

 怒り狂い、デミトロはアーリアへと手をあげる。
 最低な人……アーリアには同情は無いが、この人と離れる決心はより強くなった。

「やめて! ごめんなさい! 私……」

「もういい! お前とは後で話す! 部屋に戻っていろ!」

「ひ!」

 先程までのお熱い様子が、こうも変わるとは。
 私は屋敷を出て行くために部屋の荷物をさっさとまとめながら、ぼうっと事態を見守っていた。

 アーリアは泣いて部屋を出ていき、デミトロは鼻息荒く私へと叫ぶ。

「まさか、お前がここまで愚かだったとはな」

「はて、誰が愚かでしょうか」

 デミトロは部屋に散乱している書類の惨劇に驚きつつ、私を睨む。

「どうなるか、分かっているのだろうな? 領主の執務をこのような有り様にして……」

「貴方、理解できないの?」

「は?」

「これらの書類は領民の個人情報が詰まった重要な書類。本来ならば当主の貴方が厳重に保管しなくてはならぬ物」

「……っ」

「それを家令や私が触れる環境に置き。挙句に破り裂かれるなど、当主としての管理責任が問われそうね」

 ここまで説明してあげれば、ようやく理解したのだろう。
 デミトロは再び悔しそうな表情で、私を見つめた。

「何が目的なのだ!? こんな事をするなど……」

「目的? さっき言った通り、離婚をしていただきたいの」

「っ!?」

「私をこのまま妻にしていては、何をするか分からないわよ?」

「本気で、脅しているのか?」

「えぇ。残念ながら私の毒殺とやらも証拠がなくて罰せられないわよね? 貴方に私を止める権利が離婚以外に他にあるかしら?」

「……」

「ここまで言われて、まだ決断してくれないのね」

 笑って呟けば、プライドが傷つけられたのだろう。
 デミトロは悔しそうな表情を浮かべ私へと叫んだ。
 
「なら! 好きにしろ! お前など……離婚しても構わ––!」

「ありがとうございます! では、用意していたこの紙にサインを」

「っ!?!?」
 
 我が国では離婚は正式な書類を通すだけでなく。
 本人同士のサインでも成り立つ、なので用意していた紙を彼へと渡した。
 もちろん、私のサイン済みだ。

「……後悔する事になるぞ?」

「結構です。後悔しても良い選択をしましたから」

 苦々しい表情でサインが済まされ、私は颯爽と荷物をまとめる。
 元から買い与えられた物もなく、必要最低限しかなかったので直ぐだった。

 用意を済ませ、デミトロへと呟く。

「それでは、さよなら」

「お前の貴族家はもう無い、つまりは一人で平民として生きていくのだぞ。苦労を知らぬお前に耐えられる訳がない」

「私は、両親が残してくれた実家で過ごすので」

 確かに、以前までの私ならば……今の暮らしを捨てるのが怖いと思っていただろう。
 だが、こちとらサービス残業で精神すり減らして生きていた、ブラック勤め庶民の感覚を思い出しているのだ。

 むしろ今は。
 
「楽しみですよ。今から一人で暮らしていくのが」

「っ……まて! お前が裂いた書類はどうする、執務の引き継ぎも……」

「それ、貴方の仕事でしょう? ご自身でどうにかすれば?」

 押し黙ったデミトロに別れを告げ、さっさと出て行く。

 両親は亡くなり、貴族家の爵位もデミトロの公家に統合されてしまったが。
 二人は私に住んでいた家を残してくれていたので、住む所はある。

 一人で生きく事など、少しも怖くない。
 こちとら前世でド庶民だったのだ、働くのなんて平気だ。

 むしろ楽しみでもある。
 今まで私を虐げてきた彼らへの復讐を、これから着実に進めていけるのだから。

 


   ◇◇◇



 しかし……私が奪われた物は予想以上に多かった。





 デミトロから離れ、馬車を乗り継ぎ二日。
 私の実家のあった場所までやって来て、その惨状に荷物を落としてしまう。

「な……なんで」

 そこ建っているはずだった私の実家は無くなっていた。
 家が……亡き母と父。二人の思い出が詰まった全てが消えていたのだ。

 周辺の住人へ聞けば、デミトロの家。
 ベクスア公爵家が、知らぬうちに亡き両親の家を取り壊していた事が分かった。
 私の許可もなく、勝手に。
 
 事故死した両親からは、私に相続すると言ってくれていたのに。
 相続手続きだって私がしたはず……
 屋敷に半ば幽閉されていた間に全て奪われていたというの?

「……」

 更地になった場所は、母と手を繋いで庭園や。
 父の膝上に座って、本を読んでいた書斎があったはずなのに。

 全てが消されて、奪われていたのだ。

(私は……馬鹿だ)

 臆病で、デミトロ達に抵抗できぬ間に全て奪われ。
 それも知らずに生きていた事が、悔しくてたまらない。

 デミトロと別れた事に、少しも悲壮感は無かったのに。
 私の半生と共に、もう取り戻せない物が奪われたと気付いて……悔しくて目頭が熱くなる。

(泣くな……絶対、アイツらのせいで泣いたりしない)

 後悔と悔しさが……身体が燃え尽きるほどの怒りへと変わる。

 デミトロ達との関係は、あれで終わるなどあり得ない。もう容赦などしない。
 私が全てを奪われたのなら……私も彼らから全てを奪うだけだ。
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