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1話

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 ……


 …………



「……い」

 なに? 意識が……
 頭……痛い。

「おい!」

 誰の声?

「起きろ。聞こえないのか」

 ぐっと髪を掴まれ、痛みで顔をしかめる。
 痛覚と共にハッキリとしてきた意識が……頭の中にある記憶を混ぜていく。

「返事もできないのか! レティシア!」

 そうだ、私の名はレティシア。
 そして目の前にいる男は……夫の……

「デミト……ロ」

 前世と混ざる記憶と共に、今世の事も思い出す。
 目の前の男、デミトロ・ベクスア。
 彼はベクスア公爵家の当主であり、私達は政略によって結婚していた仲だ。

 だが、私が両親を亡くして……貴族家の権利を統合されてからは酷い生活となった。
 公爵家の全ての執務、雑務を投げられて虐げられたのだ。
 両親という後ろ盾もなくし。離婚すれば生活できない私は逃げられずに、大人しく従うしかなかった

 そして今、そのデミトロが怒りの形相を浮かべて私の髪を掴んでいるのだ。
 
「ふん、起きているならさっさと立て」

 掴まれていた髪が離され、支えを失って地面へと這いつくばる。
 額に感じる痛みに手を当てれば、血が付着していた。

 そうだ。私はデミトロに突き飛ばされて額をぶつけ。
 その衝撃で私の頭に流れ込んできたのが……あの知らぬ世界の記憶だった。

 知らなかったのに、確かに覚えのある記憶。それは私であって私ではないもの。
 蘇った記憶の言葉を借りるなら、前世の記憶というもの?

「なにを呆けている。立てと言ったのが聞こえないか?」

「デミトロ、もういいじゃない」

 いきり立つデミトロへと、一人の女性が諌める言葉をかけた。

「アーリア。お前が許しても俺がレティシアを許せん」

「落ち着いて、こんな女に怒る方が損よ」

 デミトロに抱きつく彼女は私もよく知る人物。
 桃色の髪がふわりと揺れて、蒼の瞳が私を見つめて嘲笑う美麗な女性。

 名をアーリア。
 私とデミトロは親が決めた結婚だったが……彼女はデミトロが選んだ新たな妻だ。

「さっさと立てと言っているだろうが!」

「っ!!」

 再び掴み上げられた髪。
 私の紅の髪がブチブチと数本が抜けていくのが聞こえた。
 
 デミトロは怒りの形相で睨み、私を力の限り殴りつける。
 ここまで乱れた原因は、私がアーリアを恨んで飲み物に毒を含ませたという理由からだ。

 でも、誓ってそんな事はやっていない。
 ……私はきっと、嵌められた。

「私は……やってない」

「まだ言うか! 証拠は揃ってるぞ。侍女が見たと言っているんだ!」

 昨日雇ったばかりの侍女が証人など……分かりやすすぎるだろう。
 こんなずさんな計画で、私を陥れようというのだ。

「分かっているのか? 俺の愛するアーリアへと恨みを抱き……暗殺を企てた罪、相応の処罰をお前には受けてもらう!」

「や……ってない」

「こ……のっ!!」

 あぁ……前世では自由に過ごす前には死んでしまうし。
 今世では無実の罪で責められるって、なんなの。

 こうなった原因も察しがつく。
 デミトロは両親という後ろ盾を失った私が不要となり、アーリアを見つけた今、妻である私が疎ましいのだ。

 だが、幸いな事があるとすれば。
 前世の記憶が混ざった今、彼への恋情など消えていること。
 むしろ、胸を焦がすほど熱い激情が燃える。

「お前の処罰を決めようか?」

 っ……あぁ、苛立ってきた。

「我が公爵家から追放してもいいが、昔からの婚約者として情けはある」

「……」

「だが、裁きは与えねばならん。そうだ……お前から公爵夫人の権限を剥奪しよう」

「!! デミトロ……嬉しい」

 瞳を輝かせて、アーリアはデミトロを見つめる。
 
 対して私は無言のまま話を聞かず、どうするか考えていた。
 思った反応と違ったのか、彼が言葉を続けた。

「しかし、機会を与えよう。お前はこれから俺のために尽くせ、離婚という選択肢を無くす程に尽くすんだ」

 あぁ、なるほど。魂胆が分かってきた。
 執務や雑務は任せたいが、私の妻としての権限は消しておきたいのだ。
 かつては本当に愛していた私の恋心を利用し……尽くせというのだろう。

 私の顎に手を当て、勝気な笑みを浮かべるデミトロだけど。
 残念ながら、もう愛されたいなどと微塵も思わない。

「離婚するか、俺に一生を尽くすかか選べ……答えは分かっているだろう?」

 離婚……その言葉に、私は自然と額の血を拭っていた。
 手の血を見つめ、呟く。

「では、さっさと離婚しましょうか」

「は……え? ……はぁ!?」
 
 予想と違う返答に戸惑うデミトロを気にせず、私は微笑む。
 
「構わないと言っているのですよ。離婚で」

 離婚、好都合だ。
 記憶が蘇った今、私は今までの臆病だったレティシアではない。
 本郷美鈴だった前世の私が……許さないのだ。

 今まで、半生をかけて尽くしてきた私への仕打ちに報いを与えねば……胸に宿った赫怒は消えはしない。
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